[短歌味体 Ⅲ] 接続シリーズ・続
2594
太い柱、太いしめ縄
選択には
伸びゆくつながりの手の表情がある
2595
自然への引け目とツッパリが
溶け合って
次第に樹木は人の顔立ちになる
2596
祈の太文字が自然や人に
及ぶ時
その飛沫我らにまで及ぶ
[短歌味体 Ⅲ] 接続シリーズ・続
2594
太い柱、太いしめ縄
選択には
伸びゆくつながりの手の表情がある
2595
自然への引け目とツッパリが
溶け合って
次第に樹木は人の顔立ちになる
2596
祈の太文字が自然や人に
及ぶ時
その飛沫我らにまで及ぶ
[短歌味体 Ⅲ] 接続シリーズ・続
2591
数え切れない雲流れ去り
村も変わり
水路整備されてゆく
2592
やむにやまれぬと晴れがましいが
手を結び
〈イルマニア〉神社建つ
2593
小さなことに満足せず
むくむくと
雲の湧き出し株屋、神社に参る
[短歌味体 Ⅲ] 接続シリーズ・続
2588
たくさんの言葉語られ
ぶつかり溶け合い
ひとつ決まる〈イルマニア〉
2589
たくさんの言葉のしずく
こぼれ落ち
この地の水路を流れ始める
2590
この地の風の屈折率
が押し出し
響き渡る(いるまーにゃ)
[短歌味体 Ⅲ] 接続シリーズ・続
2585
〈イルマニア〉分解されて
〈イル〉〈マ〉〈ニア〉
手足もがれて無惨だなあ
2586
外人の話す(イルマーニ)
少し変でも
この地に近づき顔に見える
2587
イルマニア花咲く頃は
人集い
(いるまーにゃ)喜び流れる
[短歌味体 Ⅲ] 接続シリーズ・続
2581
ほんとの名前は知らない
昔から
ただ(いるまーにゃ)と言っている
2582
入留間荷屋でも要流真丹矢でも
かまわないさ
ただ心ののどを流れ下る(いるまーにゃ)
2583
うまく流れたかどうか
瞬時に
わかるさその地に住む人ならば
2584
(いるまーにゃ いるまああにゃ)
「おはよう」に似て
遙か彼方からかたち成してきた
覚書2018.7.15 (ツイートより)
文学的な表現を作者によるある固まりとしてのイメージとイメージの選択や接続や転換の流れと見なせば、割と普通に意味がたどれる〈イメージ流〉の作品が一般的である。それでも、作者に選択されたイメージや相互の接続や転換が作者によって完全に統御されたり見通されているわけではないように感じる。
もう少しで読み終える、坂口恭平の新作『家の中で迷子』の出だしの言葉は、「家の中で迷子になっていた。」である。今まで彼のいくつかの作品をたどってきたことから見て、これは意味がたどれそうな普通の比喩ではなく、おそらく〈イメージ流〉の奔出された言葉だろうと思われる。
この作品自体が、従来的な物語の起伏に富むエンタメ小説とは無縁な、〈イメージ流〉の作品とでも呼ぶべきものだと思う。筋や物語性は荒唐無稽のように展開していく。つまり、こんな作品に慣れていない私たち読者は途惑うが、〈イメージ流〉の作品として、その感じ、肌合い、うねりなどを味わうべきか。
そして、『家の中で迷子』も普通の詩作品の言葉も、そのイメージの主要な出所は、当然のこととして作者が出会ってきたイメージや現実的に体験してきたことに基づいているように見える。
[短歌味体 Ⅲ] 接続シリーズ
2577
おおここは、わがイルマニア
在れ!と言うと
現れるイルマニアの翼
2578
イルマニアの翼に乗って
時間旅行
するすると滑り降りるような気分いい
2579
こんなところにイルマニア
時間の
化石たち乾いてごろごろ
2580
誰もが身に付いた
接続法
を持っている(イルマーニア!)
[短歌味体 Ⅲ] 変身シリーズ・続
2574
アクセルを踏み込んでゆく
まだらの〈あ〉が
青魚となり跳ね泳ぎ出す
2575
イメージの舟に乗り
青々と
照り映え進む〈あ〉の航跡の
2576
静けさのカーテン降りて
イルマニア
なつかしい音曲も流れる
※「イルマニア」は、書いていてふいと湧いてきた無意味語
みたいなものだけど、今検索したら「『イルマニア』と名乗る
入間市在住の一団」のミュージシャンがいた。
[短歌味体 Ⅲ] 変身シリーズ・続
2571
言葉の森で出会った
ひげ文字の
Ichの表情、ちょっとイヤだ
2572
言葉の森にも響き来る
店通りの
声張り上がる(らっしゃいらっしゃい)
2573
(へん、えへん、ヘンシーン!)
あらあらら
耳が二つ消え残ってるよ
[短歌味体 Ⅲ] 変身シリーズ・続
2568
〈あ〉の髪型が今朝はちょっと
違ってるよ
寝苦しい夢のせい?(あらあ)
2569
〈い〉のイントネーション
今日は
ちと重いね(いろいろあるから)
2570
〈うっ〉と言ったきり
無言。
回送か、救急車無音で行く