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『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ⑧

2020年05月01日 | 坂口恭平を読む
 『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ⑧


 8.「終章」の意味


 『建設現場』では、章の番号が付されている。しかし、118の章の次の章、すなわち最後の章は章の番号が付されていない。この最後の章は、「終章」に当たるものであるが、章の番号が付されていないということは、前章に接続するもの、すなわち『建設現場』の作品内部の流れそのものにあるもの、ということではなさそうである。『建設現場』の作品内部の流れから少し抜け出たところから言葉が繰り出されているように見える。

 「終章」は、次のようにはじまる。


 突然、崩壊は起こりました。誰も知らずに、気にもせずに、いつのまにか崩壊のアナウンスもなくなり、誰もが平和に暮らしていました。それでなんの問題もなかったのです。ところが、崩壊が起こると、突然、われわれは考えなくてはいけなくなりました。それができるための脳みそをつくりだそうとしました。われわれは感じていることを、そのまま手のひらで表し、意思伝達を行っていました。われわれはもともとここに住んでいた人間たちと約束を交わしたのです。われわれは何が起こるかを知っていました。しかし、伝達できずに困っていました。われわれは自分たちですぐ考え出しました。それは本能よりも強靱なものでした。われわれは食事をするよりも眠るよりも考え、そして仕事をはじめました。
 仕事というものは、不思議なもので、突然、そこに現れます。つまり、必要に応じて、生まれるのではなく、突然、崩壊のように現れます。だから、いまも同じなのかもしれません。われわれはいま、崩壊しています。しかし、これは想像していた通りのことが起こっているだけなのです。だからこそ、この日誌の言葉が生まれたのです。
 これはもともとある言葉です。だから、不思議なことは何一つありません。こうやって、よくわからないことを延々と書き続けることはおかしなものです。こうやって堂々巡りをするのです。当たり前の反応です。どうすればいいのかわからないのですから。どうすればいいのかわからず、われわれはどこにいっていたのでしょうか。これは壁ではありません。われわれはそれでも問題がないと思って、突き進んでしまったのです。仕方がありません。崩壊は起こるべくして起きました。だから、不安を感じずにいられないのです。
 これはこれからはじまることで、終わりではありません。恐ろしいかもしれませんが、われわれは知っていたのです。それで、これから起きたこと、もうすでにこれは起きています。起きました。それでもわれわれは生きています。まずそれを確認してください。これはもうすでに起きて、何年も経っているのです。だから記録になっているわけで、これはもう過去のことです。それをまだ起きていないものと思っているのはわれわれの頭でしかありません。そこで起きていること、そこに生まれている時間や空間について、われわれはなにも言えないのです。それでも進むしかありません。ここまでひどいことになるとは想像もしませんでした。しかし、これはわれわれが選んだことなのです。
 すべてのものが、離れていきました。そして沈黙がやってきます。これからずっと静かな状態になるのです。もうこれで終わりではなく、静かな状態がはじまります。それはわれわれにとって悪いことではありません。それでもまた次の日はやってきます。・・・中略・・・
 われわれがこの記録を読みあげているのは、これで終わらせようとしているからです。記録をつくることを終わらせるのです。そのかわりにわれわれは起きることができるようになります。そして、沈黙することを覚えていくのです。それはわれわれが求めていたことです。それをこれから言葉にするのです。もちろん、これはわれわれがつくりだしていたことともつながります。いつか、こうなることがわかっていた。だから、われわれはつくりだしたのです。この街を。この建設現場を。それは関係があります。あらゆることが関係しています。
 空間が生まれてしまったのは時間が発生したからです。なによりも先に生まれてしまったのは時間で、その時間にわれわれは取り込まれてしまっています。それに対処するために、われわれは崩壊という方法を選んだのかもしれません。だからこそ、もう一度、われわれがつくってきたものを振り返る必要があります。
 (『建設現場』P307-P309)



 今までは物語世界は、ほとんど「わたし」が主人公で語り手であった。もちろん、多重化した「わたし」ではあった。いろんな人々が、この世界の登場人物として現れた。また、98章は「わたし」ではなく「われわれ」が登場する。これは「わたし」の多重化と見ていいと思う。この終章の「われわれ」も多重化した「わたし」と見ていいと思うが、『建設現場』の作品内部の流れから少し抜け出ているように見える。この「われわれ」の語るよくわかりにくい話をつなげていくと、

「突然、崩壊は起こりました」→「もともとここに住んでいた人間たちと約束を交わした」→「仕事をはじめました」→「われわれはいま、崩壊しています」→「想像していた通りのことが起こっているだけなのです」→「この日誌の言葉が生まれた」→「よくわからないことを延々と書き続ける」→「おかしなものです」→「これはもうすでに起きて、何年も経っているのです」→「だから記録になっているわけで、これはもう過去のことです」→「われわれがこの記録を読みあげているのは、これで終わらせようとしているからです。」→「そのかわりにわれわれは起きることができるようになります」

 こうしてたどってみると、この終章が実際にいつ書かれたかは別にして、設定としては『建設現場』という作品世界を何年も前に書き終えた後の「作者」としてのモチーフについて語っている場面に見える。「われわれ」となっているが、これは先に述べた多重化した「わたし」と見てもいいし、作品世界に登場した人物たちを含めたスタッフ一同を代表しての「作者」と見てもよいように感じられる。そうして、『建設現場』という作品世界とちがって、「です」「ます」体になっているのは、「作者」自身との自己対話・自己格闘でありながらも、わたしたち読者の方を見て語っているからだと思われる。「これはもう過去のことです」や「われわれは起きることができるようになります」は、鬱の苦しい世界に直面して寝込みがちだった日々から起き上がって通常の生活へ帰還したことを指しているのだろう。

 この物語は、作者にとっては切実な苦しい物語であるように見えるが、読者にとっては心ときめかすような物語の起伏に富んだ作品というより、よくわからない不明の物語という印象を与えるように思われる。その横溢するイメージ流は、作者がいくらかなじんでいる部分があったとしても、作者自身にとっても不明の根を持つものかもしれない。しかし、この作者にとって切実で孤独な自己対話・自己格闘の作品をもっと一般化すると、病のような深刻な世界に落ち込んだ「わたし」の内的世界は誰にとっても無縁であるとは言えないが、そうしたある普遍の場でひそかに他者(読者)と出会いを求めている作品とも言えるかもしれない。

 ※(おしまい)


『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ⑦

2020年04月29日 | 坂口恭平を読む
 『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ⑦


 7.登場人物名の命名法


 ふと登場人物たちの名前が気になった。物語の世界にとっては、登場人物たちの名前は、村上春樹の作品中で語られるチノパンツ同様、あるいは自然描写の木々や通りの様子などと同様に大きなウェートはないとみてよい。しかし、それらは物語の世界でウェートがとても小さいとしてもなくては困るものである。そうして、登場人物たちの命名にも作者の好みや傾向や無意識などが関わっているはずである。


1.作品全体から登場人物名を取り出してみる

P77,P173 サルト(わたし、語り手)
P9 ロン(トラックの運転手)
P12 チャベス
P17 マレ(白髪の労働者)
P17 ウンノ(若者、伝達係のような仕事)
P19 サール
P19 マム(売店の老婦)
P20 ムラサメ(労働者)
P27 ペン(現場の頭)
P33 タダス
P36 バルトレン(大道芸人)
P45 クルー(労働者)
P79 2798(医務局の担当医の番号)
P85 マト(設計士)
P85 ボタニ(設計士)
P85 リン(設計士)
P87 ワエイ(設計士)
P89 ライ
P90 サザール
P104 ルコ(若い男)
P144 ノット(郵便係)
P149 ジュル(盗賊のボス)
P149 カタ(盗賊のボスの右腕)
P159 オイルキ(へどろを収集する人間のこと)
P161 ギム(料理人)
P167 ルキ
P203 ジジュ
P206 マウ
P207 ビン(植物採集業者)
P212 モール(ゲートの守衛)
P216 エジョ
P218 ホゴトル
P225 ザムゾー(病院内の道具の修理店店主)
P250 ヤム
P266 メヌー


2.登場人物の名前に関係すること

おれはルキって呼ばれてる。名前を思い出すやつは珍しいからね。お前も思い出したんだろ?それだけでたいしたことなんだよ。おかげで自分の故郷までの帰り道が分かるかもしれないんだからな。ルキって名前はおれがつけたわけじゃない。そうやって呼ばれていたやつが昔いて、ある日突然いなくなった。おれはずいぶん探した。・・・中略・・・おれはルキを探しているうちに、いつのまにかルキって呼ばれるようになっていた。ルキがどんな意味なのかは知らない。 (P167)


 名前を収集している登録課ってところがある。・・・中略・・・(引用者註.内の)地下駐車場の一角に登録課がある。まずはそこへ行ってみたほうがいい。そこにお前の名前だって記載されているはずだ。
 たとえ忘れたとしても、それぞれの名前はちゃんと残っている。消えたわけじゃないんだ。崩壊が起きても名前はいつまでも残っている。別の問題なんだ。ルキはおれに向かってこう言っていた。 (P167-P168)


 ここが自分の場所なんだ。ここに住んでいるのが本当に自分なのかってのはいつも考える。体はここにいることに感動している。ここで考えることがすべて体の中で起きているということに驚いている。それで自分がここで何かをするたびに、それこそ焚き火ひとつ起こすたびに、声をあげてしまうんだ。
 その声を聞いて、だんだん人が集まってくるんだよ。彼らは見たことのない人たちばかりだ。その人たちに名前をつけることはできない。なぜなら彼らはずっと前からここにいる人たちだから。たとえそれが自分の体から出てきたとしてもね。
 出てくる瞬間を見たことだってある。口から白い息を出して遊んでいると、のどの奥がつまってきた。数人がかりで舌をロープみたいに引っ張ってよじ登ってきた。彼らは小さな人間みたいな形をしていて、口から出てくると、焚き火にあたりはじめた。 (P254-P255)



 この『建設現場』という作品世界の内部では、例えば「ルキ」という登場人物は、わたしたちの通常の命名とは違った形で「ルキ」という名前を受け継いで「ルキ」になる。また、ルキ自身は 「ルキがどんな意味なのかは知らない」。「わたし」のサルトも同じような名前の引き継ぎだったと語られていたように思う。この作品世界では、人の名前に対する感覚がわたしたちの生活感覚とは違っている。おそらくこの読書日誌 ④で取り上げた「わたし」の多重性と関わっているものと思われる。

 ところで、「だんだん人が集まってくるんだよ。彼らは見たことのない人たちばかりだ。その人たちに名前をつけることはできない。なぜなら彼らはずっと前からここにいる人たちだから。」というのは、よくわからない。これは前後のつながりから言えば、「ロン」の話の場面と思える。「ロン」にとって、「ずっと前からここにいる人たち」は自分たちとは違った世界の住人であり、「見たことがない人たち」、すなわち不明だから名付けようがないということなのか。作品世界の内部で、ある登場人物が他の登場人物にその正式の名前以外に「名前をつける」というのはニックネームを含めてあり得るとしても、この作品世界の内では、上に述べた「ルキ」の名前の由来からして、ある登場人物が他の登場人物に「名前をつける」というのは、ちょっと場違いに思える。したがって、ここは「ロン」の語る話の場面だとしても、「その人たちに名前をつけることはできない」というのは、語り手の「わたし」≒「作者」のその登場人物たちに対する不明感の反映と見るほかない。

 わたしは、この『建設現場』という作品を、作者≒「わたし」の私小説的な作品、あるいは、作者≒「わたし」に訪れる〈鬱的世界〉の促す心象表現と見てきたから、作者≒「わたし」を含めて登場人物たちの名前に対する意識もそのような心像に彩られているはずである。

 では、作品世界の内から外に出て、作者が名付けた登場人物たちの名前という所で考えてみる。〈鬱的世界〉が作者に促す登場人物たちやイメージ流だとしても、語り手や登場人物たちを表現世界に派遣する主体は、あくまでも作者であるから、作者が登場人物たちの名前を考え名付けたと見てよい。

 例えば、宮沢賢治は人名や地名などにわが国の命名法とはちがった命名法を行使している。
 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」の場合の命名は、宮沢賢治の擬音語への嗜好からきている場合のように見えるが、宮沢賢治の命名法は、わたしは深く探索してはいないが、「カムパネルラ」「イギリス海岸」や「イーハトーブ」、「ポラーノ広場」、「グスコーブドリの伝記」など印象程度で一般化して言えば、西欧風のイメージを借りながら、架空の世界を作り上げる、そのための命名法のように感じられる。もちろん、選択され名付けられた言葉には作者宮沢賢治の好きな語音やリズムというのも含まれているのかもしれない。

 それでは、『建設現場』の作者の場合はどうであろうか。誰でも気づきそうなことを挙げてみる。

 命名の特色
1.2音か3音の言葉が多い。
2.日本人名離れしている。つまり、外国人を思わせる名前である。
3.即興で名付けられた感覚的な語の印象がある。

 3.に関しては、固有名詞ではないが、命名法が即興で名付けられた感覚的な語の印象を推測できる場合がある。P159に、「オイルキ(へどろを収集する人間のこと)」が登場する。これはおそらくへどろの上にうっすらと浮かんでいるオイル(油)のイメージから命名が来ているように思う。そういう意味で、これは感覚的なイメージから来ている命名だと思われる。

 1.と2.に関しては、作者自身もわりと無意識的な好みや選択による命名ではないかという感じがしている。そこにはたぶん外国の音楽にも関心を持ちながら音楽表現もやっている作者の語感の反映がいくらかありそうにも思えるが、断定はできない。


 ※ これでだいたい終りです。もしかしたら、あと一回続くかもしれません。


『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ⑥

2020年04月25日 | 坂口恭平を読む
 『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ⑥


 6.神話的な描写


 わたしたちの現在が現在の共同的なイメージ・了解の世界を持っているように、現在から見渡せば古代以前の精神では神話的な世界を持ち、そこから生み出されたたくさんの神話を持っている。しかし、近代以降は特に、そのような神話的な精神の世界や神話は壊れた破片のように精神の地中に存在し、振り返られることはほとんどなかったように見える。しかし、今は亡き中上健次は、物語作品の中でそのような神話的世界の破片を寄せ集めて賦活させようと試みたように思う。

 現在では情報や機能や交換や効率など頭中心の世界にとって変わられて、ほとんど振り返られることがないようになってしまった神話的な精神の世界や神話であるが、この作品には、神話的な描写と同一ではないかと思えるような描写がある。まず、その中からいくつか取り出してみる


A.

 雨が降っていた。これが崩壊ならば、わたしになす術はなかった。ただ味わうしかなかった。わたしは動きを止めるどころか、★排泄するように瓦礫は体から溢れ、そのまま積み重なると子どもたちが暮らす家の屋根や壁となって、次の瞬間には破裂するように飛び散った。破片は途中で向きを変え、記憶の中の植物や、建物の影になりかわっていた。★わたしは、自分が自分でなくなっているような感覚に陥ったが、もう気にしなくなっていた。投げやりになっていたわけではなく、むしろ明晰になっていた。すべてが見えていた。蒸発し、霧になると、そのまま落下した。淀むことなく、まわりの細胞とつながると同時にわたしは生まれ、次の人間に生まれ変わっていった。男がこちらを見ていた。子どもたちもまたこちらを見ていた。彼らにはこれが日常なのか、驚いてはいなかった。わたしは残像のように次々と生まれ変わっていた。
 (『建設現場』P124 みすず書房 2018年10月)


B.

 マウはまだ子どもだった。赤ん坊といってもよかった。しかし、マウは言葉を持っていた。腹が減っている様子でもなかった。口のまわりには何か果物でも食べたあとみたいにべたついていて、ビンがマウを抱きかかえたときには異様に臭かった。ビンはこの子を育てることにした。ある日、マウは指をさしたり、つねったりしながら、ビンをある場所へ連れていった。
 そこにあったのは、古い宮殿だった。ビンには確かにそう見えた。つくりあげたのがマウだとはビンには信じられなかった。綿密に設計された建造物だった。マウは宮殿をとても小さな石ころを積み上げて一人でつくりあげたと言った。石のことをマウはニョンと呼んでいた。ニョンは火山岩のようだった。持つと硬いが、ニョンどうしをぶつけると粉々に砕けた。
 マウは寝る間も惜しんで、ひたすらニョンを拾い集めては、宮殿作りに没頭した。マウは鉈を使うことができた。マウに鉈を作ってあげた人間がいるはずだが、親たちが鍛冶屋だったのかもしれない。周辺に鍛冶屋は一軒もなかった。誰も鉄のことすら知らなかった。
 ビンがつけていたマウの観察日記は膨大になっていった。★ビンはマウという人間に大きな集団を感じた。実際にマウは一人ではなかった。生きのびるために都市をつくりあげていた。マウは法律や通貨なども生み出していた。実際に数百人の住人がいて、マウはその支配者というわけではなく、あくまでも一人の子どものままだった。マウは何の指示も出さなかった。都市に漂う大気そのものだった。大気ははじめ澄んでいたが、次第に汚染されていった。マウが咳き込むたび、石ころは崩れ落ちていった。彼の動きはかすかな振動ですら宮殿に影響を及ぼした。しかし、つくるのもマウ自身であり、都市に労働者はいなかった。・・・中略・・・
 都市では毎日、開発が行われた。掘り出された土砂は、決まってマウの糞便となった。マウは彼自身が一つの土地、気象、大気となった。ときに彼の小さな体は高層の建造物となり、人々の住まいとなった。★
 (『同上』P208-P209)


C.

 ここで生まれたことよりも、われわれがどうやって辿りついたのかを考えたほうがたやすい。まず、われわれは川沿いにいた。ここには昔、川が流れていた。われわれよりも思考する川だった。川はいくらでも形を変えることができた。気候とは関係なかった。氾濫するのも彼らの意図するままだった。川とともに暮らすことをはじめたわれわれは、人間であるよりも川沿いの植物やらと同じ生命を持つものという認識しかなかった。川のしぶきが体に当たると、われわれは何か思いついた。そうやって刺激は信号となって届いた。われわれの感覚が動くよりも先に、川の手足が伸びた。触覚のような水滴は、そこらへんに生息する生命を確認するように、われわれに景色を見せた。すべてがそうやって生まれた。
 分裂したわれわれが、それぞれに思考しているなんてことは思いもしなかった。われわれは集団で行動していたのではなく、川の思うままに生き、そして、死んだ。変化はわれわれにとって息をすることよりも大事なことだった。われわれには判断する頭がない。もちろん記憶もない。水滴は常に移り変わるものだ。われわれは常に状態でしかなかった。われわれは感じることがなかった。川は常に一つで、無数だった。われわれは川の器官の一つだった。川が唯一の生命だった。
 川は枯れてしまった。われわれは人間だと名乗りだした。彼らは手足を感覚であると言い張り船をつくった。水中を知り、潜っては魚をとった。食欲を獲得した。どこかへ行こうとした。この場所ではないところを見つけ出そうとした。見たことのない場所を想像した。川の起伏を変えた。川の動きよりも、太陽や星の動きに体を任せた。気づくとわれわれは完全にわかれてしまった。それぞれに名前を持つようになった。
 われわれは人間ではなかった。言葉もなかった。川は言葉よりも柔らかい。われわれの知覚は、常に与えられていた。決して獲得するものではなかった。川が枯れたとき、われわれはそれぞれに泣いた。いつまでも止まることなく泣いた。泣き止んだとき、われわれは川であることを忘れてしまった。川は枯れるとそれぞれ人間にわかれていった。われわれの知覚はそうやって生まれた。・・・中略・・・
 人間ももとはわれわれと同じ川だった。それを忘れたまま祭りをやっても、人間の先端までたどることしかできない。いつまでも到着しないままだ。空中の時間が流れるだけだ。時間をさかのぼるのは容易ではない。
 枝葉集められたものではなく流れてきたものだ。川の一滴となってわれわれのところに届いた。流れてきた。それはわれわれと違う感覚だ。それこそが感覚である。感覚がいま、届いている。水滴。水蒸気。川の記憶は至るところに、何度も流れてくる。
 (『同上』P261-P263)



 上のA.B.の★・・・★の部分は、神話的な描写の部分である。C.は太古の長老が人間や世界の成り立ちを集落の人々や子どもらに語っているような興味深い場面で、全体が神話的な描写になっている。

 では、神話的な描写というのはどういうものだろうか。戦前戦中までの世代と違って、敗戦後の思想的、文化的な転換のせいもあって、わたしたち戦後世代は日本の古代の神話には慣れ親しんでいない。そんな神話から拾い出してみる。


 天の沼矛(あめのぬぼこ)という、美しい玉飾りのついた矛をおさずけになりまして、高天原(たかまのはら)の神々は、「このただようばかりの国々の形をととのえ、確かなものにせよ。」とお命じになったのです。
 ご命令をうけたイザナキの命(みこと)とイザナミの命は、高天原と地上とをつなぐ天の浮き橋の上にお立ちになりました。そして、頼りない陸の姿を浮かべてとろとろとただようばかりの海原に、天の沼矛の先をお下ろしになったのです。
 海の水の中には、生まれようとする陸地の手ごたえでもあったのでしょうか。とろとろとかきまぜられた塩水は、音をたててさわぎました。そして、イザナキ、イザナミの二柱の神がその矛を引きあげられたとき、濃い海の水はぽたぽたとしたたって、そのまま島の形となりました。このおのずと凝りかたまってできた最初の島の名を、オノゴロ島と申します。
 (『古事記』上巻 国生み 橋本治訳 少年少女古典文学館 講談社)


 イザナミの命の出された大便からは、粘土の男神(おがみ)と女神が生まれました。粘土をこねて火で焼くと土器になるのは、このためです。
 イザナミの命のもらされた小便からは、噴き出す水の女神が生まれました。強い火を消すのには水をかけるという知恵は、この女神がもたらしたものです。
 (『同上』)


 オオゲツヒメの神は鼻をかみ、げろをし、お尻からはうんこをしました。それがやがて、オオゲツヒメの神の力でりっぱな食べ物に変わるのですが、しかしそんなことを知らなかったのが、追放されて高天原を去っていくとちゅうのスサノオの命でした。
 オオゲツヒメの神が体から生み出した物を、神々のためにりっぱな器に盛りつけているところを見たスサノオの命は、「なんということをするのだ。」と思いました。・・・中略・・・
 (引用者註.スサノオの命に殺されて)オオゲツヒメの神は死んでしまいましたが、その死骸からはさまざまなものが生まれました。
 頭からは、絹の糸を吐く蚕が生まれました。ふたつの目からは、稲の実が生まれました。ふたつの耳からは粟の実、鼻から生まれたものは小豆です。股のあいだからは、牟岐の穂が生まれて、お尻からは大豆が生まれました。オオゲツヒメの神は死んで、でもそれだけ豊かな物をあとに残されたのです。
 (『同上』)



 これらの神話は、国土や穀物がどうやってできたかの起源譚にもなっている。まず、現在のわたしたちが神話の描写に感じるのは、そんなことは現実にあり得ないという荒唐無稽さであろう。古事記として神話がまとめられた古代の時期やそれ以前のその神話が生み出された時期においても、穀物の種を土地に蒔かないと芽が出て育つことはないとか、風水害などの自然の猛威によって土地が破壊されたのだとかいう事実性の認識はあったものと思う。しかし、それらの認識の背後には、事実性の認識に張り付いた神話的なイメージと了解の世界があったのだろう。現在のわたしたちには、その世界はなかなかわかりにくいけど、そのことが「オオゲツヒメの神のうんこ」→「食べ物」というイメージの連結を可能にしていることは確かである。

 おそらくまだ世界が固まっていなくて漂っているような世界に生きている小さい子どもの世界では、サンタクロースを受け入れるのと同様に、この神話の描写は受け入れられそうに見える。個々の神話が語られた時期とそれが古代にひとつに編集された時期とかあり少し錯綜していて、いつの時期かはよく分からないにしても、すくなくともこの場面の登場人物のスサノオには、「オオゲツヒメの神のうんこ」→「食べ物」というイメージの連結を信じられていないように見える。

 このように、神話的なイメージや神話的な描写は、現在から見たら荒唐無稽に見えるものであるが、例えば、「虫送り」→「稲の虫が退散する」や「地下で大ナマズが暴れる」→「地震」などのイメージや了解と同様に、「オオゲツヒメの神のうんこ」→「食べ物」というイメージの連結が、事実性の認識の背後に信じられていた歴史の段階があったのだろう。そうして、「オオゲツヒメの神のうんこ」→「食べ物」というイメージの連結を信じられている世界が、神話的世界であり、そこから神話的な描写は湧き出してくるのである。

 この古代の神話にも、オオゲツヒメの神の行為を見たスサノオの命は、「なんということをするのだ。」と思いました、と語り手の語りがあるが、現代の物語のような個々の人格を持った普通の人間の描写とは言い難い。『建設現場』の場合は、揺らぎがあったとしても「わたし」という個の存在感はしっかりと出ている。『建設現場』の場合も、「オオゲツヒメの神のうんこ」→「食べ物」というイメージの連結するようなイメージの性格は共通していても、その世界が「わたし」≒「作者」という個を訪れているという点が古代の神話とは異なっている。

 神話的な描写とは、わたしたちの日常的な視線からすれば、超人的で荒唐無稽な描写と言えそうである。しかし、世界がまだ十分に固まっていなくて漂っているような世界に生きている小さな子どもは、大根や汽車がしゃべったりするのに抵抗がないように、あるいはサンタクロースを受け入れるのと同様に、神話的な描写を受けいれやすいのではないかと思う。これは逆にいえば、小さい子どもの世界は、人類の歴史の幼年期の精神世界と対応するように、神話的なイメージ・了解の世界に近いのではないだろうか。

 ということは、この『建設現場』の作品世界で、一方の大きな中心である〈鬱的世界〉の本質が、神話的世界のイメージの世界と同質のものを持っているということになるだろうか。これをもう一方の表現する主体の方から言えば、「わたし」≒「作者」が、無意識的に神話的世界のイメージ・了解を呼び寄せたということになるだろうか。そうして、なぜそういう世界を呼び寄せた、引き寄せてしまったのかというのは、わたしにはよくわからない。おそらく作者自身にもよくわからないのだと思う。ただ、今までたどってきたことから類推すると、〈鬱的世界〉は、C.の大いなる自然(川)が人間を圧倒していた歴史段階を思わせる描写やこの作品の繰り出すイメージ世界の性格から見ると、人類の深い時間の海、人類の幼年期の方から湧き上がってきているのではないかと想像される。これを作者の個体史の方に返せば、一般にそれは誰にとっても無意識的であるが、作者の無意識的な乳胎児期や幼年期などの方からやって来ているのではないだろうか。


『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ⑤

2020年04月22日 | 坂口恭平を読む
 『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ⑤


 5.場面の転換から


 この作品の各場面の内ではシュールレアリズム風で話の筋がうまくたどれないような描写もあるが、一般的に物語に存在する、構成の問題、すなわち場面の転換を繰り広げながら形成される話の筋はどうなっているだろうか。「物語」の場面の転換を大まかにたどってみる。


・C地区の「崩壊」と「瓦礫」と「建設現場」の話 初め~
・タダスによるとC地区内に医務局があり、混乱した人間たちはそこに運ばれるという話 P33
・町の話 P56ーP64
・C地区内にあるF域の話 P67
・「わたし」の定期検診の話 P71-P82
・「設計部」の話 P84~
・医務局を出た者のリハビリ施設「サイト」の話 P96~
・「崩壊現場」へ、「崩壊現場」での話 P103~
・A地区の話 P136~
・設計部はA地区との間にあった。 P148~
 「わたし」の仕事は水平を測る仕事に変わっていた。 P158
・「労働者たちが夢の中で勝手にこしらえた」(P165)「ディオランド」という街の話 P163-P166
 ※この「ディオランド」と言う言葉や話は、「わたし」≒「作者」に固執されたイメージのように以後も何度か登場する。
・内に地下駐車場があり、その一角に名前を収集している「登録課」がある話 P167
・「わたし」が医務局に戻る話 P172
・「ラミュー」の話 P177-P180
・設計部にある「手順部」と「管理部」という二つの部署の話 P187-P190
・「ラタン色」と老婆の話 P194~
・「書店のような店」の話 P197~
・ムジクという地域のふしぎな植物や水の話 P199~
・夢か現かの話 P202~
・マウとビンの話 P206~
・A地区とを結ぶ地下通路の話 P212~
 ( 以下、略。 作品全体のページは、P4-P311まで)


 このようにこの作品の構成を見るために、作品全体ではないが場面の転換をたどってきた。作者が、前作についてだったか自分の内に生起するイメージを自分は書き留めているだけだというような言葉に出会った記憶があるが、この作品の読み進むイメージから来る、ランダムな構成かなという予想と違って、割りと一般の物語の場面の転換、構成になっているように見える。「わたし」≒「作者」を圧倒する〈鬱的世界〉の渦中で、「わたし」≒「作者」は意識的か無意識的かそれぞれの度合は不明だとしても、場面を設定しそれらを連結していくという表現世界での構成への意志を当然ながら働かせているということになる。この意志は、〈鬱的世界〉がもたらす多重化する「わたし」を統合しようとする欲求と対応しているのかもしれない。

 また、語り手(「わたし」)や風物が安定的でなく揺らいでいて、抽象画をつなぎ合わせていくような場面の転換になっているように思われる。これは〈鬱的世界〉の圧倒性が「わたし」≒「作者」にもたらす揺らぎや屈折であろうか。

『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ④

2020年04月20日 | 坂口恭平を読む
 『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ④


 4.物語の渦中で、「わたし」の多重性


 わたしが、この作品中のの「わたし」の多重性に気づいたのは、以下に引用するA.では、「わたし」は、医務局で「定期検診」を受けたのに、C.では、「わたしだって病気一つしないから、医務局にすら行ったことがない。定期検診のことも聞いたことがない。」という言葉に出会った時だ。あれ、なんかおかしいぞと思った。もうひとつ挙げてみる。「わたしは崩壊そのものととなって、こちらに向かってくるガルを眺めていた。感情も何もないのだから、記憶できるわけがない。わたしは崩壊そのものとなって当然のように崩れ落ちていった。」(P123)とあるのに、後の方では、「定期検診後、時間は停止しているように感じられる。わたしはまったく別の思考回路で地面の上を歩いていた。わたしはまだ崩壊していない。崩壊は別のところで起きていた。」(P174)とあって、矛盾した表現に見える。しかし、よく読みたどってみると、B.に引用しているように、その間に「もう一人のわたし」についてすでに描写されていた。

 「わたし」の多重性に関わる文章を抜き出してみる。


A.

 「わたし」は、医務局で「定期検診」を受ける。(P75-P82)

ワエイは一体どこを設計していたのだろうか。詳しいことは何もわからないままだった。医務局へ行けば戻れるかもしれない。しかし、あれ以来医務局からは一切連絡はなかった。連絡を取るための方法も知らない。(P197)

 わたしは医務局から抜け出してきた。君もそうなんじゃないのか。違うのか。そういうふうにしか見えない。着ているのは患者服じゃないか。じゃあ、君は患者のふりをしているってことか。なんのために。ここじゃ誰もが患者にだけはなりたがらない。それよりも労働者のほうがいいと言う。(P223)


B.

 子どもたちは目が見えないのかもしれない。地中の動物のように目が退化しているのだろうか。しかし、目はぱっちり開いていた。明らかに何かを見ていた。焦点が合っているのは、わたしではなく、もう一人のわたしだった。今起きていることは、わたしの内側ではなく、外側で起きていた。いや、内側と外側がねじれていた。F域にいるからか。確かめようにも子どもたちとはまったく何も話せない。
 わたしは、目を覚ましたもう一人のわたしのことを以前にも書いていた。しかしそれは、もう一人のわたしが書いたのではないか。わたしはそう感じている。ここではわたしが「場所」になっていた。F域とは関係なかった。
 わたしは彼らにとっての「言葉」にもなっていた。彼らが何を話しているのか聞こえないのも、それはわたしが言葉だからだ。言葉には聞くという機能はない。わたしは淡々と書いている。手が勝手に動いていた。わたしに見えている風景ではなかった。(P118-P119)

わたしは今、この場所にいることが奇跡のように感じていた。わたしはここで起きている現象に見とれていた。しかし、何も見えていなかった。見えていないのに見とれていた。つまり、わかっていたことだが、わたしが見ているのではなかった。
 前方に一台のガルが止まっていた。アームを動かしながら瓦礫を積み込んでいる。そのガルの荷台の上に男が立っているのが見えた。目をこらすと、その男はもう一人のわたしだった。男はわたしの頭の中にいたわけではなかった。わたしから発生しているわけでもなかった。自分の足で立って遠くを見ていた。(P122)

 森の奥に広場があった。わたしは腹が減っていたので、迷うことなく中に入っていった。地下に設計部があった。・・・中略・・・働けと言われたら、そのまま受け入れるだけだった。いつだってわたしはには決定権がなかった。わたしが働いていたのかすらわからなくなるときだってあった。それは設計部にきても変わらなかった。なぜわたしは設計をやる羽目になったのか、振り返るよりもずっと昔に、これが決まっていたってことなのかもしれない。これはわたしとは別の体で起きていた。ところが別の世界ってわけじゃない。世界はいつだって一つだった。要はわたしが、一つじゃなかったということなんだろう。(P150-P151)


C.

 今では誰もそんなことを想像できないだろう。ここは町なんかじゃなかった。ここはただの雑草が生えた草原だった。ただの砂漠だったかもしれない。わたしの記憶がおかしくなっているのだろう。労働者たちは誰も気が狂ったりしていない。暴動一つ起こらない。わたしだって病気一つしないから、医務局にすら行ったことがない。定期検診のことも聞いたことがない。何か体の調子でも悪いのか?(P187)


 前々回、この作品は、昔風にいえば「私小説」的な作品で、「わたし」≒「作者」と見なせると考えた。「わたし」の他に「もう一人のわたし」の存在が「わたし」によって認められるということは、「わたし」の多重性ということであり、「わたし」≒「作者」から言えば、「わたし」の多重性≒「作者」の多重性ということになる。

 この物語世界では、「わたし」は主要な登場人物であるとともに、「わたし」=「語り手」だから、「わたし」が多重化しているということは、「語り手」も多重化している可能性もあり得る。B.で「わたしは、目を覚ましたもう一人のわたしのことを以前にも書いていた。しかしそれは、もう一人のわたしが書いたのではないか。わたしはそう感じている。」と「わたし」はその可能性を考え、語っている。しかし、これは「わたし」の疑念であり、「わたし」の不安の表現と見るほかないと思う。

 なぜならば、「わたし」の多重化に対応して「語り手」も多重化していると考えると、物語世界で、「わたし①」=「語り手①」、「わたし②」=「語り手②」・・・となって、作品世界を統合する主体が不在になってしまう。したがって、あくまでもう一人のわたしを感知する多重化した意識を持つ「わたし」が、物語世界の主体になっていると考えるべきだと思う。そうしてそうした状況は、「わたし」の見聞きしたり、感じたりするもので物語世界を統合する「わたし」≒「作者」の揺れ動く不安定な状況を象徴していることになる。もちろん、そうした事態は〈鬱的世界〉がもたらしているものである。

 作中では、「わたし」がメモを取っているというか文章を書いていることになっている。その「わたし」の書くことに触れている部分がある。


確かにわたしが書いている。しかし、わたしは複数に分裂していた。別の言語で考えているのではないか。そんな気もした。書いている内容を完全に把握している自分もいた。体の力を抜くと、誰かが乗っ取ったように自動的に手が動き始めた。手は何かを書いている。これはわたしではない者によるメモだ。医務局に提出できるような代物ではなかった。しかし本来、提出すべきはこういった類のメモではないのか。わたしではない者が侵入している証拠になっているはずだ。わたしの体は侵入経路がわかる生きる資料になっていた。(P174)


 作中の「わたし」≒「作者」と見なすわたしの考えからは、これは作中の「わたし」の有り様であるとともに作者の有り様でもあると思われる。多重化している状況が語られている。

 わたしは、〈鬱的世界〉の外側から〈鬱的世界〉の渦中の「わたし」≒「作者」の振る舞い、すなわち、表現されたイメージ流の世界を見ていることになる。ということは、わたしの言葉はそのイメージ流の内側での「わたし」≒「作者」の苦や快などの実感からは遠いということになるのかもしれない。物語作品を読むことも、一般化すれば、語られたり書かれたりする表現された世界を介しての他者理解の範疇に当たる。この場合でも、表現された世界の内側に入り込むことは難しい。くり返し読んだりていねいに読みたどったりして、表現された世界のイメージ群が収束していくところの作者のモチーフに近づこうとする。この場合、同時代的な感受やイメージの有り様の一般性が前提とされている。しかし、この作品の場合には、その前提が稀薄である。つまり、作品世界の「わたし」≒「作者」が浸かっている〈鬱的世界〉の感受やイメージの有り様の特異さが、この作品の理解を難しくしているように感じられる。

  しかし、一方で、その世界は、わたしたち読者には豊饒のイメージ世界とも映る面がある。後で取り上げるが、この作品には古代の神話的な記述と同じではないかと思える個所もある。〈鬱的世界〉の渦中の「わたし」≒「作者」にとっては、それらの動的なイメージの飛び交う世界は〈苦〉をも伴うのかもしれないが、ある種のイメージについては変奏されながらもくり返し目にしてきた見慣れた感じや親和感もあるのかもしれない。
 

『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ③

2020年04月16日 | 坂口恭平を読む
 『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ③


 3. 物語の渦中で、「医務局」とは何か


 物語世界が、現在の世界を呼吸する作者によって構築された幻想の世界である以上、そこには現在の世界にある風物が作者の意識的あるいは無意識的な選択により写像されてくる。そして、その選択には街の風景の描写のように割と自然な場合もあれば、物語世界に欠かせないものとして選択される場合もある。次の「医務局」は、後者の例のように見える。本文中から、「医務局」に関わる表現を拾い出してみる。


3.「医務局」に関わる言葉から

A.
 タダスの話によると医務局という場所があり、混乱した人間たちはそこに運ばれるという。モリと呼ばれていた医務局は、いま働いている現場、C地区の中にある。C地区は広大で、医務局だけでも三つあるという。
 (『建設現場』P33 みすず書房 2018年10月)


B.
 「今日は定期検診だ」
 しばらくするとロンがまた口を開いた。定期検診など受けたことがなかった。体調の悪い者は、自己申告すればいつでも医務局で診てもらうことができた。わたしは健康体そのもので、自分が普段思い巡らせているこのよくわからない頭の動き以外は風邪一つ引かなかった。★定期検診という存在自体知らなかった。ロンに聞くと、それは誰もが受けるわけではなく、定期的に無作為に一人の人間が選ばれ、その人間を診察し、他の労働者たちの体調を予測するためにデータを取るという。それで今回はわたしが選ばれたというのだ。★
 「どうやって選ばれるの?」とわたしは聞き直した。
 (『同上』P71-P72)


C.
 医務局での女による面接・質問の場面 (『同上』P76-P81)

 女はそこで質問を終えた。一切、わたしに触れることもなく、血液検査などもなかった。問診というよりも、ただの質問だった。★わたしに関することを異常に詳しく知っていた。わたししか経験していないはずのことを、なぜ女が知っているのか。もちろん労働者の行動は人工衛星で管理されている。しかし、女はわたしが見た夢のことも知っているような気がした。ただそんな気がしただけだが、そういうかすかな気づきですら女は感じ取っているように見えた。人工衛星で管理しているといっても、わたしの思考回路まで知ることはできないだろう。それなのに、女はわたしのことをすべて知っているような気がした。しかも、頭の中まで感じ取っていた。★
 (『同上』P80)


D.
ウンノは「おれ、建設現場から離れて医務局にいた」と言った。
 「ぼくも定期検診の途中なんだけど」とわたしが言うと、ウンノは何かわかっているのか、笑顔で「冗談は寄せよ」と言った。
 「ここはサイトって呼ばれてて、医務局を出てきたやつら、つまり入院中だった労働者がリハビリを行うところなんだよ。本格的に建設現場へ戻るまでの間、しばらく集団生活をするんだ」
 ウンノは説明しながら、わたしを二階建ての白い建物の前に連れて行った。
 (『同上』P97)


E.
 医務局内の椅子に三十人くらいの労働者が座っていた。実際に働いた経験のある者は一人もいなかった。しかし、手は汚れ、作業服も破れていた。中には女もいた。女はどうしてここにきたのかわからないようで、ひとりごとをつぶやいていた。
 ★医師たちは労働者たちの疑問に答えることなく、黙々と診察をはじめた。★目を開き、小さなライトを当てると、瞳孔の動きを確認した。瞳孔をカメラで撮影したあと、大きく壁に映し出した。いくつかの測定を同時に行っていた。
 労働者たちは働く必要がないと気づくまでにしばらく時間がかかったが、それがわかるとみな笑顔になった。食事は好きなときにとることができた。医務局に十年以上滞在している者もいるという。中にはここで結ばれた者たちもいた。
 家族をつくった労働者たちには仕事が与えられた。仕事の内容は、いくつかの薬を飲みながら、家族と生活を続けていくというものだった。はじめは彼らも戸惑っていたが、そのうちにどうでもよくなったのか、家族ですらないものも、家族の一員だと言い張ったりしだした。しかし、医師たちは彼らの言う通りに従った。
 医務局では患者たちにすべての決定権があった。彼らの意見は法律よりも強かった。「動物国をつくりたい」と子どもが言った翌日には建設がはじまった。しばらくすると彼らは医務局の敷地すべてを、彼らが見た夢の世界と同じものにつくりかえてしまった。●完成までには長い歳月がかかっていたが、実際は一瞬の出来事だった。●医者は労働者たちの一瞬の思いや記憶、創造性に注目していた。
 (『同上』P141-P142)


F.
 「なぜ医務局に戻ってきたの?」
 「報告のためです。わたしは感じたことを、さらに進めました。地理的調査と同時に、そこで暮らす人々の頭の中で起きていることも記録に残しました。それは思考回路とは幾分異なるものでした。彼らは手足を動かすのと同じように頭の中で見つけた風景のことを写真に写したり、そのための機械をつくりだしたりしています。その行為のもとになるもの、●その力そのものの研究を行うために、わたしは毎日、歩き続けました。しかし、一歩も外に出ていないような気もしています。足は一切汚れてません。●むしろ、体はだるく、外の空気を吸った実感がまるでないのです。」
 「あなたの名前は?」
 ★「サルト。名前は自ら思い出しました。しかし、以前にもサルトと名乗る人間がいたことがわかっています。内にある登録課で判明しました。・・・中略・・・わたしはサルトという名前が、ある動物から発生したのではないかと考えています。しかもこのことが現在、A地区の工事が遅れている原因と関連がありそうなのです。★しかし、これはわたしの想像である可能性は否定できません」
 (『同上』P172-P173)


G.
 わたしは医務局から抜け出してきた。君もそうなんじゃないのか。違うのか。そういうふうにしか見えない。着ているのは患者服じゃないか。じゃあ、君は患者のふりをしているってことか。なんのために。ここじゃ誰もが患者にだけはなりたがらない。それよりも労働者のほうがいいと言う。


今では医務局にいたせいか分からないが、勝手に自分の意見ではないことまで頭に浮かぶようになってしまった。それで困っていると、また次の薬、それを止めるためにまた次の新しく開発された薬が投与された。わたしは薬物中毒になっていた。それでもまだ逃げることができた。ほとんどの人間は逃げる気なんかなくなってしまって、うめき声なんかひとつも聞こえず、聞こえてくるのは恍惚とした声ばかりだった。
 わたしの頭は少しばかりおかしくなっていたからか、いつも別の景色が見えていた。それはこの近辺の景色だった。昔の姿なのか、これからの姿なのか、わからないところもたくさんあった。それでも見えていたことは確かだった。
 (『同上』P222-P225)



 この作品に出てくる医務局関連の部分を抜き出してみた。そのA~Gの部分の中で、★・・・★で囲った部分は、わたしたちが病院に対して持つ一般的なイメージと違う部分であり、作品世界の「わたし」≒「作者」の疑念や被害感からの表出ではないかと思える部分である。Fの★・・・★で囲った部分の後には、「しかし、これはわたしの想像である可能性は否定できません」という言葉が付け加えられている。これは、「わたし」(サルト)の相手に投げかけられた内省の言葉であると同時に、「わたし」≒「作者」の作品世界に対する内省の言葉でもあるような気がする。いわば、★・・・★で囲った部分の自己の了解に対する留保の言葉になっていると思う。

 次に、A~Gの部分の中で、●・・・●で囲った部分は、物語や話の現実性としては矛盾する表現の部分である。たとえば、普通では「完成までには長い歳月がかかっていた」=「実際は一瞬の出来事だった」は成り立たない。しかし、作品世界の「わたし」≒「作者」にとっては、二つのイメージの等号あるいは接続は認められている。作品世界の「わたし」≒「作者」には、そのようなイメージ流として体験されたということを意味している。

 Bによると、「定期検診」は、「わたし」含めて受け身的なものと見なされている。毎月1回通院しているわたしの場合もそうだが、通院は受け身的なものとして感じている。病院(医務局)とはわたしたちにとってできれば行きたくないようなところだと思う。したがって、「定期検診」が「わたし」に受け身的なものと見なされていることはわたしたち誰にも当てはまることだから別に問題ではない。問題は、その受け身性からCの描写にあるように、「わたし」が人工衛星で管理されているとか頭の中まで感じ取られているというような、追跡されているとか察知されているとかの被害感の存在である。ここが、普通の病院体験とは異質な描写になっている。

 作者がうつ病で病院にかかっていることについては、昔ツイッターで見かけたことがある。また、Gの記述にあるように、処方される薬が薬物中毒をもたらすこともあるとツイートにも出会ったことがある。この作品世界での「医務局」は、普通の病院のイメージとは違っているように見えるが、「医務局」のリアリティーの根っこにはうつ病の作者の通院の体験があるのではないかと思う。その時の体験が作品世界に写像され織り込まれているように見える。


『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ②

2020年04月05日 | 坂口恭平を読む
 『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ②


 2.物語の渦中で、「崩壊」と「瓦礫」や「建設」とは何か


 坂口恭平の『建設現場』は、出てからすぐに買って2,3回数ページ読んで、これはすいすい引き込まれるような普通の物語作品とはちがうなという感じがして、ずっと寝かせていた。やっと読み進むことになった。

 語り手でもある登場人物は、とりあえず「わたし」であり、その「わたし」は、「わたしはずっと忘れていたことを思い出した。わたしの名前はサルトだ。」(P48)とあるから、「サルト」という名前ということになる。ここで、とりあえずと書いたのは、「わたし」が自分の名前を忘れていたということもふしぎなことであるが、のちにこの「わたし」は多重化したものとわかるからである。今回はそのことには触れない。


 『建設現場』という物語世界は、次のように始まる。もちろん、作者にとっても読者にとっても書き出されてはじめて物語世界は浮上し、可視化される。しかし、作者の内では、物語世界の徴候はそれ以前にも存在し、書き留められた物語世界の終了の後にも、その徴候はいくらか変貌しつつ存在し続ける。


 もう崩壊しそうになっていて、崩壊が進んでいる。体が叫んでいる。体は一人で勝手に叫んでいて、こちらを向いても知らん顔をした。崩壊は至るところで進んでいて、わたしは一人で気づいて、どうにか崩落するものに布なんかをかけようと探してみたが何もない。隣にいる者に声をかけてみたが、男は一切しゃべらず、それ以外にもまだたくさんの人間たちがいた。
 現場ではいろんなものが崩壊していたが、それもこの建設の一つの仕事なのかもしれない。わたしは想像するしかなかった。しかし、昨日も寝ていない。もう数日寝ていない。正確に言うと、寝ていないことはなかった。宿舎はなく、眠る時間になるとその辺に散乱している毛布にくるまった。拳を枕がわりにして、それぞれ寝ていた。わたしも彼らの寝姿を見ながら、寝てもいいのだと知り、寝るようになった。
 ところが寝ていても、夢の中ではまったく同じ場所があらわれ、わたしは同じように働いていた。隣の男は違う顔だった。向こうにいる男たちの顔は確かめることができない。夢ですらそんな調子だった。わたしはずっと働いていて、休むことができなかった。寝ているときでも汗をかいていたが、冷や汗ではなかった。それはちゃんと労働したときの汗で、それなのに体は疲れを知らず、声が聞こえてくるとすぐに起きあがった。
 崩壊はまだ続いていた。建てても建てても定期的に揺れ、崩れ落ちていく。そのたびに日誌に被害の状況を逐一記録しなくてはならなかった。しかし、こんなことをやっても無意味だと多くの人が思っているのか、報告する側もされる側もどちらも上の空で、誰も何も聞いていないようにみえた。
 (『建設現場』の出だし P4-P5 みすず書房 2018年10月)



 引用部のはじめに、「体」も「わたし」もともに「崩壊」を感じてはいるが、「体」と「わたし」の二重化というか分離した感覚が表現されている。ここでの描写の流れを少し追ってみる。

→ わたしは想像するしかなかった。 → しかし、昨日も寝ていない。 → もう数日寝ていない。 → 正確に言うと、寝ていないことはなかった。 → 宿舎はなく、眠る時間になるとその辺に散乱している毛布にくるまった。 → 拳を枕がわりにして、それぞれ寝ていた。 → わたしも彼らの寝姿を見ながら、寝てもいいのだと知り、寝るようになった。

 前々回、この作品は、虚構という物語性の稀薄な、作者である「わたし」の切実な「心象スケッチ」と見なすべきだと思う、と書いた。昔風の言い方をすれば「私小説」的な作品だということになる。そうして、前回は、ふいと訪れてくる避けられない〈鬱的な世界〉とその時間の制圧に抗うように書いているように見える。そうして、そうした状況で〈書く〉こと自体が作者にとって、鎮静剤や「自己慰安」のようになっているのではないか、と書いた。それを受けて引用文の流れを見ると、「しかし」→「もう」→「正確に言うと」という文頭の言葉の推移は、物語世界の舞台に立った「わたし」の内面 ―それは作者の内面と対応しているように見える― を内省している言葉の表情に見える。その後の部分の「わたしはずっと働いていて、休むことができなかった。寝ているときでも汗をかいていたが、冷や汗ではなかった。それはちゃんと労働したときの汗で、それなのに体は疲れを知らず、声が聞こえてくるとすぐに起きあがった。」も、「わたし」≒「作者」の内省的、実感的なところから来る言葉のように感じられる。

 では、「わたし」≒「作者」にとって「崩壊」と「瓦礫」や「建設」とは何だろうか。物語世界からいくつか拾い出してみる。


1.「崩壊」に関わる言葉から


 崩壊ですらわたしには自然な現象に思えた。しかし瓦礫を見るかぎり、この崩壊は決して天変地異ではなかった。明らかに何者かによって意図的に行われている。崩壊はいつも別のところで起き、同じところで連続して起きることはなかった。怠惰な管理部はそのことすら理解していなかった。労働者を崩壊とはまったく関係のない場所へ派遣しつづけた。労働者たちは必死に作業を行ったが、どれも無意味だった。
 そもそもここで行われているあらゆる労働が無意味だった。だからわたしはやめた。すると突然、言葉を話せなくなり、頭の中で像を結べなくなってしまった。体は健康そのものなのに感覚を統合する力がなくなり、混乱状態に陥った。
 (『同上』 P154)



 崩壊、崩壊って言いながら、実はまだ何も起きていない。この目で見たことはなかった。アナウンスでは「今日何人が負傷、何人が死んだ」と報道されていたが、書類も誰かが適当に書いたとしか思えなかった。現場に貼り出されているものなど誰も見ていなかった。最近では人間の気配さえなくなっていた。こんなに労働者が集まって毎日働いているっていうのに不気味だった。そろそろここでの仕事も終わりにしたかった。
 (『同上』 P156-P157)


 「われわれは崩壊が起きるように建設している。崩壊は完成に向かっているという合図なんだ。崩壊しているようで、実のところは構築されている。アリの巣みたいにな」
 よくわからない?そりゃそうだ。おれ(引用者註.「ルキ」)にもさっぱりわからん。崩壊のことなら、もっと話がわかるやつがいる。ディオランドへ行く途中にある酒場にバルトレンという道化師がいただろ?あいつは何十年もこの辺で暮らしてる。いつもぼうっとしているように見えるが、実はずっと研究しているんだ。バルトレンは崩壊のことを調べるというよりも、あいつは気配を感じ取って、数値に置き換えたりしているらしい。
 (『同上』 P168)


2.「瓦礫」と「建設」に関わる言葉から


 わたしが作っているのは時計だ。この時計台だってわたしが作った。すべてこのへんに転がっている瓦礫を使って作った。長い時間をかけて少しずつ作った。この空間はもともとあるものじゃない。計画されたものでもない。わたしはまだ若かった。若くて何もわからなかった。もともとは労働者としてここで働いていた。ところがすぐ仕事をやめてしまった。理由もなく。ある日、突然やめた。やめても家に戻ることはできない。一歩踏み入れたらもう戻ることはできなくなっていた。家も何もなくなっていた。
 新しくやり方を見つけるしかなかった。もちろん簡単じゃなかった。食べることすらままならない状態で、わたしはまずこのへんの地理に詳しくなる必要があった。
 ・・・中略・・・
 これはわたしが作った言葉だ。言葉ですら一からつくりだす必要があった。この時計台は、わたしの言葉で作られている。★実際は焼け野原となんら変わらなかった。★ここにはもともと森があり、川が流れていた。地層を見たわけじゃない。★わたしはただ語っているだけで実際に見たことはない。★
 一度だけこんなことがあった。わたしは夜、瓦礫を探すためにあてもなく歩いていた。歩けば歩いただけ地図が広がっていくので、わたしは毎日、書き足していった。ところが地図は雲みたいに書いた瞬間から変形した。わたしはそんな場所で生きている。この状況を受け入れるだけで数年が経った。毎日、自分のいる場所が変わった。目を覚ますと知らない場所にいた。そのうち眠ることすらできなくなった。それでもついうとうとしてしまう。次の瞬間にはもう変わっていた。
 はじめは変化に気づけなかった。当たり前だ。立ち止まっているのに移動するなんてことを経験したことがないんだから。★わたしはずっと一本道を歩いていると思っていた。間違わないように紙に地図を描いた。地図を見ながら慎重に歩いていた。ところがあるときまったく同じ風景をみた。★それでわたしは一周したと思った。★そんなわけがなかった。一周するどころか、わたしはただ道に迷っていた。★
 (『同上』 P153-P155)


 すべて瓦礫だったとしても、何かをつくりあげることはできる。つくることをやめたらすべておしまいだ。いつまでも諦めないでやること。そうやって石を積み上げ続けているやつがいるのを知っているか?F域の中にいるって話だ。おれ(引用者註.この前の話「56」の「おれ」=「ルキ」だと思われる)は見たことがない。おれはな、自分の中から湧き上がってきているものを、ただずっと集めているだけだ。本当にただ集めているだけで、選別もなにもしない。瓦礫はそれが何かの欠片だろうが一つの惑星みたいに見えた。崩壊したあとの瓦礫は元の形を想像することすらできない。おれがやっているのは瓦礫をただ見続けること。
 (『同上』 P169)



 例えば、相手が何を話しているのかよくわからないとして、その相手の話を録音したり文章化したりして、その全体をたどっても話がよくわからないとする。ここでは、物語の全体ではなくごく一部を取り出しているが、そうした方法で作品世界に近づくほかない。引用の描写の世界は、通常の言葉の選択や連結、展開とは違っていて、意味がたどりにくい。小さい子が息せき切ってやって来てある出来事を報告する時のように話の要領を得ないと思われるかもしれない。一般化すれば、言葉が定常状態か励起状態かに拘わらず、そのような他者の言葉の理解の問題ともなり得る。ただ、物語世界の言葉が息せき切ってやって来た子どもの話のように言葉が励起状態にあるようなものだから、読者は見慣れない感じで不明感にとらわれるだろう。

 「崩壊」は何者かによる作為的ものと捉えられている。そうして、「崩壊」の正体もいつどこで起こるかもわからないから、「わたし」は強迫的に迫ってくる世界の「崩壊」にたいして受動的な存在となるほかない。そのような「わたし」は、世界の崩壊感の中、世界の方から押し寄せるイメージ流とでも言うべきもの ―実際は、「わたし」が生みだしているイメージ流のはずだが― に対して、普通の内省や気づきも現れている。(2.の★・・・★の部分)。いつどこで世界の「崩壊」が起こるかわからない、不明感と受動感の中、「わたし」≒「作者」が、病に押し流されてしまうことなく、抗いながら必死で自らを立て直そうとするのが「瓦礫」を用いた「建設」ではなかろうか。

 どこからかふいに訪れてくるように思われる〈鬱的世界〉によって励起・制御されたイメージ群が、「わたし」≒「作者」に次々に訪れてはひとつのイメージ流を成していく。〈鬱的世界〉の有り様がわたしにはわからないから、おそらくとしか言えないが、〈鬱的世界〉の繰り出すイメージ群に「わたし」≒「作者」が何度も反復して出会っている親しいイメージもあるのかもしれない。そこは読者にはよくわからない。ただ、イメージを感じ生みだしているのはあくまで「わたし」≒「作者」だとしても、「わたし」≒「作者」には〈鬱的世界〉が強迫的な気配で「崩壊」のイメージを強いてくるように感じられている。そこで「崩壊」などの正体がはっきりしないことが、「わたし」≒「作者」の受動性や〈鬱的世界〉の強迫性と対応しているように見える。

 引用の個所では、「わたし」は「崩壊」による「瓦礫」で「時計(台)」を作っている。その行為は、世界の崩壊感の中で「わたし」の生きのびようとするとする意志の表現と見ることができる。「すべて瓦礫だったとしても、何かをつくりあげることはできる。つくることをやめたらすべておしまいだ。いつまでも諦めないでやること。」という「おれ」=「ルキ」の言葉は、「わたし」≒「作者」のものでもあるはずである。そのことは、作者に戻せば「書く」ことを続けることに当たっている。しかし、その書くことも徒労感に襲われることがある。


 わたしは息をするように書き続けた。わたしがこれから何をしようとしているのかは知らないままだった。それどころか、わたしは自分のことを間違っていると思った。こんなことをしても無駄だと感じていた。「無駄なことはなにもない」と言っていた者がいたが、わたしは無駄だと思いつつ書いた。わたしには書く理由がなかった。わたしは積極的に書いているわけではない。書くこと自体は息をすることに近かった。息を止めることは苦しかった。
 わたしは目も耳も鼻もないと感じていた。体自体がなかったのかもしれない。わたしは知覚することができなかった。感覚を探す気力もなかった。食欲もなかった。わたしはすべてが嫌になっていた。それなのに、書くことを止めようともしなかった。書くことで、どうにかしようとした。しかし、それはいつも徒労に終わった。
 (『同上』 P139)



 それでも、書くことが身体活動の息をすることと同じようなものと「わたし」≒「作者」に感じられているから、〈鬱的世界〉のもたらす徒労感に抗して書いて行かざるを得ない。


『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ①

2020年03月28日 | 坂口恭平を読む
『建設現場』(坂口恭平 2018年10月)読書日誌 ①


 1.物語世界の構造


 近代小説は、一般に作者・語り手・登場人物という基本要素を必要とし、作者は物語世界の後景に位置し、太古とは違って個としての作者のモチーフを担った語り手が、登場人物を引き寄せたり登場人物たちに促されたりしながらそれらを語る(描写する)ことによって、物語世界は駆動され、展開していく。もちろん、言葉を書きついでいくのは作者である。この場合の現場の様子としては、作者は、例えば、ある人が自分の職場の結婚式場に出かけて結婚式の司会をやるように、変身した語り手に憑かれるように、あるいは語り手になりきって言葉で描写していく。このような物語世界の構造にも時に乱流が起こることもある。

 普通の物語と違って、芥川龍之介の作品には物語世界に作者が登場するものがいくつかある。西欧の作品にもそういうものがあるのかどうかは知らない。「羅生門」では「ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門下で雨やみを待っていた。」と語り手が語り物語世界を開いていくが、途中で「作者はさっき、『下人が雨やみを待っていた』と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。」というふうに急に作者が登場する。これは旧時代の語り物の名残ではないかと思う。佐伯泰英の時代物、『居眠り磐音 江戸双紙』シリーズを読んでいる時にも感じたことがある。物語の時空を抜け出たようにしてある場所の歴史的な説明が急に入る時がある。これは江戸時代に下り立った語り手ではないから、作者が顔を出しているのだとみるしかない。現在に残る語り物でも、時には物語世界から語り手が抜け出て、ある出来事や場所の歴史的説明が入る時がある。必要だという配慮からそれらはなされているのだろうが、観客(読者)としては物語世界への没入に水をかけられたようで少し興ざめになる時もある。現在でも、いくらかこのような部分を残しているといっても、上記のような作者・語り手・登場人物という基本要素からなる物語作品が、現在の主流の形となっている。

  坂口恭平の『現実宿り』に見られる独特の物語世界の構造については、以前に触れた。(「『現実宿り』(坂口恭平)を読む」2016.12.10)それは、作者・語り手・登場人物という基本要素からなる近代以降の小説の物語世界とは少し違っているようだった。今回取り上げる作品『建設現場』も『現実宿り』と同じような物語世界の構造に見えるので、その以前の自分の文章で引用した『現実宿り』に関する作者のツイートを再び引用する。


1.(2016.8.05)
とにかくぼくはプロットも構成もそもそも着想自体なく鬱のまま書き始めているので何がなんだかわからないまま書いている。書かないと死にそうだから書いているだけなので、今日の文章教室ではそのことだけを伝えます。きっとただみんなほっとするだけの会になると思います。才能の問題ではありません


2.(2016.10.14)
新作「現実宿り」は10月27日に発売されます。今年の1月に鬱で死にそうになっていたときに頭の中が砂漠になって布団の中でもがきながら書いた本です。自分でも何を書いたのかわかっていないので買って読んで電話で感想ください。予約開始中 


3.(2016.10.24)
雨宿りという言葉は雨がただの避けるものではないということを示していて、気になっていた。雨音聞きながら寝ると気持ちいいし、雨の日に部屋にいると安心する。軒先を宿だと思う感覚も面白いし、軒先から見る雨は自分を守る生きた壁みたいに見えて何かが宿っているようにも見える。


4.(2016.10.24)
という「雨宿り」という言葉に対しての興味から、僕の仕事もただ現実からの避難所を作りたいわけじゃなく、一つそういった軒先のような空間があれば、現実に対する目も変化するのではないか、なんてことを考えながら、雨宿りから着想して「現実宿り」という造語をつくりましたー。


5.(2016.12.03)
「現実宿り」昨日久しぶりに数ページ読み返してみたが僕が書いたと思われる箇所がほとんどなくびっくりした。ほんと何度、ページ開いても不思議な感覚です。よく本になったなあと。そして、よくぞ他の人が読んでくれてそれぞれにいろいろ僕にくれたもんだなあと。僕に主題がないどころか僕が書いてない


6.(2016.12.08)
僕の場合、資料などは一切、入手しないでただ書く。目をつむらないで、目を開かないで、ぼんやりとしたあたりに、窓があって、そこからすかしてみるみたいな感じだろうか。嘘は書いちゃいけないと思っているので、創作した部分は結局最後には消すことになる。でも、そのまま書くと、ほんとむちゃくちゃ



 作者のツイートの1.2.6.は、表現の舞台に立っている(立たざるを得ない)時を振り返った作者としての実感、表情や思いである。3.4.は、表現の舞台を下りた作者が自分の表現の行動に与えた冷静な内省的な言葉である。これは通常の感覚である。

 『現実宿り』の時の読書感で言えば、シュールレアリズムのような表現が次々に転換し連結されていくような感覚や神話的な描写でもあるなという感覚を持ったが、この『建設現場』でもそのような印象がする。前回、上のツイートを引用した後に、この作品は、虚構という物語性の稀薄な、作者である「わたし」の切実な「心象スケッチ」と見なすべきだと思う、と書いた。この『建設現場』でもそれは言えそうだ。すなわち、この『建設現場』の物語構造も、『現実宿り』に見られる独特の物語世界の構造と同型であると思われる。そのことにもう少し立ち入ってみる。

 ところで、太古の巫女さんが、集落の人々の前で物語り(神のお告げなど)をする場合、神(大いなる自然)に促されて語り手の巫女さんが語ることになる。もう少し現代風に言えば、巫女さんは、集落の人々が内心に持っている世界観や世界イメージ(マス・イメージ)に促されてそれに応えるように、神自身に成り代わったり、神を讃えたり、神に訴えたりして語ることになる。ちなみに、『アイヌ神謡集』(知里幸恵編訳 青空文庫)には、「梟の神の自ら歌った謡」など神自身が一人称で語る話が残されている。

 この作者の「不思議な感覚」(ツイート5.)からすると、『建設現場』は、作者にどこからか訪れてくる緊迫した〈鬱的な世界〉とその時間が、作者のモチーフや物語性に取って代わっているのではなかろうか。そのために、ツイート5.に見られるような「僕が書いたと思われる箇所がほとんどなくびっくりした」となるのではなかろうか。作品で部分的には自分が書いたとは思えないと言う作者の言葉には出会ったことがあるような気がする。たぶん、作者たちは日常世界を離脱していくぶん我を忘れたように、あるいは、物語世界に憑かれるようにして書いているだろうから、いくらかはそういう場合があるのだろう。しかし、坂口恭平の場合は、それと違って全面的に見える。

 先の太古の巫女さんの物語りの例で言えば、巫女さんの物語りを突き動かすのが集落の人々が内心に持っている世界観や世界イメージ(マス・イメージ)であるのと同様に、坂口恭平の場合は、自らの内から沸き立つモチーフというよりは、緊迫した〈鬱的な世界〉とその時間が、作者を物語り世界に追い込み、突き動かしているように見える。素人の推測に過ぎないが、物語世界の中での作者の受動的な緊迫した時間の強度とそこから離脱した日常のふだんの時間の強度との落差の大きさが、醒めたときの自分が書いたものとは思えないという言葉になっているのではないかと思う。

 坂口恭平の『現実宿り』や『建設現場』という物語世界は、作者・語り手・登場人物を基本要素とする一般的な物語世界の、作者のモチーフに促された一般的な語り手とは違って、他の何ものかに促されたり迫られたりしている受動的な作者-語り手なのではないだろうか。ちなみに、出版社の『建設現場』の紹介コメントには、「これは小説なのか、それとも記録なのか。」とある。この作品が、普通の物語作品とは見なされていないということだろう。読者としていつものように物語の筋をたどろうとすると、世界の時空の理路がゆがみ、シュールリアリズムのイメージが連結されていくような、あるいは神話的な自在さのような印象を持つ。それらのイメージ流とも言うべきものの流れや展開に慣れていない読者としては、読んでいてきついなと思う。

 作者のツイート1.2.にあるように、この『建設現場』でも作者は「書かないと死にそうだから書いている」のだろう。そのことが現在を生きのびることになっている。つまり、ふいと訪れてくる避けられない〈鬱的な世界〉とその時間の制圧に抗うように書いているように見える。そうして、そうした状況で〈書く〉こと自体が作者にとって、鎮静剤や「自己慰安」のようになっているようである。


『家の中で迷子』(坂口恭平 2018年)のためのメモ ③

2018年08月05日 | 坂口恭平を読む


 『家の中で迷子』(坂口恭平 2018年)のためのメモ ③ (※これでおしまいです。)




 この作品を物語としてみるならば、四歳の頃の迷子の体験(P6から)の冒険譚ということになるだろうか。そして、それはこの普通の十全な言葉によって書かれるほかない。しかし、その迷子の内側から見た感じた世界、すなわち内景は、幼い子どもの普通の冒険譚としてではなく、イメージの流れ、切断、飛躍、連結などとして描写されている。普通の十全な言葉が行使されているようで、どこか違っている。普通の物語の時空ではなく、微妙に時空変容している、してくる。それは静的ななものではなく動的な印象を与える。これは、〈私〉以外に登場する〈トクマツ〉〈アゲハ〉〈イシ〉〈ハジ〉などのおかげであり、彼らが〈私〉が〈世界〉と対話する仲立ちや〈世界〉への導き手としてとしての役割を果たしているように見える。そして彼らは、たぶん兄弟や祖父や友達など〈私〉となんらかのつながりを持ってきた人々がそのイメージ源になっていると思う。

 この作品は、大人になった〈私〉が遙か昔の小さな子どもの〈私〉のイメージ世界にダイブした作品、あるいはもっと正確には、現在の大人の〈私〉の中に潜在し湧き出してくる太古(〈私〉の小さな子ども時代)を描写した作品であろう。つかの間の迷子体験は、親などの外からの視線では自分たちからはぐれてしまい道に迷ってどこかをうろうろしていたのだろうということに一般にはなる。しかし、「迷子」となった〈私〉の世界体験を内から語り描写すれば、その内景はこのような複雑で豊かな世界イメージになるということだろう。わたしが、この文章の①と②の部分を必要としたのは、わたしたちがこの作品の入口であれこれ準備体操をしなくてはならなかったということであり、それはわたしたちがこのような新たな形の作品に慣れていないからである。
 ここでは、わたしはまだ大雑把な読みしかできていないのじゃないかと思っているが、この作品に感じ考えたことを少し取り出してみたい。

 作品の中から、イメージの連結や飛躍や接合の例を取り出してみる。


1.
 右手が軽くなっていた。
 手をつないでいたはずの母も、家族もどこかへ消えていた。
 焦って辺りを見回すと、籠を持った母がこちらを向いて立っていた。安心して近づいてみたが、母はガラスの中に閉じ込められており、顔はのっぺらぼうだった。背後を灰色の制服を身につけた男たちが、全速力で駆け抜けていく。
 ガラス越しに店内を覗くと、ベージュ色のスカートが目に入った。母のスカートだ。店内には植物やヨットの模様の布がぶら下がっていた。島に行ったときのことを思い出した。いつかの夏休みだ。母は麦わら帽子をかぶって、同じ色のスカートをはいていた。島には船で向かった。屋根があるだけの小さな船だった。船は島に近づくと、徐々に速度を落としていった。
 声が聞こえたので顔を上げると、老人がこちらに手を差し出している。下の名前で呼ばれたが、知らない人だった。顔のシワがミミズみたいに動いていて、落ち葉をめくったときの匂いがした。老人は体じゅう日焼けしていて、手のひらだけが異様にしろかった。
 港と言っても粗末なもので、海底に突き刺さっている柱にはフジツボがたくさんくっついていた。猫のおしっこの匂いもした。老人は聞きなれない言葉を口にしていたが、母は老人と笑い声をあげながら話している。親しげな雰囲気だったが、船に当たる波は警告音のように感じた。父は後ろのほうで黙っている。老人の手をつかむと、怖さのあまり飛び上がるように上陸した。怖がっていることを母がわらっているような気がしたが、眩しい日差しのせいで母の顔は見えなくなっていた。ベージュのスカートに近づき、ただそれをつかむことしかできなかった。
 振り返ったのは母ではなく、知らない女性だった。さっきまでの地下街の雑踏の声は消え、店内には静かなギターの音が鳴っている。木の椅子に座った白髪のおばあちゃんが奥から眼鏡越しにこちらを見ていた。白髪のおばあちゃんは手招きすると、テーブルに置いてあるガラスのコップに麦茶を注いだ。
「あんた、初めて見る顔じゃないね」
 一口飲むと、喉が渇いていたことを思い出し、一気に飲み干した。頭の中ではまだ島を歩いていた。港から歩いてすぐのところに森があった。店の床に当たっている光は、その森の木漏れ日のようだった。森で見たはずの木が生えている。よく見ると、それは試着室のカーテンの柄だった。老人と二人で森の中を歩いた。あのとき、家族たちはどこにいたのだろう。そんなことを考えながら、試着室に顔を突っ込んだ。試着室の中はさらに森の奥へと道が続いていた。苔で覆われた大木のまわりには、顔よりも大きな葉っぱや、見たこともない色の花が生い茂っていた。ここは試着室なのだから、きっと目の前にあるものは鏡だ。カーテンの柄が映り込んでいるのだろう。ところが、鏡には自分の顔だけがどこにも見当たらなかった。 (P7-P8)


 この場面での〈私〉の視線、あるいは視線からイメージの流れを追ってみると、

福岡の天神地下街→迷子になったと気づく→店内を覗いて、ヨットの模様の布を目にする→夏休みに島に行ったときを思い出す→店内でのことに島に行った時のイメージが二重化したり、接合されたりしてくる。

というようになっている。「試着室の中はさらに森の奥へと道が続いていた。苔で覆われた大木のまわりには、顔よりも大きな葉っぱや、見たこともない色の花が生い茂っていた。」と現在〈私〉がいる店内のイメージと夏休みに島に行ったときのイメージが連結され接合される。そしてすぐに、「ここは試着室なのだから」という、たぶん現在の大人の〈私〉の内省がやってくる。そして、イメージの連結や接合が解除される。つまり、こういう描写であれば、割と普通の描写といえるだろうし、わたしたちの現実感覚とも合致する。しかし、もしここで、「ここは試着室なのだから」という、たぶん現在の大人の〈私〉の現実感による内省が起こらないで、異種または時間や空間の異なるイメージが連結され接合されたままなら、読者にとってはわかりにくい抽象画のような世界が展開されることになる。引用部の最後に「鏡には自分の顔だけがどこにも見当たらなかった。」と書き留められていることは、迷子の〈私〉が現実感覚を喪失した抽象画のような世界に入り込んでいることの喩であろうと思う。

 わたしたちが、文学的な物語の表現をする場合、その具体的な過程では、あるモチーフに沿って、登場人物たちが語り手の下に動き出す。思いついた言葉が、走り出し別のことにつながりその場面を描写し、そこからさらに転換してまた別のことをというふうに進んでいく。その場合、言葉と言葉や場面と場面の連結や展開は、この十全な言葉の世界の現実感覚に沿っている。すなわち、一般には、具象画のように描写されていく。これは物語作品をイメージの流れとして見ても同様である。しかし、この『家の中で迷子』という作品は、人が十全な言葉を獲得する以前の世界を対象としている。もちろん、そうであっても十全な言葉でその世界を描写することも可能ではあるだろう。ただ、その場合はその迷子の内側からではなく外から描いたような不満が残るのではないだろうか。

 この『家の中で迷子』という作品では、「ここは試着室なのだから」という、たぶん現在の大人の〈私〉の現実感による内省が全体的には解除されて、十全な言葉以前の世界を生きる〈私〉にとって、しっくりくるような言葉のようなもの、イメージ流のようなもの、それらが奔流している作品だと思われる。しかし、わたしたち読者は、十全な言葉の世界をこそ生きていて、もはや十全な言葉以前の世界やそこに生きていた〈私〉の見たり感じたりする世界をぼんやりと以外に想像することができない。この十全な言葉の世界と十全な言葉以前の世界との大きな断絶がこの作品の読みを難しくさせている。


2.
 老人といると、祖父のことを思い出した。しかし、顔はまったく違っていた。
「わしの名前はトクマツ」
老人は言った。 (P10)



わたしたちがイメージする場合、そのイメージの源泉は、現実に自分が体験したことか、あるいは他人の話や書物などから知識として得たことである。他になんら現実感を伴わないような自在に空想するイメージもあり得る。この作品世界は、〈私〉の小さな子ども時代だから、そのイメージの源泉は友達や家族や親戚の人々が大きいと思われる。老人と祖父がなんらかのイメージ的なつながりとして意識されている。


3.
 周囲にはコンクリートで作った堤防のようなものがあったが、大部分は砂で埋まっていた。見渡しても海はどこにもない。太陽の光が強すぎるのか、植物は枯れ果てていた。喉は渇いていなかった。喉の奥の食道には草みたいな毛が生えていて、大粒の水滴がその上をしたたり落ちていった。
 アゲハは化粧をしていて、顔を見ようとすると、ひょいと跳ねながら逃げていった。目尻が青かった。その青は、ここが海だったときのことを思い出させた。船が何隻か浮かんでいて、船どうしがぶつかる木の音が時間を遅らせるように鳴っていた。 (P50-P51)



 この「喉の奥の食道には草みたいな毛が生えていて、大粒の水滴がその上をしたたり落ちていったる」は、そのすぐ前に「喉は渇いていなかった。」とあるから、〈私〉の喉であるだろうから、自分の喉の中をのぞき込んでいるような奇妙なねじれた描写である。
 アゲハの目尻の青からここが大昔に海だったことを連想しているのは、よくあり得るイメージの連結だろう。しかし、その後は、音の感覚を伴って大昔の船の様子が如実感とともに描写・接合されている。先に述べた「イメージ流のようなもの、それらが奔流している作品」の場面の描写と言えるだろう。


4.
 視線を下ろすと、木の茂みが見えてきた。トクマツは一本の木の根元に寝転がっていた。何も敷かずに地面の上に寝ていた。離れたところに金だらいが置いてあり、満杯に水が入っていて、スイカが二個浮かんだままぶつかりあっていた。スイカも同じように水を浴びている。井戸の水だった。井戸の口には白いタオルが被せられ、そこから水が滲み出ていた。
 (『家の中で迷子』 P26)



 井戸に近づくと、水口は錆びついていた。口の先端に被さった白いタオルは、井戸水をろ過しているつもりなのだろう。タオルは風船みたいに膨らんでいた。膨らんだタオルを見ると、すぐに風呂を思い浮かべた。漏れ出る水に手を差し出すと、ひんやりとしたが、頭の中の風呂桶には温かいお湯がたまっていた。
 父と一緒に風呂に入ると、よくタオルで風船をつくってくれた。タオルを広げたまま水面に浮かべ、風呂の中で両手で縛るようにすると、中に空気が入って膨らむ。父がつくるタオル風船は大きく、クラゲみたいだった。お湯の中に入れたまま手で潰すと、あぶくが出て、まるでおならをしたようになる。それがおかしくて自分でもやってみようとするのだが、なかなかうまくいかなかった。
 自分でやるよりも、父の大きな風船を見ることが好きだった。
 水口の先で膨らんだタオルを見ながら、人間の体も、もともとは濡れた一枚のタオルのようなもので、それを縛ってあるだけなのかもしれないと思った。
 スイカの入った金だらいは重く、持ち上げられなかった。トクマツのところまで金だらいを両手で引きずっていくことにした。
 (『同上』 P28-P29)



 木の根元、金だらい、スイカ、井戸、白いタオル、風呂、タオル風船というイメージの走行とイメージの連結。たぶん作者(〈私〉)が具体的に小さい頃に体験したことと思われる箇所を拾い出してみた。読者によっては、また別の所を指摘することもあり得るかもしれない。うまく説明的には言えないけれど、これらの情景は、作者(〈私〉)の体験から来ていると思う。そういう体験的な具体性のイメージを感じさせる。わたしも大きな金だらいにスイカが冷やしてある光景や水道の蛇口に白い布きれが巻いてある光景は目にしたことがある。また、自分の子どもが小さい頃いっしょに風呂に入っていて、「タオル風船」で遊んだことがあった。子どもが小さい頃だけでそれは終わった。この作品で何十年ぶりに「タオル風船」―わたしはそういう呼び方はしなかったけど―をなつかしく思い出した。

 これらのイメージ群は、〈私〉の子ども時代から湧いてきたと思われるが、「父と一緒に風呂に入ると、よくタオルで風船をつくってくれた。」や「自分でやるよりも、父の大きな風船を見ることが好きだった。」という表現から判断すると、これは回想的な表現になっている。初めに、「この作品は、大人になった〈私〉が遙か昔の小さな子どもの〈私〉のイメージ世界にダイブした作品、あるいはもっと正確には、現在の大人の〈私〉の中に潜在し湧き出してくる太古(〈私〉の小さな子ども時代)を描写した作品であろう。」と述べたが、この回想的な表現から判断すれば、まさしく「現在の大人の〈私〉の中に潜在し湧き出してくる太古(〈私〉の小さな子ども時代)を描写した作品」と言えると思う。さらにまた、この作品の出だしが、「家の中で迷子になっていた。」にはじまり、現在の大人の〈私〉の「迷子」状態の感覚の描写がされているから、現在の大人の〈私〉の中にもそのふしぎな時空変容するような「迷子」状態が潜在し、持続していることを意味している。

 


『家の中で迷子』(坂口恭平 2018年)のためのメモ ②

2018年08月02日 | 坂口恭平を読む

 『家の中で迷子』(坂口恭平 2018年)のためのメモ ②



 わたしたち人間は、おそらく赤ちゃんとしてこの人間界に生まれてしばらくは言葉がなく、主に母親と赤ちゃんの喃語のようなものから「内コミュニケーション」(註.1)によるやり取りをくり返す中で、言葉のようなものを磨き、しだいに言葉を獲得していく。人類にもこのような言葉以前や言葉のようなものの段階が長らく続いたはずだ。ここで「おそらく」と記したのは、わたしたちは誰でもその道筋を通ってきたはずなのに、その記憶がないからである。

 ところで、わたしたちの赤ちゃん時代が、現在のわたしたちとまったく無縁であるとは言えないように見えるけど、それらがわたしたちの現在にどんな形で保存され、どんな発動に関わっているかということはよくわかっていない。少なくとも赤ちゃん時代は、植物の初期と同様にわたしたちの核の部分を形作っていることは確かなことであろう。

 こうしたそれ以外は考えられないような微かな通路やつながりを手がかりにして、わたしたちは自分の幼年時代や乳胎児期に出会おうとする。このことは、言葉を獲得する以前の人類、人類の幼年期と出会おうとする場合も同様である。

 現在のところ、言葉がなかった時代や十全な言葉以前の言葉のようなものを持っていた時代には、現在のこの言葉で、言葉という舟に乗って行くしかないと思われる。これは矛盾である。しかし、親がまだ言葉をしゃべる前の赤ちゃんの喃語(なんご)に対する場合は、言葉としてはいい加減な言葉を話していることになるのだろうがその喃語に類するレベルでの気持ちを込めた言葉のようなものを親もしやべりながらコミュニケーションをとるのだろうが、その赤ちゃんの喃語を理解しようとする場合には、〈言葉〉でそれを捉えようとする以外に方法がない。

 ここで、表現された言葉は、自己表出と指示表出による織物であるという吉本さんの言葉の捉え方(『言語にとって美とはなにか』や『詩人・評論家・作家のための言語論』など)を借りる。言葉というひとつの構造を構成する自己表出と指示表出という分かち難いものを分析的に取り出せば、自己表出は快や不快などの内臓感覚的な心の表出で、指示表出は目で見たり耳で聞いたりする感覚器官の動きと対応する表現で何かを指し示すものである。こうした自己表出と指示表出による織物である言葉も、赤ちゃんの言葉以前の言葉のようなものという段階では、快や不快などの内臓感覚的な表出が優位なものになっている。説明的な指示表出が希薄だからその赤ちゃんに慣れていない親以外の大人は、その赤ちゃんの言葉のようなものの意味を捉えることは難しいはずである。

 このことを逆に言えば、赤ちゃんの世界や人類の幼年期の段階の世界を〈言葉〉で捉えようとしたり、〈言葉〉で再現的に表現したりしようとする場合、その具体性はさておき、〈言葉〉を内臓感覚的な表出である自己表出を中心的に行使すればいいということになりそうだ。
 
 この『家の中で迷子』という作品は、先にイメージ流の作品として考えたが、それを別の言い方をすれば、説明的な指示表出が希薄で、〈言葉〉を内臓感覚的な表出である自己表出を中心的に行使した作品であると言えるだろう。普通に見かける作品にある物語の一連の起伏や説明的な指示表出が極度に切り詰められているから、当然のこととして「わかりにくい」作品と見られるのだろう。しかしこの作品は、普通の言葉や物語では「迷子」と捉えるほかない世界の内側に入り込んだ、内臓感覚的な自己表出性が中心の言葉のようなものによる表現と言っていいかもしれない。それは普通私たちが行使している十全な言葉によっては尽くしがたい世界である。それでも、この作品の「迷子」への入口と出口はきちんと作り整えられている。また、付け加えれば、フロイト-吉本さんが、人の幼年期が人類の幼年期と対応すると捉えたことに、響き合うように、この作品でも人類の太古のイメージとのつながりが描写されている箇所がいくつかあった。


(註.1)
「内(ない)コミュニケーション」

 内コミュニケーションは、視覚的なイメージで思い浮かぶこともあれば、何を意味しているのかがすぐにわかってしまうこともあります。このわかり方は、だれにでも大なり小なりあって、その能力がいつ、どこで生まれてくるのかをまず話してみます。
 どこで身につけるのかとかんがえてみると、この能力はまず母親のお腹のなかで獲得します。人間の胎児は母親のお腹のなかで、受胎から三十六日目前後に「上陸する」とされています。つまり、水棲動物の段階から両生類の段階へと進むわけです。
 この進化を確定したのは日本の発生学者、三木成夫(一九二五~八七)さんです。三木さんの『胎児の世界』(中公新書)によれば、人間の胎児は三十六日目前後に魚類みたいな水棲動物から爬虫類のような両生動物へと変化します。つまり「上陸する」わけですが、そのとき母親はつわりになったり、精神的にすこしおかしくなったりします。たいへんな激動を体験しているわけです。三木さんによれば、水棲動物が陸へあがるときに鰓呼吸から肺呼吸に変わるわけですが、いかに困難な段階かということはそれでよくわかるということです。
 受胎から三ヶ月ほどたつと、胎児は夢をみはじめます。その夢は、いわゆるレム睡眠の状態でみます。次の段階の五ヵ月目ないし六ヵ月目で、胎児は感覚能力、たとえば触覚、味覚がそなわるとされています。六ヵ月目以降になると、耳が聞こえるようになり、母親の心臓音、母親や父親などいつもまわりにいる人の声を聴き分けます。つまり、耳や鼻や舌など、人間のもつべき感覚器官が全部そろうわけです。受胎後七~八ヵ月になると、人間がもつ意識が芽生えるとされています。五~六ヵ月目以降の胎児はだいたいにおいて、父親と母親の声を聴き分け、母親がどんなショックを受けたかもわかっています。つまり母親の精神状態、こころの変化、感覚の変化は、胎児に伝わっているわけです。

 ですから、五~六ヵ月目以降の胎児は感覚的なことがほとんどわかっています。少なくとも母親の精神状態、母親の声、母親とよく話している父親の声はだいたいわかるようになっています。つまり受胎後五~六ヵ月で、胎児と母親の内コミュニケーションはすでに成立していることになります。       (『詩人・評論家・作家のための言語論』P8-P10吉本隆明)


 相手の考えやイメージを察知する能力は、胎児期の内コミュニケーションの過敏さ、鋭敏さが原型をなしています。たぶん超能力者や霊能者は、修行によって内コミュニケーションを鋭敏にする修練をしているのでしょう。ふつうの人でも、顔の表情から相手の考えがだいたいわかることはあるわけです。
 人間にとっていちばん肝心な、相手の表情をみてたとえば憂うつなことがあったんだとわかる能力は、胎児・乳児のあいだに形成されます。これは恋愛感情に必要な条件で、鈍いとニブカンなやつだと相手からおもわれます。この能力は五~六ヵ月の胎児から一歳未満のあいだに形成されるとかんがえるのが、いちばん妥当な考え方だとおもいます。とくに恋愛感情では相手の動作ひとつ、言葉ひとつで、こうかんがえているな、こうおもっているなとわかることがあります。これはみなさんも体験しているだろうとおもいます。
      (『同上』P19-P20)



 ※ フリーアーカイブ「吉本隆明の183講演」のA124に「言葉以前のこと―内的コミュニケーションをめぐって」という講演があります。講演テキストもあります。これは、上に引用した『詩人・評論家・作家のための言語論』(1999年)に収められています。