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ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 1202-1204

2020年11月30日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



1202
大好きな食べ物ではない
としても
毎日毎日食べている



1203
公表する意見がなくても
会議に
いつものように出ている



1204
書くことがもうすっからかん
になっちゃった
と思っても自然と湧水する

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 1199-1201

2020年11月29日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



1199
流れ来る流れ出す
意図を超えて
時にはぼうっとしてる いい天気だ



1200
ぼうっとしてる中には
アリさんも
ねこもなにやら動いて見える



1201
えっとええっと それは
ぼうっとした
世界から社会に出向こうとする言葉

覚書2020.11.28 他

2020年11月29日 | 覚書
覚書2020.11.28


外国語を含めて別の地域の言葉(方言)がわからないという時、まず、自分の地域の言葉も語源(起源)はわからなくても、例えば「おおきに」(ありがとう)など自然に使いこなしているということがある。別の地域に関してそのようになるということは、別の地域の時空の内に入るということであろう。

また、言葉がわからないという問題の根本は、世界各地の人間はどのような造語法を持っているのかという問題に帰せられるように思う。それがわかることは、人をわかるということにつながるだろう。柳田国男によれば、わが国の地名の主流は地域の地形から来ているという。




メモ2020.11.28


ツイッターで拾ったツイートより
「働いて所得を得ていようが、働かずに給付金を得ていようが、うちの商品を買ってくれるならどちらもお客さんです。
私にはお客さんが働いているかどうかなど区別がつきませんし、そのお金が労働の所得なのか給付金なのかも区別がつきません。
でも、どちらであろうが私の仕事と売上は増えます。」(2020年11月28日)


とすると、素人考えでBIの問題に移してみると
1.少なくとも企業(会社、店)にとっては、いつもと同じように働き、同じ収入だということ。
2.消費者にとっては、労働したかどうかの違いがあるだけで、所得を今まで同様に消費に使う。
3.私たちの代表機関としての政治・行政組織が、集めた社会的な富をBIとして再分配する。
4.企業は、BI供出のため今までより取り分が少なくなるか。私たちの税も増えるか。
5.政治・行政組織のムダや生活保護を巡る悪行がなくなる。福祉政策との兼ね合いの問題あり。
6.私のイメージする最大の良い点は、経済社会形態の大変貌によって、労使関係や勝ち組負け組やあらゆる上下関係がフラットになるということ。また、宮沢賢治のイメージした「農民芸術論」の世界が近くなること。

宮沢賢治のイメージした「農民芸術論」の世界は、イギリスのウィリアム・モリスの影響も受けているらしい。今その『ユートピアだより』を読んでいる。小説のような作り。〈私〉が迷い込んだイギリスの未来社会だが、ひと言で言えば、好きな仕事をして日々楽しく生きる世界。

※電気がない時代に電気のある生活・社会を想像することは難しい。各国でいろんなBIの実験が行われている。AI時代の本格的な到来がBIを迫ってくるのかもしれない。漁で獲った魚などを集落全ての人々に再分配した、の新たな高度な再来になるか。



覚書2020.11.29


上空から眺めてみると、水俣病の問題のように公害問題にはひどい人的被害をもたらす場合もある。しかし、公害問題という人間世界内での問題に対して、自然界のもたらす猛威は人間的なレベルを遥かに超えている。人間世界内の犯罪や公害問題に対して、自然界からの人間界への猛威は、その災害の規模や死傷者の規模においても比べものにならない場合がある。縄文海進による海面上昇や大地震、大水害、スペイン風邪など、人間は大規模な猛威を経験してきている。現下のコロナウィルス問題も大規模な猛威であり、わたしたち人間はまだまだ自然に十分に太刀打ちできないでいる。

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 1195-1198

2020年11月28日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



1195
電波でつながっている
テレビの内
と茶の間 霧のロンドン



1196
双方向で視聴者アンケート
トルトルト
トトロがテレビの外を通る見える



1197
ぼおっとテレビに見入ってる
溶け込んでる
ガクッと目覚めてテレビの内を思う



1198
編集・構成は流れ出る
テレビの内から
人人人の顔・声・身ぶり

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 1192-1194

2020年11月27日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



1192
(はるな愛さん激太り!)
「うそお」「どうして?」
CMの谷間からひとりひとりの時空へ静かに沈む



1193
テレビの人には違いないが
ゲイニンか
コメンテーターか? 脱領域・脱専門



1194
取りあえず要らないものが
満開だ
例えばはしゃいでるテレビの中 白骨の御文

 覚書2020.11.26 ― 批評の現在

2020年11月26日 | 覚書
 覚書2020.11.26―批評の現在


 批評も当然歴史を持っている。平安期の歌合での歌の優劣や良し悪しを論じた判詞(はんのことば)辺りが、現在の批評につながる源流みたいに思えるが、当然それ以前の太古からの流れるがある。語りの者(巫女など)が神への言葉や神からの言葉を語ったり、この世界の成り立ちを語る場面で、人々が(おお、そうだそうだ)とか、(いや、もう少しきつくお願いしないと神様には届かないだろう)とか、普通の人々の内心の言葉であるが、この辺りが批評の源流のように思える。

 現在から見れば、印象批評のレベルから近代批評として西洋の概念や文化の波を浴びた言葉を駆使して批評というものを問い詰め打ち立てていったのは小林秀雄である。その後、吉本さんが表現としての言語そのものの有り様や振る舞いを問い詰めていった。こうした流れは、現在の絶えざる細分化の流れと対応しているように見える。しかし、それは避けられない必然の流れでもあった。現在は、全社会的に細分化の時代である。知識世界もそうである。それは避けられない必然性も持っている。その上で、不毛な細分化であるかどうか、統合できないかなど、批評性を発揮するほかない。

 現在は、吉本さんが「カール・マルクス―マルクス伝」(註.1)で予想したように、自然的な社会から、仮想的-自然的社会という二重化した社会に変貌してきている。当然、わたしたちの感じ考えも二重化してきている。それは例えば、以前の銀行窓口での対面のみのやりとりの自然性から、銀行の現金出し入れ機をくり返し体験するようになり、それが自然なものと感じ考えるようになった事態を指している。

 さて、本格的にはそれは吉本さんにはじまると思っているが、現在以後につながる批評は、作品や作者や時代の無意識のレベルまで触れ、捉え、語ろうとするもののように見える。このことは、仮想的-自然的社会という二重化した社会の有り様やわたしたちの意識の有り様と対応しているはずである。批評というものも難しい難所に入り込んでしまったものだと思う。現在にはまだ様々な批評が現れ出ていると思われるが、現在の無意識的な主流は、この作品や作者や時代の無意識のレベルまですくい取ろうとする批評であると思われる。

 吉本さんの批評で、『言語にとって美とはなにか』や『悲劇の解読』や『母型論』に限らず、吉本さんのすべての批評の行為がそのことを実践してきたように感じている。


(註.1)
 しかし、わたしのかんがえでは、人間の自然にたいする関係が、すべて人間と人間化された自然(加工された自然)となるところでは、マルクスの〈自然〉哲学は改訂をひつようとしている。つまり農村が完全に絶滅したところでは。


現在の情況から、どのような理想型もかんがえることができないとしても、人間の自然との関係が、加工された自然との関係として完全にあらわれるやいなや、人間の意識内容のなかで、自然的な意識(外界の意識)は、自己増殖と、その自己増殖の内部での自然意識と幻想的な自然意識との分離と対象化の相互関係にはいる。このことは、社会内部では、自然と人間の関係が、あたかも自然的加工と自然的加工の幻想との関係のようにあらわれる。だが、わたしはここでは遠くまでゆくまい。
 (『カール・マルクス』P102-P103吉本隆明 光文社文庫)
 ※初出は、1964年

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 1189-1191

2020年11月26日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



1189
「この知れ者め」とは言われない
だからますます
得意げに知の木登りしていく



1190
知に病む者も気づかない
あっ知知、と
巷に静かに帰って行くことはない



1191
知と地と血のにじむ関係は
架空の場所で
夢のよう 静かにおこっている

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 1183-1185

2020年11月24日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



1183
青年期と老年期からは
堕落に見える
壮年期黙々と前に進む



1184
〈死〉も〈大宇宙〉も
大文字で浮かんでは来ない
ふと見上げる中空に浸透している壮年期



1185
〈効率〉〈競争〉〈成果〉など壮年期の支配論理が
世界に波及する けれど
壮年のひとりひとりが風に流しているわけではない

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 1180-1182

2020年11月23日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



1180
自分から無限遠点へ
ふらふらと上昇していく
〈大宇宙〉に触れる揺れる青年期



1181
自分の洞窟深く
深く下りて行く
と世界は〈死〉の色に染まる青年期



1182
青年期と老年期が
この日々を
(慌ただしいな)とぼんやり見てる