東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

平成31年1月の旅は・・・【完】

2019-11-28 00:00:00 | 2019冬_信越東北エリアの未乗区間消化の旅
 平成31(2019)年1月の旅は1年近く連載を続けていましたが、今回でネタ切れになりそうなので完了になります。枕崎から稚内ゆきは平成30(2018)年4月から5月にかけてですが、長期連載中・・・。

 会津若松から郡山行きの快速電車は需要がとても高いのか、満員。この区間は平成30年11月の旅で同じ区間を乗車。

 経由欄:只見線・磐西・東北・・・となっているので、会津若松から郡山ゆき、同じ方向。

 今回の切符です。経由欄は、気が遠くなりそうで長いんですが・・・羽越・磐西・東北となっているので、磐越西線は全線完乗。
 前回、通ったときの「あおがしま駅」記事は こちら

 いっしゅん、「あおがしま」と見間違えそうな駅。

 ローマ字表示も、Akogashima kの文字を取ってしまえば、あおがしま そのもの。


 あっという間に終点、郡山。

 経由があまりにも長すぎる細長い120ミリの切符と一緒なので、自動改札機は通れず、有人通路でスタンパーを入れてもらい・・・

 新幹線ホームへ。

 今回の「やまびこ」はこの車両になるのでは・・・と予想。旧型のE2系だけど、新青森開業時の「はやぶさ」が出る前の最速列車の「はやて」。漢字にすると「疾風」と書き、速く吹く風のように疾走するイメージから命名。

 16時5分発の「やまびこ」は・・・・

 なんと「はやぶさ」と同じE5系でした!ラインカラーがピンク色なので、JR東日本仕様。JR北海道のラベンター色は東京まで運用する本数がかなり限られている。

 冬至を境に少しずつ日が延びて・・・16時半には真っ暗になるはずなのに、1月14日になれば、この明るさ。

 昭和の古い建物は日が暮れると見え方が蛍光灯になり、昼と夜の感覚がわかりますが、今のところは高輝度LED。昼間と変わらぬほどなので日が暮れていることすら気づかず・・・。

 大宮駅停車。上野、終点東京。

 総武快速線に乗り換え。近距離ならグリーンは使わないんですけど、東京から遠いところだとやはりグリーン。
 【完】
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会津若松で快速郡山行きに乗り換え

2019-11-20 00:00:00 | 2019冬_信越東北エリアの未乗区間消化の旅
 郡山を起点に日本海に向かう路線は西側なので、磐越西線。太平洋に向かうのは東側なので、磐越東線。今回の旅は未乗区間の新津から喜多方まで乗車。磐越東線の距離は85.6キロ、磐越西線は175.6キロもあります。そのうち、電化区間は郡山から喜多方まで。新津からのディーゼルカーが会津若松まで直通。

 快速でもないのに、会津豊川駅、姥堂駅通過。塩川駅に停車。

 塩川駅はすべての列車は停まるが、会津豊川、姥堂、笈川(おいかわ)、堂島は1日5本のみ。この駅を出ると、2駅を通過して終点、会津若松。

 あっという間に終点。新津から同じ車両で111キロ。およそ2時間半。幼い頃過ごしていた山陰本線と同じ汽車なので、長時間乗っても苦になりませんでした。

 ここはスイッチバック駅なので、いったんここに着いて、反対方向に向かいます。

 比較的新しいE721系。100~300番台までは直流、400~600番台までは交流、直流どちらでも対応、700番台以降は交流のみ。

 「会津若松市」の手話表現は、切腹と全く同じです。江戸時代から明治に変わる頃の戊辰戦争中、会津藩の処遇を巡って新政府を推し進める長州藩と戦った。会津では14~17歳の少年兵士で編成する白虎隊はとても有名です。守るべき天守閣(会津若松城)が燃えているように見間違えてしまい、「今こそ殉ずべきときである。諸君、覚悟したまえ」と次々と自決した悲しい歴史があります。明治維新が行われ、1868年から江戸を「東京」に改め、天皇陛下の居住する御所を京都から東京に移し、明治元年となりました。明治以降はひとりの天皇陛下に1つの元号と決められ、現代に至っています。

 111キロも乗り続けたキハ47に別れを告げ、快速で郡山へ・・・。
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やっと・・・喜多方駅

2019-11-11 00:00:00 | 2019冬_信越東北エリアの未乗区間消化の旅

 磐越西線の野沢駅。長野県の飯山線にも「戸狩野沢温泉」駅あり。今はもうすっかり、おばちゃまになってしまいましたが、若かった頃の野沢直子さんも面白かったな・・・。

 沢の旧字体は「澤」だけど、直さなくていいのかね・・?昔は右から読むので、「驛澤野」。

 野沢駅の駅舎はかなり立派。POS端末が置かれている、簡易委託駅。

 次は尾登駅。無人駅、秘境駅らしいです。

 荻野駅。

 やまと 駅。ヤマト=大和のイメージだけど、こちらは「山都駅」。

 やっと、喜多方駅に着きました~!!

 このあたりでは福島のご当地「喜多方ラーメン」が有名ですが・・・今回は素通りです。
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新潟県(中部地方)から福島県(東北地方)へ県境超え

2019-11-01 00:00:00 | 2019冬_信越東北エリアの未乗区間消化の旅

 新潟県の阿賀野川。

 急に雪景色になり・・・

 豊実駅。縁起のよさそうな駅名。JR東日本の駅名表は国鉄のような都道府県名および市町村名が省略されているので、今はどこの県を走っているのかわかりづらい。調べてみたら、新潟県東蒲原郡阿賀町。

 豊実駅のホーム。改札口へはこの出入口から。

 あそこが駅舎!?
 次は、新潟県から福島県へ。

 福島県耶麻(やま)郡西会津町。JR東日本さんよ、駅名票に都道府県、市町村名を入れておいたほうが旅人にとってはわかりやすいのに・・・。JR北海道も東日本を倣っているため、駅名票のラインを萌黄色に変えたたけでやはり都道府県、市町村名なし。

 次は上野尻。最初は「うえのじり」と思っていたんですけど、「かみのじり」が正しい。

 簡易委託駅、有人駅でした。おばちゃまが改札口に出て集札。POS端末設置駅。

 山梨県の中央本線にも「上野原」という駅名がある。それからもう1つ・・・北海道の新札幌のとなり、千歳線の「上野幌」も読み方が珍しい。「かみのっぽろ」。駅名票に【札】マークがあるので、札幌市内。あの位置からにすると清田区?かと思ったら、厚別(あつべつ)区でした。
 札幌市は中央、北西南東で5区、手稲、白石、豊平、厚別、清田の5区であわせて10区。
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このあたりまで来ると車内はもうガラガラ

2019-10-23 00:00:00 | 2019冬_信越東北エリアの未乗区間消化の旅
 本日は2019(令和元)年10月22日。天皇陛下の即位の礼が行われました。前代は、1990(平成2)年11月12日(月曜日)高御座(たかみくら)から即位を宣言する様子をテレビを通じて拝見。平成のときは音声のみで全然字幕がなかったのに、令和の時代は読み上げと同時に字幕を作成するオペレータさんがキーボードに文字に打つので、ワンテンポ遅れての表示。ろう者でもほぼリアルタイムで情報を伝達できている。お言葉を発せられているときの東京は雨が止み、日差しが降り注ぐ状況。天皇陛下は常に国民を思い、国民に寄り添いながら・・・とお言葉にあったとおり、台風による災害に心を痛めておられているとのことです・・・。

 撮影日は2019(平成31)年1月14日。東北エリアだと厳寒シーズンなので、少しモノクロかな・・・。

 三川駅。

 みかわ、と聞いて、北海道でもあったような?と記憶を辿ると、室蘭本線にありました!!
 乗車券の印字は、新潟県の三川駅は(磐)三川、北海道は(室)三川、と線名を冠して印字されるかも知れません。


 阿賀野川を沿うように走行し・・・

 津川駅。あれっ!?私が乗っているのはどうしても乗りたがった国鉄のキハ47だけど、すれ違う列車はJRになってから製造されたキハ110。

 津川駅前の1等地住宅街。

 次は鹿瀬駅です。鹿瀬と書いて、読みは「かのせ」。

 ここでも住宅がたくさんあります。

 ここまで来ると、もう車内はガラガラ。私1人だけの貸切状態に・・・私1人だけ貸切った状態で長距離も移動するなんて、運転士さんや車掌さんの人件費、軽油代など莫大な費用がかかるのでは・・・。天下のJR東日本。山手線などの首都圏で稼いだ金で超ローカル線の赤字路線に補填。

 阿賀野川を眺めながら・・・・

 次は、日出谷(ひでや)駅です。まだまだ新潟県内にあります。

 長野県の塩尻を出て2駅目に「日出塩」という駅名があります。海のないところなのに、「塩」の付く地名なのかは・・・日本海から、または太平洋からの「塩」を搬入する「塩の道」という俗説もあるそうです。
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田舎の風景に変わったところから駅弁!

2019-10-10 00:26:58 | 2019冬_信越東北エリアの未乗区間消化の旅

 何でも長持ちにするJR西日本では、山陰本線、山口線、芸備線、津山線、吉備線、城端線、氷見線などで現在も乗れますが、JR東日本のキハ47は新潟エリアでしか見られないので、珍しいかも。

 平成31(2019)年1月。平成30年は集中豪雨による水害(広島県、岡山県)、台風(関西地方を襲った台風21号)、地震(大阪、北海道)、災害の多い年だったので、災害のない次の新しい元号を迎えたいと願っていたんですけど、相変わらず・・・。先ほどの台風で県内64万軒が停電。生活に欠かせない電気、水道などのインフラを懸命に復旧し、千葉でも遊べるところありますよ!と観光の振興に力を入れているさなか、また19号が・・・。

 「うました」と読むかと思ったら、「まおろし」でした。馬下が始発の汽車が1日数本設定されているので、新潟都市圏のベッドタウンはここまで。

 馬下から先は、極端に少なくなります。

 田舎になったところで、駅弁をいただきまーす!

 「駅弁」マークがついているものは、冷えても美味しくいただけるように工夫されているので、美味しいです。

 阿賀野川。

 咲花(さきはな)駅。JR北海道の釧路から根室間の正式名称は「根室本線」だけど、愛称は「花咲線」。
 北海道は花咲、こちらは咲花。花咲でもう1つ有名なのは花咲徳栄高等学校。高校野球中継で「花咲」が出ると、はるばる北海道の最果て、根室から!?と勘違い。高校野球の花咲は、埼玉県。

 東根室駅と西和田駅の間に、「花咲駅」があった。駅は利用者がゼロの状態が続くため、2016(平成28)年に廃駅。花咲線という愛称は残っているのに、駅が無くなってしまいました。こちらは新潟県、花咲の反対、咲花駅。


 ここでは「咲花温泉」が有名です。地図を確認すると、駅前に咲花温泉の旅館やホテルがあるので、駅名を「咲花温泉」に変更すれば、鉄道ファンの方が今夜の宿はここにしよう!と候補にあがるようになるかもしれない。

 東下条駅。東京の京浜東北線にも「東十条」駅あり。

 五十島駅。五十嵐さんという姓名もあるので、「いがしま」と読めます。
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磐越西線の旅スタート!

2019-10-03 00:00:00 | 2019冬_信越東北エリアの未乗区間消化の旅
 郡山からいわきまでの磐越東線は平成30(2018)年11月に乗車、新津から郡山までの磐越西線は平成31(2019)年1月に乗車。
 JR全線完乗まで、芸備線(広島~塩町)【西】、大船渡線BRT【東】、利府支線【東】、常磐線(いわき~岩沼)【東】、根室本線(滝川~富良野)【北】の5路線。先ほどの御殿場線全線乗車でやっとJR東海は制覇したばかり。

 新津を11時34分に発車して、同じ車両で14時6分、会津若松に到着。距離は111キロ、国鉄のキハ47で要所時間は2時間半。私が子供のころ通学で何度も飽きるほど乗っていた車両なので、昭和のボロでも愛着がある。2時間半乗り続けても疲れないのは不思議。


 新津を出て、1つ目の東新津駅。

 新津から出て、わずか2.8キロ。3キロまでの初乗り運賃が10月1日から140円から150円に値上げ。
 2%相当分の値上げではなく、大幅に値上げとなったのはJR北海道。170円からいきなり200円。今も国鉄のままだったら、他の路線や新幹線で稼いだ収入を北海道の赤字を補填できていたかも知れませんが、現在は経営基盤が道内のみ。ほとんど車社会になり、日常的に汽車を利用する方が減少している。厳しくなっている。

 国鉄時代と変わらぬのブルー。1962(昭和37)年、山手線に初めて新性能の通勤型103系が導入した当初も、ロングシートの色もこの色と同じくブルー。国鉄時代、普通車両の座席色は「青」と定められ、11年後の1973(昭和48)年の敬老の日から高齢者を対象にし、「優先席」を首都圏、大阪圏の国電から順次導入。他の座席と区別するように色を変える提案が出たとき、当時の国鉄は赤字なので、在庫のあるものを探したところ、ちょうど新幹線0系の座席に使われるシルバーグレー色を利用。それで「シルバーシート」と名付けられた経緯がある。

 平成31年1月。平成最後の年になっても、またキハ47に乗れるなんて、なんと壊れにくい設計。小湊鉄道ももっと古く、昭和30年代に製造されたキハ20がバリバリ現役。もう半世紀前になりますが、「新しい車両を製造します」なんて滅多に聞かない。もしかしたら、車歴100年(1963(昭和38)年~2063(令和45)年のキハ20として全国的に注目されるかもしれない。令和は語呂合わせの018(れ、い、わ)の数字に関係があり、63から18を引くと令和に換算できる。

 次は新聞と見間違えそうですが、新関(しんせき)駅。真ん中に「下」を入れると、新下関駅になる。

 田舎だというのに、首都圏で見かける案内とまったく同じデザイン。

 北五泉駅。

 このような駅名票だけど、隣は五泉駅。新潟県五泉市の中心駅。

 真新しいLED駅名票。千葉支社のボロ房線って、こういう駅名票ではなく、古い蛍光灯タイプのもの。千葉駅までは韓国語、中国語、ナンバーリング付きのなものだけど、千葉から先は古い。千葉支社は田舎への整備費用を出し惜しんでいるかも。もう来年は2020年東京オリンピックですよ!

 五泉駅は、なんと!通せんぼ扉付きの通常タイプ!!

 猿和田駅でーす。


 申年の年賀状に猿の付く駅名を探したとき、「猿和田」を見つけた。しかし、猿に和田は人の名前になるし、結局、中央本線の「猿橋」で決着。
 なんで、こういう駅名になったのか、由来が気になります。次は、干支の駅名、馬下駅。昨日、新津―馬下のサボを「新潟-馬下」と見間違え、古くてボロキハ47が信越本線に乗り入れ、新潟まで連れてもらえるなんて、レアなんだ!ととんでもない早とちり。
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新津から磐越西線、初乗車でーす!

2019-09-24 00:00:00 | 2019冬_信越東北エリアの未乗区間消化の旅
 2019(平成31)年1月14日。(2019年4月30日まで平成31年、5月1日から令和元年)当初、帳簿関係は「平成31年度」と登録しているのに、現在は4月1日からでも「令和元年度」と一括り。運転免許証も、平成31年4月1日から30日まで更新された方は、令和ではなく平成表示なので、「平成36年まで有効」。十の位を取れば令和に読み替えることができるのでさほど不便を感じない。

 新津発会津若松行きは11時34分、5番線から。

 もしかしたら、あの汽車になるんじゃないかな。国鉄色のキハ47が懐かしい。昨日も、「新津-馬下」のサボを見て、「新潟行きの国鉄色キハ47だ!!」と思い違い、「早く乗らないと出発してしまいますよ!」と友人に手招きするほど・・・だから愛着のある汽車。ボロ国鉄は嫌いんじゃないの?と突っ込まれそうですが・・・子供のころの通学で飽きるほど何度も乗っているから懐かしい車両。山陰本線も、JRに変わってから広島色(イエローにグレー、クリームの3色)に変わりましたが、JR西日本は塗装にかける費用を削減するため、国鉄色に戻してバリバリ活躍中。
 じゃあ、山口県の末端、長門市から下関の山陰本線はすべて国鉄色なのかと聞かれれば、そう、です。令和になっても、子どものころによく乗っていた国鉄キハ47の光景が今でも見られる。厳密に言うと、「首都圏色」。どう見ても「朱色」なのに、なぜ首都圏色と呼ばれているかと言いますと、塗装工程の簡略化を狙ったもので、相模線など首都圏の線区から始まったと理由で全国どこに行っても朱色のディーゼルカーは「首都圏色」。

 昔から交通の要所と言われているとおり、駅舎も大きいです。

 ランチは新津駅弁。エビが好物なので、これに決まり!

 5番線に入線。期待していた首都圏色(朱色)のキハ47ではない。残念。中身は全く同じなのに、塗装の色だけで印象が全く変わる。

 先頭車はキハ47 516。塗色は、磐越西線カラー。会津若松の「赤べこ」をイメージにしたもの。

 後ろは、新潟色を連結。

 キハ47 512。

 ここはJR東日本なので、「緑」。1987(昭和62)年4月1日。新しい鉄道のJR西日本発足。まだまだ子供のころなので、新しい鉄道会社の発足とともに、新型車両が来るんじゃないかな~と期待しながら、駅へ。そこで見たものは、いつもの変わらぬ車両の側面に「JR」のロゴが貼っただけで全然変わらない!!がっくり・・・という思い出も。(笑)
 今考えてみれば、「JR」のロゴマークは、国鉄最終日の夜、最終列車の運用を終えた直後、作業員総出で国鉄最後の仕事として全ての車両に貼付していたところがスゴ技だと思います。
 4月1日の駅員さんは国鉄の制服だけど、6社ごとカラー分けした徽章だけ。下関駅など両社の境界駅付近でも同じ国鉄の制服なので、徽章の色でどこの会社なのか認識できていた。赤なら九州、青は西日本といった具合に。
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再び新津へ

2019-09-03 00:00:00 | 2019冬_信越東北エリアの未乗区間消化の旅

 平成31(2019)年1月14日、3連休の最終日。午前中は新津鉄道博物館、午後からは未乗区間の磐越西線全線乗車し、郡山から新幹線で帰京。
 翌朝もまた電車で新津とは面白みが欠けるので、新潟駅から新津鉄道博物館まで直接行ける路線バスに乗車。

 駅前のバスターミナルから出発です。新津といえば、新潟県新津市の印象がとても強く、秋葉区役所行きのバスで合っていますかねぇ?とさきほど確認してみたら、

 な、な、な、なんと!新津市が新潟市と合併し、政令指定都市になっていました。秋葉区は旧新津市なので、合っている、ということになります。「新津工業高校前」で下車。

 博物館全景。

 屋外では昔懐かしい車両の展示や、屋内では鉄道に関する様々な展示。撮影はOKでしたが、展示物の掲載は割愛させていただきます。
 新津駅まで路線バス、そこから私は鉄路の磐越西線経由、友人は電車で新潟に戻り、新潟空港から帰京。本年の3月、「平成」が終わらないうちに全国のJR全線完乗達成に加え、全国の私鉄、空港全制覇を目指す、私よりも強者なんです。
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新潟泊まり

2019-08-27 00:00:00 | 2019冬_信越東北エリアの未乗区間消化の旅
 山陰本線と同じキハ47に乗りたさで、「新津-馬下」のサボを「新潟-馬下」と見間違え。日頃は見間違えなど絶対にしないはずなのに、新潟地区は電化区間でもキハ47が走るところもあるので、先入観のせいか!?

 そんなにキハ47に乗りたければ、この間の山口帰省に、下関からの帰りは

 下 関  → 【区】東京都区内
  経由:山陽・山陰・東海道・湖西・北陸・金沢・新幹線・佐久平・小海線・中央東
 
 のルートを検討。「山陽・山陰・東海道」は幡生から京都まで端から端まで全区間山陰本線を意味します。
 
 下関発5時39分に乗れば、益田9時54分(キハ47)。益田でスーパーおき2号で米子13時3分、米子14時50分特急スーパーまつかぜ10号鳥取15時52分、16時20分(キハ47)浜坂行きに乗りかえて、浜坂、17時22分豊岡行き、豊岡で電車に乗りかえて福知山に着くのは19時39分。この日の旅終了。

(昭和の有名な列車、DD51にボロ旧型客車を牽引する日本一長距離鈍行列車 門司5時20分発福知山23時50分着の 普通824列車は18時間半もかかったけれど、今は5時台の汽車に乗って特急も乗って福知山には19時39分。14時間。)
 
 朝5時39分は慌ただしくホテルを出なければならない。ゆっくり9時頃・・・と思ったら、山陰本線は短区間ごとの運行なので、接続がとっても悪い。スムーズなのは朝5時39分のみ。パス。


 手持ちの乗車券は新津から「磐越東線」なので、新潟へ戻るのに購入。

 キハ47ではなく、新しい新潟地区のE129系。残念。

 新潟に向かう途中、「亀田」駅。亀田と聞くと、ボクシングの亀田三兄弟。新潟ではもう有名な、柿の種のメーカー、亀田製菓さん。
 新潟駅到着。相変わらず駅前のホテルでーす!!

 コンフォートホテル、東横インは全国どこに行ってもバリアフリー対応なので、テレビのことは心配不要。ちゃんと字幕対応。他のビジネス系ホテルは字幕に対応していたり、していなかったりするので、要注意。
 駅前にコンフォートまたは東横インがあれば、予約する安心感もあるからでしょうか。今回の宿はコンフォートさんです。

 ディナーはホテル向かいのところ。

 お通し。

 せっかく新潟に来たのなら、お刺身セット。

 サラダ。

 なめろう。(千葉では「なめろう」と言うんですけど、新潟では別の名前があったような・・?)

 炭水化物はこれ。お店の一押しなので、食べてみました。すご~く美味しい!!

 コンフォート系の朝食バイキング。かなり美味しくて充実している。少し物足りないと感じるのは東横イン。どちらも利用するほうなので、コンフォートに負けないほどのメニュー作りに努力したまえ!!

 朝の新潟駅。まだまだ話は続きます。
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新発田で羽越本線、新津で信越本線に乗りかえ

2019-08-16 00:00:00 | 2019冬_信越東北エリアの未乗区間消化の旅

 台風10号が来なければ、今頃は旅に出かけているはずだった・・・・。あの位置からにすると、欠航や運休に巻き添えになるよりも、1日延期すれば問題なし。休暇を取ってあるので、今日はどこも出かけず。若かった頃は、都会に出かけるのが楽しみだったのに、オジサンになった今はもっぱら田舎が良いと思えるようになりました。青ヶ島(絶海孤島の日本一秘境村)や小笠原(アクセス手段は船で24時間)が最適地かも。移住するんだったら、どっちか?と言われると、うーーーーん。
 今日のランチは冷やし中華。ジローさん向けの超特大盛。

 佐々木駅を出ると、次は西新発田駅。

 次は白新線の終点、新発田駅。

 1月の17時頃はもう日が暮れてしまいました。

 柴田駅はスイカが使える自動改札機設置。

 新発田市のマンホールカード。北海道から沖縄までの市町村水道局が企画し無料配布するもの。デザインはそれぞれ異なりますが、様式は全国統一。

 このまま白新線で新潟に戻るのは面白くないので、別ルートの羽越本線経由で・・・

 新津駅。羽越本線、信越本線、磐越西線が交差する交通の要。

 新潟地区では、この真新しい電車がもはや定番になりました。昔は国鉄の113系や115系があったんですけど、もう淘汰されていますね。

 切符が落ちていますな・・・??東三条から580円ってことは新津まで含まれているか!?と頭の中で距離感を計算。普段から新潟エリアに住んでいないのに、そんなこともできるんですか!?と言われそうですが、それは勘で。はい、範囲内です!!と計算してみたら、磐越西線の五泉(ごせん)まで。磐越西線に乗り替える際に落としてしまったかも・・・。

 これが私たちの乗るべき電車。

 数分後の馬下行きは磐越西線。

 うわーっ!!新潟行きがやってきましたよ!!電車ではなく、キハ47なんて思いもしなった!故郷の山陰本線と同じキハ47。懐かしい!!

 国鉄カラーのほうがもっと懐かしい。

 とっさに車内に乗り込むが、友人は外で待っている。「早く乗らないと行ってしまいますよ!!」と手招き。すると、「本当にこの汽車でいいと思っているの!?新潟とは逆方向ですよ」と言われ、はっと我に返る。「えー!違っていた!?」
 よーーーーく見たら、「新津 - 馬下」。国鉄のキハ47に乗りたさで「新潟 - 馬下」と見間違えが原因でした。
 もし1人旅だったら、新潟行きだと信じてずーっと「なかなか新潟に着かないな・・?」と誤乗しても気づかなかったかも知れない。
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白新線も初乗車!

2019-07-30 00:00:00 | 2019冬_信越東北エリアの未乗区間消化の旅
 白新線は新潟から新発田を結ぶ、27.3キロ。時刻表の巻頭路線図を確認すると、黒い線なので主要路線の「幹線」。青だったら、幹線から枝分かれする地方交通線。「白新」の、「新」は新潟を意味しているが、白新線内に「白」の付く駅名は1つもない。
 調べてみたら、昭和2(1927)年、「新潟県白山ヨリ新発田ニ至ル鉄道」として越後線の白山駅を起点としていた先の当初計画に由来。

 新潟を出て、次の駅は東新潟。簡易スイカではなく、ちゃんとした自動改札機。

 大形駅。ここでも有人駅、自動改札機設置。

 次は、新崎(にいざき)駅。

 早通(はやどおり)駅。

 豊栄(とよさか)駅。縁起の良さそうな駅。北海道の宗谷本線、「豊富」駅も。最北端の稚内からおよそ40キロ南なので、サイハテの駅と言ってもよさそう。

 黒山駅。越後線に「白山」駅があるので、対とした、オセロ!?

 佐々木駅。全国13位の多い姓名だけど、忘れてはならないのは青ヶ島と深い関わりを持っています。

 天明5(1785)年、青ヶ島で起きた天明の大噴火。全島民がとなりの八丈島へ避難し、およそ50年は無人島だった。佐々木次郎太夫らが島民の先頭にたち、ふるさと青ヶ島へ還住を果たしたのは、天保6(1832)年。
 佐々木次郎太夫様のおかげで、今の「青ヶ島村」があるのです。
 インターネットのなかった時代、青ヶ島なんてちっぽけな島、どなたでも見向きもされなかった島。観光客が滅多に来ない島。中学校社会地図帳で「青ヶ島」の存在を知り、想像を絶するほどとんでもない秘境なのかなぁ??と思いめぐらし、初上陸は今からちょうど20年前。

 いや、これではなかった。もっと古いのは・・・

 平成11(1999)年7月16日っ!!佐々木駅を紹介するつもりが、なぜか還住を果たした佐々木次郎太夫さまに脱線。
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白新線も乗車!!

2019-07-18 00:00:00 | 2019冬_信越東北エリアの未乗区間消化の旅

 ん!?珍しく自由席ですかい!?と思ったら、JR東日本のえきねっと。JR西日本のe5489だったら、四国および自社管内の新幹線、特急どちらも指定席料金で自由席と同額。JR九州も然り。自社線の特急および新幹線なら割り引く。えきねっとで予約すると、えきねっとポイントがたまり、スイカにチャージできるメリットもある。どうも、東日本(北海道)はポイントで還元、西日本(四国)は割引で還元。九州は割引に加え、Q(キュウ)ポ付き。JR東海は山陽新幹線で密接な関係にあるJR西日本と組み、東海管内の特急列車をe5489で確保し、東海の駅で受け取れるようになった。ただし、「ひだ」「南紀」「しなの」等の在来線特急のきっぷと、東海道新幹線と在来線の乗継割引を適用したきっぷのみ。JR東海に含まれていない他社の特急は発券不可になるなど制約が付く。
 永年保存が効く熱転写のMV機がまだ健在だった頃に購入。JR東海も、令和時代になってもまだ現存しているところはありましたが、この7月でついに全滅・・・。
 熱転写インクリボンは感熱に比べるとコストがかかるし、切符は1回使い切ったら廃札すべき。永年保存したがるマニアのためにコストをかけるのは不向き、という判断だからでしょう。 

 新潟行きはE3系でした。今年の3月ダイヤ改正から北陸新幹線で使われているE7系を上越新幹線に導入。新潟でもE7系が見られるようになりました。上越新幹線は全線JR東日本なので、西日本のW7系が入線するのは滅多にないでしょう。

 2019(平成31)年の1月。平成最後の白銀。31年はわずか4ヶ月しかなかった。5月1日に改元し、まもなく3ヶ月・・・。1年なんてあっという間。
 「このあいだ」の定義は若年層なら、ほぼ1年以内。私みたいなオジさんだと5年前でも「このあいだ」。数えてみて、もうだいぶ前になるけど、ついこの間なんだよな??と思える。

 今夜の宿は、新潟駅前のホテルだけど、白新線が未乗区間なので、友人が新発田まで行けば白新線全線完乗、再び白新線で戻るのは面白くないので、羽越本線で新津、新津から磐越西線といったようなプランを組み込んでくれました。

 経由欄が 新潟・白新・羽越・磐西・東北。新津から磐越西線で郡山に行くルートなので、新潟に戻るには、別途、新津から新潟までの乗車券が必要になる。東京駅の駅員さん、こういう変な乗り方をするな・・・と悪戦苦闘しながら操作。そりゃ、自社ポジションではなく、アウェーだもんな・・・。1番スゴ技を持っていたのは、JR東海の名古屋駅員さん。東日本、西日本、九州のアウェーでも、クイック発券。JR6社の路線をすべて頭の中にインプットしているかよう。

 白新線のホーム。

 まあまあ本数がありますね。

 新型電車がやってきました!!これから新発田まで乗ります。新発田は読み方が難しい市名に含まれています。新潟県民なら、新発田=シバタとすぐ読めるけど、遠く離れた地域だと何と読めばいいか戸惑ってしまいそう。たとえば、千葉の匝瑳。千葉県民になってからもうかなり長いのに、「匝瑳」を「そうさ」と読むのもついこの間知ったばかり・・・。
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ガーラ湯沢 → 越後湯沢

2019-07-11 22:14:24 | 2019冬_信越東北エリアの未乗区間消化の旅

 ガーラ湯沢駅でランチ。スキー場なので、セルフ式のレストランが1店舗しかない。1500円もするのに、美味しくなかった。しょぼすぎる。季節営業の店だし、心を込めていない、美味しくないものを出しても他にライバル店がないから、かっぽり儲かる。
 本当は越後湯沢駅の中にある飲食店のほうが通年営業だし、お店の顔となる料理が美味しくなければお客は離れていってしまう。いろんな工夫を重ねているので、料理は美味しい。しかし、越後湯沢駅での乗り換え時間が短いので、仕方がありません。

 六日町から先は、直江津からの乗車券を併用。

 100円で新幹線に乗れる、特定特急券。

 ここからわずか1.8キロで隣の越後湯沢駅。

 どこか懐かしさを感じさせるE2系。1997(平成9)年10月1日、長野新幹線開業時に初デビューされた車両。横軽といっても、今はそんな言葉は使われなくなっていると思います。旧信越本線の横川から軽井沢を結んでいた、碓氷峠の線路。険しい急こう配なので、長野行きの特急が横川駅に到着すると、電気機関車のEF63の2両を連結し、電車の動力と機関車の動力を合わせて、ぐいぐいと上がって、軽井沢から横川に向かうときはエンジンブレーキ。

 22年前の、懐かしい切符。国分寺駅は当時住んでいたエリア。1984(昭和59)年から超大型のコンピュータ、緑色のピンを差し込むパタパタ。初登場から8年目あたりの1992(平成4)年頃から日立の汎用ワークステーションを用いたものが使われ、かなりコンパクトになった。パタパタはM型、ワークステーションはM2。もちろん熱転写なので色褪せない。

 9月23日、廃線1週間前の祝日。事前予約入力して、10時になったらコンピュータが抑えてくれる「えきねっと」のない時代なのに、この指定席が取れるのは奇跡的かも。平成9年8月23日か・・・カレンダーを見たら土曜日。なぜ新松戸駅に行ったのか、なかなか思い出せない。

 スキーヤーはまだスキーを楽しんでいる時間帯なので、車内はガラガラ。

 わずか1.8キロの旅、スタート!!

 もう越後湯沢駅。

 要所時間はカップラーメンと同じくらい。

 東京行きだけど、越後湯沢から逆方向の新幹線に乗りまーす!!
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気になる駅やっと行けました!

2019-07-05 00:00:00 | 2019冬_信越東北エリアの未乗区間消化の旅

 冬季のみ営業のガーラ湯沢駅です。となりの越後湯沢までわずか1.8キロしか離れていないけれど、上越新幹線と一体化した支線だけど、厳密に言うと在来線扱い。在来線に新幹線車両が使われているので、100円の特急料金も加算。山陽新幹線の終点、博多から新幹線の車庫がある博多南まで回送ではなく、旅客扱いにするときも特定特急券100円加算。博多南線と同じ体制。


 駅の前は関越自動車道。家族と長岡花火大会に出かけたとき、新潟方面に向かって左側に「ガーラ湯沢」の文字が見えて、あれが季節営業の駅なのか!?とチラ見。このとき、8月なので営業休止中だけど、建物がやけに巨大だった印象。

 冬季のみ営業する自動券売機および「みどりの窓口」。もちろん、マルス端末(OKIのME4型)設置。スキーシーズン以外はそれらの機器はずーっとOFF。新宿駅、池袋駅、東京駅はひっきりなく発券し続けるので、機器も摩耗しやすい。ここなら冬の間なら稼働なので、都会より長持ちできそう。



 昭和の遺産、オレンジカードが使えるなんてすばらしい!!昭和60(1985)年、当時の国鉄がキャッシュレス時代到来です!小銭を用意しなくてもすぐ切符が買えるオレンジカード!!とか宣伝をやっていたような。JNRのマークがついているオレンジカード多量眠らせたままで1度も出番無し。電車に乗る機会があったら、オレンジカードで切符を買って消費するつもりが、いつもの習慣で直接改札機に出向き、モバイルsuicaでピッ!!
 国鉄に前払いとして支払ったものなので、JRになった今でも使えるはずなんですが、国鉄のオレンジカードだとJRへの収入ゼロかも。たぶん。郵便局も然り。国営の郵政省時代に発行された切手は現在も使えるはず。昭和時代に発行された切手を使って、ゆうパックなどで利用。これも、JP(民営化の日本郵便)の収入はゼロかも。



 自動改札機が使えるようになるのは、発車15分前から。前の上司は自動改札君。業務の処理能力が自動改札並み。内容に間違いがなければ、瞬時に入鋏済のパンチ穴を開けてくれる。あまり自信がないまま、起案。何か突っ込まれて書き直しになるんじゃないかと顔色を伺ったら、「入鋏済」。ほっとする。妥協を許さないタイプなので、私も気持ちを引き締めて・・・・上司が変わると、扱いも100%変わる。今のは、朝のなっちゃんに出てくるお兄さんの「咲太郎」タイプ。郷に入っては郷に従えでやるしかない。
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