東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

【完】帰省旅行

2020-12-04 00:01:48 | 2020_秋_山口帰省

 2泊3日の旅はもう最終日。チャイニーズウィルスのせいで夕方予約しておいた飛行機が欠航。直前になってのドタキャンではなく、旅行の2,3週間前あたりから「新型コロナウィルスの影響に伴い、減便および運休・欠航便が発表されました。ご予約いただいた便は欠航することになりましたので、早い便か遅い便へご予約をお願いします」とのこと。
 遅い便にすると、帰宅時間が大幅に遅くなり、高齢者はかなり負担になるので、早い便に変更。本当は17時半出発のほうがちょっと余裕があるんですけど、早い便だと早めにホテルをチェックアウトするなどバタバタ・・・。
 航空各社ともチャイニーズウィルスの影響で予約が少ない便を欠航にして、その前後の便に集約する。JRは利用者がかなり減少しても、国民の移動手段を維持するため間引き運行することはなく、時刻表記載のとおりにしている。4月に緊急事態宣言が出ても、予定されていた臨時便は運休になりましたが、定期便は間引きにしたりすることはなかったような記憶が・・・。東京発博多行き「のぞみ」の乗客がまばらだったとテレビで報道があったとき、この状態で博多まで行くなんてもったいないと何度も思ったことが・・・。

 朝ご飯です。かなりボリュームたっぷり。

 宿泊代がリーズナブルだし、天然温泉も付く。帰省先の指定宿に決定。当初計画では「12月上旬、寒さが厳しくなり、暖かい温泉に浸かったほうがいいかな」と思っていたところ、国王様が「12月はインフルエンザやチャイニーズウィルスが急増しそうな予感がするので、落ち着いている10月下旬!」と決定されたお陰で無事に敢行。今は全国の状況を見ると、旅行どころではないし・・・。山口帰省の話はこれで完結。

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山口県の地産地消

2020-12-01 00:08:15 | 2020_秋_山口帰省


 国道191号線二見夫婦岩付近。夫婦岩を少し過ぎたあたりに「豊浦町」や「豊北町」の境界を示す看板がありましたが、現在は下関市と合併しているので、撤去。

 道路の左側はJR山陰本線。観光列車がゆっくりと校風明媚な風景を楽しんでもらおうと数分間停車、朝夕夜間を除き、昼間の普通列車も若干速度を落としながら通過するエリア。

 今回は5名なので、洋間に2名、右側の和室は3名。昭和の感じがする和洋室の部屋ですが、Wi-Fiもあるし、冷蔵庫、テレビあり。

 2泊目なので、昨日と全く違うメニュー。他のグループの献立を見ると、昨日と同じ内容。宿泊者全員同じではなく、連泊者向けの違うメニューを出すなど、料理を作る人も大変だなぁ・・・。

 お刺身。下関市の内陸部だけど、日本海まで車で数分走れば出られるところなので、鮮度は抜群。

 山口県むつみ産豚の柳川風。むつみって北東部にあった村。今は萩市と合併しています。JR山陰本線も、下関市→長門市→萩市の3市を通過すると、島根県益田市に入ります。3市だけでも全長143.5キロ。昔の国鉄時代だったら、門司発福知山行きや下関発益田行き、出雲市行き、米子行きが当たり前だったんですが、現在は、下関~小串、小串~長門市、長門市~東萩、東萩~益田といったように、分割されているし、かつて長距離を走行していた特急や急行もなくなっているし、下関から山陰本線だけで益田、浜田、出雲市、松江、米子などの各都市へその日のうちにたどり着くのは困難。
 新幹線を使って陰陽連絡線で行けば事足りる時代に変わってしまいました。
 

 焼き上がり~!!

 途中からご飯の釜にに点火。

 真鯛のポワレ。昨日の洋皿は鶏肉を使ったもの。焼き上がりの容姿は鶏肉そのものなので、ジローさんに他の肉ですとごまかせなかった。

 タイラギ貝の味噌和え。タイラギ貝って何だろう?と画像検索してみたら、30センチもなる平らっぽい2枚貝。見た目はとても大きいのに、貝柱のみ。

 茶碗蒸しも出て・・・

 下関フクの唐揚げ。下関に来たのなら、さすがにこれは欠かせないもの。

 近くの全国チェーンのコンビニで牛乳を買おうとしましたが、千葉のコンビニでも見かける同じもの。地元のスーパーなら「やまぐち県酪」牛乳。コンビニは全国どこに行っても同じ商品なので、地域に関係あるものは置かないっぽい。

 ずっと昔は「シモラク」と書かれていて、その上にベルちゃん。シモラクは「下関酪農」の略称だったんですが、今は配達エリアが山口県全域に変わったのか、「やまぐち県酪」に変わったそうです。関門トンネルを潜ると、福岡県は「みどり牛乳」。東日本大震災が起きた直後、千葉県で牛乳が流通されなくなり、一時的に「みどり牛乳」が近所のスーパーで並ぶようになり、「あれっ!?懐かしい!!」と思ったことも。「みどり」のこと調べてみると、本社は大分市。事業所は大分県と福岡県のみ。 

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病気平癒祈願のお地蔵さま

2020-11-28 00:00:04 | 2020_秋_山口帰省


 角島からの帰りは二見浦のお墓参りへ。真ん中のぽつりと浮かぶ島は「蓋井島(ふたおいじま)」。人口はおよそ90名、スーパーの「みなと屋」あり。小学校はあるけど、中学校は無し。小学校の児童は1名。近くに住んでいながら、蓋井島に上陸したことは皆無。どんな雰囲気なのか、Googleマップのストリートビューで確認することはできます。クルマがやっと1台通れるくらいの狭い道ばかりなので、Googleマップのスタッフさんが歩いて風景を収録。
 蓋井島への船は1日2往復(夏期のみ3往復)あり、片道40分。行こうと思えば日帰りもできるはずなのに、未訪問。日本一上陸するのが困難を極める青ヶ島へは若い頃何度も訪ねているなんておかしいと思うんですけど・・・。船で24時間(過去は25時間半)もかかる小笠原も然り・・・。

  県道39号線から国道191号線へショートカットする二見トンネルが開通したのは2003(平成15)年7月開通。
 ・二見トンネル開通の目的
 国道191号線に向かう二見の県道は狭い上にクルマの通行も多い。人身事故が多発するため、二見トンネルを作る話が出たのは1998(平成10)年頃。1999(平成11)年から山を貫通する工事が始まり、4年の歳月を経てやっと開通。毎年夏になるとジローさんが非常に楽しみにしているサザエやアワビを獲るための素潜りも今まで遠回りするような道を通らず、トンネルであっという間。喜んだのもつかの間、2004(平成16)年の夏が最後の素潜り。その年の冬から1000キロ離れた関東へ移住。
 標識の上にあるものはJR山陰本線。撮影の1ヶ月前にキハ47改造の観光列車「〇〇のはなし」で私もあそこを通過。カーブするように曲がり、トンネルの反対側の長門二見駅。
 左側に見える小さな祠のようなものは、病気平癒祈願のお地蔵様がまつられています。

 もともと、ここにあったものではなく、もっと奥の山頂付近にありました。二見トンネル開通に伴い、すぐお参りができるように移転。伯母はもとのあった山頂付近まで毎月1回はお参りし、遠く離れてくらす私の家族の健康を願ってお祈りしてくれました。今はあの急な坂道を上がれなくなり、家からお地蔵様にお祈りしているそうです。そのおかげもあって、みんな元気で暮らしています。今年はジローもふてにゃんが入院してしまう騒ぎもありましたが、わずか数日間だけで退院。2年ごとの人間ドックを受けても、今年も太り過ぎを指摘され、あとの検査項目は2年前と同じく基準値内のほぼ正常。1000キロ離れていても、不思議な力をもたらしてくれるお地蔵様。ありがとうございます。これから帰省するたびにお参りさせていただきます。

 お地蔵様はいつからあったのか、調べようと思いましたが、書かれていませんでした。最後に「病気平癒祈願 平成十七年 八十八歳男」と書かれています。お顔を拝見すると、目や鼻、口などの輪郭はほとんど消えかけています。江戸時代(1600年から1867年)のものだと思われます。

 海側から潜れば、出口は長門二見駅。

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つのしま

2020-11-23 00:00:19 | 2020_秋_山口帰省


 角島灯台付近のレストラン、グランビスタの店舗先から見える風景。

 ずっと大昔、町営連絡渡船でやってきたときは、展望台の1階にギャラリーも併設した喫茶店があって、コーヒーやケーキをいただけたんですけど、今もやっているのかなぁ?

 特牛(こっとい)駅も2005(平成17)年に映画ロケのため、西田俊行さん、松阪慶子さんがいらしていたし、ここでも木村拓哉さん。

 そういえば、このあたり・・・。

 2003(平成15)年1月26日(日曜日)東京新聞より。
 千葉なのに故郷の記事が出ている!と切り抜いてスキャンして保存したものが出てきました!2001(平成13)年10月6日未明に座礁。船の大きさは427トンと出ているので、ちょうどあおがしま丸(460トン)、ははじま丸(453トン)とほぼ同じくらいの大きさだと考えてもいいかも。これだけではなく、ずっと昔もキタからの貨物船がほぼ同じ場所で座礁。2度も、なんです。
 2度目の座礁船を片付ける際にずっと昔に座礁した分も一緒に片付いたのか、今はきれいに片付いています。
 今年は2020年なので、もう20年近く前の話になります。早っ!!

  1階はレストラン、2階は宿泊施設。部屋単位なので、1人でも数人でも同じ料金とのこと。

 グランビスタ店舗前にあった県道276号線。もともとの角島は県道であっても路地のような狭さだった。「豊北町」のままなので、設置されたのは20年以上前なのかも知れない。

  旧道を拡張したのか、それとも旧道は市道に格下げし、大橋に連結するように新設した道路を県道にしたのかどうかはちょっと不明。

 店舗の駐車場が混み合っている様子だけど、ゴールデンウィークおよび夏休み期間中の土日だったら、恐ろしいほど大渋滞になるそうです。滝部駅、特牛駅から角島灯台までの路線バスもありますが、渋滞で身動きができなくても接続する汽車に間に合うかどうかは保証できません。特に小串から長門市間の山陰本線はおよそ2時間に1本なので、間に合わないとなるともう大変。大橋が出来る前は離島らしく、のどかな風景だったのに夏季のハイシーズン時に渋滞なんてかなり様変わりしています。

 大橋を渡って本土に入ります。今日は曇っていて、海の色は映えなかったのですが、晴れていれば沖縄と見間違えるような海の色になります。まるで沖縄本島の古宇利島に架かる大橋のようだけど、ここは山口県。

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角島の豹変っぷりに驚愕

2020-11-20 00:08:19 | 2020_秋_山口帰省

 角島大橋が出来る前の角島は陸地と繋がっていない豊北町の離島。アクセス手段は特牛(こっとい)港から豊北町営の連絡渡船が1日7便。20分くらいで元山港に寄港し、終点は10分程度で角島の中心地とも言える尾山港。郵便物なら集配を行う角島郵便局まで納入するけれど、他の宅配業者だと「港留め」。待合室の小屋にポンと置かれ、島民が取りに行くシステム。片道30分だけど、特に冬の間は欠航は多かった。角島小中学校があり、高校に進学すると船で本土と往来するのは厳しいので学校の近くで下宿し、週末は島へ帰る生徒もいたほどです。
 2000(平成12)年に1780mの角島大橋が開通し、本土と陸続きになってから早20年目。連絡渡船の役目は終え、角島小中学校は廃校。宅配便もクルマで配達できるようになり「港留め」は廃止。
 角島大橋が開通してから2,3回は訪ねたことはあるんですが、それは開通間もなくの頃。あれからずーっと豊北町へ帰ってきても、角島へ出かける機会はあまりなかった。最後に訪ねてからもう15年近く前になります。

 角島灯台近くのレストラン「グランビスタ」というところでランチ。

 ワンちゃん。

 今日は土曜日なので、かなり混雑しており、駐車場も満車。1台出たところ、入れ替わりに入庫。

 このお店のおすすめはこれ。ぶっかけ贅沢海鮮丼。なんと海の幸が13種類重ねたものです。

 瓦そばも頼めるんだ・・・。

 鯛といえば、愛媛県の宇和島。ここでも鯛茶漬けが食べられるんですかっ!?

 いろんなメニューがありますね・・・。

 ピザまでもあるんですかっ!?角島大橋が開通前までは、このような都会的な料理を出すお店は1つもなったのに、豹変っぷりに驚愕。

 お店のおすすめのものが運ばれてきました!!目玉が飛び出すほど具材たっぷり!!真上にウニが乗っかかっているので、
 すぱっと切り抜いたものの。私だけは13種類ではなく12種類。
 GOTOキャンペーンにより、予約しておいた宿から紙の地域共通クーポン券を発行してくれました。有効期限はチェックインからチェックアウトの当日午後11時59分まで。旅先で滞在している間はグルメやお土産など全部使い切らないと損するので、地域共通クーポン券でお支払い。実質、無料で美味しくいただけました。GOTOクーポン取扱店舗に大型の電気屋、日常雑貨店、ドラッグストアがあれば電気製品購入の足しや生活用品の支払いでも使えます。11月19日の中国ウィルス感染者は過去最大の2387名(うち東京都534名)。

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元乃隅神社

2020-11-17 00:05:24 | 2020_秋_山口帰省

 11月1日、日曜日。今日の予定は・・・山口県の何もない田舎で20年近く過ごしたというのに、近所の有名な観光地はまだ出かけていないので、そこに行ってみましょうという話になり、長門市へ。

 「元乃隅神社(もとのすみじんじゃ)は、昭和30年に、地域の網元であった岡村斉(おかむらひとし)さんの枕元に現れた白狐のお告げにより建立されました。商売繁盛、大漁、海上安全は元より、良縁、子宝、開運厄除、福徳円満、交通安全、学業成就などのご利益があるといわれています。昭和62年から10年かけて奉納された123基の鳥居が、龍宮の潮吹側から100m以上にわたって並ぶ景色は圧巻です。神社敷地内にある高さ約6mの大鳥 居の上部には賽銭箱が設置されており、見事、賽銭を投げ入れることができたら願い事が叶うと言われています。」
 私が二見に住んでいたころは、そんな神社があったとは聞いていないし、親はクルマを持っていなかったため、遠くまで出かけることはなかった。長門二見駅から日帰りで鉄道で行ける範囲のみ。ほとんど九州方面が多かったような。
 観光に訪ねた外国人がSNSに写真を投稿したことがきっかけで瞬く間に世界的に有名になったそうです。青ヶ島もしかり、丸山の二重カルデラも世界的に珍しく、SNSの影響で青ヶ島が有名になってしまいました。インターネットの通信環境がまだISDNの1999(平成11)年に初めて訪ねたときはそんなに観光地化されておらず、ほんとうになーにもない島にやってくる私のことを変わっている人間だと思われたらしい(?)
 ISDNとは、現在のブロードバンドが導入する前の電話回線を利用してダイヤルアップしてインターネットに接続。通信速度はなんと最大128kbps。この通信速度は非常におそーーーーくてホームページが表示されるまで時間がかかる。ネット回線は光ファーバーにシフトし、ISDNのニーズが低下。2024(令和6)年に廃止予定。今年の3月25日から利島村、青ヶ島村で「光ファーバー」のエリアになりました。2001(平成13)年、青ヶ島村でインターネットしたくてドコモのガラケー携帯電話に初代バイオ(ソニー社製のWindows98モバイルノート)をつないで、30分くらい。ドコモの請求書ではもう目玉が飛び出す料金だったけど、今は民宿どこでもWi-FIが使えるので無料。ASDLから光に変えるとスマホやパソコンの通信速度が劇的に速くなります。

 落ち着いたような風景なんですけど、今日は日曜日なので、駐車場入り口までは大行列。入庫できるまでおよそ20分待ち。あれほどの混雑ぶりは中国ウィルスを忘れているかようだった。

 やっと入れました!ここでは自動ゲートによる駐車場管理をしているので、数台の車が出ると、入庫待ちの車が数台分入れる仕組み。1時間まで300円でした。これが噂の123基もある赤鳥居。

 すごいですね・・圧巻する風景。

 さっそく通ってみました。

 日本海側の風景。日本海と言っても、北海道の宗谷海峡からずーっと対馬海峡まで。北海道では日本海側を走行する鉄路は羽幌線などもありましたが、今はもうすっかり無くなっています。本州なら日本海側なら五能線、奥羽本線、羽越本線、越後線、信越本線、えちごときめき、北陸新幹線、北陸本線、小浜線、舞鶴線、山陰本線、(幡生から門司までは山陽本線)、鹿児島本線。

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公営でも旅館と遜色ない宿でした

2020-11-13 00:30:44 | 2020_秋_山口帰省

 公営の宿は堅苦しいところかと今までイメージしていましたが、実際に泊まってみて、旅館と遜色ないサービスを受けられました。味覚にうるさくて、グルメな伯母はこの宿がすっかりお気に入りになっている理由、やっと理解できました。つまり、公営でも、ごはんが美味しい!!です。それで、伯母や両親は田舎に帰ったときの定番の宿に・・・・。下関市民は福利厚生の一環として、宿泊料は割引になっています。市民以外でも楽天トラベルの予約サイトを通じて利用できます。

 本州最西端の地なので、17時40分頃になっても薄明るいです。東京だったら、16時半頃から暗くなるんですけど・・・。

 凄腕の調理師を雇っているので、メニューは旅館の和食そのもの。

 食事が夢中になり、いくつかの料理を撮り忘れ・・・。2日目はちゃんと撮っておきました。

 2日目の朝。

 朝ご飯も豪勢ですよ!公営の宿でも侮れない時代になりました。楽天トラベルでは高得点の評価になっています。建物は、昭和時代からあるものだけど、部屋はリフォームされ、掃除もすみすみまで行き届いています。

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長門二見駅(最終回)

2020-11-11 00:00:44 | 2020_秋_山口帰省

 
 ワンマン乗り場の案内表示。ホームがとても長いのにやってくる汽車は1両か2両。ワンマンのときの1両編成のときは、後ろのドアから乗車し、整理券発行機から整理券を受け取ります。2両編成のときは後ろの2両目は完璧に締め切るので、1両目の後ろドアから乗車し、運賃および乗車券回収箱の置いてある運転士さん側のドア付近から下車。
 境港線で導入しているJR西日本初の「車載型IC改札機」をここでも使えるようにすれば、山陰本線でも小銭を用意しなくてもいキャッシュレスで乗車できるし、いいことずくめではないですか。
 車載型IC改札機とは、各駅に停車するたびに乗車駅のデータを更新し、ICOCAなどIC系交通カードをタッチ。下車するときも、運転士さん横の機械にタッチすれば、自動的に運賃の精算が行われ、差し引かれる仕組み。運転士さんがわざわざ小銭を収受するときにわざわざ整理券の番号で運賃表を確認しなくて済む。長門二見駅で乗車するときにIC交通系カードをタッチし、下関に降りるときも自動改札機にタッチするだけで680円差し引かれ、簡単に出場できる。

 懐かしい二見駅探検はこの辺にして・・・・

 帰ります。昔は幅は広がったような気がするのに、不思議な目の錯覚。

 今の駅舎なんですが、昔だったら、このあたりに駅員さんが立って集札。右側も、昔は出札窓口、駅長室、事務室、当直室もあった。

 いちおう、ここでも「本州3社の幹線」なので、運賃の数字は千葉のボロ房線と全く同じです。例えば、五井から東京まで990円。新宿も同額990円。中野1170円。JR九州のみ、多少の加算があります。小森江まで890円、門司港まで900円なんですか。これはミスかもしれない?と思い、調べてみました。
 境界駅からの営業キロ(加算額)
   1- 3キロ  20円
   4- 6キロ  20円
   7-10キロ  30円
  11-15キロ  40円

 長門二見から 下関まで 37.4キロ 
        門司まで 43.7キロ 境界駅から 6.3キロ 770円+30円加算=800円
       小森江まで 45.2キロ 境界駅から 7.8キロ 860円+30円加算=890円
       門司港まで 49.2キロ 境界駅から11.8キロ 860円+40円加算=900円
        小倉まで 49.2キロ   同上
 ミスではなく、正しい表示でした。
 今の時代、マルスや車掌さんの携行POSで瞬時に計算できるので、間違いなく発券できるけど、昔の手書き補充券だったら、早見表を作らないと間違えてしまいそう。本州と3島(北海道・四国・九州)の運賃体系が異なり、かなり複雑。昔の国鉄時代だったら、東京山手線や北海道の莫大な赤字路線でもキロあたりの運賃は同額。

 昔は「滝部郵便局」が集配。消印も「山口・滝部」だったけれど、今は下関郵便局。平成時代のときは「下関」の消印だったのに、令和になった現在は、山口県内のポストから回収した郵便物はすべて、宇部市の「山口郵便局」に運ばれ、消印。岩国から宇部まで結構な距離があるのに、ここまで運ばれてくる。岩国市内で市内宛てに郵便物も、宇部まで飛んでいってUターン。

 実家の庭では、アロエがたくさん生い茂っています。ここでも株分けしてもらったものを育てていますが、花まで咲くのは見かけず。アロエは潮風が当たらないと丈夫に育てるのは難しい。千葉の自宅は東京湾からかなり離れた内陸部なのでひょろりと・・・。

 ジローさんの思い出があちこち・・・あわびです。

 ここでも転がっていました。もう20年近くになるのに、朽ち果てることはなく頑丈。

 なんでここにお椀があるんですかっ!?

 ヒイラギ。これだけでなく、家のまわりにこの木ばかり・・・。さては、ジローさんやふてにゃんの過剰な魔除け対策ですかね・・・?

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長門二見駅(その2)

2020-11-09 00:05:23 | 2020_秋_山口帰省


  1977(昭和52)年の動画。もう43年前になります。山陰本線は比較的平らなところが多いので、ほとんどエンジン1基のキハ20配置。高出力の2基搭載していれば、キハ52に分類。

 国鉄時代なら、「名所案内 ・二見夫婦岩 徒歩40分 ・土井ヶ浜海水浴場 当駅からバス20分」とかの看板だったけど、「豊北町観光案内マップ」に差し替え。2005(平成17)年に下関市と合併する前なので、かなり昔からあったと思われます。

 「く」の字みたいに曲がって、阿川で再び海岸に出るようなルート。

 大正期に山陰本線最後の連結区間として、この地域の鉄道敷設が行われた。当時、日本海岸沿いに敷設される予定であった本線だが、地域の要望や予算等により、滝部駅と特牛駅の2駅が内陸に置かれるような敷設となった。そのため本線は長門二見駅周辺で、ほぼ90度方向転換する。
 <ウィキペディアの情報より>
 写真は大正14(1925)年開業当時のもの。駅舎はなかなか見つからず・・・。今年は2020年なので、長門二見駅も95歳になります。大正時代の技術で鉄橋を架けられるとはすごい。今も現役でディーゼルカーのキハ40やキハ47が通っています。

 開業当時、大正時代に製造された蒸気機関車(形式名不明)が8両や10両など長編成の客車を連結していたため、ホームはとても長いです。昭和に入り、D51(デコイチ)。最後に引退したのは1974(昭和49)年。デコイチから主役はDF50のちDD51にバトンタッチ。
 1992(平成4)年頃から山陰本線におけるDD51が牽引するオハ50系客車は引退。

 当時の時刻表は朝5時から23時まで1時間に1本あったのに、現在はかなり合理化が進み、本数もかなり減少させられている。

 国鉄時代の待合室および駅員詰所跡地。手前が待合室で向こう側は詰所。
 2010(平成22)年8月、不審火により全焼しました。

 四角い跡は木造ベンチがあったところ。真冬は冷たい風が吹き荒れるところなので、よく利用していました。

 幼い頃1人で行動はできなかったので、祖母や伯母に連れられてそこで汽車が来るまでそこで待っていた記憶が・・・。

 1989(平成元)年に無人駅化になって30年。手入れする人がいなくなっても、植木は生きている。

 いつの間にかモニターが取り付けられていました。ほとんど1両や2両編成のワンマンで運行し、長編成の汽車が来ることは滅多になくなったのに、これは何を映るんですかね・・・・。

 出入口に近い方の花壇。昔はきれいに植えられていた記憶があるんですけど、今はどなたも管理していないので、ご覧のとおりに・・・。

 長門二見駅の活性化を考えてみましたが、やはり、週末の土日に運行する快速「〇〇のはなし」号が下関駅を出発した直後、二見駅弁を希望する人を募り、アデンタントさんが必要な個数を電話。二見駅に停車させ、海辺の小さなレストランのシーフレンズふたみ謹製の「お刺身定食弁当」を積み込み。東萩方面はお昼時の11時20分頃通過なのでお弁当の需要もありそう。

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長門二見駅

2020-11-07 00:24:06 | 2020_秋_山口帰省


 JR西日本に転換する20年前、昭和42(1967)年の長門二見駅。始発は3時台、最終列車は23時台。列車が動いている時間帯は駅員配置駅。駅長、助役、出札係、改札係、ホームの詰所に運転取扱業務係(信号やホーム監視)などおよそ8名の駅員さんが常駐していた。ジローさんからの証言。
 出札窓口では、近距離だけではなく大阪や京都(経由:幡生・山陽・東海)まで昔ながらの硬い切符も何種類も常備。

 1987(昭和62)年4月1日からJR西日本に継承。国鉄時代は始発から最終まで駅員配置だったが、民営化後は朝7時から夕方5時半頃まで交代で1人の駅員体制に短縮。硬券も利用の多い金額のみに短縮。やがて・・・1989(平成元年)10月から合理化により、無人駅化。大正時代に開通したときの駅舎が取り壊される前に記念撮影。

 ちょうど10年前の風景。あれから全然変わりはないですが、ホームの階段付近に小さな風除けを兼ねた待合室設置。

 もともと「豊浦郡宇賀村」の名残なのか、戸籍上の住所は「北宇賀」。このあたりは無番地でしかも広域におよぶため、宅配便や郵便の住所は便宜的に「駅前通り」と記載。宇賀村から豊北町になり、2005(平成17)年から下関市になりました。

 まず、最初に右側の小さな駅舎建立。そのつぎに、左側の待合室を増設。

 川棚温泉行きは1日4本だけど、海岸沿いの小さな集落の肥中ゆきは列車の時間に合わせているのか若干本数は多め。

 ずーっと海岸沿いを走行していたのに、ここでいきなり線路が「く」のように曲がる理由は大正時代に山陰本線を敷設する工事中、滝部に権力者がいらしていたため、鉄道勧誘したという伝説もあるそうですが、事実はどうなんだろう。

 子どもの頃、何度も通っていた階段なんですけど、今、見ると小さくなっている。子どもの頃見たウニがサッカーボールと同じくらいの大きさだった。ぱかっと真っ二つに割っても針のようなトゲが動き続け・・・中身のオレンジ色の身を取り出して殻をぽいっと投げ捨て。それでもトゲは動く。それが恐ろしいモンスターのように見えて口に入れるものではない!とトラウマになったみたいです。

 階段は常時点灯する必要があるため、40Wの直管蛍光灯から省エネしかも長寿命のLEDに付け替え。

 子どもの頃と同じ大きさ、同じ空間のはずなのに、狭くなっている。不思議。

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10月の終わりに延期して良かったかも

2020-11-05 00:11:37 | 2020_秋_山口帰省

 昨年12月に発生した中国ウィルスはまもなく1年近くになるのに、いっこうに収まる様子もなく、最近の状況を確認すると感染者の数は緩やかに上昇している。感染しない・させないwith中国ウィルスの新しい社会になり、三密を避ける、マスクをしないでしゃべりまくる空間には行かない、携帯用の消毒シェルで除菌するなど心がけていれば大丈夫。

 北九州市小倉南区の飛び地、北九州空港に本拠地を抱えるスターフライヤーは第2ターミナルから発着していたのに、10月25日から第1ターミナルに移転。そのことを知らずに第2ターミナルの駐車場にクルマを停めようとしたら事前に調べていた国王様から移転していることを知らせてもらったおかげで第1ターミナルの駐車場へ。土曜日の早朝でも関わらず、屋上の青空駐車。1階から5階まですべて満車。GOTOキャンペーンにより、パッケージパックが35%割引、15%の地域共通クーポン券も出るので、旅行者が急増中なのかも知れません・・・。
 7時30分、ANAの第2ターミナルより八丈行きが離陸。その15分後に北九州行き。八丈島からのヘリが取れていれば、およそ2時間10分後の9時40分に青ヶ島ヘリポートに到着し、民宿や集落はすぐそこ。9時35分に北九州空港着陸するけれど、山口県の故郷までクルマで1時間半。青ヶ島は10時前に着き、山口の故郷はおよそ昼前に到着。

 スターフライヤーの機体もかっこいいし、座席も革製のレザーシートなので通常の料金でもまるでグレードアップ。

 1時間半後、シーフレンズふたみに到着。相変わらず店内は満席でした。

 昼前だというのに20食も完売なんですかっ!?私は前日までに予約して、取り置きしてもらえました。

 ふたみランチの内容は日替わりなので、本日の内容も丁寧に・・・。

 ふたみランチでーす!!

 ごはんは、ミニステーキ丼に変更してもらいました。

 しかも、新鮮なお刺身付きっ!!

 ボリュームたっぷりなのに、廉価な料金。東京だったら、2倍以上もするのに・・・。

 こちらは、刺身定食。

 国王様は刺身定食にごはんをミニローストビーフ丼に変更。

 二見で暮らしている伯母は、毎日毎日お魚ばっかりでもう飽きたそうで焼き肉定食をオーダー。
私もなーにもない漁村で過ごしていた頃は毎日お魚ばっかりで「もうたまにはお肉を出せっつーの!」と思っていたことも何度か・・・。ごちそうさまでした!!

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故郷の従兄弟からのお土産

2020-11-03 21:55:24 | 2020_秋_山口帰省


 故郷でしばし滞在し、東京(山口では、神奈川や埼玉、千葉の首都圏を「トーキョー」と括っている)に帰る前にいただきました。鯛のお刺身でした!!青ヶ島産のレモンを添えて。

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およそ1ケ月前にニアミスした場所の定位置に舞い戻り

2020-11-03 00:30:05 | 2020_秋_山口帰省


 今回はGOTOキャンペーンを利用して家族旅行。往復の航空券代、宿代(食事付き)、レンタカー代すべて込みのパッケージに地域共通クーポン券ももらえる。地域共通クーポンはチェックインからチェックアウトの当日中までに宿のある都道府県内および隣接する都道府県内で使える。たとえば、山口県で発行されると、山口県内のほか、福岡県、大分県、島根県、広島県、愛媛県で利用可能。山口県のおとなりは大分県?と首を傾げてしまいそうですが・・・山口県周南市(徳山)から大分県国東市まで結ぶカーフェリー就航しているので、大分県もおとなりとして指定されているようです。
 小笠原村では地域共通クーポン券が使えるところが多く、宿でもらったクーポンを観光ツアーの代金にすることもできるし、旅行するのに自己の負担を少なくして国から少し支援してもらえるお得なキャンペーン。中国ウィルスのせいで日本経済に大きな打撃を受け、全国各地に旅行してもらって、お金を落としてもらう政策に対し、旅行者はしっかりとマスクやアルコール消毒など努めていただければと思っています。
 上の写真は、実家の長門二見周辺の日本海。

 1ヶ月前は、快速「〇〇のはなし」号の車窓から眺めていました。(2020年10月31日撮影)

 1ヶ月前の風景はこちら。(2020年9月27日撮影)

 従兄弟がやっている、小さな海辺のレストラン「シーフレンズふたみ」。

 さっそく二見駅へお出かけ。

 ニアミスしたときの定位置から撮影。(2020年10月31日撮影)

 1ヶ月前、通過する快速「〇〇のはなし」号の車窓から撮影。(2020年9月27日撮影)

 1ヶ月前は素通りして、今回はしばらく滞在。

 1ヶ月前の乗車券。【区】東京都区内の「区」の下あたりの「山陽・山陰・美祢線」のところで長門二見を通り過ぎて・・・
 1ヶ月後も舞い戻って、今回の帰路は
 長門二見 → 北九州空港 レンタカーで移動
 北九州 → 東京羽田   飛行機でした。

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