A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

memorandum 365 気持

2016-09-20 23:34:35 | ことば
 人間は論理的に考えはするけど、考えとはまた別に気持があり、気持には論理が通用しにくい。腹の底から湧いてくる気持というのがあるもので、というより、気持は本来腹の底を根源としている。腹の底から沸き上がりながら、ふつうはそれが途中で胸に滞留したり、喉に滞留したり、指先に滞留したり、足の裏に滞留していて、それが何かのきっかけで頭の脳にまで報告に来ることもある。報告にまで至らないものも多い。だから気持というものには論理が通用しにくい。
赤瀬川原平『優柔不断術』筑摩書房(ちくま文庫)、2005年、113頁。

理屈はわかるが、腑に落ちないということがよくあるが、気持には論理が通用しにくいからそうなる。

memorandum 364 貧乏性

2016-09-19 18:46:46 | ことば
 貧乏性は恥ずかしいことだといわれている。優柔不断も恥ずかしいことだといわれている。その点で両者似ている。似ているというより、両者同じ生い立ちである。からみ合っているわけで、考えることの優柔不断が、物の世界で貧乏性となってあらわれてくる。

赤瀬川原平『優柔不断術』筑摩書房(ちくま文庫)、2005年、98頁。

優柔不断と貧乏性は双子だったか。私もまた同じ生い立ちである。

memorandum 363 落穂拾い

2016-09-18 23:14:23 | ことば
 芸術というのはじつにあいまいなものだから、そういう武力的な方法で捉えられるものではない。むしろこういう末端的な、落穂拾いみたいなことから、接近できるものではないかと思う。芸術というのはどこか一個所に聖地とか、本部とか、総本山的なものがあるのではなくて、細かい霧というか、霞のような、水分のような形で、あちこちに漂っている。それが時にキャンバスに付着したり、紙に付着したり、粘土に付着したり、道端に転がるスクラップに付着したり、というのが実情だと思う。しかもそうやってあらわれた芸術が一定ではなく、たえず微妙に変容している。見つけたと思って美術館の中に運び込んだら、いつ間にか消えてしまって、結局は形骸だけが並んでいる、ということも多い。
赤瀬川原平『芸術原論 (岩波現代文庫) 』岩波書店、2006年、333頁。

至言である。「細かい霧というか、霞のような、水分のような形で、あちこちに漂っている」から、私は今日も街にでて「芸術」の落穂拾いをするのだろう。

memorandum 362 物と出会う才能

2016-09-17 23:47:06 | ことば
 物件はそこにあるから、そこに行けば誰でも発見できる。しかしそこへ行く才能というものがあるのだった。物と出会う才能である。物を見る才能ということも混じるわけで、自分でも名品を見つけたあとは気分が昂揚して、目が冴えわたるのがわかり、たてつづけに名品を見つけたりする。

赤瀬川原平『芸術原論 (岩波現代文庫) 』岩波書店、2006年、314頁。

赤瀬川原平の「超芸術トマソン」についての記述から。街中にあるからといって、誰もが「発見」できるわけでもない。「物と出会う才能」がいるのだ。
その才能を伸ばすには、日頃から「芸術」に触れておくと、「超芸術」に気づきやすくなる気がするがどうだろう。なにが「芸術」か知らないと「超芸術」は発見できない。

未読日記1224 『シネマ・ヴァレリア vol.2』

2016-09-16 23:21:13 | 書物
タイトル:ZINE CINEMA VALERIA vol.2 特集:エリック・ロメール
編集:小倉聖子、宮原琴音
編集協力:月永理絵(映画酒場編集室
デザイン:中野香(resta films
発行:[発行地不明] : VALERIA
発行日:2016.5
形態:45p ; 21cm
内容:
カンヌ映画祭レポート2016.5.12 小倉聖子
特集 エリック・ロメール
 スペシャル企画「女は恋と戯れる・女たちのヴァカンス」
女優 アマンダ・ラングレ特別インタビュー
特別寄稿「戯れに恋はすまじ」山田宏一
特別寄稿「ロメールのほんのりエロティシズム(=人間の本能、衝動)」近藤寿子
座談会「もっともっとロメールについて語りたい!」ゲスト 猫沢エミ
エリック・ロメール監督作品 ロケ地マップ
魅惑のフレンチ・ポップ・ワールドへようこそ
エリック・ロメールの人生
映画酒場編集室おすすめのロメール映画
たべて・のんで・えいがみる。Vol.1
 おすすめフレンチレストラン
 おすすめフランスワイン
CINEMA VALERIAのおすすめ映画
やっぱりフランス映画が好き

購入日:2016年9月16日
購入店:京都シネマ
購入理由:
 京都シネマで開催された特集上映「ロメールと女たち」の1本で上映された『緑の光線』を見に行った際に購入。とてもおもしろい映画で、パンフレットで何か情報が得られるかと期待して買ったが、期待したほどではなかった。
 エリック・ロメールの映画が好きで学生時代にはよくシネ・ヴィヴァン六本木や日比谷のシャンテ・シネに見に行った。パンフレットには蓮實重彦や山田宏一の寄稿やシネリオが収録されるなど、充実した情報量で、読み応えがあった。
 だが、今回のパンフレットを見て、私がかつて映画を見ていた時代とはもう違うのだという現実を知ることになった。たしかにアマンダ・ラングレのインタビューや山田宏一の寄稿はあるし、映画パンフレットとして正統派な面はある。しかし、「映画宣伝VALERIAがつくる映画好きのためのZINE」という一文にあるように、全体的に女性誌的な軽い編集方針で作られたパンフレットなのであった。京都シネマはパンフレットの見本を設置していないため、中が見れないのはリスクがあると再認識した。


【ご案内】「High-Light Scene」視察報告

2016-09-15 23:58:55 | お知らせ
5月に京都・Gallery PARCにて開催しました「High-Light Scene」展に助成をいただきましたアーツサポート関西の視察報告およびアンケートがアーツサポート関西のウェブサイトに掲載されました。どうもありがとうございます。

【視察報告】ハイライトシーン(美術)
http://artssupport-kansai.or.jp/contents/report/%E3%80%90%E8%A6%96%E5%AF%9F%E5%A0%B1%E5%91%8A%E3%80%91%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%B3%EF%BC%88%E6%BC%94%E5%8A%87%EF%BC%89/

memorandum 360 芸術風味

2016-09-13 23:54:31 | ことば
 あいまいなものが芸術だというのではなくて、芸術の輪郭というのはどうしてもあいまいにならざるを得ないのである。
 しかしこの前後する論理の隙間を縫って、世の中にはあいまいを装う蟹風味ならぬ芸術風味の物件が多数侵蝕寄生することになる。世に芸術作品といわれるものの八十パーセントから九十パーセントがこれであろう。
 しかしその八、九十パーセントのロスを出しながらも、芸術としかいいようのないものはやはりこの世に生存するわけである。

赤瀬川原平『芸術原論 (岩波現代文庫) 』岩波書店、2006年、269頁。

 赤瀬川さんは世界の靄や霧が晴れるような文章を書く。それを「腑に落ちる」と言うのかもしれない。この言葉を読んだときも、なるほどと腹で思えた。冒頭の一文の「芸術」を他の言葉で置き換えても通じる話かもしれない。

 昔、大学院の指導教授が現代美術の99パーセントはゴミだと言っていて、腹が立った。だが、それは「蟹風味ならぬ芸術風味の物件」のことなのだ。多くの人は、ロスとなる「芸術風味」の作品ばかり見ているからそう思うのだ。かくいう私も年間通じて見ているのは、おそらく「芸術風味」のものばかりだろう。だが、ロスを含めて見ないと本物の味にたどり着けない。
 実際のところ、多くの服には綿だけでなくアクリルなどの化繊で作られ、食品には添加物が入っている。そうして「風合い」や「風味」を出しているのだから、芸術作品も「芸術風味」となるのは当然なのだろう。
 それでも、この世に生存する「芸術としかいいようのないもの」を発見し、伝えるのが学芸員やキュレーター、批評家、ギャラリストなどの仕事なのかもしれない。

memorandum 359 放射能

2016-09-12 23:16:16 | ことば
 ソ連からチェルノブイリ原子力発電所の事故が報じられた。放射能が漏れて、その一帯を汚染しているという。その記事を見ながら、原子力発電所の建物が、何故か美術館に似ていると思った。原子力発電所は各物質が漏れないように閉じ込めているが、美術館は芸術が漏れないように閉じ込めている。その建物がいずれも似たような比率で全国各地に建造されつづけている。しかし芸術もまた放射能のように、いずれは芸術作品から漏れ出るものだ。しかし放射能のような汚染は起こさない。芸術はむしろ漏れ出てふたたび世の中を豊潤にする。私たちはその漏れ出たものを路上に観察・採集して歩きながら、首に下げたカメラをガイガーカウンターのように感じている。
赤瀬川原平『芸術原論 (岩波現代文庫) 』岩波書店、2006年、179頁。

この文章は衝撃的だった。単行本が刊行されたのは1988年、原稿の初出は1986年であった。なんと予言的な一文だろうか。
美術館=原子力発電所のイメージは、私たちにさまざまな連想や妄想へと誘う。現在の芸術祭の流行は、芸術が世の中に漏れ出ている事態と言えるだろうか。私たちは、漏れ出た「芸術」を浴び、観察、採集しているだろうか。これは、赤瀬川原平から私たちに出された宿題だ。


未読日記1223 『アートと考古学』

2016-09-11 23:08:12 | 書物
タイトル:アートと考古学展 : 物の声を、土の声を聴け : 世界考古学会議京都(WAC-8)開催記念
タイトル別名:Commemoration of the eighth word archaeological congress : art and archaeology : the silent voices of materials and soil : exhibition
編集:京都文化博物館
装丁:小山真有
発行:京都 : 京都文化博物館
発行日:2016.7
形態:95p ; 21×30cm
注記:展覧会カタログ
   会期・会場: 平成28年7月23日-9月11日:京都文化博物館3階
   英文タイトルは巻末による
   参考文献: p81
   図録掲載作品目録: p84-85
内容:
ごあいさつ
「アートと考古学展に寄せて」松井利夫
「総論「アートと考古学」とは何か」村野正景

第一章 日本人のモノを見る目、感じ方
 コラム 拓本とは? 村野正景
第二章 考古学の美と魅力の再発見
 対談 実測図はアートか? 伊達伸朗×村野正景
 コラム 考古学をどう描くか 安芸早穂子
第三章 考古資料を味わう、見立てる
 コラム モランディと不明瞭レンズ 日下部一司
 対談 学者の道具 松井利夫×村野正景
第四章 考古学と出会い、響き合うアート
 松井利夫
 伊達伸朗
 八木良太
 日下部一司
 清水志郎
 コラム レンズと遺物 日下部一司

各論一「かたち、語り、カタツムリ—方法論的反省—」上村博
各論二「私たちはどこまで進んだか—アート&考古学に関する一つの展望—」中村大
「会場構成について 見えないもの、見えたもの」家成俊勝
対談 フォーラムから展覧会、そして次回へ 松井利夫×村野正景
参考文献
謝辞
図録掲載 作品目録

購入日:2016年9月11日
購入店:京都文化博物館
購入理由:
 博物館や博物資料系の展示が好きな私は本展を楽しみにしていたが、最終日に滑り込みでようやく見に行けた。期待にたがわず、とてもおもしろく楽しい展示だった。用事があり、ゆっくり見れなかったのが悔やまれる。なかでも松井利夫氏の仕事には着眼点と手法がすばらしく敬服する。会場構成は、現代美術の物量系インスタレーションみたいにしないで、ものを丁寧に見せる方がいいと思ったがどうだろう。機会があれば、ぜひ継続してほしい試みだ。