龍の声

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「日本国憲法第九条の草案者は誰か?」

2015-05-29 07:59:28 | 日本

ワシーリー・モロジャコフ氏の論文「日本国憲法第九条の草案者は誰か?」を要約し記す。



1945年12月10日公判を待つために東京の巣鴨拘置所に拘留中の、前駐伊大使で同時に「A級戦犯」であった白鳥敏夫は、吉田茂外相(当時)あての長文の手紙を書き終えた。手紙は英語で書かれていた。拘置所の検閲を難なくすり抜けられるようにするためか、それとも手紙が占領軍本部の目に留まるようにするためなのか。占領軍に読ませるためだったとの可能性が濃厚であったとみられる。


◎日本国憲法「第九条」の草案者は誰か?(元記事)

白鳥は、1930年代初頭に天皇陛下の報道官だった頃の回想から始めている:

3年間の報道官の職務のお蔭で、私は、頻繁に間近で天皇陛下をお見かけし、陛下のお人柄を知り得る、非常に稀な機会を得た。その結果、私は、天皇陛下が、生まれ持って平和を愛しておられ、真実を尊重し、真に日本国民の平安に心を砕かれていることを深く確信した。特に、陛下は、国際関係に関心をもっておられ、他国と善隣関係を保ちたいとお考えになっていたようだ。私は陛下は本能的に軍人に不信感を抱いており、大元帥という肩書と公の場で着なければならない軍服を最悪なものと感じていたと私には思われた。

白鳥は、どこまで正直にこのような天皇の姿を描いたのだろうか?このように天皇を描写することで誰かを納得させたかったのだろうか?吉田茂は、この手紙を書いた白鳥本人よりも、昭和天皇の実像をよく知っていたと考えられる。従って手紙のこの部分は、占領軍に向けられたものだったのではないだろうか。

天皇は「戦犯」として東京裁判に召喚されるのか、玉座からの退位を強制されるのか、もしくは、統治権の総攬者(そうらん)ではなくなり日本国と日本国民統合の「象徴」たる君主として存続するのか。この時期、占領軍は、天皇の今後の運命についてまだ最終決定を下していなかった。


◎興味深い憲法改正に関する記述

この手紙の中で最も興味深い部分は、その結語である。白鳥は、憲法改正問題に触れながら(全面的な改正についてはまだ言及していない)、(いかなる状況にあっても自らの国民を戦争に参加させないこと、どのような政権下のどのような形であっても、国民は兵務を拒否できる権利、国の資源の軍事的な目的での使用を一切なくすことに対する天皇の誓いが含まれた条文)を盛り込むことを提案している。

白鳥は、(日本が、真に平和国家たらんとするならば、(このような提案が)新生日本の基本法の礎石とならなくてはならない)としている。

さらに”(天皇の使命は、平和と安らぎの中で我が国を統治すること),(それは、憲法制度において、まったく新しいものとなる)と添えている。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

戦争放棄をうたった1947年の憲法第9条は、全世界的な意味での革新的な条文となった。1945年9~10月の時点で、国民の願いという形ではあるが、日本のマスコミも戦争放棄を呼びかけてはいたが、白鳥の手紙は、時系列的に見て「永久的な戦争放棄」の原則を憲法に用いた最初の試みであった。ここで、この手紙を、広く知られている出来事や史実と同じ文脈の中で、もう一度見ていきたい思う。


◎誰が白鳥の手紙をGHQに受け渡したか不明

吉田は、戦前、白鳥からの依頼を受け、長年にわたり外相を務めていた幣原喜重郎を白鳥に紹介したことがある。1946年1月20日以前に、手紙は、連合国軍最高司令官であるマッカーサーの総司令部に届けられていたが、一体、誰が手紙を受け渡し(吉田本人である可能性も考えられる)、誰が実際に手紙を読んだのかは不明である。

1946年2月1日、マッカーサー元帥に対し、憲法問題調査委員会起草の「憲法改正要綱」が提出された。マッカーサーは、その改正要綱を拒否、2月3日、総司令部民政局に対し、自ら定めた憲法基本原則(「マッカーサー・ノート」(※1))を基盤として、憲法草案を作成するよう命じた。2月4日、民生局長であったコートニー・ホイットニーは、部下を集め、憲法草案作成の作業を開始すること、「国家主権としての戦争の放棄」という項目を含んだマッカーサーにより基本原則を伝えた。2月10日、草案作成の作業は完了。2月12日、マッカーサーが草案を承認。その翌日2月13日、「マッカーサー草案」は日本政府に提示された。

占領軍民政局は、天皇や日本政府に対して、この草案を受け入れる以外の道はないことを示した。そして、ホイットニーは、もし、このGHQ草案を受け入れなければ複数の連合国が裁判にかけることを要求している天皇の身柄を保障することは「困難になる」とした。2月21日、幣原との面談においても、マッカーサーは、このことを丁寧な言い回しをしながらも、はっきりと認めた。


◎「戦争放棄」をめぐる曲折

マッカーサー草案の中で、最も議論を呼んだのは、戦争の放棄と天皇の新しい地位に関する部分だった。戦争放棄の宣言をする必要がある根拠として、マッカーサーはこう発言した。

「もし日本が戦争を放棄することを明確に宣言するならば、日本は世界の道徳的リーダーの地位を確立できる。」 

幣原が「元帥は、指導的役割とおっしゃるが、他国は日本には追随しないでしょう」と応じると、マッカーサーは「もし他の国が日本に付いていかなくても、日本が失うものは何もない。日本を支持しない国が正しくないということになるのだ」と答えた。2月22日、マッカーサー草案は天皇によって承認され、3月6日には、「憲法改正草案要綱」として発表された。協議の中で、ホイットニーは、戦争放棄を前文の中で、基本的な原則の一つとして列挙されるだけではなく、独立した一章にすることを強く主張した。

歴史学者のリチャード・フィンと西鋭夫は、第九条をめぐる歴史の真実は闇に覆われているとしている。マッカーサーによれば、第九条を最初に発案したのは、幣原であり、1946年1月24日に懇談した際に幣原より耳にしたとのことであるが、それは政府による草案の作成の段階であった。

吉田茂は、第九条が制定に到ったのは、マッカーサーの全面的なイニシアチブによると認めている。マッカーサーの「戦争そのものを法の領域外に置く」という発言から、フィンは「日本国憲法における反戦思想は、おそらくマッカーサーによるものだろう、反戦思想を憲法に盛り込んだ責任は彼が全面的に負うべきものである」との結論に到達した。フィンは、どうやら白鳥の手紙については全く知らなかったようである。


◎マッカーサーに間接的に影響を及ぼした白鳥

白鳥が手紙の中で憲法改正および「戦争放棄」を盛り込むことについて記している部分の和訳が、1956年、東京裁判で白鳥の弁護人を務めた廣田洋二によって公表された。著者は、入手可能なありとあらゆる資料を精査し、マッカーサーが、第九条の着想を幣原から受けたであろうこと(この時のことについて触れているマッカーサーの回顧録が出版されたのは、手紙が公開されてから8年後のことだった。)、そして、その幣原に影響を及ぼしたのが白鳥である可能性は充分すぎるほどあるという結論に達した。

廣田は、「戦争放棄」の問題は、1月24日にマッカーサーと幣原が会談した際に話し合われたということを(GHQに白鳥の手紙が届けられてからたった四日後のことである)示し、幣原がGHQ草案の作業に取り掛かるまでに、この手紙を読む時間は充分にあったとしている。しかし、この廣田の論文は、知名度の低い雑誌に掲載されたこともあってか世間で注目を集めることはなかった。


◎幣原の「戦争放棄」の着想に結びつく

幣原が、白鳥の手紙から「戦争放棄」の着想を受けたが、「A級戦犯」である白鳥のことには一切触れずに、自らのアイデアとして、新憲法の基本原則の一つとすべきとマッカーサーに進言したということも考えられる。この「戦争放棄」の理念は、マッカーサーを揺り動かし、その結果、マッカーサーは憲法草案作成にさらに力を注いでいる。マッカーサーにアイデアが伝わるのとほぼ同時期に、GHQに届いていた白鳥の英文の手紙をホイットニー自らが読むか、補佐官などから手紙の要旨を伝え聞いたという可能性も考えられる。政治問題に関して、ホイットニーがマッカーサーに強い影響力を持っていたことは、よく知られているところである。もちろん、今まで申し上げてきたことすべてをもってしても、白鳥を「第九条の発案者」と呼ぶのには論拠不充分である。しかしながら、白鳥が影響を及ぼしたという可能性が非常に大きいのは厳然たる事実である。

私は、この自らの推説を、博士論文公開審査会の席上(「白鳥敏夫と日本外交(1931-1941年)」東京大学2002年)で披露した。多くの人が、関心をもって聞いてくれたが、しかし、軍国主義のイデオローグとして名を馳せた「戦犯」が、「戦争放棄」を憲法の基本理念とするという説があまりに大胆だと懐疑的だった。

後に、推説に関して、ロシア語で著した「戦いの時代 ― 白鳥敏夫(1887-1949年)、外交官、政治家、思想家」(2006年)で詳細に記述した。今日も、白鳥の伝記と呼べるものは、この本しかない。白鳥が英語で記した手紙の完訳は、私の論集「The Re-awakening of Japan(日本の新しい覚醒)」(2008年)にその他の白鳥の手紙の訳と共に収められている。


(※1)^天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする。
国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族を除き、現在生存する者一代以上には及ばない。華族の地位は、今後どのような国民的または市民的な政治権力を伴うものではない。予算の型は、イギリスの制度に倣うこと。


<了>










「憲法改正の議論、国民にはその中身がよくわからない」

2015-05-29 07:58:39 | 日本

田原総一朗さんの「憲法改正の議論、国民にはその中身がよくわからない」と題しての記事があった。
以下、要約し記す。



衆院の憲法審査会が5月7日に開かれ、自民、公明、民主、維新、共産、次世代の6党が参加し、今国会で初めて本格的な討論が行われた。

大災害時の国会議員の任期延長などを定める「緊急事態条項」の必要性については、共産党を除いて各党の考えは大体一致したが、現行憲法の制定過程に関する認識などで各党の違いが表れた。


◎「お試し改憲」という批判

安倍晋三首相が率いる自民党は、おそらく来年7月の参院選後に憲法改正をしたいと考えているのだろう。自民党は公明党と合わせて衆院で3分の2以上の議席を確保している。しかし、参院では確保できていないため、来年の参院選後をにらんで憲法改正スケジュールが立てられることになる。

自民党は9条改正などで野党あるいは公明党を刺激することをなるべく避けようとしている。このため、まずは緊急事態条項や環境権、財政規律の3条項の新設などで改憲をめざす。そして、その後に9条改正を実現するという「2段構え」を見せている。

こうした自民党の進め方を、朝日新聞や毎日新聞などのメディアは「お試し改憲」と批判する。民主党代表代行の長妻昭氏も「『お試し改憲』という報道がある。本丸は9条だが、国民が理解するようなところからやっていこうと」などと述べ、「2段構え」を批判する。


◎「安倍政権である限りは憲法改正の議論をしない」

安倍さんは3月6日の衆院予算委員会で、1946年2月に作られた現行憲法について、「GHQの素人がたった8日間で作り上げた代物」と発言し、「もう一度、国民の手でつくらなければならない」と述べた。

安倍さんにしてみれば、祖父・故岸信介元首相の悲願であった憲法改正をぜひとも自分の手で成し遂げたいということだろう。「自主憲法制定」を最大の政治目標としていた岸元首相の思いが安倍さんに投影されているのではないか。

2年ほど前、自民党は第96条の緩和を中心にした憲法改正を主張していた。第96条は、憲法改正の発議要件、すなわち憲法改正の手続きについて、「国会議員の3分の2以上の賛成」と「国民の過半数の賛成」を必要とするとしている。ところが、「国会議員の3分の2以上の賛成」ではハードルが高すぎるため、それを「過半数」に引き下げようと考えたのである。

さすがに、これには批判が強かった。「勝手にルールを変えるのは本末転倒だ」「96条改正は『裏口入学』だ」などと改憲派からも批判が相次いだ。このため、今回は野党をあまり刺激しない3条項を新設することから憲法改正のアプローチをしようとしている。

一方の野党はというと、足並みがそろっていない。最大野党の民主党は憲法改正について何をしたいのかさっぱりわからない。党内には改憲に賛成する議員と反対する議員がいる。岡田克也代表は「安倍政権である限りは憲法改正の議論をしない」と言い、改憲議論を封印する姿勢を示している。


◎9条は絶対にいじってはいけないのか?

民主党の他の幹部も、「安倍内閣の下で9条をいじることは絶対あってはならない」と発言する。だが、9条の内容にまったく問題はないのだろうか。

9条は第1項で「戦争の放棄」、第2項で「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を定めている。具体的には次の通りである。


◎第九条

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


私は「戦争の放棄」を定めた第1項は手を入れるべきではないと考える。戦後70年間、一度も戦争に巻き込まれることなく過ごしてきた日本が世界の信頼を勝ち取る道は、平和国家であり続けること以外にないと思う。だから、第1項は守り続ける必要がある。

第2項については、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」としている部分を改正すべきだと考える。たしかに現行憲法が作られたときは日本は非武装だった。しかし現在は、自衛隊が存在する。その自衛隊をきちんと認め、自衛のための手段を持つことを規定すべきであろう。


◎憲法改正議論の中身がよくわからない

本来ならば、9条第2項については憲法審査会で議論してもいいのではないか。それもせず、自民党があまりにも野党や国民を刺激しないようにと考えて、「2段構え」を見せるものだから、メディアに「お試し改憲」などと揶揄され、批判されるのだ。

朝日新聞と東京大学・谷口将紀研究室の共同調査(昨年末)によると、憲法改正に賛成する人は、衆院選で当選した議員で84%になる一方で、有権者では33%にとどまった。

この調査結果から一つ考えられるのは、国民から見ると、憲法のどこを改正したいのか、憲法をどうしたいのか、国会議員による憲法改正議論の中身がわからないということだろう。現在の流れで憲法改正を行うのは「戦争をするためではないのか」と国民は心配する。「国権の発動たる」武力行使をするための改憲ではないか恐れるのだ。

「お試し改憲」などと批判するメディア側にも問題がある。メディアも批判ばかりではなく、「では、どうすればよいか」といった対案をそろそろ出すべきだろう。

憲法はいうまでもなく国家の基本原則を定める法規範である。憲法改正の是非をめぐる議論は、政治家と国民の間で丁寧に行う必要がある。













「こんな議論で大丈夫か?憲法改正論議の浅すぎる中身」

2015-05-29 07:57:48 | 日本

自分たちで憲法をつくる機会を無駄にしてはいけない。筆坂秀世さんの論文「こんな議論で大丈夫か?憲法改正論議の浅すぎる中身」を要約し記す。  



◎審査会での討論を新聞やテレビ報道で見ていると、

この場で、船田元・自民党憲法改正推進本部長は、「緊急事態条項」「環境権をはじめとする新しい人権」「財政規律条項」の3点を優先的に議論してはどうか、という提起を行った。この3点は、2014年11月の自由討議で、多くの党が前向きな姿勢を示した条項である。

しかし、自民党が本当に改正したい、いわば“本丸”は憲法9条である。
船田氏自身、「9条の改正についてはみなさんの関心が高いと思いますけれども、9条の改正は憲法改正の中心のテーマだと思っております。しかし9条に関しましては、その改正の中身も含めて国民の間では世論が大きく二分されている現状にありますので、国会の内外においてさらに慎重な議論を行わなければいけないと考えております。ですから、9条の改正は2回目以降の改正において手がけることになると思います」(4月28日記者会見)と語っている。

なぜ、この“本丸”から堂々と議論しないのか、はなはだ疑問である。


◎憲法そのものについて根源から議論を

審査会での討論を新聞やテレビ報道で見ていると、どうも憲法についての根源的な議論がなされていないように思う。

例えば、民主党の辻元清美議員は、安倍晋三首相が訪米中に「安保法制をこの夏までに成就させる」という発言をしたことをとらえて、立憲主義に反するとか、三権分立に反するなどの意見を述べていた。こんなことは、憲法審査会で議論すべきことではない。国会の予算委員会などで議論すればよいことだ。

また共産党の赤嶺政賢議員は、「国民の多数は改憲を求めておらず、改憲のための憲法審査会を動かす必要はない」と主張し、討論そのものが不要だと主張している。

共産党が、憲法改正に反対していることは承知しているが、だからといって議論そのものを否定するのは身勝手な論法と言わねばならない。各種の世論調査で改正に対する賛否は拮抗している場合が少なくない。議論すら否定するようでは、改正賛成の世論を無視するものである。

自民党の「やりやすいところから」という姿勢も、たとえ戦術とはいえ、いただけない。仮にも憲法を改正しようというのであれば、「そもそも論」から議論すべきだ。


◎「立憲主義」の神髄とは?

例えば、現憲法が制定されたとき、日本は占領下にあり、主権はなかった。主権が回復したのは、1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効してからである。憲法が施行されたのは、1947年5月3日である。国家主権も、国民主権もない下で、はたして国の最高法規である憲法を制定することが可能なのか、というのは、憲法をめぐるもっとも根源的な問題である。

ちなみにサンフランシスコ条約第1条(b)項には、「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」とある。それまでは、主権がなかったということである。

また、9条はどのような思惑、どのような経過をたどって挿入されたのか。改正論議を真剣なものにするのは、この原点に立ち返った議論も必要であろう。

共産党などは、制定時には9条に反対しながら、今日では「9条は世界の宝」などと言っている。どういう経過でこれほど極端に主張を変えたのかなども大いに究明してもらいたい点である。

集団的自衛権についても、もう少し歴史を踏まえた議論をしてもらいたい。日本は、サンフランシスコ条約に調印した同じ日に、日米安保条約にも調印している。1960年に改定がされるが、いずれにしろ日本はアメリカとの軍事同盟関係に入ったのである。この時点で、集団的自衛権の行使は自明の前提となっていた。だからこそ、岸信介首相時代には、集団的自衛権の行使を全面否定してはいなかった。

立憲主義についても、もっと精密な議論が必要である。立憲主義というと、“国家権力を抑制するもの”という単純な議論がまかり通っている。例えば、長谷部恭男・東大教授は、「リベラルな議会制民主主義の体制は、立憲主義の考え方を基本としている。この世には、比較不能といえるほど根底的に異なる世界観・宇宙観が多数、並存しているという現実を認めた上で、その公正な共存をはかる考え方である。人の生活領域を公と私の二つに区分し、私的領域では、各自の世界観に基づく思想と行動の自由を保障する一方、公的領域では、それぞれの世界観とは独立した形で、社会全体の利益に関する冷静な審議と決定のプロセスを確保しようとする」(『憲法とは何か』岩波新書)と指摘している。
私には、ここにこそ立憲主義の神髄があるように思える。

「ファシズムと共産主義とは、いずれも公私の区別を否定する点で共通する。思想、利害、世界観の多元性の否定と裏腹をなす国民〈人民〉の同質性・均質性の実現が前提である以上、多元的価値の共存に意を用いる必要もなく、したがって公私の区分も不要となる」   
「冷静の終結は、リベラルな議会制民主主義が、したがって立憲主義が、共産主義陣営に勝利したことを意味する」
こういう議論をこそ、憲法審査会では深めてほしいものだ。


◎“加憲”というごまかしの議論

平和が売り物の公明党は、改憲ではなく「加憲」などと言っている。加憲だとしても、憲法を変えることである。だったら「改憲」と堂々と主張すればよい。こんなまやかしの議論もやめることだ。

加憲の1つとして、環境権など、新しい人権を挙げている。しかし、憲法に書き込んだところで環境や人権などが守られるわけではない。具体的な法令などが整備されなければ、実効力はない。日本の公害規制は、かつてに比べれば非常に厳しくなった。河川や海もきれいになった。憲法を改正したからできたわけではない。具体的な法令が整備されてきたからだ。そもそも「環境を悪化させよう」「環境を破壊しよう」などという運動があるだろうか。「環境を守りましょう」と言えば、本音はともかく反対する人などいない。このことを憲法に書き込んだところで現状と何ら変わることはないだろう。


◎「緊急事態」条項は必要

西修・駒澤大学名誉教授の『いちばんよくわかる!憲法第9条』(海竜社)によれば、国家緊急事態とは、外部からの武力攻撃、内乱、組織的なテロ行為、大規模な自然災害、重大なサイバー攻撃など、平常時では対処できない国家的規模の緊急事態ということである。こういう事態というのは、国家の存立や憲法秩序への侵害、国民の安全と権利が根底から脅かされる状態ということである。

緊急事態が宣言されれば、基本的人権などが制約されるという面だけを強調する意見がある。もちろん、それは可能な限り最小限にとどめるとしても、ありうることである。しかし、国防や自然災害からの迅速な復旧を確実に成し遂げ、国民の暮らしや安全を確報するというのは、国家としての本来的な役割である。「憲法秩序を保障するための措置、それが国家緊急事態条項であり、その憲法への導入が現代立憲国家の不可避の憲法構造」(同前)なのである。

日本も批准している「市民的および政治的権利に関する国際規約」(「自由権規約」とか「国際人権規約B規約」とも言われる)の第4条では、「国民の生存を脅かす公の緊急事態の場合においてその緊急事態の存在が公式に宣言されているときは、この規約の締約国は、事態の緊急性が真に必要とする限度において、この規約に基づく義務に違反する措置をとることができる。ただし、その措置は、当該締約国が国際法に基づき負う他の義務に抵触してはならず、また、人種、皮膚の色、性、言語、宗教又は社会的出身のみを理由とする差別を含んではならない」と規定している。

緊急事態というのは、どの国家にもあり得ることだからである。だからこそ多くの国の憲法に、この条項が盛り込まれている。これでこそ国家としての体を成すからだ。このことも、大いに議論してもらいたい。

現憲法制定時に、国民的な議論があったとは言い難い。日本国家には、主権すらなかったのである。憲法を変えようとするとすぐに、「戦争できる国づくり」などという扇情的批判がなされる。そうではなく、自分たちで憲法をつくる機会が到来しているのだと捉えるべきではないのか。国会議員諸氏には、その気概で真剣に検討してもらいたい。