蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

体調不良からスタート!

2018-04-29 | 
あれもこれも、ほったらかしたまんま、飛行機に飛び乗った。
ひとっ飛び、とは言うものの、疲れた。
1日目の夜は、食事は半分弱ぐらいしか食べられない。
2日目も3食とも半分ぐらい。
山盛り残したプレートを見て、ため息。
食べられないものは、食べられない。
飛行機の中から頭痛、ちょっとした吐き気。
まだ旅行の日程を一つもこなしてないのに、心配になって、頑張って、せめて平常通りに戻りたいと思った。
だが、とりあえず1日が過ぎた。ラテンの国。

しかし、今、眠くてダウン。
写真は、元宮殿に茂る、サボテン。
どこぞの、こころない、アホのしわざで、傷つくサボテン。
世界共通、どこへ行ってもアホは 、いる。
とりあえず、地球の裏から、こんにちは。

お尻に火は点いても、ただたんに、ちょっと熱いだけ。

2018-04-27 | 日々のこと
お尻に火が点いている。
リミットは、明日の午前10時。
全く何もしていない、手をつけていない。
3ヶ月前から決まっていて、わかりきっていることなのに。
テコでも動かない自分を再認識して、ため息をつく。

試験目前、勉強しなければならないのに、勉強机の掃除を始めるタイプそのものだ。
掃除をするには、整理をしなければ。
そんなこんなで試験日当日を迎えそう。
いや、今日一日ある。まだ大丈夫。

で、全く関係ないことを書きたくなった。
(勉強する前の、机の掃除状態)
スロー・スターターにも程がある。

で、何の関係もない話だが。
ある人(女性)は、仕事を見つけるのが上手い。
次から次へと、仕事を見つけてくる。
最初は、視覚障がいのある人、専門のガイドヘルパーさん。
これは、けっこう、長かった。
評判も良かったようだが、ある日、辞める。
次は、おまんじゅう屋さん。
勤務内容は楽そうだったが、なぜか、辞める。
その次は、どこかの病院か施設のヘルパーさん。
人間関係が陰湿、ハードで辞める。
またまたその次は、最新、今年からの、病院の炊事係。

ガイドヘルパーになるには、資格がいると思われるが、ガイドヘルパーの資格講座をいつの日かに受講したのだろう。
せっかく得た資格も、その後、資格を活かすものではない仕事に次々と変わっている。
変わり身の早さ、転身のうまさ。
1か所に落ちつければいいと思うが、落ち着かない。
人間関係か、はたまた飽きるのか?
いずれにしても、ご苦労さまである。
近大の遊泳マグロのごとく、いつも働いてないと落ち着かないのか。
だが、フトコロ状態も各々違うので、思慮が欠けるようなことは言えない。
しかし、ギャンブルするでもなし、見上げたもの、結構なことである。
大黒柱ではないので、彼女の収入は、お小遣いになるようだ。

わたしとは、人間の質が違うと思われる。
質の違う異質なものは、比べられないし、どちらが上か下かも、ない。
なので、わたしは働き者の人とはあまり接触することなく、接点もなく、上手い具合に社会でお互い邪魔をせず、生きているようだ。

だからなんやねん。
ここまで入力するのに、こっくり、こっくり、上下の瞼が引っ付いたり離れたり。
ある程度の時間を無駄に使い込んだはずなので(でも30分ぐらい?)、そろそろ明日の準備にかかろうか。
しかし、今度はまた眠くなってきた。
こりゃあかんわ。
一眠りしてから、またかかろう。
それにしても眠い、、、

延々と勉強机の掃除と整理と居眠りをして、タイムリミットの明日を迎えそうだ。

笑われた。そういうキャラ。

2018-04-26 | 日々のこと
会社の税務でお世話になっている、若手、辣腕税理士K先生。
と言いたいところだが、最近はあまり気に入らない、距離を置いている税理士。
元若手、元辣腕、現、性悪税理士、としておこう。
なにしろ、色々、ゴタゴタは長年の間にあり、蜜月はとっくに過ぎた。
一時は、我々の意向を無視し暴走するあまり、首の皮一枚で解雇とまで行った。
が、K税理士が、ぐっと踏ん張り、悔し涙をこらえ、彼の高いプライドを一時引っ込め、折れたので、引き続き、税務をお願いすることになった。

しかし、K先生は、感情的になるから、疲れる。
こちらは、顧客なのだから、本来はあちらが気を使うべきところなのに、なぜか、こちらが気を使う。

まあそれはそれ、として。
昨日、彼に、思いっきり笑われた。
ちょっとした、どうでもいい小さなこと(いわゆる、ボケ)を私が言ったら、めちゃくちゃウケて、大爆笑。
「そこらへんの若手お笑い芸人より面白いですよ」と、大きな声でいつまでも笑い続ける。
中身は私の自虐ネタ風味。
「先生、それ、ちょっと笑い過ぎじゃないですか? ちょっとそれ、失礼じゃないですか?」
とわたしが抗議しても、一向に効き目なくワッハッハと笑い続ける。
終いには、全然関係ない、当日のわたしの服装をけなし始める。

「今日なんかの春の日に、たいそうに、そんなコートなんか着ている人はないですよ。
でもコート下は短い裾から素足が出て、寒そうですし。
上と下、全然、合ってないですよ。おかしいですよ、その格好」
と、ボロカス言う。
「いいの、いいの」とわたしは言うが、彼は面白がって、子供のようにわたしをバカにして、おちょくる。
「絶対に変ですって」といつまでも言い続ける。

あんたねー、仮にも偉い税理士だったら、お客さんイジリして、遊んでたらダメやで〜、と言いたいところだが、まあ、好きにさせておく。
前はわたしの、申告上のうっかりミスから、悪い展開になり、険悪ムードが暗く長く続いた時期もあり、それに比べると、おちょくられるぐらい、全然、痛くも痒くもない。

が、やっぱり、笑い過ぎだ。
よほど、日常生活に笑いがなく、笑いに飢えているのか?
なんでもいいが、彼は、どうも、いつもわたしを標的にしてくるのが気に入らない。
他のメンバーでは、ボスの姉には太刀打ちできないから、いつも負けて、彼はおとなしくしている。
もう一人の人は、反応や手応えがほとんどないから面白くないのか、あるいは、若くて清らか過ぎて、彼と接点がないからなのか、遠慮しているからなのか、被害には遭っていない。
で、汚れ役がわたしに回ってくる。

ということで、わたしは、彼のイジメ・ターゲットになっているようだ。
マイナスの感情を吐き出すにはちょうどいいのか?
ぷんぷん、プリプリ。わたしはお客さんなのに、絶対に軽んじられている。

とは言うものの、さほど、強い不満もないのだが。
どうってことないのだ。余裕のわたし。

それにしても、笑い過ぎだ。


心身のバランスを崩す

2018-04-24 | 日々のこと
今、精神的にブレている。
前後、右左、上下、縦横、斜め、あっちへ行ったりこっちへ来たり、ぶつかりそうな、めまいがしそうな、落ち着かない不快感。
心身は、ぴったり連動して、くっついていると感じる。
心と身体のバランスが崩れる時期なのだろうか。
暑くなったり寒くなったり。
それもあるが、人間関係が大きい。

早く脱却したいが、時を待つしかない。
あがいても、あがかなくても、努力しても、努力しなくても、結果は同じだから、冬眠するかのごとく、じっと動かず待つしかない。
苦しくても、時の過ぎるのを待つと、ピークは過ぎるはず。

なにか悪いものを丸呑みした蛇のような心境だ。
治るころには、じわじわ内部で進行していて、悪化しているかも知れない。
手遅れになる前に、蛇のお腹を切り開いて、悪いものを取り出す大手術が必要か?
そんなことをすると蛇は死んでしまうから、横たわって、じっと時計の針を見つめる。
何度も何度も見るが、なかなか針は進まない。

春うららには、ぼんやりボケたいのに

2018-04-23 | 日々のこと
さて、春。
桜も散り、夏日と春が行ったり来たり。
春の嵐的な風が吹くと、せっかくシャンプーして整えたヘアスタイルが、、、ボサボサになるのは一瞬。
今日から新時刻になったバス。
遅れてはいかんと、痛い足を構いつつ、必死で走る。
停留所でバスを待つが、まあなんと、遅れに遅れ8分遅れ。
早く来る時は、走って追いかける客を冷徹無慈悲にも置き去りにするくせに、遅い時は遅く、電車に間に合わないではないか。

髪はボサボサ、走っても電車にはアウト。
次の電車に飛び乗るものの、この電車に乗ると、最短時間コースではない。
しかたなく、次の駅で降りて、またまたその次に来る、電車を待つ。
その間、春の嵐的な風に、思いっきりさらされる。
壊滅的被害。
ヘアスタイルは、もうどうでもよくなった。

そもそも、最初にバスが来るのが遅いから、こんなトコロテン式に、遅れ数珠つなぎみたいになって、ヘアスタイルまで、ボサボサを通り越して、ボワボワになる。

春の気持ちいい天候が、イライラの逆ギレを引き起こす。
このブログ更新記事入力のために、降りる駅をミスったら、もうどうしようもない幕切れである。
が、どうにか耳をダンボのようにして、車内アナウンスを聞く。
あああ、春うらら、電車の中で、ひねもすのたりのたりと、ボケていられないではないか。

皆んなで歳を取れば怖くない

2018-04-21 | 趣味
ごくごく最近、わたしが踊る相手は、どんぴしゃり自分年齢。
今までは、年上ばかりだった。
やっと自分の歳まで、年齢が近づいてきた。
このまま順調に行けば、さらに下がり、年下になるか?!

それは甘すぎるだろう。
同じ歳の男性たちに見捨てられ、今度はうんと年上の、おじいちゃんになるかも知れない。
その頃はわたしも、すっかり、おばあちゃん。
浦島太郎が玉手箱を開けて、相手もわたしも、白髪のおじいさん、おばあさん。
これって、嘆かわしいのではなく、楽しい展開かも知れない。

腹黒、黒鳥か、美しい白鳥か?

2018-04-19 | 趣味
近ごろは社交ダンスのパーティも、男性余り傾向にある。
女性参加者のほうが多いのだが、女性は主催者が用意したダンスアテンダント(通称、リボンちゃん)に流れる。
一般参加の男性と踊る女性は少なくなり、男性は競争率が高くなる。

上手い女性と踊りたいと思っている男性は、その上手い女性は他の男性たちからも引っ切り無しにお声がかかり、なかなか踊ってもらえない。
そこで、仕方なく手近で空いている、人(=私)を誘う。
で、私は潤う。
おこぼれちょうだい、棚ボタ式。

好きなように自由に相手を選ぶにしても、だいたい、双方、踊るレベルがあるようだ。
同じようなレベル同士で踊る。
階層社会と似ている。
下手と踊っていると、いつまでも下手なまま。
ちょっとでも早く上手くなりたい人は、下手な人とは踊らない。
しかし、下手と踊り始めると定着し、ずっとそのままで下積みダンスライフが長く、いつまでも抜け出せない人もいる。
抜擢されるか、よほど気に入られない限り、底辺をウロウロする。
ブロードウェイを夢見るダンサー。
ある日、プロデューサーの目にとまり、夢の世界が現実となるストーリーを描き、ブロードウェイ近くのカフェで働くようなものか。

前はパーティは女性余りが普通だった。
なので、特に上手くない女性は、余って吹き溜まっていた。
しかし、近頃のように、男性余りで女性が足りない時には、しっかり乗っかって、チャンスをものにするのも、ひとつの方法。
厚く重い固定層から抜け出せるよう、駒を動かすチャンス。

そうやって、踊る顔見知りを地道に増やしていく。
人選も、少しずつダンスレベルを上げて行く。
落っこちているチャンスの芽をいかに瞬時に目ざとく拾うか、そのへんに、這い上がるきっかけを掴むキーが隠れている。

ぼーっとしていては、自力でなんぞ勝てない。
美しいダンスの世界ではあるが、美徳や美談なんか、通らないのだ。
先にさっさとやるべきことをして片付けて、それから、何事もなかったかのように、何食わぬ顔で優雅な表情を浮かべるのが、よろしいようだ。

最近の私は、良いと思えば、手を出すのが早い。即、動いている。
孫が人がせっかく隠してあるお菓子をめざとく見つけ、食らいつくかのごとく。
早く取り込まないと、人に取られる。
悠長な、優雅なことを言っていては、競争に負ける。
ただでさえ、実力不足で負けているのだから、有利になるような状況があれば、迷うことなく掴みにかかる。
(焦るあまり、見込み違いをして、人選を誤ることもあるが)

ダンスの醸し出す表面の優美さと、実に矛盾している。
清濁併せ持つ。
澄ました顔の下、水面下では、必死で両手両足でバタバタ漕ぐ。
まあ、そんなものだ。
それで、優雅な美しいダンスを踊るのである。
真の実力がまだ備わらない人のダンスは底が知れている。
でも、自宅で自習ばかりしていても、人の目に止まらない。
チャンスはものにしないと。
(早とちりもあるにしても)
初めの第一歩を踏み込まないと、何も始まらない。

こころの揺れ

2018-04-15 | わたし
ブログ、最初の2行ぐらい書きかけて放置しているものが、2つ溜っている。
なぜか、意欲が湧いてこない。
内面から湧き上がる何かが無い。
ああ、わたしも、文句をたれなくなったらお終いか。

わたしのエネルギーは、湧き上がる不平不満や疑問から成り立っているようだ。
マイナスのエネルギーがわたしを揺り動かしている。
プラスのエネルギーは、わたしを不安に陥れるだけだ。
なぜなら、プラスは、また必ず落ちる、減るという強迫観念がある。
今が最高なんだ、と素直に喜べず、つい先を見通してしまう。
こんなピークは続かないだろうな、とか、単発のブームに過ぎないに違いない、とか。
プラス現象でさえ、マイナスに捉えてしまう。
こころが弱っているのだろうか。

幸せを幸せだと十二分に噛み締めず、これをピークに、今後益々減って行く過程に捉えてしまう。

老化現象だろうか。
今まで幸せだったから、これからも幸せだと信じればよいものを。
自分の幸せを自分で減らしている、自滅行為である。

まあ、わたしはリスクを分散しているので、ひとつのものに全てを賭けていない。軸足を複数持つことでエネルギーを分散する。
それは、きっと救いではあるが、喜びも分散されていることだろう。
人間の喜怒哀楽は一生分を積算すると同量だと考える。
わたしは泣かない分は、映画で涙を流す。
たんに、老化で涙腺が故障しているだけだが。

なにしろ、熱い想いに沸くと、揺り戻しがあり、平常心に戻れなくなり落ちつかない。
わたしは、書いて心のバランスを取るのだが、書く気にならないということは、バランスが乱れたままということだ。

わたしは、あえてなにもしない自然主義(サボりエコ)なので、あるがままに任せることにしよう。
心と身体を疲れさせないためには、揺れたものを元通りにすることだが、時間がかかる。
やがて、揺れなくなって、いつも静かになる。
何も特別なことがないこと、これがわたしの心身健康・幸せ維持法だろう。

安定か、チャレンジか。

2018-04-12 | 趣味
昨日、初めて受けた個人レッスンで先生に言われた。
先生を紹介してくれたのは、ダンス知人からリーダー※に昇格したA氏。
ごく最近、A氏が「僕が君のリーダーだ」と仰るので、とりあえず、リーダーということで。
(※社交ダンスでは、固定ペアの男性をリーダー、女性をパートナーと呼ぶ)

先生は「あなたは、飲み込みが早いので、個人レッスンを受けたら、A氏では満足出来なくなりますよ」と仰った。
もともと、この人は、A氏の先生で、A氏は今も習っている。
なので、A氏のダンス力量をよくご存知なのだ。
A氏は自分が紹介した先生のレッスンの内容がどんなものなのか興味津々で、聞いてくる。
だが、さすがに、前述したことはA氏に言えなかった。

このフレーズ、前々リーダーB氏も言っていた。
女性は上手くなると満足できる相手が激減する、と。
では、わたしは上手くなってピラミッドの頂点を目指すかと言うと、そんなことはない。
地域の公民館からオリンピックを目指すようなことは、わたしの能力ではありえない。

潜在的能力のある人の能力を引き出し、次のステップで活躍の場を作ると、もう前には戻れない。
下から支えてくれる人がいないと困るので、あえて教育の機会を与えない。
現代社会では改善されているが、
例をあげると、女性には教育をつけず、家庭でしか居場所がないようにする。
あるいは、家業の継承者には家業を継がせるため、わざと教育をつけず、職業の選択肢を奪う。
強制的に自由を奪う。

だが、自由を奪われて困るのは、能力ある人で、能力ない人は、自由になるほうが困る。
自由競争で負ける。
全員、平等に自由にして競争させ、勝ち負けを決めると、それぞれが納得する、とされている。
勝った人は納得するだろう。
負けた人も納得するのだろうか。
こてんぱんにやっつけられ、負けて負けて転落することもある。
平等、自由の、結果である。
競争の仕方が不平等だ、と負けた人は文句を言うが、果たして、何もかも平等に競争できるのだろうか。
下克上の時代もある。

飛び抜け優れた才能の持ち主を埋もれさせておくのはもったいないが、どおってことない凡人は、別に似たような凡人同士、どんぐりの背比べみたいに、勝った負けたと言って、喜んだり悲しんだりする。

さて、ダンス。ほんのちょっと上手くなったところで、タカが知れている。
なのに、人間は傲慢だから、一つ前の自分レベルには満足出来ない。
踊る相手が激減するのは、楽しさも激減するのか。
自負やプライドを維持するだけで、例え空腹でも満足できるのかも知れない。
プライドに応じた相手がいれば良いが、現実的にはいない。
プライドを引っ込めた自分に応じる相手ならいる。
ちょっと上に行くと冷や飯が待っている。
うんと上に行けないのはわかっている。
だとすると、どちらを選ぶ?

現状で満足しておくか、頑張って少し上に行って冷遇されても自己責任だと納得するか。
現状維持か、トライか。
ローリスク&ノーリターンか、ハイリスク&ローリターンか。
リターンが少しでも多いのは、トライする方。
しかし、トライリスクは、ローリターンを上回る場合もある。
ハイリスク&ローリターンなら、挑戦しない。
ローリスク&ローリターン、ハイリスク&ハイリターンなら挑戦するけれど。
さてさて、どうしよう。
中途半端な凡人は悩むのである。

人間断捨離、嫌いな人を切る

2018-04-06 | ご近所さん
わたしのブログにも時々登場する、近所に住む、大嫌いな年配女性(姑の長年の知人)に、またバス停留所で出会った。
もう一人、ご近所さんがいたので、彼女の関心はそちらに移り、ほっとしたが。
彼女は不幸話が大好きなので、最近不幸な展開の、そのご近所さんと、話したがった。
わたしとも、ちょこちょこ話を振ってくる。
姑の話になり、いつも姑が彼女に送っていた果物、最近は姑も家を出ているから送れないのでしょうね、、、みたいな流れ。
「送るのは一時的なこと、あれを育てるには手間暇がかかり、手入れや肥料などをプロに依頼し、お金もかかっているんです」と、一言、言っておいた。
わたしはとても胸がすっきりした。
彼女は、勝手に生っているものでタダだと思っているフシがある。
前々から、わたしは喉に魚の小骨が突き刺ささっているような気になっていた。

「あら、何か送らないとダメねえ」と彼女はとっさに反応したが、「姑は家に居ないので送っていただいても無駄になります。
自分で欲しいものは、ちゃんと自分で手配して手に入れてますから」と、断っておいた。

もう社交辞令を交わしたり、善人顔をするのはやめた。
近所の人とはトラブルなく良い関係を維持しなくてはいけないが、もうあの人とは、どうなってもいい、と思った。
個人的なつながりを切る、というスタンスを結果的に意思表示してしまった流れだ。
好かれなくてもいい。
嫌われてもいい。
長年の不快な思い、もうそろそろせき止められない。
彼女も歳を取り、仕事もやめ、社会的には明らかに力を失った。
相手が弱ったからといって、ここで態度を変えるのは人格として、いかがなるものか。
だが、長年の積み重ねは、本人に跳ね返ってくる。
本来は、労らなければならないところを、ここぞという時に逆転復讐するなんて、ひどい人間だ。
お金や地位や権力に寄ってきた人々も、それらを失った途端、すーっと引いていった、ということはよくある話。
人というものは、そんなものだ。
かえって、人間断捨離でき、余計な人が削ぎ落とされてよい。
が、片思いのごとく、信頼していた人までも去っていかれると?
誰も自分など、本気で相手にしてなかったということ、自分の不徳の致すところ。
自覚できて、夢から醒めて本当の自分がわかって良かったのか、悪かったのか。
出来れば、身体か、脳かが、あの世に行くまで、自分にとって都合の悪い事は知らなかったほうが幸せた。

人には相性があるので、苦手な人、嫌いな人て無理やり接触していても、やがて、早かれ遅かれ、破綻する時が来る。
だから、歳が行き、仕事をしなくなったことで相手が弱ったから、逆転して、ではなく、たんなるキッカケ、節目だったに過ぎない。
逆に考えると、若く、仕事をしていた頃は、社会的に有利な状況が、嫌なマイナスな出来事を防御できる盾になって跳ね除けていたのかも知れない。
人に嫌われる嫌な部分を元々持っているが、相手が我慢していて、あるキッカケで、相手が我慢出来なくなった、ということか。
嫌いなその人は徐々に力を失い、嫌っているわたしは、徐々に力を蓄え、ある日、交差し力のバランスが、逆になった。
破綻したら、それでおしまい。
すっきり、それぞれの違う別々の道を歩いていけばよい。
見かけは同じでも、気持ちは決別。
何事もなかったかのように、日常は続く。