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私人・公人に関してのメモ 2018/03/29

2018年03月29日 | メモ

 私人・公人に関してのメモ 2018/03/29

 


遙か太古にはたぶん小集落の共同に埋もれるようにまどろむように生きていた人というものが、小集落→大集落→国家→・・・・・・個・家族・近代社会・国家へという風に環境世界の分離・高度化と対応するように、特に近代以降に、「個」という存在が分離・抽出されてきた。

 現在は、この先鋭化した個が中心になっている社会である。しかし、一方でこの先鋭化した個が中心になっている社会を十分に享受しながら、戦前まで根強く残存していたこの列島の遺制である、個≡社会≡国家というすべてが未分離の意識を受け継ぐ者たちがいる。いわゆる「ネトウヨ」である。

 「ネトウヨ」は、個の存在を集団(社会や国家)の中に埋め戻そうという考え、イデオロギーにイカレているが、強権政治で一時的にはそれが可能だとしても、もはや過去の歴史の段階にの有り様に押し戻すことは不可能である。だから、『北斗の拳』のケンシロウの言葉は借りれば「おまえはすでに死んでいる」である。

例えば、学校の授業中熱中していた生徒が、先生に「おかあさん」と呼びかけてしまったら場違いである。また、同一人物なのに、家族や友達間や学校や職場でそれぞれ名前の呼ばれ方も違う。同一人物なのに、私人・公人と分離するのも、現在の社会構造とその中のそれぞれの位相の違いを区別せざるを得ないからであり、その区別に対応している。

 


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