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ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2754-2757

2021年12月31日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2754
人々は忙(せわ)しく通りすぎる
言葉の街の表通り
ぼくは小石をひろった



2755
ほとんど人を見かけない
言葉の街の裏通り
わたしは小さな沈黙をひろった



2756
言葉の街にも生産・交換・流通・消費
の風が流れている
コマーシャルなんてと聞き流して歩いている



2757
言葉の街から 言葉たちは飛び立つ
無償のサンタクロースみたい
手渡し 受け取られ 消化吸収されていく

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2750-2753

2021年12月30日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2750
言葉たちの中に優しく溺れる
こともなく
縁のようになっている所に立つ



2751
出会う見る交わる感じる言葉
の肌合いには
言葉で分離しがたい微妙なところがある



2752
誰もが足抜けできない渦中から
どんな言葉も
いずれかの場所に立つほかない



2753
時間の深みから微かに舞い上がって
風が出てきた
匂いがする 感じがする さてと

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2746-2749

2021年12月29日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2746
もちろん、イメージの旅さ
言葉が言葉たちを
波間の言葉たちを追跡する 追跡する



2747
先ほどとは少し違ってきた
風が 潮風が
言葉たちの表情に滲(し)みていく



2748
(今日は何か良いことがありそうな
気がする)日和から
吉凶占いの言葉たちがつぶやいている



2749
舟は海流に沿って進む
言葉たちも
揺れながら屈曲していく

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2742-2745

2021年12月28日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2742
確かに言葉たちも
大海原と
いくつもの小島を通り抜けてきた



2743
途中急な小島にほっとする
喉の渇いた言葉たちは
清水を求めて砂地にピチピチ跳ねる魚となり



2744
行き先は耳にはしているが
何もない
大海原が揺れ続いているばかり



2745
言葉たちが旅をする
いくつもの
音色の違う大波を越えていく

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2737-2741

2021年12月27日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2737
日々色んな言葉が寄せて来る
ぼくの言葉の中を
通過しては反応を促す



2738
無心のあいさつ言葉なら
言葉の空洞を
青空にして通らせる



2739
コマーシャル言葉なら
微細な媚薬が
散布されている嫌な気分流れる



2740
時には反応を求めない
ガラスの破片のような
言葉たちも通り過ぎて行く



2741
そんなに焦り諦め凍り付く
言葉を抱えて
きみたちはどこへ生き急ぐのか


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2732-2736

2021年12月26日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2732
ザボンと音が耳を通過する
知らない人は
耳の中に波紋も立たない



2733
〈ザボン〉、シャボンセボンセシボン
にぎやかな
バーチャルザボン通りの方に流れていく



2734
知っている人はザボンの抒情歌
の手前で
きいろや微かな匂いのさざ波が立つ



2735
厚い皮をむく時の
湿った丘陵の上り下りに
難渋するイメージもやって来る



2736
向こうで絞られる〈ザボン〉の言葉は
一色のイメージへ
抒情の街の通りに飾られている





詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2727-2731

2021年12月25日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2727
あと一歩前に出ると
古い抒情が
流れ出す あっテーブルに滴



2728
昔は抒情の道があった
どこに通じているかも知らず
泣き濡れた心は言葉を深く散らして行った



2729
演歌が嫌いじゃない
痛切の
深みに座る座り方ひとつ



2730
人と人とは抒情以下
まとまらない言葉の肌
触れたり擦(こす)れたり触られたり



2731
言葉が乾ききっているわけではない
ただフツーの乾湿の
表情をしているだけさ

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2723-2726

2021年12月24日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2723
煙る中この一言が言えたならと行ったり来たり
燃えかすの中
一言が倒れているのが見える



2724
その一言を言ってしまったなら
人の間(あわい)に
世界が終わるかもと身震いする



2725
湧いてくる殺意と破局の予感を
深く沈めて
呼吸をゆっくりと鎮めてゆく



2726
たぶん誰もがこの一言に倒れ
その一言に
身震いする危うい世界を旅している


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2719-2722

2021年12月23日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2719
長らくやっている手の動きから
さささささっ
と描かれているように外からは見える



2720
内で動く手慣れた手の物語は
手の年輪の中に
いつでも少し戸惑いつつ更新される



2721
手慣れた上手の線描
にしか見えなくても
浮かび上がる姿は少し中空を眺めている



2722
内と外の間にも
その関係の物語
がきちんと描かれるのを待っている

吉本さんのおくりもの 18.吉本さんの坊主頭の写真から (追記2021.12.22)

2021年12月22日 | 吉本さんのおくりもの
吉本さんのおくりもの 18.
 吉本さんの坊主頭の写真から 2019.09.13
 (追記2021.12.22)・・・一番下にあります。


 吉本さんの坊主頭の二枚の写真(註.1)にネットで出会った。二つは同時期のものだろうと思うが断定はできない。
 作家という表現者とってその日常の生活での振る舞いや表情は問題にならない。『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 』によると、村上春樹も作家の時と生活者の時をはっきりと区別していた。しかし、思想者としての表現者には日常の立ち居振る舞いが問題となることがある。言葉ではそういう思想を述べているが、家族の中でもほんとうにその考えを貫こうとしているかなど、読者に指摘されなくても自分の思想から問われているはずである。吉本さんの場合は、本人が書物の中で書いたり語ったりした中の端々からはそのような原則を貫いていた様子がうかがえる。(娘の就職について吉本さんが語られていた話を今思い出した。)

 ところで、この一枚の写真の件は、何も取り上げて論じるには値しない個人生活的なものかもしれない。読者は作家や表現者の作品や思想以外のなんにでも興味を持つということからではなくて、そこを敢えて取り上げてみるとどうなるだろうか。

 このような坊主頭の吉本さんの写真をいつかどこかで見たような気がするが思い出せない。吉田純写真集『吉本隆明』(2013年2月 河出書房新社)にも載っていない。

 写真家は、言葉ではなくて像で言葉以前のイメージを表現する。人物を撮る場合、撮る角度や陰影や距離や背景など感覚的に判断しながら一枚の写真を撮るのだろうか。人物が言葉ではなく顔かたちや佇まい自体で表出したり語りかけたりしてくるのを受けとめ画像に構成する。だから、このようにいつもと違った髪かたちをしていたら、わたしたち普通人以上に写真家は敏感になりそうな気がする。かといって、娘の吉本ばななが写真にコメントしているように「母とけんかして、頭を丸めたら許すと言われたとき」という事情が背景にあるということまではわからないだろう。

 坊主頭、丸刈りは、もちろんいろんな歴史を背負って現在に至っている。明治近代以前は、名前の通りお坊さんの髪型であったろう。お坊さんも武士も近代の軍隊や学校も、実用的な事情や自然な流れも含め普通の生活世界とは違った新たな規律に基づく世界を築く一環として坊主頭(剃髪)やちょんまげや丸刈りが捉えられたのだろうと思う。現在でも見かける丸刈りは、これらの歴史の流れを受け継いでいるはずであるが、さらにさかのぼって古代の〈清祓〉までつながっているように感じられる。現在でも、わたしたちが急に丸刈り(坊主頭)にしてきた者に対して持つイメージは、何かよくないことをやらかして、その謹慎や祓い清めとしてそうしたんだなということである。

 吉本さんの『共同幻想論』の「規範論」に〈清祓〉(はらいきよめ)のことが触れられている。


 はじめに確かにいえることは、〈法〉的な共同規範は、共同体の〈共同幻想〉が血縁的な社会集団の水準をいささかでも離脱したときに成立したということだけである。
 未開な社会ではどんなところでも、この問題はそれほど簡単にあらわれない。またはっきりと把握できる形ももっていない。そこでは〈法〉はまだ、犯罪をおかした人を罰するのか、犯罪行為を罰することで〈人〉そのものを救済しているのか明瞭ではない。そのためにおそらく〈清祓〉(はらいきよめ)の儀式と罰則の行為とが、未開の段階で〈法〉的な共同規範として並んで成立するのである。〈清祓〉の儀式では行為そのものが〈法〉的な対象であり、ハライキヨメによって犯罪行為にたいする罰は代行され〈人〉そのものは罰を負わないとかんがえられる。だが罰則では〈法〉的な対象は〈人〉そのものであり、かれは追放されたり代償を支払わされたり、体罰をこうむったりする。
 しかし未開的な社会での〈法〉的な共同規範では、個々の〈人(格)〉はまだそれほど問題にはなっていない。また行為そのものもあまり問題とならない。ただ部族の〈共同幻想〉になにが〈異変〉をもたらすかが問われるだけである。〈神話〉のなかにあらわれる共同的な規範が〈法〉的な形をとるときは、そこに登場する〈人(格)〉はいつも、ある〈共同幻想〉の象徴でだということができる。
 (『共同幻想論』規範論 P426 『吉本隆明全集10』晶文社)


 『古事記』のなかで最初に〈罪〉と〈罰〉の問題が〈法〉的にあらわれるのは、いわゆる〈天の岩戸〉の挿話のなかである。そして犯罪をおかし罰をうけるのは、農耕民の始祖で同時に種族の〈姉〉神アマテラスの〈弟〉に擬定されているスサノオである。
 ・・・(古事記からの引用略)・・・
 そこで部神たちが合議して、天の岩戸のまえで共同祭儀をいとなんで常態にもどしてから、スサノオは合議のうえ物件を弁償として負荷され、鬚と手足の爪とをきって〈清祓〉させられ、共同体を追放されるのである。
 ここでスサノオが犯した罪は、たとえば『祝詞』の「六月の晦日の大祓」にでてくる〈天つ罪〉にあたっている。すなわち「畔放ち、溝埋み、頻蒔き、串刺し、生け剥ぎ、逆剥ぎ、屎戸」等々の〈罪〉にあたっている。
 これらの〈罪〉にたいしてスサノオに課せられる〈罰〉は、物件の弁償、部落からの追放、鬚や手足の爪を切る刑である。この刑は、南アジアの未開の社会(たとえば台湾の原住族)などで慣行となっているものとおなじで、かくべつの問題はないと考えられる。
 (同上 P426-P428)


 スサノオが犯した罪に対する〈清祓〉には、髪を切ることは載っていないが、身体の一部を切り取る意味で同類のものと見なせるだろう。血縁的な社会集団から国家の下の社会へと変位していくとともに、〈清祓〉は〈法〉的な共同規範(法律)へと移行していくことが述べられている。そして、「ハライキヨメによって犯罪行為にたいする罰は代行され〈人〉そのものは罰を負わないとかんがえられる。だが罰則では〈法〉的な対象は〈人〉そのものであり、かれは追放されたり代償を支払わされたり、体罰をこうむったりする。」と血縁的な社会集団の中の未開的な〈清祓〉の慣習(A)と国家の下の社会の中の法と処罰(B)との違いが語られている。

 現在のわたしたちが、急に丸刈り(坊主頭)してきた者に対して持つイメージは、(B)を模倣する意識とも考えらることができるが、むしろわたしたちの意識の古層に保存されている、まだ法が関わらない(A)の問題から来ているような感じがする。この写真の場合、吉本ばななの証言を踏まえると、夫婦げんかをして吉本さんに分が悪かったのか、吉本さんが奥さんからのけんかの収束提案を受け入れたということになる。吉本さんが丸刈りになって奥さんの鬱憤は祓い清められ収束に向かったということだろう。こうしたことは、どこの夫婦にも無縁ではない。


 (註.1)
 二枚の写真

1.文化科学高等研究院(E.H.E.S.C)出版局の出版本の紹介ページの
「山本哲士のページ」 3.吉本隆明さんとの交通『戦後55年を語る』
に掲載されている吉本さんの写真
http://ehescbook.com/yoshimoto/y_worldtext/y_world03.html

 ( 写真に付されているコメント)
『戦後50年を語る』のとき、めずらしい坊主頭の吉本さん。
これで、親鸞を語られたのだから。
(EHESCにて、1995年)


2.吉本ばななオフィシャルブログ「よしばな 日々だもん」「若い頃の写真」2019-07-01
https://ameblo.jp/yoshimotobanana/entry-12489013956.html

 ( 写真に付されているコメント)
「お父さん、なぜムショ帰りみたいな
母とけんかして、頭を丸めたら許すと言われたとき。ちなみに浮気ではありません」
 
 
 
 
(追記2021.12.22)



 上の(註.1)の1.より引用 1995年


 『吉本隆明全集12』の栞を読んでいたら、娘ハルノ宵子の「ヘールボップ彗星の日々」に次のような言葉があった。


 一九九七年にやって来た「ヘールボップ彗星」 (註.2)は、今のところ私の人生で最大の彗星だ。
・・・中略・・・
 その頃、我家は最大の家庭崩壊の危機に陥っていた(それまでも何度もあったが)。ヘタをすると今回は、もっと最悪なことが起きる予感すらあった。
 とある父の著書――正確に言うと対談本の内容が、母を激怒させていたのだ。私は母より先に読んでいたのだが、「あちゃ~! また調子に乗ってベラベラと・・・こりゃ~修羅場必至だな」。位にしか感じなかった。私や妹だって、父の著作には何度も傷付けられた。事実誤認はもちろん、やはり家族のことに触れると、どうしたって父親目線・夫目線という"バイアス"がかかるのだ。きっと芸人の家族なんて、もっと面白おかしく脚色されたネタとして披露され、こんなもんじゃ済まないんだろうな――とは思うが、我家の場合腹立たしいのは『吉本の言葉は真実である』と、熱心な読者に信じられてしまうところだ。
 その本を読んだ母の怒りと絶望は、私の予想をはるかに越えていた。内容のある部分が琴線に触れたのだ。母は自分の人生を全否定されたように受け取ったのだと思う。お定まりの「出ていく!」「イヤ、オレの方が出てくから!」もあったが、父は前年に西伊豆の海で溺れ死にしかけ、それをきっかけに眼も脚も急激に悪くなっていた。母にしたって身体が弱く病気がちで、お互いそんな体力なんてあるわけが無い。そして母は、父への最大の復讐として"自死"を決意していた。
・・・中略・・・
 一方父は、心配して電話をかけてきた妹に、「オレたち今度は本当にダメみたいだ」。と打ち明けていた。妹は父に「やっぱ女は宝石だよ!ダイヤの一つもプレゼントして、頭丸めてあやまってみれば?」と、実に無責任な家庭外目線にして最強の最終手段をアドバイスしていた。
 果たして父は、折りしも四月一日、本当にそれをやってのけた。「プッ! バカね」と母は小さく吹き出し、プレゼントを受け取った。小さな小さなダイヤモンドのペンダントだった。丸坊主になった父は、祖父にそっくりだった。まぁ・・・根本的な解決にはなっていないので、その後も"家庭内離婚"は続いていたが、父の渾身のパフォーマンスによって、母の感情は動き出した。



 この栞の全文を読めば、ヘールボップ彗星が吉本家の人々と関わっているのだが、ここでは必要な部分だけ引用した。

 ところで、「父は前年に西伊豆の海で溺れ死にしかけ」とあり、それは1996年8月のこととわかっている。だから、吉本さんが丸坊主になったのは、上の文章からは1997年4月1日のこととなる。ということは、「山本哲士のページ」の一番下に吉本さんの上の丸坊主の写真があり、コメントともに(EHESCにて、1995年) と記されているのは、山本哲士の勘違いか、でなければ1995年にも吉本さんが丸坊主になったということになる。わたしには、いずれとも断定できない。しかし少なくとも、吉本ばなながブログにUPしていた吉本さんの丸坊主の写真は1997年4月1日以降、その頃のものであると言える。

 「私や妹だって、父の著作には何度も傷付けられた」とある。そんな記憶は読者のわたしにはほとんどないが、ひとつだけ言えば、詩の中で、娘達が道端で何か物売りをしていた、というような表現に出会った覚えはある。もちろん、詩は幻想の表現だから「娘達」とあっても、実際の吉本さんの娘達と直接につながるわけではない。

 娘ハルノ宵子の描写によると、吉本さんの奥さんの衝撃はとても大きいものだったと書かれている。その「対談本」―たぶん、その当時出たものであろうか―の表現には興味がひかれるが、ここでは詮索しないことにする。

 時々、当人達の不倫などの恋愛事情を、その一方がマスコミなどの外に、社会にばらまく人がいる。対幻想(家族)の問題を共同幻想(社会)の力によって解決しようとする傾向だ。普通の家族では、そういうことは可能ではないが、芸人などのいわゆる有名人ではそういうことが可能のようである。吉本さんの場合は、娘達も表現者として文章を書くようになったから、家族内の内情がこのようにしてわたしたちの前に漏れ出てくることになった。


(註.2)
ヘール‐ボップ彗星

1995年7月22日に、アメリカの天文学者ヘールとアマチュア天文家ボップによって発見された彗星。ニューメキシコ州に住むヘールは熱心な彗星観測者で、既知の彗星の観測中にこの彗星を発見している。アリゾナ州に住むボップは、仲間6人と星雲・星団の観望中に発見している。発見時の彗星は太陽から7天文単位、木星軌道と土星軌道の中間ぐらいのところであったが、その位置にしては11等級と明るく、巨大な彗星であることが推測された。
彗星の明るさを予想するのは大変難しく、往々にして期待はずれになることが多いが、1年半後の近日点通過(1997年4月1日)前後の数ヵ月間には、地球にはそれほど近づかなかったにもかかわらず、最大でー1等級前後の雄大な姿を見せ、多くのアマチュア天文家、天文ファンを楽しませた。太陽から遠い位置で発見されたため観測期間も非常に長く、1年以上肉眼で見えたのは記録が残る中では最長と考えられている。
彗星核は直径50km程度と見積もられており、過去に観測された彗星の中でも最大級と推定されている。核からのジェット、ナトリウムの尾、重水素の量、有機化学物質など、非常に多くの発見があり、彗星研究においては画期的な発展となった。公転周期は約2530年。
(ネットの「天文学辞典」より 公益社団法人 日本天文学会)