東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

小笠原旅行・最終回

2017-02-19 23:19:54 | 2016小笠原
 旅行から帰ると必ずSDカードの画像をパソコンに移し替え。友人が撮ってきたものも同時交換しているので、このブログでは友人が撮ってきた分も交互にアップしています。
 そろそろ小笠原旅行記は最終回を迎えそうだと思ったら・・・・

 東京から父島に向かうときの船はいろいろ撮っているのに、

 父島から東京行きはあんまり撮っていないっ!!たぶん・・・現実の世界に戻るから撮る気も失せていたかも???東京から父島に向かう航海なら18時40分から55分あたりに青ヶ島近海を通るので、目をよく凝らすと島影が薄っすらと見える。(日没時間が遅い夏季の間でよく晴れていれば、高確率で青ヶ島が見えます)
 父島から東京行きは、青ヶ島近海通過時刻は7時~7時半頃かな。小笠原の疲れなのか、デッキに出ることはせず、熟睡中でした。
 東京~八丈島の「たちばな丸」は10時間かかるのに、「新おがさわら丸」デッキから八丈島が薄っすらと見えるのは朝の8時頃。その6時間後に東京なんて、速すぎる。考えてみれば、東京から八丈島までおよそ280キロ。新おが丸の速度は40キロなので、6時間後は240キロ進むことになる。八丈島にしっかり寄るのではなく、はるか東側を通過なので、誤差は許容範囲。

 12時を過ぎたあたりかな・・・ついに「おがさわら丸」は神奈川県の三浦半島と千葉県の房総半島に挟まれた東京湾に突入~!!東京湾内に入ると、他の船舶もたくさん運行しているので速度もダウン。東京湾の色も茶色に濁っていて、小笠原で見たコバルトブルーとは違う。現実の世界に引き戻されてしまいました・・・。
 
 定刻の15時30分。ついに竹芝桟橋着岸。船内に滞り、再び小笠原に帰りたい!と後ろ髪を引かれる思いで下船。

 私が子供のころ、東京にものすごく憧れていて、夜でも白昼のようにとても明るい渋谷に身を置いてみたいとか、東京に着いたら何をやりたいのか、メモで箇条書きするほどだったけど、今は東京に行きたい!という思いはもう薄らいてしまいました。もっぱら暮らしてみたいのは青ヶ島や小笠原、奥多摩とか秘境なところ。
 
 「東京ですることがないので、帰りましょう~!!」ということになり、ゆりかもめで新橋へ。自宅最寄りの駅は小湊鐵道。JRの切符は2枚に分割すると運賃が若干安くなる。顧客が自分で操作して発券するMV機は、下車駅が私鉄の駅だと駅名が出てこない。みどりの窓口のマルスなら全国どこでも連絡運輸範囲内なら発券可能。(連絡運輸とは、JRと私鉄、まとめて1枚にしたもの)JR東日本の自動券売機は西武、東武、東京メトロ、小田急、京王、京成、東急など大手私鉄なら連絡運輸の口座があるのに、小湊とかのマイナーな私鉄はついていない。 新橋の「みどりの窓口」ではすごく混んでいたため、スイカでタッチして入場。横須賀-総武線快速で千葉へ。千葉でタッチして出場。

 みどりの窓口で小湊連絡切符を購入。小湊鐵道は自社で発券されたものなら、記念に持ち帰りたいと申告すれば持ち帰れるけど、このようなJRで発券されたものだと持ち帰りは不可。下車時、車掌さんに回収されてしまいます。マルスで連絡券を発売した時点で私鉄に配分すると思うけど、帳合を取るため回収しているかも。
 経由は外房・内房・五井 なので、小湊連絡切符なんです。JRと私鉄、お互い連絡できる範囲は定められていて、小湊鐵道の範囲は山手線内まで。
 
 小笠原旅行記はこれで最終回になってしまいました。長い間、ご愛読ありがとうございます。
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島塩ラーメンは美味しかった!

2017-02-15 00:20:26 | 2016小笠原
 2016年7月31日15時30分。東京行きの船が父島の二見港離岸。あれから4時間後の19時30分頃。360度見渡す限り、海、海、海の太平洋のど真ん中、船内のレストランChichijimaで夕食です。
 行くときに食べた、おが丸島塩ステーキは、安くてボロい肉を使用しているせいか、お世辞にも美味しいとは言えなかった。1480円は確かに安値だけど、値が張ってもいいから、せっかく島塩を使うんだったら、上質な肉を使えよ!!

 帰りは同じく島塩ラーメンを注文。美味しさは合格!スープまで飲み干してしまいました。
 日付が変わって、8月1日。
 朝食は、最上階デッキにある、ミニラウンジHahajimaで朝食。トーストとコーヒー。

 8月1日のランチは、同じくHahajimaでタイのグリーンカレー。
 おがさわら丸船内では、レストラン、売店とともに全国の交通系ICカードが使えるので、細かい小銭を用意しなくてもスマート決済。おがさわら丸は東京都の船舶に属しているので、suicaのペンギンマーク付きですが、JR北海道のキタカやJR九州のスゴカでも支払いに使えます。suicaのマークがついているので、suicaでしか使えないかもと勘違いされてしまいますが、実はパスモも含め、全国のカードOK!でした。ピッ!と決済音がして、レシートが出てきます。JW・・・なら、JR西日本のイコカ決算。船内にチャージする設備はありませんので、浜松町駅の券売機やコンビニなどで船に乗る前にあからじめチャージしておいてください。
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1等スタンダード客室内

2017-02-11 01:02:48 | 2016小笠原

 テレビがついていますが、映るのはほとんど衛星放送。「地上波デジタル」に切り替えても、何も映りません・・・。
 小笠原手話サークルで知り合った親子さんも1等室ってどんな雰囲気?と知りたがっている様子なので、招き入れ。私はこの船で東京に戻ったら夏休みは終わってしまうけど、小笠原の方は、故郷が千葉なので、2週間くらいは帰省するとのこと。島の方の夏休みは長いんですよね・・・。私も1週間ではなく、夏休みを消化して、さらに有給休暇も連続して消費したい!と2週間近く島でエンジョイしたいんだけどな。はぁ・・・。
 有給休暇は毎年4月1日に20日付与されますが、前年度、使い切れなかった有給を繰り越せるのは最大20日まで。つまり、毎年4月1日になれば40日はもらえる。今の上司は年中無休で出勤し、「おまえらも年中無休で出勤しろ!」といった雰囲気があり、取得しづらい状態。上司が年休を取得するのを1度も見たことがない。
 休めるのは、毎週月曜日と祝日出勤の振替や指定休だけでやりくり。休んでも給料がもらえるのが「有給休暇」最大の特徴であり、労働者の「権利」とも言うべき休暇。今までは20日+繰り越した分20日で40日。年度末に計画的にうまく20日使い切って、新たに20日付与され、40日。今の上司に代わってから、20日全部使い切るのは難しく15日余って捨てる。休みを申請したいけれど、顔色を伺わなければならない。前の上司は計画的に取得できていたので、自分も同じように取得し、仕事とプライベート、両方満喫できていた。今のは、「小笠原行きの6日間は認めません」とか5月の北海道旅も「イベント終了直後なので片付けがあるはずなので認めませーん」、9月の木次線旅も、「この日は質問や答弁があるかも知れないので休みは認めませーん」。それでも私は強行突破してきたけど、これは人の休みにケチつけるハラスメント。あと1ケ月半の我慢。両者成敗として、私も上司も異動かも知れない??カレンダーを見たら、2月11日から年度末まであと49日です。
 今度は、今の上司みたいに抑圧を受けずに進捗状況を見ながら自分でスケジュールを調整できるところを希望。果たしてどうなんだろう。

 スタンダードは2人部屋です。このようなベッドが1つの部屋に2台備え付け。乗船日は7月31日、夏季バージョンですが、今の冬季はふわふわの暖かいお布団配備されるかも知れません。枕元にコンセントなので、現代の需用に合わせた設計になっていました。(2等寝台もコンセント付き)

 ソファの下に救命道具が入っています。どのクラスでもそうだけど、もしも、なにか起きた場合に備え、救命道具が収納されている場所を把握しておいたほうがよさそうです。

 本来なら、海に落として二見港へ再び流れ着くように・・・のはず、ちゃっかり内地へ。

 ビジネス系ホテルと同じくオートロックなので、このようなルームカードを使います。

 下船時、ルームカードの返却ボックス。日付や部屋番号などの個別情報を埋め込まれたICチップなので、出航から到着まで有効。回収されたカードは、新たに部屋番号に書き換えるので、何度も再利用できるエコロジーなルームカード。まだまだ続きはあります・・・。
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行きは、2等寝台、帰りは奮発して1等スタンダード

2017-02-07 00:04:33 | 2016小笠原
 旧おがさわら丸(1997(平成9)年~2016(平成28)年)時代のときは、必ず1番安い「2等和室」を予約し、窓が付くCデッキに割り当てられるように朝早く出発して、竹芝桟橋の窓口で並ぶ。DデッキやEデッキは窓がなく、25時間半も閉じ込められると今は明るい時間帯の昼間??とか体内リズムが狂うので、窓があるCデッキの和室で、外の明暗で時間を判断していた。旧おが丸のDデッキやEデッキの2等和室を嫌っていた思い出があります。繁忙期、Cデッキを抑えられず、Dデッキに案内されたときはがっくり・・・。
 世界遺産になる前なので、旧おが丸でも定員は1000名。1000名近く乗ってきたら、2等和室は1人あたりのスペースが狭くなる雑魚寝。例えば、夜中に目覚め、トイレへ。戻ってきたら・・・隣の人が寝返りを打ったのか、私のスペースなし!!あたりを見回して、辛うじて空いているスペースを見つけては横になる。そんな苦情も相次いだのか、定員を800名に減らし、1人あたりのスペースを拡張。はっきり自分のスペースがわかるように白テープで区画。

 そして・・・2016年7月デビューの「新おが丸」はそんな問題は解消!!

 2等和室であっても、寝台特急サンライズの「のびのび座席」と同じく、区切り板もついているので、隣の人が寝返りを打っても体当たりを受けることは皆無。荷物を多く持ち込まれるのを想定し、仕切り板の真上に荷物を乗せるスペース(荷台)も付きました。
 今も現役で活躍中の寝台特急サンライズ(東京-高松の瀬戸号、東京-出雲市の出雲号」もランキングがあり、A寝台、B寝台とともに個室。「のびのび座席」だけは、寝台券不要。普通の指定席特急券と同じ料金で横になれる。しかも、岡山で新幹線に乗り継ぎになると、サンライズの指定席特急券も半額っ!!私が若かった頃は実家が山口なので、帰るときだけは、いつもサンライズ。逆に東京に戻るのにサンライズだと翌朝東京。出勤タイムに間に合わないので、前日のうちに新幹線か飛行機。
 東京22:00 → 岡山 6:27 岡山から新下関まで新幹線でおよそ2時間なので、8時半に到着。駅前のレンタカー屋で車を借りて日本海側の田舎に着くのは10時前後。12時間で帰れたのです。
 今も西日本方面に向かうときは、サンライズを利用することもありますが・・ほとんどB寝台の「個室」を選択し、始発から終点でフル個室利用。サンライズもJR各社のネット予約ができていれば、とても便利だけど、ネット予約なし。みどりの窓口で対面販売か、JR西日本のe5489電話予約で抑え、JR東日本の23区内の駅(みどりの窓口または指定席券発売機のMV機で引き換え)JR九州のJQカード会員の電話予約サービスで抑え、JR九州またはJR西日本の窓口で乗車直前に引き換え。もともとは全国共通の日本國有鐵道(JNR)だというのに、地域ごとに制約がついています。
 今はサンライズは日本唯一の夜行列車なので、大人気沸騰中。1ケ月前の当日10時打ちでも取れないときもあるそうです。ちなみに行き先は東京から香川県の高松まで、島根県の出雲市まで。私としては、東京からずーっと直流1500Vの下関まで運行して欲しい。関門トンネルも直流1500Vですが・・・関門トンネルが九州に入ったとたん、電気方式を切り替えるデッドセクション。直流1500Vと交流2万Vのつなぎ目は電車は一時停電。停電になってもすぐには止まれず、惰行(動力による加速や減速もなく、車両が惰性で走行している)。切り替えた時点で加速。子供のころ、何度も下関と門司を往来し、電車が何で停電するのか理由は全くわからず。理解できたのは中学あたりだと思う。次々と新型電車を開発し、今年の4月から制服も刷新し、何でも新しくするJR九州だというのに、西日本につながる関門トンネルの山陽本線部分に新しいのに投資したがらない。今も、関門トンネル専用電車として、ボロ國鐡の415系で運用中。だったら、JR西日本廣島支社が、九州向けに交直流どちらも使える電車を開発すればよいことだが、九州と西日本、仲がよいのは新幹線の「さくら」だけ共同運用中。在来線に両社とも力に入れず。國鐡が民営化されてから30年。今でも半世紀前に製造されたボロに乗れるのは骨董クラス。
 415系で比較的新しいのは1500番台。銀色のステンレスに青色帯に赤いJRロゴ。山陰本線、山陽本線は古めかしいボロばかりだというのに、1500番台が出たときは都会的で洗練されたデザインだな~と思ったのは確か。あれからもう30年、古くてボロに属してしまいますが、私にとっては「まだ新しい」です。
 415系1500番台の仲間はずっと昔、東海道本線で活躍していた211系。オールステンレス、湘南色の帯に中間は2階建てのグリーン車も連結。
 おがさわら丸の記事だというのに、故郷の鉄道に脱線しすぎる・・・。
 
 気を取り直して・・・


 
 1等スタンダードのお部屋です。市中のビジネスホテル仕様なので、最低限のものは備え付けられています。国王様が小笠原に行くとしたら、たぶん最上階の「特等室スイートルーム」にすると思いますが、私の能力では、これは無理無理。せいぜい、1等のスタンダード。これでも快適な空間です。まだまだ続きます。今日はこの辺で・・・。

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内地へ一時帰省して、また帰ってくるから!!

2017-02-03 00:00:00 | 2016小笠原

 「いっていらっしゃーい!」「また帰ってきてね!」の旗や横断幕に見送られつつ・・・少しずつ二見港から離岸。いったん離岸してしまうと、次の着岸場所は東京の竹芝。どこにも寄らず、東京直行~!!小笠原諸島がアメリカの占領下に置かれ、八丈島へ引き揚げた旧島民の小笠原訪問、先祖慰霊のため、年に1度は「おがさわら丸」が八丈島寄港便が設定されています。毎年6月が多いです。
 新おがさわら丸が竹芝を11時に出航するダイヤ設定は沖縄7:35 → 羽田9:45(JAL便) ~浜松町10:15 なので、乗船手続き締め切り時刻の10時40分には間に合う。札幌(千歳)8:00 → 羽田9:35 これも同様、おがさわら丸の出航時刻に間に合う。すなわち、北海道から沖縄までどこからでも当日の「おがさわら丸」に乗り継ぎができるような設定。お帰りの竹芝15時30分も、羽田空港発17時以降なら日本のほぼ全国へその日のうちに帰れます。小笠原から東京へ戻った当日中に沖縄、ということも可能。
 ただし、青ヶ島から小笠原行きは、かなり大変。青ヶ島の島民が小笠原に行きたい!と思えば、

 1日目 ヘリコプターまたはあおがしま丸で八丈島入り ANA1896便(最終便)八丈島17:20 →羽田18:15 都内泊まり
 2日目 竹芝11時出航--- 18時頃、昨日発ったばかりの青ヶ島の島影が見える。
 3日目 父島11時入港。さらに母島へ行きたいと思えば、ははじま丸に乗りかえて 15:30着。
 4日目
 5日目
 6日目 父島15:30発
 7日目 早朝、青ヶ島近海を通過し、竹芝15:30着 都内泊まり
 8日目 ANA1891便 7:35 →八丈 8:30 ヘリ 9:20発-青ヶ島 9:40着
                            船  9:30 -青ヶ島12:30着

 都内の移動なのに、なんと最低でも往復8日間も要してしまいます!!

 ゆうパックも 100-1701(青ヶ島)→100-2101(小笠原)も、あおがしま丸とANA空輸で江東区の新東京郵便局を経由。逆に、100-2101(小笠原)→青ヶ島(100-1701)は、おがさわら丸で運ばれ、新東京郵便局を経由して、八丈島行きの「たちばな丸」に搭載。全区間船便なので、それなりの日数がかかる。しかも、ゆうパックの料金は同一都内扱い。離島へ送るのに郵便局とクロネコヤマトは離島特別料金がかからないので、内地へ送る感覚で送れます。他の運送会社だと、離島の中継料金(自社での取扱いができないので委託手数料)もかかるので割高になります。

 小笠原旅行のセレモニー。大勢の観光船が「おがさわら丸」と併走しながらお見送り。2、30分後、「おがさわら丸」の速度があがり、並走できなくなった地点で船に乗っていた方々たちが次々と海にダイブ。海面上から大きく手を振ってくれます。

 この日はベタ凪ぎなので、大勢の観光船は追いかけてくれました。私も大きく手を振りながら・・・
 今の新しい「おがさわら丸」がデビューしたのは2016(平成28)年7月2日。それまでは14時出航だったのに、1時間半延びて15時30分発。小笠原の島民たちは日の傾きとか敏感のようなので、14時出航時の太陽の位置が身についていたのに、いきなり15時30分。太陽が西に傾いた頃に出航なので、デビュー直後は違和感を覚えたとか、そういった声も聞いたことがあります。
 特に冬至の日の入りは早い。太陽が水平線に沈む1時間半前に出航なので、あたりはオレンジ色に染まっているに違いない。冬至の14時はまだ白昼なので、明るいし・・・。

 島民が編んでくれた、また帰ってくれるようにと願った「レイ」と「かんむり」。本来なら、海に投げ落として、再び二見港に流れ着くように。本体は内地に行ってしまうけど、身につけていたものは再び二見港へ流れ着き、また本体も二見港へ帰って来られるようにというおまじないだけど・・・投げ落とすほどもったいないほど工芸品のように思えて、ちゃっかり内地へお持ち帰り・・・。
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1航海なのに、手厚いもてなし・・・

2017-01-27 00:29:29 | 2016小笠原
 東京発父島行きの竹芝桟橋では、盛大なお見送りはなし。そう、内地の人たちは「忙しい」。もしも、「小笠原に行くから竹芝桟橋までも見送りに来て~」と友人からメールやLINEが来ても「なんだとー!?オガサワラ!?私も行きたいのに、見送りに行ってられるか!」なのかも知れない。今まで竹芝桟橋で見送りに来てくれたのは、母島のアンナビーチユースホステルのお父さんと夏休み中の娘さんたち。(いつだったかな・・・2009年だ!平成21年)夏休み、母島行きを計画して予約したのに、お母さんとゆきなちゃん(2歳)を母島に残して内地に出かけていてご不在とのこと。ゆきなちゃんはもう小学4年生。(4月から5年生)見ないうちに大きくなりました。7年の歳月は早いな~。竹芝桟橋で小笠原の人たちが小笠原へ旅行する人に対し、「小笠原で思いっきり楽しんでね~!」とわざわざ見送りに来てくれるのに、内地の友人は絶対に来ない。
 東京ではあまり盛り上がらないのに、小笠原での見送りはずっと昔から変わらず、おそらく・・・日本一派手で手厚いもてなしをしてくれます。ちなみに小笠原では終わりやお別れを意味する「さよなら」とは禁句です!!また帰って来られるのを願い、「いっていらっしゃーい!」。東京からの船だと「おかえりなさーい」と迎え入れます。その光景を見ると、いつかはまた帰るぞ!という気持ちをさせてくれるので、もはや小笠原はリピーターの地になってしまいました。
 青ヶ島では「おもう~わよ~」と言って見送ります。内地に行っても、いつまでも青ヶ島のことを思い出して欲しいという意味になると思います。思い出してはまた青ヶ島に帰りたくなる、言葉のマジック。
 だ・か・ら・・・伊豆諸島と小笠原の中で何回も行っているのは青ヶ島と小笠原!?若かった頃は年に1度は帰る!がポリシーだけど、最近は数年おきに・・・。

 島の植物で編んだ頭飾りや首飾りは内地へ旅立つ人がまた島へ戻ってこれるように、願って編んでくれたものです。おがさわら丸が港から離れたら、このレイを海へ落とします。自分の体は内地に行ってしまうけど、身につけていたレイが島に流れ着いたらまたその人は島に再び戻って来られるという言い伝えがあります。
 し、し、しかし・・・こんなにきれいなものを海に落とす勇気がなく、ちゃっかり内地まで持ち帰り、自宅で1、2週間は飾ってしまいました。レイはもうすっかり乾燥してしまったけど、今も玄関で小笠原の思い出として飾っています。

 竹芝桟橋ではこんな風景は見られないのに、父島だと大勢の方々が見送りに来てくれます。

 船に乗ったら、すぐ桟橋側のデッキに立つので、見送る側にすれば、何段もあるデッキの中から見つけるのは難しい。自分の存在をアピールできるようにレイと同じ素材で編んでくれた「振り棒」を振りながら自分の居場所を知らせるようなもの。

 ついに15時30分。出航する合図(銅鑼(どら)の音)とともに、少しずつ離岸。絶対に帰ります!とすぐレイを落とす人もいますが・・・流れ着く距離が短すぎる。落とすタイミングは15~20分後がよろしい。おまじないのようなものだけど、レイを内地に持ち帰っても、また小笠原へ帰りたい気持ちはありますよ~!!
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寂しくなりますが・・・いよいよ・・・

2017-01-22 00:00:00 | 2016小笠原

 いつも見慣れた旧おがまる(1997年~2016年)に比べると、背丈がずいぶんと高くなってしまいました。すっごく大型化に・・・。

 小笠原でも太鼓文化は根付いているのか、お見送りの太鼓演奏があります。青ヶ島でも、ながーく島に住んでいた方が任務完了または異動命令により、島から離れるときも還住太鼓をたたいてお見送りする習慣があります。

 7月31日は日曜日なので、日本手話流暢な小笠原郵便局長さんもお見送りに来て下さいました。左側は手話サークルの方で、ボランティアで通訳されている方です。ホテル「ふく」に電話予約したときも、電話通訳オペレーターを介しての通話(電話通訳のオペレーターも耳に障がいを持つ方からのご依頼で代理電話リレーサービスですとあらかじめ通話先に伝えてあるので、通話先もろう者からの予約だと把握している)なので、ホテル「ふく」さんが小笠原手話サークルに通訳ボランティアに依頼したのか、頼みもしないのに、チェックインの説明も手話通訳付きでした。女将さんが音声で利用方法をガイダンスしている横で手話通訳なので、女将さんは字を書く必要はないので、楽だったかも知れません。

 局長さんからの年賀状です。な、な、な、なんと!!島で10組以上のろう者と出会いました!とのこと。私が小笠原から内地へ戻ってしばらくしたら、ずっと昔、都心でのサラリーマン時代、職場が同じだった友人も小笠原へ。「今、父島に来ていて、〇〇さん(局長さん)と飲み会でーす」と思いがけないLINEが来て、ビックリ仰天っ!!私の場合は気象予報士の資格は持っていないのに、青ヶ島や小笠原に行くなら、この期間がベストシーンだ!と長期予想までもちゃっかり計算してから計画を立てるけど、友人は8月。2016年の台風といえば、7月下旬までは発生件数が少なくて8月以降はゲリラ的に発生。台風で欠航になり、父島で延泊中~!!とか、めいっぱい楽しんできたそうです。小笠原へ行くには最低6日間のプランはあれこれ欲張りすぎてバタバタしてしまう。1回は東京行きの船を見送って、次に来る船で帰ればいいという「のんびり」プランが1番。
 まだまだ小笠原の話は続きます。もう半年前になってしまいますが、自分の好きな場所の話は決まってエンドレス。
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また、帰るよ、オガサワラ

2017-01-19 00:25:01 | 2016小笠原
 旧おが丸時代のときは、14時出航。(2016年の6月まで)。7月から山口県下関市で製造された、三菱重工業の新おが丸が就航し、1時間半も短縮。15時30分に出航し、24時間後の15時30分には竹芝桟橋に到着する。
 父島の島民たちは私に似ていて、の~んびり過ごして、その時が来たら慌てて準備をする。引っ越しの準備もそう。引っ越しにかける費用をかけたくないのか、荷造りは自分で、業者は「運搬」のみの安いプランにしたのに、まともに準備をしないまま「なんとかなるさ~」緊迫感なし!!約束の時間が迫ってきます!!どうしますか!?ラストスパートだっ!!と徹夜で荷造り。そんな性格なんです。
 船に同乗した島民たちから聞いた話。「1時間半延びただけで、本当に大助かりなんですよ~荷物の準備とかバタバタしなくてもいいし~」その話を聞いたときに「前日のうちに荷物を準備すればいいじゃん!?」と思いましたが、自分も直前になって慌てるから人のこと言えず。(笑)

 戦時中、防空壕も兼ねていた隧道。バイクや自転車などの乗り入れは禁止されていて、歩道のみになっています。

 小笠原村の村章は1番左側。小笠原の「小」に3匹のハハジマメグロを図案。自分の好きなところの市町村章のデザインはしっかり目に焼き付き。青ヶ島村は真ん中に△、そのまわりの▽が3個くっ付けたような幾何学的な模様は丸山、温和を意味する(?)〇。

 おが丸の二見港待合所の様子。まるで竹芝桟橋の待合室を思わせるような広い空間。東京から1000キロ離れた辺境な地だというのに、新おが丸が用意している座席の数は全等で892。道理でこんなに広いですっ!!

 父島営業所の事務室入口。窓口では数名の社員が配置し、大きな駅の「みどりの窓口」のようで出航数時間前からフォーク並び。旅行会社で手配してくれたチケットや、小笠原海運に直接予約して予約確認書だけでは船に乗れないので、それらの書類を窓口に持参して、乗船券なるものと引き換えが必要になります。1等以上は、あらかじめ部屋番号が指定されますが、2等寝台や2等和室は引き換えた順番に指定席が割り当てられます。
 私たちの場合は・・・行きは2等寝台、帰りは少し奮発して1等スタンダード席。部屋の内装はシティホテルとは変わりないですが、小笠原で目いっぱい遊んだあとはこの豪華な部屋で疲れを取ろうと思ったのがきっかけ。チケットを窓口に持参すると・・・QRコード記載の乗船票(QRコード内にチケットを申し込んだときの個人情報入力済)と、1等のルームカードが渡されてきました。今の新おが丸はQRチケットに代わっているので、乗船前の乗船票なるものに自分の名前や住所、連絡先とか記入しなければならないですが、それらをすべてあらかじめ入力された状態なので、記入する手間は省略。QRを読み取るスキャナーは改札チケッターの代わり。QRを当てるたびにおが丸の船内に乗船済という乗客全員分のリストが事務所のコンピュータに転送。もちろん、下船時に回収されるので、記念にお持ち帰りはできない。JRのICカードと同じく、入場と退場とセットで処理しなければならず、QRでは乗船済となっているのに、目的地で下船した痕跡がないと、航海中に行方不明になったとし、捜索の対象になってしまいます。

 旧おが丸の遺品でしょう??今は2等でも指定席制になっています。

 歴代の「おが丸」模型。

 旧おが丸は背丈が低かったのに、今はずいぶん高くなってしまいました・・・。
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小笠原最終日のランチ

2017-01-16 00:36:38 | 2016小笠原

 これは何というメニューでしたっけ!?「ごはん」系のものを2つ注文したら、「ごめんなさい!今、ごはんを切らしてしまって・・・今は1つしか出せないんですーっ!」と言われたような記憶がするので、これは野菜たっぷりのラーメンでしょう??

 チャーハンにもやしあんかけソースだと思います。半年前だと、頭の中で覚えたつもりでも、正確なメニュー忘れちゃいました。
 小笠原の中華店「かがや亭」は、もやしのヒゲを取って、見た目や口当たりをよくしています。
 私はもやしのヒゲを取る方だけど・・・実際は!?

 ヒゲ根には、栄養がたくさん詰まっている ので、取らないほうがベター!!です。(友人談)

 ラーメンは直接口にするものなので、取っておいて、お好み焼きとかはヒゲを気にすることはないので、そのままにしたほうが良いかも!?

 父島に来て、中華料理とは思いもしませんでしたが、このお店はとっても美味しかったです。メニューの名前は忘れたけど、味はしっかり覚えていますっ!!
 韓国人経営の韓国家庭料理の「アリラン」もあります。(場所は二見港玄関真向かい)ハングルだらけ~ではなく、もちろん日本語で書かれたメニューだし、日本語も話せるバイリンガルなのでご安心を~!!内地の韓国料理店だと、キムチはちゃっかり金を取るけど・・・父島は無料。他の料理メニューにキムチ代は含まれているという韓国方式。韓国では、メイン料理に、キムチやナムルは無料でお替りもできます。
 洋食レストランもありますし、父島は料理のジャンルがたくさん!!母島は洋食レストランがあっても、中華や韓国はなかったような??
 青ヶ島は・・・食材の入荷次第で多国籍料理や全国の郷土料理を味わえる場所は小中学校の給食。しかし・・・我ら観光客は口にすることはできません。残念!
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父島での観光はそろそろラスト

2017-01-13 00:24:57 | 2016小笠原
<<2017年3月31日まで あと78日(キロ)>>

 1日1キロ進む、パーチャルリアリティの船は・・・青ヶ島まであと78キロ。自分の処刑まであと残りわずか。連携も全然なっていなくて、齟齬ばっかり発生し・・・。要は上からの圧力もあり、マネジメント管理になっていない。いくつかの改善案を出したにも関わらず、そんなのは二の次だ!俺様の考えは絶対に正しいからなと取り合ってくれず。1月20日頃、70キロになったら、今度はあおがしま路線に切り替えます。70日後の3月31日になれば青ヶ島に着くわけだけど、「青ヶ島 → 【区】東京都区内 経由:八丈島・東海汽船・浜松町 4月1日から365日有効」。あと365日の再カウントダウン。引き継ぎ、同じ職場で同じメンバーでさらに1年延長はないない!!過去にももめごとが起き、両者成敗としお互い引き離す異動があった。もし、本当にそうなったとしたら、2回目になる。きちんと法令や規則通りに遵守し、遂行する必要はありますが・・・ケースバイケースな対応ができないのかね、反面教師。また愚痴か・・・もう書かない!と思っていたのにポロリ。


 朝8時半からスタートし、時計を見るとあっという間に11時半。15時発の「おが丸」で帰京するため、今回は半日コース。お弁当持参で朝から夕方まで1日コースもあります。
 1日コースは陸地へ帰らないので、船上でランチタイム。観光業者さんが参加者全員分のランチボックスを用意してくれるわけではないので、申込まれるとお弁当をご用意くださいと言われます。父島は都会ですので、朝7時からお弁当、パン店が開いているところもあります。お泊りになる宿にも翌日のお弁当を用意して欲しいとリクエストすれば、オプションでおにぎりを作ってくれるところもありますので、要相談。

 大寒波到来でも、この写真で気分は常夏モード!?

 天然のウミガメ。

 近づいてきました。二見港。7月にデビューしたばかりの新おがさわら丸(下関の三菱造船製造)と、新ははじま丸(長崎の渡辺造船所)が係留中。まるで兄弟のようで、八丈島に例えるとしたら、たちばな丸とあおがしま丸(両方とも下関の三菱造船)。

 旧おがまるに比べると背丈が高くなっています。こう見えても、船内は7階もあります!!

 ありがとう!!楽しかったよ!父島タクシーさん!!(父島タクシーは旧社名で現在は小笠原観光に改名)でも、ずーっと昔からお世話になっているので、今でも「父島タクシー」って言ってしまいます・・・。

 ランチは適当に選んだ、二見港真正面の「かがや亭」。ラーメン専門店と書いてあるけど、ラインナップはチャーハンとか中華系がメインになっていました。
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寒波到来でもこの写真で常夏を・・・

2017-01-07 00:57:43 | 2016小笠原

 元日が海開きの常夏、小笠原村南島の風景です。

 岩が浸食し、穴を開けてしまったことにより天然の扇池プールができてしまいました。

 さすがにオガサワラ!!そのまま飛び込んでしまいたくなるほど海の色!!
 ガイドさんに「泳いでもいいですか?」と身振りで確認。
 「はーい、いいですよ!!10分くらいしたら、あがってください」
 水温はぬるい温水プールのようでした。いろんなカラフルな小さな熱帯魚たちが悠々と泳いでいるのが見えます。外洋よりここのほうが安全だと小さな熱帯魚たちも思っているようです。
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幻想的な小笠原・南島の風景(その5)

2016-12-28 00:00:00 | 2016小笠原

 南島に行ったのは7月31日。もう5ケ月前だというのに、今も小笠原を語っているのは、自分の好きなところは少しずつアップしながら長期連載中。青ヶ島に行ったときのハナシも半年以上。

 上の写真の反対方向の風景。まさしく、「死ぬまでに行きたい!世界の絶景」。気象条件も重なり、ベストコンディションな状態で上陸できましたっ!!

 これは・・・1000年前?気が遠くなるほどずーっと昔に絶滅したヒロベソカタマイマイの半化石です。

 これは絶対、持ち出し厳禁です。ずっと昔(2001年頃?)南島に上陸した記念にこっそりと持ち帰る観光客がいたため、マイマイの数が減っているのに気づいた小笠原観光協会が「南島のマイマイを持ち帰った方々の皆さんへお願いです。南島は特別自然保護地域に指定されており、扇池で転がっているヒロベソカタマイマイはもちろん砂一粒、植物も持ち帰ることはできません。もし、お手元に南島で拾ったマイマイをお持ちでしたら、もとの場所に返そうではありませんか。送り先 100-2101 東京都小笠原村父島 小笠原村観光協会」とホームページまたはガイドをする観光業者さんに「南島にある自然のものは絶対に持ち帰ってはいけません。持ち帰るなら、写真で撮っておきましょう」と徹底的にアナウンスしているお陰で持ち帰る人はいませんが、昔はひどかったですよ。ホームページで返還を求める内容に気づき、こっそり持ち帰った罪悪感を感じ、送った人もいるそうなので、どれか1個くらいは、いったん、内地に行って、もとの場所に戻っているかも知れませんね。
 まあ、確かに美しい半化石なので、自宅で飾っておきたい気持ちは理解できますが、見るなら、写真で撮った画像で楽しみましょう~!!
 南島の話はまだまだ続きます。
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南島へ上陸!(その4)

2016-12-25 00:17:02 | 2016小笠原

 札幌都市圏では、鉄道運休や遅れ。新千歳空港も相次ぐ欠航により、空港泊まりとか観光客は大変な思いをしているようです。せっかくの3連休だというのに、足止めを食らっては予定が狂ってしまったんでしょう・・・。雪に強い北海道のはずなんですが・・・1mに近い90センチも積もったら除雪に間に合わず、交通が麻痺になってしまうのは仕方がないです。本当にお疲れ様です。
 北海道は真冬よりも初夏から晩秋にかけてが1番ベストシーズンかな??
 日本一秘境駅の小幌駅、今だったら、ホームや線路、山々・・・も白銀の世界でしょう。JR北海道が日本一秘境駅とはいえとも、鉄道マニアのために駅そのものを提供しているわけではない。維持費用もかかるので、廃駅にしたいと豊浦町に申し入れ。豊浦町が日本一秘境駅という資産を活かすため、JR北海道に待った!をかけ、駅としての維持費用は町が負担するので、存続して欲しいと期限付きで契約を交わしたそうだな。29年3月31日までになっているけど、環境に優しいバイオトイレも新しく設置されていることだし、小幌駅ノート管理者の雅美さんが大型の小幌駅硬券プラカードを設置し、国鉄時代、硬券をガチャッと日付を入れるダッシングマシン風の日付カードも制作。だから、期限が来ても更新し続けるでしょう。

 日付は、小幌駅に訪ねた観光客が本日の日付になるように自分で貼り付けるタイプ。小幌駅を愛するあまり非常に凝っている方だと思いますが・・・「雅美」さんは、男性なのか、女性なのかどちらなのか、わかりません。イラストのタッチを見ていると、どうやら女性っぽい雰囲気なんですが・・・もし、本当に女性だったら、そこまで作るんですかーっ!?とビックリ仰天。

 真冬から一転し、真夏の風景。スタッフさんが、南島の丘へ登るのに注意事項をガイタンス。船の中にろう者向けの日本語ガイタンスも備え付けていていて、日本語を外国語に翻訳された用紙も常備。南島に上陸する前に、ガイタンスを読んでいるので、内容は把握。もともとはサンゴ礁が隆起しており、尖った岩が多いです。特にギョサンやサンダル履きの方は足元によく注意しながらお進みください。(ギョサン=漁師サンダル)

 ヒルガオかな??無人島でも逞しく美しく咲くなんてすごいです。

 丘の上に登ると、父島本島が見えます。

 丘の上から南島天然プール方面。ここに来たのは何回目でしたっけ?小笠原に来ると、ここはどうしても外せない場所なので、何度も来ているかも??1度きりだけではなく、飽きないほどのリピーター。

 小笠原国立公園20円切手の図案になっている風景を丘の上から見下ろしたもの。

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小笠原のご当地切手(南島)南島上陸 その3

2016-12-20 23:08:29 | 2016小笠原

 平成元年11月1日。山口県に住んでいて、小笠原に行っていたというわけではなく・・・子供のくせに、山口から小笠原に郵便で送ると、ものすごーく日数がかかる。1並びのが欲しくて、10月の中旬頃に「100-21 東京都小笠原村 小笠原郵便局御中」と書いて、1並び記念の風景印が欲しいですと日数を計算して郵頼。
 (当時、風景印はなく、通常の丸型印で返ってきました)
 今のようなインターネットもなく、何もない田舎だというのに、こういう情報がどこから入ったのか自分でもよく覚えていません。あの頃から探求心がかなり強く、学校の図書室で調べたりしていたなのかも知れない。

 当時の船は、東京から父島まで29~30時間!!(初代のおがさわら丸)

 2代目は1997年から2016年の「おがさわら丸」、25時間半に短縮。


 
 3代目の新おがさわら丸就航して間もなく。さらに1時間半短縮し、24時間っ!!あの頃から行きたいっ!と小笠原に関するものなら!となんでも収集していたので、切手アルバムを広げても、こういうものばかり。
 1968年6月26日、小笠原諸島は米国から返還された記念切手ですが・・・小笠原で見る西に沈む夕景は絶景そのもの。1個下の、青ヶ島で見る夕景も同じく絶景ですが、なぜか、青ヶ島で見る夕景も絶景ですよ!とクローズアップされていない・・・。

 1973(昭和48)年に発行された、20円の小笠原国立公園記念切手の図案のもとになっている風景です。しかし・・・20円切手の中で描かれている「オガサワラビロウ(ヤシ科)」なんて南島のどこに行っても見かけませんでした。
 もしかしたら、小笠原らしく、南島の風景にオガサワラビロウを合成した図案なのかも。こうなると、事実を伝える切手ではない!とツッコミを入れたくなりそうですが、発行されてからもう何年目でしたっけ??よんじゅう・・・さんねんめ!?当時の郵政省デザイナーを責めることはできぬ。

 これは・・・サンゴ礁が隆起したものなんです。このあたりでも、もともとは海の中。43年前、小笠原国立公園記念切手を発行するのにここを20円切手の図案にしようとしたのはご覧のとおり神秘的な風景だからでしょう。地形変動でもともとは海の中にあったサンゴ礁が隆起したもの。

 道は人が作ったものだけど、これがないと、上にある丘に上がれなくなってしまいます・・・。

 南島の自然を満喫中~!!初めて小笠原に来たのは2代目の真新しい「おがさわら丸」が就航した1997(平成9)年。左も右もわからない、超ビギナーなとき。今回でもう8回目なので、小笠原のことはもう知り尽くしている(?)状態。友人は初めての小笠原でしたが・・・いろんなところへ行けて満足。ただ、今回は母島を中心とした観光。今度は父島を中心に回ってみたいというリクエスト。はい、辺境な場所なら得意分野の私に任せてくださいっ!!
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南島へ上陸!(その2)

2016-12-16 00:37:53 | 2016小笠原
 エアコンの暖房モード + 浴場の埋め込み式暖房 + 更衣室のセミラックヒーター(1.2キロワット) + お湯沸かしのポット 消費電力がかかりすぎるものを同時に使うので、ヒューズがとんだのか停電。ここまで書いて、「ヒューズ」の言葉は正しいか調べてみたら、ヒューズは高齢者が使う言葉で今は「ブレーカーが落ちた」だそうです。もう私は高齢者!?そんなはずは・・・!?
 真冬でも小笠原と同じ気温でないと「寒い」と思えるほど非常に寒がり。12月9日、鹿児島県・指宿枕崎線のキハ47に乗ったときは扇風機が回っていて、しかも冷房付き。あれは何だったなんだろうな??
 
 南島のサメ池。船底は浅い岩礁もあるし、しかも海面上から突き出た岩と岩の間を通り抜けるような舵の取り方は素晴らしい。オカモトさんという船長さんは私が父島に訪ねるたびにいつも乗っているので、もうすっかり顔見知りに。もう何十年もこのあたりを操縦しているので、そのようなテクニックは朝飯前なのかも知れません。ベテランの領域を超えています。

 無人島で逞しく咲くお花。幸いにもオガサワラは亜熱帯に多い「スコール」もあるので、水分には困らないでしょう・・・。

 この風景はあとで詳しく説明したいと思います。1973(昭和48)年に発行された、「小笠原国立公園」20円切手の図案になったものです。

 ここは南崎のくぼ地。

 やっと見えてきました!浸食して、岩に大きな穴ができたときは真っ白な砂浜に囲まれた天然プールのようなエメラルド色の扇池が出来てしまいました。南島は上陸できる時間が限られているため、東京都自然ガイドさんの指示に従い、行動しなければならない。この天然プールで泳げるのは「ご自由に泳いでください」と指示があるまで待ち。
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