意志のなかにいる

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健康のため1日3本以上のアニメの視聴はお控え下さい (アニメ感想)

2013-10-08 20:18:44 | アニメ感想(2013年・三季)







サーバント×サービス 
第13話「これで良し 明日につなぐ 楽しい職場」 とまとめ △++








私にできること







いちおう「社会」を扱う上で「できること」と「できないこと」があるね
社会派だったらその線上(戦場)をいったりきたりするワケだけど
ま、でもサバサーで扱っているのは「人間関係」に関することだよね
仕事に関しちゃ方向性が違うだろうし、お役所だからね、「できません」で済む。
長谷部の親父も多分普段は仕事が「できる」方だったのだろうけど
自分の子供が心配で他人とはいえこれから生まれてくる
子供への配慮がおざなりなったりしてるし
まー親心なんだろねえ、でもちょっと因縁が生まれている
この作品はそのあたりの人が「うまくできない」部分で勝負してるってとこがある
それってある種「四コマ漫画」における当邦の伝統芸能的な態度かもしれないね
抽象度の高いキャラクターに失敗させて「アハハ」って笑ってもらうという
「課長」なんかモロそういう役どころではある
ルーシーなんかもようある「恋愛初心者」的なポジだしな
茅野愛衣さんってそういういわけない女の娘ってのをよう担当してるよな
声が響くけど不愉快になる甲高さを取り除いているような、そんな印象













とある科学の超電磁砲S 第24話  Eternal Party とまとめ △+








「妹達事件」が「夜」の事件だったとすると
後半部は「昼」の案件だったのかもねえ、「闇」と「光」でもいいけど
うしろめたいからこっそり片付けたことと、迷いがないから全面公開でカタづけたこと
全面公開だから出番が無かった人達でも何でも出してもよい、何でもアリとなる
その分その相手をする人達は「無個性」になるけどね(サイレントパーティーとはよう言った)
ただこれができるのはやっぱ前半部分の「闇」が深かったからこそだと思う
最終話で百花斉放している花達の下には「妹達」の死体が埋まっている、と。
別に責めているわけではないのね、両方(魔術と科学)とも愉しめるのはうれしいことではある
ただ、こんだけ「科学」の側を便利なザコキャラ扱いしてると流石に真面目に
「科学」の発展に真面目に勤しんでいる人達からすれば「能力者」に恨みをもつのも
無理からぬことではあるなあ、という気はするね
「人体実験」とか科学者の倫理的底辺までいったのだから今度は
「科学」が誰かを救ってもいいかもしらんね、え、そんな理系的展開はウケないって?
そうかもしれませんなあ。















Free! 第12話 遥かなるフリー!とまとめ △+









「個人競技」と「団体競技」ってのがありますよね
農耕民族の日本人にウケがいいのは後者のほうだけれども
そういう意味では「水泳」っていうどっちともとれる競技はその妥協的なとこと
しては申し分ないか、水泳の団体でメダルもとってて、タイミングもいい。
水泳のシーンはやっぱ凄くて、ここだけで視聴する価値は充分にある
京都アニメーションも妄想戦闘シーンとか推理シーンとかばっかやるのに飽きたのかもなあ
細かく言うと対戦のように相手ありきではなくて何か悟りを開くために修行しているような印象
そういうある種「自分達だけよければ良い」というワガママさがいかにもって感じで
ま、視聴しているこっちの側も試合の時と凛ちゃんとか怜が真面目に話している時以外の
シーンはかなりテケトーに視聴していたからね、珠にはそういうサッパリした関係で
アニメに関わるのもいいかもなあ、と思った。「Free!」だしな。













たまゆら~もあぐれっしぶ~
第12話 そして…旅立ちの季節、なので とまとめなので ○








「間に」合う







ぶっちゃけると「思いでの写真」とか苦手なんですよね、私
人の写真なら記憶を共有してないから何とも言い難いし
自分のでもその時のことがどうにも上手く思い出せないことが多く、困る
花とか動物とか赤ちゃんとかみんながほっこりする写真も「ですよねー」としか言えないし
ぽっての言うところの「人と人を繋ぐ写真」ってのもそういう類いの写真の印象があるから
何て言ってるとかなえ先輩に怒られそうだけどね
「妙な構図」とか「おっぱい」とかその場が良ければいいやとかに逃げがちな私です。
「写真」っていう瞬間を切り取るものを主題にあつかっていながら当作品は
何となく「繋がっている」感がしっかりあるよね、それは竹原の街であったり
友達であったり、あるいはお父さんとのことであったり
そうやっていろんなことが積み重なって溢れだしてくるものを
「写真」で拾っているという感じかねえ
そういう「愛おしい世界」を描き出す努力に頭が下がるよね、凄い努力と技術のはず
凄いから逆に見えにくいというやつだ
そしてその世界は「セカイ系」によくある「停止」しているものではなく
ゆっくりでも確実に「進んでいる」ものを描きだせているとおもう。
まあここまで抱擁感と全体感がある世界を描けるってことそのものが
ずーっとアニメーションをがんばって続けていたからこそ出来ることなのかもね
毎週ン十本と作品を「消耗」しているご時世でこういう作品がぽっと出てくることが
たまゆらの幸運なんかもしれない。















進撃の巨人 第25話 「壁 -ストヘス区急襲 3-」 とまとめ ○+








オレ達の戦いはこれからだ!







すっかり形骸化した↑のフレーズが「生きている」というおそろしいギャグですね
いろいろ「たてまえ」になってしまったモノがこの残酷な世界では蘇りますよね
暴力は禁止とか残酷なシーンは禁止とか主要キャラは死なないとか
そういう「お約束」にことごとく叛逆している、しかもそれを巫山戯てやってるのでなく
真剣にやっていること、そう「真剣にやっている」ってこと自体が
いちばんの「叛逆」なのかもしれない。
真剣にやっているからしぜんその物語の展開と内容は「最速」となり
「最速」の世界は「死」も最速で誰にも平等に訪れる、と
それは「商業」の名の下に生かさず殺さずダラダラ話を続けている今の少年誌が捨ててしまった
かつてあった「物を語ること」のスピリットそのものなのかもね
ま、でも、こんだけ流行れば他の人等も「部活」でゆるっとするより「壁を壊そう!」
ってなるかもしれん、それはそれで安易な考えだけど(特に実写化は勘弁)
そういう人達が「(進撃の)巨人と戦うんだ!」ってことを覚悟するのならばあるいはそれも
いいのかもしれないね、もうこの作品は「この雑誌の結構面白いやつ」って領分をとっくに超えている
そういう事態を「進撃の巨人アニメーション」は存分に真剣にとりあつかっていたと思う。














コメント
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