龍の声

龍の声は、天の声

「貞観政要②」

2014-05-22 07:18:58 | 日本

※貞観政要意訳

貞観政要を「仁義の政治」「欲望を抑える」「人材登用」「諫言を容れる」「公平な裁判」「国家安泰の道」「兵は凶器」に分類し記す。


◎仁義の政治

・太宗「兵器庫を充実させて外敵に備えることはゆるがせにできない。だが、今求めているのは政治に心を注ぎ民生の向上に努めることである。それこそが私の武器だ。隋の煬帝が滅んだのは兵器が足りなかったのではない。仁義を捨てて人民の恨みを買ったからである」

・太宗「林が深ければ鳥が棲み、川幅が広ければ魚が集まってくる。同様に、仁義をもって政治を行なえば人民は自然と慕ってくる。世の災害はすべて仁義のないところから生じる。そもそも仁義の道はつねに肝に銘じておかなければならない。一瞬の気の緩みが、やがて仁義を忘れさせてしまうのだ。これは食事と同じで、めんどうだからとやめてしまえば命すら危うくなる」

・太宗「昔、聖天子の舜が禹を戒めて『そなたが己の能力や功績を鼻にかけず謙虚に振舞えば、そなたと能力や功績を争う者はいなくなる』と語っているし、『易経』にも『傲慢を憎んで謙虚を好むのが人の道だ』とある。天子たる者、謙虚さを忘れて不遜な態度をとれば、仮に正道を踏み外したとき諫言してくれる者など一人もいなくなるだろう。私は言動を行なう際必ず天の意志にかなっているだろうか、臣下の意向に沿っているだろうかと自戒して慎重を期している。天はあのように高くはあるが下々のことによく通じているし、臣下はたえず主君の言動に注目しているからだ。だから私は努めて謙虚に振る舞いながら、さらに言動が天と人民の意向にかなっているかどうか反省を怠らないのである」

・太宗「大勢の女官を奥深い後宮に閉じ込めておくのは気の毒だ。隋の煬帝は飽くことなく子女を召し上げたので、後宮はおろか離宮や別館で飼い殺しにされた女が数知れなかった。しかしそんなに大勢の女官を召し抱えたところで掃除洗濯以外にはなんの使い道もないではないか。そこで私は後宮にいる女官たちを解放し、それぞれに幸せな家庭を築かせてやりたいと思う。宮中の経費削減になるばかりか、人民のためにもなるだろうし、女たちも人間らしい暮らしを送ることができるだろう」

・房玄齢「国史は君主が非道な振る舞いに及ばないようにとの願いから、善悪を記録するのであります。これを今陛下にお見せしないのは、陛下の意志によって記録の真実性が歪められることを恐れたからにほかなりません」

・宗「私が国史を見たいというのは、よからざる記録があればそれを知って将来の戒めともし、自らの反省の資ともしたいからにほかならない。ぜひとも現在の国史を編纂して提出してほしい」

『高祖実録』『太宗実録』各二十巻が完成し、太宗がそれに目を通した際、「六月四日事件」の記録にあいまいな表現が多かった。(武侯九年六月四日、当時秦王であった太宗が、兄の太子建成と弟の斉王元吉を自らの手で殺した。これにより太宗が皇帝となった経緯がある)。

・太宗「昔、周の宰相・周公旦は反乱を起こした弟の管叔・蔡叔を討伐して王室を安泰にした。また、魯の荘公のとき王位継承権をめぐって季友は兄の叔牙に死を選ばせているがこれで魯は事なきをえた。私のしたこともこれと同じであって、国家を安泰にして民生の安定をはからんがためであった。史官ため者、遠慮など無用と心得よ。事実をありのまま記録すればそれでよいのだ」

・太宗「なにごとにつけ、根本をしっかりと押さえなければならない。国の根本は人民であり、人民の根本は衣食である。その衣食を作るのは農耕だが、農耕の根本は農時を失わないことだ。農時を失わないためには人民を労役に駆り出さないようにしなければならない。やたらに軍を動かしたり土木工事を起こせば農時を奪うまいとしてもかなわぬこと」

・王珪「秦の始皇帝、漢の武帝はともに外に向かってしきりに大軍を動員し、内にあっては豪奢な宮殿を造営しました。そのためいたずらに民力を疲弊させ、ついに取り返しの付かない事態を招きました。二人とも民生の安定を願わなかったわけではありません。自ら実践することを怠ったのです。しかし人間の常として初心を貫きとおすことは甚だ困難です。なにとぞ陛下におかれましてはいつまでも初心を忘れず有終の美を飾るよう願い上げます」

・太宗「そのとおりだ。民生を安定させ、国を安泰させるかどうかは君主の心がけ一つ。君主は無為の政治を行なえば民生は安定し、逆に欲ばった政治を行なえば人民の苦しみはいや増すだろう。私は今後、政治に臨むときはできるだけ己の欲望を抑えて無為の政治に努めよう」

・太宗「言葉はこのうえなく重要なものだ。庶民においても一言でも他人の気にさわることを口にすれば相手はそれを覚えていていつか必ずその仕返しをするものである。いわんや君主たる者、臣下に語るときわずかな失言もあってはならない。たとえ些細でも影響するところ大であり、庶民の失言とは同列に論じられない。隋の煬帝が初めて甘泉宮に行幸した際、夜になっても蛍が一匹も現れなかった。そこで『灯りがわりに蛍を少々つかまえてきて宮中に放て』と勅命を下したところ、係の者はさっそく数千人を動員して車五百台ぶんの蛍を送り届けたという。蛍でさえこの有様、まして天下の大事となればその影響するところは計り知れない」


◎欲望を抑える

・太宗
「君主はなにより民生の安定を心がけねばならない。人民から搾取して贅沢な生活に耽るのは自らの足を食らうようなものだ。身の破滅を招くのはその者自身の欲望が原因である。いつも山海の珍味を食し音楽や女色に耽るならば欲望は果てしなく広がり、それに要する費用も膨大になる。そんなことをしていては肝心の政治に身が入らなくなり、人民を苦しみに陥れるだけだ。それに君主が道理に合わないことを一言でもいえば人民の心はバラバラになり怨嗟の声があがり反乱を企てる者も現れよう。私はそれを考えて極力己の欲望を抑えるように努めている」

・太宗
「隋の煬帝は宮中に美女を侍らせ宝物を山と積ませていたがそれでも飽きたりず際限なく搾取し、盛んに軍事行動を起こして人民を虐げた。その結果人民の反抗を招いてついに国を滅亡させたのである。その一部始終を私はこの目で確かめている。だから私は朝から晩まで怠りなく励み、ひたすら天下泰平を願い続けてきた。その努力が実って今では戦争もなく作物もよく実り人民の生活も安定している。国を治めるのは木を植えるようなものだ。木は根や幹さえしっかりしていれば枝葉は自然に繁茂するものである。君主が身を慎めば人民の生活も自ずから安定するはずではないか」

・魏徴
「新たな朝廷は必ず前代の衰乱からならず者を鎮圧し、人民は新たな天子を喜んで迎え入れこぞってその命に服します。天子の位というものは天から授かり人民から与えられるものです。しかしいったん天下を収めてしまえば気持ちが緩んで自分勝手な欲望を抑えられなくなります。人民が食うや食わずの生活を送っているのに天子の贅沢のために労役が次から次へと課されます。国家の衰退を招くのはつねにこれが原因です」

・チョ遂良
「奢侈に走るのは滅亡を招く元です。漆器で済めばいいですが、やがて金で食器を作るようになり、いずれはそれでも飽きたらず玉で作るようになります。ですから争臣は必ず初期症状の段階で苦言を呈するのです。末期症状を示すようになればあえて諌めたりはしません」
太宗「私は前王朝の歴史を紐解いているが、その中に臣下が諌めても『今さらやめるわけにはいかぬ』『すでに許可を与えてしまった』と聞き流していっこうに改めない、そんな話がよく出てくる。君主がこんな態度をとっていたのではあっと言う間に国を滅亡させてしまうだろう」

・魏徴
「陛下がこのたび洛陽に行幸されるのは、かつて陛下自ら遠征軍を率いて鎮撫にあたったゆかりの地であるからです。その安定を願い、土地の故老に恩恵を加えようとのお気持ちでありましょう。ところが城内の民にまだ恩恵を加えていないうちに宮苑官吏を処罰なさる。しかもその罪状たるや供奉が不じゅうぶんだとか食事の用意がなかったとか、いずれも取るに足らない事柄です。それをあえて処罰なさろうとするのは、陛下のお気持ちが足ることを忘れて奢侈に傾いているからにほかなりません。これではなんのための行幸であったのか理解に苦しみますし人民の期待に背くことにもなりましょう。隋の煬帝は巡視のたびに下々の者に命じて食事を調えさせ、それが意にそわなければただちに関係者を処罰しました。上の好むところ、下これを見習うとか。ために隋は君臣こぞって奢侈に流れ、ついに国を滅ぼしました。あまりの無道さに、天も隋を見限り、陛下に命じてこれに取って代わらせました。したがって陛下は今、なにごとにつけ気を引き締めて倹約を旨とし、子孫の良い手本とならねばならぬ立場にあります。ところが煬帝ごときのマネをされるとは。陛下がもし足ることを知って奢侈を戒めれば、これから先、子孫もまたそれを見習うでしょう。もし足ることを忘れて奢侈に走るようなことがあれば、今日に万倍する贅沢をしても飽き足りなくなりますぞ」

・王珪
「『管子』にこんな話が載っています。『郭の王は善を喜びながらそれを用いようとしませんでした。悪を憎みながらそれを退けられませんでした。これが郭の滅びた原因です』。横恋慕した女をわが物にするためにその夫を手にかけた盧江王が悪いことしたと陛下は認めているのに、彼の娘をお側にはべらせています。陛下のなされようはまさに悪を知りながら退けないことで、決して褒められたことではありません」

・太宗
「私はこう聞いている。『周も秦も天下を手中に収めた当初は同じだった。しかし周はひたすら善を行ない功徳を積み重ねた結果八百年にわたって存続した。秦は贅沢に耽り刑罰をかざして人民に臨んだ結果わずか二代で滅びた』。また『桀・紂は帝王だが匹夫に「お前は桀・紂のような男だ」と言えばこのうえない恥辱を受けたように思う。顔回・閔子騫は匹夫に過ぎないが帝王に「あなたは顔回・閔子騫のような人物だ」と言えばこのうえない褒め言葉だと思った』。帝王たる者、深く恥じるべきことである」

・太宗
「私は神経痛に悩まされている。この病気に湿気がよくないことは言うまでもない。だが、そちたちの願いを入れて高殿など造営すれば莫大な費用がかかるだろう。昔、漢の文帝が高殿を造ろうとしたが普通の家の十倍もの費用がかかることを知り中止してしまったという。私は文帝と比べて徳の点で遠く及ばないのに、使う費用は遥かに多いというのでは、人民の父母たる天子として失格ではないか」

・魏徴
「嗜好、喜怒の感情は、賢者も愚者も同じように持っております。しかし、賢者はそれをうまく抑えて過度に発散させることはしません。愚者はそれを抑えることができず結局は身の破滅を招くのです。陛下はこのうえなく深いご聖徳をお持ちになり、泰平の世にありながらつねに危難の時に思いを致して身を慎んでおられます。どうかいっそう自戒に努めて有終の美を飾られんことを願いあげます。さすればわが国は子々孫々にわたって長く陛下のご聖徳を被ることになりましょう」