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「エレヴァス」問題、たぶん最後。

2021年02月01日 | 吉本さんのこと
 「エレヴァス」問題、たぶん最後。



 自己表出と指示表出の関わりで、吉本さんの「拡張論」(『ハイ・イメージ論Ⅱ』ちくま学芸文庫 この単行本は、1990年4月刊)を見ていたら、その次の「幾何論」の中、ヘーゲルに触れた吉本さんの言葉や引用されたヘーゲルの言葉の中に、「Etwas」が使われていた。せっかくだから、吉本さんが取り上げている話のひとまとまりの部分として抜き書きしてみたい。

 ヘーゲルの考え方では、ある物(体)(Etwas)がそこに(da)ある(sein)かぎり、他の物(Anderes)への関係をもっている。このばあいこのほかの物(Anderes)は、もとのある物(Etwas)からみれば非有(あらざるもの)としての一つの定有物(きまったもの)(ein Dasein endes)だということができる。したがってこのある物は限界や制限をもった有限のものだ。
 いまある物(Etwas)がそのものとしてどういう本性をもつかということが、そのある物(Etwas)の規定だとすれば、この規定が関係をもっているほかの物(Anderes)によってどうなっているかということが、そのある物(Etwas)の性状だということになる。
 このある物(Etwas)のなかで、それ自身からみられた規定と、関係するほかの物からみられた規定とが、どうなっているかがこのある物(Etwas)の質にあたっている。こうかんがえてくると、ある物(Etwas)が質であるかぎりは、かならずほかの物(Anderes)との関係によってみられた性状をふくんでいることになる。いいかえればじしんの存在する理由を他者にもっているから、かならず「変化」するということができる。「変化」によって性状は止揚されるし、「変化」そのものもまた止揚される。この止揚によって物(体)がどうなるか、ヘーゲルはつぎのようにいう。


 この変化において或る物(Etwas)は自分を止揚し、他物(das Andere)になるが、同様に他物もまた消滅するものである。しかし、他物の他物〔他者の他者〕(das Andere des Andern)または可変体の変化〔変化の変化〕(die Veranderung des Veranderlichen)(引用者註.「a」は2つとも「¨a」)は恒常的なものの生成(Werden des Bleibenden)であり、即且向自〔それ自身で〕に存在するものの生成であり、内的(インネンス)なものの生成である。
                          (ヘーゲル『哲学入門』第二課程 第一篇 第一段B)


 ここで「恒常的なものの生成」というのはすこし強勢で「不変のまま残留するものの生成」くらいにしておいた方がいいようにおもえる。ヘーゲルがいいたいことは、それほど難しくない。あるひとつの物(体)が存在していることのなかには、他者との関係によって存在している面がかならずある。いいかえれば他者があるからそのものとの関係で存立している部分をもつ。そうであればそのひとつの物(体)は、他者が変貌するにつれて外から変化するか、じぶんの変貌によって関係する他者を変化させることで、じぶんが内在的に「変化」することがおこりうる。この「変化」によってそのひとつの物はまたほかの物に変化し、ほかの物は消滅したり、ほかの物のほかの物に変化する。この後者の変化は、いわば止揚としての変化であり、生成したものは不変のままとどまったもの、つまりは内的なものだ、ということになる。もしこのある物(体)が、たくさんの特性によってほかの物と区別されているとすれば、この特性の「変化」によって解消したことになる。
 幾何学的な認識が(たとえばスピノザが)、「変化」という概念をうみだそうとしなかったし、うみだすことができなかった理由は、概念を定在の点のようにかんがえて、その存在、定立の理由を自律的なものとみなしたからだとおもえる。ひとつの概念が現実にむすびついて存立するためには、ほかの概念との関係が必要だという観点はスピノザにはなかったし、またはじめから必要としなかった。これに反しヘーゲルの概念のつくり方は、はじめから関係なしには、成立しなかった。
 まず対象との直接の関係を衝動とかんがえれば、衝動面にたいして任意の角度をもった志向性が、この面をつきぬけて直進して行為となるかわりに、行為とならずに衝動面で反射したとすれば、この反射を反省とみなすことができる。(引用者註.第2図は略)
 そして反省を数かぎりなく繰り返すことで、対象との関係がじぶんとの関係に転化したものが、ヘーゲルでは自我とよばれている。そして自我と対象との関係が哲学のいちばんはじめにあり、これはヘーゲルについて最初にいわれるべきことのようにおもえる。このいちばんはじめの関係から、はじめに意志とか決意とか企画とかいった自我の内的な規定であったものが、対象へむかう過程でしだいに外的な規定に移ってゆく。それが行為(Handeln)とみなされている。
 ヘーゲルの方法にとって「生命」の概念や「変化」の概念よりも、ある意味では自我と対象、有機的な自然と非有機的な自然、認識と行為といったような、事象を二項対立に分離したうえでそれを関係づけるほうが本来的なかんがえだといえばいえた。ここからヘーゲル哲学の流動的なもの(つまり概念を移行と消滅の相のもとでみること)がはじまったからだ。認識と行為のあいだで、あるいは自我とその対象とのあいだで、はじめに内的な規定であったものが、次第に外的な規定へとうつってゆき、そのうつり方の曲面は、曲率もちがえば、通過する過程もちがうが、内在から外在へとえがかれてゆく行為の曲面の変化こそが、ヘーゲル哲学の入口にひかえていたおおきな形象であった。(引用者註.第3図は略)
 (『ハイ・イメージ論Ⅱ』「幾何論」 P105-P110)



 関連ブログ記事
1.「エレヴァス」問題 2016年12月15日 | 吉本さんのこと
https://blog.goo.ne.jp/okdream01/e/0a645cd9fa29e45cb3093d273d5a5991
2.「エレヴァス」問題再び 2017年02月23日 | 吉本さんのこと
https://blog.goo.ne.jp/okdream01/e/09f08d935375ab5bedeafe351742cc59


「エレヴァス」問題再び

2017年02月23日 | 吉本さんのこと

「エレヴァス」問題再び
 
 
 今日、「表出史の概念」を確認しようとして、吉本さんの『定本 言語にとって美とはなにか Ⅰ』(角川選書)をぺらぺらめくっていたら、なんと以前書いた「エレヴァス」問題に関する言葉に偶然出くわした。P235(同書「第Ⅱ部 近代表出史論 (Ⅱ) 3)に次のようにある。「この水準は、同時代の文学体をこえるエトワ゛スをもつものといってよい。」ほんとは、初版の『言語にとって美とはなにか Ⅰ』にも当たるべきなんだろうが、たぶん同じだろうと済ませておく。
 
 ウィキペディアによると、「ワ゛」は、現在は「ヴァ」を用いるとある。とするとこれは先に予想したようにドイツ語の「エトヴァス」(何かの意味)の誤植ではないかということになる。ささいなことかもしれないが、これで、ちょっとすっきりした。

(参考)「エレヴァス」問題 2016年12月15日 吉本さんのこと
http://blog.goo.ne.jp/okdream01/e/0a645cd9fa29e45cb3093d273d5a5991



※2月24日にネットでの知り合いの方から以下のことを教えてもらいました。ネット社会の合力(ごうりき)はありがたい。『言語にとって美とはなにか』には索引が付いていたのに、忘れていました。『定本 言語にとって美とはなにか』の索引にもページは違っても同じくエトワ゛ス4箇所載っていました。

 ブログに、「言語にとって美とはなにか」のなかにエトワ゛スの語を見つけたとありました。そこで探してみると、勁草書房の単行本にもありましたし、全著作集の「言語美」では索引に、221226237289のページ数が示されていました。やはりいずれにもエトワ゛スの語がありました。結構気にいって使っていたみたいですね。


「エレヴァス」問題

2016年12月15日 | 吉本さんのこと

「エレヴァス」問題


檀一雄『太宰と安吾 』の解説を吉本さんが書いています。その解説の末尾に書かれている言葉「エレヴァス」の意味がわかりません。分かる方、教えていただけませんか。わたしは、「エトヴァス」の誤植ではないかと思っています。資料文章を挙げます。



資料 「エレヴァス」の件

1.檀一雄『太宰と安吾 』の吉本さんの解説(文庫の二ページ分)、その後半部分

  ※該当部分を●表示


 太宰と坂口の作品に通底するのは、戦後の状況に対する「否定」の雰囲気である。戦争の中に平和を、平和の中に戦争を透視することができない他の知識人と比較して、政治も社会も文学も、戦争も平和もすべて嘘っぱちじゃないかという二人の拠って立つところは、際立っていた。つまるところ、太宰と坂口「解って」いたのではないかと思う。
 ところで、武田泰淳、野間宏、石川淳といった第一次戦後派と呼ばれた作家たちがいる。彼らは敗戦直後の混沌の中で、一瞬の煌(かがや)きにも似た佳作を生み出しているが、太宰や坂口が彼らとも異なるのは、私なりの言い方でいえば、大それたことを考えていたということになる。大それたこと、つまり政治なり社会なり、あるいは人間存在について深いところで認識しながら、ある種の大きな普遍性を意図的に作品に繰り込もうと考えていたふしがある。こうした姿勢を持った作家は太宰と坂口だけであり、その後出ることはなかった。
 太宰治、坂口安吾の他、織田作之助、石川淳、檀一雄といった、いわゆる無頼派と呼ばれた作家たちは、それぞれ良質な作品を残しているが、彼らは、女、薬、酒といった表層的なデカダンスと裏腹に極めて強い大きな倫理観を持っていたように思う。これが一見無頼派的にみえる彼らの作品の奥底に流れていた、生涯をかけた大それた●エレヴァス●であった。 平成十五年三月
(「檀一雄『太宰と安吾 』」の解説の末尾の部分、初見は『吉本隆明資料集159』P79 )


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※わたしの感想
 若い頃からの文学体験や修練を経て、戦争-敗戦の「生きた心地もしない」という生存の危機に陥り、自然な時間の推移と苦闘の中から、内省を「内部の論理化」や「社会総体のイメージ」の獲得へと差し向けて、未だかつてこの列島の人々の未踏の場所で孤独な営為として持続してきた吉本さん。今は亡き太宰と坂口の深部に向かって差し出された、そして読者のわたしたちの深みに染み渡って来るような解説の言葉には、その持続の中で生み出された『共同幻想論』や『言語にとって美とはなにか』『心的現象論(序説)』などを経験した(論理の)言葉や、それらから反照する言葉の視線が込められています。途方もない修練を経た、こういう深みのある読みができる人が亡くなったのはほんとうに残念なことである。
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2.

今年の11月初めに、檀 一雄『太宰と安吾 』(角川ソフィア文庫)の解説(吉本隆明)の中の言葉「エレヴァス」について出版社にネットのホームページの問い合わせ窓口から尋ねましたが返事をもらっていません。以下は、その問い合わせの文章です。 

尚、その後のネット検索によると、『太宰と安吾 』初版の単行本は、バジリコ株式会社で2003年4月30日刊行とあります。出版社が違っているから初版の単行本を出した方に尋ねるべきだったかもしれません。(こうした場合の二番目の別会社の出版が、元原稿に当たるのかどうかなどどの程度のチェックで成されるのか知りませんが) 

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数日前、檀 一雄『太宰と安吾 』(角川ソフィア文庫) を購入した者です。

別の所で、本書の解説(吉本隆明)のみ目にする機会がありました。その解説の末尾にある言葉「エレヴァス」に引っかかりました。エレヴァス(エレバス)でネット検索しても、それらしい意味が見つかりませんでした。仏語かなとも思って、「何か」「あるもの」の意味でグーグル翻訳にかけてもヒットしませんでした。
読んで最初に思ったのは、わたしの耳の記憶にあった、「何か」や「あるもの」の意味の「エトヴァス」(ドイツ語 etwas エトワス,エトヴァス)の誤植ではないかというものでした。それで、本の内容への興味もあり本書を買ってみました。しかし、本書の解説の末尾(P413)も「エレヴァス」になっていました。

そこでお尋ねしたいのは、
1.「エレヴァス」は、「エトヴァス」の誤植ではないかということ。
2.1.でなければ、吉本さんの誤用(いろいろと独自の用字法をされているから)ではないかということ。
3.1.でも2.でもなく、「エレヴァス」にはちゃんとした意味があるのだとすれば教えていただきたいということ。

文脈として大体意味がつかめるから、それでいいかなとも思いましたが、もやもやが残りそうでメールでの問い合わせをした次第です。おそらく多忙中にお手数かけますが、よろしくお願いします。
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やっと探し出した吉本さんからのはがき

2015年07月10日 | 吉本さんのこと

 わたしの若い頃、数冊目の詩集を自費出版し、吉本さんに寄贈したことがあります。確か、詩を書いている人では、わたしの敬愛する吉本さんと宮城賢さんに寄贈したと思います。後は知り合いに配り、ずいぶん余って、自費出版なんてするもんじゃないなと思いました。最近は、ネット空間での表現が本を出す代わりになり、この点では自費出版に関わるめんどうなことをしなくても済むいい時代になったなと思います。
 
 ところで、寄贈に対してお二人からはがきをもらいました。吉本さんからは、後に紹介するような言葉をもらい、『試行』64号に「連作抄」としてわたしの詩を何篇か掲載してもらいました。とてもうれしかったのを覚えています。
 
 宮城賢さんも吉本さんも亡くなってしまわれ、そのことはどうしようもないことですが、時折さびしい気持ちになることもあります。わたしには、古いギャグの「欧米か!」というような、積極的で恥というものを知らないかのようなグローバリストやエコノミストらと違って、この列島の古い遺伝子である控え目過ぎるところがあります。わたしの次の行動は、それに反するように見えるかもしれませんが、時には少し前に出てみたいと思います(笑い)。この場で吉本さんからもらったはがきを公開(見せびらかし)します。ご容赦を。
 
 この吉本さんからもらったはがきは、若い頃どこに仕舞ったか忘れて二回いろいろ探し回ったことを覚えています。見つかりませんでした。ま、いいかと諦めていました。その後引っ越しも数回しています。つい先日、わたしの奥さんから「あれはどうしたの」と言われ、この度三回目の大がかりな捜索を試みました。といっても、捜索範囲全体の五分の一くらいを終えたところで、ノート類に挟んでいたはがきをひょっこり発掘することができました。わたしは長らく雑誌『試行』を送ってもらった封筒にそのはがきを仕舞っていたと思っていましたが、記憶ちがいでした。記憶は当てにならないところがありますね。
 
 
 (吉本さんからのはがき)(1985年1月6日)
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 とうとうやったな、うらやましいなという感じで「言葉の青い影」を読みました。これは充分自己主張できる詩集ですので、それでいいとおもいますが、お希望でしたら、小生に自由に(抄出)と(行替え)をまかして下さるよう。次号に掲さいできると存じます。
 小生もリハビリテイションの末、小生なりにやったあ!ということにいつかしたいと存じております。
 はん有難う存じました。丁度欲しいときでした。吉本隆明拝
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※「はん」について。当時わたしは職場で、仕事が終わってから焼き物を習ってしていましたので、たぶん彫った陶印を詩集に同封したのかもしれません。下手な作りだったと思います。
 
※因みに、吉本さんはこの数年後、『記号の森の伝説歌』という詩集を出されています。
 
※わたしの『試行』に掲載してもらった詩は、わたしのホームページ ( http://www001.upp.so-net.ne.jp/kotoumi/kakonosi01.html ) からも読むことができます。