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メモ2022.1.17 ― コロナウイルスの振る舞いについて

2022年01月17日 | メモ
 メモ2022.1.17 ― コロナウイルスの振る舞いについて


 私は、今回のコロナ以前にも似たようなものがあったと知って少し調べたことがある。そこで、100年ほど前のスペイン風邪は2、3年で収束したと知った時、そしてこの間の第五波の急な収束の体験、それらによって、ウイルス側にもその活動に何か理由があるのではないかとふと思ったことがある。そんな時、村瀬学さんの以下の言葉に出会った。ヨーロッパ由来の近代医学、現代医療は、そういう発想は無く一蹴するかもしれないが、近-現代の自然科学の成果を踏まえながら、太古からの世界観や世界論に匹敵する新たな世界観や世界論を構想されている村瀬学さんからの言葉である。


 ところで今回、こういう「鳥ことば」の番組から、お便りを始めましたのは、いくつかの理由があってのことでした。一つは、こういう「生き物同士のことば」を考えることから、当然「コロナウイルス同士のことば」のことが気にならざるを得ないという私の「思い」を佐藤さんにお伝えするためでした。「二〇一九年から二〇二一年にかけて、まるで「津波」のように第一波から第五波まで(たぶん第六波もくるのでしょうが)周期的な波を描いて、大都市部に襲来してきた「ウイルスたち」は、人間の側の「対策」で終焉してきているだけではなく、自らの「群れ」の都合でも、「周期性」を拡げたり終焉させたりしてきている面もあるのではないかという気がしています。「ウイルス」は生き物ではないのだから、「ウイルス」同士の「あや-とり」など、滑稽すぎる設定といわれるかもしれませんが、変異株とか、集団で姿形を変えるとき、何かしら「方言」を作って分岐してきた「人のことば」を思い起こしたりしてしまいます。「方言株」のような・・・・・・。まあ「妄想」の域を出ませんのですが、この二年間、人間の都合ばかりで「コロナウイルス退治」を「説明」しすぎているので、もう少し違った視点からも考えておくのは大事かも知れないと思っています。」
 (村瀬学 往復メール1「義憤について、肯定について」『飢餓陣営54』2021冬号)
 ※これは、『飢餓陣営』の編集・発行者である佐藤幹夫氏との往復メールである。


 こういう視点からのコロナウィルスの振る舞いの解明をする人々は、とても少ないかもしれない。しかし、自然の解明も、わたしたち人間自身の解明も終わることはないと思われる。近代的な西欧医学や医療に発祥する現在の医学や医療を超えようとする少数の人々が存在するように、今までの医学や医療からの視線ではなく、この村瀬さんのような視線を持ってコロナウイルスを解明する人々も存在するかもしれない。



 村瀬学さんの最近の文章は、下のホームページで読むことができる。
「村瀬学の小径」
http://jidoubunka.com/index.html
 主なものは、
1.「生命詩文集 織姫 千手のあやとり」
2.「命のわ」から 児童文化 最終講義 


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