「82年生まれ、キム・ジヨン」
この作品は、息子が原作を強烈に推薦してきたもの。
滅多に人にプッシュしない息子なので、「ぜひ読むことを薦める」と、推しが強くて驚いたぐらい。
内容的にも興味もあったし、何かの機会にぜひ読むか、観るかしようと思っていた。
静かな映画で、後半は涙がはらはら、ポロポロ。
愛犬家でもないのに、子犬が可愛く回るだけでも涙が出るわたしなので、涙は感動のバロメーターにはならないが。
わたしのおぼろげな韓国に対する知識(思い込み?)では、韓国は儒教の精神が強く、縦のつながり、家族のつながりを重んじる、そういうお国。
日本より上下意識は強いのではないかと想像する。
大陸の端に位置する地理的条件や、その歴史を紐解くと哀しみが蓄積されているように推測する。
独特の恨。
ニュースを見る限り、受験戦争が激しく、企業トップ、政治家の入れ替わりが極端なように思える。
また、芸能界や美容整形では定評があるようだ。
ほとんど調べていない、たんなる、わたしがニュースの断片をつなぎ合わせて抱いたイメージである。
根強い儒教の教えから、家族や女性に対する意識は少し日本より遅れているかも知れないと想像する。
で、82年生まれ。
わたしの娘たちとほぼ同時代の年齢である。
かなり興味深く観た。
彼女の両親、特に母親こそ、わたしの世代である。
きょうだいの中でも男子を優遇、大切にし、女子は学業よりも結婚が生きる道。
自分らしさを結婚の中で見い出すのが幸せだとされる。
やりたいことは後回し、先ずは結婚、子育て。
弟の学費を捻出するため、教師になりたかった夢をあきらめて、進学ではなく就職、結婚後は家で子育て。
そういう母を持つ82年生まれのキム・ジヨン。
進学、そして希望する職種の会社に就職し、結婚、出産後は育児のため一旦、休職。
自分のやりたいことを犠牲にして、子供と送る毎日。
社会の受け皿がまだ充分整っていないことと、家族の意識が旧態然のまま。
その狭間で苦しむ。
世界中の女性たちには大いに共感されたことだろう。
自分のことのように。
男性には絶対にわからない。
なぜ、女性が悩んでいるのか、悩んでいることさえ気づかない。
真横で悔し涙をはらはらと流しているのに、まるで意識にない。
そのことに腹立たしさを通り越して絶望感を覚える。
女性にしかわからない苦悩である。
しかし、一方で、男性も大変だ。
手枷足枷なく頑張らなければならないところに、さらにまた加えて子育てで頑張らさせられる。
ではあるが、痛み分けかなあと。
女性にも優秀な人もそうでない人もいる。
男性も然り。
別に職業に貴賎はないが、向き不向きの適正はあるだろう。
選んだ職業なのか、したかなくの職業なのか。
仕事の中身にもまた色々ある。
収入にも色々ある。
社会において、女性の役割、男性の役割、と決めつけられていることは、まだまだ根強く残っている。
国会議員や政治家の男女比を見るとよくわかる。
生物としてみた一般的な身体的特徴から男性に向いている仕事、女性に向いている仕事はある。
筋肉や骨格、背筋力など。
スポーツの場では男女ダブルスはあるが、男女が同じコースでタイムを競わない。
ちなみに、保育所のマラソン大会は男女同時同一スタートだけど。
男女の差よりも、生まれた月の差。
4月生まれと3月生まれでは同学年でも雲泥の差。
と、脱線。
だが、区別と差別は違う。
女性であるが故に差別を受け、悔し涙を流した女性は多いと思う。
だが、逆に「得しちゃいましたっ」という女性もいるはず。
立場の弱い人を救済しようとすると、同じように弱い人(男性)からブーイング、バッシングを受ける。
不公平だと。
困っているのは女性だけではない、と。
男性を優位に立たせようとすると、落ちこぼれる男性もいる。
「男らしく」という呪縛に苦しむ男性。
社会での男女役割はものすごいスピードで変化した。
が、スピードについていけない人々もいる。
長くなるが、わたしの婚家は昔から男尊女卑の家風。
夫も、舅も、舅の父親も、そのまた父親も、男尊女卑を当たり前のように空気を吸うように息をするように、身体や脳やこころに長年刻み続け体の一部となっている。
それを急に、自分の立場が不利になるような価値観や体制を受け入れるわけがない。
時代の流れを読まず、昔のままで行こうとする。
そこでどうなるのか?
女性は「やってられん!」と謀反を起こし、出て行く。
さて、残された最後の皇帝は、、、?
(いつの間にか王族に?)
わたしは、完全にこころをシャットアウトし、閉ざした。
壊れるよりはマシである。
溺愛された跡取りは、そんな様子に気づくこともなく、「僕は古風な考えの人間です」と、しゃーしゃーと言う。
が、次世代にバトンタッチ出来ずにいる。
親戚などがうまく子供が結婚し後継を産み、継承しているのを見て、羨ましがる。
嫁が古い慣習スタンスに協力しないから、ということもある。
というか、次世代の子供たちに真逆のこと(アンチ継承)を言い続けていたと思う。
しかし、彼らはわたしに洗脳されず、自分たちで新たな価値観を築いたと推測する。
このまま夫に象徴される男尊女卑の精神の溝は埋まることなく、益々深くなり、終焉を迎えることだろう。
車の両輪のうち、片方の輪と、もう片方の輪は、逆回転をしている。
そういう、夢があふれないが変に甘っちょろくない未来図を描いていた。
と、それとは別に、息子が突然、この82年生まれの本に、感動したようす。
多分、目から鱗なんだろう。
女性の真の自立を扱ったテーマに、啓蒙啓発されたのではなかろうか。
頭カチカチの夫はもう意識を変えたり理解することは無理。
女性たちがうるさいから顔色を伺って、こちらの機嫌を損ねないように、行動に注意しているだけ。
表面、うわべ、かたちだけのものであり、深く理解していない、できない。
内側からの気づきや意識改革はない。
元々、わたしは期待もしていない。
息子はどこでどう接点があったのかは知らないが、多分、主人公と年齢が近いこともあり、まだ解るところもあるのだろう。
息子の嫁さんは、ラッキーだ、、、が、あいにく、いや、予想通り、息子は独身だ。
夫は、自分より劣る女性を妻にして優位を保っているが、息子はおそらくそんな女性は選ばないのではないだろうか。
というより、かなり変わり者なので女性に選んでもらえない、と想像する。
まあ彼は彼。
自分の道を歩んでいただこう。
夫より劣る妻。
何が?
社会的地位、収入、実務能力、、、客観的な目に見えるものではそういったところか。
その捉え方、やめよう。
しかし、そこからスタートしている。
嫌なら壊せばよい。
だが、わたしは離婚しない。
旧式人間だからだろう。
決して世間体からではない。
自分軸で考えている。
壊す方法はなにも離婚とは限らない。
かつては、迷い、傷つき、思い悩んだが、今はスッキリしている。
壊れそうになった時、自分で自分を守った。
自分の道を切り開いた。
どうしたいか、したいと思う時に出来る、後半の人生を手に入れた。
その時はわからなかったし、意図して作為的に行動したわけではないが、結果的にそうなった。
思うようにならないこともあるだろうけれど、そもそも、そう現実離れしたことを想い描かない。
完全にではなくても、だいたい大まかに行きたい方向に行っていたらそれでいい。
理想枠を柔軟に。
セミリタイア暮らしのようなもの。
手に入れたいのは、地位や名誉やお金ではない。
頑張るのは要の一時期。
あとは、解放。
やりたいと思うことが出来る自分。
ブーツさんの記事にもあったが、、、
健康、人、お金、趣味。
最後の「趣味」は無くても死にはしないが、結構大事かも。
趣味も静と動、インドアとアウトドア、2方向あると鬼に金棒。
ブログは、インドア、静のわたしの趣味であるが、外で弾けた内容を書いたり写真をアップしたりすると、メリハリ効果を生む。
ところで、、、男尊女卑はどうなった?
どうでもよくなった。
わたしは、わたし。
自分の道を行くのは清々しくて、とても楽しい。
さて、この超長々文、、、どうまとめる?
今があるのは、過去があるから。
未来は作れるが、過去は変えられない。
過去は過去で、新しい未来を作る礎となる。
気に入らない過去は塗り潰し、自分色の下地にする。
それでいいんじゃないかと思う。