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ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3850-3853

2022年09月30日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3850
言葉のはじまりは〈あ〉〈う〉〈お〉
程度だったのに
今では生活と知識の迷路に入り込んでいる



3851
両極端の人が語り合う時
互いにすれ違い
言葉は怪訝な表情を浮かべる



3852
同じ極同士でも北極もあれば南極もあり
サラリーマンもいれば
自営業もおりすれ違いすれ違う



3853
言葉もsimple Lifeから
はるばる
高度で複雑な言葉界に入り込んでいる


最近のツイートや覚書など2022年8月 ①

2022年09月29日 | 覚書
 最近のツイートや覚書など2022年8月 ①


2022/08/01
現代短歌bot@gendai_tanka
戦争に行ってあげるわ熱い雨やさしくさける君のかわりに  江戸雪

まず作者は敗戦後の世代である。それゆえに、〈戦争〉は、戦争世代の歌とは違って具体的なイメージを伴わないし重くない。女性が恋人か知り合いの男性にかわりに「戦争に行ってあげるわ」と気楽に言えるくらいに軽さや抽象性を帯びている。「熱い雨」が不明。シャワーじゃないよね。



852話@8co28
生成後一切手を入れてないAI自動描画のみの画像群 本当に 最高の絵ができあがるので もう私絵描かなくていいんじゃないか?
●画像略


しかし、例えばAI短歌であれば、生産された歌は人間的な表出(いい感じだなとか美などへ欲求)そのものではなく、偽人間的表出だから、本物の花ではなく造花と同じ。この映像がカメラを操作するようにして自動的に生成されるのなら、作品として差し出すとき、操作と選択・組合せに人間的美があることになりそう。


RT
(砂の色と同じ保護色の魚が砂地に潜んで、近づいて来た小魚をパクリと食べてしまう画像)

この魚は、上空からの視線を持たないはずなのに近づく相手は自分のことを見えていないと感じているのだろう。「保護色」といわれるもの、生き物がそういう姿をまとうことがふしぎ。しかし、人間の詐欺師も同様に相手は自分の正体が見えていないだろうと思っているはず。



2022/08/02
宮沢賢治の場合は、知り合いや農学校時代の教え子などたくさんの人々の賢治の言動についての証言や文章が残されている。親鸞の場合は、後に記された伝記や『親鸞伝絵』はあるけど、同時代では妻の手紙「恵信尼消息」くらいであろうか。親鸞の宗教活動の様子はよくわからない。

しかし、晩年に京都に移った親鸞は教団を組織するでもなく、東国の信徒からの疑問の手紙に応答しているから、東国では宗教的な集会は催していたのだろう。弟子も持たず仏壇も要らないと語っていた親鸞ゆえ、現在に直せば聖書を読む会を主催していた千石さんの「イエスの方舟」に似たイメージになろうか。

なぜ宗教は、献金を募り巨大な建物を建て派手な儀式を行うのか。もうその入口で、宗教は人類が宗教を生み出さざるを得なかった宗教的な動機から堕落してしまっている。この荒れた社会で悩める人の小規模の穏やかな集会であってはなぜいけないのだろうか。なぜこの社会を超えようと政治に手を染めるのか。



2022/08/03
RT
TBS NEWS「公明党の山口代表は2日、政治と宗教の関係について、宗教団体が価値観を政治過程に反映していくのは『民主主義の望ましい姿』だと訴えました。」


いやいや、宗教団体が政党を生み出して政治過程に関与していくことが諸悪の根源。献金、選挙、組織拡大、・・・とすべてがそのために宗教的な意味がつけられ(例えば、選挙活動は功徳だとか、端からは免罪符みたいなバカバカしいものに映る)、初発の宗教活動の意味が変質していく。



現代短歌bot@gendai_tanka
フランスパンほほばりながら愛猫と憲法第九条論じあふ   荻原裕幸


そのままには受け取れない少し童話的な場面。『おそ松くん』でおフランス帰りを自称するイヤミ、外国のものを有り難がる心性と外国かぶれを皮肉る心性が込められたキャラか。で、フランスパンにもそんなイメージ価値がある時代があった。ここでは、「あんパン」でもほぼ等価か。

ただ少し疑念が残る。作者は、1962年(昭和37年)生まれ、『おそ松くん』は、1962年から1969年にかけて雑誌に連載。そのアニメ版は、1966年からテレビ放送。作者もそんな外国(フランス)を有り難がるマス・イメージの洗礼を受けているだろう。とすれば、「フランス」パンは、憲法第九条の不戦と関わる自由

・平等のイメージ価値も含んでいるのかもしれない。わが国の外国に対する劣等(マレビト)意識が、弱まったりどこの国も割りと等価なものという視線を獲得したのは、高度経済成長期以後、消費資本主義やサブカルチャーの興隆した時期、1970年代であろうか。



2022/08/04
RT
統一教会、元女性信者
「献金しなければ息子は20歳まで生きられないと言われ、全財産を献金したが、献金できなくなると、盗みまで命じられ、親の金を騙して献金しろと言われた」
#news23


下の方の一般信者は、信じている(巧妙なシステムで信じらされている)から、奴隷と自覚できない宗教奴隷に見える。そうして、宗教組織は信者の信仰の血=お金を巻き上げて組織の維持と拡大に邁進する。その統一教会諸組織は、途方もないおおぼら吹きの古ぼけた宗教的世界革命を妄想している。



統一教会の教理をちゃんと読んではいないが、その言葉の端々から大ざっぱなイメージで言えば、現在の私たちの普通の自然な感覚・感性から見ると途方もないおおぼらで古臭いこと。全自動洗濯機の現在に洗濯板で洗濯せよと主張しているようなもの。この退行において日本会議系と同一。

自分たちも、一方では現在までの文明の成果=消費資本主義のもたらしたサービスや商品などをちゃっかり享受しながら、たぶん自分たちは特権的例外として精神の構えとしては現在の個の自由や平等や人権を「人間」をだめにするものとして否定なり抑制なりする考え方に見える。



2022/08/06
現代短歌bot@gendai_tanka
だいじょうぶ 急ぐ旅ではないのだし 急いでないし 旅でもないし  宇都宮敦


二昔前の短歌では、こういうありふれた心の場所に短歌的な視線はあまり向けられなかっただろう。なにげないことになにげない視線が向けられている。そこが現在か。一方、同じ作者の「目をふせてあらゆる比喩を拒絶して電車を待ってる君をみかけた」は、旧来的な文学的な視線によるもの。



RT
戦前~戦後のレトロ写真@oldpicture1900
大正のパンクな詩人2人で、高橋新吉と萩原恭次郎を再掲。まずは高橋新吉(1901-1987)。ダダの新吉ですね。「何もないのだわかったか わかるといふこともないのだ」


第一次大戦頃ヨーロッパで生まれたダダイスムの影響下に、それを実践して見せた高橋新吉『ダダイスト新吉の詩』、それに衝撃をうけた「トタンがセンベイ食べて/春の日の夕暮は穏かです」(詩「春の日の夕暮」)の中原中也。中也の性格にもフィットする新しい言葉の服、言葉の道だったか。



RT
走る人参(気象予報士)@Runninzin
【かつてない大雨 計算では22万年に1度】
計算上、山形県川西などでは22.2万年に1度レベルの大雨となっています。つまり、使えるデータではありません。
また、新潟の村上では5.2万年に1度、山形の米沢では2.8万年に1度という計算となっています。意味が分かりません。


以前、温暖化問題を少し調べていて、この地球は「10万年単位で繰り返される地球温暖化と寒冷化」という長周期の振る舞いがあるという説明に出会ったことがあります。まだよくわかっていないのかもしれませんが、1年の四季という短周期の振る舞いにそれが影響を与えているのかもしれないと思っています。



2022/08/07
現代短歌bot@gendai_tanka
思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ  俵万智


思い出の一つと断定せずに「のようで」と婉曲する。小さな過去の出来事を額縁に入れてしまうのではなく、自分の心の部屋にそっと置いておく。全体が喩の表現と見ることができる、しかもこちらの言葉が追いつかないほどの絶妙に包み込んだ表現になっていると思う。



現代短歌bot@gendai_tanka
アンパンマンを怖がりし息子みづからを食はせてしまふ技を見てより  川野里子


と、歌は、作者自身にそして読者にいろいろ感じたり考えたりする部屋(場)を与えてくれる。



人間の考えをスペクトル帯で示せば、何十万年も積み上げられてきた日常の生活の感性や考えの一般性を「普通」と見なせば70パーセント前後はそれが占め、残りは知識世界、そしてわずかに悪心や陰謀論が占めるだろうか。このことは戦争などの状況に左右されるが一人の人間の中の平均的な割合でもある。

明治期のワクチンを打ったら牛になるも、日常の生活の感性や考えの迷妄の部分と陰謀論が融合していたものだろう。今も同様のものがあり、私たちはまだ笑えない。製薬業界や行政が、もっとオープンにすればもう少し状況はよくなるのかもしれない。



2022/08/08
現代短歌bot@gendai_tanka
忘れ物しても取りには戻らない言い残した言葉も言いに行かない  松村正直

詩や短歌的表現は、物語と同じく言葉という普遍の姿で表現されるけど、物語と違って作者の固有性が色濃くある。「・・・ない」という不在と意志が入り交じったような表現、この普通の生活世界と距離を置いたような表現の必然性は、作者のそのころ置かれた状況に大きく拠っているようだ。



RT
This is how a carrot harvester works
(三列文の人参を機械で一気に次々と収穫していく動画)


農業も合理化や効率化など現在の産業の有り様や経営を取るという意味で、ある種人力を超えたすごさを感じるとともに別にこれはこれでいいと思う。しかし、割とのびのび放し飼いの養鶏もある一方で、狭いブースの並ぶ養鶏場を見ると経営合理的かもしれないが同じ生き物として何とも言えない気持ちになる



2022/08/09
RT
さつまいもに目鼻口の人の顔がある粘土?による作品。

何歳くらいの妹の作品か気になるけど、作品の造形からはもう十分分別がありそうな年頃に見える。ところで、昔は小学校低学年くらいまではこんな擬人化した表現の紙芝居とかあった。それくらいの年代までは太古の人みたいにすっと了解できるのだろう。以後は擬人法と見てしまう。



宗教が、大きいことは良いことだ、と思い始めて堕落は始まった。そうして、組織維持・拡大に熱中し、お金を崇拝するようになった。また幼稚な理想のイメージのために現世を否定しながら、お布施や献金の「ノルマ」等々現世のものと密通した。初発の宗教の動機はどこへ行ってしまったか。

現世(現実社会)と宗教による二重の桎梏。



生活者の素人判断に過ぎないが、まず、日銀の政策は明らかな円安誘導。そうして何を目的としているのか不明。輸出企業を守る?観光立国を考えて観光産業を守る?ともかく、経済のGDPの過半を占める家計消費、その家計や輸入に頼る企業の保護は考えていない?どーゆーこと?!



RT
Mさんへ


この問題をわたしなりに大ざっぱに捉えてみますと、
人と自然との関係がまだ一次的な直接性にあった江戸期までの農業中心の段階から、近代の商工業中心になってくる段階では、徐々に汽車や車や機械やシステムを介した労働や生活という人と自然との間接的な関係という二次的な関係の段階になってくる。

現在は、サービス業中心の「消費資本主義」という人と自然との関係がVRやネットに象徴されるような、主要に人と人工的な自然との関係という三次的な関係の段階に到っている。
特に近代以降の急激な文明の高度化をのぼりつめることによって産業の稼働する時間が短縮され、ということは人の時間意識が

加速されてきている。また、昼間に限らず夜も産業が稼働し人が活動している。それが、ゲームにおいては快でも、生活ではいろんな心身の不調やうつ病などを生み出している。これは押し止めて昔に戻るのは不可能なので、週休3日などの労働時間の短縮などでやわらかいゆったりできる社会を作り出すなど

前方に向けて解決していくしかない。
人と自然との関係がまだ一次的な直接性、あるいは二次的な段階にあった状況下での荒んだ心を抱えた者を、中上健次の『枯木灘』の主人公、竹原秋幸の父浜村龍造の数限りない悪行や反倫理、それでもその土地に根付いていたことに象徴させると、

現在の荒んだ心の者は、根を断たれて人工的な自然の平面の上に踏ん張ることもできない中空の不安と振り切られるような速度感を抱えた人物のように見えます。



2022/08/10
RT 喜んでいるような犬の動画
月曜日なのに飼い主達が家にいるので、ルンルンが止まらなくなる栗太郎 かわええな(笑)
(ふたりとも夏休みに入りました)


ツイッターの動物の動画を見ている限りでも、デカルトさんは否定したらしいけど、動物たちにもわたしたち人間と同様の喜怒哀楽があるようだ。また遊び心も持っている。



RT
アベノミクスを完成させる 日本企業に足りないアニマル・スピリッツ
甘利明 | 毎日新聞「政治プレミア」2022年8月10日



私の経済は、生活者の視線から具体的に感じ考え行動するのがほとんどである。この甘利明の人となりは別にして、この文章を読む限り割と本気で考えやってきたことがわかりやすく述べられている。わたしの任ではないが、これをていねいに批判できれば、それは未来的な経済政策の指針になるような気がする

経済活動自体は、人間の諸活動の一つであり、国のいろんな政策の影響下で行われている個々人の消費者、サービス含めた生産者(企業、労働者)の関係し合う総和と言える。国の経済政策は、その(社会内の)経済活動をよりスムーズにさせ、人々が経済的な安心感や幸福感を持てるように支援することである。

経済という抽象領域の素人の私からからもいくつかの取っかかりが言えそうだ。そんなアベノミクスの視線・施策になぜ企業活動は乗れずにアベノミクスをことごとく裏切ってしまったのかということ。また、輸出依存度はGDPの18%程度(2018年 小川製作所「日本の経済統計と転換点」より)で、

「日本はこのように輸出依存度の低い内需型経済と言え」るのに、一方の「個人消費はGDPの大黒柱」(「ニッポンの数字 ー 数字が描く景気のカタチ」)で、「日本のGDPの約60%を占め」るのに、なぜそれに触れず、消費を喚起するような政策を取らないのかということ。単に頭が古臭く固いだけなのか?


国民(生活者)の視線を持って、古い言葉で言えば「経世済民」が経済政策と経済学の中心柱と思っている経済の評論家や学者なら、長く経験を積んでいるはずだから、複雑多様な経済現象の中で、どこをどうすればいいというのは大まかには言えそうな気がしますけどね。



2022/08/11
太宰治bot@osamu_dazai
何もしないさきから、僕は駄目だときめてしまうのは、それあ怠惰だ。【みみずく通信】


外見(そとみ)には、近づきたくないいい加減な人間と見える太宰治であるが、内にはきまじめすぎるほどの〈負の倫理〉があった。 人一倍苦悩してきたという自負があった。講演後の話だったか、何をしても駄目だったから小説家になったという太宰の言葉を受けた若者の応答の言葉に対しての言葉。



これまた私の任ではないが、安倍晋三(グループ)が、政権につき日本会議系や統一教会系を強く引き寄せ(引き寄せられ)、社会の隅にいた私=国家という古臭いアジア的な専制下の意識を引きずった者たちに光を当てた。そしてネトウヨの大将に祭り上げられたことの意味は、解明されなくてはならないと思う。



あたらしい短歌bot@tankabot_1980
誰ひとりきみの代わりはいないけど上位互換が出回っている   宇野なずき


批評性として使ったのかもしれないが、「上位互換」という技術やシステムの概念の言葉がこの歌の性格を決定している。例えば、「勝ち組、負け組」という捉え方などしない者、それに意味を見出せない者は、その言葉を使わないし、その論争の輪の中に入らない。



あたらしい短歌bot@tankabot_1980
そんなわけないけどあたし自分だけはずっと16だと思ってた   加藤千恵


「そんなわけ/ないけどあたし/自分だけは/ずっと16/だと思ってた」
歌の形式に乗りながら歌っているから、〈みんな〉のつぶやきにも通じる、なんてことない〈わたし〉のつぶやきも歌として主張されている。



2022/08/12
RT Tさん
 経団連人口問題委員会
「今後の少子化対策は、「収入が不安定な男性をどのように結婚までもっていくか、そのような男性と結婚しても大丈夫という女性をどう増やすか」にかかっている。」
何度読み上げても妻の爆笑が止まらない。

経済的な焼け野が原の状況を花は花は花は咲く状況に意識させ結婚へ導くって。いっつもズレたことや小規模対策しかしないからいつまでも少子化。別にわたしは少子化でも構わないけど。少なくとも、少子化は人々の止むに止まれぬ選択であり、荒れた社会への無意識的な批判。



今日の朝のテレビで、コロナに罹ったら治ったみたいでも減衰状態でウイルスが体内に長く残っていること、インフルエンザの局所的なダメージと違ってコロナはあらゆる臓器にダメージを与えること、おまけに後遺症の一つとして一桁の足し算もスムーズに行えなくなったりするとのこと。こわい。



今日誰かが、姫とうがんが知らない間にこんなに大きくなって、とツイートしていた。作物を育てていると「知らない間に(いつの間にか)」ということをしばしば体験する。大きくなった姿で急に現れる感じがする。人間も育ち盛りというように急成長の時期があるのかな。

数年前、秋キュウリを少し時期遅れで種を蒔いたら、気温などの条件が合わないせいか、いつもの10倍、20倍も成長の時間がかかるように感じた。結局、とても小さなキュウリ数本しか収穫できなかった。



現代短歌bot@gendai_tanka
鬯鬯鬯鬯と不思議なものを街路にて感じつづけてゐる春である  荻原裕幸

鬯鬯鬯鬯と/不思議なものを/街路にて/感じつづけて/ゐる春である
知らなかったが、鬯は、漢字の部首で「ちょう」と読むという。(音読み チョウ 訓読み においざけ・のびる)。初め、憂鬱の鬱のイメージを思い浮かべた。確かに鬱はこの部首を含んでいる。初句は、音数ではなく視覚的な文字数5と

見なされている。春の萌え出したり花咲く街路を鬱を思わせる「鬯」の視覚的イメージ(意味)で受け止め表現したものか。一方、宮沢賢治の詩「疾中」の中の〔丁丁丁丁丁〕という詩は、「丁」(ちょう、てい)などを普通の意味ではなく音として用いて効果的に表現している。



何にでも始まりがあるはずだが、ネトウヨが、自分と同じ考えではない者や反対者をすぐ「左翼」とか言うのはどこから始まったのだろうか。もしかして自分たちは絶対的に正しいという妄想を持っているここからかもしれないとふと思った。故ネトウヨの大将もここと深いつながりみたいだし。



2022/08/14
現代短歌bot@gendai_tanka
カーテンのすきまから射す光線を手紙かとおもって拾おうとした  早坂類


カーテン-手紙ということから考えると、場面は、慣れている〈わたし〉の部屋でありカーテンだろう。郵便受けは別にあるはずだから、この歌が思い付きの主に頭(概念)で作られたものでないとすれば、〈わたし〉の不安定で不安な存在感の表出になっている歌ということになる。



ネット右派はいかにして生まれたか【前編】【後編】 伊藤 昌亮
https://www.toibito.com/interview/social-science/sociology/2956
https://www.toibito.com/interview/social-science/sociology/2961

※現在のSNS界の、新たな混沌とした状況を「考える」参考になると思います。


【後編】の文章の中の、小見出し「戦略としての反知性」、妙に説得されてしまった。しかし、邪なことが人間の主流を占め続けることはあり得ないから、いつかは流れが反転するだろう。

――真実かどうかではなく、使えるかどうかが情報の価値を決めているのであれば、SNSに陰謀論があふれるのもうなずけますね。
 かれらはそれが本当だと思っているのではなく、本当だと思っているふりをしているきらいがあり、それがフェイクの増殖する大きな要因にもなっています。本当かどうかを確かめるのはめんどくさいし、そういうのはそもそも――攻撃対象である――知識階級の仕事なので、そこで勝負をしても勝てない。だから実証なんかしないんだと。知識階級に対抗するためにあえて反知性的な態度をとっているところがあって、恐ろしいことに、それがかれらの「知」なんですよ。

――だとすると、たとえばトランプ元大統領の発言に対して左派系のメディアがいくらファクトチェックをしたところで、支持者にとっては痛くもかゆくもないわけですね。

 そう。次から次へと新しいものが投入される。それは別に陰謀だろうと虚偽だろうと構わない。それが自分たちの作戦なんだと思っている以上、もう勝ちようがない。メディアや知識階級は負けるべく宿命付けられているところがあって、それはやはり恐ろしいことですよね。

――議論自体が成り立たないというか、そもそも議論の土俵に立つ気がない。

 議論をしたら負けるから議論はしない。事実かどうか検証するということも含め、実証的に考えるという行為自体を否定してしまっている。議論や検証をするのは知識階級であり、その存在を否定したいから、知を創出する手続き自体を無視するんです。



2022/08/15
現代短歌bot@gendai_tanka
青春はみづきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき  高野公彦


「みづき」は樹木か。青春期は誰もが通る。その渦中では制御しがたい鬱屈もある。この歌にはその鬱屈はなく、さわやかさと遙かな希望のイメージの青春か。青春期の渦中から内からはなかなか表現し難いから、青春期を後に振り返った歌だろう。



現代短歌bot@gendai_tanka
電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、って言って言って言ってよ  東直子


日常のこんなささいなこと(ささいなこと?)も歌にできるなんて、歌にするなんて、という作品。


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3846-3849

2022年09月29日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3846
相手の言葉に へー(ゲル)と言ってしまう
井戸端の会話が
知識汚染されている



3847
「彼 ぽかんとしてるね」
(ポアンカレか・・・)
話者たちの言葉の出自が入り乱れている



3848
見た目聞いた耳では
(なんか違う・・・)
言葉の地域差位相の差が一瞬に感じ取れる



3849
ヘーゲルの止揚という概念は・・・
(しようねえ・・・)
ぼくならどうしようかなあ


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3842-3845

2022年09月28日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3842
一時の心解(ほど)けた
岸辺にも
やって来るやって来る 内から外から



3843
悩み悩まん悩めども悩もうぞ
と悩みが尽きない
日々もあり 日につなぎとめられている



3844
集めるともなく心の足どりが
負の札ばかり
集めていると裏側に抜けていく



3845
もうそこはビョーキというほかない
沼地から
無数の見えない糸がなびいてくる


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3838-3841

2022年09月27日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3838
きみも帰って行く あなたも
帰って行く
一日が沈み始める頃みんなが帰って行く



3839
なぜ帰って行くの?なんて
問うこともなく
少し軽やかに帰って行くのである



3840
帰り着けば窮屈を着慣れた
服は脱いで
心の足を投げ出すんだ



3841
スンダスンダスンダランド
ああビールがうまい
出かける明日につながれていても 一時だけは


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3834-3837

2022年09月26日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3834
農作業をしていると
心は無心に
社会のほうから退いている



3835
挑発的なゴチック言葉を
書き飛ばしている
SNS人間のことも考えることなく



3836
二人の世界や三人以上の世界から
解(ほど)けて
ただ無心にハブ茶を摘んでいる



3837
ヘンなSNS人間にも生(なま)の生活があり
みな同(おんな)じような顔をしている
と思えば少しは許せるかもしれないと思うのだ


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3830-3833

2022年09月25日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3830
心が言葉場を志向し
ひとつの言葉が選ばれる
それでも言の葉だから揺れている



3831
ひとつの言葉に定まっても
言葉は微かな
(こんなわたしでいいのかな)と不安を抱えている



3832
圏外からの風に揺れている
言葉は
圏内と圏外の境界に立っている



3833
(決めるのはわたしではない けど)
意味に浸透され意味に押され
心は踏み迷っている


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3826-3829

2022年09月24日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3826
無意味の秋 「無意味の秋」か
人間界のはずれ
きみは中空を見つめてばかりいるね



3827
意味は人間界のはずれで
有意味も無意味も
粉々に崩れ始める こぎみいいかい?



3828
透明でひんやりした
心の手が
圏外の中空に差し出されているね



3829
あれもよしそれもよし
かなしい煩悩具足の輩(ともがら)よ
歎異鈔の親鸞の言葉が響いているよ


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3822-3825

2022年09月23日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3822
言葉にも暗い意味の
裏通りがあり
濁りぶくぶく泡立っている



3823
秋風が下りている
空気も
いい感じに言葉の肌を流れ下る



3824
暗い意味は透明で軽そう
でもブラックホール
から抜け出せそうにない



3825
閉じた さびしい
暗い意味は だから
圏外に生きるのである


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3818-3821

2022年09月22日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3818
慌ただしく服を着て
出かけて行く
避けられない用事の日もある



3819
言葉もまたその速度とともに
羽を閉じて
黙々と流れに乗っていく



3820
ああそうかそこは
そうだったんだね
言葉は目の前のものから離れない



3821
そんな遠出をしない
日々の時間の
流れの渦中にとどまる言葉もある