蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

衰えにも色々あるけれど、、、

2024-03-02 | 老い
蝶ブログを私物化し(当たり前。わたし専用のブログ。毎月、使用料、払ってます)、好き放題に書く。
何を?
もう何度も何度も書いているのに、しつこく同じことを書く。
これはわたしをはじめ、高齢者の特徴でもあるが、ひとつ、老化現象ではないところもある。
それは、、、自覚していることだ。
(買い物も、家に既に買い置きしていることを自覚しながら、また買う)

書く前から、あるいは、書きながら、
あ、これ、2回目だ、、。
3回目?5回目?
さすがに10回は書かないが、事実は一つではあるものの、手を変え品を変え、当時の心境が時を経ると少し変わる。
(それが高じると、意図せず事実まで変わることがある)
1日1日、時は動いているので、同じ時間、時刻は2度とない。
だから、同じ事を書いても、毎日、日々、更新される(はず)。
だが、マイナーチェンジのため、書いた本人にしか違いがわからない。
なので、読む人は、ああまたか、うんざり、、、これ、何回目???となる。
過去の出来事で印象に残る、こだわっている経験なのだろう。
何度も何度も書いているうちに、自分の想いが精製される。


それはそうと、、、
趣味仲間の男性。高齢のお方、Aさん。
絶対に自分が高齢であることを認めない。
身体本体も身体能力も運動技能も頭脳も、衰えている自覚が全くない。
なので、この人の言う通りに従っていたら、わたしの身体が壊れる。
なので、ほんの少しでも具合が悪い予兆があると、わたしはストップする。 
自分の身体は自分で守らなければ、誰も責任を取ってくれない。
ましてや、わたしが具合が悪くなったとしても、付きっきりで看病してくれるわけでもなし、ヘルパーさんを雇ってくれるわけでもなし、最期まで看取ってくれるわけでなし。
せいぜい救急車を呼んで救急病院まで救急車に同乗してくれるぐらいだ。
わたしの家族が到着するのが仮に夜遅くになるとすると、病院の医療従事者の方々にあとは任せて、とっとと自宅に帰って行くだろう。
まだ病院に搬送されるまで付き合ってくれたとしたら「御の字(→死語)」。
そういう図が見えるため、自分の身体は自分で守る。
オリンピックの強化選手でもあるまいし、年寄りのお遊びに、身体を張る気は、全くない。
いつでも、「はい、さようなら」と荷物をまとめて帰る、退路を確保した、こころの準備はしている。
運命共同体でもない、お遊び(趣味)の関わりは、所詮、お遊びで、いつでも抜けられるニュートラルな場所にいる。
わたしにとって、趣味なんてそんな程度。
「生きがいだ」なんて真剣に思っていたとしても、本当の生きがいは、楽しい浮ついたことばかりではなく、生きるか死ぬかの、ギリギリを死守するための努力、みたいなものか。

話を戻す。
このAさんは、人の話を聞かない。
というか、聞きたい話しか聞こえない。
かつての晩年の姑と同じ。
脳がカチコチに固まって縮んでいるのだと推測するが、本人には自覚がない。
なので、そんな人と、あまりまともに話をしないほうが身のためである。
どうせ聞いてないだろうと、それをいいことに、わたしも好き勝手をしゃべる。
耳の聞こえない人同士の会話のようだ。

たとえば、二人一緒に同時に、別の趣味仲間と話していたとする。
話題は、かなり狭い共通の趣味分野。
広い範囲の会話ではない。
にもかかわらず、Aさんは話の内容をちゃんと聞いていないで、自分が好きな傾向の話だけが脳に残る。 
この脳のメカニズムは、自分を傷つけない。
プライドは保てる。
が、現状を把握していないだけである。
そういうことが、段々わかってきた今日この頃、まともに深刻に向き合わないことにしたほうが良さげだ。
その方向で舵切りしようと決めた。

歳を取ると心身共に衰えが現れるが、それを自覚出来ないところが、最も大きな衰えだと、人のフリ見て痛感する。