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ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3358-3361

2022年05月30日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3358
オーノー! キミノコトバハ
病ンデルヨ
フリツヅク雨二キミハキヅイテイルノカ?



3359
そんなことお互い様だろ
みんなみんな
世界は病んでいるのさ ヤンデルン!



3360
チョットチガウヨウナキガスル
コトバガ世界二入リ
出テ戻ッテクル ソノ通路ガ 通路ヨ



3361
知らない奴のこともビシバシ
裁断し
服や街や世界をオレ様流にデッチ上げるのさ


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3354-3357

2022年05月29日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3354
微小の赤い泡の集まりの
すき間に落ちてくる
微笑に遠い青いあわあわ



3355
遠目には滑らかだった
小さな揺らぎの運動が
ギクシャクし出している



3356
あかあおあおあかと
親和することなく
ああかお あおおか と色濁っている



3357
言葉の世界でも我を忘れた自由人は
妻も子どもも非在にし
クラスター爆弾ばらまいたりミサイルも飛ばす


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3350-3353

2022年05月28日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3350
言葉を呼び寄せる以前には
気が流れ流れて
ぽわっと気分が湧き立つ感じがある



3351
小さな泡の集まりの
気分の
流れ出す街の通りは



3352
気分色に染まっている
いるいる
そこかしこに と



3353
通りを漂い流れる
気分に
ぶち壊しのコマーシャル言葉がかぶってくる


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3346-3349

2022年05月27日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3346
一方に、ふてくされて寝転ぶ子どもがあり
もう一方に、
シャカシャカ運び、上げたり下ろしたりがあり



3347
NHKの応援ソングと違って
現実の動きには
相反する動きや色彩があり



3348
ひとつの流れに引き絞られても
でもしかしけれども
たくさんの沈殿物や浮遊物があり



3349
ありありとひとつの記憶
にはなりはしないぞ
ぞぞぞぞぞと浮上するものたちの


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3342-3345

2022年05月26日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3342
古い箱でも埃を払い
色鮮やかに
飾り立ててみると(古い箱)になり



3343
なんか見知らぬ人の
未知の匂いが
いい感じに匂い立つ



3344
「新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない」って
入れることも多い
別に問題がすぐに起こるわけじゃない



3345
「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」
と言っても
古い匂いを全否定してみせる古さがねえ・・・


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3338-3341

2022年05月25日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3338
ノルマ・成果(わかっちゃいるけど)
(ノルマセイカ)
(いつからこんなになっちまったのか)あの星にノリマセンカ



3339
わかりました(と踵を返し)
若り真下
通りを気分晴れてゆく



3340
「あなたが受賞です」
と他人が言いわれている
僕の心は小さくひと揺れして賞外通りを進む



3341
「はい、あーんして」と恋人同士でやっている
場違いに
ちょっと照れながら(まあ、それもいいか)


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3334-3337

2022年05月24日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3334
意味のなさそうな言葉をつぶやいている
深みでは
(いみなんていみなんていみなんて)と感じている



3335
意味ばかりをたずねる旅に出た
者たちは
人類史のいいかげんさの風に座礁する



3336
いみむいみいみむいみいみむいみ
二項対立を越えて
意味と無意味が手取り合って下ってゆく峠がある



3337
「意味ねぇじゃん」と切り取られ
捨てられる
小世界が膝(くずお)れる


覚書2022.5.23 ― 残虐について

2022年05月23日 | 覚書
 覚書2022.5.23 ― 残虐について


 動物が狩りをして他の動物を食べるのは、人間には残酷に見えるかもしれないが、自らが生きていくために避けられないことであり、自然である。ヘーゲルの近代的な自由の人間的な概念の視線から眺めれば盲目の閉ざされた自然性と見えるかもしれない。しかし、動物たちはそんな人間的な視線とは関わりなく自然に溶け込むように生きている。

 一方、人間は、狩猟採集の生活から農業生産を生み出した時から、動物みたいに生きるために他の動物を殺す必要は次第になくなってきている。しかし、まだ食肉として特定の動物や魚を食べているし、それを手放しそうにない。そうして、戦争や事件として社会に浮上してくるような殺人などの残虐を行ってしまう存在でもある。殺人事件などは、人が追い込まれて生きのびるために必要から行ってしまったと善悪を問わずに見れば、動物の狩りと同様の、精神的な意味の殺人(狩り)と見ることもできるかもしれない。

 人柱などは残虐と言うより現在から見たら迷妄から来ているように見える。人柱を立てることで自然の猛威を慰撫できると見なしていた。人間世界の力で自然を動かすことができると信じられていたようだ。アステカ文明での捕虜の心臓を取り出して神に捧げるという儀式もそれと同様のものだろう。そこでは、自然もそれの修辞化された神も人間のような他者、意志疎通の可能な存在と見なされている。

 ところで、人柱や心臓を神に捧げるということは、現在では無益な、迷妄としか感じられないと思う。しかし、人間が自然を動かす、自然に手を加える、改変するというその太古の感性は、高度な文明化した現在にまで受け継がれていて、この人間世界の活動性を支えている。

 「快楽殺人」と呼ばれるものがある。これは、フロイト的な精神分析の対象という個的なレベルの問題でありつつ、もうひとつのレベルの問題でもありそうだ。そのような事件の殺人も戦争下の残虐な殺人もその人柱の迷妄と同質のものから来ているような気がする。残虐に見えるのは、そうした晴れ上がった太古の迷妄の精神的な遺伝子が、今や現実的な基盤をなくしてしまって陰湿にねじけてしまっている表現から来ているような気がする。


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3330-3333

2022年05月23日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3330
「一寸の虫にも五分の魂」か
引き合いに出される
虫自体にも視線が巡り触れている



3331
「盗人にも三分の理」
この社会倫理と法を背にして
断罪する者にも白いカーテンが下りてくる



3332
「あなた方のうちで罪を犯したことのない者が、
彼女に石を投げなさい」
イエスの言葉に人も法もよろめく



3333
「河童の川流れ」とはやし立ててる者も
カッパ自身も
かっぱかっぱらったらったったと流れで踊るばかり


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 3326-3329

2022年05月22日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



3326
ねじり鉢巻きの言葉が
舞台を
きりりと塗り替え絞る・・・



3327
(思い通りにならねえな)
思い思われ
きりりがゆるみ崩れていく



3328
(じれったい じれったい)
恋の歌の
歌詞みたいにねじりねじれゆく



3329
「パワハラ」「セクハラ」などの言葉を浴びながら
「共生」の地溝帯を
ひとりお祭りみたいに御輿を掲げて行ってるよ