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ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2251-2254

2021年08月30日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2251
赤ちゃんや老人やからだ不自由な人には
効率や成果や
生産性、全く関係ないよね



2252
社会の手綱とってると勘違いしてる
人の壮年期の言葉や論理が
社会を締め上げている



2253
しずかにゆっくりぼんやりの
言葉たちが
制圧されるとヤバいよ



2254
よく噛んでよく考えて
よく眠り
時にはバカをやりにっこり笑う いいね

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2247-2250

2021年08月29日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2247
X軸とは交わらないから
解はない
とX軸上の視線は答える



2248
いわばあの世の数の解なら
虚数解として
X軸上からも拡張解が見えるよ



2249
数学に限らず
解を求めて
たくさんの拡張と複雑化を歩んできた



2250
たぶん太古も今も
ふと心の裏通りを駆けて行く
この世界の根源解を求めている

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2243-2246

2021年08月28日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2243
「人は何のために生きているのか」
(ナンノタメニ・・・)
人間や人間界を超えたところに根源解はありそうな



2244
人間界のお約束に従って
直ぐに解の出る
数式や競技もある局所系



2245
少なくとも大文字や
自信過剰の
言葉たちは局所系の解である



2246
(うまく言えないけど)や
(よくわからないな)の
圏内に解は横たわっている感じがする


詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2239-2242

2021年08月27日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2239
石けんをつけたタオルを
くり返し洗う
なかなか泡が消えないなあ



2240
刺さった言葉のトゲが
抜いても抜いても
なくならない



2241
もう言葉が尽きるか
と思いきや
昔話みたい次々に転がり出てくる



2242
言葉は命の波立ち泡立ち光と影
生きているなら
点り続ける街灯みたい

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2236-2238

2021年08月26日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



全体への註.
つきの光に花梨(くわりん)が青く垂れてゐる。ずるいなあ先に時が満ちてて (岡井隆)
の模倣詩(本歌取り)の試み。




2236
やわらかな日差しと風が出ている ああやっぱり行ってきたんだね



2237
夏空の下の水の流れさらさらと そうだねその感じぴったりだ



2238
むこうには雨雲が出ている まだ早過ぎるかもしれないなあ


メモ2021.8.26 ― 歌一首より

2021年08月26日 | メモ
メモ2021.8.26 ― 歌一首より
 
 
 ツイッターで岡井隆の次の歌に出会った。きれぎれにツイートした内容に少し手を入れて以下に挙げる。
 
 つきの光に花梨(くわりん)が青く垂れてゐる。ずるいなあ先に時が満ちてて/岡井隆『ネフスキイ』
 

 
上の句の風景と下の句の何らかの人間的出来事は無縁そうでどことなくつながっている。調べてみたら、岡井隆はクリスチャンの洗礼を受けている。また、「時が満ちる」という詩句は聖書(マルコ伝)にある言葉だという。しかし、「ずるいなあ」という言葉はそれを身近な人間的な事象に引き寄せている。
 
この歌にしつこくこだわってみる。カリンは垂れているイメージはなかったが、2つ目の画像(註.1)のは垂れているように見える。下の句は、「ずるいなあ」という親しみに満ちた言葉もあって女性と共にいて何か性的なものを初めに想像した。今以てそう思う。ネット見てもこの歌の解釈には出会えなかった。
 
表記について
現在ではもう主流の表記ではないルビ「くわりん」や「ゐる」が現在的な口語表現の中に混ぜて使われている。この歌を含む歌集『ネフスキイ』の刊行は、2008年11月。
一度吉本さんの「旧仮名遣い」が混じった若い頃の詩や文章関連で調べたことがあるが、「旧仮名遣い」から「現代かなづかい」に正式に変わったのは戦後すぐのことのようだ。吉本さんは1924年(大正13年)生まれで、岡井隆は1928年(昭和3年)生まれだが、いずれも「旧仮名遣い」で学んできている。表記とそれに慣れ親しんだ感性の自然さによって本人たちには自然な表記となっていたに違いない。だから、「旧仮名遣い」から「現代かなづかい」への変更に自分を合わせていくのは、戦争期から敗戦という社会の変貌に自分を合わせる、自分の居場所を築くのと同質のものがあり、いろいろ苦労があったものと思う。わたしが若い頃読んだ柳田国男全集の「都市と農村」を収めている巻が旧漢字、旧仮名遣いだった。とても読みづらく難渋した覚えがある。読者にとっても慣れない表記は抵抗がある。表現する側にとってもそのことは同様だと思われる。
ところで、現在における古い表記の使用は、それがあまり意識的ではないとすれば、この場合作者すなわち歌の中の〈私〉の古い感性の自然が滲み出しているものと理解するほかない。「つき」のひらがな表記は、風景描写と見れば「月」を指しているがこれが下にかかる喩の表現として見れば、「時が満ちてて」に呼応する月日の「つき」も込めたからひらがな表記になっているのではないかと思う。
 
これでこの歌について一応の締めくくり。上の句と下の句は言葉の流れが切れている(ようだ)から、「。」が来たのだろう。しかし、上の句は単なる叙景を超えて、たぶん10月末頃の成熟した黄色いどっしりとしている花梨だと思われるが、暗がりに青く垂れているその生命感(エロス)のイメージの波が下の句を覆い包んでいるように感じられる。下の句の人間的事象の具体性ははっきりと像を結ばないけど、それゆえにか、その代わりにか、イメージ自体としての具体性(あるふんいきのようなもの)が感じ取れるように思われる。
 
この歌を音数律から見ると、
 つきの光に/花梨(くわりん)が/青く垂れてゐる。/ずるいなあ先に/時が満ちてて
7・8・5・8・7となっている。しかも、下の句の8・7は、意味の流れの上からは「ずるいなあ/先に時が満ちてて」の5・10とも取れる。つまり、この歌は5・7・5・7・7の短歌的な音数律からはズレていて、下の句は散文的な表現あるいは語りの表現になっている。上の句の叙景と下の句のあるふんいきとしての具体性の表現、すなわち主観的な表現とが、切断と共鳴によってこの作品を歌にしているように見える。
 
固い言い方で結びとする。わたしたちが言葉の表現をする時、話し言葉であれ書き言葉であれ、言葉の表現の歴史性を背にして、その言葉の現場では意識的、無意識的に言葉へ表出し、表現として構成する。そこには、表現する者に照明を当てれば、今まで生まれ育ってきた彼の歴史的現在性とも言うべき意識的、無意識的な固有性が加担している。もちろん、そこには時代の精神的・表現的大気とも言うべき共通性も織り込まれている。それらを後から他者が読みたどるのは、とてもむずかしい。わたしたちの読みの当たり外れもあるだろう。しかし、わたしたち読者は、言葉のイメージの現場に立ち会おうとするのである。この喜怒哀楽に満ちた同じ現実世界の渦中を生きる者として、作品の固有性の中にある自分との同質性と差異性とに小さく共鳴しようとするのである。


(註.1) 家の畑の際にある花梨の画像 2021.8.19






詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2231-2235

2021年08月25日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2231
始まりはすべて模倣
から始まるね
言葉も技術もヨチヨチと歩く



2232
模倣の始まりは
少しぎこちない
まだまだ固有値が見えないぞ



2233
模倣をくり返しくり返し
重ね描き 少しずつ
デッサンにイメージの命が点(とも)る



2234
模倣と創造とが
固有の値の
峠で出会っている 点っている



2235
ところではじまりのはじまりの
はじまりは不明だ
果てしない時間の通路の中の歩行

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2227-2230

2021年08月24日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2227
ほんとうはこちらも言葉の街だ
文字はない
沈黙の部屋から入ったり出たりしている



2228
日々の手足の動きや眼差しの
流れに沿って
この言葉の街は身をふるわせる



2229
ここでは眼差しやふんいきが
言葉の街を形作っている
意味はなくても匂いはある



2230
文字の舟に乗らなくても
向こうへは
この地の匂いそのままで行けるんだよ

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2223-2226

2021年08月23日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2223
文字を知らない時は
見た目と音の「みかん」だった
文字とともにいろんなみかんを知った



2224
習い立ての文字のみかんは
今までの「みかん」と違った
なんか作り物めいてしっくりこない



2225
文字のみかんは便利そうだ
生活域を振り切って
自在に遠くまで群れを成して飛んでいけるんだ



2226
知らなかった言葉の街が
向こうにできていた
ほくの生活圏外にあった

詩『言葉の街から』 対話シリーズ 2219-2222

2021年08月22日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 対話シリーズ



2219
慣れない銀行のATMの前で
吸い込まれていった
立ちつくす不安たち



2220
ネット注文の振り込みも
(不審なことが起こらないだろうか・・・)
と不安を反復したことがある



2221
慣れ慣れて今ではもう
身も心も
言葉も自然なATM人ネット民



2222
こうしてぼくらはみんな
システムを
体の内にしまい込み自然に接続していくんだな