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ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

子どもでもわかる世界論 7.主流ということ

2018年10月22日 | 詩集
 子どもでもわかる世界論
  ―宇宙・大いなる自然・人間世界論


 7.主流ということ


 人間の歴史を川の流れに例えてみると、人間という存在の持つ本質的な性格によってもたらされるものが歴史の主流をなしていると見ることができるように思います。もちろん、一時的に支流が主流のように振る舞ってしまうこともあり、人間社会に良くない出来事が続いてその主流が茶色く濁ってしまうこともあります。

 この主流ということは、歴史の推移に関することだけではなく、現在のわたしたちの日々の生活の中でぶつかるいろいろな問題の推移に関しても言えることです。ここでは、歴史の主流を中心に考えてみます。

 どちらかと言えば、人間の歴史の主流は潜在的な姿で歴史の流れの底流を流れているように思います。それはどうしてかと言えば、人間という存在の持つ本質的な性格によってもたらされるものが歴史の主流と言いましたが、これは一部の権力者や官僚層や文化人などが決めるものではなく、大多数の普通の生活者が決めるものだからです。そして、その大多数の普通の生活者が、まだまだ主人公として政治や経済や文化などあらゆる分野で歴史の表舞台に十分に登場できていないからです。

 吉本隆明さんは、歴史の大きな動因として「歴史の無意識」という言葉を使いました。人間という存在の持つ本質的な性格によって、途中で紆余曲折があったり支流が表舞台に居座ったりして時間がかかったとしても、最終的には大多数の人間がそうした方が良いだろうと思われる方に歴史は流れていくということです。このような「歴史の無意識」は、わたしの言葉で言えば、今までのところ潜在的な姿で歴史の流れの底流を流れ続けている人間の歴史の主流と同じものだと思われます。

 わたしたちは、日々生活している現場に寄せてくる諸問題に関しては、それらになんとか対処しようとあれこれ考えたり行動したりします。しかし、「なるようになるさ」という格言のような言葉もあるように、人間関係でも取り組む課題でもわたしたちがジタバタしてもどうにもならないことがあります。わたしたちが、無用なジタバタや悩み苦しみに陥(おちい)らないためには、この社会や歴史のほんとうの主流を見定めることは大切なことだと思います。それは上に述べたような理由で、現在の社会の中に普通に漂っているものの感じ方や考え方とは違うことが多いです。したがって、この世界のほんとうの主流を捉えることは難しいですが、むろん手がかりはあります。わたしたちがこんな人間関係が理想的だなとかこんな生活できたらいいななど、わたしたちが理想とはほど遠い現実の日々の生活の中でもがき苦しみながら理想のイメージを思い描くとき、わたしたちはその歴史の主流に浸かっているのです。

 わたしの好きなギリシアの哲学者エピクロスは、今から二千数百年前に、この世界で快く生きることとこの世界での無用な苦しみから逃れるために、この世界をよく知ることともに魂の平静ということを大事なこととして語っています。このつながりで言えば、この社会や歴史のほんとうの主流をつかむことはわたしたちができるだけ無用な苦しみから開放されることにつながっています。そして、このエピクロスの思想は、現在にも通用するものだと思います。つまり、わたしたちの誰でも思いつきそうな単純なことに見えますが、それは人間の本性をよく知り抜いた上の言葉で、二千数百年経った今でも生きている言葉や考え方です。

 次に述べることは、柳田国男や吉本隆明さんがすでに述べていることですが、わたしなりにそれを捉え返してわたしの言葉で言えば次のようになります。

 なぜわたしたちは、わたしたち人類の遙か太古や過去の足跡やそこでの思い悩み喜び考えなどをたどろうとするのでしょう。単なる知的な好奇心からということを除けば、それはわたしたちが未来に向けてよりよく生きようとすることと同じだと思います。同じつまづきやまちがいをくり返さないためには、わたしたち人類の過去をよく知ることが大切だからです。

 この未来に向けて遙かな過去を探ることも、潜在的な姿で歴史の流れの底流を流れ続けている人間の歴史の主流を探ることと同じことです。

 こうしたことは、ある人の生涯の内に解決が付くこともあれば、いじめ問題や戦争の問題などのように生涯の内にはなかなか解決できなくて人類の永続的な課題であり続けることもあります。しかし、人間は課題を解きながら次々にバトンタッチをしていく存在です。なぜならそれが人間の真の主流だからです。

詩集 人のあわい

2016年03月19日 | 詩集

 詩集 人のあわい
 

 
目次
 
 
 
 題 名 掲載日
 
① ここにあったものが 2010.02.13
 
② あれは 2010.04.01
 
③ 木肌に触れる 2010.04.19
 
④ ちがうおなじ、星のきらめき
(2010年8月詩より) 2010.08.31
 
⑤ 気難しい 2010.09.07
 
⑥ 色ふくらみちぢみながれだす 2010.09.09
 
⑦ ひとには 2010.09.23
 
⑧ ふとした出会い 2010.10.11
 
⑨ あく 2010.10.20
 
⑩ 信じて いいな この肌合い の流れは 2010.10.25
 
⑪ ……が芽吹いていれば 2010.11.13






 ①


 ここにあったものが


ここにあったものが
ない
ないということは
こころころころ落ち着かない
ころがっていって加速され
ないの重たい小舟に乗り 沼地に足取られ
沈んでいく
(ああ あ あああああ)
ああ亜阿吾唖唖唖

そこはなんともいえない 深い淵で
服もじっとり濡れて 息も荒い
どこか母の匂いもするが
靄がかかっていて
はっきりしない
どこにやったのかなあ
あそこでもないし ここでもない
不機嫌になる
こころが重みを増す
おもいおもい
(重いやんか)
どんよりの曇り空
うつむいて
沈む

よく捜してみたら はは
ここに あるじゃん
ということもあり
けれど 日を追うように
言葉の葉は向こうに伸びていて
大らかににはなれないんだよなあ
な ぜ か
食べ物の好き嫌いみたいに
屈折する
沈む

ある

いう
こと

たとえば乱雑に積み上げた本たちでも
それぞれの場所にいて
しぶい顔したり
微かに微笑んだり
がんこなまでに何かを拒んだりして
置かれている
置いている
置い

いる
わたしの密かな川縁

ある

いうことの流れ
流れ 交わり 溶け出し 跳ね
気づくことなく
歩き回っているリズム

ひとつの ちいさなこと
ここにない

ここにある

川底深く沈んでいって 匂い立つ
折れ曲がって
わたしの密かな川縁の方へ
良くも悪くも そこ
(どこよ?)
そこだよなあ







 あれは


あれはどこあったかな?

流れ去った話の 余韻に当たって
あれが形をなすこともあれば
あれのまま霞んでいることもある

あれ あれ どうなった?

あれがわりと慣れ親しんだ小高い丘を越えて
戻ってくる
微かに塩味のするときもあれば
まだよくわからない甘味の時もある

霊能者に頼らなくても
あれが形なす
ことがある
木肌の繊維がなびいて
流れる
流れと 流れとが
ひとつの場へ
滲んでいく 滲み合う
ひとつの言葉が
揺らぎ立つ場に着地すると
またひとつの言葉が
淡い色たなびき 浮き立ってくる







 木肌に触れる


言葉が交わされている
言葉にも滲んではいるが
木肌の匂いがする
木肌が 流れている
それぞれの年輪の浸透圧が
いま ここ
を不安や心地よさやふつうに揺する

言葉と言葉が交わされている
木肌が揺れる
触れる
反れる
流れ出す
撤退する
うずくまる
流れ出す

二色(ふたいろ)の言葉は
年輪の 刻まれ方 刻み方
流れ出す屈折率
ずいぶん異なってはいても
流れ出すならいい
純度は高くなくとも
ぼおっと 木肌の滲み合う
初夏の新芽の
みどりの







 ちがうおなじ、星のきらめき


あなたとわたしは
違う ちがうなあ
生まれも育ちも
違う ちがうなあ

あなたとわたしは
同じ おんなじだ
生まれ育ち大気を呼吸して
同じ おんなじだ

わたしについても
違う ちがうなあ
内と外 内から流れ出したら
違う ちがうなあ

わたしのことは
同じ おんなじだ
相変わらずを繰り返していて
同じ おんなじだ

内在と外在
内の流れと外からのまなざしの流れ
厚い浸透膜に隔てられ
しっくりこない関係に終わることが多いけど
時には
新しい朝を呼び込むように
双方から かすかに 滲み出し
星のちいさなきらめきを感じていることもある







 気難しい


例えばたくさんの言葉が消費されても
二つの流れしかなくて
流れが
混じり合ったり
溶け出したり
染み込んだりしながら
降りてくる靄(もや)
に浮かぶ二艘の小舟
流れうねり波頭が立つ

流れを 感じ 分け 追う ているものがある

二つの流れしかなくても
知らぬ間に いろんなものが
暗い水底(みなぞこ)から
魔術のように湧き消えするから
小舟は揺れ揺られ
靄の中 流る流れを感じ分け追うてしまうのはくたびれる
権利や義務でもない
仁愛でもない
もののあはれでもなく
ないようであるような
深い靄の中から
流れうねり呼び応え流れくるものがある

流れを 感じ 分け 追う ているものがある

流れながら
流され流れ 流れ流され
流れを追っていると
深い水底から繰り出される魔術みたい
唐突だな
わからない
むずかしい
ということが
自然と気むずかしい表情に流れている







 色ふくらみちぢみながれだす


背が静まりかえっていても
赤い
あかいねえ
肌に溶けて
くうきの深みでは
ああああ くわぁくわぁくわぁ
ぅああくわぁ
渦巻 まきまき うねり出す

隣の背も静まりかえっている
青い
あおいねえ
くうきの深みでは
ぉおおぉおぉぉ おぉ
渦巻 まきまき うねり込む

隣り合って
くうきの深みでは
赤と青とが混じり合い 反り 波頭が立つ
呼吸に従い
紫だちたる雲の細くたなびき たなびく (註)

(うおっほ)
(今なんか言った?)
(いや 別に)
(そお……)

(註) 枕草子 第一段より 







 ひとには


ひとには
ひとりひとり
言いようもないことがあって
伝える気はなくても
このきもち
だれにも伝わらないかも
流れの中 水圧を感じながら
うねりゆく

ひとには
ひとりひとり
伝えようもない痛みがあって
伝える気はなくても
この痛み
伝わらないかも
寄せ来る 言葉や音楽を
かき分けゆく

ひとには
ひとりひとり
言葉にならない喜びがあって
言葉に織り込めなくても
いいなあ これ
と風にほほえむばかり

ひとりひとり
樹木の 匂う流れから下り立った
遠おい おぼろな記憶を背に
ころがりゆく
大きく脈打つ幻の軌跡に添って
喜と苦の言葉の丘陵を下ってゆく

きもちいい
ことも
きもちわるい
ことも
囲い込まれ 生えている草々に
織り込まれ 織り込みながら
ちいさく脈打ち
下ってゆく
その息づかいの







 ふとした出会い


(ゆっくりと顔を向ける

見知った
顔)
(一瞬
流れ
が二重化する)

スーパーで歩き回っている
顔を流している
顔を流れている
内向きの
我知らず
(これいい これいらない ちょっと高いなあ あ この匂い)
流れ出して
たぶん顔に出ている
それは別にかまやしないが

ゆっくりと顔を向けると
見知った顔
(瞬時ニ 顔ガ転換シテイル)
流れが変わってしまって
先ほどの内向きの流れがたどれない
(これ・いい これ・いらない ちょっと・高い・なあ あ この・匂い)
とりあえず
こんにちわあ
と流れ出している
流れている






 あく


ひとには
灰汁(あく)のようなものがあって
言葉に滲んでいる
流れ寄せ湧き立ち匂う ぬったりした場の圧に
からだの 奥深い流れから
誘い出され くねくね絞り込み
同じ丘陵には違いないが
その家の 同じ食べもの
その地の 同じ人の空気
織り合わされた匂い羽織り
ひとりひとり固有の流線引き絞り
下ってくる

飽くにもなれば
悪にもなる
明苦にも空苦にも唖苦にも……
あくまでも
背負った流れ それぞれに
果てまで
流れきろうとする
押し分け掻き分け 擦り傷 血滲み
どこかよそいきの〈法〉を超え
子どものように突き進む 突き進む
あくの立ち込める闇夜である

あくは察知する
あくは結合する
あくは交換する
(たくさんの人柱の伝説は
特攻隊の存在と同じでは
という疑念を打ち払えない)
あくが凝り固まり 凝集するとこわい流れになる
遠い遠い 闇夜
瀕死のからだ
ひかりのトンネルをなんどもなんども潜って
異様なリアル 手肌を流れ
人々集いうごめき
分かち合う
(ほんとだぜ ほんとうだ)
(粗い縄目の生動する)
〈宗教〉や〈神〉の生誕
かぜ
つき
とり
はな
自然界に木霊する
手品のように反転し
人の位階の発生
(いろんな縄目がおり重なり)
人界に成長し 人界を駆け巡り




我が物顔に度重なる転居や様式の
反復疲労 息も荒い
(織り重なりゆく接合部の 風にひらひら)
異様なリアル
今も人の肌合いや霊能者のおしゃべりに沈んでいる
新たなリアル
今や くたびれた脳の電子回路の探索に忙しい
システム 稼働 交換 結合 効率……
あくの結合手が幻肢のようにうちふるえ
あく いま ここの あくの凝集するかたち
あくまでも
流れ突き進む

満月でなくても
ほんの少しの月明かりが射してきたら
ひとり
察知するあく
(ひとり ひかり てらされ)
固い繊維の糸いとが水温(ぬる)み
あくが溶け出す
ことはある
今下って来た道を
振り返り
(ひとり ひかり てらされ)
自己嫌悪に押されるように
たどり直すことはある

少しずつ 少しずつ
あくも変貌する
場の圧に 危うい
バランスを取りながら
月明かりに
悪夢のような流れの果てを
反芻する
からだから あたまへわたる
深い時間が揺らいでいる
人の苦と言うには
余りに生々しい
あくの
月明かり あくの







 (信じて いいな この肌合い の流れは)


(川上から
とっても大きな桃が
流れてくる)
夢現の流れの中
ほんまもん
君真物(きんまもん)
かなしい作為が事実の肌ふるわせた
(そんなことではなくて……)

(本日こういう事件がありました)
まぼろしのドームを仮設し 大気震わせ
言葉や映像は
醒めたり ぼんやりしたりした作為たち
に染め上げられ
明るく楽しげに あるいは深刻そうに
無理強いの伝言ゲームみたいに
流れてくる
かなしい作為の
脳の回路に呼び込まれる古びた情緒
おう のう!
(そんなことではなくて……)

長らく付き合ってきた
わずかな知り合いたちの
仕草や顔の表情には
それぞれの くぐりぬけきた
肌合いの流れがあって
ひとは 急に寄せ来る急激な場面の転換には
きゅうきゅうと
何をするかわからないものではあっても
まぼろしの境界
そこ 寄せ来る流れに波頭が立つ
踏み固められたちいさな中間地帯 ひとりの
いま ここの その色合い その流れ
は信じていいな
というこの流れがある
つぶやきは 溶けたちいさな泡の流れ
言葉にしても仕方がない
岩場の大きな石に
一緒に腰掛け
きらきらひかる水面に
目をやったりやらなかったり
ゆらゆら足を流れに漬けている







 ……が芽吹いていれば


(ながれる ながれて いる)
流れから 這い上がって
流れを振り返る
水気 滴っている
日差しに少し映えて
こぼれ出る言葉
のからだを流れ下る

分厚い一冊の本でも
ネクタイ締め背広着た長い長い話でも
言葉のからだを流れる
枯れたみどりの破片の中に
しみわたるわずかの水気があって
歩み来た時間の頂から
まぼろしみたいに
……が
あり
……が
みどりに芽吹いていれば

しゃべったり
だまっていたり
はしゃいだり
していても
だれもが
まぼろしみたいに
……の海に漬かっている
遠く過ぎ去った5月人形の
埃をかぶって
押し入れの奥深く仕舞い込まれていても
いくぶん気恥ずかしげな晴れがましさ
かたちを変えて
言葉のからだに響くくらいには
滲み出していれば

日差しを受けて
波は寄せている

まぼろしみたいな
つややかなみどりに匂う
……のながれ
人界に引き込まれた
……のながれ
苦しげに
ひとつひとつのみどりが明滅する

明滅する頭脳の都市の
くたびれて帰っていく場所では
ひとり
ひとりふたり
あるいは
ひとりふたりさんにん
日差しを浴びて
いっとき
散歩途中のようにゆったり佇んでいる


詩集 ひらく童話詩

2016年03月18日 | 詩集

 詩集 ひらく童話詩


 
目次
 
 
 
 題 名   掲載日
 
1 生きていくワレサ (2007年4月詩より) 2010.06.24
 
2 草刈りに行く ① (2007年12月詩より) 2010.07.21
 
3 草刈りに行く ③ (2008年7月詩より) 2010.07.21
 
4 草刈りに行く ⑦ ―春 の (2009年2月詩より) 2010.07.21
 
5 歩く 2009.07.19
 
6 言葉みたいなものから、ひらく童話 ①
 この子は 2009.08.02
 
7 言葉みたいなものから、ひらく童話 ②
 まぼろしの木 2009.08.02
 
8 気配のネコ 2009.08.10
 
9 通り道 2009.08.10
 
10 手をひらく 2009.08.31
 
11 簡単に言えば 2009.09.06
 
12 みんな 2009.11.02
 
13 混じりゆく言葉の色は 2009.12.11
 
14 言葉たちの岸辺で 2010.01.14
 
15 曲がる 2010.01.25
 
16 春の ―三層のレッスン 2010.03.18
 
17 触れる 2010.03.18

 

18 宇宙の話 2010.04.06
 
19 あ う ―多田富雄『寡黙なる巨人』に触れ 2010.04.06
 
20 音楽を聴く  ―三層のレッスン 2010.05.01
 
21 はるの みどりの
 (2010年4月詩「草刈りに行く⑪より) 2010.05.01
 
22 深い日差しに反照する多層性の言葉 2011.04.24
 
23 一人ならば泣きたいやうで (2011年4月詩より) 2011.12.19






 生きていくワレサ
   ―2007年4月7日 朝日新聞のレフ・ワレサのインタビュー記事を読んで


ワレサは生きていく 昨日と同じように

朝 あついコーヒーを飲む
一口飲むと 香りが
辺りに微かに広がっていく
言葉の手前の駅 にぎやかだが 
誰もが無口で 沈黙のうねり うねる

ワレサは生きていく 昨日と同じように

新聞を広げ 今日のニュースを追っていく
遠い数々の記憶の痛みとともに
からだの中を次々と寡黙な地図が広がっていく
様々な起伏の にぎやかな 沈黙の地形図
なつかしい音色で こどもたちの楽隊も通っていく
通りで交わす あいさつ
交換には沈黙の紙幣がさしだされる
しわしわの 使い古された 年輪の
(今日もお元気で)

ワレサは生きていく 昨日と同じように
沈黙の深みの中で 信心深い沈黙も
今ではずいぶん磨り減ってきた
(それはそれでいいさ)
グローバリズムが 沈黙の地形を
縫うように うねって行く
(それはそれでいいさ・・・・)
あんまり語られることのなかった 言葉の手前の駅
どこからか古い年輪の木の香りがする
今日の朝 きみはどこへ出立するのかい
どこへ行っても 金さえあれば困らないけど
なじみのワインとパンはもっていったがいい

ワレサは生きていく 昨日と同じように
欠かさず お祈りを上げる
太いちいさな声で つぶやくように
古い年輪の木の香り
朝のコーヒーの 残り香に漂う


註.この詩は、2007年4月掲載の詩で、二十数年ぶりにふたたび
  詩を書き出した最初の詩です。(この間、数篇は書いていますが)
  わたしにとっては、愛着があります。

註としての詩

 言葉の手前の駅

人の世界と同じように
言葉は乗り物を作り出し 駅を作った
まだ入り込めない場所もあるが
今では たくさんの人人が
自由に好きな乗り物に乗り
好きな駅で乗り降りしたり
車窓から流れる風景を眺めたり
駅で買い物したり交換しあったり
している
ように見える

駅裏やレールから見上げると
好きな 自由に というのも
どこか違うように感じる
日々の慌ただしさの底の方で
ほんとうは
どんなこころの色合いで
どんな動機から
接続しようとしているのか
その流れ その源流の うねりの

ある遠い昔
この島嶼を駆け巡る人人もあったかもしれないが
乗り物や駅とはほとんど縁のない人人
が大多数だった
牛やヤギやニワトリに乗って
それぞれの地を
巡回し 巡回し 巡回する
時にはあいさつを交わし合う
大きな不安は大地のささやき
秋や冬の踊りは尋常ではなかった
それはそれで
駅もあったし別の乗り物もあった
言うに言われぬつながりもあった
その地に引き込まれ
引き出される
言葉もあった
隣村との抗争もあった
またその現在にいたる霞んだ由緒もあった

時が大きく移り変わっても
反復されるのは
からだに染みついた接続の系譜
ヤクザな者も はにかみがちの者も 浮かれ女も
溶け合って
それぞれに巡礼する
深い日差しを背に受け
そのにぎやかな語らいや
韓流スターへの好奇のまなざし


いつの時も
まなざし深こう
流れがある
生まれては消え また生まれては消え
逆巻き 混じり合い 流れ出す
慌ただしく形なす流れを じっと感じる樹木みたいな
言葉の手前の駅裏の
共鳴する 交叉する 異和する
流れる言葉の







 草刈りに行く ①


草刈りに行く
父の遺した畑の草刈りに行く
草刈りして 畑に何かを育てようというわけではない
草刈りに行く
ことを説明するのは
自分の中でもむずかしい
草刈りに行く

草を刈る
毎年同じ草が生えるわけではない
草を刈る
冬枯れの後に 春先から盛んに芽を出す
どのようないのちの冬ごもりや引渡しがあったのか
日を求めて勢力争いするように 生えている草々
日に群れる 溶け合う輪郭たち
草を刈る

草を刈る 草を刈る
年だねえ すぐにへたばってしまう
暑い大気に息切れして
疲れたら一休み
ペットボトルのお茶を飲む
(熾烈な製造・販売競争の渦中から
生み出された一つの作品?
黙々たる 沈黙の言葉たちは商品として実を結び 売り渡され
けれど それは関係ない 今は)
ただ いい気分を流れていく
思いは流れ

向こうの 川縁の林の木々は
小さい頃見かけた木々か
どのような変転の物語があったのか
深く呼吸する

どこか 呼吸する父を感じる
けれど 畑が好きだったようには
呼吸していない
その微妙な差異は
どこで出会うのだろうか

父というものはいつも沈黙の稜線からくだっていって
哀れげだ
けれど この一時の憩いの中に
流れ来るものは何だろう
出会いはいつも
遅れてやってくる
時間の深みからひとつの植物が芽を出すように
この 微かに
あふれるくるものは

草刈りは 半ば
うまく出会えなかった父へのあいさつかもしれない
また半ば
知らぬ間に 刈ってくれたりしている ひとびとへのあいさつかもしれない (註)
かぁ かああ かぁ
烏が遠い昔風に大気を震わす

暑い夏の日差しのなか
言葉の階段を少し降りていくと
ことばたちが溶け出している
この世界の手前で
何者でもなかった ちいさなことばたち
木々に身を寄せ 風に揺れ
沈黙に憩ったり 沈黙から波立たせたり

草刈りを終えて
遠いまなざし ゆっくりと畳まれ
て還ってくる
服には草の種をつけて
この世界の
いくつもの関所を越えて
くたびれたことばたちとともに
夕暮れ時の 大気には
透き通る木々の滴たちが
どこか 滲んでいる



(註)2010.7.3

 よく考えてみたら、畑の際にはどのように都合したものか
大きさのそろってない石が積んであり、40㎝ばかりの石垣に
なっている。そこから土手が1m50㎝ほどの斜面になって道路
の方に下っている。たぶん、土手の所有はわたしの方ではな
い。しかし、市の担当ばかりが土手の草刈りをやっていると
は感じられないふしがある。わたしは土地(田畑)にはそれほ
ど執着はないが、自分の畑の際の土手の草刈りは自分で刈る
のが普通だろう、と自分が刈る。まわりの田畑もたぶんみな
そういう風になっている。







 草刈りに行く ③


草刈りしてると
二三人は通りかかる
今日もまた
二人連れの野良着姿のばあちゃんたち
が通りかかる

草がよお生えてるねえ
(・・・)
おじいちゃんがよお畑にきよんしゃったけど
(・・・・・・・・・・・)
ああ もうはっててしまいんしゃったね そおねえ
(・・・)

知らない人である

沈黙の手はいくぶん開いて
漂う
あてどない探索の言葉の手が
刈った草に染み
日の光に溶けて
薄赤く
流れ 下る








 草刈りに行く ⑦  ―春 の


今日もまた
竹を伐り倒し 伐り倒し
一息ついている
ここで

たばこも
みかんも
ひとしおうまくて
ふと見上げると
梅の花が咲いている

主(あるじ)なき後も
梅の花は咲いて
いる

梅 の ……

手を濡らして
言葉の下水(したみず)を辿ってみる

今年も
(うめ(の(はなが(さい(とる(よ))))))
春 の








 歩く



小さい頃
町の辺りはアスファルトがあったのかもしれないけど
歩くのは
まだ土の道ばかりで
石ころを蹴り転がしながら
歩いたことがある

おつかいか貸本屋か駄菓子屋か
あては片隅にあるのだが
今は 歩いている
石ころを蹴り転がしながら


はた目には
切り取られた風景の
歩いているどこどこん家(ち)の子ども・・・・

たぶん
人には自分でもよく気づかない
癖があって
歩いている
一二三 二三四 三四一
今では土ぼこりは見えないけど
相変わらず
土ぼこり巻き上げ 巻き込み
石ころを蹴り転がしながら
歩いているよ







 言葉みたいなものから、ひらく童話 ①
 この子は


どんなお子さんですか

あのう
この
(こういう ああいう そういう……
どういう?
こう そお ああ
日をあびて あびあびて
あびてたねえ……
流れ 下る
古い柱に触れて 曲がって
流れ下ってくる
こちらの放つ匂い 受け
漂い 放つ 匂い
それはもう 憎たらしいこともおぼえてしまっているけど
放つ匂いの 時折 照れ映えて
わたしのまなざし 流れ下る)
子は
活発な子です

たどっているのは
どんな言葉の細道か
吸引されて 恥ずかしくないよそ行き服を慌て探し出し
漂う くうき 振り切って
着込んでくる
言葉は







 言葉みたいなものから、ひらく童話②
 まぼろしの木



日々のくりかえしに
いくぶんしなりながら
いや いや
しな り しな るる しな れ
すこし立て付けの悪くなったドア
からドラえもんみたいに
抜け出ていくわけではない
例えば 輪にまじり
うまく織れない折り鶴を織って
青空へ飛ばしてみようと思ったこともあった
子どもの日々の
折れ返すしずくは
積もり積もって
まぼろしの
小さな枝葉となり
ぼんやりと眺める
(年に二三度だったが
窮屈な背広を着込まなくなって久しい
撤退した前線にも梅雨前線ははげしく雨を降り注ぐ)
庭先に
ひとつの木が
浮かぶ
日々につながり ときには空模様を気がけ
いや いや
よくわけもわからず日を縫うように
真っ直ぐに行ったり 右や左に折れたり
石ころ蹴りながら
年を重ねた
年輪の 織り織られ ゆく
今 日に焼けた木肌が 
立ち上る雨の匂いに 呼吸している

その息づかい







 気配のネコ



もうそろそろ
外に出てもらおうかな


もち
傾き始めると
気配に反応する
ような
ネコ
白い毛並みの流線沿いに
通路がどこかにあって
くうきの流れに 漂い なびき 揺れる 
よ う な








 通り道



立て付けの悪くなったドアを押して
やって来るのはだれ?
人は ふだん振り返ることもなく
足跡を刻んでいるが
足跡のリズムに
深く感応するのはノラネコのしろ
物音には敏感で 察知する耳のからだ

ネコにも好きな場所好きな通り道があって
好きなようにしている
みたい
こちらの思惑(おもわく)を超えて
ときおり みゃあと下ってくる
食事したいばかりではない
通り沿いに なにか

なにか なあ
言葉に固まりゆかない 流れ
人の気づかない下りがある






10

 手をひらく


日々閉じたり開いたりしているはずだが
手をひらく
とふしぎな光景が広がる
わけではない

手をひらく

何かがひらく
ことがある
結んでしまっても
ひらいたものは閉じないで
ひらひらチョウの羽ばたきする
流れ 下る 上る 曲がる


それは
なじみの丘陵
風が
手肌を流れる
半ば 知り合いとの久しぶりの出会いの言葉のよう
半ば 見知らぬ人との出会いの顔つきのよう
溶け合って ぎくしゃく流れている





11

 簡単に言えば


簡単に言えば
いろは っていうこと?
色は匂へど
散りぬるを

じゃあ
簡単に言って
あいうえ ってこと?
愛飢え男
柿食け子

簡単に言うよ
孤独でしょ

うーん
それなら 簡単に言って
どういうこと?

ひとり 開放系のようだが
穴の開いたオゾン層みたいに
はるか彼方に
色は匂い出す
色は
匂うばかりだが
いくつもの層を突き抜けて
簡単に言うには
匂う別れが辛い





12

 みんな



みんな知ってるよね
と言われても
みんな知ってるわけではないし
知ってても
みんな の向こう側で
ひとりひとりの色合いで
触れ 呼吸している
坂を上って きまじめな面持ちで
みんな に溶け込んでいく者もいる
得意げに みんな を振り回す者もいる
気恥ずかしそうに みんな に混じっている者もいる

みんな持ってるよ
と言われても
みんな持ってるわけではないし
持ってても
みんな に集合することなく
ひとりひとりの匂いで
染まり 踊り出し 放たれる
みんな をつまみ食いしたりしてる者もいる

み ん な
の踏み石を踏んで
どこに上り立つのか
誰でも上り立つときはある

風景の色や匂いが変成されている
(じろじろみんな)
と少し威圧的な手品師の素振りに
後ろ振り向き
じろじろ











なぜか
目が行ってしまう




それは








13

 混じりゆく言葉の色は


長らくこの地に住んでいる外人は
この地の言葉をしゃべるせいもあるだろうが
なぜかこの地の人に見えてくる
ふぁい それて どぉーゆーの
(Why ? Do you know?)
髪の色や顔かたち箸の上げ下ろしは
違うけど
この地に滲んでいる
この地が滲んでいる

成人して別の地域に住むようになると
ひとつひとつ 抗いと和解があり
しだいに その地の言葉に染まっていく
なんばしょっと?
(なんしよっとね)
新しい服の着心地から
脱いでは着 着ては脱いで
しだいに なじみゆく どこか
異和感が磨り減っていく

お互いの
微妙なずれは
少しずつ補正されて
互いの言葉も少しずつ変形していく
地から収穫したものの 交換の
からだに滲み降りてくる
影はひっそりと仕舞い込まれていく
微妙に新しい言葉はその地をなぞって は いる






14

 言葉たちの岸辺で


小高い丘陵の下る集落に
人が集まり 人は殖(ふ)え
日々の危うい風が今は心地よく流れ下る
ある者は
青みなす山から下り
ある者は
他所の集落を逃れ来て
混じり合って
新しく拓かれゆく地に
まばゆい陽を受けて
外来風の 福田
名が下ろされる
少しよそよそしい
したがってその名を口にするとき
人それぞれが背負ってきた
ことばが重畳され
ひとつの地に溶けてゆく

流れ出す言葉は
ひとつの虹色
の分布の中にそれぞれの息づかいがある

遠い時間の村で
きみの背から下ろした
青い海と
ぼくの背から下ろした
遠い海とが
互いのからだの芯の方で
溶け合って 流れ出す
遠い青い海になる
とおみ
(まあいいか
そんな感じだ)

軒先で生まれたひとつの言葉は
ひとのあわいを
ころがる ころがり
擦り切れたり泥が付いたり
いくつもの手が
こおろこおろとうち払って
とおみ
と落ち着いた
(異存はないですか)
(まあいいでしょう)

(アラフォーになっちゃった)
(あらふぉね)
(そおなのよ)
見知らぬ人が背から下ろした
雑誌や電波に乗って
すばやく列島を駆け抜け
新型インフルエンザみたいに伝染する
言葉の岸辺で
真新しい風を受けて
少しぎくしゃくしながらも
女たちが立ち話している





15

 
曲がる


(樹木は静かに風にそよいでいる)
ひとつの風 ひとつの光に
幹が揺らぎ
枝葉も揺れる
突き上げる生きものの匂い
流れ下る樹液の律動
あっ 熱い

風と光が溶け合い
枝葉がしなり
黄色く曲がる
赤く曲がる
黒く曲がる
色々曲がる

曲がる
みんなそれぞれの樹木となって
曲がっているのに
頭が変になったかと思ってしまう
きちんとガスの火は消えていたのに
何度も確認する
(くたびれていても まだ十分曲がっているぞ)
はは まがっているよ





16

 
春の ―三層のレッスン


ああ
(ゆっくり 右 右足から)
((あったかい なが ながれ ながれ る))

それは
(流線に 沿って 左右のバランス)
((湧いている あっち こっち どっち))

春の ちょう
(ゆるうり 踊り出す)
((あの 流れの 方へ))





17

 
触れる


数光年の
やわらいだ光から
ちいさな貯金箱を取り出す
なけなしの 言葉のしずくをはたいてみる
もはや 手に入れたい たかぶりの流れ
あるわけではない

遠おい 距離に 触れる
透き通って ひんやり
まるまったネコのように
静まる

息づかいと
流れは ある





18

 宇宙の話


宇宙の話をしている

宇宙の話をしてごらん
 でっかい 広い 果てしない
 お月さんの ずっとずっとずっと ずっうっと向こう
 ぎんが ぎんが ぎんが たくさんの銀河
 ビッグバンで生まれた
 よおわからん世界

じゃあ 目をつぶって宇宙の話をしてごらん
 まっくらな世界に星のまたたき
 そお 星は宇宙の船 ゆらゆら ゆらあり
 足の裏の 深あーい つながり
 そお けんけんして 地球にくっついたり離れたりしてても
 つながってる
 よおわからん暗闇

次は 踊りながら宇宙の話をしてごらん
 ゆれるゆれる 届かない
 まわるまわる うずまきまわる
 よおわからん揺れ

宇宙は人の話を聞いているかな?
 きいてる きいてる
 きいてないよ きいてない
 よおわからん話

じゃあ 次は給食だよ
当番の人 よろしくね

夜空を見上げても 見上げなくても
いろんな宇宙の話が
舞い降り 舞い上がる
そこから ここから あそこから
人工衛星から 針の穴から ケイタイから

宇宙の話をしている





19

 あ う
多田富雄『寡黙なる巨人』に触れ


あ う
とかしか言えなくても
言えなくなってしまっても
流れもあれば 渦も巻いている

カッコいいな
と言わなくても
言えなくなってしまっても
子どもも若者も大人も老人も傷ついた人も
流れもあれば 渦も巻いている

科学のおかげで
生きのびても
悔やみもあれば失意もある
そしてひとの日々のちいさな営みが
流れ 渦巻いている
あ う






20

 音楽を聴く ―三層のレッスン


そこからなじみの裏木戸がひらく
(らら ら らん らん ららら) 
((山 樹木 ひとつの小枝の 風に揺らぐ))

ああ から おお へ滲む ゆく ゆきわたる流れ
(らああら ら ららん らんらん)
((小枝の 小川にさす 流れ 跳ねるしぶき))

千々の根の ふるえる ふ る う
(らんらん ららん らあ らあ ららん)
((しずかに 流れ 大気に 響きわたる))





21


 はるの みどりの



家々の庭先や道端や畑や土手に
緑の色んな草が伸びている
目に入る
見てはいるが
流れ が ある

はるの みどりは
なつの みどりや
あきの みどりや
ふゆの みどりとも違う
はるの 外気や 風や 日差しが
波打ち 波打ち返し
みどりの はるの輪郭
土に生える
種々(くさぐさ)の事情を超えて
日差しに映える
流れ が ある

はる
みどりの色んな草が揺れている
瞬時に 次々と
目からはいるが
流れている
目をつむっていても匂い立つ
みどりの はる
はり くだけ ちる
木肌を流れる
みどりの
みぃ どお りぃ






22



 深い日差しに反照する多層性の言葉


日差しを浴びる。ひ ざ し を あ び て いる。この深い流れを下り上りうねる。このちいさな流れにしっくりくる歌がない、自然論がない、童話がない、食物論がない、衛生論がない、哲学がない、経済論がない、政治論がない、科学がない、いわば言葉がない。わずか数千年の言葉が主流のように流れている。深い日差しを浴びたこの大地の向こうでは、地球が宇宙空間で静かに呼吸していて、その鼓動が幻のように微かに浸透している。

人は誰も等しくその流れに棹さし呼吸している。感じている。匂っている。けれど、泡のように生起する言葉たちは、みな大気のような果てしなく繰り返され来た無意識から飛翔しているが、人界の特定の閉鎖系から湧き上がりその閉鎖系に帰り落ちていくようにみえる。錯綜とした言葉の地勢図には、故知らぬ重力場があって、ひとりそんなはずではと立ち止まる場所で、言葉は渦巻き屈折する、流れ出る言葉は、果てしなく積み重ねられ来た人智のベクトルには違いなかろうが、かび臭い定型の韻を踏む、作為を放つ、力線に酔っている。あるいは、良くも悪くも箸の上げ下ろしのようなかなしい遺伝に捕捉される。

定型の童話、しかし、わたしたちが生きている人界に生動する言葉は半分しか開かれていない。なにものかに平伏して、たとえば、手から箸へ持ち替えて食べる。日々生動して〈あ〉とか〈う〉とか舞い上がり舞い落ちていく言葉たちは、場違いな感じで掃き遠ざけられ、いまだ本格的に語られることのない、言葉の流れがたしかに生動する感じがある。深い日差しを浴びたある沈黙の肌合いの流れがある。それらすべてが言葉であるのはたしかであろうが、Aに対する非Aでもなく、Anでもなく、Aに被覆された未明のあるもの。初源の未だ小さな世界、ひとの誕生からひとつの流れへ引き絞るように遠く来てしまった。誕生以前や誕生にまつわることが消去されてしまったわけではない。主流から追い散らされるように反れていく反芻する流れは止むことはない。

別にそうでなくてもかまわないが、現在のビッグバン宇宙論が正しいと仮定して、たとえアニメの描くような、人類が宇宙へ飛び出し移住せざるをえない箱船の時が到来したとしても、また、この太陽系が終わりを迎えても、この現在の大いなる宇宙の終わりがあるのかどうか。この星々を含めてこの世界のあらゆるものが空間と時間の中に生誕から死にわたる生涯の律動を持つことを考えれば、この大いなる宇宙にも、終わりがあり、新たなビッグバンがありうるようにも思われる。あるいは、前宇宙も存在したのかもしれない。そして、その時間と呼ぶしかないものは、わたしたちのちいさな時間や言葉というものを超絶している。

けれど、そのような途方もない規模の時間について思い巡らすのは、超絶した空想のように思える。それをそう見なさないとすれば、動植物、わたしたち人間を含めた生きものの存在や人間の言葉という存在は、微妙な言い方だが、この宇宙と呼ばれる大いなる自然の内省のようなものに当たるのではないか。それは言葉や生命を途方もなく超えている。名付けようのないものというほかない。そして、わたしたち生きものや人間の言葉は、絶えずその内省としての自然からの反照を受けている。したがって、人間の言葉は、絶えず言葉から眺められる自然の像を更新し、深化することはできるかもしれないが、自然自体を宇宙を超えることはできない。言葉は言葉のようなものを含めて言葉を超えることは人間にとって無であり、絶えず更新していく他ない。人、ひとりひとりは短い生涯の律動を持ち、人間は自然との相互関係を通して自然を内在化し、自然をそして自らを現在において更新してゆく。無意識のように大きな流れのうねりの中で波頭を上げて、自然の像を絶えず深化していく、ということは人間の像を深化していく。このようなことは何なのか、それが空しく流れ下る問いにも関わらず、ちいさなちいさな局所的な時空において、わたしたちは絶えず問おうとする。親鸞の染みわたるように思い浮かべた「本願他力」という言葉が虹のようによぎっていく。

遠い昔の神々は、太陽の日差しや月明かりや遠い星々の天空からの光に照らされたこの大地の大いなる自然と人の世界を結ぶ橋だったのかもしれない。穏やかな微笑みの母、そして時折立ち塞がる気まぐれな猛威の母。人は橋を築き橋を行き来することによって、どのような世界を思い描いたのか。(そうして今、人はどのような世界を思い描こうとしているのか。)橋は生贄を求めるものと感受され、生贄を差し出すことによって自然の恵みや豊穣さにつながると見なされた。無数のからだ共鳴し、橋はくり返し補強されたり、造り直されたりしてきた。生贄から供物に変わってきても、なんらかのものを差し出すということに変わりはない。そして、人界が膨らみ形を整えて行くにしたがって、人間―自然の関係から生み出された橋は、人界の中に写像され権力と服従をまとった橋に二重化されてしまった。供物は貢納になり、人界のあらゆる諸関係は、ふいとどこからか湧き上がる権力線の流れから来る、贈与と支配の権力の管理と強制と誘惑とに無縁には存在できないようになってしまった。けれど、肌慣れた日差しや時間の中、白昼夢のように時折よぎっていく流れがある。

わたしたちは、日々食べ物を摂取し、それぞれの地の大気を呼吸し、それぞれの地の言葉を語り、生きている。そこでは、それぞれの地を連結し生動させる高度な現実的、幻想的な網の目が張り巡らされている。しかし、わたしたちは現在のそれぞれの地の具体性の中に大部分は埋没するように生きていて、人類の歩み築き上げてしまった歴史や宇宙のことなどはめったに考えることはない。しかし、どこか深いところでそれらの負荷や反照を受けていることは確かである。日々の慌ただしさの中、ふと訪れる沈黙の深みを流れ下るとき、わたしたちはたぶんそのことに肌触れているのだろう。けれど、わたしたちは、ちいさな世界に生まれ、ちいさな世界を黙々と旅して終わるのだろう。それでいい、それでいいではないか。というより、それが私たちの生存のあり方であろう。深い日差しを受けて、人界のちいさな場所でその苦と喜の韻を匂い触れ味わい流れ上り下る。

大いなる自然と生命、人間と自然、人間と人間、これらの諸関係の紡ぎ出され折り重なった織り成しの多層性の環界にわたしたちは生きている。ということは、人間は多層性を内在し、言葉のようなものや言葉もまた多層的であるということになる。人界にふと湧き上がるあいまいな雲には、日々反復され織り成されゆく三層の言葉が分離されることなく溶け合って織り成されている。

現在の科学、宇宙論、あるいは心霊科学(スピリチュアリズム)などの世界了解の仕方は、前者が現在の主流を占め、互いに反発し合う関係にあるが、後者のような考え方を人類は長らく持っていたことも確かである。数十億年前の生命の発生から現在のわたしたちに至る途方もない時間の流れに漬かるとき、それらの当否はどうであれ、ともに生起する理由を持ってきたのだろう。そして、現在の科学や科学技術が徒党を組んだり、制圧したり、得意げになるのは、深い日差しを誤解していることにならないだろうか。果てしない彼方、人がこの太陽系の終末を迎えることができるとして、いわば深い日差しを受けた時の流れで、全人類史を束ねる謙虚な普遍知へ放たれる言葉が、幻のように潜在し流れていないだろうか。

多層的な言葉の現在から、言葉の中に意識的に、あるいは無意識に録された足跡をたどる。全ての言葉は普遍知へ向けて改訂されなくてはならない、そのような肌合いの流れがある。






23



 一人ならば泣きたいやうで


(この列島の
ある地に生まれ 育ち
ある地に腰を下ろす)

(しゃべる言葉は互いに少し違っても
たぶん
今では人の同じような日々が繰り返されている)

(流れる
気づかぬ空気のように
日々の日差しや柔らかな大気を養分として
流れ下る
が曇りも息詰まる大気もあって
ともに織り込まれていく
そのか細い流れの)

(思いもかけぬ災厄は
大小さまざまに
日々のあわいにいくつも潜んでいる
((潜んでいるなあ))
人界の渦中に
そして時には
自然界と
人界との
あやうい大地と
あやうい街との
あわいに)

何をして居るのか不審して、村の人がそちこちから、
何気無い様子をして吟味にやつて来る。浦島の子の
昔の心持の、至つて小さいやうなものが、腹の底から
込上げて来て、一人ならば泣きたいやうであつた。 註1

何を聞いて見てもたゞ丁寧なばかりで、少しも問ふことの
答のやうでは無かつた。併し多勢の言ふことを綜合して
見ると、つまり清光館は没落したのである。月日不詳の
大暴風雨の日に村から沖に出て居て還らなかつた船が
ある。それに此宿の小造りな亭主も乗つて居たのである。 註2

(遠い時代には
遠い地の災厄は
いくぶん脚色されて
口から耳へ
伝い流れ落ちていったのかもしれない
自らの地の災厄の経験と重ねるようにして
今や書き記された言葉や映像に変わったが
いろんな破片を選り分けながら
重ね合わせるように流れ落ちることに変わりない)

実際我々常民の平和時代の生活については、信用して
よい記録文書があまりにも乏しい。もし何か書いたものを
証拠として古今変遷の跡を究めようとすると、事によると
わが邦の農民は災害に遭い一揆を起す以外に、いっさい
無為であった人間のごとく見えるかも知れぬ。村の文字は
もっぱらこの二種の大事件と、納税事務とのみに使われる
のを常としたからである。 註3

(この地の民はだまされやすい
と柳田国男がどこかで書き留めていた
例えばまれに訪れる者
の託宣や祝いの品とのやりとりがあったとして
見えないところでも交換は行われている
すれちがったようでも
確かに切り結んでしまうものがある
憂さと晴れがましさはどこまでも伸びていく
気まぐれな母に追いすがる子の知恵のように)

(まなざし深く下りていくと
日々のちいさな善も悪も
深い日差しに溶けて
冷たい風に押されながら
今日の日差しの中
ある色合いを放つ
ただ黙々とした流れがある)


註1,2 柳田国男 「清光館哀史」(『柳田國男全集2』ちくま文庫)
註3  柳田国男 「家閑談」(P344『柳田國男全集12』ちくま文庫)


詩集 沈黙の在所

2016年03月17日 | 詩集

詩集 沈黙の在所
 
 
 
    目次
 
 
1  沈黙の在所 (2008・12月)

2  ふろしき  (2008・12月)

3  心地よい (2009・3月)

4  絶えざる途上 ① (2009・4月)

5  絶えざる途上 ② (2009・4月)

6  青みなす言葉 (2009・9月)

7  現在は(2010・2月)

8  言葉の秋 (2010・6月)

9  青みがかった大気を下る (2010・7月)

10 喩の母 (2010・9月)

11 抒情の場所は (2010・12月)

12 ちいさな日差しから 深い日差しへ 流れ下り上る
     ―試みの宇宙論 あるいは今ここの (2011・12月)



 

 

 ①
 沈黙の在所
 
 
いい天気で ひとり
ぼんやりと
いくぶん日に融けて
木の葉か 木々か 車の音か
見るともなく 見ている

(あんたの在所はどこね)
尋ねる声がする
 
見慣れた光景
見知った人
なのに
声はふだんとは少し違っている
日の匂いの流れが揺らぐ
 
うとうとした眠気から醒めたばかりのように
かすかに靄《もや》の懸かったからだ
名残惜しげに
起きなくては
とあたまは感じているが
亡くなった近親や
見知らぬ人々の
足音のよう
行きつ戻りつ
気配が流れている
 
なぜか ふと
自分は信に遠い
と思い始めた気配に
(そんなこたあ どうでもよか)
気配が流れている
とまどいながらも
いくぶんなじんだ匂いに
誘われるように薄暗い土間へ進むと
かまどからは煮炊きする湯気立ち上り
あれこれとなにか準備をしている
所在なげに突っ立っていると
組み立てられゆく古いちゃぶ台や
つぎつぎに手際よく並べられていく皿たちや
ぼくも手伝ったがいいかな
と思い始めるとすでに終わっていて
 
ゆっくりと見回すと
周りの者たちは器用に箸を使いこなし
食べ始めている
すすめられるままに
ぼくはなぜか手で食べようとして
揺らいだ信の流れに乗って
箸というものをはじめて使い始めた人のように
ぎこちなく食べ始めていた
 
あたたかい外の日差しが
そこかしこから洩れ入り
声まで上り行かない言葉も
いくらかくつろいでいる
土壁をすり抜けてくる風が心地よい
 
 
 
 
 
 ②
 ふろしき
 
 
薄暗い 煤けた天井の下
囲炉裏を囲み
疾《と》うに
お客の視線は行きつ戻りつ終えて
すでに収めかけられている
ふろしきがていねいに折りたたみ直され 
(きれかふろしきね)
別れの言葉
ふたことみこと
 
親類の人の
(はるきしゃんとこは……)
古びてしわの寄ったふろしきみたいな声から 
流れくだり うねり 広がる
いろんなつながりの糸霞《かす》んでいる

話の筋はわからなくても
この地を行き交う言葉の感触
からだを流れる
話の余韻
から潮引くように
寝そべっていた
ぼくのちいさな言葉も
身を起こし
見送りに付いて行く
 
じゃあここで

きちんとした身なりの
大きな身を振り向け
去りゆく
つかの間
半ば開け放たれた
通路を閉ざし
手に携える
折りたたまれたふろしき外気に触れ
しだいに小さく冷たくなっていく
(寒かね)
 
玄関先からゆっくりと戻ると
ふろしきから取り出された
おくりものは
この地を行き交う言葉たちから
きちんと包み上げられた言葉のように
仏壇にしいんと残されていた
 
 
 
 
 

心地よい
 
 
遠い時間の 向こう
学校から帰ってくる
固いランドセルを脱ぐ
人気ないがどこかに祖母のいる気配  
薄暗い土間の
ひんやりして
木肌に手をふれ
一日の埃うち払い
上がり框に寝そべると
いつもの風が肌をなぜ
心地よい木々のむらに下っていく
ひっそりと人気なく
鳥が のどかにさえずっている
服を気に留めることもなく
とある家の庭石に腰を下ろす
(よか天気ねえ)
どこからか女の声がする
ああ そう言えば
(よか天気だ)

からだの芯の方から
答えている
分節する言葉の手前の駅で
声のひびきがあいさつのように
手を振っている
少し照れるけど
ねこみたいに
通り過ぎていく
 
 
 
 
 

絶えざる途上 ①
 
 
小さな街路の
ここにも差す
日差しに誘われ
沈んでゆく
遙かに 外気 微かに 渦巻いて見える
 
流 れ 下 る
 
役人でもなく 農民でもなく 郷土史家でもなく
まして山人でもなく
子どものように まどろむあわいから
なくなく農の内省の流れとなった
柳田の 舟に乗り
農の流線をたどる
舟 外材は遠い異国のかたち 内材はこの地のかおり
溶け合って ひっそりした村の起伏を縫っていく
どこか 喜と哀から成る文字の匂いする
口ぶりの 寡黙な語り手
より他は衛星画像のように黙するのみ
村から 村の中の町へ 伸びる 反る
村と町とが 反目する 親和する
(増殖 浸透 対立 連結 親和 膨張)
藁屋根の家々の軒先には 古びた農の暦《こよみ》
やわらかな日差しに溶けて
今日もゆったりと野に出ている
土の匂いにまみれ
哀にすがり 哀に倒れ 哀に舞う
 
揺 れ る
 
ここからは舟を降りて 都市へ
誰が口にしはじめたか その大字小字
踏み踏み固め 踏み固まり 行きつ戻りつ踏み固め
けれど 今や 年老いてつぎつぎに欠けていく
農夫たちの歯のように
古物《こぶつ》の闇へ 消えてゆく
都市の地名は 枯れた樹木の空洞響き
古びた歯の記憶を蹴散らしながら
相変わらず 列島の地をすすり
記号と記号 交換消費連結増殖疾走する
昼夜を分かたず 分布明滅波打つ頭脳の都市
奥処《おくが》から 歌や舞も明滅する
そりゃあいい

(新たな世界の語り手はどこにいるか)
 
ど こ に  ど こ へ  い る か
 
黙する言葉たちは
抽出される色色 色色に 溶けて列島をうねりうねる
遠い昔からの 変わらぬ生きものみたいに
あい 哀という字が空洞に霞んで
よく判読できない
上空には 雲のように言葉たちが浮かんでいる
あの雲だめ この雲だめ
足踏み入れたら 真っ逆さまに
色合いや匂いでわかる
繰り出され 積み重ねられてきた無数の言葉たちの
横たわった夢の破片も
漂っている
いつか どこかで
知らない間に
掬い上げられる夢の魚のように
いる いる
今や遺品の ひんやりした 匂い 肌への触り
 
絶 え ざ る
 
ゆりゆらゆるゆれする
水から上がると
ちいさな日だまりの方にも
時間の波に露出された
大いなる年代記や異本たちの
埃《ほこり》や黴《かび》にまみれて
微かな匂い それぞれに
溶け出してくる 言葉たち
区切られた時間の地層の岩肌に
形なす 汗の染みのように
いろんな形状 いろんな組成 いろんな色合い
 
感 じ る
 
夕暮れ時の山の中ひとりは
とおおい記憶の木霊《こだま》に
言葉の芯から身震いすることがある
そんなふうにこの世界は
いくぶん違った顔で倒れかかってくることがある
 
深 あ あ く
 
車が次々に行き交い人々も流れている

無音になった画像の流れ 波打ち
抽出されてくる か細い糸たちの流れが
幻の 手の道のように うねり とまどい うねり
信号のところで 一瞬
ぼんやりと手を拱いている
(まだ小さい頃 信号があちこちに設置されだした
とまどいの足
一歩二歩)
 
絶 え ざ る
 
たくさんの選択と構成と断言の
這い上がってくる
深い淵の方に
大声では語られることのない物語の断片たちが
えらび つくり とまどい こわし えらび
乾いた風の歌に急かされながら 落ちては
上がり 上がっては 落ち
だれにも語れない 語っても仕方のない 疲労の
疲労野 明滅
 
さ て と
 
立ち上がっても どこ行く当てはないが
遠い 青く霞む在所の方から立ち上るは 苦の狼煙《のろし》か
変成されて 青みなすひとすじの光る
絶えざる
途上

 
 
 
 
 

絶えざる途上 ②
 
 
一羽の鳥が飛び立つ
ということにも数え切れないほどの
その地の
飛行への日々が織り畳まれている
なにものかとそっと別れゆくように
胎盤の剥がれ落ち
少し照れくさそうに 手を振りながら
言葉の飛び立つ
 
土色の つたない 太い字画の流れがある
字画以前の 空の匂いがある
ひとつの選択
風になびき 押し押され
喩の空へなびいていく  (註)
なじんだ声がからだの芯の方からささやき上る 
肌に感じる大気の渦に
声は微かに うわずって 震う

 

には由緒は要らない
ただ 遠い 土の匂いの 織りなしが
飛をかたどり 飛の方位を促す
どんよりした雨雲の 比に迷い 非の声上げ 否に否に反転し 
日に日に焼けても 秘はなく
いつも なじんだ肌の匂いの方位のように
遠くなってしまった在所の方へ
羽ひらき
耳が向いている

飛行するばかりの
 


 
 
  (註)「喩のイメージ」
    「喩は言語をつかっておこなう意識の探索であり、たま 
    たま遠方にあるようにみえる言語が闇のなかからうかん 
    できたり、たまたま近くにあるともおもわれた言語が遠 
    方に訪問したりしながら、言語と言語を意識のなかで連 
    合させる根拠である現実の世界と、人間の幻想が生きて 
    いる仕方が、いちばんぴったりと適合したとき、探索は 
    目的に命中し、喩として成り立つようになる。」
      (『定本 言語にとって美とはなにか』 吉本隆明
 
 
 
 
 
 ⑥
青みなす言葉 
 
 
居ずまいを整え 踏み台に上り
少し窮屈さをこらえる
俯瞰《ふかん》して(ぶれる ぶれるなあ)
幾千の 日差し 日のかげる(てれる てれるよお)
と言わなくとも(うまく言えない)
振り返ると
流れはある 深く
水面《みなも》へ寄せる幻 立ち上り
言葉に仕舞い込まれているものがある
言葉に仕舞い込まれていくものがある
見知らぬ人の匂いも織り込まれてあるが
深みで 文目《あやめ》が似ている 違っている
それぞれに匂い立つ言葉
ほんとうは

言葉ではきちんと盛り上げることはむずかしい
から言葉は しずかに佇む 流れる
遠い在所の記憶は剥がれようもなく
青みなす 微かに照れが混じる
ひと色で みんなをすくい取る
言葉が欲しいけど
みんなもそれぞれに
記憶の裏木戸をくぐる
 
とある町屋を過ぎる
 
逃れ来て
やっとひとつの台座を築く
高くなって 風が少し違う
当事者の泥にまみれた記憶は (註.1)
日に日に薄らぎ 新たな芽生え 紡ぎゆく
少し圏外だった子らが接ぎ木して
俯瞰する
どことなく 幻の風にはしゃぐ樹木になる
 
くりかえし くりかえす 俯瞰のためらい
 
生まれてたどる道中は
言葉の中に
交わし合い 逸れ 引きこもり
こもごも 流れ 澱み
果ては
言葉の懸崖から ひっそりと
消えてゆく
それだけ
と言い切ってしまうと
乾いた無か浄土が同行するが
今 ここ の
懸崖の向こうから深く 微かに
とても古びた日差しが差している
 
ためらいの俯瞰が うつむいて 流れ下る
 
差しているのは
とっても大事そうな刀やそろばんばかりでなく
透き通りゆく大気に差す
追いすがりゆく 古びた祈りの言葉の韻が
鉦《かね》や太鼓に足踏みならす
裏地の鈍色《にびいろ》の流れ
明日は雨か ひでりか
 
青みなす ある始まりの言葉の川辺に
ひっそりと
とっても古びた日差しを受けている
その息づかいの
 
(註.1)(この言葉への註)
 これに反して町が村に対抗しようとする気風は、かえって
それ以前に始まっている。いわゆる都鄙問題の根本の原因は、
何か必ず別にあったはずである。
 私の想像では、衣食住の材料を自分の手で作らぬというこ
と、すなわち土の生産から離れたという心細さが、人をにわ
かに不安にもまた鋭敏にもしたのではないかと思う。今でこ
そ交易はお互いの便利で、そちらがくれぬならこちらもやら
ぬと強いことが言えるが、品物によっては入用の程度にえら
い差があった。なくても辛抱できる、代わりがある、また待
ってもよいという商品を抱えて、一日も欠くべからざる食料
に換えようという者などが、悠長に相手を待っておられぬの
は知れている。ましてや彼等が農民の子であったとすれば、
小さな米櫃に白米を入れて、小買いの生活に安堵してはおり
にくい。
  (『都市と農村』 P350 柳田国男 ちくま文庫)
 
 
 
 
 

 現在は
 
 
現在は
時に 息せき切って
流れ 上り 下る
我知らず描いてしまう弧
吹き来る風に
(でも ほら 着いたよ)
風が吹いている
からだを流れ下るものがある
((ううーん ちがうなあ))
過去は
打ち寄せる波の悔恨
合流して とぼとぼと
内省の細道を流れ下る
高層ビルの 枝葉の茂り 覆い被さり あるいは枯れ
人や都市の内皮に
絶 え 間 の な く
明滅している星々は
(よお見えんなあ)
 
たかだか百年にも満たない生涯でも
根太い歴史と呼ぶものに似て
ひとりの生涯の ひと色の靄の中にも
たくさんの移動・混合・接続・切断・転位があり
流れ具合が似ている
過去は記憶の靄の中
ばかりではない
この現在の 流れに浸透していて
現在こそが全てであるように
反復している
ひと色の 同型の
古い 古い 古びた 日差しに織り込まれ 織り込み
は ん ぷ く し て
いる
いま 生 き て
いる
いま
し ず か に
不明の 遠い とおおい 記憶に押されるように
ふと 振り返って
山 海 大都市の高層ビル群
(おお大層なもの)
神と呼びたい ふしぎな気分
ぐるぐる墜ちていく根の不安 根のエロス
不信のぼくにもわからないことはない
(そうねえ そうか そうかもしれない)
((そうでないかもしれない))
遠く 点描のような山や海や高層ビル群を眺めながら
日差しの匂いを探る
いま
ちいさな 反復のいま
途方もない流れに漬かり 波紋を浴びる
 
古い日差しの送る風を背に受けて
黙黙と
歩むばかり
ひとつの小さな弓なりに刻まれてきた苦い起伏
年とともに地平線が変貌し
匂い立つは 不明の樹木の息づかい
語り出すことはある
ひとつ ふたつ
夜と朝のあわいから
飛び交う言葉たちが羽虫のようにまといつく
(うるさいな)
鈍いから 味が出るまで芯まで咀嚼するが
が…
が……
が…

気のない返事の裏側で
匂うばかりの日々の息づかい
味の出所が気に懸かる
木に懸かる古い日差しの
木漏れ日に
言葉の内皮がうち震う
心地いいこともある
(おお寒む)
((寒む))
 
 
 
 
 

 言葉の秋 
 
 
(言葉をうまく語り出せない人もいるが
たぶんからだの内には言葉が流れている)
 
ひと並みに 言葉を繰り出す
からだの上の方へ
上り 上れ 上る 
上の方から
表層を巡るみたいに
言葉に言葉を重ねる
すると色合いが黒く濁っていくことがある
反転して真っ白になってしまう
(にごっている)と感じる
うごめく空白のなか
幾層かに分離してしまう



からだを流れゆく言葉は
ある
 
無限増殖みたいに疾走する
(徒労の 徒労野)
漂いくる言葉の破片たちに
感じなくなった言葉をあてがってみる
すると からだの芯が揺らぎ
新たな無言に 古びた無言が立ち迷う
剥がれ 失墜する秋?
いやいや
冷え冷えとして
からだの中空に滞留する
ある流れ
としか言いようもない
ある
流れ
 
ようわからんね
とつぶやきながら
言葉の後景を下っている
ほんとうは 何に触れ どんな肌触りか
どうしたいのか
はわかっているのに
異常気象や分厚い曇り空に浸《ひた》されて
言葉は失墜する?
いやいや
あんまり感じなくなった言葉の秋
古びた浸透膜と芽吹いた浸透膜とのあわいでは
押し押され 吸引されたり吸引したり
うごめく渦の 渦中に ぼんやりと
途方に暮れている
むこうでは せわしなく
秋の終わりの韻が
効率的に刈り取られ
押し分けゆく流れに
人は複雑な電子回路になってしまったように
どれとどれがどうしてこうなるのやら
皆目分からず
ぼんやりと あるいは 殺意を込めて
あ う え 
などの物語の断片を浮かび上がらせる
集めて語り出すには 徒労野
そのまま冬に流れ込んでいる
 
言葉の駅裏の
雑草が生い茂っている
流れは 深く
果てがあるのかどうか
深あく 遠おく
飛沫を浴びて
腹の奥の方から 未明の新人類みたいに
春 ゆったりと……
つぶやいてみる
ともかくも
匂いを曳きづりながら
電車に乗り込む
 
 
 
 
 

青みがかった大気を下る
 
 
青みがかった
大気を下る
人界の いろんなものたちが霞んでいき
ゆっくりと次々にめくれ返り 溶けだしてゆく
ひとつの不明の 深あい 流れがあって
流れに乗る
水と大気の匂いする
 
石の 石から 石へ
石と
日差しが あったかい
小石を積んでいく
(何してるの)
(小石を積んでるんだよ)
気配が消え去って
また流れに戻る
あの石 この石
痛っ
ということもあり
土をはらって
積んでいく
手が汚れても気にはならない
 
(そんなに変わったものではあるまいが
さらに下っていく

どんな光景が広がるのか)
 
きみは石に張り付いた化石
息づかいが霞んで覗けない
ただ現在と同じように
晴れ上がった大気の下
苦の形をした心臓が ひからびて張りついている
 
青みを帯びた
風と日差しと水と
あるいは 吹き荒れる風や水浸しの
黙する大地と
黙黙と形なす
時を超えた息づかい
織り成される文様が大地をうねる
血も流される
生臭い魚に触るように
そっと岩肌に手をあてがってみる
 
 
 
 
 
⑩ 
喩の母
 
 
いつも下っていく
慣れた人気ない下りがあって
誰を訪ねてというわけもなく
当てもなく道端の草花をなぎ倒しながら
下りに入り込んでいる
(どけ行きよんしゃっとね)
ああ
(どこ へ 行く……)
 
なぜかは半ば
わかる歳になってしまったが
相変わらず不明の景色ばかりが
倒れ込んでくる
(母を訪ねて数十億年)
(はは ぼんやりしてしまうな)
ひとつの光景が
こちらと あちらに
倒れ込んで
どっちを下って行けばいいのやら
いずれにしても 七曲がり八曲がり
とりあえず ちいさな軒先には通じている
くりかえしくりかえし踏み固められた土間
ひんやりと土の匂いする
そこから先は
めったにない朝靄が下りていて
遠くまで見通せない
 
たぶん
一番最初の息づかいは
喩の母から流れ下ってきたものと
あちこち そちこち
探りあぐねて
虚《うつ》ろに眠る
涙を誘う 好みの 歌の 旋律が たぶん流れている
(ゆーりぃら ゆーりゃり ゆらゆーりゃり)
がその韻の果てるところ
涙は秘匿《ひとく》され
遠く 深く
ぼくの寝息はどんな夢のリズムか
(かずちゃん)
呼び止める
今も残っている感触の流れ
こちらとあちら 影のように 滲み出す
言うに言われぬ交差点があり
さびしい ひとの苦の匂いする
晴れ上がった日差しを浴び
影が ひとつ ふたつ みっつ
 
また日差しが差してくる
よいしょ
と起き上がって
朝の流れに乗る
いつものように風が流れる
昼下がりの
まばゆい日差しの中
喩の母に押されるように
見上げて
太陽をまともに見てみようか
 
 
 
 
 

 抒情の場所は
 
 
(言葉のからだに張り付いて
剥《はが》がれることはない
現在という分厚いフィルターから
フィルターを
流れ下る)
遠い昔
奔流する時の水圧に
諸手《もろて》を挙げてなお
流れ出すものから
溶けて
帰って行った
のは
まぼろしの地の
地と地が争闘する 母の胎内か
もがき うなだれ 密通する
群れ集《つど》い にこやかなあしらい試みる
きらびやかな異土の まぼろしの言葉が身に染む
(よかきもんね) 註
遠く反復され来た かなしい抒情の
流れ流れた
靄に霞む時間の向こうへ
向こうから
(かなしい遺伝は今なお身に染む)
 
母の胎内も
今や知の視線にさらされ 均質に耕され
干からび荒れ果てた抒情の風景を見ている
遠く過ぎ去った幼年期は枯葉
月の地表は乾いた岩石
田園風景は老いた父や母
乾いてささくれてしまった肌あいから
わずかの水の流れを頼りに
作り物の木々の間を歩む
いくぶん人も新しい作り物めいてくる
それでも人は新たな幼年につまづき
新たな月は照り映え
新たな稲穂は風に揺れている
未知の流れに押し上げられ
黙々と故しれぬ水圧に耐え
ただ言葉ばかりが
作り物の枯葉のようににぎやかに漂流している
(ひとりひとり 流れ下るものはある)
 
閉じられた抒情の終章を背に
流れゆくほかない
(言葉ガ生キルトハ
死臭ノ今ヲ掻キ分ケ掻キ分ケ
流レ 上リ 下ル)
浸透膜を通して
流れ来る
織り成し織り込まれた日差しの
古びた白黒映画のよう
過去形の匂いする
それはもう
もおもおと
歩み過ぎるほかない
深い日差しのかけらを浴び
どの地も似た顔をした
軒先やアパートの出入り口から
流れ込み流れ出す言葉には
くたびれた色合いと日の匂いがある
(ひとりひとり 流れは見えない 聴こえない)
 
枯葉の言葉たちをかけ分けて
言葉のからだに耳を澄ますと
まぼろしの木となって
かすかに
響いてくるものがある
その苦と喜の韻は
おおらかに立ち居振る舞うには
人のあわいに降り立ち湧き上がり争闘する
いろんな混じりものの
縒り合い
つながり合い
腑分けするのがむずかしい
けれど
いま ここの
深い日差しにさらされた
ひとつひとつの
流れ出る言葉は
閉塞前線に貫かれて
こじんまりしたまぼろしの地をさまよい合う
深い時間の圧から湧き上がる 裏声の
抒情というほかない
(ひとりひとり 言葉の肌を流れ下り 匂い放つ)
 
  註.よかきもんね(良い着物だね)
 
 
 
 
 

ちいさな日差しから 深い日差しへ 流れ下り上る
   ―試みの宇宙論 あるいは今ここの
 
 
 (きみはどこにいる?)
 あらゆるものは流動であり
 生動するものがある
 自らもまた 流れとなり 明滅する言葉となりながら
 その多層的な言葉を流れ上り下る
 人界の右や左 あらゆる占有のバリアーを突き抜け
 ある普遍の相へ
 (きみはどこにいる?)
 言葉のからだから流れるもの
 肌触れ 匂う 幾層もの流れに乗って
 臨死体験のようにイメージの分布図を見ている
 イメージの織り成しを見ている
 その疲労野を感じている
 連綿たる 人の故知らぬ歩みの
 (きみはどこにいる?)
 
    ***
 
 空気のように
 ただちいさな日差しを浴びている
 深い呼吸が裏がえると
 溶けている 匂っている
 微かな 深い日差しがある
 遠い 人の時間を超えて
 遙かな流動の中から 星々は瞬き
 太陽は 脈々と生動し 光放ち
 ちいさな日差しとなって降り注いでいる
 
 遙かな
 とある時もまた
 
 ちいさな日差しに生動する
 生きもののうねり 人のうねり
 肌合いを流れ下り上るものがある
 日差しを織り成し
 少しずつ少しずつ 変貌していく顔かたち
 例えば
 神話以前の 顔かたち
 神話以後の 顔かたち
 少しずつ少しずつ変貌を遂げている
 顔かたちには いくつもの層が刻まれている
 忘れ去ることのできない
 日差しと大気と水に織り成し来た
 うねり立ち上る幻の記憶の
 
 遙かな
 とある時もまた
 
 歩みくたびれた人界の疲労野に
 それでも人は
 今日の日差しにかすかに身震う
 わからない
 わからなくとも
 今日の日差しに身は震う
 
 降り積もる層成す何ものかに促され
 何ものかを促すように
 言葉は
 数行の内に世界の様相を記述する
 そのとき言葉は
 黙する
 無数に 匂い 色放ち 生動する
 溢れる世界の総量にひっそりと触れている
 
    ***
 
 
    1
 
ああ
こんなところにも
等しく
日差しは差し
月はかたちを変え
時はこの地を流れていく
 
ある地のある場所で
ひとはある具体的な有り様を強いられはするが
それがすべてではない
また ひとつの仕草も
そんなにわかりやすいものでもない
いろんな層の織り成しの世界が加担していて
だれもが複雑な色合いを放っている
 
ひとつひとつに 波紋が立ち
何かを織り成してしまう
織り成している
安堵と異和と中性の
降り積もる
微妙な歩行の釣り合いを取りながら
世界を旅する者のように
時にはほっと一息つく
旅の荷には
知らぬ間に
先人たちの意図せぬおくりものの言葉たちが
くぐる関所のお札みたいにすべり込んでいる
 
 
    2
 
はじまりは
何度も反復する
ああ まずかったなあ
(自動的に起動する
傷の入った音色のように)
遠い眼差しの
流れ下りゆく
つづら折れの 踏み慣れた小道
ここでは 足韻は 立ち止まり休らう
時と地を持たない
(いっときの休らいはある)
 
なぜ このような空白立ち込め
なぜ このような流れに乗ってしまうかは
いくぶんかは分かっている
たぶん あったかい 脈動する 薄明かりの中
たゆたう流れのひきつる 苦い水を呑んだのだ
そうして 甘いのか 苦いのか
わからない
ただ流れに漬かり
故知らぬ 寝息の乱れて
微妙な予兆のふるえる不安の座に眠る
 
 
    3
 
この世界に生まれ落ちては
人並みに手厚いまなざしと
ふれる言葉の肌のやわらかさは
わたしの中を流れ下り 上り
ちいさな大地を闊歩《かっぽ》し
木々や草々に水潤うこともあった

なぜか
な ぜ か
不可解で
さびしい色合いに
あらゆるものが見えすぎてしまう
と感じられ
人のあわいに
眼差し 遠く
薄暗い木々の奥から寄せ来る
さざ波に揺れる
ざっくりと深く揺れる
人の匂いか 生きものの匂いか 大地の匂いか
例えばちいさな日差しを受けて桜が乱れ咲く
その微かな匂い
の傍らで
そのずっとずっと向こうは
星々の終わり始まるところか
 
 
    4
 
言葉はわたしであり わたしではない
したがって 苦い沈黙が降り積もる
人のあわいに あわいから
流れ出る
触れる
絡み合う
接合する
反れる
(不可思議に
流れ波打ち逆巻き合流する)
ぬるり
とよぎっていくものがある
 
言葉を下ってゆく
藪《やぶ》を打ち払い 打ち払い
わたしの言葉
わたしではない言葉
ごわごわした
着心地が気になる
ほんとうは
慣れないおつかいの
帰り道を探し求めているだけかもしれない

言葉を下って行く
下るしかあるまい
と思い定めるは
わたしの言葉の 引き絞る全重量 全繊維
その脈動の
 
 
    5
 
はじめに
といっても とあるはじめに
水ぬるむ肌の感じがあり
流れがあり
泡立つ波があった
 
やわらかな木洩れ日があり
吹き荒れる大地の叫びがあり
溜まりゆく不安の流動があった
(外からは ちいさな閉じた時空)
けれど外はない
未生の人は いま ここの
が全世界である
生動する沈黙が流れを呼吸している
 
 
    6
 
薄暗い大地は
父のような母
わけのわからない
自然の秘密の流れに
生き物たちの声をまね
太鼓の音に促され
滴る言葉のようなものをあてがって
親をなだめる子のように
歩き出す
流れを変える
歩き続ける
支流を伸ばす
 
生まれ出づる
言葉を携え
言葉となって
流れ出す
 
はじまりは
いつも不明の彼方に霞んで見える
がある流動の大きな分岐点ではある
 
方々に散り 流れ下り 定住し
ひとつの日差しの下
ちいさな洞窟から
わおおん わおおん わおおおん
覚えたての オオカミとなって闇に吠える
闇が流れる
流れに
身 ふるう
溜まりゆく 木霊《こだま》の滴り
 
真新しい言葉をあてがって
中空に慎重に言葉を配列する
真木なす 母よ 父よ 大地よ
ほてった樹木となって
樹木を伐りそろえる
熊を送る
血の契り きりきりと身に刺さる
新しい住まいが
不安な夜にいくらか蓋をする
点々と木々の間に子どものように眠る
 
 
    7
 
地をめくり
海を凪《な》ぎ
空をつかみ
月が弓なりに反復する
言葉が分岐し
母や父や大地も分岐する
乏しい収穫の蔵箱から大切に選り分けられる
Waoon 真木なす オトナ (註.1)
Waoon 白遠ふ オトナ
ほてった言葉は
樹木の母か父か 人か
神々の光背が
文目《あやめ》も分かたず
重層し 降り積もる
孤影を曳いて家路をたどる ひとり ひとり
(それでいいのだ それで)
(そんなはずじゃ なかったか)
(………)
 
言葉の力能から
猛々しい弓なりに引き絞り
地を走り 地を繋ぎ 地を覆う
生まれなかった子らは
丘陵の向こうに沈む
こちらでは 言葉の疲労の余韻が青年の夢に震える
星はきらめき
月は巡り
また日は差してくる
 
 
    8
 
祝という文字が寒空に浮かんでいる
にぎやかに打ち上がる花火に
はじめて花火を見る恐れおののく観客たち
文字となった言葉の転位とともに
言葉のからだは二重化し
神々も木々や山々の間から降り立ち転位して
二重に見える
 
古びた日差しに押されるように
ちいさな日差しの下
遠い昨日と同じように
作物を育てる
漁をする
血を分かった収穫は
裏声とともに
地を覆う神々に納められる
晴れがましい衣服は神か人か
やんややんやの人だかり
 
人界の
膨らむ人界から
地は伸び 地は結ばれ 地は流れ
この列島が明滅する
ふいと現れる
神と人とは見分けがつかない
巨きな建物が当然のように各地に出没する
のどかな日差しの中へ 中から
昨日と変わらぬくつろぐ言葉が 突然変貌して
嵐のように祝祭と殺戮《さつりく》が縫い合わされる
まるで大人の
自然の猛威と雨乞いの再現のよう
 
 
    9
 
世界が波打ち
打ち寄せ 波及する 混濁する
遠い人類の 血気盛んな出会いのように
世界地図の上を視線走らせる
変わらぬ日差しや風や大気の下
夢のように血は流れ
夢のような季節が狂い咲く
 
ひとつの大きな無類の負の旅の終わり
ひとつの大きな言葉の死
 
死にざっくりと染まった老年に
それでも無言の荒地に花は咲き
道路が敷かれ
家々が建ち始める
悪夢の記憶を引きずって
それでも日差しに苦く生動する
 
 
    10

都市の森に木霊する
いろんな装飾や音楽や電子の情報や
神々は光速度で伝播する 瀰漫《びまん》する
得意げな者たちが闊歩する
裏通りでは
木肌と頭脳との織り目が
ときおり 悲鳴のような擦過音を立て
流動する
破片の樹木は ひっそりと殺意の夢を抱いて
蜃気楼《しんきろう》みたいに明滅している
 
日々膨大な糸束が明滅する
空間も時間も急速に縮み
人為が世界大に膨らみ
その波及力に
微笑みの流れもあれば
危ぶむ流れもある
空白のお笑いもあれば
黙々とした日々の流れもある
若い顔にも老年の相が流れていて
締め上げられる時間に跛行《はこう》する
遠いまぼろしのようにつぶやく
(遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん)
そんなところまで来てしまった
 
遙か遠く
星が終末を迎え
また新たな星の誕生がある
それがどうであれ
深い時間の流動の中
大いなる自然はただ黙するのみ
 
 
    11
 
さてと眠りに着いて もはや目覚めることのない
朝について考えても仕方がないように
まなざし途絶え 言葉の果てるところは
言葉の手を空しく伸ばしても
宙に さびしい弧 描くばかり
木々や生き物たちや人の
言葉のようなものから言葉に渡る
かすかなざわめきに
言葉はわたしであり わたしではない
言葉は人であり 人ではない
したがって 反転したざわめきが沈黙に降り積もる
木々や生き物のあわいに あわいから
流れ出る
滲み合う
触れる
絡み合う
制圧する
反れる
言葉の背から流れ出す
このちっぽけな大地を超えて
まなざしの果て 言葉も果て
るところ
微妙な とっても微妙な 果て
(のように見える)
(言葉の未生以前の よ う な)
日差しに溶けて 射してくる
大いなる自然の 黙するからだから
流れ出るひとすじの内省のように
ざわめき ざわめく
言葉たち

古びた関係から
またやり直す
新たな出会いのよう
 
 
(註.1) 今世にいう蝦夷の地は、必ず松前侯の支配あるにもあらず。
島のあるじというもなし。領主・地頭ということは知らぬ所にて、日本にていう一門一門に、「ヲトナ」と称せる夷ありてこと済むという。
   (『東遊雑記』 古川古松軒)
 
(全体への註)
「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに
設定することはできない」、それが辺境の限界です。
   (『日本辺境論』P97 内田樹 新潮選書 2009年)
 
過去も現在も日本人は一度として自前の宇宙論を持ったことがない
(そしてたぶんこれからも持つことができない)。
   (『同上』 P71)

 
 
 


三詩集 あとがき 2011年

2016年03月17日 | 詩集

 詩集 あとがき
 
  
 
 同時進行で三つの詩集を編むのははじめてのことである。各詩集、第Ⅰ篇を一区切りとして、電子版の詩集ではあるが印刷し五部ずつ作成する。インターネットの世界にあまり出入りしないか、全然出入りしない、ぜひ読んで欲しい人のためである。
 
  詩の言葉は、圧倒的な現在の、ちいさな場所から過去や未来の遙かな時間の彼方に放つ信号のようなものだろう。その信号は、それぞれ固有の色合いや肌合いを帯びているが、ある普遍のようなものも内包している。そして、その信号はまた、同じ現在を呼吸する人への信号でもある。届くかどうか、どのように届くかどうかは、わからない。
 
  詩集『ひらく童話詩』という言葉は、ふと思いついて、その後捨てようかとも思ったが、なんとなく捨てがたくそれにしてしまった。自分でも言いようのないイメージみたいなものを感じる。ただ、余り現在の詩は読まないが、現在の言葉や現在の詩の世界らしきもの(それはそれで秘かに紡ぎ続けられているのかもしれないが)を傍流から意識しての言葉ではあると感じている。
 
  いま、ここの、「わたし」の言葉が、たとえ人界の影が薄いとしても、人はそれぞれ個の必然のようなものに促されながら、この多層的な世界の渦中を歩む他ない。そして、人は自然史や人類史の積み重ねられてきたうねりの現在の渦中で、いま、ここの、ちいさな現在を生きる者ではある。わたしたちが、たとえ人の世界の連綿たるつながりに一存在としてつなぎとめられるものだとしても、わたしたちひとりひとりの、具体的ないまここの、ということがもし存在しないならば、世界は無に等しい。けれど、そのような仮定もまた無意味ではある。言葉という存在になってしまった人間が、もし言葉がなければと仮定するのが無意味なように。わたしたちのこの世界における存在の在り方は、いわば内在と外在とが織り成されるような在り方のように思われる。植物や動物のようにこの世界を内在的に呼吸しながら、同時にそのことに外在的なまなざしや触手を伸ばしていく、あるいは、内在的な流動に触れ、匂い、同調しようと試みる。言葉となった人間の存在の在り方というほかない。
 
  詩集『沈黙の在所』の12の詩と『ひらく童話詩』の22の詩は、作品として仕上げるまでに一年ほどかかってしまった。一年といっても、ときおり読み返しては、少し手を入れたりということだった。作品としてなかなかピリオドが打てる気がしなかった。表現、その有り様は、いつも「途上」だよ、という思いからとりあえずのピリオドを打った。
 
  詩を書くことは、わたしの場合、どこか気恥ずかしい。それがどこからくるのかよくわからないが、たぶん自分の沈黙の流動をかたち成すことによって他人の視線の届く場にさらけだすということからくるのかもしれない。しかし、そうだとしても、なにものかに向けて、言葉というものを行使し続けるのも人の宿運であると思われる。
 
  わたしたちは言葉を行使する。不明のことがたくさんありすぎるように思われるが、不明自体を言葉は日々生きていることも確かなことだ。詩の言葉を書き進めていて、ふと立ち止まって気づくことがある。ああ、これは先行する人が述べていた気づきや着想だなと思われる。わたしたちは、それぞれ気づかないところで、先人たちの意図せぬ「おくりもの」と出会うことがある。そして、自分なりに織り成し、自分なりの色に染め上げてゆく。うまく自分の言葉を行使できたかどうかは心許ないが、このようなわたしの言葉も、いま、ここの、年を重ねてしまったわたしと積み重ねられてきた現在のうねりが促しているのだと思われる。
 
  ところで、この詩集群は、このたびの大震災と原発の大事故をまたいで書き継がれている。2011年3月11日が、現実とイメージの二重性によって怒濤の勢いで押し寄せ、引きはがし、押し流して、露出した言葉の風景の渦中で、あるいは、大きく壊れてしまった、あるいはとうに壊れていた、この列島という世界の渦中で、わたしの言葉も、ほんとうに生きて在るか、という問いも、詩の言葉のあわいに込められているはずである。
 
    (2011年7月2日)
 
   三つの詩集の発行日 2011年12月21日 (電子版)
   ・詩集『沈黙の在所』
   ・詩集『ひらく童話詩』
   ・詩集『人のあわい』


詩集 『みどりの』 2013年

2016年03月13日 | 詩集

詩集 『みどりの』   (詩集 『みどりの』発行 2013年3月12日)
 
  目次
 
みどりの 1             みどりの 18
みどりの 2             みどりの 19
みどりの 3             みどりの 20
みどりの 4             みどりの 21
みどりの 5             みどりの 22
みどりの 6             みどりの 23
みどりの 7             みどりの 24
みどりの 8             みどりの 25
みどりの 9             みどりの 26
みどりの 10            みどりの 27
みどりの 11            みどりの 28
みどりの 12            みどりの 29
みどりの 13            みどりの 30
みどりの 14            みどりの 31
みどりの 15            みどりの 32
みどりの 16
みどりの 17
 
 あとがき


--------------------------------------------------------------------------------
 みどりの 1


(風)

(heat)

(流れ)

(wave)

((不随意の動力のエロス))

 

 

  みどりの 2


みぃ

庭にも植えた
きゅうりが
ついに
根付き 伸び出した

どぉ

ちいさな黄色の花
点々とつけ
巻きひげを伸ばし
ゆらゆら
ゆらゆら
風になびいているばかり
に見える
(が たぶん巻きつくところを探している)

りぃ

ちいさなちいさなきゅうりの実を結び
日ごとに大きくなっている
(ものごとは たぶん
こちらに合わせて見えてくる
こちらに合わせて感じ取れる
しかし たぶん
知らないところで出合っていることもある)
人の生涯のように
日差しや大気や養分から
日々 織り上げ 織り成し
植物物語の内側に
日々 生動している

庭のきゅうりが大きくなってるよ
そお

 

 

 みどりの 3


・・・・みぃ・・・・・・・
・・どぉ・・・・・・・・・
・・・・・りぃ・・・・・・
・・・・・・・・のぉ・・・

 

 

 みどりの 4


み 風が軽く吹いている
ど 夜遊びから帰りがおそいな今日は
り 猫は猫の日々があり・・・・・・
の ああ 戻ってきたか

 

 

 みどりの 5


ちいさい子が言う
それでなきゃいや
(みどりの)

ちいさい子が言う
あしたうみいった
(みどりの)

ちいさい子が言う
あのねあのねあのね
(みどりの)

 

 

 みどりの 6


何周回っても(速くとも遅くとも)
言葉は発動しなくても(一位でもびりでも)
はあはあ固有の疲労曲線を呼吸している(みんなが)

(あれは ・・・・・・)
(あれは ・・・・・・)
(これは ・・・・・・)

あれは ・・・・・・
あれは あがうぬ
あれは あがやむ

あれは ・・・・・・
あれは 海
あれは 山

あれは ・・・・・・
あれは まんじゅう
あれは スイーツ

現在の流れに匂い立つ
言葉は
古いも新しいも
枯れたり新芽を出したり
差異と同化の劇を反復している
知らぬ間に
自然に連結されていく
その結び目の
滴り ながれる

 

 

 みどりの 7


佐韋賀波用
久毛多知和多理
ミ 宇泥備夜麻 
許能波佐夜藝奴 
加是布加牟登須

宇泥備夜麻
比流波久毛登韋
由布佐禮婆 リ
加是布加牟登曾
許能波佐夜牙流


註.古事記歌謡20,21原文より引用

 

 

 みどりの 8


(名づける)
(果てしなく流れ来た
なじんだ岸辺に赴くように
ひとつのちいさな
けれど連綿と伝わり来た
霞み立つ 深い意志)

山野みどり
海川緑
土屋さくら
川野沙織
山田祐介

 

 

 みどりの 9


公園の
植え込みの
みぃ

公園の
植え込みの
木々の葉揺れに
みぃどぉ

公園の
植え込みの
木々の葉揺れに
ちろちろ
日差しきらめき
みぃどぉりぃ

公園の
植え込みの
木々の葉揺れに
ちろちろ
日差しきらめき
染み渡る
流れ

みどりの

 

 

 みどりの 10


万緑の(み(泡立ちうねり) )
all green ( guu (bubbles bubbles ) )

緑流れ( み み み ( 流れる 光の粒の明滅 ) )
flow flow
float away ( guun ( flow flickering lights ) )

日差しは柔らかに(み み どお(ちいさなぬくもりの) )
sunlight
is shining softly ( guoon ( a little warmth ) )

ひとつの流れ 染み渡る(み ど り の)
a flow
sinks into our hearts ( green )

 

 

 みどりの 11


み(海)
ど(波)
り(入り江)
の(陸)

み(いち)
ど(にい)
り(さん)
の(  )

み(いぃぃ)
ど(おぉぉおおぉぉぉ)
り(ぃぃいいぃぃいいいぃ)
の(  )

 

 

 みどりの 12


(ゆっくりと降下していく
雲間を抜けて
時間の大気の層を遊泳するように
湿気を含んだ大気肌触れ
降下してゆく
通りからの流れと合流する)

みぃちゃん
いそがないと遅れるわ

みどり
今日は帰りが遅いなあ

みぃちゃん
ぼくにもそれ作ってよ

みどりは
よお気が利く子だねえ

 

 

 みどりの 13



(いや ちがうなあ)


(それもちがうなあ)


(腹の底の方から 声が出ていない
頭上から 舞い降りてる靄みたいな)

みどりの
(くたびれたみどりの概念が接続されてる)

 

 

 みどりの 14


みどりのただよう
みちを歩いている
透明なドームの
みちを下ってゆく

肌合いは
とりあえず
ひらがなに乗せるほかないが
ほんとうは
文字の曲率を超えて
どこまでも
流れ下り曲りゆく

しゅうしゅうしゅわ
しゅうしゅうしゅわ
一匹の魚になって
からだのなか 水流れ
湧き立つ音
耳に伝わり来る

しゅうしゅうしゅわ

 

 

 みどりの 15


人界の内で
皇子と乞食はとりかえばや
が可能であっても
人界を突き抜ける
言葉は
原初と現在はとりかえがきかない
と或る時と同じく
ただ現在から
ただ現在を 突き抜けて

(文字文字するなあ
半ば以上は苦の文字)

漢字
ひらがな
カタカナ



今持てるものからしか
言葉は
流れ出さない
匂わない

(記号の森できみは何をしているのか)

書き記すことだけが
言葉の生きること
あるいは
沈黙の内に流れるものが
言葉の生きること
くたびれたみどりの現在
深い普遍の流れに
手肌を漬ける

 

 

 みどりの 16


ライターを灯した一瞬
に立ち返りゆく
微かに流れた時間の瞬き

肌を流れ下る風と大気と
秋は静かに流れ出し
匂い出す

ただの葉揺れが
幾多の物語の
寡黙な基底を流れ続ける

ああ その この あの
流れの内は定型以前の
匂うひかりの明滅するばかり

 

 

 みどりの 17


(おまえは何をしているのか)

ことばが
言 葉
の谷間に
めまいするとき
複雑に織り成され来たこの世界の総量が
静かに揺らぐ
揺らいでいる

漢字で塗り固められた
言葉の壁が異邦の感じに見える
あらゆる定型は
忘れられた遠い接続部のひとつひとつへ
がらがらとはがれ落ちていく
もちろんわたしのことばも
したがって流れる
流れ出す

根太い芯をするする下ってゆく
追跡することばのようなものに
言葉は
言( )葉
言( ( ) )葉
言( ( ( ) ) )葉
不明ばかりが積もってゆく
着地し 形成(かたちな)す
言葉の村なんてない
ただ異色(こといろ)の沈黙たちのうねり
流動している
その流動の

kwoto nu pha
が不明でも
ゆらゆら ゆらゆら
不明の底を流れるものはある
現在の言葉もまた
わかりすぎるということはない
不随意運動のように
言葉をつなぎ織るひとの本流から
屈折に屈折を重ねる時間の文体
幾多の定型の遥かな基層には
ゆらゆら ゆらゆら
くぐもり くぐまり
苦しげに ひっそりと
幾筋も流れゆくものがある
果てしない
ひとの本流から
哀や喜の 言葉にならない
・・・・・・が匂い立っている
しっとり雨に濡れた
みどりの

 

 

 みどりの 18


この大気を 呼吸しながら
なにものかに促され
言葉をひたすら織っていく
より下った所から
漂い匂い出すものはある

わたしたちの時代は
乾いて屈折している
言葉は
からから からから
乾いた音を立てている
清涼飲料水になじんだのどは
生の水には
しっくりこない
流れ 潤うことには変わりはないが
遠い昔 塩あんから砂糖のあんに変わったように
気づくと
流れと感度の層が繰り上がってしまっている
あらゆるところで
嘆いてみてもはじまらない
とある時と同じように
新たな潤いと嘆きが
大きな流れに慣れ馴染んでいく
どこへ行くのかはわからない
めまいのように遠い 初発の動機と
この 人の流動と

潮の変わり目には
いつも湧き上がり来るしなびた牧歌を超えて
慣れ 異和 慣れ 異慣 慣異 慣れ
ただ乾いた道を
黙々と歩いている
時には ペットボトルの飲料でのどを潤す

言葉を織る 言葉の手を
斜め上方から
見つめているものがある
言葉に織り込まれ
かすかに匂うか

抽出される抒情は
造花のみどりではないが
みどりのみどり
果てしなく遠いところから
現在から
交差して
二重の視線の彼方にぼんやりと絞り出される
<みどりの>

 

 

 みどりの 19


ふだんは
さっと通り過ぎているけど
振り返りには いつも
ちいさな風景が滲んでくる

(…………)
あっ
……
ソレハ

(……)
おっ
……
コレハネ

(……………………)
おお
………………
ソウナノヨ

(……………)
ああ
…………
ウンウン

(…)
ねえ
……
アア

この地で
織り上がった
みどりの布をまとい
知らぬ間に走行している
みどりの

 

 

 みどりの 20


(うすぐらい膜をへだて)
(なが れ る なが れる ながれている)
(それは 何の匂いか)
(それは 何の色か)
(やわらかい つちのにおいする)
(薄あまい かぜのにおいする)
(生あたたかい みずのながれるひびきする)

るるる るる るるる
(どおく どおく どおく)
るるる るる るるる

るるる るる るるる
(どくどくどく どーん どくどくどく)
る るるる る る る

るらる るる るるら
(どおく どおく どおく)
るるる るら るるる

(それは 身もだえするエロスの 分離してゆく)
(それは エロスの流動が見えるとは何か)
(それは 感じるとは何か その透き通りゆく透明度の)
(それは その止むにやまれぬ志向性の)

 

 

 みどりの 21


たとえば ある時 ある場に
微笑みが自然に湧き上がるように
なぜか
うっすらと
みどりの散布された
層成す
濃淡の道を
誰もが知らぬ間に通り過ぎている
終いには
残り香は消え失せ
現在にどっしりと腰を下ろす
日々くりかえしくりかえす
うちに変成するみどりになじんでゆく

気づいた時には
ひとり
しずかに覚めて
言葉のようなものから言葉に渡る靄の中
感じるよりも
腑分けするように歩いている
(それは
何に促されている不幸せの旅?)

言葉の深みから眺められた
あれは自然界のもの
これは人界のもの
それは自然界と人界の相わたるもの
いずれも時間のねじれた水圧から
なぜか
道はみどりに匂っている

ギリシア哲学の方に触手を伸ばし還り湧いた
ドイツ観念論哲学は
自然界と人界が言葉の眼差しにおいて相わたるところ
切り取られた自然が人界に写像され
頭脳の増殖する生産=消費の
現在の情報工学や機能論は
古びた自然を離脱したと感じる人界の緻密化
今や
深い日差しに照らされて
自然界から人界に渡る
層成すみどりの
流れ出す 少し異貌の未知
がおぼろな姿を感受させている

みどりの宿運は
大いなる自然のもと
かたちを変えても不変であり
誰もが深みで感じていることだけど
なぜか
みどりの列車に乗り込んでしまった者には
いくぶん苦いみどりの味から
言葉が湧き上がり
各界の交差し合う
イメージの層へ
駆動する

大いなる自然は
言葉を超絶し
流動している
それはまた人界の生み出した神をも
超絶し
黙々と流動している

 

 

 みどりの 22


ふと見上げた
静かな夜空の星々に
吸い寄せられる
・・・・・・流れる
(みどりの)

家々に植え込まれた樹木に
まなざし葉揺れし
・・・・・・かすかに流れる
(みどりの)

人のあわいから
流れ込んでくる
言葉のかけらが
めまいのように深いところに落ちる
星々や樹木が揺れ
・・・・・・かすかに流れる
(みどりの)

くりかえしくりかえす
日々の
深い韻のように
うっすら煙っている
・・・・・・流れる
みどりの

やわらかな日差しを浴びて
日々のいろんな層に
それぞれの層のかたち成し 混濁し
・・・・・・流れる
みどりは

 

 

 みどりの 23


とってもちいさい子どもの
にっこりは
よたよたしながらも
あと振り返ることなく
真っ直ぐやってくる
(みぃ)

歳を重ねすぎてしまったら
あと振り返ったり
周りを見回したりして
くねくねすることが多いけど
どこか
知らないところで
真っ直ぐ
よたよた走っている
(みぃ)

ときには
この世界の片隅で
世界の破壊の願望に沈むこともある
それは とおい
故知らぬ破滅の懸崖からの
反復であるか
(みぃ)

織り成された
みどりは
何層も絡み合って
ひとつに見えてしまうから
とおい過去と
とおい未来と
ただ
深みのイメージとして
深く呼吸する
(みぃ)

 

 

 みどりの 24


なんにもない一日といっても
流れているものはある

こころ躍るものがなくても
みどり匂うことがある

暗い表情に沈んでいても
どこか あかるいひかりの粒々が点滅している

ひとみな等しく 知らないところで
みどりの海に漬かっていて
めまぐるしく行き来する 一日一日
瞬く 一瞬一瞬
家族や地域の大気や風波に
ひっそりと織り成して
いろんな色を 色合いを
放っている
放ち続けている

言葉も
しおれた草葉のように
色あせることがある
けれど
しおれた草葉を
ゆびで強く押してみると
それでもみどりが抽出され
匂い立つ
枯れ死しないかぎりは

なぜか 言葉は
普遍の衣装をまとって
それらをいろんな地層から
抽出しようとする

なぜか 抽出しようとする言葉もまた
みどりに匂っている
寄せ来る大気の
うんざりすることばかりが降り積もっても
それは
生き続けるものの
きぼう
と呼ぶべきかどうか

 

 

 みどりの 25


ひとり
時間の深み
遥か 遠くから
次々と写像され 重像し
ある形成し
壊れ
また ある形成す
からだの奥底に
底流し
時に 噴き上がり
潮引くように下ってゆく
六十余年も馴染んでいても
未知の一歩は
いつも戸惑う

人のあわいでも
新しいものを使いはじめる時のように
生まれたての枝葉の
樹液湧き流れ出し
ひとつの言葉を結び
少しずつ 少しずつ
あたりまえの光景となり
時の日差しの中
少しずつ形を変えていく
場違いな言葉のように
忘れられるものは忘れられ
埋もれるものは埋もれゆく
けれど 時に 噴き上がる
不変のみどりは
それらを貫いて
しずかに流れている

ひとりの
苦い時間の重量と
背に浸透する時間の匂いと
打ちあがる岸辺のまぼろしに
細くたなびいている
知らぬ間に発動している みどりの

 

 

 みどりの 26


外に出ると
つめたい風が肌触れる
身がかたく縮んでいる
流れは ある

季節は
めぐって
つかの間の
心地よい 春や 秋や
からだに刻まれているから
冬の 冷たい 大気の中でも
どこか
思い起こす
流れがある

もしも
この世界の大気が
どんなに華やいだ衣装で立ち現われても
芯に つめたく とんがり続けるなら
流れ出す言葉たちは
言葉の身をこごめ
まるで死の季節のように
全ての季節をかたく閉ざしていくだろう
内を流れる
身をよじるみどりの韻は
無数の殺意を押しとどめながら
日々の
ちいさな彩りの
飛び石を渡ってゆく
いち にー さん いち にー さん

 

 

 みどりの 27



ああ

うん
うんうん

おお
おおお

あ ああ あああ

感嘆詞ばかりでなく
すべての言葉たちが
流れ下り
上ってくる
それから
ひとりのまぼろしの画布に載るか
大気の少し淀んだ場所に放たれるか
文字に定着される

その流れの
発動する
みちは
時折
人界の重層を巡り巡って打ち上がって行く
少しばかり大げさな言葉たちとは違って
ひっそり閑と
流れ続ける

したがって
言葉と
沈黙の
深い谷間には
幾重もの大気の層に浸食されながら
湧き上がり
舞い落ちていく
あるいは
中腹まで上り詰めては
帰っていく
ひとり ひとり
生暖かい
独特の年輪が刻まれた手肌の
血流が
深い時間に促されて
波打っている

言葉の後には
互いに
波紋は波紋を呼び起こし
人知れず
交換される

 

 

 みどりの 28


木々や生き物みたいに
たとえじゃまなものが遮っても
振り返ることなく
じぶんの場所を踏みしめて
日差しを浴びているということがある

振り返れば
日差しが
差していても
差していなくても
肌合いに
気配がある

いくつもの層からやってくる
見えないものが
肌合いの
流れに触れ
慣れ親しんだ場所が静かに浮上したり
親和や異和感が湧き上がる
時には 波頭からふいと深く振り向くこともある
湧き上がる
というのは不明であっても
生あるものの避けられない自然だ

ひとの言葉は
動物に向かうと
自然に
動物の言葉に染まる

ひとの言葉は
植物に向かうと
自然に
植物の言葉に染まる

ひとの言葉は
動物たちや
植物たちの
言葉のようなもの
の内側から突き上り
みどりに
流れ 触れ 味わい
ながらみどりの本体を求めて
ぐるぐる迷走する
けれど
生あるもののすべての中で
知らない間に起動している
みどりの本体は

黙する自然の深みでは
生あるものは子どものように
受動性を生きるもの
<本願他力>というほかない
言葉の自然を超えることは
かなわない
それでも 時折
この人界の微小点から
誰もが ひとり
深い内省に沈むように
重層する世界にこだまする
みどりの
起源の方へ
しっとりと像の触手を伸ばしている

 

 

 みどりの 29


テレビがコマーシャルを流している
家並に隠れた道路を車が走っていく
木々が風に揺れている
日々くりかえされる
なにげない風景の内側にも
にぎわいが反転して
ひっそりと流れているものがある

振り返る者には
きまって季節は秋
枯葉が降り積もる
数えきれないほどの後悔と
いくつかのいい感じの光景と
樹木は
振り落すように
身震いするが
寄せる風波の大気の中
刻み込まれた
固有の感じや振る舞いが
消えてしまうことはない
ただ
いくぶんは枯れ落としながら
新たな芽や葉
変貌してゆく木肌の色合いから
固有の流動に沿って
みどり紡ぎゆく

揺らいでいる 秋
昨日のことはもういいさ
明日のことも
十年先のことも
いま ここに
過去も 未来も
静かに底流し反復している

こんなところまで来てしまった
のは言葉の必然かもしれない
旧来的なものは
乾いた抒情の中に
ひっそりと仕舞い込まれている
樹木の手は
この大気と日差しを受けて
いま ここの
無類のうたやだんすの
おさらいをする
上手いかどうか
はどうでもいい
ただ
この日差し浴びて
固有の曲線から
少しでも
のびやかにみどり流れ出すなら

 

 

 みどりの 30


木々が葉揺れし
雲がゆっくり流れる
視線に湧き立つ言葉も
静かに下ってゆき
こちらの流れに沈みこんでしまって
ゆったりと背伸びする

木々の葉と
ねこと
仕事の段取りなどに
またがって
流れを行き来する
いま ここに
言葉のからだが生きて在る以上
流れが滞留し息づく場所がある

微小点からも世界は見渡せる
浮上した場所からは
とてもちいさく見えることが
くりかえしくりかえされ
くりかえされくりかえしている
ひかり点滅し
幾層もの言葉が湧き上がっている
それでいい
それがいい
すべてにわたって
ひかり点滅するが
流れに漬かった
等身大の
初源の日溜りみたいな
おそれも
かかわりあいも
はじらいも
しずけさも
静かにかみしめる言葉だけが
なじんだ椅子にしっくりくる

 

 

 みどりの 31


ひと昔前の人々が通り過ぎた
峠を越える
息づかいは微妙に違う
眺めるみどりのつやもちがう
飲む水もちがう

ひと昔前の言葉が通り過ぎた
言葉の峠を越える
言葉の息づかいの 吸い込み放つ波紋が違う
言葉の衣装もちがう

峠から
見渡す光景は
現在が映らないように
慎重に撮られた時代劇とは違って
あらゆるものを内に含んで
きのうと同じように静かに流れ続ける

峠から見渡せば
自然なことになってしまったことと
時代劇との間に
たくさんのとまどいの息づかいがある

後ろを振り返らなくても
みどりに煙る
朝靄には
深い時間の頂に
寄せては返す
新しい装いの無数の層なす
峠を越える言葉が
ひっそりと滲んでいる

ひとは
くりかえしくりかえし
峠を越える
少しあたらしいみどりが
生動する
朝靄の中
ひとりひとり ぶつぶつつぶやきながら
脱皮に戸惑う虫の言葉のよう

 

 

 みどりの 32


(みぃ)
と言葉にかたち成した時は
肌合いは
すでにみどり流れている
したがって
言葉が上り下りしなくても
ひとはみな
無数の(みぃ)と呼ぶほかないものが
絶えること無い泡のように明滅している

(みぃ)
言葉の触手が身震いする時は
底から
突き上げるような
つよいみどりのうねり流れている
言葉は
上っては下り
下っては上り
十重二十重(とえはたえ)に言葉の衣装をくぐり
ひとり お気に入りの衣装を着込んで
生動するみどりの像へかたち成そうとする
産み落とされた後は
うまくかたち成せなかったほてりが
しずかに還流していく
みどりの流れに
ひっそり波紋を立て混じりゆく

(みぃ)

 

 


 あとがき
 
 
 この一連の詩を書いた動機の半ば以上は、たぶん現在の大気を呼吸するわたしの固有の頂へ湧き上がり、流れ下るものからきている。そして、半ば近くは吉本さんの次のような言葉に出会ったことから来ている。わたしの動機を駆動させるものだったと言える。
 
 
 記憶にまちがいなければ、ゲーテはエッカーマンとの対話で、自分の最もいい仕事は色彩論だと言っている。けれどニュートンの科学的色彩論にくらべて惨敗だと、わたしは若い工科の学生のころ考えて疑がわなかった。これが『若きウェルテルの悩み』や『ヴィルヘルムマイスター』にくらべて、どこがいいのだろうと思ったのだ。
 だが、現在なら少し解るような気がする。
 ゲーテは、なぜ天然(宇宙)の自然は若草を緑にし(定め)、秋の紅葉を茶紅色にし(定め)たのかを極めようとしたのだ。若草には葉緑素が多いし、紅葉は代謝が少なくなっているから、緑は消えてゆくというのも、眼が吸収するものと反射するものの違いだというのも、若草の緑は人間感性に上向感を与えるからだという心理的説明も、ゲーテにとっては解答になっていると思えなかったのだと思う。
 
 
 京都の秋の紅葉は、寺院の庭などで風もないのに寂かに落ちていたりする紅褐色がいい。東北の紅葉は、多様な山の樹木が緑から真っ赤まで色相のすべてを鮮やかに混ぜているのがいい。地域の気候差、樹木の種や科の差、「自然は水際立っている」と感じる(認知する)。その生態の謎がゲーテの認知したいところだったのではなかろうか。それはまた、宮沢賢治の迷いと信仰のあいだの謎でもあった。
        (『老いの超え方』「あとがき」吉本隆明 2006年)
 
 
 ひとは自身の言葉においても、あるいは、他人の言葉においても、ある流れに入り、内在的なある場が肌合いで感じられるようにならないとある像(イメージ)が生き生きと生動し始めることはない。もちろん、そこには誤解ということもありうる。最初、この言葉に出会って語られている内在的な流れに触れることはできず、よくわからないままにしていた。あるとき、ふとゲーテについて触れた吉本さんの言葉があったことを思い起こした。吉本さんに関しては、こういう体験はしばしばあることである。
 
 現在は、ゲーテの時代よりもいっそう科学は高度に深化し、その考え方や感じ方はわたしたちの日常世界にも深く浸透している。また、そこから流れ下る科学技術がわたしたちの日々の生活に大きな恩恵をもたらしていることは確かなことである。しかし、その分析と連結と総合の手つきから流れ来るものが、機能や効率や速度をまとってわたしたちの前に立ち現れるとき、それがわたしたちの日々の生存の感じ方や感覚に十全にかなっているとは思えない。わたしの誤読であるかどうかは別にして、そういう疑念がこれらの詩の世界の動機の大きな動因となっていることは確かである。
 
 誰もが日々密やかに感じていることは、現在までに有り合わせのものにかたち結ぶほかないとしても、幾層もの世界との関わり合いがひとつに溶け合って現象するように見える。わたしたちは、手肌から頭脳にいたる日々の反復のなか、この人界に重心を持ち、日々、こまごまとしたものごとに明け暮れているばかりのように見えるが、人界の歴史をも反復し、同時に果てしない生命(いのち)の起源からの巨きな反復もまた知らぬ間になしている。
 
 ひとの世界の遠い果てから現在に至る宗教や科学のいずれにも着地することなく、両者を包み込むような言葉の場所は現在において可能かという大それたモチーフに突き動かされている。
 
 この詩集はそのレッスンに当たっている。

             2013年 3月12日 
  


詩集 『うさぎのだんす』 (2/2)

2016年03月05日 | 詩集

26

 キーボードを打っている


この大気の下
言葉が滴り落ちてくる
あるいは
言葉は湧きだしてくる
れいのうしゃではない

積み重なりの今から
ピアノかあれば
自然に弾き出すように
絵筆があれば
手が勝手に動くように
人の

白い野を越えている
 d\e k 0b5we. a
人の姿は ない
 vsk rt@q f ue a
踏み固められた道に
 2ntq/o;q na i a
溶け込んだ日差しがあり人の影があり
 s: byq@ vx@dt@ 3l vsk t:@ t@ 3l a
まぼろしのように匂い立つ
 j-@\d k 94 i i6eqz a




27

 わからない


人みなするように
ふと視線が下る

どこへ行くのか
よくわからない
どこから来たのか
どのように来ているのか
よくわからない

わかっていることから
数え出す
わからなかった岩山も
あるとき ひと触れで崩落し
年輪のようにまたひとつ加わる
少しずつ 数え方も変わってくる

幼時の記憶のような
だれもがわからないことは忘れ去り
日々熟(こな)れた手足が動いている
ように見える
わからないことなんて無いかのように
自信満々に語る者もいる
だれも奥底の微かなもやもやは 消えない

どこへ行くのか
よくわからない
どこから来たのか
どのように来ているのか
よくわからない
わたしは
人は

わたしの
人の
背中やこの歩みの中から 
いま ここに
わからないことは浮上する
わたしはわたしであり
わたしは人でもあり
いま ここに 生きて在るのだから
時間の織り目から滲み出す
わからなさの匂い
ひと息のコーヒーにかすかに匂い立つ



28

 さくら木の下で


小さい子がいう
カメさんになりたい

若者がいう
職人になりたい

老年がいう
なりたいものはないが
ねこの まあるくなってじっと佇んでいる
いいねえ

(滲み出し
触手をのばす
言葉は
ほの暗い在所の軒先から
ふるふるこぼれ落ちている
春霞の さくらの木のように
はなやいだ大気の下 しずかな
樹液が 絶え間なく 律動している)



29

 大きな声を出さなくなった


子どもの頃は
大きな声を出していたような
流れ高まり
放つ声 大気ふるわせ
帰ってくる
増幅された膨らみに からだの芯ふるい 波に乗り
また声を放つ
潮が引いていくと
ちっちゃな自分に戻っている

太古には
子どもでなくとも
大きな声を放つことがあったのかもしれない
しなびた風景を新たにつなぎ留めるよう
みなの肌触れ合いぶつかり合い
手を打ち 足踏み鳴らし 裸の肌が波打つ
しぼりにしぼり 汗は膨らみ 蒸気が上がり
大きな声が律動する

大きな声を出すと体に障る
大きな声を出すと回りの視線が気になる
そんなことではなくて
大きな声は変貌して
選挙の投票みたいになってしまった
はいこうしてここに書いてああしておしまいです
黙々と 行って帰ってくる
よそゆきを着込んだ
ひとりひとりの黙々に
ひとつひとつの大きな声は溶け込んでしまって
町中では大きな声を出すことがない



30

 きらい


ぴーまんきらいうめぼしきらい

ぴーまんはにがい
うめぼしはすっぱい
苦と酸にからだが折れ逃げる
うめぼしのはちみつ漬けのように
ぴーまんも少し甘くできるのかもしれない

あのひときらい

他人がきらいであれば
避けることもできる
けれど どんな小さな集まりでも
かならずうまく合えない者がいる
日々の積み重なりに
きらいが中和していくこともあるかもしれない

自分がきらい

まっすぐ進んでピンに当たる
と身をよじっても
溝の方にそれていくということがある
ボーリングのように
もう一度トライ
しても苦い後味が引いている
付き合うほかない
時間の根深い結晶に
日々ひなたの匂いを振り振りかける

生きているのがきらい

もうこの峠まで来たら
あとはない
谷は深あく 暗い
前のめりに
こころの襞が 白んで乾いている
水でも飲んで…… いや
そこ そこの わずかの残り振り絞って
自ら 水を少おし 飲み
フラッシュバックを越えて
いのちの裏側まで隈なく歩き回るがいい
あたりまえのように
どこにも日は差しているのだから……



31

 小景


あーん おくちをあけてくれる
 あああん
あーーん よ
 あああんあんp
えーとね あーーん これくらい
 ああんんp
じゃあ それを なんどかつづけてくれる
 ああん ああんp あああん ああんp あん
もういいわよ
ああ そこが すこしはれてるね
わかんなかったね
じゃあ おくすりのんどこうか
ちょっとにがいよ
 ああp あああp ああp
これで だい じょおう ぶ



32

 ぐるぐるまわる


(風が急に倒れ込んでくる)

まわっ

いる
ぐるぐるまわ

おなかもすこしぐるぐる
なりだして
言葉もぐるぐる
まわりだす
まわってまわってまわって
まわるうう

こんにちは
今日は新製品の案内に伺いました。
(きよは
しんせい ひん のあない
にうかうか がいまし た)

まわってまわってまわって
まわるうう

(わからないけど どっかに
地球の自転のような 静止領域が
あるような)
(風が つ め た い)



33

 ぼんやりと見える


途中に見つけた
いい感じの小枝で
背の高い草をなぎ倒しなぎ倒し
歩いて行く
橋の欄干では
叩きながら通っていく
縁起をかついでいるわけでもないな
最後まで叩いていかないと
何かが終わらないようで
歩調を合わせて
叩いて渡る

リズムをとっているわけでもない
口ずさんでいるわけでもない
ただ叩いて渡っている

なんでもない
遠い光景
が浮かび上がってきたら
たぶんわたしの現在(いま)がどこかで呼び寄せている
日々の慌ただしい手順の波に溶け込んでいて
わかりはしないが
ひとつの感情の曲線に
若い芽がぼんやり見える



34

 今は


赤ちゃんの今から
今の今は想像すらできなかった
今の今から
赤ちゃんの今はよくわからない
わからなくても
今の今の今をいくつも越えて
この今に来ている
振り返るといつも
今は燃え尽きた煙のよう

せわしない日々でも
ゆったりと歩いたり
お茶でも飲んだりする
ふと ありふれた今が揺らぐと
いつも
今は
先の見えない
壁に似ている
急に倒れ込んでくることはなくても
からだのどこかで壁を意識している

もういいかい
もういいよお
戦(おのの)きとともに
言葉に不安がよぎっていく
当てはなくても
とっくに手足は駆け出している

(いまいまいまいまいま)



35

 街に出る


この服で出かけるよ
 ちょつと地味だね
これ に するか
 それは派手すぎる
じゃあ どれがいいの………
 うーん ええっとね……

街に出る
うらぶれてはいても
にぎやかにいろんな旗
風になびいている
街中の言葉たちもいくらかなびいている
 いま飾ってるよ

とある店の前で立ち止まる
明るい照明の下
化粧した品々が
誰かを待っているように静かに腰を下ろしている
 いま飾ってるよ

ほしいものはなかったのに
見回している内に
これください
と言ってしまった
こちらとちがって
店の人は
見知らぬ他人
から
いくぶんにこやかな顔つき

変貌を遂げていた
いつものように お金以外に
どこかで なにか交換をして
 いま飾ってるよ
帰って来た



36

 話し合い


本日はお忙しい中集まっていただいてありがとうございます
話し合いは型通りに始まる
話し合いに加わっている
町内の班長会や職場の会議など
加わりたくなくても
加わらなくては
ならないことがある

話し合いの場には
およそ二つの層があり
議題に関わる層と
議題を超えた層があり
 賛成だ
 賛成はするが……
 反対だね
 とりあえずの解決として仕方ないか
  ああ早く終わらないかな
  今日はカレーだな きっと
  議題自体が無意味だな
  あ 笹が揺れている

話し合いの場には
沈黙が重奏している
けれど
ふんわり引き寄せられ
浮上してきた言葉たち
掃き寄せられ
なびいている
沈黙の噴流に押され
結論が下される

最終的な取り決めの後には
いつも帰って行く
沈黙たちの通り道がある
    向こうには 古くからの山々や海がひらけ
  なだらかな丘陵を成している
苦も喜も踏みしめられた
相変わらずの土ぼこりのする道を
下っていく
小さい頃から見知った人々はあんまり見かけなくなってしまったな
  下っていく
   点点点と影を引いている



37

 飾る


(飾りっ気がないと
部屋が静かすぎる)
なにげなく
花を飾る
絵を飾る
置物を飾る
飾ってしまっている
(部屋のくうきが変わる)

せんたくした
服を着る
(着飾るが少し忍んでいる)
洗い仕舞い込まれた中から
ひとつを選び取る
派手な鳥や歌手たちのようには
着飾ることはない
けれど ぱんつをはいて
うっすらと着飾っている

言葉が
かたち成しはじめる
どこからともなく
よぎるものがあり
着飾ってしまっている
出かけた道の途上に佇んで
何か忘れ物があるような
と触手が下り
あちらこちらと探して回る
靄(もや)が深い
 おっとお
つまづきそうだ


38

 交叉する


たとえば
皿など洗っていると
知らぬ間に
足もとに来ていて
踏んづけそうになる
少し踏んでしまって
 ふぎゃ
というときもあり
 どきり
よろけてしまう
 ごまちゃーん ぽい ぽい
こちらには
知らぬ間に 急に
と見えても
ねこにとっては
このねこの見渡す筋道がある
このねことこのひとと
ふだんの視線のちがいは
見渡す世界のちがい
うまく交叉するのがむずかしい

    ふぎゃ
 どきり



39

 見えないところがある


見えないところがある
見えるということは
芯から湧き立つ
匂い色合い漂い流れ
しっとり
肌合いに感じること

見えないところがある
自分の中でも
気づいたときには
角を曲がってしまっていた

見えないところがある
身近なひとの
繰り返し目にする光景に
視線が折れて込んでしまう

見えないところがある
足もとにすり寄ってくるのに
触れようとするとすり抜けていく
片手を柱で支えて見つめていると
片手の方ばかりじっと見ている
遊ぼうというのか ねこは
視線がさまよう


40

 目の検査


ひとりひとりの中に視線が注いでいます
あるいは 視線が湧き上がり
深い時間のいくつもの層から
踊り出すように
視線が行き交い
言葉は視線たちに溶け込んで
姿かたち成し匂い香り肌合いを放っています

何が見えますか
 人人人 目の前を歩いています
 (ちょうどいい いま 人の目線の高さ)

何が見えますか
 家家家 田田田 山山 干拓地 海
 (高い ヒコーキに乗っているぞ あれは五十年前のぼくの家)

何が見えますか
 しいんとしている 人の内臓のよう
 (高過ぎ 目がくらむ人工衛星 ぼくの誕生以前)

何が見えますか
 岩土岩水
 (暗い 地下何層だろうか 生き物のいない地球のからだの中)

では 次行きます
何が見えますか
 心配する パニックというのだ
 最悪の事態 想像する、 「手がかり」を
 ひとつずつの 現場の問題、
 勇気と尽力 感謝 します。

 深い悲しみ 恐怖 人間のこころは、
 ほっとく 暗い 洞窟の闇のなか
 射してくる光 脱出
 光の穴から、 空気も、希望も 出入り

 右に行くか 左に向うか、
 「どちらの判断も尊い」 と 思 う
 「右往左往」 反対側のリスク 覚悟
 「右往」のみ

 ぼくらは 元気な者 として 動いて います。 註.

 沈黙の流れに溶けている 時おり泡立つ

何が見えますか
 サ行のように凪いだ海
 遠い星のようにきらきら光っている

何が見えますか
 五十音が溶けてしまったような ・ ・・
 静まり帰っている

何が見えますか
 マントルの熱気
 ぼわっと感じる あっちち

はい
これでおしまいです
まあ問題ないでしょう

 註.「今日のダーリン」(2014.2.27、糸井重里『ほぼ日刊イトイ新聞』)の言葉から



41

 日々のあわいには


日々のじかんのまぎれから
ふと言葉が湧いてきたら
そうっと 書き付けることもあれば
なんども反芻していても
しだいに消えていくこともある
たとえ消えてしまっても
まあ いいか……

そうだね
それがいいね
あいづちを打っても
長い時間の流れでは
そんなことあったかな
ということもある

あれ それ それ
あれは なんだったかな
とってもたいせつなことのようで
思い出せない
流れに下っても
しずかに 泡立つばかり
一日と一日のあわいには
そんなことがある



42

 こころづもり


湧き立つ雲のような
こころづもりがあっても
歩き出したら
予期しなかった
影も差してきて
こころ模様が揺らいでくる

木々でも
人でも
流れに出会う
あ そこはまたいで
歩く
こちらからも
流れ出している
出会うものや人たちも こちらも
幾たび訪れきたか 春霞
春霞に揺らいでいる

自分のこころづもりでも
自分に こちらとあちらの意味があるように
こちらとあちらのこころ模様が見分けがつかない
春霞
ふいと
さくらの小枝を折り取って
家路についている



43

 狂言から


でん でん むーし むーし
でん でん むーうしむーしい
 やあ     やああ      よおああ
   ぽこぽこ     ぽこぽこ
      ヒュー         ヒューア

でーん でーん むーし むーし
まい まい まーい まーい
 やああ   よああ      よおおお
    ぽこぽこ   ぽこぽこ
      ヒュー         ヒューア    ヒュー

でーん でーん むし むーうおおあーし
まい まーい まーい まもおあーい
     ぽこ   ぽこ     ぽこぽこ
                     ヒューア

つのだーせ つのだーせえ つのだああーせえええい
やり だーせ やあり だーーーせえい えいえいえい
 やああ   よああ      よおおお
    ぽこぽこ  ぽこぽこ
       ヒュー      ヒューア    ヒュー

  註.
『schola(スコラ)坂本龍一 音楽の学校』(能/狂言1 NHK 2月27日)を聴いて。登場する野村萬斎の、昔、NHK『にほんごであそぼ』に出た「ややこしや」がおもしろかったので、この番組を聴いてしまった。能とか狂言には興味は持てないが、二つの出し物がわたしの耳を捉えた。たまたま柳田国男の「蝸牛考」をいま読みかけている。




44

 高速度撮影から


う うっ
う ううう
う う う
うみんp
うみんp がうんp
うみ が うまうまp
ウクライナ
う うっ
う ううううう
うみが
うみが うまうまれ るんるん
うみが うまれる

海が生まれる




45

 超高速度撮影から



・・
・・・

・・・
・・

おお
・・
・・


なみ ぬう
・・・
うう

うねるるるるるどどど
・・・・・・
うね るるるるる ど どど
・・・・・・・・
・・

うみ
・・・

・・・・
わた うみん


・・・・・・・
うみが うまれ れれれれれえ
・・・・・・・・・
・・
・・・
うみが うまれ る

海が生まれる



46

 メリーゴーランド


めーりさんの
ひつじ
ひつ

ひーつじ
めーーり さんのー
ひ  つじ
かわ い  いーね

めーーり
さんの
ひつ

し つ じ
 つじ
めーり さんー
 む かーえ
しっ かり もーー
の だーー


めーり さん

ねむる
ねむる ねむる
めーり さんは
ねーむる
…… ……



47

 ジェットコースター


めーりさん

めーりさ
ん の


ひ ひひ
ひ ひ ひ ひ (ゴホ ゴホッ)
ひ ひ ひーーーい

めっ
ひっ
うっ
うおっ うおっ おっ おお
うおおおおおおおおおおおお
(グル グル グルグル)


めーりしゃん
はあ
ぬむる のむるーよ
ふう




48

 歩いて行くよ


大気が冷たければ
少し厚着する
風が強ければ
鼻歌でも歌い
踏ん張りながら歩く

どうしようもないことが
押し寄せてきたら
押したり引いたり
回り道したりすり抜けたり
なんとかしようと足掻くだろう
たぶん


くたびれた
言葉の靴でも
立ち止まって
ほとんど触ることのなかった
ひもを結び直し
出かけるにはつらい
小雨降る日でも
雨をかき分けるように
歩いて行くよ

ああ
あめがつめたいな
肌合いにまでしみこんでくる
言葉も縮こまる
手をこすりながら
歩いているよ
車はときおり通り過ぎても
ひとにはめったにであうことがない



49

 重力の話


重力といっても
物理学の話ばかりではない
とりあえず重力と呼ぶもの
目には見えないようで
見えるときがある
仲違いした重圧に
顔も重たく 少しゆがんでいる
早く出かけたい子どものからだは
待ちかねて重力をはねのけようと揺れ動いている

重力の話には
まだ先がある
遥か 人が魚だったとして
そんな時の重力は
消失している?
遥か 人が鳥だったとして
重力を振り切ろうとする飛行の繰り返しは
消失している?
 そんなこと考えても無意味だ!
断定の裏側にも現在の重力がかかっている

ふだん気にも留めないことが
気になったら
きみは現在の囲いから少しだけ後景に移動している
重力が少しだけ揺らいでいる
ふだん人が気にも留めないようなことが
気になりすぎていたら
きみは若すぎるか老年か
あるいは不幸な生まれだったのかもしれない
重力がずいぶん揺らいでいる

NASAの重力観測衛星によると
物理学でも
この地球は一様な重力分布でもないらしい
心や精神にも重力の揺らぎの場があり
ふだん気にも留めないことが
気になりだしたら
気づかなかった
きみの中で
重力分布が変動している




50

 胎内画像


動いていますね
ほら ここが顔ですよ そこが足
はい あ こっち見てる

  うっぷぬっぷ うっぷぬっぷ
  うっぷぬっぷ うっぷぬっぷ
  (外からの 気配)ぱ ぱ ぱ
  ぱっぷぱっぷ ぱっぷぱっぷ

赤ちゃんは狭っ苦しく感じないんですか
そりゃあ 大丈夫ですよ 小宇宙ですから
はあ

  つるりんぱ つるりんぽ
  うっぷぬっぷ うっぷぬっぷ
  (かおがきこえる)ぷぬ ぷぬ ぷぬ
  (おとがみえる)ぷぬ ぷぬ ぷぬ
  (においがふれる)ぷぬ ぷぬ ぷぬ
  (むこうに なにがあるのか まあいいか)
  うっぷぬっぷ うっぷぬっぷ
  うっぷぬっぷ うっぷぬっぷ
  ゆらゆらゆうらり ゆるゆるゆるん

ちゃんと育っていますか
大丈夫ですよ 良好な発育です

  (おとやかげがとけてながれ くる
  うすいまくのむこうから うえのほうから
  あったかい ひざしのよう)ぷにゅぷにゅ ぷにゅ
  (ぼくはあなたのようで あなたはあなたのよう)
  (そっちのみずは なんかにがい)くにゅくにゅくにゅ
  うっぷぬっぷ うっぷぬっぷ
  うっぷぬっぷ うっぷぬっぷ
  うっぷぬっぷ うっぷぬっぷ
  ふあああ~あ


51

 下るまなざし


誰でもふとうつむくときがある
肌慣れた場に
静かに着地してゆく
上の方から吸引するものや
飛び交う言葉のかけら
嫌な自分も顔を出している

もうひとつ下ってゆくと
子どもの頃の原っぱに出る
草は踏みしだかれ
鳥が舞っている
吸引するものも 飛び交う言葉もなく
土や草の匂いの
ことばが漂っている

下るまなざしになった言葉が
さらに下ってゆくと
くらい洞窟の
所々に小さなひかりが差している
ここはどこ
という思いが起こることもなく
手探りで ゆっくりと歩いている
 きん こん かん
かすかな 水気のある音が
響いている
 きんこん かん
フラッシュバックのように
寄せてくる波をかぶりながら
 きん こん かん
半ば怖いもの見たさに
音の源流の方へ
歩いている

ふいと途切れて
さらに下っている
どこまで続く?
巨大な白い紙の 小さな点
言葉は無い
無音の
ただ 微かに周囲が黙々と波打っている



52

 峠にて


(なべに500ml水を入れ
42度まで暖めます)

温度計はない
指の感触では
まだぬるい
あと少し
峠でひと息
辺りの草花を眺めていた
下の方を振り返ることはしない

なべはぽつぽつ泡が出始めている
差し入れようとする指は
直前で引き返している
よそよそしい他人のように
峠を越えてしまっていた

(町田康なら踊り出す……
うどんの言葉は うどんの言葉は
煮え二重過ぎて あぢ あぢ あぢぢ
味は和華蘭 腰も和華蘭
わからん音頭だ くにゅくにゅくにゅ
にゅくにゅくにゅく あぢ あぢ あぢぢ)

調理ではないから
ゆっくりと下降していくのを待っていたら
あの場所にたどり着ける
かもしれない
熱すぎるゆの
風呂のいい湯加減の言葉みたいに
やわらぐ場所に


53

 言葉がない と言っても


こ 言葉がない
 無いと言っても 何かあるでしょう さやさや
ちいさな波紋が立っている
 ほらね 何かあるでしょう たとえば……
消すに消せない過去が
ふいと巻き上がった風に押され
転がり込んでくると
言葉の頬が赤らむ
 そうそう
いつもの屈折点が
年を経て摩耗していても
 ずきん ずきっ
うずき出す
風景が縮むのは
 ちいさく ちいさく
こんなとき
いずれにしても
生きて 在る
かぎりは
寄せては返す
とある岸辺に佇んでいる

こ 言葉がなくても
この世界に深く捕らわれていても
そんなことはなかったように
 ああ そうね
お茶も飲めばコーヒーも飲む
ウーロン茶も飲んだしキムチも食べたことがある
(キムチは肌に合わないな)
 水が合わない 水がちがう
水のちがいは
びみょうに作用している

こ 言葉があっても
繰り出すおしゃべりを
ぺらぺらぺら
ぺぺら ぺらぺら ぺぺらぺら
 調子いい
ページを繰るようにたどっていくと
ひっそりと凪いだ海面がある
 もうフィナーレ? あれは それは これは
あらゆるものが 寄せては返し
層を成して 溶け込んでいる



54

 なじみの場所


言葉にいかれてしまった
ように見えても
はだかで走り出したりはしない
言葉のからだに
黙する水面(みなも)に
流れ続ける
いちにーさん さんにーよん さんさんさん
反芻する
うつむく おもわず笑い ひそかに泣き 歩み 止(とど)まる
踏み固められた地に
日差しが
すこし まぶしい

こわいことに
生きていても
言葉が死ぬことがある
3万言費やしても
しずく滴る言葉は流れていない
抜け殻みたいに固くなっても
気づかないことがある
かすかな音や匂いが
生きて在るかぎり
底の方では湧いている

言葉のからだを下る
生きて 在る
かぎり
くりかえしくりかえす
いくつもの層を潜って
遥か下の方
透過した日差しを浴びて
流れ 流れる
無数のちいさなあかりが
自然になにかと 分かち合いながら
ぼおっと
癖のある等身大に
点滅している



  あとがき


  この一月ほど毎日のように詩を書いてきた。若い頃は毎日のように詩を書いていた時期があった。詩を書きながらふとそのことを思い起こしていた。あらゆる専門的な表現者のようにいつもより濃密な凝縮した時間を体験したが、そのことが言葉にうまく凝縮・展開されているかどうかはなんとも言えない。ただ、さて街に出るぞという心積もりとじゃあ人みなどこかで感じるようなやさしい言葉で行こう、ということはなかなか難しい。場違いなものの登場のように絶えず寄せてくる言葉があって、うまく格闘できたかどうか、詩の言葉が場違いなものになっていなければいいなと思う。また、人みな固有の癖のようなものがある。そのわたしの固有の癖のようなものが少しでも普遍の流れの方へ開かれていたらと思う。まだまだ続けられそうだけれど、これで一区切り。またいつか。                 (2014.3.10)

 


詩集 『うさぎのだんす』 (1/2)

2016年03月05日 | 詩集

詩集 うさぎのだんす



 まえがき

  詩を書き継ぐわたしの言葉の現在に促されるようにして、徐々に浮上してきたひとつの詩の有り様のイメージがあり、ふと思いついた詩篇の題名がある。もしかしたらそういう題名の詩集があるかもしれないと検索してみたら、あった。詩集『ウサギのダンス』というのがあった。というわけで、詩集『うさぎのだんす』とする。自分の中で、継続中の三詩集との関わりがよく見えない部分があるが、とりあえず始めてみようと思う。
                                    (2014.2.2)



No 題名 日付    No 題名  日付 
入っちゃだめ ① 2014.2.2   21  花が咲いている  2014.2.18
ひがもえあがる 2014.2.2    22 発声練習  2014.2.19 
入っちゃだめ ② 2014.2.2    23 なんとなくおとがなみうっている  2014.2.19 
4  ああ そういえば  2014.2.5   24 均衡点  2014.2.21 
5  今 なにか口ずさんでいる 2014.2.5    25 言葉の接触面 2014.2.21  
こらこら  2014.2.8    26 キーボードを打っている  2014.2.22
あらあ 2014.2.8    27  わからない 2014.2.22   
8  思い起こす  2014.2.10    28 さくら木の下で 2014.2.24
9  あいさつ 2014.2.10   29 大きな声を出さなくなった 2014.2.24
10 うつむく言葉 2014.2.12    30 きらい 2014.2.24
11 ゆらゆら 2014.2.12   31  小景  2014.2.24 
12 あーね 2014.2.13    32  ぐるぐるまわる  2014.2.26 
13 あることないこと 2014.2.13    33 ぼんやりと見える 2014.2.26 
14 ああいいな 2014.2.13   34  今は 2014.2.27  
15  あけびの話  2014.2.13    35  街に出る  2014.2.27  
16 どんどんどん 2014.2.15   36  話し合い  2014.2.28 
17 しこり 2014.2.15    37  飾る  2014.2.28
18 一区切り 2014.2.16    38  交叉する  2014.3.02 
19 恋と言えば 2014.2.16    39  見えないところがある  2014.3.02  
20 うさぎのだんす  2014.2.18    40  目の検査  2014.3.02  

 

No 題名 日付   
41  日々のあわいには  2014.3.02    
42 こころづもり  2014.3.03  
43 狂言から  2014.3.03   
44  高速度撮影から   2014.3.04   
45 超高速度撮影から   2014.3.04   
46 メリーゴーランド   2014.3.04  
47  ジェットコースター   2014.3.04  
48 歩いて行くよ  2014.3.05  
49 重力の話 2014.3.06  
50  胎内画像 2014.3.07   
51  下るまなざし 2014.3.08    
52 峠にて  2014.3.10  
53 言葉がない と言っても   2014.3.10   
54  なじみの場所  2014.3.10   

 あとがき (2014.3.10 )




 入っちゃだめ ①


そこは入っちゃだめです

いいじゃん
なにか壊すわけでもないし

いいや だめです

ふうーん
なんかよくわからんな

物は壊れなくても
(壊れるものがあるんだよ)

(こわれるもの……)
こ・わ・れ・る

おいおい
入るなって言ってるだろうが
殴るぞ

…………

コノヤロー





 ひがもえあがる


静かに
日が落ちる

ひとつの瞬(まばた)きの内に
反転して
火が落ちる
非が 否が 費が 碑が 秘が落ちる
燃え上がる






いろんなものが
入り乱れて
ぶつかり合い つながり合い
日が
燃え上がる

焼け跡には
死体はない
ただ
通りがかる者には見えなくても
焼け焦げた言葉や
言葉の灰が
散乱している
の が
見える

魔が差した後のように
静かに
日が落ちている





 入っちゃだめ ②


入っちゃだめだよ

……

おいおい 聞こえないのかい

…………

だめなんだよ

ぼくの紙ヒコーキが
飛んで
入って行ったから…

カミ ヒコーキ?

………………

ダメ!





 ああ そういえば


ふと
わきあがる

ああ そういえば
そんなことが あった
こんな場面が あった

悪いことばかりでなく
いい感じのことも
ふうっと
寄せては
返す

時間の波に
今 うまい具合に乗って
滑り出すのは
いい
けど
染みついたバランスから
失速して
波をかぶることもある
くり返しくり返しやってるのに
似た角度に入り込む


日は差し
海は 深みまで
動きを止めることはない





 今 なにか口ずさんでいる


今 なにか口ずさんでいるだろう

いや

口ずさんでいたやん

いやいや
なんにも口ずさんでいないよ

いいや 口ずさんでいた!

ふうーん

………

……………





 こらこら


あっ おー


そんなに大きな声を出したら
いけません

 

こら こら

いけないよ
 ね

あ おー

うーん



なに おじさんやってるのよ






 あらあ


あらあ
おじぞうさんをけったらいけません

なんでや

おじぞうさん

けったら
い・け・な・い・の

なんで

おじぞうさんは
おじ ぞうさんは
大きくて……
おじぞうさん は……

………

(地域によっては
おじぞうさんを引き回したり
川に投げ込んだりして
子どもがいっしょに遊ぶ風習もあった)






 思い起こす


よく思い起こすことがある
過去の情景は
降り積もる時間の砂浜から
拾い出された
ごくわずかの砂粒が
よくわからない物語の断片のように
手肌にくっついてくる

砂粒をこすってみても
他の砂粒とあんまり変わらない
砂粒だけど
なぜかはわからなくても
ひとりひとり
ちがって見える
ちがって感じる
ちがって匂い立つ
ような

くりかえしくりかえし
思い起こす遠い情景があり
歳とともに
いくらか年輪を重ねている
ような





 あいさつ


子どもなら
きょうはよかてんきですね
とは言わないな
おはよう
とか
よっ
とか
おすっ
とか
見知った顔には
いくらか助走を付けて
あいさつを
(瞬時に)
打ち上げる

世代や地域によって言葉が違うように
あいさつにも異なる言葉の地層があり地肌がある
言葉が違う
抑揚が違う
ひとり ひとり 違う
違ってはいても
ひとみな
流れ出す支流は
靄(もや)に包まれた大きな流れから出てくる



10

 うつむく言葉


雨に
うつむく言葉もある

あ 雨か
なぜか窓のかーてんも下りていて
室内の空気が晴れない
言葉が
中心で
ぐるぐる ぐるぐる
もたれていて
曇っている
滴も落ちてくる
カーテンを開け放ったくらいでは
内と外のあめはあがりそうにない

言葉は顔を上げていても
うつむいていく言葉のからだがある

雨上がりの
晴れ渡った日差しを
日々くり返しているうちに
解けていく言葉のからだもあれば
なかなか解けない言葉の骨格もあり

時折 小さく疼き寄せる



11

 ゆらゆら


何ゆらゆらしてるの

だんすしているんだよ

ゆらゆらしてる
ようにしか見えない

イインダヨ
コレデ
イイノ

ソオ

(おりんぴくでは
ダンスの
うちとそとが
熾烈につながり
演技してる
うん?
うんうん
うん?)




12
 あーね


この地の子どもに
なるほどね と言うところを
あーね と言うことがある
自分の流れに触れ 相手に放つ
たぶん感触を楽しんでいるのだろう
あーね
と言う
少し異和があった
わたしの小さい頃は耳にしたことがない
からだに響かない
誰が言い始めて どのように伝播したものか
九州辺りに棲息している
割と新しいものらしい

採集されて
ああね ああね
を何度くり返しても

にはならない

あーね



13

 あることないこと


めでぃあの中では
あることないこと膨らんで
一色(ひといろ)の像になって歩き出す

古事記の中では
ウルトラマンみたいな神々が
某(なにがし)の祖先とある
(そんなばかな)
と思っても
ばかげていると言わない者も
未だに信じる者も
いる

芸能人や政治家などが
象になって歩いている
(そんなことはないだろう)
と思ってみても
象は 生きて 歩いている
時には 大きな鼻を持ち上げている
時には 草も食べている
(象だ 象だ 本物の 象だ!)
((いやいや 俺では ない!))
まてまて まてえええ
本人が叫び追いかけても
ぬかるみに足捕られ
象に襲われ
やつれた小人になってしまう

悪意と作為が
微妙にまぶされて
(たぶん そんなこともあったのだろう)
という背景に支えられ
象はまぼろしの血流を手にして
物語をどしどしどしと歩き始める

めでぃあは
大から小まで
人と人とのあわいにあり
多様な色 微妙な色合い
が一色へ
奥深い一語 何気ない数語
がまぼろしの手で連結された千語の物語へ
増殖し織り上がる
ほんとは恐ろしくも何ともないけど
ふりかかると恐ろしい
白いごはんが
嫌いなふりかけの味や匂いになる
のを振り払えない



14

 ああいいな


靴を百足持っている
五つ星の店で百回食べた
海外旅行を百回やった
そんなことではない
ここからは
そんなこたあどうでもいい

それはそれでいいんじゃない
別に
うらやましいとも
ああいいなとも
思わない
まったくの中性だ
日々の渦中に
お金のことを気にすることはある

とある風景の渦中で
流れる うねる
こころのバランスが
びみょうにいいとき
お金のことはつい忘れてしまって
ああいいな

おも


(ひとのはじまりから
あまりにとおおおくきて
これっぽっちだけど
とてつもないじかんのじゅうりょくに
なんとも いいようがない)



15

 あけびの話


あけびはいいな
食らいつきたいほど
いいな

二三度食べたことはある
別にそれほどの
感じではなかったな

秋映えの
うすむらさきに
ぱっくりと実をさらし
匂い立つ
いいなあ

ふうーん

ひかりを浴び音に乗り
身が躍動する
大気がふるう
にぎわいに染まる町
いいな

それって
AKBの話じゃないのかい



16

 どんどんどん


(どんどんどん)
はーい
誰もいない

(どんどんどん)
はい
誰も いない
たしかに耳は聞きからだは感じ取ったのに
姿はない

(どんどんどん)
うるさいな
邪魔なんだよ

(どんどんどん)
遠くからか
大気を伝って漂ってくる
祭りではない
この地の少しなつかしい浮立(ふりゅう)の音ではない
遠くから
はしゃいだ気分に乗ってる
鈍い響きがする
無視しよう
としても粘りつく

(どんどんどん)



17

 しこり


わけもわからない頃
母から引き離されるように
ひとりひとりの家(うち)から
寄せ集められ
何者かに急き立てられるように
走り 止まり 回り たどり うねり
食べ 飲み 笑い 泣き 触れ合い
くりかえしくりかえしの
時間の織り模様が
どこかにしこりの綾を沈めて
それが自然な日々に見えてくる
学校の

例えば体育祭をやるとき
様々な人の振る舞い様
(これをやろう)
(いやそれがいい)
(ぼくはいやだな)
(おれは出ないよ)
(ぼくは係だから まとめなくゃならない)
結んでいく 反発する それていく
この世界の人の有り様が
凝縮されている

みんな
わけのわからないしこりがあっても
給食の机が一斉にひっくり返ることはない
疼きを忘れてしまったかのように
大人しく
ひとりひとり木樵になって
学校の植木を切り整えている



18

 一区切り


ゆっくり
顔が上がり 下がっている
思いが上がり 下っている
なんてことのない
ちいさな一区切りに
人の いつもの癖が
腰を下ろしている
空が
曇る

書いて
出さなかった
メールには
滲みはなくても
揺らぐ顔が表情の痕跡を残していた

言いそびれた
ためらいの言葉は
遠く 深く
舞い降りすぎて
時間の渦にのまれていた

ああ それは

見知ったこの町が
揺れている



19

 恋と言えば


これが
恋か
知らなかった
流れが
渦を巻いている
小さな火傷(やけど)のような
火照りと 化粧の匂い
肌合いが波打っている

ひとり 青葉の時は
もう
うしろに倒れ込んでしまい
今はもう 未知の葉揺れに
からだが傾(かし)いでいる
いちまい にまい ……
葉は色合いを変えている

華やいだ町に
入り込んでいる
ひと ひと ひとが
車の速さに合わせるように
自然と足早に通り過ぎていく
なにもかもが
自分の背景のように
静かな
祭りのカーテンが下りている

カーテンをかいくぐってみても
またカーテンがあり
ほんのり波打ち
世界が縮んでいる



20

 うさぎのだんす


もうとしなのに
おどりだしている
見た目は
気にしない

なぜ
おどりだすのかは
わからない
けんこうのためではない
それでもいいけど
ではない
…ではない
…ではない
ないないないない

行間を縫うように
まぼろしの
あせみずたらし
てあしが ふみならしている
言葉と言葉の
地域の境をこえ
国境もこえて
おどりだしている
言葉の抑揚や色合いが変化(へんげ)する
時間の深みから噴き上がってくる 言葉の


    お
         おああ

こえも
こえていき
ブーメランみたいに
舞いもどり
そらに
響いて
いる



21

 花が咲いている


まだ寒いのに
しろい梅のはな うすももいろの杏のはな
隣り合って咲いている
(昨年は 父が遺した杏をはじめて収穫した
それまでなんの木の実かわからなかった)
ここから
見え



     お
           おああ

しろとほあいと
うすももいろとぴんく
同じようで
同じでない
切り開かれる
時間の地肌が
ちがう
匂い立つ時間のかおりが
ちがう
同じ船に乗っていても
行き先や 帰り着く先が
ちがう


     お
           おああ



22

 発声練習


(ひとつの言葉にも開かれ滲み出す時間の深度があり
層成す時間が匂い立つ)

あ あ あ あ あー
深度1 現在近傍

阿 阿 阿 あ ああ
深度3 近世

阿 安 あ 安 阿
深度5 古代

阿P 阿P 阿P 安P 阿P
深度6 弥生

Pha Phu Pha Phu Phe
深度7 縄文

あっ あいた!
深度10 国家以前
どうした?
ああ 足の指先をぶつけてしまって (ああ)



23

 なんとなくおとがなみうっている


言葉の後景に
あるいは
言葉のなかに
なんとなく
音が流れている
音がうねっている
「兎のダンス」でも
「ウサギのダンス 」でも
ない
見知らぬ
おとが
なみうっている
言葉には
いろんな横穴が空いているよう

(あっ(あ(ああ(あ あ あー))))
(おっ(お(ああ(お お おー))))

自分を振り返れば
言葉には
ひとりの
脈打つ血流から気化した
流れがあり
リズムがあり
色合いがある
言葉には
じんるいの
脈打つ血流から気化した
流れがあり
リズムがあり
色合いがある
いま ここで
混じり合って
喉や手から
湧き上がる

(あっ(あ(ああ(あ あ あー))))
(おっ(お(ああ(お お おー))))



24

 均衡点


タイマーをセットして
給湯器からのお湯を張る
タイマーが切れて
あともうすこし
と風呂にお湯を入れ続け
気は解け気ままに振る舞っていた


あ ああ

急に思い出しかけつけ

ああ やっぱり

お湯があふれ続けていた
ことがある

若い頃ふくおかのアパートに住んでいて
とある夕方
風呂のガスをつけ ちょっとだけ いいか
手持ち無沙汰に
寝転んで寝入ってしまった


あれっ

眠たげにかけつけると
風呂の水が
お湯を過ぎて沸騰していた
その後あくせくうすめて
なんとか風呂には入れた
ことがある


その気はないのに
いい均衡点を通過してしまう
ことが人にはある
タイマーひとつで
救われる場合もあれば
救命具がなく
溺れてしまうこともある
人と人とのあわいにも
均衡点付近が靄(もや)に包まれている




25

 言葉の接触面


言葉の肩が触れる
あ すみません
 亜きしノはしま亜かもりはしセに亜
壊れた言葉の左翼か

言葉の肩がぶつかる
あ すみません
 亜嫌中韓悪男滝昇天照国見下々あ亜
壊れた言葉の右翼か

言葉のからだがぶつかる
あ すみません
 デフレインフレ管理経営ターゲットゴウゴウユーノウ
どこの宣伝マンか

言葉の芯がぶつかる
あ あのう
 音速の 生存する 暴走する 意志
頭が言葉になっちまった詩人か

言葉がぶつかりそうになる
あ すみません
 あ いえ こちらこそ
あぶなかったな
もう少しでぶつかるとこだった