最近のツイートや覚書など2022年9月 ②
2022/09/16
今「2022年版 Youtuber年収・収入ランキング(162111人)」を見てきた。一般に、チャンネル登録数が100万人を越えると収入が1億円になりそうだ。うーん、消費資本主義と広告産業中心社会のもたらすふしぎな光景。
ユーチューバーって、個人経営の芸人みたいな者か。自分の割と好きなことを気楽そうにやりつつ、稼ぐためには熾烈に芸を生み出さなくてはならないハードさがありそう。だから、好きなことを気楽に無心にやっているわけではない。
三木成夫-吉本隆明によれば、顔には、考えや思想ではなく主要に内臓感覚からくる情動が結びついている。その情動の型が刻まれているのだろう。しかし、その顔を見る者は、その者の考えやイデオロギーなどがイメージに抽出され、その顔に付加され、好き嫌い中性として見るようだ。
顔といえば、北大路欣也(もちろん、演者、俳優としてであるが)はいいなあと思っている。最近のでは、『隠密奉行朝比奈』、『三屋清左衛門残日録』。物語世界ではあるけど、当然演者の個性も顔に付加されているのだろう。『三屋清左衛門残日録』は今年もあるようだ。
あたらしい短歌bot@tankabot_1980
煙草いりますか、先輩、まだカロリーメイト食って生きてるんすか 千種創一
煙草いりますか、/先輩、まだ/カロリーメイト食って/生きてるんすか (『砂丘律』2015年)
字余り等あるが、音数律はまだ意識されているようだ。「普通の会話」が歌になるようになった。タバコと書かずに煙草と書いたのは何かあるのかな。
2022/09/17
死の短歌bot@shi_no_tanka
将来の死体三十七体をしずかに納める教室である/佐藤羽美
文学(歌)は、倫理を超える。つまり、差し障りの多い人と人とが関わり合うこの人間社会では、私たちは表出や表現を抑制することがあるけど、文学はストレートに言おうとする。作品を倫理的に裁断しても仕方がない。ただ、誰にもあり得るが、こんな冷たい空想の視線は現実から浮遊している。
上の歌は、作中の〈私〉も教室内の37人の生徒たちに含まれているのだろう。これと似た視線のものがある。
もしわたくしが怪獣ならばどの子から食おうかチビッコ相撲を観つつ/佐藤羽美
2022/09/18
「九州の皆様、台風に本気で備えてください。」とかのアドバスや心配はありがたいけど、ある程度の対策を取ったらもう後は台風さん任せで、なんとか弱気になってねとか、逸れてくれていいよとか、こちらは願うほかありません。残念ながら、台風を弱めるとかの制御力を人間はまだ手にしていません。
成田悠輔って、最近テレビで見かけた。以前、ツイッターで出会って名前は知っていた。著書はまだ読んでいない。先日ツイッターの宣伝で紹介されていた「半熟仮想」というのは冗談言っているのかと思ったら彼の会社名だった。彼も「テレビ学者」の仲間入りをしているのかな。
「テレビ学者」もいいけど、テレビという媒体は問題をとことん掘り下げることは難しい気がする。例えば、今まで少し期待してEテレの「100分de名著」をいくつも観たことがあるけど、まあそんなものかと思ったことがほとんどだった。「テレビ学者」たちは、テレビの温沼から抜け出せるのだろうか。
このTLでも時々アメリカインディアンの言葉に出会う。昔々は、この世界の成り立ちやこの世界での人の振る舞い方・生き方についての知恵の言葉は、10にも満たないようなわずかでシンプルなものではなかったかと思う。それが、現在ではあらゆる分野が細分化してチマチマした細分化言葉になってしまっている。
もう直接に昔々の芯があり、深みのある、わずかなシンプルな言葉自体には戻れそうにないが、それを汲み現在の言葉の芯に生かすことは大切だと思う。それは、例えば医療でも教育でも、あらゆる分野で言えそうだ。
2022/09/19
現代短歌bot@gendai_tanka
受話器まだてのひらに重かりしころその漆黒は声に曇りき 大辻隆弘
作者は、あの黒電話の重たい受話器の世代のようだ。しかし、この作品の時間では受話器は軽く変わっている。なぜかわからないが、ふと目をやったら受話器が声に曇っているのに気づいた過去の場面が想起されている。これは作者がある時代性を生きてきたことの象徴表現と言えるかもしれない。
2022/09/20
国葬は、反対でいいんだけど、もっとはっきり言えば、今どき「銅像」を建てたり、前方後円墳を造るみたいに「国葬」したり、時代を読み間違っているんだよな。そして、コロナや正規非正規・貧困問題などの時代の最優先課題を避けてばかりのわき見政治。クソッタレ。国葬なんてどうでもいいや。
2022/09/23
統一教会の勅使河原秀行の言ったという「左翼弁護士」って、ネトウヨ的な罵り方というツイートが流れてきた。安倍晋三やネトウヨが自分に反対する者や自分がつまづいた小石にまで「左翼」と言ってののしることの始まりは、統一教会だろうか。その神-サタンの強固な二項対立から来た?
いつでもどこでも何についても、内部からの視線、言葉というのは大切だ。何が問題で、何に困っているのか。その文章の文体をたどっていけば、その人の心の有り様の前に立てるように思う。無料でアップされている洪蘭淑の『わが父文鮮明の正体 』を読み終えた。
あたらしい短歌bot@tankabot_1980
果てしない夜をきれいに閉じてゆく銀のファスナーとして終電 toron*
カッコ良くできたなという作者の思いがあるかどうかは別にして、この作者の視線は、斜め上空だろう。果てしなく広がる夜を「銀のファスナー」である明かりの付いた終電が閉じていくよという歌か。地上の人の高さの視線では思いつかない歌の位相。しかし、大都市では街の明かりが多そうに思うけど・・・。
↓
河野裕子の歌に滋賀県の琵琶湖を歌った歌があるのを思いだした。
たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
これも、作者の視線は斜め上空だろう。
↓
電車つながりで、電車の中の人の高さの視線から表現したtoron* の作品がある。
花びらがひとつ車内に落ちていて誰を乗せたの始発のメトロ
2022/09/25
現代短歌bot@gendai_tanka
泣くという音楽がある みどりごをギターのように今日も抱えて 俵万智
うーん、幼子はよだれを垂れもするし泣きもする、神のような位置にある母親はそんな無力なわが子にやさしく対応する(?)、そんなありふれた生活感が、少し昇華されすぎているような感じがする。わかりやすく言えば、飾られすぎた歌になっている。
現代短歌bot@gendai_tanka
おめんとか
具体的には日焼け止め
へやをでることはなにかつけること 今橋愛
わたしも覚えがあるから言うのだが、この歌は、概念的な思想(考え)を述べるのが主で、歌を理屈っぽくしている。わたしなら、例えば、
日焼け止めをしっかり塗って
素顔から
お面を付けた気分へ ドアを押す
2022/09/26
長らく、老年層が多い、あまり活動性がない日本会議系-変質自民党政権と見ていたが、安倍晋三政権を中心とする統一教会との強力なつながりは想像できなかった。「国際政治学者」は想像できていたのだろうか。実質は、大同団結の統一教会-日本会議系-変質自民党政権だった。
ネトウヨは、わかっているのだろうか。日本は韓国に奉仕せよという統一教会(の考え方)を受け入れるということは、自らがわが国の過去の戦争への謝罪を「自虐史観」と批判してきたが、自分たちネトウヨこそ「自虐史観」(奉仕=謝罪)を受け入れているということを。
生きながら水族館の薄闇でおでこをさすりあうのはいいね 谷川電話
「おでこをさすりあう」相手は、恋人ではなく水族館の生き物だろうか、よくわからないが、これを通常的な表現と見なせば、「生きながら」は全体にある重力を加えているように感じられる。言いかえると、少しだけ濃い意味の視線を加えているように見える。
人は、木や岩や画布などのただの物に形作られた人や世界にその生動を感じるように、言葉の幻には純粋さや邪悪さも含めて、人の心の感じ考え感動することの表れを感じる。このことにわたしはいつも驚くが、それは人間の誰もが持つ視線や感じ取る・表出する人間的な器ゆえである。
例えば、古今集の仮名序は、言の葉は人の魂を揺さぶる「言霊」を秘めているという認識である。もっとさかのぼれば、フォレスト・カーターの描いた『リトル・トリー』の世界のように、木々も語り人も木の言葉を聞くというような世界になると思う。そんな背景で描かれた物は生命力に満ちていたのだろう。
2022/09/27
死の短歌bot@shi_no_tanka
燃えながら人は死ぬのだ握ろうとしていた指のもろくこぼれる/福島泰樹
この「こぼれる」は、こわれる、破れるの意味の「毀れる」だろう。藤原新也の『メメント・モリ』(1983年)で、インドのガンジス川辺で死者を焼いている写真を見た記憶があるが、そうでなければこれは想像の場面を歌ったものとなる。詮無いことにも想像は駆けていく。
2022/09/28
ただバカバカしい思いだけで、ほんとにまったく関心がなかったけど、こくそう後のひと思い。やっぱり、ひとは平等に生まれ、途中煩悩の苦しい慌ただしいクソッタレだけどどこかいい感じもある人間界生活があり、やがて平等に死んでいくようなんだよなあ。
2022/09/29
RT
マコモの収穫
マコモから、万葉集の巻頭の雄略天皇の歌、「籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ・・・」を思い出しました。調べてみると、籠(こ)は、「竹や植物の蔓(つる)、針金などで編んだ器物の総称。かご。」とあり、こも(薦、菰)は、「 マコモを粗く編んだむしろ。現在は多く、わらを用いる。」
とあります。前者は当てられた漢字は違いますが、「こ」や「こも」は真菰(まこも)と関係あるかもしれないなと思いました。
最近は、クソッタレプーチンのごり押しの侵略やそのための国内への強権発動で、ロシアの民衆が抗議行動に出たり国外へ逃げ惑ったりしている。プーチンも一応民衆に選ばれたことになっているから民衆の支持は無視できないが、世界では依然として主人公の民衆力は潜在的を強いられている。
たぶん吉本さんが言っていたと思うが、世界権力は人類史の始まりにおいても現在でもその中心は平凡な普通の人々にしかない。それ以外の国観間のしのぎ合いなんて本質的にはなんの意味もない。ところで、わが国では私を含めてほとんどの者が、現在のロシア→ウクライナの状況は、
わが国に関しては現実性のないよそ事や空想としか思えないだろう。しかし、原発の大事故に限らず、わたしたちが劣化した政治屋どもの不始末によって、似たような災厄に見舞われるのではないかということが、より現実性の感覚を増加させているように感じている。
この議員さんは、「戦後自虐史観からの脱却。」とおっしゃってますが、統一教会はその自虐史観を逆手にとって日本人信者に献金とそのことによる不幸を強いてきています。ということは、統一教会と強いタッグを組んできた(安倍)自民党は、その「戦後自虐史観」の実践者そのものです。どうゆうことやねん!?
ネトウヨ、ネトウヨ評論家たちは、今新たな局所系の「敗戦」の状況に直面しているという自覚があるのだろうか。つまり、大多数の普通の人々には関わりのない「敗戦」。何が「美しい国」だ。「普通の日本人」だ。ダーティーばかりじゃないか。 #ネトウヨの敗戦
2022/09/30
現代短歌bot@gendai_tanka
あかねさすGoogle Earthに一切の夜なき世界を巡りて飽かず 光森裕樹
現在のGoogle Earthでは、現在の刻々と変化していく地球上の動的把捉・表現にはなっていないから、「夜」の表現はない。Google Earthに出会った頃私もまた「世界を巡りて飽かず」だった。「あかねさす」という枕詞は、光りが差して輝くという意味の他にここまで来たという人類の時間を意識させているか。
二昔前の高度経済成長期以前の社会には、まだ柳田国男の描いた『遠野物語』の世界に近く、あの山越えると異世界という感じが残っていたと思う。人は自分に身近なことが中心で、仕事は苛酷でも割とゆったりした時間が流れ、社会に非道もあったろうが、物静かな感受や考え。
慌ただしい現在とは対照的で、しかももはや戻れない世界。人間の自由度は、二昔前よりは現在の方が増してきていると思う。しかし、生き難さも増している。ただ内省としてなら、慌ただしい流れるような現在の時間感覚の中に、自分なりの安息の場所や安息法を生み出せるのかもしれない。
2022/09/16
今「2022年版 Youtuber年収・収入ランキング(162111人)」を見てきた。一般に、チャンネル登録数が100万人を越えると収入が1億円になりそうだ。うーん、消費資本主義と広告産業中心社会のもたらすふしぎな光景。
ユーチューバーって、個人経営の芸人みたいな者か。自分の割と好きなことを気楽そうにやりつつ、稼ぐためには熾烈に芸を生み出さなくてはならないハードさがありそう。だから、好きなことを気楽に無心にやっているわけではない。
三木成夫-吉本隆明によれば、顔には、考えや思想ではなく主要に内臓感覚からくる情動が結びついている。その情動の型が刻まれているのだろう。しかし、その顔を見る者は、その者の考えやイデオロギーなどがイメージに抽出され、その顔に付加され、好き嫌い中性として見るようだ。
顔といえば、北大路欣也(もちろん、演者、俳優としてであるが)はいいなあと思っている。最近のでは、『隠密奉行朝比奈』、『三屋清左衛門残日録』。物語世界ではあるけど、当然演者の個性も顔に付加されているのだろう。『三屋清左衛門残日録』は今年もあるようだ。
あたらしい短歌bot@tankabot_1980
煙草いりますか、先輩、まだカロリーメイト食って生きてるんすか 千種創一
煙草いりますか、/先輩、まだ/カロリーメイト食って/生きてるんすか (『砂丘律』2015年)
字余り等あるが、音数律はまだ意識されているようだ。「普通の会話」が歌になるようになった。タバコと書かずに煙草と書いたのは何かあるのかな。
2022/09/17
死の短歌bot@shi_no_tanka
将来の死体三十七体をしずかに納める教室である/佐藤羽美
文学(歌)は、倫理を超える。つまり、差し障りの多い人と人とが関わり合うこの人間社会では、私たちは表出や表現を抑制することがあるけど、文学はストレートに言おうとする。作品を倫理的に裁断しても仕方がない。ただ、誰にもあり得るが、こんな冷たい空想の視線は現実から浮遊している。
上の歌は、作中の〈私〉も教室内の37人の生徒たちに含まれているのだろう。これと似た視線のものがある。
もしわたくしが怪獣ならばどの子から食おうかチビッコ相撲を観つつ/佐藤羽美
2022/09/18
「九州の皆様、台風に本気で備えてください。」とかのアドバスや心配はありがたいけど、ある程度の対策を取ったらもう後は台風さん任せで、なんとか弱気になってねとか、逸れてくれていいよとか、こちらは願うほかありません。残念ながら、台風を弱めるとかの制御力を人間はまだ手にしていません。
成田悠輔って、最近テレビで見かけた。以前、ツイッターで出会って名前は知っていた。著書はまだ読んでいない。先日ツイッターの宣伝で紹介されていた「半熟仮想」というのは冗談言っているのかと思ったら彼の会社名だった。彼も「テレビ学者」の仲間入りをしているのかな。
「テレビ学者」もいいけど、テレビという媒体は問題をとことん掘り下げることは難しい気がする。例えば、今まで少し期待してEテレの「100分de名著」をいくつも観たことがあるけど、まあそんなものかと思ったことがほとんどだった。「テレビ学者」たちは、テレビの温沼から抜け出せるのだろうか。
このTLでも時々アメリカインディアンの言葉に出会う。昔々は、この世界の成り立ちやこの世界での人の振る舞い方・生き方についての知恵の言葉は、10にも満たないようなわずかでシンプルなものではなかったかと思う。それが、現在ではあらゆる分野が細分化してチマチマした細分化言葉になってしまっている。
もう直接に昔々の芯があり、深みのある、わずかなシンプルな言葉自体には戻れそうにないが、それを汲み現在の言葉の芯に生かすことは大切だと思う。それは、例えば医療でも教育でも、あらゆる分野で言えそうだ。
2022/09/19
現代短歌bot@gendai_tanka
受話器まだてのひらに重かりしころその漆黒は声に曇りき 大辻隆弘
作者は、あの黒電話の重たい受話器の世代のようだ。しかし、この作品の時間では受話器は軽く変わっている。なぜかわからないが、ふと目をやったら受話器が声に曇っているのに気づいた過去の場面が想起されている。これは作者がある時代性を生きてきたことの象徴表現と言えるかもしれない。
2022/09/20
国葬は、反対でいいんだけど、もっとはっきり言えば、今どき「銅像」を建てたり、前方後円墳を造るみたいに「国葬」したり、時代を読み間違っているんだよな。そして、コロナや正規非正規・貧困問題などの時代の最優先課題を避けてばかりのわき見政治。クソッタレ。国葬なんてどうでもいいや。
2022/09/23
統一教会の勅使河原秀行の言ったという「左翼弁護士」って、ネトウヨ的な罵り方というツイートが流れてきた。安倍晋三やネトウヨが自分に反対する者や自分がつまづいた小石にまで「左翼」と言ってののしることの始まりは、統一教会だろうか。その神-サタンの強固な二項対立から来た?
いつでもどこでも何についても、内部からの視線、言葉というのは大切だ。何が問題で、何に困っているのか。その文章の文体をたどっていけば、その人の心の有り様の前に立てるように思う。無料でアップされている洪蘭淑の『わが父文鮮明の正体 』を読み終えた。
あたらしい短歌bot@tankabot_1980
果てしない夜をきれいに閉じてゆく銀のファスナーとして終電 toron*
カッコ良くできたなという作者の思いがあるかどうかは別にして、この作者の視線は、斜め上空だろう。果てしなく広がる夜を「銀のファスナー」である明かりの付いた終電が閉じていくよという歌か。地上の人の高さの視線では思いつかない歌の位相。しかし、大都市では街の明かりが多そうに思うけど・・・。
↓
河野裕子の歌に滋賀県の琵琶湖を歌った歌があるのを思いだした。
たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
これも、作者の視線は斜め上空だろう。
↓
電車つながりで、電車の中の人の高さの視線から表現したtoron* の作品がある。
花びらがひとつ車内に落ちていて誰を乗せたの始発のメトロ
2022/09/25
現代短歌bot@gendai_tanka
泣くという音楽がある みどりごをギターのように今日も抱えて 俵万智
うーん、幼子はよだれを垂れもするし泣きもする、神のような位置にある母親はそんな無力なわが子にやさしく対応する(?)、そんなありふれた生活感が、少し昇華されすぎているような感じがする。わかりやすく言えば、飾られすぎた歌になっている。
現代短歌bot@gendai_tanka
おめんとか
具体的には日焼け止め
へやをでることはなにかつけること 今橋愛
わたしも覚えがあるから言うのだが、この歌は、概念的な思想(考え)を述べるのが主で、歌を理屈っぽくしている。わたしなら、例えば、
日焼け止めをしっかり塗って
素顔から
お面を付けた気分へ ドアを押す
2022/09/26
長らく、老年層が多い、あまり活動性がない日本会議系-変質自民党政権と見ていたが、安倍晋三政権を中心とする統一教会との強力なつながりは想像できなかった。「国際政治学者」は想像できていたのだろうか。実質は、大同団結の統一教会-日本会議系-変質自民党政権だった。
ネトウヨは、わかっているのだろうか。日本は韓国に奉仕せよという統一教会(の考え方)を受け入れるということは、自らがわが国の過去の戦争への謝罪を「自虐史観」と批判してきたが、自分たちネトウヨこそ「自虐史観」(奉仕=謝罪)を受け入れているということを。
生きながら水族館の薄闇でおでこをさすりあうのはいいね 谷川電話
「おでこをさすりあう」相手は、恋人ではなく水族館の生き物だろうか、よくわからないが、これを通常的な表現と見なせば、「生きながら」は全体にある重力を加えているように感じられる。言いかえると、少しだけ濃い意味の視線を加えているように見える。
人は、木や岩や画布などのただの物に形作られた人や世界にその生動を感じるように、言葉の幻には純粋さや邪悪さも含めて、人の心の感じ考え感動することの表れを感じる。このことにわたしはいつも驚くが、それは人間の誰もが持つ視線や感じ取る・表出する人間的な器ゆえである。
例えば、古今集の仮名序は、言の葉は人の魂を揺さぶる「言霊」を秘めているという認識である。もっとさかのぼれば、フォレスト・カーターの描いた『リトル・トリー』の世界のように、木々も語り人も木の言葉を聞くというような世界になると思う。そんな背景で描かれた物は生命力に満ちていたのだろう。
2022/09/27
死の短歌bot@shi_no_tanka
燃えながら人は死ぬのだ握ろうとしていた指のもろくこぼれる/福島泰樹
この「こぼれる」は、こわれる、破れるの意味の「毀れる」だろう。藤原新也の『メメント・モリ』(1983年)で、インドのガンジス川辺で死者を焼いている写真を見た記憶があるが、そうでなければこれは想像の場面を歌ったものとなる。詮無いことにも想像は駆けていく。
2022/09/28
ただバカバカしい思いだけで、ほんとにまったく関心がなかったけど、こくそう後のひと思い。やっぱり、ひとは平等に生まれ、途中煩悩の苦しい慌ただしいクソッタレだけどどこかいい感じもある人間界生活があり、やがて平等に死んでいくようなんだよなあ。
2022/09/29
RT
マコモの収穫
マコモから、万葉集の巻頭の雄略天皇の歌、「籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ・・・」を思い出しました。調べてみると、籠(こ)は、「竹や植物の蔓(つる)、針金などで編んだ器物の総称。かご。」とあり、こも(薦、菰)は、「 マコモを粗く編んだむしろ。現在は多く、わらを用いる。」
とあります。前者は当てられた漢字は違いますが、「こ」や「こも」は真菰(まこも)と関係あるかもしれないなと思いました。
最近は、クソッタレプーチンのごり押しの侵略やそのための国内への強権発動で、ロシアの民衆が抗議行動に出たり国外へ逃げ惑ったりしている。プーチンも一応民衆に選ばれたことになっているから民衆の支持は無視できないが、世界では依然として主人公の民衆力は潜在的を強いられている。
たぶん吉本さんが言っていたと思うが、世界権力は人類史の始まりにおいても現在でもその中心は平凡な普通の人々にしかない。それ以外の国観間のしのぎ合いなんて本質的にはなんの意味もない。ところで、わが国では私を含めてほとんどの者が、現在のロシア→ウクライナの状況は、
わが国に関しては現実性のないよそ事や空想としか思えないだろう。しかし、原発の大事故に限らず、わたしたちが劣化した政治屋どもの不始末によって、似たような災厄に見舞われるのではないかということが、より現実性の感覚を増加させているように感じている。
この議員さんは、「戦後自虐史観からの脱却。」とおっしゃってますが、統一教会はその自虐史観を逆手にとって日本人信者に献金とそのことによる不幸を強いてきています。ということは、統一教会と強いタッグを組んできた(安倍)自民党は、その「戦後自虐史観」の実践者そのものです。どうゆうことやねん!?
ネトウヨ、ネトウヨ評論家たちは、今新たな局所系の「敗戦」の状況に直面しているという自覚があるのだろうか。つまり、大多数の普通の人々には関わりのない「敗戦」。何が「美しい国」だ。「普通の日本人」だ。ダーティーばかりじゃないか。 #ネトウヨの敗戦
2022/09/30
現代短歌bot@gendai_tanka
あかねさすGoogle Earthに一切の夜なき世界を巡りて飽かず 光森裕樹
現在のGoogle Earthでは、現在の刻々と変化していく地球上の動的把捉・表現にはなっていないから、「夜」の表現はない。Google Earthに出会った頃私もまた「世界を巡りて飽かず」だった。「あかねさす」という枕詞は、光りが差して輝くという意味の他にここまで来たという人類の時間を意識させているか。
二昔前の高度経済成長期以前の社会には、まだ柳田国男の描いた『遠野物語』の世界に近く、あの山越えると異世界という感じが残っていたと思う。人は自分に身近なことが中心で、仕事は苛酷でも割とゆったりした時間が流れ、社会に非道もあったろうが、物静かな感受や考え。
慌ただしい現在とは対照的で、しかももはや戻れない世界。人間の自由度は、二昔前よりは現在の方が増してきていると思う。しかし、生き難さも増している。ただ内省としてなら、慌ただしい流れるような現在の時間感覚の中に、自分なりの安息の場所や安息法を生み出せるのかもしれない。