東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

「二見」の発祥の地は、三重県ではなく山口県!!

2020-01-12 12:09:02 | 2019_冬_JR東海未乗区間消化


 山口県のなーにもない田舎に住んでいたころからずーっと「二見の本家は、三重県」と思い込んでいたのですが・・・・国王様の同僚が「長門二見マニアになってしまったんです」とのこと。最初、その話を聞いたときは、山口の二見は本当に何もなくかなり田舎なんだけど、何か魅力であるんですか?と首を傾げてしまいました。全国的に「二見」は三重県の伊勢神宮と言われるほどとても有名ですが・・・実際は山口県の二見が発祥の地だったのです。

 これが本物の二見。

 これは、本物の二見を、三重県に移したもの。
 今から2千年前の大昔、神話時代の天照大神(あまてらすおおみかみ)に関係ありそうです。山口県の二見から三重県に移転するときに、二見に似たような風景を作ったと言われています。「長門二見マニア」が歴史の資料を読み漁ったり、本物の長門二見に訪ねては情報収集しているようです。
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二見浦から名古屋、「のぞみ」で帰京【完】

2020-01-04 00:01:21 | 2019_冬_JR東海未乗区間消化
 二見浦を出発した快速「みえ」号の停車駅は伊勢市・多気(たき)・松阪・津・(伊勢鉄道でショートカット)鈴鹿・四日市・桑名、名古屋。およそ100キロの距離を2時間。津から伊勢鉄道に乗り入れるが、運転士さんはJR東海。しばらくすると車掌さんが乗車券を拝見します。たぶん、伊勢鉄道がJR東海に委託し、乗車券の経由欄が「紀勢・津・河原田・関西」になっているか確認。JR全線乗り放題の青春18きっぷシーズンだと、JRから伊勢鉄道経由でそのままJRにつながるため、伊勢鉄道の運賃を取りはぐれてしまうので、ちゃっかり検札をしている。
 他に中間改札もなく、JRー私鉄ーJRは新潟県の北越急行ほくほく線。そのため、青春18きっぷをお持ちの方はほくほく線の運賃をお支払いくださいと車内のあちこちポスターで告知。青春18きっぷはJRのもの、そっくり北越急行ほくほく線はキセルのし放題になるので、ポスターよりも青春18きっぷシーズンのみ北越急行の社員が車掌として乗務し、検札したほうが早いのでは・・・。

 あっという間に名古屋に到着。

 名古屋駅が立派なJRタワーに生まれ変わり、高島屋やビックカメラ、ホテルも入っています。

 100年も永年保存が利く大府駅の熱転写MV機で発券した新幹線特急券で帰京。


 各駅停車の「こだま」が出たあと、「のぞみ40」号が入線。

 「こだま」なのに、JR西日本車両が東京まで各駅停車。(青いJRロゴマーク)始発から終点までJR東海なのに自社の車両を使わず西日本を借りて運用することはよくあるようです。

 18時12分・・・

 博多からやってきた「のぞみ40」号はJR東海車両でした。(オレンジ色のJRロゴマーク)

 あっという間に品川。ここで下車します。

 大府駅の熱転写MV機は令和元年になっても稼働しつづけ、7月あたりに昇天。令和2年現在、全国で熱転写タイプの乗車券を発券するところは皆無となりました。熱転写はM型マルスが出た1984(昭和59)年から2019(令和元)年まで35年間。
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二見浦を出発~!名古屋まで

2019-12-27 00:00:25 | 2019_冬_JR東海未乗区間消化

 多岐(たき)までの参宮線は初乗車です。

 松阪から先は・・・この乗車券。名松・紀勢と印字されているので、松阪で接続。津・河原田・関西と印字されているのは私鉄の「伊勢鉄道」通過連絡運輸。東京都内の中野駅でも買えているのは、伊勢鉄道は全国どこでも買えるそうです。どうやら、連絡運輸範囲や通過連絡運輸は、JRと私鉄、両者との取り決めで発券可能な駅を定めているようです。例えば、山口県の第三セクター、「錦川鉄道」は連絡運輸範囲内の駅で購入可能。範囲外の駅では発券不可。

 「長門二見」に住んで居た頃、「二見」の本家は三重県にあって、駅名は「ふたみのうら」駅なので、いつかは行ってみたいと考えていたのがン十年後実現。その頃、青ヶ島村は日本一秘境なので、行ってみたいと夢見ていたのがいち早く達成。伊豆大島から南下しながら片付ける方法ではなく、伊豆大島の次はいきなり小笠原、八丈島、青ヶ島・・・といったように南から北へ。

 山口県の二見でも似たような風景あったような・・・。懐かしいです。

 今もジローやふてにゃんが山口暮らしだったら、このような風景かも?

 ホームから駅舎側の眺め。

 ホームが長いのは、国鉄時代の名残。山口県の長門二見駅も、日中は1両のワンマンカーだけど、ホームは15両分?停まれるほど長い。SLの蒸気機関車が長編成の客車を牽引し、ホームに入線。駅員さんが「乗客なし」、「異常なし」、発車しても安全なのか指差し呼称。最後尾の車掌さんが駅員さんの合図を確認し、無線トランシーバーで「発車!」機関士さんの応答「ラジャー」ガクッ!客車を引っ張るときの衝撃。なーにもない田舎でも駅員さんが8人くらい駐在していた昭和30年代の光景。

「長門二見」はしばらく帰っていないので、今度は山口かも!?

 名古屋まで114.8キロ、快速の要所時間は2時間。特急券や急行券不要の「快速」と名乗っているけど、停車駅がとても少ないので「急行」に格上げしてもいいかも。

 「快速」みえは一部指定席だけど、運転席真後ろの席は自由席。ここのほうが特上席。
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山口県・長門二見の海も同じくらいかな

2019-12-18 00:03:03 | 2019_冬_JR東海未乗区間消化

 山口県の二見も日本海側にあり、このようなきれいな海が見られます。

 めおと岩の大きさだけは違いますが・・・。

 三重県なのに、沖縄の貝。

 な、な、なんと150歳生きた貝なんですかっ!!

 山口県の二見も、サザエが名産地。ときどき、伯母や親戚から送られてきます。

 山口県の二見に24時間営業のコンビニはないけれど、ここはありました!ファミリーマート。
 イートインコーナーでコーヒー休憩。

 「ふたみ」と刻印されているので、旧「度会郡二見町」のものかな。平成の大合併で現在は伊勢市に変わりました。山口県の二見も「豊浦郡豊北町」なのに、今は「下関市」。ここは下水道あり。山口県の二見は「無し」。田舎の度合いは、山口県のほうに軍配が上がっている。

 旧二見町役場が「伊勢市役所二見総合支所」。滝部にある旧豊北町役場も「下関市役所豊北総合支所」。

 駅に戻りました。

 改札口。無人駅なので、使用済み切符は入れてくださいとのこと。長門二見駅も同じようなものあります。

 JR東海では、無人駅に停まると車掌さんがちゃっかりと回収するので、そこにあった切符は1枚だけ。「河原田」と印字されているので、伊勢鉄道経由二見浦行き。

 夫婦岩をイメージしているのか天井は高い。

 ひなまつりの飾り方について。このような並びが正しいそうです。

 三色餅の由来。なるほどです。(平成31(2019)年2月撮影)
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二見夫婦岩へ

2019-12-09 00:00:00 | 2019_冬_JR東海未乗区間消化

 ずーっとまっすぐ歩けば、二見夫婦岩にたどり着ける参拝道。

 二見浦(ふたみのうら)駅のホームがとても長かったので、昔だったら、多くの参拝客、そして宿泊客も行き交っていたに違いない。
 山口県の何もない長門二見駅も国鉄時代に駅前旅館もあった。

 もう少しで夫婦岩です!

 山口県の二見は国道191号線の海岸沿いにあって、道路下に険しい夫婦岩がそびえ立つ風景なんですが、ここはほとんど平らなところでした。

 参拝道の途中にあった、建物。

 入館料300円でした。

 あと、もう少し!

 鳥居を潜ると・・・

 本家の夫婦岩。山口県の二見に比べると、少し小さめでした。

 ちなみに山口県の二見はこのような風景です。昔はちゃんとした縄を毎年1月2日、二見の青年たちが褌姿で真冬のつめたーい海に入る「みそぎ」をしてから、縄を張り替えていた。しかし、縄を張り替えられる青年たちが高齢化になっているし、過疎化に伴い若い青年も少なくなっている。亀裂した岩から崩れ落ちるなどの現象も見られ、160年続いていた伝統行事の存続の危機に見舞われています。2017(平成29)年から毎年1月2日続いていた縄の張り替え行事は中止。10年は耐えられるポリエステル製に変更しているので、正しい縄の色ではありません。

 ・山口県・二見夫婦岩の注連縄張り(動画)

 素潜り名人のジローさんが人間だったころ若かった頃、真冬でも参加するつもりはあったんですけど、コミュニケーションの壁もあってか、1度も声をかけられなかったとのこと。音声中心で作業を行うので、身振りで指示するのはやはり限界があったかも知れません。
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二見の参拝道

2019-12-01 00:00:01 | 2019_冬_JR東海未乗区間消化

 JR二見浦駅のホームはとっても長かった。大昔は何両も連なった汽車がやってきて、参拝のために大勢の方々が降りていかれたということは想像できますが、今回はがらーん。


 途中で見かけた無人販売所。立派な野菜なのに100円なんて安すぎます。

 山口県もこういう岩が見られます。本家の夫婦岩を肖り、「二見」という地名を命名したのかどうかは不明ですが・・・。

 二見でも宿泊できるところあり!!

 閑散とした通り。

 夫婦岩までのマップ。

 ひな祭りシーズンなので、店舗先にひな壇が飾られています。


 お土産ショップ。
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故郷の「長門二見」と本家の「二見浦」比較

2019-11-23 00:00:00 | 2019_冬_JR東海未乗区間消化
 故郷は山口県の何もない超ど田舎の「長門二見」駅前。国鉄時代に遡ると有人駅。郵便局も近所だったし、切符や切手、海などの原点はそこにあったかも知れない。もし、鉄道や郵便局、海とは無縁な土地だったら、今頃は違う趣味に走っていたかも知れない?
 全国の「二見」を行脚することを目標を立てたのはかなり昔なのに、「二見」の本家、三重県はなかなか実現できなかった。まず、制覇したのは1997(平成9)年、小笠原の父島にある「二見港」。その次は、2018(平成30)年の9月、奈良県の大和二見。友人のお取り計らいで「大和二見」で宿泊するプランを計画してくれました。
 
 ・大和二見駅

 その半年後の2019(平成31)年2月、やっと本家の「二見浦」に訪ねたわけでーす。次は、熊本県の肥薩おれんじ鉄道に転換した「肥後二見」駅か!?JR九州時代に訪ねればよかったのに。


 大和二見駅は階段無し、こちらは長門二見駅と同じく階段あり。

 2月なので、ひな壇が飾られていました。

 JR全線きっぷうりばがあって、「二見浦駅MR発行」と印字された乗車券をネットで見かけたことはあるんですが、2011(平成23)年4月1日から無人駅化。

 改札の外でも、ひな壇。三重県の二見って、おひなさまの町!?

 閉鎖されたきっぷうりばのシャッター。全国の「二見」が付く駅はすべて無人駅。寂しいですねぇ・・・。

 駅舎は1993(平成5)年に建て替えられたもので、夫婦岩をモチーフにしたもの。左は男岩、右は女岩。

 全国の二見で立派な看板が付いているのは、ここだけ。

 ここから徒歩で本家の夫婦岩へ参拝。

 山口の二見はとても寂しいところだけど、ここは民家が多く建っています。
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ついに長年も念願だった、「二見」の本家へ

2019-11-15 00:00:00 | 2019_冬_JR東海未乗区間消化

 永年保存が利く、中野駅MV5発行の熱転写インクリボンで印字された乗車券。なぜか、中野駅の北口や南口すべて旧式の「熱転写タイプ」が設置されていました。航空券も昔は国内線であっても上質な用紙に熱転写インクリボン。まず、航空会社がコスト削減のため、インターネットで予約したもので自宅にプリンターを持っていれば、QRコード付きのを印刷して持参。プリンターを所持していない方は、マイレージカードを空港の発券カウンターまたは券売機で引き換えが可能。そのときに出てくる航空券は薄っぺらな感熱タイプ。鉄道業界も2006(平成18)年頃から新しい端末(日立のMR32または沖電気のMEX)に更新するタイミングを見て感熱タイプに切り替え。

 JR東日本管内で最後の最後まで残っていた熱転写タイプは 東北新幹線の七戸十和田駅。
   →2019(平成31)年3月15日頃 撤去。
 「元号」が平成のうちに、JR東海を除いてJR5社がすべて熱転写は全滅。
 ただ、JR東海は5月1日からの「令和」に突入しても、東海道本線の主要駅では熱転写のMV35が稼働している駅があった。 
 ところが2ヶ月後の7月あたりから更新が相次ぎ、全国で最後の最後まで残っていたのは焼津駅。
   →2019(令和元)年8月30日 撤去。
 お別れを惜しむため、熱転写ファンの方が記念発券に訪ねる方が多かったとか・・・。

 近鉄の鳥羽駅は自動改札機がずらりと並んでいるのに、JRの鳥羽駅は昔ながらの改札ラッチ。みどりの窓口のすぐ横に改札口なので、改札チケッターを入れてもらいました。3段目の「D」はDay-Time(昼間の10時から15時の間)。「M」はMorning、つまり始発から10時まで、「E」はEvening(夕方~終電)

 ここまで来るときは近鉄線、ここから初めての乗車となる参宮線。

 乗り心地やスピードは特急並みなのに、「快速」にしているのは近鉄線と競合しているため、特急や急行料金を徴収しないので、そちらに乗って欲しいということでしょう。

 キハ75を製造して第1号機。キハ75 1。新しそうに見えても、実際は1993(平成5)年製造なので、もう30年近く・・・失礼、26年でした。

 このあたりはすごい入り江なので、鉄橋を渡るときは左右とも海。

 鳥羽を出ると、(臨)池の浦シーサイド、その次は松下、二見浦なのに、2駅とも通過。

 山口県のなーにもない超ど田舎の「二見」の本家に着きました。山口のほうは三重県の夫婦岩に似ている岩があるのでそれをあやかり、「二見」という地名。その後、鉄道の線路が敷かれ、大正14(1925)年「長門二見」駅が出来た。二見の本家、「二見浦」駅は1911(明治44)年開業なので、山口県より歴史は古い。

 山口県の長門二見よりは立派。駅に降りるなり、写真を撮っていたら、車掌さんが私に駆け寄り「きっぷを回収しまーす」えっ!?ここ無人駅だったのかい!?昔、本家の二見を調べたところ、みどりの窓口があってマルス端末もあったはずなのに・・・。「すいませーん、記念に持ち帰ってもよいですか?」ちらっと確認し、「はい、どうぞ!」。中野駅発行の熱転写なので、遠くから来た変なオタク。つまり、再利用の恐れがないと判断していたかも。

 山口県の二見はノロマでまどろっこしいキハ40や47なのに、ここは特急並みの走行が可能なキハ75。

 行ってしまいました・・・。

 山口県の長門二見駅もこういう階段があります。ちょうど地下に潜るような感じに・・・。

 踊り場も同じですね・・・。
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イルカ島

2019-11-04 00:00:00 | 2019_冬_JR東海未乗区間消化

 イルカ島と言われていますが、正式名称は「日向島(ひなたじま)」。イルカだけが住んでいて、日常生活を営む住民は居ない無人島。1959(昭和34)年に「イルカ島海洋遊園地」を開業し、島全体が遊園地となっているので、レジャー施設となっています。

 有料でイルカのタッチング。私は参加していませんが、遠巻きで観察。イルカくんは人間に飼われているので、飼育員の言うことに従い、行動。小笠原や御蔵島のイルカくんは野生なので、触ったりすることは厳禁となっています。人間だって面識のない人にタッチングされるのもイヤだと同じ気持ち。

 ミニ水族館があったので、そこへ行ってみました。

 見ているだけでも癒やされます。

 皮膚についた有害物質を食べてくれる、ドクターフィッシュ。

 もし、水虫ができたら、本当に食べてくれるんでしょうかねぇ・・・。

 他に見所がないので、そそくさと撤退。船の改札係が「えっ!もう帰るんですか?これからイルカのイベント盛りだくさんですけど?」と本日のイベントスケジュール表に指さし。苦笑いしながら(乗ります)とアピール。

 さすがに帰るのが早すぎたのか、ガラガラ。

 ちょうどお昼時なので、何を食べようかな~。

 ここのお店のおすすめはジャンボ海老フライ。「あの~、これ!」と写真に指さし。

 さっそく運ばれてきました!!ぷりぷりとした海老の食感が美味しい。ごちそうさまでした!

 今度の目的地は、山口県のなーにもない漁村、「長門二見」の本家へ向かいます。今から半世紀前・・・50年前の長門二見は住民がわんさか~いて、二見小学校の児童数もかなり多かった。國鐵の長門二見駅も駅員さんが24時間体制で8人も駐在。昭和39年の復刻版時刻表を確認すると、下関方面の始発は3時47分、京都からの811レ。長門市方面の最終列車は0時41分、門司から米子行きの812レ。811レの「レ」は客車を牽引する機関車を意味します。当時はD51蒸気機関車、1日かけて走破する長距離列車なので、寝台車も連結。街を形成していたのに、現在は100年以上の歴史を持つ二見小学校が児童数が減少し、数年前に廃校。空き家も多くなり、すっかり過疎地に。このままでは二見が廃れてしまっては困ると、いとこが海辺の小さなレストランの「シーフレンズふたみ」開店。
 小笠原の二見港がある集落は旧東京府小笠原島大村という自治体があった。「大村」の地名をそのまま引き継がれ、現在は小笠原村役場をはじめ、郵便局、観光協会、数だくさんの飲食店、宿泊施設など経済の中心地。ゴールデンウィークやお盆、年末年始のハイシーズンだと大勢の人が行き交う場所。
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鳥羽周辺で暇つぶし・・・

2019-10-27 00:00:00 | 2019_冬_JR東海未乗区間消化

 JR参宮線の終着駅、鳥羽駅。しかし、近鉄はここから志摩線になり、24.5キロ先の「賢島」まで線路は続く。

 駅舎は近鉄がメインのようでJRはおまけ、という感じ。

 1時間に2本。極端に少ない、というわけではなさそう。

 今となっては懐かしい、改札ラッチ。JRで初めて自動改札機が導入されたのは、1991(平成3)年、東京山手線内の各駅。新宿、渋谷、池袋・・・ひっきりなくお客さんが改札を通過する際に駅員さんはリズミカルにきっぷを切ったり、降りていかれるお客さんのきっぷを回収。(首都圏全駅の運賃を覚えるなんてスゴ技)首都圏に自動改札機を導入するとともに発売されたのは「イオカード」。裏面は印字できる磁気データが入り、そのまま自動改札機に投入し、出るときも投入して受け取る。そのときに運賃が精算され、裏面に残高が刻印。あれから10年目の2001(平成13)年11月1日からIC交通系カードのスイカデビュー。イオカードは残高がなくなれば使い捨てだけど、スイカはチャージすれば何度も使える。環境も良いし、イオカードは2006(平成18)年を最後に廃止。使いかけや未使用のカードは、イオカードが使えた首都圏の自動券売機で現在も利用可能。きっぷの右下に「イ」と印字。

 近鉄の出入口。こちらがメインのようです。ちなみに近鉄は自動改札機がずらりと並んでいました。

 鳥羽に来た最大の目的は・・・鳥羽から多気(たき)までのJR参宮線完乗を目指すところだけど、鳥羽に着いてJRで引き返す、というのはもったいない。何か観光できるところは・・・とマップを眺めると水族館、イルカ島がこのあたりの観光名所。水族館に入ると、時間を忘れてしまいそうなので、とりあえず、イルカ島へ。

 きっぷを購入して乗船!!昔懐かしい改札パンチで入鋏してもらったんですけど、もう長年も使い続けているから摩耗。今の時代、改札鋏を製造するメーカーなんて1社もないし・・・。硬券に日付を入れるダッチングマシンも昭和40年代に製造されたものなので、十の位が4,5,6,1,2までは用意しているが、3がない。昭和および次の元号はどうなるかと当時のダッチングマシンのメーカーは予測していたようですが、平成は30年も続きました。3の代わりに西暦の18、19に更埴。令和時代になっても、まだ使い続けているところは「1」に戻しているようです。

 久々の海でーす。


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近鉄線で鳥羽へ

2019-10-15 00:00:00 | 2019_冬_JR東海未乗区間消化

 伊勢奥津駅は無人駅なので、切符を載せるのを失念したまま松阪へ・・・。連続1は久里浜から伊勢奥津まで、連続2は伊勢奥津から東京都区内までの連続乗車券になっています。一般の方は、こういう連続乗車券を求める人はあまりいないかも知れませんが、A駅からB駅まで、B駅からC駅までといったように、別々に買うよりも連続乗車券のほうがメリットがあります。
 
 メリット1  1枚目と2枚目の有効期間を合算されるので、8日間有効になる。
 メリット2  万が一旅行中止になった場合の払い戻しは、1枚目と2枚目で1セットなので、220円で済ませる。


 松阪駅はJR紀勢本線と近畿日本鉄道が同居しており、表玄関口の改札口はJR東海、反対側は近鉄の改札口。裏面が磁化券の切符はどちらも自動改札機は対応。近鉄は交通系ICカードの全国相互利用サービス対応なので、suicaで近鉄の改札にタッチ。

 近鉄は大阪・奈良・京都・三重・愛知の2府3県を抱えており、民鉄のなかで最長の路線。ここからでも大阪に行ける。国鉄が名松線を名張まで開通させようと思ったところ、近鉄さんに先を越されてしまい、伊勢奥津から名張間は未着手のまま現在に至っています。


 ここからでも名古屋に行けるんですか!特急なら特急旅金がいるけれど、急行は無料。名古屋まで1290円、急行の要所時間は1時間半。対抗する、JR東海の快速みえ(快速なので、急行料金無料)号は伊勢鉄道の通過連絡運賃込みで1690円、要所時間は同じく1時間半。乗車時間は同じでも運賃が安いのは近鉄。ただし、JRは遠距離逓減制もあるので、松阪から遠距離乗車券はJRのほうがお得になるケースあり!

 私が乗るのは次の、急行、五十鈴川(いすずがわ)行き。

 来ました!!

 路線により、ボックス席やロングシート席にすることも可能。

 終点、五十鈴川駅到着。6両編成からローカル仕様の2両編成に乗りかえ。


 賢島(かしこじま)行きだけど、あくまでもJR東海の未乗区間を片付けるため、鳥羽で途中下車。

 鳥羽駅も、JRと近鉄の同居駅。

 改札口は、JRと近鉄、別々でした。他社でキセルされる恐れもなく、ちゃんと清算もできるので、そのほうが良いです。他社でキセルされるってどういう意味ですか?と思われたかも知れませんが、松阪から鳥羽まで近鉄線で600円。JR線は680円。共同使用駅の松阪駅で近鉄線600円の切符でJRに乗り、鳥羽も、もし共同使用駅だったら、80円浮かすことができる。近鉄が儲かって、JRは0円という事態になりかねない。
 小湊鐵道の五井駅改札はJRと小湊と共同だけど、大きな問題あり。JR東日本はタダで乗り、改札内の小湊線チケットを購入するキセラーの温床となっている。JRと民鉄、ちゃんと別々にしてそれぞれ改札および精算を受けるべきです。JR西日本は、ローカル線の中間改札(姫路駅、加古川駅、和歌山駅など)が徹底しているのは、本社が少しでも取りこぼしは許さない商人の街、大阪だからでしょう。
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せっかく松阪に来ているのに・・・北海道ですかい!?

2019-10-06 00:02:26 | 2019_冬_JR東海未乗区間消化

 うわーっ!!広すぎる部屋。シングルなのに、幅の広いダブルベッドなんですかっ!!宿代はかなりリーズナブルな価格、贅沢すぎる。

 全国チェーンの東横イン、コンフォートホテルはバリアフリーに徹底しているため、どこに行っても客室に字幕を出せるテレビを設置しているので、安心して利用できるけれど、今回は違うホテル。リモコンをチェック。「三菱」のロゴマーク。かなり昔、ホテル仕様の三菱テレビのことで揉めたこともあり、新しい三菱テレビはホテル仕様であっても、「字幕」を出せるように変更してくれたようです。(地上デジタル黎明期の古い三菱テレビを置いてあるところは100%出せない)だったら、最初から、聴力障がい者も利用することを想定しろっつーの!!

 字幕の表示確認。よし、OK!

 ホテルの部屋から見える松阪市内の風景。

 松阪に来ているのなら、名物の松阪牛にしましょうか!?と迷いもありましたが、歳を取ると昔みたいな積極さも減少し、「面倒くさい」と思うことが多くなり・・・

 看板手前の北海道らーめん店。

 炭水化物だらけだけど、今日だけの贅沢。

 ホテルに戻って、みんなの手話を視聴。とても有名なミヤケさんに教えている先生が、ろう者の方でヨングク先生なんですよ!!

 「俺のことをヨングクって呼んでいるのはお前だけだ!!」以前、言われているんですけど、大ブレイクした韓国ドラマの冬のソナタ。顔や雰囲気もよく似ていて、「ヨングクさーん!」と名付けてしまいました。冬のソナタは2002(平成14)年。あっという間にもう17年前になりますかね・・・。手話の表現も本当に豊かで、手話語りも魅了してしまうほどの持ち主。番組でたまに紹介されていますが、ヨングク先生は飛行機が大好き。要は航空ファン。

 翌朝・・・朝焼けです。

 朝食会場は最上階。

 バイキングではなく、配膳方式。

 ごちそうさまでした~。ホテルをあとにして向かった先はJRではなく近鉄の松阪駅。伊勢方面に行くのに、JRと近鉄、競合しており、行きは近鉄、帰りはJRといった具合に、行きと帰りとは別ルート。この方法を教わってくれたのは時刻表博士の友人。単に行って戻るのは面白くない。別のルートがあれば、それを使う。名松線も行って戻ってくるのはなく、別ルートも考えましたが、他に手段がないので、往復はやむを得ない。
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駅前の観光案内交流施設

2019-09-27 00:00:00 | 2019_冬_JR東海未乗区間消化
 伊勢奥津駅の駅舎は新しく生まれ変わっていますが、その隣に伊勢奥津駅までの復旧工事が着手した翌年の2014(平成26)年、汽車でやってきた観光客を呼び寄せるため、津市が「観光案内交通施設」を建築。つまり、「市」の公共施設。

 この建物の中に「名松線を守る会」の写真が展示されているので、無料で見学可能。
 熱心に見てたら、スタッフの方が温かい淹れたての緑茶をテーブルの上に置き、「どうぞ」。とっさに、ありがとうございます。とおじぎ。
 私のことを伊勢奥津、という辺境なところに汽車で来た、変な人だと思われたかも知れませんが、そのような温かいおもてなしは嬉しいです。ありがとうございます!
 初めて青ヶ島に行ったのはちょうど20年前。現在みたいにインターネットのなかった時代。今だったら、青ヶ島が有名になりすぎて観光客はどっと押し寄せる時代だけど、20年前は観光客が来るってことは滅多にないらしい。何もない青ヶ島に観光で来るなんて、あんたらは変わってるのう・・・と温かいおもてなしを受けたこともありましたしね・・・。

 置いてあった雑誌。

 伊勢奥津はかつて、宿場として栄えていたとのこと。道理で駅前に古くて貫禄のある建物ばかり。
 「あのー、この雑誌今でも販売していますか?」
 「ごめんなさい、もう在庫切れなんです」

 今はJR東海の新しい車両(といっても20年前)のキハ11だけど、国鉄時代の雰囲気がとてもよかった。

 JR東海では硬券が全滅したはずなのに、復活なんですか!?硬券(こうけん)とは昔ながらのボール紙でできた厚みがあって硬い切符。昭和62(1987)年、JRに移行した直後は全国の至るところにありましたが、消滅したのは1992(平成4)年頃。硬券に代わるものとして、オフラインの乗車券印刷機のPOSを配備。ハードディスクに全国の路線や運賃を収録し、売り上げの管理もコンピュータがやってくれる。硬券だと、額面ごとに1日何枚売れたか、裏面の通し番号を見て確認し、赤鉛筆で印をつけて、この日の収益を手作業で計算。売り上げた金額と、枚数を一致しなければならず、かなり大変な作業だったに違いない。
 硬券に日付を入れる機器は「ダッチングマシン」。窓口で行き先を告げ、乗車券棚からさっと取り出し、ガチャ!とダッチングマシンにスライド。
 すっと差し出し、「190円です」お客さんがどんな金券を出すか、視線はお財布。伊藤博文の千円札だったら、そろばんでパチパチ。硬貨ケースから小銭をお返し。国鉄時代の窓口は硬券を収納する棚、ダッチングマシン、遠距離きっぷを売るための手書き用補充券、指定席券を発売する補充券、黒電話、そろばん、赤鉛筆、硬貨を入れるケース、駅名のゴム印ケース、紙幣を収納する引き出し。今はもうすっかり無人駅だけど、私が子供のころ何度も改札を潜った小さな駅は朝3時から夜の23時まで駅員さんが駐在。ところが今は合理化が進み、駅の無人化や「みどりの窓口」も縮小し、顧客が自ら操作して発券するマルスを兼ねた券売機なるものを増やそうという動きがある。 

 これから松阪に戻りまーす!
 途中の家城駅で、学校帰りの野球部員がたくさん乗ってきたため、撮影できず。後で知りましたが、三重県立白山(はくさん)高等学校。春や夏の県大会で初戦をなかなか突破できない弱小校だったのに、2018(平成30)年の夏、甲子園出場。部員が9人以下という状況が続いたのに、甲子園出場はかなり奇跡だと言える。

 松阪に戻りました~!

 駅舎は国鉄っぽい雰囲気ですね。

 今夜の宿は、この駅前ホテル。
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伊勢奥津駅周辺

2019-09-18 00:00:00 | 2019_冬_JR東海未乗区間消化
 2019(令和元)年9月17日。猛烈な台風15号が去ってから1週間経ちますが、千葉県の各地では懸命に復興中です。県内で未だに6万軒も停電中です。わが市内も、停電エリアが広域に及んでいましたが、現在は数千軒に減りました。倒木の処理などで作業量が増え、完全復旧は27日を目途にしているようです。1日でも早く復旧できますように。
 JR久留里線を除き、県内のJR線は復旧できました。小湊鐵道も大正、昭和、平成、令和の1世紀も続いている駅舎。大正時代の建築物はとても頑丈に建てられているので、駅舎は無事。しかし、瓦が剥がれ落ちているところもあります。上総山田駅まで列車での運転、上総山田から里見までは電気や通信回線が損傷している箇所が多く、バス代行。里見から先は山岳路線になり、復旧の見通しが立っていません。
 名松線も、2009(平成21)年10月8日の台風18号により、家城~伊勢奥津間のおよそ40箇所で土砂崩れや路盤流出が生じ、2016(平成28)年まで全線運休。不通区間はバス代行。2009年といえば、ちょうど10年前です。
 JR東海さんが家城~伊勢奥津間を廃線にしてバス代行にしようと考えていましたが、沿線の自治体が鉄道を存続させたい。2011(平成23)年、JR東海、津市、三重県の三者間で協定書が締結され、復旧工事。

 そのような長い歳月をかけ、鉄路が災害前の姿に戻れました。本当はずっと先の名張まで鉄路は続く予定でした。

 左側に見えるものは・・・

 蒸気機関車に水を補給する「給水塔」です。ずっと昔、蒸気機関車がここまでやってきて、水を補給。

 駅前の懐かしい風景。

 1985(昭和60)年からタバコは民営企業の日本たばこ産業株式会社に移行、塩も1997(平成9)年から塩専売制度が廃止。その2年後の1999(平成11)年から青ヶ島の名産、ひんぎゃの塩製造開始。昔は、タバコや塩を国営で売り、民間で製造や販売したら法律で罰せられていました。NHKドラマの「まんぷく」も戦後、国の役所に製塩業認可を出すなどのシーンが出ていましたが、勝手に塩を作って販売してはならない法律があったため。青ヶ島村の「ひんぎゃの塩」は塩専売制度が廃止され、ひんぎゃの熱で塩の結晶を作る発案者はとても素晴らしい。昔は村の事業だったのですが、現在は「株式会社青ヶ島製塩事業所」。社長さんは、ブログでお馴染みの「お山さん」。

 昔は、生活百貨用品も販売。どんな商品が売られていたか気になるところ。

 これは・・・

 駅前の旅館だったのですか!?レトロっぽさ雰囲気を味わいたく、泊まってみたいんですが、あいにく松阪駅前のホテルを予約。
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名松線の終着駅

2019-09-05 00:00:00 | 2019_冬_JR東海未乗区間消化
 名松線は、もともと三重県名張市と松阪市を結ぶ鉄道路線として敷設する計画が出ていました。しかし~、近鉄さんに先を越されてしまったので、1935(昭和10)年、松阪から伊勢奥津間を開通させたまま、延伸予定は無くなった。中途半端な形で鉄路が途切れてしまいました。
 千葉県市原市の私鉄、「小湊鐵道」も、1913(大正2)年、五井から安房小湊まで敷設する計画が出ていることから社名を「小湊鐵道」と命名したというのに、途中で挫折。1928(昭和3)年、上総中野まで開通させたのはよかったが、安房小湊までは険しい山間に阻まれ、1936(昭和11)年に安房小湊までの計画は取消。小湊まで行かないのに、「こみなと」鉄道。ディーゼルカーも国鉄のキハ20をモデルにしたもので、「令和」になっても、昭和のレトロっぽさ雰囲気が漂う。小湊鐵道バスは交通系ICカードが使えるのに、鉄道駅に導入するのは頑なに拒否している。小湊鐵道自社線は無賃乗車でもされると困る!!とまめに乗車券を確認するけれど、JRから乗りかえてきたお客様のJR切符を確認できていないこと。
小湊鐵道も改札システム整備せよ」2013(平成25)年11月の記事。あれからもう6年前ですかね・・・全然進歩無し。

 国鉄「木原線」も内房線の「木更津」と外房線の「大原」を結ぶ鉄道として西側の久留里線と連結する計画で敷設したのに、上総中野から上総亀山間が空白。木原線は小湊鐵道に連絡する形で連結させ、1987(昭和62)年JR東日本に継承。ところが、わずか1年後の1988(昭和63)年から第三セクターの「いすみ鉄道」に転換。


 ついに終着駅に到着。運転士さんは運賃箱のところで運賃収受、または集札。「あの、すいません。記念に持ち帰りたいんですが・・・」と久里浜 → 伊勢奥津 の乗車券を提示。「はい、いいですよ!ありがとうございます」本当は無効印やパンチ穴の代わりに、「(済)乗車記念」とか手書きで記入してもらえばいいですが・・・。


 国鉄型の古いキハ40だったら、インスタ映えするはずだけど、キハ11は1999(平成11)年製造。

 同業者(=鉄オタ)がいっぱい!

 ここでも、県庁所在地の「津市」。

 「津市」になる前は、三杉町??と思い、調べてみたら、もともとは「三重県一志(いちし)郡三杉村」。津市に合併し、津市三杉村と名乗るのは違和感がするので、津市三杉町になったそうです。
 家城を出ると、秘境の風景が続く「村」そのものなので、合併しなければよかったのに。

 次の汽車は30分後の15時8分、と確認。

 観光協会も入っているので、大きな駅なんです。

 駅前の風景。田舎の「村」そのもの。ちなみに「村」が1番多い都道府県は、長野県の35村。2位は沖縄県、3位は北海道。「村」を廃止した都道府県も出ているのに、東京都は8村。内地でただ1つ、檜原、離島では利島、新島、神津島、三宅、御蔵島、青ヶ島、小笠原。
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