猫周りと称して、いわば世間でいうところの猫たちのお世話をしに
とある町まで毎晩通っています。
元々勤務していた会社に通うのに、健康のため自転車通勤に切り替えて
その途中見つけた猫たちが気になりだしたのがきっかけです。
手術しその後のお世話をするため365日、うちいかないのは3日ぐらいかな。
ご飯をあげる人はいたのですが、誰も手術はしていませんでした。
それで、その地区を数年、いえ15年以上かけて
根気よく手術をして増やさないようにしてきました。
当時は生まれた赤ちゃんも若い猫も、事故や病気や悪い物を口にして
次々亡くなっていましたが、亡骸すら片付けてはもらえないような
でも、餌だけはあげてるみたいな感じでした。
見るに見かねて、手術をしはじめました。
母子ともに手術をして、それから他の猫たちも含め、
ずっとずっと様子を見に行っていました。
みぃちゃんはずいぶん前、かれこれ6年ほど前に保護できて、
わが家で最期を迎えることができました。
でも、グレトだけは・・・・どうしてもなつかないというか
ずいぶん用心深くて、そばに近寄ることができないままでした。
車も、足音も、声も・・・・覚えて駆け寄ってきてくれるのですが
数10センチの距離を保ち、背後を取らせてはくれないのです。
この子に何かあっても連れて帰ることはできないだろうと思っていました。
でも14歳半もの長い歳月をずっと見ていたので
もし叶うのなら最後くらいはともに過ごさせてほしいと願っていたのです。
そのグレトの具合が、今年の夏場からあまり思わしくなく
なんとかなんとか保護できるチャンスはないものかと思っていました。
義母の見舞いや看病やいろいろ重なり
そしてグレトのことも気がかりで、分身の術でも使っていろいろできたなら
どれほどいいだろうと思ったりもしていました。
9月6日、ダーリンが捕まえるのに失敗しました。
でもチャンスはまだ来ると、8日は台風15号で土砂降りでしたが
ふたりで出かけ、車の下で泣いているグレトを見つけました。
もう少しで手が届きそうなのですが、不用意に動くと
弱ってはいても力を振り絞って逃げてしまいそうで・・・。
また雨の中、身体が濡れたらさらにつらいだろうと、
いったん捕獲をあきらめました。
そして、わたしにはそのときのグレトが最後になってしまいました。
ダーリンはその後11日の水曜日、やはり車の下で呼んでいて
それがお別れになりました。
その後もグレをしばらく探していたら、近所の方が話しかけてくださって
その人もグレが気になっていて、いつもカメに水をはって飲み水を確保し
自転車をいれるビニールのハウスに寒くないように段ボールを用意し
もし家に入ってくる子なら、そのまま飼ってもいいとさえ思っていたと。
そんな風にグレトのことを思ってくれてた人がいたんだと知って
胸の中が熱くなりました。
仲良しだったシマトもマルトも保護して家猫にしてしまい
マルトを保護したときは、しばらく大声で探し回っていました。
ひとりぼっちにしてしまったことを、いつも申し訳なく思っていました。
だから、近所にあの子を気にかけてくれてた人がいたことに、
見守ってくれていたことに安堵しました。
その後も、亡骸でもいいからグレトを連れて帰りたくて
いろいろ探したのですが
ついにその姿を見つけることも、あの甘えたように泣く声も、
耳にすることはできませんでした。
入り込んだどこかで・・・・わたしの声を聞いていたかもしれません。
抱きしめることも、もちろん触れることさえできませんでしたが
大切な大切な子です。
いつかあの子に会う日が来たら、そのときこそ
思いっきり抱きしめて、『にゃにをするんだ、やめてくれ~』って言われても
ぎゅうぎゅうにゅうにゅう、もふもふしようって思います。
保護できなかったことも謝りたいと思っています。
あきらめきれずグレトのいた場所に行きましたが・・・もちろん何の気配もしません。
たぶんここで力尽きたのかなって思う空き家があって
その前でグレを呼んで泣きました。
最後まで生まれ育った土地が良かったのかもしれません。
野良として生きた14歳半は、たいしたものです。
頑張る姿を見せてもらったし、そこにいてくれたから
わたしも頑張れました。
たくさんのことを考えさせてもらって、感謝しています。
グレト
またいつか逢いたいよ。
1カ月が過ぎ、ようやくグレトのことが書ける気がして書いています。
相変わらず根性なしのわたしです。