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『銀河で一番静かな革命』(マヒトゥ・ザ・ピーポー 2019年5月)読書日誌 5

2019年07月21日 | 『銀河で一番静かな革命』読書日誌
『銀河で一番静かな革命』(マヒトゥ・ザ・ピーポー 2019年5月)読書日誌 5


 5.死から照らし出された生のイメージ


 前回触れた野呂邦暢の『落城記』に、「世界のおわり」に照らし出されて人の生きることのイメージが表現されている箇所がある。


 降るような蝉しぐれである。高城がおち、本丸が炎上し、御家一統が滅びることになろうとても、蝉が絶えることはあるまい。大楠も枯れることはないであろう。わたしは青緑色の宝石のように輝く楠の枝葉を眺めた。朝日をあびて大楠はよろこばしげであった。梢はそこに強い風があたっているからか、かたときもじっとしていなかった。幹は地中に根をおろし、どっしりと動かなかった。
 父上が腹を召され、左内たちが首をとられ、七郎さまとわたしがこときれ、今、高城でがつがつと焼味噌つき握り飯をむさぼり喰らっているすべての侍足軽、年寄りや女子供が死にたえようとも、蝉はなきたてるのである。大楠は朝日と夕日に輝くのである。そう思うと、日ごろやかましいだけの蝉の声が、きょうはしみじみとありがたく聞こえた。
 大楠のてっぺんで、風に身をもんでいる梢がいじらしく見えた。
 わたしは城が燃えさかるとき、この世を去っているだろう。七郎さまも。わたしはこと切れても生きているだろう。わたしがこの世からいなくなることはない。わたしは楠である。わたしは草である。わたしは蝉となってあの大楠にとまり、夏の朝、身をふるわせてよろこばしく鳴くだろう。わたしは死なない。死なないと思いさだめたからには、死を怖れるいわれはない。
 (『落城記』P149 )



 この部分は、最初からの作者のモチーフと言うよりは、この物語を書き継ぐ過程でこういうイメージの場面を生み出さざるを得ないと思った作者に湧き上がったイメージであると言ってもいいと思う。これは、輪廻転生思想の残がいが今でも残っているように、この作品にも湧き上がったのだと思われる。この物語の語り手である於梨緒(おりお)は、意志的に「死なないと思いさだめ」ている。太古の輪廻転生の考え方が主流の時代には、思い定める必要はなく、そのような生まれ変わりは自然なものと感じ考えられていたはずだ。於梨緒はもはや輪廻転生思想の残がいを拾い集めて意志的に思い定めるほかなくなっている。これは戦国時代を生きた於梨緒の世界観というよりは作者野呂邦暢の世界観であろう。もう今では通俗的になりすぎている感じがする。つまり、生命感のないものになっている。


 『落城記』からおよそ40年後に書かれた 『銀河で一番静かな革命』では、世界の終わりを目前とした時、その死から照らし出された生のイメージはどのように描かれているだろうか。この間の社会の変貌が、無意識のように言葉に刻まれているように見える。作者によって選ばれた主な登場人物たちに現れた生のイメージや感受を取り出してみる。最終章(と思える)の「光太」の場面にもあるが、「いろは」と「ましろ」の場面から抜き出してみる。状況は、「いろははそんなことを独り言のように呟いているが、調べたところで、もう行くのは無理なんだよ、いろは。だって今日は十二月三十一日。時計を見ると、二十時半をさしていた。」(語り手、「ましろ」)と「世界のおわり」が目前に迫っている。


「じゃあ、ここでお別れだね。」
 雪がさらさらと音もなく散り、いつもの景色を白銀に染め上げている。
「そうじゃな。」
「じゃあ、いろは、お家に帰ろう。」
 大きすぎるコートに埋まっている袖からいろはの手をとり、ましろはそう言った。
「うん、おじいちゃん、またね。」
「ありがとうね。お嬢ちゃん、さようなら。」
「ううん、さようならじゃないよ。またね。」
 足元の赤い花を見ると、植木鉢の端で新しい小さな青い芽が、土から顔を出していた。おわりからもちゃんとはじまりがあるのを、いろはは知っている。
 できたらまた人間として生まれたいな。今みたいに不完全で、迷子のままでもいいからさ。
「あい、またね。」
 そう言うとさしたままの傘をじいちゃんはましろに渡した。
 (『銀河で一番静かな革命』P212)


 「本当に外にいなくてよかったの?面白いものもっと見れたかもよ。」
 わたしはストーブの電源を入れ、雪で濡れたいろはの髪をバスタオルで拭き取りながら言った。
 ・・・中略・・・
「いーの。」
 いろはは短く答える。
「でもさ、いつも、」
 話し始めたわたしの会話を遮るようにしていろはは言う。
「ましろ。今、目の前で起きてることも、明日この世界がどうなってるかも関係ないよ。いろはの世界をいろはが主人公のまま続けたいだけ。」
 いろはは、タオルでぐしゃぐしゃにされながら言った。
 壁掛けの時計を見ると、もう二十三時を回っている。じきに、NHKでやっている紅白歌合戦もフィナーレへと向かうだろう。一分一秒、きっと窓の外の世界はもっともっと不思議なことになっていくにちがいない。わたしがわたしでいられる時間はもう、そう長くはない。
「どういうこと?」
 わたしはいろはの言い回しにわからないところがあった。
「いろははね、明日を信じてるんだ。今日だって花に水をあげた。英語だって勉強する、映画のスタンプだってためるよ。想像する。いつかいろはは世界中を飛び回るし、またあの小さな映画観で暗闇の中で夢を見るんだ。」
 いろはは、タオルで髪を拭き取るわたしの手を止めて、わたしの顔を睨むくらい強い目で言った。そのタオルの隙間からのぞかせる目は相変わらず澄んでいて、その鋭さに明確な意志を持っていた。こういう顔をするようになったのはつい最近。子どもの成長の速さにあっけにとられ、何も返せずにいると、いろははわたしの脇腹をくすぐった。仕返しに、くすぐり返すわたし。
「本当におわるなんて信じらんないな。」
 受け入れられない気持ちを持たぬよう、大人ぶって背伸びをして、この数日過ごしてきたけれど、いろはと笑いあったのは、まさにそんな時間だった。本当におわるなんて全然、信じられない。ずっと続くかのような時間。
「いろは、もう一つ、林檎剥こうか?」
「うん。あ、でもいろは、歯磨きもうしちゃった。」
「ちゃんと口ゆすげば大丈夫よ。」
「本当?」
「うん。」
 (『同上』P214-P216)



 世界の終わりを目前とした時、その死から照らし出された生のイメージは、野呂邦暢の『落城記』においては割と通俗的な捉え方になっていたが、この作品ではありふれた日常の生活の中にきらりと光るように埋め込まれている。例えば、「いろは」の「ううん、さようならじゃないよ。またね。」の「またね」という言葉へのこだわりのように、この世界を生きる姿勢として意志的な表現が込められている。引用部分の全体をひとつの歌と見れば、その歌のふんい気やイメージの収束していく小さな場所が浮かんでくるように感じる。その微妙さを言葉で捉える(説明する)のは難しいという気がする。

 娘の「いろは」と違って、母の「ましろ」は、「(世界のおわりを)受け入れられない気持ちを持たぬよう、大人ぶって背伸びをして、この数日過ごしてきたけれど」とあるように、もう目前に迫った「世界のおわり」に心引きずられている。この「世界のおわり」を規模を小さく取って、個に訪れる病による死と考えると、人は一般に目の前の死という現実に引きずられるだろうと思う。だから、「いろは」に作者が込めた生きる哲学のようなものは普通ということをいくぶん突き抜けたものになっている。明日「世界のおわり」(死)が訪れようが、いつもと同じように、小さな夢や希望を抱きながらこの今を生きていくんだ、というイメージは、ありふれているようで貴重なものだと思う。そのイメージや考えの根柢には、書き記されてはいないけれど、この世界(人間界ではなく、宇宙レベルの世界)における人間存在の絶対的な受動性ということがある。そうして、それはこの世界でのわたしたちの生存の有り様を深く規定している。

 世界の終わりを目前とした時、その死から照らし出されたこのような生のイメージと関わるものとして、吉本さんの次のような人間の生存の有り様についての言葉がある。


 それからもうひとつは、教育という意味あいを、そうせざるをえなかったのだという不可避性の問題としてかんがえれば、それは教育なんでしょうけれども、しかし生きざまだから、願望だからわからないけれども、ぼくでも死ぬまではやりたいですね。死ぬまでは、じぶんの考えを深めていきたいですし、深めたいですね。それは説きたいとか、教育したいとかというのとはちょっとちがうんですよ。しかし死ぬまでは、できるならばちょっとでも先へ行きたいよ、先へ行ったからってどうするのと云われたって、どうするって何もないですよ。死ねば死に切りですよ。死ねば終わりということで、終わりというと怒られちゃうけれど、ぼくは終わりだ、死ねば死に切り、何にもないよ、ということになるわけです。それじゃ何のために、人間はそうしなくちゃならんのと云われたら、人間とは、そういうものなんだよ、そういういわば逆説的な存在なんだよ。つまり役に立たんことを、あるいは本当の意味で誰が聞いてくれるわけでもないし、誰がそれを信じてくれるわけでもないし、どこに同志がいるわけでもないし、だけど死ぬまでは一歩でも先へすすんでという、・・・・・・ものすごく人間は悲しいねえーという感じがぼくはしますね。人間とは、そういう存在じゃないんでしょうか。そういう存在じゃないんだろうかということが、親鸞に「唯信鈔文意」とか「自力他力事」とかを書き写しちゃ弟子たちに送るみたいなことをさせたモチーフじゃないでしょうか。それがぼくの理解です。いわゆる教育ではありません。誰ひとり、じぶんの考えを本当に理解してくれる人なんていなくたって、それはそうせざるをえないんですよ。つまりそうせざるをえないというのは、何の促しかわからないけれども、そうせざるをえない存在なんですよ。だから親鸞もそうしたんでしょうというのがぼくの理解の仕方ですね。
 (「『最後の親鸞』以後」、『〈信〉の構造』所収 P323-P324)
 ※この講演は、ほぼ日の「吉本隆明の183講演」の、A040「『最後の親鸞』以後 」。
 ※講演日時:1977年8月5日



 次は、晩年の吉本さんに身近に接した人々の外側から描写である。


糸井
見えなくって、歩けなくって、元気でいろ、って
難しいです。
吉本さんは、最後はもうご自身の感覚だけで、
いわば思考の中で、
行き来していたような感じはありました。
どんどん体がダメになってって
たのしいことが減って生きる、というのは、
ぼくは正直、ちょっとつらいところがあります。

ハルノ
うーん‥‥でも、
それが父らしいのかもしれない。

糸井
そうなんだよ。
吉本さんは、それを自分で選んでいるところがある。

ハルノ
そうですよね。
私はつくづくね、
人間は生きたなりに死ぬなぁ、と思いますよ、
母を見てても(笑)。
 (「父と母と、我が家の食事。」 第6回 だめ具合を見せたふたり。 ハルノ宵子×糸井重里 2013年 「ほぼ日刊イトイ新聞」所収)
 
 
 2000年代半ば頃になると、いよいよ父の眼は悪くなってきた。テーブルを挟んで目の前にいる人も、男女の区別もつかない。「常に赤黒い夕闇に中にいるようだ」とも言っていた。さらに脚もかなり悪くなっていた。以前は家の近所1周300m程を休み休みでも歩けたのに、家の中をはって歩くだけになった。耳だって齢相応に悪くなる。さながら自分の肉体に閉じ込められているようだ。"老い"とは、かくも残酷なものかと思い知らされた。
 しかし相変わらず、精神の活動だけは活発だ。だが五感から入ってくる情報は限られている。
 (同封の月報18「ボケるんです!」ハルノ宵子、『吉本隆明全集17』晶文社)



 吉本さんの世話をしていた娘(ハルノ宵子)であっても、どこまで吉本さん本人の内を捉えきるか、こういうことは一般に難しい。外からは、「たのしいことが減って生きる」とか「自分の肉体に閉じ込められているようだ。"老い"とは、かくも残酷なものか」と感じられても、ほんとうにその通りか、そのようにすつきりと切り整えられた言葉で捉え尽くせるかは疑問だ。言葉にしても仕方がない吉本さんの老いの具体性の日々があったろう。今のわたしにはわからないとしか言いようがない。ただ、上の講演は1977年で、下の話はそれから30年近く経った2000年頃。それでも、吉本さんは「生涯現役」で、上の講演で語られたように生きたのだと思う。

 物語世界では当然ながら、世界の終わりの時登場人物たちも語り手も消失する、退場する。しかし、作者は存在していてすべてが退場した後に、物語の終わりを宣告して書くことをやめる。そうして、作者のモチーフとイメージがくり広げられる物語世界として、読者の前に登場することになる。

 最後に、この作品を読むわたしたち読者に照明を当ててみると、この世界の今を生きるわたしたちにとって、この作品世界の「世界のおわり」は、もっと小規模な立ち塞がる日々の困難に置き換えられる。そうして、そこでどのような生き直しを試みるかという内省の問題に変換される。


註.

この読書日誌を書いている途中で出会った「町田康×マヒトゥ・ザ・ピーポー(GEZAN)、創作と人生を巡る対話」を、書き終えたので読んでみた。町田康の実作者としての経験からくる言葉が少し目新しく思われたが、わたしに付け加えることはない。ひとつ、思ったのは、作品中で「いろは」が理由もないのに涙がこぼれてくるという描写(読書日誌 3)があり、男の作者なのに女の子の微妙な感情がわかっているのだろうか、とふしぎに思ったことがあったが、これは次のような作者の固有性と関係があるのかなという印象を持った。


マヒト:感情と行動が伴わない感覚はよくあります。お腹が減ってご飯を食べるように、気持ちと行動が連動するのが普通の感覚、普通の人間だと思いますが、そうじゃないことがたまにある気がします。その度合いが酷過ぎると、いわゆる「マトモじゃない人」になるんでしょうけど。自分で決めているはずなのに、実は決められている現実が多い世の中で、最近鏡を見ることにハマってまして……。鏡に映った自分が他人に見えてしまうんですよね。ナルシストという感覚ではなくて、「何者だろう、こいつは。」という気持ちで鏡を見ています。


マヒト:気持ちと行動が綺麗に合わさって上手く回るのは効率的かもしれないけど、そうじゃない場合もあるよな、という感覚は大事にしたくて。明確な答えではなく、気持ちと行動の間にある曖昧な「揺れ」に興味があるんだと思います。
  (「町田康×マヒトゥ・ザ・ピーポー(GEZAN)、創作と人生を巡る対話」)

『銀河で一番静かな革命』(マヒトゥ・ザ・ピーポー 2019年5月)読書日誌 4

2019年07月18日 | 『銀河で一番静かな革命』読書日誌
 『銀河で一番静かな革命』(マヒトゥ・ザ・ピーポー 2019年5月)読書日誌 4


 4.二つの世界の終わりのイメージ・直面する心の振る舞い


 世界の終わりということには、二つのイメージがある。

 この世界が終わるという「終末のイメージ」や「終末論」は、いちいち挙げないが現在までにたくさん生みだれてきている。それには当然ながらモチーフがあった。一つは、この人間界や人間の生み出す悪行などの負性によるもので宗教との関わりが深いもの。もう一つは、大洪水や大地震などの大いなる自然の猛威によるものである。

 現在のわたしたちは、この大地や地球が、人間の100年あまりの生涯の時間よりも大きな時間のスケールで周期的な活動をしているらしいということはなんとなくわかっている。また、星の誕生から死までの生涯の道行きやこの太陽系の寿命も大まかに捉えられるようになっている。したがって、大いなる自然の猛威によってこの世界が終わるというイメージは、一般的には現在のわたしたちと無縁なものと思われている。もちろん、見知らぬ大きな彗星などが突然現れて地球に衝突するということは、絶対にないとは言い切れないから、この世界の終わりが絶対にないとは言い切れない。

 世界全体の終わりではないが、もうひとつの世界の終わり、すなわち個の死の場合は誰にも関わりがある。あるひとり個が死んでも今までと変わりなくこの世界は存在し、推移していくように見える。また、あるひとり個が死んでも、その人のイメージは身近な人々の内に存在し続ける。しかし、あるひとり個自体にとっては、世界の終わりに当たるだろうと思われる。もはや他者が直接には触れることができない存在になって、つまり物質に還元されてこの宇宙に戻っていく。

 世界の終末が集団的なものとして現れるか、個人的なものとして現れるかの違いがあっても、両者ともにひとりひとりの個によって世界の終わりは受けとめられ感じ考え反応することになる。この場合、世界の終末は死というものと同義であるから、一般には、次のようなことになるのだろう。

 死を前にした人の心的な振る舞いの一般性についての考察に、ずっと昔に読んだエリザベス・キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』がある。ネットのまとめから引用すると、死を突きつけられた者は一般に次のような心的な過程をたどるという。

第1段階 否認と孤立
第2段階 怒り
第3段階 取り引き
第4段階 抑うつ
第5段階 受容

 避けられない現実に襲われた時の人間の心的な反応は一般にそういうものだろうと思う。この作品では、集団的なものとして現れる世界の終末に対して、主要な登場人物たち以外は語り手の「ゆうき」によって次のように描写されている。


 幸せのモデルを程よく提供してくれる存在に人は群がり、用意された救いの言葉にすがって、この世界のおわりをなんとか乗り切ろうと、自分にあったサンプルを探すことに必死になっているのだと思う。
 過剰になっていく自己啓発の洪水にワタシはついていけない。
 割られたショップのガラス、大きく描かれた落書き。取り締まるべき警官は職務を放棄したのか、ストリートは大きなキャンバスとなり、詩は壁から壁をまたぎ、自由に思想が描かれていた。回収されず放置され、散乱したゴミ袋を猫がつついている。足元には捨てられた免許証。並んでいる自動販売機のいくつかは電源が切れ、倒れている原付の横を何もないかのように素通りし、目的地にただ急ぐ人々。行き場をなくした倫理や希望が宙ぶらりんのまま、渋谷の交差点でゴム鞠のように跳ねている。風紀は恥ずかしいほどに乱れ、平衡感覚を失った人の破綻していく様子が街の表情として現れ始めていた。
 (P157)


 「世界のおわり」を前にした人々の心の様子が、風景を描写することによってその気配のようなものとして描写されている。上のキューブラー・ロスの死を前にした人の心的な過程の第1段階から第4段階までの描写に当たるだろう。人間のような本格的な心や意識を持たない動植物なら、人間のようにデカダンスに陥ることもなく「世界のおわり」をただ自然として生きるのだろう。

 この部分の語り手の描写と背後の作者のイメージや考えは、同一と見てよいように思われる。この語り手の描写の出自は、当然ながら作者であり、この世界の終わりには人間はどう振る舞うかを今までに見聞きしたいろんな素材を織り込んで作者が想像したことであろう。語り手の語る風景の様子の中に破局を前にした人のデカダンスの様子が現れている。

 昔読んだ野呂邦暢『落城記』に「世界のおわり」に直面したときの似たような人々のデカダンスの様子の描写があったことを思い出した。これは戦国時代、諫早(伊佐早)を支配していた西郷家が二十里ほど離れた佐賀(佐嘉)の龍造寺家に滅ぼされる数日間の出来事、史実をもとにした物語で、その「落城」(「世界のおわり」)に至る事情は作品の言葉によると次のようなものであった。


 (佐嘉へ送り込まれていた間者の虎次の報告)
「申しあげまする」
「聞こう」
「龍造寺家晴公の家中は、かねてより米味噌干魚など買いいれておりましたが、このたび伊佐早出陣のお触れが出ました。日どりは七月三十日すなわちきょう、陸と海の二手にわかれて攻め参りまする。討ち入りの名分についていうところを聞けば、御家が島津征伐に参陣しなかったこと、ならびに九州へくだられた関白様のご機嫌うかがいに博多までまかり出なかったこと、よってわが西郷家は天下の御威光をおそれぬ不埒者ゆえ関白様が御家のご領地を家晴公に与え給うた由でごんす」
 (『落城記』P13-P14 野呂邦暢)

 ところで、「落城」(「世界のおわり」)を目前にした人々のデカダンスの様子は、この物語の語り手の「大殿さまの血をひく娘」である於梨緒(おりお)によって、次のように語られている。


 わたしは広場を離れた。
 ムギがどこへ去ったのか気にかかっていたのだ。縫いあげた合印をかごに山もりにして四、五人の女中が厨の方から急いでくるのとすれちがった。ムギの居場所をたずねたけれども、知らないという。
 御書院の裏手まで本丸広場のさわがしい人声はとどかなかった。侍たちは女房に酒をつがせてへべれけに酔っており、大声でらちもないことを叫ぶかと思えば笑いだし、そして泣いた。順征や忠堯より年かさの重役たちである。彼らは山崎丹後守や東伯耆守のように城を見すてて逃げる度胸もなく、かといって御家のために命をなげ出す性根もすわっていないのだった。
 抜刀して書院の柱に切りつけてみたり、床の間の掛け軸をずたずたに裂いたりして荒れ狂った。いってみれば彼らは西郷家の家臣としてうまれたわが身の不運をなげいていたのである。庭を横ぎろうとするわたしの足もとに、盃がとんできて砕けた。わたしをめがけて投げた盃ではない。手当たりしだいに狼藉のかぎりをつくしているだけだ。空徳利までとんできて、割れた。わたしはいっさんに庭を駆けぬけた。皿小鉢を踏み割ってあばれる侍にその者の女房がおろおろととりすがっているのがあわれであった。

 馬小屋の中でかすかな物音がした。
 わたしの足にからみついたものがある。手にひろいあげてみると、絹布である。御書院から射すうす明りにかざしてみた。青色の襷にちがいなかった。目が闇になれると、馬小屋の藁をつんだあたりにぼんやりと人影の動くのが認められた。せわしない息づかいが聞えた。わたしは襷をほうりだし、急いでそこを離れた。
 人影は馬小屋の中だけではなかった。
 厠の裏、木かげ、植えこみ、御書院から見えないものかげには必ず男と女がいて苦しそうに呻いていた。はずされた襷が青い蛇のように草むらにのたうっていた。足軽たちが脱いだ腹巻や腹当もわたしの足にぶつかった。からみあった男女につまずいたこともあった。二人はわたしに気づかないようである。闇の底ではどの女中もどの足軽も同じ顔であり、同じ声をあげた。
 (『同上』P133-P134)


 例えば、『信長公記』(しんちょうこうき、信長の旧臣の太田牛一が書いた織田信長の一代記)を昔読んだことがあるが、当然ながらというか、こういう滅び行く者たちの内部から描かれた記述はなかった。ただ、城を攻め滅ぼしてその城の家来や女子ども三百人くらいだったかを数軒の家に閉じ込めて、火を放ったという著者も何とも言えない思いになったという外からの残虐の記述はあった。野呂邦暢が描写したようなデカダンスの描写はなかったし、たぶんこうした記録にも載らないのではないかと思う。また、島原の乱を内側から描いた飯嶋和一『出星前夜』を読んだことがあるが、当時のいろんな資料(と言っても、幕府側の資料がほとんどだろう)を当たるにしても、最後は作者のモチーフや人間認識が、作品の細部の描写を支えているのだと思う。

 つまり、作品の描写を具体的に書き留めるのは作者であり、上の野呂邦暢の作品の描写も当然作者を通してしか作品にやってこない。では、作者はどこからそのイメージを汲み上げたのだろうか。歴史の資料にはそのような内部の様子の記述は残らないだろうから、作者の感性や想像からやってきたと見なすほかない。人は、このような破局や世界の終わりには、たぶんデカダンスにおちいりそのようにふるまう人々もいるだろう、と。

 しかし、わたしにもそういうことはあり得るだろうなと思えるから、これは作者の単なる空想ではなく、『死ぬ瞬間』でキューブラー・ロスが死に直面した人々がたどる心的な過程の一般性として描いたように、人間的な有り様の一般性から来るものだろう。さらに付け加えれば、そこには作者の心の深層に保存されているこの列島の古い精神の遺伝子とも言うべきものが加わっているように見える。それは例えば、先の大戦で、生きて捕虜になるな、自決せよというような軍の規律や考え方にも表れている。これはたぶん、閉鎖的な島々の住民の太古からの精神の負の遺伝子によるもので、負けたら何をされても仕方がない、逆に言えば、勝ったら相手にどんな残虐をも行うことがあるという怯(おび)えからくるデカダンスの感性や考え方と同質のものだと思われる。(註.このことに関しては、吉本さんが『心的現象論』で考察していたと記憶する) (註.1)

 最後に、二つ目の個にとっての世界の終わりということがある。それは、事故や病や自然死などの違いはあっても誰にも訪れてくるもののようである。わたしたちは誰も死自体を体験できないからこのように言うほかない。おそらく、ひとりひとりキューブラー・ロスが描いたような心的な過程をたどりながら、この世界の終わりを迎えるのだろうと思う。そうして、たぶん人類が世界の終わりを迎えないかぎり、残った人々はこの(その人にとっての「その」)世界を旅するのだろう。

(註.1)
「上村武男『遠い道程 わが神職累代の記』(2017年)より」の末尾に引用している。
https://ameblo.jp/okdream01/entry-12267802486.html



『銀河で一番静かな革命』(マヒトゥ・ザ・ピーポー 2019年5月)読書日誌 3

2019年07月01日 | 『銀河で一番静かな革命』読書日誌
『銀河で一番静かな革命』(マヒトゥ・ザ・ピーポー 2019年5月)読書日誌 3


 3.世界の異変を感知する


 この飛行機の中のからいろはが見た情景は、以下のように帰ってから思い出される。


2.
 飛行機で、ましろと傷をいやすツアーに行ってる時に見た不思議な空。空に傷口ができてて、そこから涙を流してるみたいだった。でも悲しいから泣いてるわけじゃないみたい。嬉しいでも悲しいでもなくて、ただ涙がこぼれていくようだった。そういうこと、いろはにもたまにあるんだけど、そんな空って初めてだったから見とれてしまった。ましろも最初は起きてたんだけど、いつの間にか眠っていた。周りを見渡しても、大人はみんな一人残らず寝ていて、さっきまでずっと泣いてた赤ちゃんと目が合った。赤ちゃん、笑ってた。あの時間。まるで、大きな怪獣の温かい胃袋の中で揺れてるみたいな静かな時間。生まれてくる前のお腹の中に戻って浮かんでいるような、そんなことを思ってたら、いつの間にか、外は夜になってて、窓ガラスにはいろはの顔が映ってた。しばらくその見慣れた顔を見ているうちにいろはも眠たくなってしまったんだ。
 ( P77 語り手は「いろは」)



 飛行機に乗っていた時ましろによって語られたこれと照応する場面がある。


3.
 わたしに有無を言わせず席を替わると、いろはは窓に顔を押し付けて流れていく景色にかじりつく。
「窓あけたいな。」
 分厚い窓には、押し付けた鼻の脂の痕がついている。
「いろは、冗談よね。この窓が開いたらとんでもないことになっちゃうんだよ。」
「そっかー。もう夏おわったもんねー。風冷たいよねえ。あー、空すごーい。何だこりゃあ。こんなの見たことないやー。」
 いろはは驚いたように口を開けて言ったが、窓の外は先ほどまでと何の変わりもない、見たことある白銀世界が流れていくばかり。この子は時々、変なことを言って、わたしはついていけない。

 午後五時、西日が雲に反射して、機内に橙色の静かな時間が訪れる。
 さっきまで泣いてた赤ちゃんは、すやすやとお母さんの肩にあごをのせて気持ちよさそうに眠っている。
 筆で描いた抽象画家の作品のような青と赤の混ざり合う夕さりの時間はため息が出るほどに美しく、娘の肩越しに眺めているとうとうとと睡魔に誘われて知らぬ間に眠りに落ちていた。ごうごうというエンジンの音が子守唄のようでなんだか心地いい。
 ( P51-52 語り手は「ましろ」)


 この2.と3.を突き合わせてみると、3.でいろはは 「あー、空すごーい。何だこりゃあ。こんなの見たことないやー。」と空の異変をすでに感じ取っている。しかし、母親のましろには別に普通の景色にしか見えない。2.は、3.の場面で母親のましろを含めた大人たちが眠ってしまった後の場面ということになる。

 ところで、「空に傷口ができてて、そこから涙を流してるみたいだった。」それは「嬉しいでも悲しいでもなくて、ただ涙がこぼれていくようだった。」「そういうこと、いろはにもたまにある」という〈涙〉というのは何のことだろうか。よくわからない。この空の傷口と涙の場面の入口には母親は立ち会っていて何も異変を感じ取っていないから、たとえ大人たちが眠り込むことなく起きていてもこの空の傷口と涙は見えない、感じ取れないものなのかもしれない。つまり、作者はここで、この世界の異変をより早く感じ取れるのはいろはのような子どもだと言いたいのではないか。

 そしてそれは、うれしいから泣く、悲しいから泣くというわたしたちの普通の内臓感覚ではない。「嬉しいでも悲しいでもなくて、ただ涙がこぼれていく」ということはわたしにはよくわからないが、そういう場面をいつか見たような気もする。作者は男であるが、女性にあり得ることではなかったろうか。ともかく、ここでの表現の意味として考えてみれば、すでに進行している世界の異変をより早く感じ取れるのはいろはのような子どもであり、普通の五感を超えたようなもの、からだ全体で感じ取れるようなものと言いたいのかもしれない。
 この感覚は、次のように展開していく。


4.
「ここにいてはいけない。」
 いろはは急ぎ足でアパートを背に、雨の景色の中を走った。直感で思う。何かの蓋が開きかけている。一秒でもその闇と目を合わせていたくなかった。・・・中略・・・
 耳を塞いでみてもその音は鳴り止まなくて、音という音、その全てのボリュームが上がったみたいに、肺や頭に反響する。
 雨をぬぐい、目をうっすら開けて空を見ると、膿んだ灰色の曇天が真っ二つに割れていて、そこから堰を切った涙のように濁った雨が溢れていた。雪になる直前のような冷たい雨。飛行機の上から見た空の傷と似ている。でも、よく見ると傷口は一ヶ所ではなく、たくさんあって、それを見ていたいろはの目からは、悲しくもないのに、いつしか涙が溢れてた。
 声をあげてわんわんと泣く。
 でも泣き声は大きな空の涙にかき消され誰にも届かなかったと思う。後で思ったことだけど、その時は、きっとみんな各々のやり方で泣いていたから。錆びた階段の手すりも、階段脇のドブを流れる空き缶も、あの渡っていったたくさんの鳥も、枯れた草も、イルミネーションを這わされ垂れ下がる枝も、墓石のように立ち並ぶビルも、静かに雨を浴びるお寺の鐘も、傷だらけの窓ガラスも、赤い花も、アパートの通路の闇も、みんなみんな知らず知らずのうちに泣いていたんだと思う。鳥や空は一足先に気づいてた。人間が気づくのが一番遅かったんだ。いろははポケットの中の青いガラスを強く握りしめていた。
 ( P82-P83 語り手は「いろは」)


 ここで、先の「涙」がさらに展開されている。この世界の大きな異変に感応して、命あるものに限らず、この大地に存在するもの皆全てが「涙」している。

 ところで、釈迦が亡くなったとき、あらゆる生きものたちまでもその別れを悲しんだということを耳にしたことがある。「釈尊涅槃図」にも描かれているという。このことは、輪廻転生を含めてまだ人間と動物とが今以上に身近な距離にあった人類の歴史の段階や、わたしは釈迦の教えについてはよくは知らないが、その段階と対応して釈迦の教えそのものが動物たちにも及ぶ規模のものだったことによるのかもしれない。この作品に描かれた「涙」の規模はこの世界の終わりに際してのものだから、その釈迦入滅の時の涙に勝るとも劣らないものとして描かれているはずである。

 この「空の傷」や「空の涙」、そしてこの大地に存在するものすべての「涙」という喩の表現やイメージは、吉本さんの言う地上の水平な視線とそれと直交する上空からの視線の交わるところのイメージ(前回の註.1参照)とは違ったものであるが、「究極イメージ」の表現と言えるのではないだろうか。なぜなら、人間は現在までに大洪水や縄文海進・海退や大規模地震などを経験してきている。それはこの世界が終わるような感受やイメージとして受けとめられたはずである。そしてこの描写は、現実性としては空想性を帯びているとしても、それを超えた世界自体の終わりの感受やイメージだからである。言いかえれば、「水平な視線とそれと直交する上空からの視線」自体を空無化するイメージだからである。

 こうして、90ページで急に登場人物「ゆうき」のアイフォンに、この世界が終わるという「『通達』という題名の短い文章がトップ画面に表示」される。


『銀河で一番静かな革命』(マヒトゥ・ザ・ピーポー 2019年5月)読書日誌 2

2019年06月28日 | 『銀河で一番静かな革命』読書日誌
 『銀河で一番静かな革命』(マヒトゥ・ザ・ピーポー 2019年5月)読書日誌 2


 2.二重の視線


  母親の「ましろ」と娘の「いろは」は、道後温泉に向かうため飛行機に乗っている。P55の記述に拠れば、ましろは三十三歳、いろはは十歳である。


1.
 機内アナウンスで目を覚ますと、夕暮れの気配はとうになく、外の世界は真っ暗になっていた。わたしの肩に寄りかかり、口を開けてまたいつのまにか眠っている娘をゆすり起こす。
「いろは。起きな。つくよ。」
「ううん。」
 目をこするいろはにシートベルトを締めさせて、いつしか夜になった窓の外を見る。
「ねえ、ましろ。この光の数だけ人が生活してるんだよ。信じられる?」
「そうね。たくさんだねえ。」
 ★空から見下ろす街には小さな光の点が黒い夜空の星からこぼれ落ちたみたいに散らばっている。ガソリンスタンドにコンビニ、マンションやアパートの食卓を照らす灯、リズミカルに並べられた街灯と車のヘッドライト、電光掲示板の点滅。赤、黄、青。★
☆★「近くで見たら色々だけどさ、空の上から見ると、どれもみーんなキレーだね。」☆★
 いろはは目をキラキラさせて言った。
☆★「そうだね。遠くから見たら全部が綺麗だね。」☆★
 ( P53 )



 これは別に取り立てて目新しい描写ではなく、飛行機に乗ることが誰にでもあり得る現在のわたしたちにとっては普通に見えるものかもしれない。また、ここに書かれているような地上の視線と上空からの視線を交えるとなんか不思議な感覚を覚えるということもおなじみのことかもしれない。

 このような二重になった視線を、吉本さんの視線の概念(註.1)を借りて言うのだが、★・・・★の前半部分は、人の高さの水平な視線に対して直交する上空からの垂直な視線である。航空機の飛ぶ高さだから離着陸時などは眼下の建物などがより大きく見えることもあるが、通常の夜の飛行の高度では、「小さな光の点が黒い夜空の星からこぼれ落ちたみたいに散らばって」見える。しかし、後半部分の「ガソリンスタンドにコンビニ、マンションやアパートの食卓を照らす灯、リズミカルに並べられた街灯と車のヘッドライト、電光掲示板の点滅。赤、黄、青。」という描写―特に「マンションやアパートの食卓を照らす灯」―は、あきらかに地上の水平な視線であり、その視線が想起され上空からの垂直な視線に溶け込んでいる。

 ☆★・・・☆★の部分も★・・・★の部分と同じと見なしていいと思う。人の高さの水平な視線とそれに直交する上空からの垂直な視線との二重の視線が交わったイメージとして表現されているように見える。そして、この場合の二重の視線が交わったイメージの表現は、物語の中の〈現在〉の飛行機から見下ろす視線に、地上での水平な視線の生活体験が想起(イメージ)され眼前に呼び出されるという形での二重の視線が交わったイメージとして表現されている。
 しかし、少なくとも物語を書き記す作者のイメージの中では、二つの視線が同時に行使されていると言えるだろうと思う。

 このような上空からの垂直な視線の描写は、現在のわたしたちには普通で自然なものになっている。しかし、現在から半世紀前くらいの二昔前にはそうではなかった。調べればわかると思うがたぶん高度経済成長期辺りから海外旅行も増え飛行機に乗るのが普及しだしたのではないかと思う。そういう意味で、このような描写は二昔前には一般にはあり得ない表現で、吉本さんの言う現在の「究極イメージ」の表現ということになる。


(註.1)

 僕らが文学、芸術の諸分野をイメージとして統一的に捕まえようと考えた場合、そこがいちばん基本的な考え方になります。要するに地面に水平な視線と垂直な視線の交点のところに描かれるイメージが非常に重要で、それがうまく描かれるならば、それは究極イメージだと考えていたわけです。理論的な骨組みをつくるのは、そこのところでだいたい可能になったと僕らは考えました。
 (講演「イメージ論」の「概念とイメージの関係」(小見出し)  『吉本隆明の183講演』A092)
 ※講演日:1986年5月29日

『銀河で一番静かな革命』(マヒトゥ・ザ・ピーポー 2019年5月)読書日誌 1

2019年06月22日 | 『銀河で一番静かな革命』読書日誌
『銀河で一番静かな革命』(マヒトゥ・ザ・ピーポー 2019年5月)読書日誌 1



 1.作品の構成


 マヒトゥ・ザ・ピーポーの『銀河で一番静かな革命』(2019年5月)を読んだ。初めて聞く名前で作者のことはよく知らない。初めての小説らしい。半ば過ぎまで登場人物関係を誤解したりして少し難渋した。この作品は、何人かの別々の普通の人々の日常生活がそれぞれの章で描写される。相互のちょっとした出会いの場面もある。また、ホームレスの老人、その人がある所で亡くなったのではないかと耳にして光太がその近くに置いた赤い花などが、そのそれぞれの人々を連結しているというようなこともある。

 この作品は、まず題名が大げさだなと思い、一度は引き返そうかなと思ったが手にしたものである。よしもとばななの推薦の言葉に促されて読んでみた。読み進めていて、なんか普通のありふれた小説じゃないか、がっかりだなと思った。ところが、90ページで急に登場人物「ゆうき」のアイフォンに、この世界が終わるという「『通達』という題名の短い文章がトップ画面に表示」される。読み返せば、そんな世界の異変の兆候はそれよりも前に登場人物の少女「いろは」には感じ取られていた。しかし、その「通達」という題名の短い文章は、作品中で開示されることはなかったように思う。なぜかはわからないが、十二月三十一日でこの世界が終わるということだった。しかし、この物語を読み終えた後、なにげなく表紙カバーをめくってみた。そこには次のような「『通達』という題名の短い文章」と思われる文章が書かれていた。


人間の皆さん、唐突ではありますが、極めて重要な案件
になりますので、ご一読必須としてお願い申し上げます。な
お、この通達は全世界196ヶ国、ならびにその他複数の
地域の言語に翻訳され一斉に送信、連絡しています。
地球における、犯し続けた失敗、その反省のなさから、この
星との契約が解除されます。本日より10日後の12月31日
以降、世界の電源を落とし、シャットダウンする運びにな
りました。度重なる審議に時間がかかり、ご連絡が遅く
なってしまったこと、お詫び申し上げます。
かねてから、映画や音楽、小説、その他諸々の芸術全般
で心理的準備として描かせてきた、いわゆる"世界のお
わり"というやつであります。
人間という契約星員であったという事実は、地球での人
間活動そのものに多大な影響を及ぼすため、現在まで
ミュートされてきましたが、この通達の1分後からその
回路も順々に復活いたします。
つきましては、すべてのこの世界の法則、ならびに、この
星の約束の下で星員であった事実を思い出していくこと
になります。今現在、この文面を承諾できかねる方もご
安心ください。回路の復活次第、必ず理解できるプログ
ラムになっております。
31日のシャットダウンに際しまして、円滑に事を遂行す
るために、その前後、多少のバグが生ずる可能性があり
ます。身体的な痛みなどは伴わない形を取らせていただ
いておりますが、あらかじめご了承ください。
どうか、動揺なさらぬよう、地球での残りの人間活動
を健やかに過ごされることをお祈り、お願い申し上げ
ます。


 この末尾の一文は、作品が始まる前の扉にも書いてある。この通達の文章が、作品中に書かれていなかったとしても、本の表紙・裏表紙に書かれているということは、物語世界とリンクすることになる。この文章の語り手は、明示されてはいないが人間以外の存在であり、従来からの概念で言えば、人間が考え出したもの、人間がそう捉えたものではあるが、神に当たる存在になる。とすると、この文章はこの作品を通俗的な圏内に引き込んで行くことになる。この点が、この作品をありふれたおとぎ話風の通俗的なものにしている。

 わたしたちは、この世界の終わりということを知っている。現在の宇宙論の知見に拠れば、星の生誕から死までの過程は知られている。同様に、この太陽系の終末のイメージも大まかにつかまえられている。数十億年後人類がそのときまで生きのびて世界の終わりに立ち会うことがあり得るとしても、しかし、それらは人間的な生涯の時間を遙かに越えた大きな時間スケールでのことである。またその頃には、人(人以前の人)が海から上陸して姿形も変えて生きのびてきたように、今度は宇宙に本格的に上陸して行くのかもしれないが、現在の私たちには、無縁と見なしていい事柄である。

 この世界の終わりには、もうひとつある。この小さな人間界の中で病気や事故や寿命が尽きた場合におこる死、すなわち、その人にとってのこの世界の終わりである。いつどんな形で訪れかわからないこの世界の終わりなら、現在のわたしたちにとっては切実な課題だと言ってよい。それをどう受けとめ、日々をどう生きるか。この地点からこの作品を読むならば通俗性を脱した作品としてわたしたち読者の前に立ち現れるかもしれない。だから、物語としては、こういう文章を付すことなく通俗性を振り切ってあいまいなままの世界の終わりという表現にした方が物語のリアリティを持つことができたと思う。

 ところで、この作品は章と見なせる部分の扉に詩句のようなものが書かれていて、それが章を追う毎に書き足されている。最終章(と思われる)で最終行を除いた一篇の詩ができあがるようになっている。この詩は、最終行を加えて「いろは」と「ましろ」の除夜の鐘を聞きながらのかわりばんこの言葉のやり取りとして作品内に描かれている。(P230)この辺りは、「いろは」や「ましろ」が普通語る言葉とは思えないから、作者(のモチーフ)が表に出てきたところと言えそうである。

 この作品の章立て(場面)を挙げてみる。
1.バンドの追っかけしている25歳の「ゆうき」(語り手)とバンドのメンバーの一人「光太」
2.結婚して家庭を持っている34歳の「光太」(語り手)
3.母親の「ましろ」(語り手)と娘の「いろは」
4.母親の「ましろ」と娘の「いろは」(語り手)
5.「ゆうき」(語り手)
6.「光太」(語り手)
7.母親の「ましろ」(語り手)と娘の「いろは」
8.「光太」(語り手)、「いろは」
9.「ゆうき」(語り手)
10.「ゆうき」(語り手)、「いろは」
11.「光太」(語り手)、「ゆうき」他
  ※最後の詩句が書かれた章を最終章と見なせば、この章は、語り手が何回か入れ替わっている。つまり、母親の「ましろ」と娘の「いろは」の場面も含まれている。

 主な登場人物は、以上である。語り手が章ごとに変わっていることから見ても、だれが主人公とは言えないような作品だ。強いて主人公を捜せば、主人公はこの地上で人間の生み出した諸幻想やイメージや価値観などに囚われながら日々を普通に生きる人々、わたしであり、あなたである。登場する人物たちがお互いに出会ったり、ホームレスの老人や赤い花などでお互いに結びつけられたりしている。ただ、それらの人々がこの世界の終わりをどう受けとめ生きていったかということにこの作品のスポット・ライトが当てられている。それが作者のモチーフだろう。

 これは、一読の読書日誌である。作品の途中や、最終章(あるいはそれ以後)もよく読み込めてないところがある。しかし、上に捉えた作品のモチーフは、何回読んでも変わらないだろうと思う。