エストニアで使用される言語はエストニア語であるが、これはかなり独特の言語である。スウェーデン語と隣国のノルウェー語・デンマーク語はかなり近い言語で、実際お互いに殆ど勉強していなくても会話出来てしまうという話も聞く。これに対してエストニア語は中央アジアに起源をもつ言語であり、それに中世から移住してきたドイツ系住民のドイツ語の影響が加わって完成したものなのだと言う。どちらかと言うとフィンランド語に近いそうだ。町を歩いていても少し不思議な感覚にとらわれる。上写真は「ホテル・ヨーロッパ」と書いてあるのだが、良く見るとhotelにlが1個多く、Europeにはoが1個多く入っている。この手のaa、ooなどの母音の連続はこれ以外にもあちこちの看板で見かけた。下写真の1番左はタクシーの列であるが、良く見るとtaxiがtaxsoになっている。
前にも述べた通り、独立して資本主義体制になったのは1991年であった。1994年にエストニアを旅行された方を知っているのだが、その方に言わせると、その当時は町を歩いていてもかなり経済的に貧しい国という印象を受けられたそうである。しかしその後外資系企業を受け入れ、高い経済成長を成し遂げる事に成功した。「バルトの虎」と称されるまでになったのである。が、その後2008年にリーマン・ショックが発生。せっかく軌道に乗っていたエストニア経済もかなりの打撃を受けた様である。失業率は一時16%を突破、その後大分改善したが、現在でもまだ10%を超えている。
外務省・エストニア共和国
スウェーデンとも経済の繋がりがあり、エストニアで現在最大の金融機関はスウェーデンのスウェドバンク(Swedbank)である。下写真の左から2枚目はスウェドバンクの看板。町を歩いていてもスウェドバンクの看板はあちこちで見かけた。3枚目は現地でお釣りで貰った硬貨。エストニアは2011年に通貨としてユーロを導入した。写真は20セントと5セントの硬貨で、上下で表裏で並べたところである。ちょっと写真では見づらいが裏には上に2011、その下にエストニアの地図、その下にEESTI(エストニアの意)と書いてある。
前にも述べた通り、独立して資本主義体制になったのは1991年であった。1994年にエストニアを旅行された方を知っているのだが、その方に言わせると、その当時は町を歩いていてもかなり経済的に貧しい国という印象を受けられたそうである。しかしその後外資系企業を受け入れ、高い経済成長を成し遂げる事に成功した。「バルトの虎」と称されるまでになったのである。が、その後2008年にリーマン・ショックが発生。せっかく軌道に乗っていたエストニア経済もかなりの打撃を受けた様である。失業率は一時16%を突破、その後大分改善したが、現在でもまだ10%を超えている。
外務省・エストニア共和国
スウェーデンとも経済の繋がりがあり、エストニアで現在最大の金融機関はスウェーデンのスウェドバンク(Swedbank)である。下写真の左から2枚目はスウェドバンクの看板。町を歩いていてもスウェドバンクの看板はあちこちで見かけた。3枚目は現地でお釣りで貰った硬貨。エストニアは2011年に通貨としてユーロを導入した。写真は20セントと5セントの硬貨で、上下で表裏で並べたところである。ちょっと写真では見づらいが裏には上に2011、その下にエストニアの地図、その下にEESTI(エストニアの意)と書いてある。