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「郵政選挙で造反者に刺客!“小泉劇場“がもたらしたものとは?」

2017-12-03 05:50:44 | 日本

戦後60年を迎えた2005年8月、日本中に大きな嵐を巻き起こしたのが、小泉純一郎総理が決断した「郵政解散」だ。この「小泉フィーバー」に焦点を当てる。

2001年、自身にとって3度目となる自民党総裁選に出馬、圧倒的な支持を受けて第20代自民党総裁、そして総理の座を射止めた小泉氏。「自民党を変える」という発言通り、組閣では派閥の意向にとらわれず民間からも大臣を抜擢。女性閣僚も当時としては過去最高の5人を起用した。

長年にわたって小泉氏が訴え続けてきたのが、国が運営する郵政事業を民間に移行する改革「郵政民営化」だった。92年に郵政大臣に就任した頃から郵政事業の見直しに言及、95年の党総裁選初出馬の際にも郵政民営化を打ち出していた。そして、2003年の「小泉改革宣言」では、構造改革特区を積極的に活用することや法人課税・資産課税の抜本的見直しなどとともに、「民間にできることは民間に任せる」として、郵政民営化を党の公約に掲げた。

しかし、総理になったとはいえ実現への道は険しいものだった。衆院を通過した郵政民営化法案だったが、反対の声は自民党内からも続出。さらに、参議院では自民党内からも多くの反対者が出たことで反対票が賛成票を上回り、“小泉改革の本丸“は否決されてしまった。採決を官邸で見守っていたという小泉氏は、「解散ですか総理?」という問いかけに頷く。記者たちからはどよめきが沸き起こった。

その後の会見で小泉氏は「改革の本丸と位置づけてきた郵政民営化法案が参議院で否決された。言わば国会は、郵政民営化は必要ないという判断を下したわけである。郵政民営化に賛成してくれるのか反対するのかはっきりと国民の皆さんに問いたいと思う」と述べ、郵政民営化について民意を問う解散総選挙を決断した。

しかし、この決断が、自民党を分裂させることになる。島村宣伸農水相は「郵政民営化」そのものには賛成したものの「解散」には納得がいかず、解散を決めた閣議で辞表を提出したが罷免された。さらに、郵政民営化に反対した亀井静香氏、野田聖子氏、平沼赳夫氏、綿貫民輔氏など37人の“造反議員“たちには総選挙での公認を与えず、それどころか“刺客“候補を立てた。

その刺客の中には、小池百合子氏の姿もあった。小泉氏は「小池さんは愛嬌があるけど度胸もある」と応援。初の女性総理候補と言われた野田聖子氏には新人・佐藤ゆかり氏が刺客として送り込まれた。さらに、大ベテラン亀井静香氏の地元・広島には、IT旋風を巻き起こした堀江貴文元ライブドア社長を自民党系無所属で擁立、激しい選挙戦を繰り広げた。

平成の衆院選で3番目に高い投票率を記録するなど、全国民が注目する選挙となった郵政選挙は、自民党は296議席を獲得し歴史的圧勝を飾る。波乱の中、ポピュリズムを最大限に利用した“小泉フィーバー“で得た勝利。小泉氏の悲願であった郵政民営化に“有権者は賛成“という民意を示す結果となった。この年の10月、小泉氏が長年掲げてきた郵政民営化関連法案が可決し、成立した。翌年、役目を終えたかのように任期満了で総理大臣の座を退いた。日本中に嵐を巻き起こした小泉氏だが、その後の政治の混乱は今なお続いているとの見方もある。


◎解散に反対、大臣を罷免された島村宜伸氏の証

「知って頂きたいのは、小泉さんが大蔵政務次官や大蔵委員長、党では財政部会長など、まさに財政を内側からチェックし、基本から見直すというという立場にいたこと。皆、小泉さんが郵政族だと思い違いをしているが、そうではなくて、大変な財政健全化派だった。郵貯や簡保など、全国から集まってくる資金運用部資金というのをボンボン使える状態だった。本当に無駄がないのかと、小泉さんは非常に神経を尖らせていた。それがあるだけに、郵政民営化への思いは激しかった。こんなルーズなことをやっていていいの?郵政民営化をやらないと先行き大変だと。その言い分は正しい。国家の為を思ってやったことだ」。

郵政解散に反対、元農林水産大臣の島村宜伸氏はそう話す。
郵政民営化は、従来日本郵政公社が運営していた「郵便」「簡易生命保険」「郵便貯金」のいわゆる郵政3事業を民間に移行するという改革で、国家公務員の削減や財政投融資の改革、新たな税収確保というメリットがあると謳われていた。

「僕は郵政民営化に反対したことは一回もない」という島村氏は、なぜ解散に反対したのか。「“小泉さん、少し性急に過ぎますよ“という考えを持っていた。教育、財政、農政など、いろいろな改革がこれからようやく軌道に乗ろうとしていたし、景気もようやく戻ってきていたのに、一気呵成すぎませんかと。やり方にも賛成できなかった。あの時の小泉さんのやり方、言い方は、情け無用にバンバンやっちゃう感じだった。潔いといえばそうだが、一考あってしかるべきだった。しかし、あの人は思い込んだら見事なまでに命がけの人。目を見たら本気だとわかる。閣議にも、十分に考えに考えて結論を持ってきていた」。


◎郵政解散を決定した閣議について、島村氏は詳細に振り返る。

「その臨時閣議が解散のためだということは読めた。官邸に行けば当然相談があって、同意してくれないかという話になることも分かりきっていた。“NO“と言えば、場合によっては辞めざるを得ないことも覚悟の上だった。そこで辞表を書くようでは様にならないので、呼ばれた段階で辞表を書いて、密かに懐にいれて官邸に行った」。

閣議では、全員が自分の意見を述べることになった。
「閣僚のみんなにも考えは二通りある。そこで細田君(官房長官)に“閣僚は大事な使命を担っているのだから、きちんとものを言ってもらったらどうだ。手を挙げた人じゃなくて、皆に言ってもらえ“と言って、一人ずつ指名してもらった。“まだ言い足りない人“と手を挙げたのが、僕を含めた4人(解散に難色を示していた経産大臣の故・中川昭一氏、総務大臣の麻生太郎氏、行革担当大臣の村上誠一郎氏)。私は“もっと話し合いの時間がほしい“と、30分以上やりあった。絶対にうんと言わないということではなかったけど、話は平行線だった。僕だけが最後まで“はい、わかりました“とは言わなかったので、そこで辞表を提出した。しかし、書類を投げるとか、捨て台詞を吐くとか、そういうことは全くなかった。最後に“次の選挙、頑張ってください“だけ。決して仲は悪くないから、選挙の最中には応援の申し出も来た(笑)。辞表を突き返されてもいない」。

当時、テレビ朝日政治部の官邸キャップとして取材していた細川隆三デスクは「否決されたのは参議院なのに、衆議院を解散した。解散権をどう考えるかということでもある。島村先生がどうされるのか、みんな注目していた。閣僚を罷免する、罷免されるというのは、とても重い事。島村先生の場合は名誉ある罷免で、閣議後に、部屋から堂々と出てこられて、記者に囲まれている姿が印象に残っている」と振り返る。

あの熱狂から10年あまり。「おもしろ郵便館」(札幌市)の元郵便局員、渡辺信雄氏は「“税金泥棒“なんてよく言われた。しかし、郵政自体は独立採算制で、何も迷惑をかけていない。なぜ民営化しないといけなかったのか、今でも憤りを感じている。私にしてみれば、政治が一番悪いんだと今でも思っている」と強い口調で主張する。

郵政民営化によって、一体どのような結果がもたらされたのだろうか。関心を払い、説明できる国民がどれだけいるだろうか。島村氏も「聞いてみないと分からないことがたくさんある。特に現場の声をもっとざっくばらんに聞いたら面白いと思う」と話した。


◎「自民党の財産とも言えるような仲間たちが叩き出された」

その後、小泉総理は郵政民営化法案に造反した自民党の衆参両議員について、10人を除名、27人に離党勧告、19人に党員資格・役職停止の処分を科した。一つの選挙区につき一人が選出される小選挙区制では、党の公認候補は1人だけ。小泉氏はこれをフル活用、37人の現職議員を“造反組“と呼んで非公認とし、矢継ぎ早に対立候補を立てて追い詰める“刺客戦術“をとった。造反組は無所属での出馬を余儀なくされる一方、“小泉チルドレン“と呼ばれた刺客たちは連日メディアの注目を集めた。

刺客を送り込まれた自民党議員たちからは、「脅しとだましのテクニックで服従させようなんて通用するわけがない。総理や執行部は恥を知ってもらいたい」(亀井静香氏)
「解散や非公認で脅すということは中身が悪い」(民営化反対派の急先鋒だった荒井広幸氏)
 「自分の主張が通らないからといって、憲法7条解散なんか、そんなことをしてはいけない」(造反組のリーダー格だった平沼赳夫氏)
などの批判の声が上がった。

島村氏は「本当に逸材、党の財産とも言えるような仲間たちが叩き出された。彼らの演説会場を通りがかったら、マイクを持って“こんな惜しい議員を外に叩き出していいのか。自民党がおかしい“と言ってしまうかもしれない、そんな衝動に駆られた。亀井(静香)君も、外見で損をしているが、本当に情に厚い男だ」と振り返る。

結果、大勝した自民党。杉村太蔵氏や井脇ノブ子氏、片山さつき氏など、初当選組の83人は「小泉チルドレン」と呼ばれ、連日メディアに引っ張りだことなる。しかし、その83人の中で現在も議員を続けているのは衆参合計で約半分の46人だけだ。政界とから離れた人、落選して再起を図る人など、様々だ。

細川氏は「自民党を割るようなことが、どこまでできるのかと思っていた。でも、小泉さんは緻密な分析に基づいて刺客を立てていた。公認権を持っているのは執行部、総裁なので、とてもじゃないけど楯突くことはできない。郵政解散での刺客を見せつけられて以降、批判の声は出にくくなった」と振り返った。


◎「小泉劇場」がもたらしたもの

マスコミに対しては「ぶらさがり取材」を毎日行い、メディアに露出する手法で世論を味方につけていった小泉氏。外交でも、日本の総理大臣として初の訪朝を実現、北朝鮮に拉致を認めさせた。そして、2005年東アジアサミットの首脳宣言署名式では中国の温家宝首相が署名した後、そのペンを借用してサインし、日中の関係回復をアピール。型破りな行動や言動で存在感を示し続けてきた小泉氏だが、反面「大衆への人気取り」「ポピュリズム」だとの批判もあった。

郵政選挙の際も、一般紙、スポーツ紙ともに解散・総選挙の動向を大きく取り上げ、見出しには『オレの信念だ。殺されてもいい』など、小泉氏の発言が踊っていた。当時、NHK岡山放送局でキャスターをしていたジャーナリストの堀潤氏も「街全体も放送局も“いけー!“という感じのお祭り騒ぎだった」と振り返る。

細川氏は、「一日一回の“ぶら下がり取材“を始めたのも小泉さん。言葉が短いのも、演説の全てを流すことができないテレビを意識して、ワンフレーズで印象に残ること言う戦略を取った。また、公示日ギリギリまで刺客を小出しにして話題作りをしていた。僕たちメディアも、その小泉さんサイドの戦略に乗せられて、“次はこんな人が刺客で出る“というような、偏った報道をしてしまった。結局、造反組対刺客という構図になってしまい、野党の存在も霞んでしまった」と、メディアの問題点を指摘する。

「ただ、今回の総選挙はポピュリズム選挙の転換点になる可能性がある。有権者も冷静になっていて、小泉さん以降続いてきた“ワンフレーズ“と“風“に付いて来ない可能性がある。我々メディアの役割も大きい。政策についてしつこく聞かなければいけない」(細川氏)

島村氏も「たしかに反省しながら前進はしていると思うが、小泉さんのようなやり方が、今の波長には合っている。モノをはっきり言う人が得をするということだ。私は下町だったから、有権者の中に入っていって話を聞くこともできたが、国民が何を求めていているのか、政治家が分からなくなっているような気がする。国民の声を届けるような努力が無さすぎる」と指摘した。
















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