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ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 4293-4296

2023年01月31日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



4293
もっと以前の形もあるかもしれないが
はじまりは
(あんたは特殊能力をもっとるたい)



4294
いつの間にか巫女になり
あなたさま
と呼ばれるようになってしまった



4295
食事も家も埋葬も
何もかも
みこみこみこみこ 特別になってしまった



4296
巫女さんのひと言が欲しいばかりに
しまった
しまったしまった


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 4289-4292

2023年01月30日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



4289
縁先の土の庭で姉や兄に見守られ
着もの姿でゆらゆらと
カタカタを押していたのを覚えている



4290
何歳頃のことか
小さな身の丈からの視野で
(あそこまで行くのか)という内心だった記憶がある



4291
脳中心で下位に見なされている
情感の海は
遠いはじまりの情感の海につながっている



4292
・・・みたいなおぼろげな気分
神経質に細分化する脳では
人は捉え尽くせないような


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 4285-4288

2023年01月29日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



4285
声変わりみたいに
変わってしまったら
もう元には戻れない



4286
言葉の助走期(?)のアワワから
走り出したら
いつの間にか以前は忘れている?



4287
言葉の人となる以前の
胎内の記憶やアワワの記憶
はなぜ残らないのだろう



4288
年輪には確かに刻まれていても
幼いイメージ言葉は 変成されてしまった
概念の言葉の網をすり抜けるのか


覚書2023.1.28 ― 人の自然さの獲得のドラマ

2023年01月28日 | 覚書
 覚書2023.1.28 ― 人の自然さの獲得のドラマ



 信じるということがある。あるいは、信じるとまでいわなくても、それに連なる新たに物事や他者に慣れ親しむということがある。その内側では、初めは少しはとまどいや疑念が湧くことがあっても次第に対象を受け入れ、それが自然なものとなっていく。この過程には、異和や親和をともないつつある受容に到るドラマがある。そうして、無意識的な自然さ、すなわち「ふつうのこと」として感受されていく。


 この慣れ親しむということは、自己とのあるつながりの存在を受け入れる、あるいは信じると言いかえてもよい。この信じることの起源は、吉本さんの『母型論』によれば胎内生活での母子関係(根源的な関係)にある。それを言葉の問題から眺めれば、「内コミュニケーション」ということ、言葉以前の言葉のようなものの漂う時空での母と子の互いの表出や受けとめや察知の世界である。そうして、ここで身に付けた信や察知などの力や道筋は言葉を獲得した後々まで身についている、ひとりひとりの信や了解の基底になっていると思われる。そういうひとりひとりが、あんまりいいことと感じられない場合には、例えば正社員時代から派遣社員の増大した社会に変貌していく渦中を今までの自然さを改定させられながら、ある澱のようなものを抱えながら生き延び自然さを獲得してきているのだろう。こういう今までの自然さから改定された新たな自然さへの変位は、誰もが個人的にあるいは社会的に経験してきていることである。そうして、その自然さは異和も親和も内包している。


 大きな波風の立たない良い育ち方をした者は信じやすいということがありそうだ。しかし、どんな育ち方をしても寄せて来る現実との関わり合いでは紆余曲折があり、人について一概には言うことができない。また、宗教に限らず、現在の社会内の諸規範に関しても、信じるという信仰の内側から見たら宝石の言葉に見えることが、信仰の外側から見たらイワシの頭にしか見えないということもある。両者は、向かい合えば対立的な様相を呈することになる。信を巡るこういう局面は、依然として現在的なものである。


 ここで、両者の真を判定するものはあるか。あるとすればそれは、大多数の普通の人々の経験 ― それは良し悪しを含めて長い歴史のなかで引き継がれ醸成された力である ― からくる普通の言葉の内包する感受や喜びや苦難に対して開かれているかどうかということである。現在のグローバリズムの考え方などからくる社会内の諸規範や知識や宗教などの別世界で身に付けた経験を携えて上から人々を啓蒙したり引き上げようとするのではなく、普通の人々の言葉に着地しようとしているか、あるいは普通の人々のあり方を丸ごと掬(すく)い取ろうとしているかどうかにあると思える。


 そして、そのようなあり方の会社などの組織や宗教組織はめったにない気がする。家族葬に象徴されるように親族や家族の関係も希薄になっている現在の社会で、血縁を超えた人々がお互いに気楽に話ができる穏やかな関係の場を目指す(提供する)のが中心の宗教組織なら申し分ない気がする。そこでは、組織拡大と大ざっぱすぎるイメージの社会革命を目指すための「献金」は不要である。しかし、現実には、献金を重視し、外に対して、社会に対して、威力を発揮しようとするカッコ付けの宗教がほとんどであり、その言説は、人々の現世での受難や内発性にまともに向かうことはなく、現在のコマーシャル全盛時代のコマーシャル言葉と同質のものと見える。


 ところで、わたしたちは、頭の隅ではこれは作りものだという意識があっても、物語やドラマの世界にのめり込んでいく。このことは、作者や役者が、ひとつの作りものの世界に入り込み、そこでの描写や振る舞いを迫真のものとしていくことと対応しているだろう。醒めた端(はた)から見たら作りものの世界ではある。


 例えば、海外ドラマには長く続いているものがある。『ER 緊急救命室』はシーズン15まであったから、15年も観続けたことになる。『ブラックリスト』は目下シーズン9まで放送されているから、9年間観続けてきたことになる。こんなに長く作りものの世界に付き合っていると、登場人物たちの性格にも通じてくるし、そんな人々にもその世界にも慣れ親しんでくる。つまり、物語世界や登場人物たちが自然なものになってくる。


 これを一般化すると、わたしたちは、読者や観客として、〈幻想〉の舞台に上り、その世界の存在を信じて自然なものと感じ行動するようになるということ。このことは宗教(信仰)でも物語やドラマでもあるいは生活世界の仕事でも共通する人間的な特質のように思われる。それはまた、現在的なものであるだけではなく、起源や根深い歴史性を持ったものであるように見える。その自然さの獲得までにはひとりひとり様々なドラマがあり、異和も親和も微かにくすぶり続けてその自然さに内在し続けている― その異和や親和はいわば批評的な芽として存在している ―。そうしてまた、その自然さも絶えず更新されていくのである。

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 4281-4284

2023年01月28日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



4281
人間に限らず覚えている
ことは多いだろう
鳥のようにネコのように記憶の川を渡る



4282
浮上してこない記憶たちは
記憶ではない?
「待ち人来たらず」普段着で通り過ぎる



4283
装(よそお)った記憶の姿にならなくても
時時刻刻
通り抜けて行ったものたちがある



4284
過去と現在を結び付ける
記憶の姿は
〈わたし〉をある舞台に乗せている


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 4277-4280

2023年01月27日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



4277
言葉道にはいくつかのなじみの記憶も湧いて来る
湧いているのか
引き寄せているのか よくわからない



4278
ともかく〈わたし〉がいるから
〈わたし〉ゆえに
それらの記憶は訪れて来る



4279
(ああ そんなこともあったな)
と記憶のわたしに出会い
情感が流れ出すことがあり



4280
忘れてしまった数々の時間の場面たちは
ただ〈わたし〉に染まった普遍の姿で
いくつかの記憶像として湧いてくるようだ


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 4273-4276

2023年01月26日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



4273
人混みの中さあっと通り過ぎた
女(ひと)の放ったくうき
舞い上げた風とともにふわりと来る



4274
誰もが日々すれ違う
気にも留めない
ことに誰もふと気づいている



4275
そんなびみょうな言葉があり
日を浴びて
時には人の影に落ちていく



4276
概念になれない言葉以前の
感じや匂い
晴れた日のコンビニの前にも座り込んでいる


最近のツイートや覚書など2022年12月 ②

2023年01月25日 | 覚書
 最近のツイートや覚書など2022年12月 ②


2022/12/19
近代短歌bot@kindaitanka
ニコライ堂この夜(よ)揺りかへり鳴る鐘の大きあり小さきあり小さきあり大きあり  北原白秋『黒檜』

ニコライ堂の名前と概観くらいは知っていた。ニコライ堂の歴史の動画(9分)と鐘の音の動画を見た。鐘は関東大震災で壊れ、昭和4年に再建。鐘楼の内部の写真は見つからなかった。鐘の音の動画によると大小の音が混じっていたから、大小の鐘がいくつか配置されていたのだろう。

現在は、「あの鐘が鳴るのは、礼拝の行われる毎週日曜日の午前10時から10分程だそうです」とある。ここでは聖夜などかわからないが夜になっている。白秋が鐘楼の内部を見たことがあるかどうかはこの歌からは微妙だ。他に、「ニコライの鐘」(藤山一郎 昭和27年)という歌もある。



2022/12/23
RT
坂口恭平@zhtsss
今日のパステル画。
12月の玄関から見た金峰山。(画像は略)


できてしまった絵を見る者は、まず大まかに全体的な印象を感じ取るように思う。そして、いいなと思ったりする。一方、作者は、たぶん自らの心の層を通過させた形(点、線、面)や色を具体的に駆使して、行きつ戻りつしながら風景(対象)をある心的な風景として織り上げるのだろう。だから、

当然風景画でも写真と違って強弱や省略やデフォルメなどがあり得る。そして、作者もまた、できあがった作品が自分の心的な目にしっくりフィットとした時、いいなと思うのだろう。なぜこんな面倒なことを言うかといえば、言葉も絵もその表現の全過程や鑑賞にはまだまだ謎があると感じているからである。



例えば、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は観ていないけど(数分は見たかもしれない)、それを観てきたAさんがそこで出会った問題(感じたり考えたりしたこと)は、それを観ていない私にも別の場面でも必ずどこかで現れるように思う。なぜなら、この人間社会という宇宙の中の小宇宙群は互いに同質であるから。

少なくとも、言葉や文化や風習が割と共通した地域(国家)レベルでは特にそう言えそうに思われる。



2022/12/25
私は使わないけど、流行(はやり)の「分断」や「サブスク」などの言葉はどこに始まりどこまで流布・浸透しているのかな。書き言葉としての「日本語」自体が存在せず、漢字を借用して苦労して生み出した漢字かな交じり文。その始まりの場の様相の遺伝か、私には口にするとき一瞬のためらいがある。



2022/12/26
渡辺京二が亡くなった。その著書の中でも『なぜいま人類史か』、『逝きし世の面影』、『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』は、印象深い。この複合的な(縄文系・弥生系など)われら列島人の正と負の精神の遺伝子を抽出する上で、彼の業績は役立つことと思う。『バテレンの世紀』はまだ積ん読中。



2022/12/28
『腕におぼえあり』は、NHKの「金曜時代劇」で観たことがある。主人公は青江又八郎(村上弘明)、江戸に出て来た又八郎の用心棒稼業の仲間として細谷源太夫(渡辺徹)。この細谷源太夫役の渡辺徹はとってもいい印象だったのを覚えている。私たち普通の生活者と違って、作者も役者も亡くなっても言葉や映像の作品の中に長く残る。



2022/12/30
農事メモ2022.12.30
・12月2日に蒔いたソラマメの芽がやっと出ていた。寒さのせいで遅かったのかな。例年のように10月下旬頃までに蒔けばもう少し早く芽が出ていたような気がする。因みに、過去の農事メモによると、2019年では、10/31に蒔いたら11/14に芽が出ていた。



2022/12/31
石川啄木BOT@VNAROD_SERIES
いささかの銭(ぜに)借りてゆきし
わが友の
後姿の肩の雪かな

はたらけど
はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり
ぢつと手を見る
(いずれも歌集『一握の砂』)


歌の構成としていずれも、下の句の「後姿の肩の雪かな」や「ぢつと手を見る」に歌の中心がある。情景や動作に言葉では説明(指示表出)し難い気持ち(自己表出)が込められている。



全10数話のアニメ『チェンソーマン』を先日見終わった。wikiに「「チェンソーの悪魔」に変身する力を手に入れた少年・デンジの活躍を描くアクション漫画。」とあるが、この映像作品の物語世界の異様さ退けてそのモチーフを言葉に収束させるとすれば、主人公の語る言葉の出所にあるだろうと思う。

夢や希望や切り開く明るい未来などが想像するのさえ不可能で無効に感じられる現在の社会を生きる若者たちの感性や意識を示している。現在がもたらすある程度の物質的、精神的な富(豊かさ)を享受して別に大きな不満も批評性も持たない、消極的・受け身的な若者たちの感性や意識の物語だと受け取った。

一方、wikiによると「「自動手記人形」と呼ばれる代筆屋の少女を中心に繰り広げられる群像劇」のアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、まだ今回の劇場版のは見始めたばかりだが、前回のを見た印象で、この作品のモチーフを言葉に収束させるとすれば、

現実に大きな不満も批評性も持たない、消極的・受け身的な若者たちの感性や意識の内にある沈黙の世界で、互いに柔らかく交歓するような物語に感じられる。


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 4269-4272

2023年01月25日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



4269
薄暗い室内に入っていく
古びた青銅色の
ひんやりした丘陵を視線が下る



4270
冷たい 固い 静かな 微笑の など
実感を潜り
言葉は苦しげに立ち上がろうとする



4271
先生に感想を聞かれた
小学生みたいに
なかなか言葉の連なりがつかまらない



4272
造形してきた作者の
言葉の道から
誰もが少しズレて向かって行く


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 4265-4268

2023年01月24日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



4265
あまりにもゆっくりだから
言葉たちも
ゆっくりと丘を上り下っていく



4266
(あ あ きょ   う  う
は い い   い
てぇん  きぃ   い です   ね)



4267
たぶん言葉の階段の上り下り
に時間がかかるんだ
いろんなことに気が回りすぎるのかな



4268
ああきょうは、とすいすい上り下りする
言葉の足どり
を他人事のように見ている