蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

身近な闇

2023-05-31 | 時事&世の中
昨夜見たNHK TV番組、クローズアップ現代。
私の知らない「私の息子」〜急増する闇バイト・転落の真相。

これは深刻だった。
胸の深くを切り裂かれるような気になった。
何不自由なく育てた一人息子。
明るく素直に育っていた、、、ように見えた。
親ともちゃんとコミュニケーションを取り、生活にも困った様子はなかった。
反抗期らしきものはなく、優秀な私立中学にも進学し順風満帆な学生生活を送っていた、、、はずだった。
大学入学後は親元を離れて念願の一人暮らし。
親の仕送りにもあまり手を付けず、バイトをしたりするのだが、ホストにも挑戦。
が、3週間で辞めている。
よほど目的があるなら別だが、興味本意では、見た目と、内情、報酬、得るものを比較すると、やってられない、、、になったのだろうか。
やがてインターネットで闇バイトを知り、消極的な犯罪加害者になり、同時に交通事故に遭い被害者になる。

何よりも逆縁(子供が親より先に亡くなる)は耐え難い苦しみ。
親の心境を察すると気の毒だ、では済まされない。
お父さんは、
「もっともっと小さな失敗を息子にさせるべきだった」と悔いる。
困難と思えることを先に取り除いてしまうような、ある意味、過保護だったのかも、とこれまでを振り返る。

子供は親から自立する過程で、色んなことがある。
夜の街に消えていく女子は転落がわかりやすい。
まだ未熟な社会を知らない男子の場合、転落の機会や場が見えにくい。
正に闇。
あらゆる可能性に挑戦し、知っていることが実際にそうなのか、実験して答え合わせをしたくなる。
方程式通りの答えが出るのか、身を持って確認したくなる。
純粋無垢に育って、いざ、親の目がない一人暮らしが手に入ると、タガが外れ弾けるのだろう。

と、ここで蛇足、脱線。
わたしの場合、その瞬間は弾けたが、長く続かなかった。
わたしは、結構、真面目なところもあり、猪突猛進タイプだったので、チャラチャラ遊んでばかりの生活には不安がある。
少し先を見据える
フードコートで自分の席を確保してから料理を注文するタイプ。
と、優等生的なことを書いても全く面白くもなんともないが。

まあそれはそれとして。
無茶をする人生お試し期間には、無茶をしなかったからといって、その反動で自由になっても無茶をするかと言えば、する場合もしない場合もある。
人生経験が浅く無知といっても、ある程度の常識や加減というものがある。
大概は危険察知能力は、小さい頃から養われていると思われる。
これぐらいやれば、人は怪我をしたり死に至るとか、湯気が出ているヤカンを触れば熱い、、、から、徐々に経験値を上げていく。
中には、不運なケースもあるだろう。
周りに信頼できる大人がいない、とか。

今回の番組のケースは、友人たちが危ない世界に首を突っ込むのは危険だからやめておけと止めたにもかかわらず、本人の強情な性格が裏目に出た、と友人の弁。
ちゃんとした親も友人もいても、色々あるようだ。
たいして必要に迫られているわけではないので、自由意思ですぐ引き返せるだろうという、そういう気持ちは誰にもあるかも知れない。
闇というものは怖い。
若さ故、幸運故に、大事に至らず乗り切ってしまうこともある。
ほんのちょっとした違い、というよりも、ほとんど同じなのに、間一髪でセーフになることも、不運でアウトになることもある。
他人事とは思えない。
だからこそ、社会全体で注意を喚起するのは事故や不幸を未然に防ぐ役に少しでも立つ。

若者だけでなく、どんな年齢層の人も危険がいっぱい。
君子危うくは近寄らず。
スリルがなくても、退屈でも、ローリスク、ローリターン。
だが、血気盛んな若者には通用しないかも。
年寄りの冷や水。
わたしは、ヒヤヒヤドキドキする。
ひょっとして血圧が高いのか?




ご近所さん

2023-05-31 | ご近所さん
梅雨入りらしい。
5月はわたしにとっては長かった。
気になること(旅行)があったからか。

昨夜、一瞬、停電があり、びっくり。
長女宅も同時に停電らしかったが、復旧は我が家のほうが30分早かった。
トイレも電化自動式だと流せないが、我が家の場合、ウォッシュレットや温水、温座機能以外は、手動式なので良かった。
ハイブリッド式のように、日頃は電化自動だが、手動に切り替えられるトイレもある。
あれが良いと前々から思っていた。
というか、立ったり座ったりするだけでセンサーで勝手に水が流れるのは、実に資源の無駄遣い。
便利と引き換えに失うものが必ずある。

と、全くどうでもよい独り言からスタート。
全編、全くどうでもよい独り言で貫き通されている、が。

わたしはどうもズレている。
日本人は皆んな横並び整列精神が発達しているそうだ。
皆んなキレイに同じ行動。
わたしはそれが苦手。
学生時代も結構、辛かったかも知れない、、、が、バリバリの鈍感力で、さほどなんとも思わなかったようだ、、、と今は解釈している。
もし、わたしが今、学生や仕事の現役なら、落ちこぼれている。
居場所がないにもかかわらず、あれ?皆んなと少し違うなあと、鈍感力でニコニコしているだろう。

ではあるものの、今の時代に現役活動していなくて良かった。
わたしは、自分だけの居場所を確保して、もう外に狩りに出なくてもよい。
経済活動も交友活動も何もしなくてもよい。
せいぜい、自治会の回覧版を持っていくぐらいか。

何度か蝶ブログに書いた、苦手とするご近所Aさん。
先日、うちの近所をお一人で歩いておられたので背後から、わたしの方から声を掛けてしまった。
もう、嫌いとか、苦手とか、かなわんわあ、とか、なくなった。
お互い、歳を取った。
と言ってもAさんは、おばあさんであるわたしより更に23歳上。
女性の平均寿命を軽々超えた、正真正銘のおばあさんなのだ。
自治会では同じ班。(脱会されたものの)
4軒も新しい家族が次々、連なって転入してきて、住民平均年齢をぐっと下げた。
そうAさんに言ったら「わたしは最高齢で恥ずかしいわ」と仰った。
何も恥ずかしがることはない。

うちの家の前まで一緒に歩き進めて、そこでちょっとだけ立ち話。
Aさんは姑より少し年下(4歳ぐらい?)なのだが、「おかあさんには長い間、お世話になってねえ、、、」
と、昔話が始まった。(と言っても短い)
夫が受験をする際に、姑が願掛け?を熱心にしていた話とか(いかにも姑らしい)。
「願掛けしてたんだって。知ってた?」後で夫に伝えると、「知らん、そんなこと言わんでもいいのに」と、いかにも不機嫌。
(何言ってる?、、、今までわたしはどれだけ聞かされて来たか、、、何を今頃、、、その態度、と、わたしも不機嫌に)
だけど、今はもう笑い話の過去完了形。

立ち話中、後から海鮮物を持って来てくれるとかで、お約束通り、Aさんは新鮮な釜揚げシラスとモズクを届けてくれた。

別に悪い人でなんかない。
ただ苦手なだけだ。
いつも思うのだが、近くで誰が聞いているかも知れない個人情報をハッキリ言うのはやめて欲しい。
褒めてくれているのはよくわかる。
だが、褒める内容が、、、個人情報はやめて欲しい。
子供のことも。
ちなみに、わたしはただの一度も褒められたことがない。
(別に、褒めて欲しいわけではない。
が、わたしの学生時代の友人のことは、「美人だ美人だ」と、何度も褒めていた)

見た目と個人情報だけが褒める中身。
姑に関しては、たぶん、Aさんのお店の顧客だったから、それだけで褒める(持ち上げる)のには十分だろう。
姑はAさんに、ずっと季節の直産品を送り続けていた。
長〜い、お付き合い。
実はわたしも40年以上前にAさんと一緒に、とある神社(高い山のテッペン辺りにある、行きにくい立地)にお参りしたことがある。
Aさんは姑同様、信心深いようだ。

ではあるものの、
おそらく見栄を張ったお付き合いだったのだろう。
背伸びはしていないようだが、背筋をシャキッと伸ばさなければならない、嘘は付けない(長い付き合いになると、嘘はバレる)頑張らないといけない、そんな感じ。
見栄と理想と緊張感は行ったり来たりのボーダレスか。
接点を見てそう思う。
それと、Aさんの価値観。
まあ姑の価値観とも合致していたのだろう。
わたしは、Aさんの実姉も何度もお会いしたことがある。実姉の息子さんにも、Aさんの息子さんにも。
Aさん同様、ご近所さん。
Aさんは決して悪い人ではない。
が、価値観がやはり戦前、戦中派。
あまり接近しすぎると、価値観まで見えてしまうので距離感が大事だ。

もう半世紀も前から知っている人なんだから、理解してもよいはずだ。
半世紀経つと個人や家族の人生の上がり下がり、隆盛、衰退はほぼ完成している。
それよりも、90歳にもなると、高齢の方を労わらないといけない。
価値観がどうのこうの、微妙な違いはもうよい。
いつまでもお元気でいてもらいたいものだ。


人のことは言えない

2023-05-29 | 日々のこと
バス乗客の会話。
ご年配女性二人が隣同士で座っている。
片方の人が話す。

単語がことごとく出てこないので、会話の内容は隣の人に伝わらないだろうなあと思う。
が、音声が口から出て、何かを話したいという思いは伝わる。

あれ、です。
えーと、なんですかね、あれが、こうなんで、だから、わたしが、こうしたんですけど、それがまた、あれなんで、やっぱり、こうですね〜。 
それでね、あれは、ねえ、あれですわ。

みたいな、自分の言いたいことを話したいのだけれど、思いが先で単語が出てこない状態。
人ごとではない。
わたしもTVで見た面白い実験の話を次女にしようとしたら、まあ単語が出てこないこと、出てこないこと。
何を言っているのか、さっぱりわからない。
焦って、例として似たような番組があるのでそれを言えば説明しなくてもわかるだろうと言おうとしたら、今度は番組名が出てこない。
次女が代わりに「ピタゴラスイッチ?」と、助け舟。
そうそう、それ。
唯一、はっきりしたのは、次女の口から出たピタゴラスイッチだけ。
情けない、、、。
番組の仕組み(各3グループに分かれて競う)を説明できないなんて。

→謎の夜会で超一流エンジニア3チームが極限の格闘技!おもちゃ・家電を怪物マシンに!鳩時計を大改造、鳩を高さ8mのカゴに入れる鳩入れ!必見バトル!

こう説明していれば、わかりやすくシンプル、正確だけど、コピーペーストしているので、自分の力ではない。
やはり自力で自分の脳を通してアウトプットするのが、例え時間がかかって拙くても価値がある、と自己擁護。
しかし、次女に説明した時は、口から泡を飛ばしながら(誇張表現です)、「オモチャの鳩を高さ50メートルの籠に入れる競技」と言ったような気がする。
50メートルな時点で、次女の想像力をおかしな方向に持って行ってしまっている。

科学分野なんだけど、化学でなくて、物理で
、、、しかも法学部出身の文系の人もチームにいて、理系とは限らなくて、、、と必死で説明した。
次女は、わたしの大幅に間違えている説明にも呆れずシャッポを脱がず(→死語らしい。しかも使い方、間違えているし)
ちゃんと聞いてくれ、
「チームで皆んなで力を合わせて頑張るのは良い経験になるし、わたしは好きやわ」と感想を言ってくれた。
親孝行だなあ、、、と感激した。(たまたま時間的、精神的に余裕があった?)

いつも長女には相手にされないので。
(次女にも相手にされないことも多いが)

ちなみに、「NHK教育12チャンネル」と趣味仲間に言った途端、「12チャンネルて、いったいいつの時代なんですか??」とすごくすごくバカにされた。
バカにする仕方が、いかにも鬼の首を取ったかのごとくで、ムカついた。
わたしと、この人、ドングリの背比べ。
同レベル。
アンタにゃ言われたくないわ、の部類。
と同時に、わたしも同じようなことを言っているんだろうなあと自省、自戒した。

あかんたれの、わたし

2023-05-26 | 日々のこと
強いメンタルを持たなければ、こんなにつまらない蝶ブログを更新し続けられない。
なぜ、こうもアップして続けるのか、自分でも理解に苦しむ。
何がある?
何を求める?

答えは自分の中。
すみません。ヒマ潰しなんです。

と、くだらないことを延々と書く。
中学生の時からの習性。
読んでいただき恐縮です。

独り言でなければ直接、面と向かって言えない、根性なしのわたし。
愚痴っているか、自慢しているか、どっちかだ。
ホンネをズバズバ明かせる友達がいないので仕方ない。

昔から、こう。
わたしが理屈っぽいことを言い始めそうになると、口を封じさせられる。
そんな話、誰も聞きたくない。
わかるような気がする。
地面に穴を掘って、喚く。
○ちゃんねるなどに、暴言吐きっぱなしというのは、人としてわたしは認めない。
吐くからには、自分の名前を明かさねば、吐きっぱなしはダメだ。

SNSでちょっとしたことを言うと、途端に叩かれたりしている。
叩くほうも自分の名前を名乗るべき。
各人、自分のゴミはお持ち帰りしていただかないと。

そう意識すると、あまり好き勝手なことを書けなくなってくる。
でも、わたしのブログなど何の影響もないので、自意識過剰だと思う。
と、ここまで何の意味も中身も成さない内容をグダグダ書いてしまった。

さて。
もうすぐ、バス下車駅。
今日は、今から小学生孫、彼らの自宅からピックアップと、保育所孫お迎えと、夕食を食べさせるコマンド、指令あり。
予定時間通りに動いている。
上手い具合に収まった。
今から、頑張らなくっちゃ。

・・・・

孫たちも4番目は2歳9ヶ月になり、まあ最も手がかかる時期を脱しつつある。
が、やはりまだまだ手がかかる。
夕食も3番目孫は好き嫌いが多く、なかなか食べない。
娘か娘婿、早く孫たちを引き取りに来てくれないかなあ、、、
わたしは首がろくろ首になっている。


大金を手にしたら

2023-05-25 | わたし
最近、退屈。
何もすることがない。
時間を持て余している、、、
とは言うものの、やるべきことは山のようにある。
やる気がないのだ。
で、退屈、、、って、、、実に勝手である。

しかも、この頃、なんだか眠い。 
ついにビョーキ(脳みそ低下)がひしひしと忍び寄ってきている。
不眠で悩んでいる人もいるというのに、お気楽病か。

ちなみに、話は変わるが、
お金で人生が激変する、あるいは、人生が狂うことがある。
映画や小説のテーマにもなる。
犯罪の元凶にもなる。

極貧からの脱却。
極貧から、先ずはノーマル平均ぐらいを目指すほうが無難だと思うが、一気に大金持ちになることを夢見る。

昨夜、ニュースで見た話。
ある、お金回りが良くなった容疑者の日常の一片を知る人が語っていた。
高級車に乗って、平日、日中にジムで汗を流す優雅な暮らしぶりだったそうだ。
高級車はさておき、平日、日中にジムで汗を流すのはリタイア・シニアばかり。
これは優雅か?うーん、、、
しかも、わたしはジムで汗を流すのは苦痛である。

それはさておき、、、
ではもう少しアクティブで憧れられそうな日常を描いてみる。
欲望渦巻く夜はカンタンに想像できるとして、日中をどう過ごすか。
(ジムの平日会員ではなく)
スキーやマリンスポーツ?
ある程度の運動神経が必要だ。
スポーツ不得意な人なら、、、?
カジノでギャンブル?
全天候型だ。せっかくの好天気がいかにも、もったいない。
では、登山?
地味だ。大金を手に入れたにしては、娯楽性があまり感じられない。
チャラチャラした人が登山で頑張っている図はあまり想像できない。

それなら、、、
芸術に触れる旅をする?
実際に芸術に触れる?
芸術を推進する側に回ればお金はあっという間に使える。
芸術家のパトロンになって支援する。
が、せっかくの這い上がって手にした大金を芸術に使う人は、、、いるのか?
せいぜい、芸術作品を転売して益々お金を増やして高笑い?


旅先、那覇に小さな劇場があった。文化拠点のテイスト。映画館のようだ。
(じつは、歩いていて途中、トイレをこっそりお借りした)
あんな感じの活動に使うのも良いと思うが、やはり人それぞれ、好みがあるか。
場所は、隣(裏?)が外国大資本・超有名ホテル(ハイアットリージェンシー)だったが、わりと古ぼけていた。
(が、今、調べてみると2015年施工だった。びっくり。中はピカピカなのかも知れないが)
不思議な気がした。
ではあるものの、沖縄ならではの独特カラーなのかも知れない。
あんまりどこも、尖(とんが)っていなくて懐かしい穏やかさがあった。
美しい海、青い空、それで充分だけど。
コロナ禍の後、一度減らした人材(スタッフ)が観光業の端々にまで戻りきっていないのかも知れない。
と、話がまたまた逸れている。

お金回りが良くなった人の贅沢な日中の過ごし方をシュミレーションしていたのだった。
お日様が上がっている時間。
夜から明け方までどんちゃん騒ぎした後は、日中は、微睡(まどろ)んでいるのか。
豪華ホテルのプールでカクテル???
感性が古いか?(ずっぽり昭和人間なもんで)
もっと令和風なイマジネーションが湧けばよいが、、、湧かない。
観た映画でアタマに残っている映像が古い。
時代遅れ感あり。
いくら最新の映画を観ても、アタマの中に張り付いているのは時代遅れのもの。
困ったものだ。

しかし、
タワマンに住んで、お酒や美女イケメン以外に、アクティブにいかにもお金がかかっている憧れの行動って何?
犯罪を犯してまでして手に入れた大金なら、どんなことをすると気が晴れて大きなリスクとのバランスが取れるのだろう。
昭和人間で、すでにリタイアしているわたしには想像出来ない。
桁違いの小さなことなら想像出来るけれど、その想像は犯罪まで犯さなくても普通に真面目にしていたら自由に出来る程度のお金だ。

もうわたしは枯れかかっているので、あまり生臭い欲望がないため、想像力も枯渇状態。
ないものを無理やり頑張って想像するのにはかなりシンドイ。

こんなパワーのない話、読んでも全く面白くもなんともない。
またまたメンタル強く、恐れずアップします。

※写真、劇場の背後に映るのは、ハイアットリージェンシー那覇。


最後まで行く

2023-05-24 | 映画
いつも律儀に弊社、じゃなくて弊ブログにご訪問いただきありがとうございます。
ずーーーっとお越しいただいて、黄色いハンカチ的な、幸せのサインをお送り続けてくださり、励みになります。

さて、がらりと話は変わり、、、
岡田准一と綾野剛の血まみれな最新公開映画を観た。
「最後まで行く」。
やり過ぎ過ぎて、笑ってしまった。
しつこい、しつこい、追っかけっこ。
綾野剛の、銀メタル使い眼鏡、トレンチコート?(みたいなコート)、ウエストのベルト部分、サイド横くくり(真ん中だったか?)が、なかなかだった。
ストーリー的には成人男性向け劇画のよう。

岡田准一は、生まれつき濃い顔でよかったね、と思った。
ちょっと顔の筋肉を動かすと、何倍も効果が現れる。
その点、綾野剛は醤油顔なので不利ではあるが、やり過ぎ感をよく表現していた。
柄本明は、良いところをかっさらっていくなあ、、、ドタバタ体力は使わない、体育会系のハードな動きはしないのに、映画のエキスを一人で持って行ってしまうような役どころ。
ユニークな顔に生まれたら、俳優は特色を最大限活かした仕事だとは思うが、才能と努力と運が大きいかと。
同業の息子さんお二人もお父さんの背中を見て育たれたようで素晴らしい。
子育て大成功。
なのに、お手柄のお母さんは早々と他界され、お気の毒だ。
と、映画とは全く関係ない話になっている、、、(いつも寄り道、道草)

何しろ、映像は暗いが、派手派手な映画だった。
ところどころ、やり過ぎポイントが通過する度にわたしの笑いのツボを押して、笑いを堪えるのに苦労した。
わたしの座席の後の人は、わたしの頭が小刻みに震えるのがわかったら恥ずかしいなあ、、、と思ったが、笑えた。
笑いのツボは「やり過ぎ」。
やり過ぎは、笑いになる、という、笑いの原点か。
といっても、わざとおふざけや、ジョークやドタバタはない。
寝るヒマがない、スピード感溢れる面白い映画だった。

自虐ネタはやっぱり好き

2023-05-24 | わたし
自虐ネタが大好きなわたし。
自分を斬るフリをして同時に大嫌いな人もついでに斬る。

あんた、笑ってるけど、あんたもやで〜。

しかし、笑ってるいる人は自分は向こう岸にいると思っている。
笑えない人、顔が引き攣っている人は多少なりとも自覚症状あり。

ある人、Aさん。
わたしより6歳上。
昔から自分が間違っていても絶対に折れない、認めない。
「相手が悪い」と言う。

特典ポイントを期限切れでゲット出来ないのは、企業側が告知義務を怠っている、と怒る。
誰にもわかるようにしっかり目立つように表記しろ!と。
そもそもポイントのことも娘さんに設定してもらった恩恵で、自力ではない。
それを棚に上げ、言いたいことを言うのでわたしはカチンと来た。

「企業はポイント還元を謳って顧客拡大を図りますが、ポイントを手に入れ損なった消費者がいれば、しめしめ、儲けもの、と思っていますよ。
自分で気をつけてないと、ぼーっとして得しようなんて甘いですよ」

と、わたしは思わず言ったが、Aさんは馬耳東風。
全く聞いていない。
耳が悪いそうだ。こういう時には聞こえないらしい。
今までの生き方のスタンスがそのまま現れている。
こういう「人生の先輩」にはなりたくない。

自分で出来ないなら、特典の手を放せばよいのに。
マイナスになるわけではなく、得をし損う、それで損をした気になる。
こういうのを「欲深い」と言う。
(わたしも、です)

わたしは自分と似たようなレベルのひとを見るとイラッとする。
はるか下か、はるか上なら、なんとも思わないが、同レベルは変に許せない。
自分を見るようで許せないのだろう。
同情、憐れみに達していない、軽蔑、嫌悪にも触れない、「ブルータス、お前もか、、、」の失望、諦めにも届かない、未解決な思い。
にもかかわらず、本人は自分の非力を認めず他のせいにする。
性格なんだろう。
そうやって生きてきた、言い方を変えると、そうしなければ生きて来れなかった。
なんでもかんでも非を認め譲っていては、こころの病になる。
間違いとわかっていても、突き切るのも必要。
社会で生きていくには、敵にやられる前に敵を倒さなければならない。必要悪。
ではあるが、そういう局面にわたしが接する機会は最小限にしていただきたい。
いつも日常なら、こちらが磨耗する。

どっこいどっこいの人が、わたしと同じようなヘマをするのを真横で間近に見ると、わたしの神経に刺さる。
自分も同じ(マイナスな)くせに。
イタイ、恥ずかしい気持ちになる。
同じようなレベルはどうもいけない。
自分を許せないように、同レベルも許せない。
大目に見たり、同情するには、まだ自分と対峙し切れていない。

しかも、その、どっこいどっこいの人は全く自分の非やマイナスに気づかず、人のせいにしたりしているのを目にすると、どうしようもない気持ちになる。

ではあるが、人間は一面だけでなく、別の良い面もあるので、シーソーのように、ギッコンバッタン、上がったり下がったり。
自分だって完璧とはほど遠く未熟だし。


それはそうと。
自虐ネタが好きなのは、自分をマックスに良く見せると、落ち着かない。
見栄や背伸びは、時間差攻撃で自分を追い込む。後で苦しくなる。
自分を肯定しないとやっていけないだろうけれど、わたしは人知れずこっそり(胸の中でだったり、SNSでだったり)自分を肯定したり褒めまくっているので、表に現す時は、自虐が心地よい。
それ以上落ちることはないので、安心できる。
伸び代しかない(と、また肯定)。

ま、なんでもいい。

わたしの辛辣な目線は、サヤに入れてむき出しにしないように心掛けている。
もし不本意に他人が傷つかないよう、未然に防ぎたい。

とは言うものの、わたしから辛辣を抜くと、生ぬるい溶けかけのアイスクリームになる。

今日のブログ、全然面白くない。
でもアップする、メンタルの強さ、目標の低さ。




したいけど出来ない

2023-05-22 | 日々のこと
「やりたいけど、出来ないことは?」
というテーマを見かけた。
人の目が気になって出来ないことが多いそうだ。
身近なところでは、身内、家族、配偶者の目。

さて、わたしは?
一にもニにも、エネルギー不足。
気力が高まらない。
やりたいと思えることが湧き上がって来ない。
しかたないから受け身の受注型となる。
お誘いを待つ消極的姿勢。

今、ひとつ、思いついたことがある。
孫たちを全員連れてフランスに行きたい。
鳥取でも宮城でも城崎でもいいのだが、行けそうもないハードルの高い設定がモチベーションを上げるのにはよい。
持っているお金をぱーーーっと全部使う。
そんなことなら一人一人にお金をあげてね、と言われそう。
葬式代はいいから、自分の介護費用は残してるよね?!と言われそう。

女優の小山明子さんがお金が底をつきそうで不安に駆られ、鬱になったとか。
息子たちのお嫁さんたちに管理してもらうようになって、鬱も治ったらしい。
彼女は90歳手前。88歳。
母世代。戦中派。
そういうお年頃のようだ。

ちなみに、市川猿之助ご両親の死亡事件、広島サミットでマスコミは静かだ。
NHK TV番組「アナザーストーリー」も広島サミットがらみの内容。
ニュースも広島サミット。
広島の市民の皆さんは物々し警備に目を丸くしておられるようだ。
安倍元首相や岸田首相の有権者に囲まれた中での事件もあり、警察も総力をあげ神経を尖らせていると感じる。
この時代、何があっても不思議ではないから。
何かの引き金になるのは誰も望んでいない。

広島には○○平和堂だとか、平和大通りだとか、平和を用いた名称が多いらしい。
平和を切にこころから願う気持ちは他の地よりもずっと強いそうだ。

・・・・
と、上記、書いたまま1日放置。
書きたい時はすでにアップしたのにまた書くのだが、1日1本アップと決めているため、書き溜めることになる。
わたしは、書き溜めが苦手。
冷蔵庫に冷蔵食品を入れておくような感覚。
書いたら寝かせたくない。
なぜなら、時間が経つと自分の中で興味や感動が薄れているから。
アップしたくなくなってくるが、せっかく書いたのだし、セコイのでアップする。
本当はもう次に書きたいことが浮かんできている。
あれもこれも、と、落ち着きのない子供のようだ。

さて、まとめ。
わたしの場合、やりたいけれど、やれない原因は他にあるのではなく、自分にある。
自分の情熱、モチベーションが充満しないとやらない。
だが、やらないままより、嫌々渋々お尻を押されてやったら、やった後が充実感がある。
準備段階でワクワクする人と真逆。
自然発露的なものに任せるため、日頃は全くなあんにも、しない。やりたいことがない。

で、まとめ、出来てるか?
つまり、自分次第では物事は動かない。
やりたいことなんて、ないようなもの。
仏教的には、行動した後に、脳が後付けでなぜそうしたかという理由を付けるらしい。
その説明をFIREブログで読んだのだが、10%ぐらいしか理解していない。
もう一度、読みに行こう。
脳で考えるより先に行動するということなので、わたしは無意識に仏教的なパターンなのだろう。

ちなみに某FIREブログ、ブロガーさんの著書やおすすめ本まで買って読んだ。
影響を受けている。
仕事をしない生活など虚しいものではないか?と、また仕事を再開する人もいる。
まあそれは良いとして、この共鳴すべきブロガーさん、奥さんのことは一回しか書いていなかった。
毎回、プロ級の手作り料理の写真をブログにアップされているのだが、奥さんの作。
料理は参考本を載せて、品名は一言、書いてあるものの、奥さん自身に関する文章は書かれていない。 
毎日の食卓写真は欠かせない。
それが考察文章よりも奥さんを端的に表している。
幸福の基盤、基本だが、子供さんのことは書かれているにしても、、、おそらく、奥さんに関しての感想や考察は自覚せずに地雷を踏む可能性もあるので、面倒なトラブルは回避したいのだろう。
一番知りたいことは書かれていないことに対して、わたしは自分なりの解釈をしている。


都会の雑踏

2023-05-20 | 暮らし
わたしの趣味はインドアがほとんど。
いずれ動けなくなったら、外出出来なくなったら、その時に家の中で楽しもう、と、あえて取っておいている趣味がある。
それは、映画館での映画鑑賞。
今では新作でも半年もしない間にネット配信される。
自宅でパジャマのまま寝ながらでも鑑賞できる。
が、映画館にわざわざ足を運ぶのは、出不精のわたしに、自分でハッパをかけている。
わたしは出かけるのが億劫。
だが、出かけると都会ではいろんな人がいて刺激になる。
(最新の大都会は尚更、技術の発展に目を見張り、街が動く)
とは言うものの、わたしの楽しみはもう日頃の近辺の都会にはないなあと、しみじみ思ったりする。
都会に求めるものがない。
出会いやキラキラ、そんな人工的なものより、落ち着きや、安らぎ、親しみ、自然のほうが良い。
都会にいる年配の方々を見ても、なんだか場にしっくり合っていないように感じる。
(シニアでも働いている人は別として)
自分の居場所に、都会は適していないと感じる。
若い頃は憧れたが、また原点に戻る傾向か。

ではあるが、出不精で引きこもっているのも心身に良くない。
かといって、自主的にウォーキングするには熱意が足りない。
コロナ時は、全くどこにも出られず、何も出来なかったので、内から押し出されるようにウォーキングしたけれど。

というわけで、自宅映画は、弱った時のためにお取り置きしている。
読書は、最低限しかしない。(ほぼしない)
ここのところ急に理解力がかなり衰えているのを実感する。
好奇心も弱くなっている。
自然減か。

そのほかに、あと、弱った時用のお取り置き楽しみとして、縫い物がある。
チクチク手縫い。
ごく近所に洋裁教室があり、いずれ顔を出してみようと思っている。
先生はわたしより年上のよう。
はやく行かないと、先生が引退してしまう。
社交ダンスも40代の時、歳を取った時の趣味としていずれ始めようと思っていたが、なかなか重い腰が上がらず、結局、動き出したのは、49歳の時。40代ギリギリである。
そういう前例もあり、いずれ次の段階のために、し始めようと準備したいのは山々だが、気持ちだけ充満して、なかなか動かないのがわたし。

もっと歳を取ると、麻雀とかは出来るので、そういうのはしてもよいと、薄っすら考える。
夫も麻雀は打てるので、いずれ我々が更に高齢になれば我々より若い誰かに接待麻雀をしてもらおう。
だが、孫たちに教えるのは無理。
彼らの親たちも麻雀経験が無いし。

わたしの父が麻雀を始めたのは、わたしが中学生の頃。50歳ぐらい。
我々子供たちは、兄主導のもと、どんどん覚えていったが、父は苦戦していた。
あんなに頭脳明晰な父なのに、なんで覚えが悪いのだろう、と、当時中学生のわたしは不思議だった。
だが、家族相手に麻雀を覚えるのも悪くない。
わたしは下手で読みが浅く、チョンボもよくするが、中学の時からやっているので、今、この年齢から始めることと比べたら、とても良かったと思っている。
あくまでも家族麻雀だが。
麻雀ではないものの、今では小学生の孫に、頭脳プレイのトランプでは勝ったり負けたり負けたり、で、負けが多い。
あんまり、強くない。

母は一切、ゲームも読書もしない。
が、夢のあるものに接するのが好き。
頭の中だけではなく実際に形に表す、行動実践派。
頭脳派ではない。
掃除もピカピカに綺麗にして家や庭を整えていたが、ああわたしと言えば、、、(ため息)

皆んな、身体が動く限り、自分らしい生き方をしていたなあと思う。
わたしは身体を動かさないのが自分らしい生き方か、、、(ため息)
今、現在も気になる未処理タスク(マイナス事項)を抱えているのだが、今年いっぱいは手を付けず、来年あたりから動こうと考えている。
あくまでも考えているだけなので、じわじわ更にマイナスに傾くかも知れないが。

とあれこれ書いてみたが、まとめてみると、、、
わたしは都会より非都会派。脱都会。
(だが、山の中のぽつんと一軒家、自給自足暮らしには根性がなくて住めない)
観光地や古い街並みは好き。
今しか出来ないことをしたい。
好奇心が原動力なので、無理やり頑張らない。
好奇心が減少したとしても、静かに暮らしたい。
以上、今日の独り言でした。

※写真は旅先で見かけた素敵なお宅



思ったことを考えずに口に出す

2023-05-19 | お付き合い
世の中には、口から先に生まれたような人がゴマンといる。
わたしの周りにも、そんな人は多い。
思わず口から出てしまうホンネが一番こたえる。

ごめん、スミマセン、と言われても、それはホンネであって、口に出すか出さないかだけの違い。
思っている、感じていることには違いない。
そのホンネをずばっと言われたら傷つくことがある。

ある趣味仲間の人、Aさんは、いつも考えずに感じたままを口にするので、わたしはどれだけ何度も深く傷ついたか。
わたしの他にも傷ついた人がいて、言われたことが原因でその人は趣味サークルを辞めた。
それもあって、Aさんとは距離を置くことにした。
腹黒くはない、思ったことをそのままま言うだけで、悪い人ではないのだが、わたしも自分が傷つくのは避けたい。
どんなことを言えば相手が傷つくのか、想像力が欠如していた。
わたしはその度に悲しんだ。
わたしが傷ついたことだけはAさんはわかるようだが、どうして傷ついたのか、何に傷ついたのか、どの言葉に傷ついたのか皆目見当もつかないようだった。
いずれお天気の話ぐらいしか話さず、その他は何も話さなくなった。
Aさんは社会の話題やその他の話題もまるで興味がなかった。
どこに傷つくポイントが隠されているのかわからないまま、会話を続けるのはお互いリスキーなので中身のある話はしなかった。
つまり、表面上はトラブルが発生しないが、内面的には関係性が破綻している。
そんな期間をある程度過ごして、離れるタイミングをずっと待っていたが、やっと顔を合わせることを回避した。
いやはや、大変だった。
人と付き合うには、距離感が大事だとつくづく思った。
これはうまくいかない経験をした後、いつも思うことなのだが。
人間関係は本当に難しい。
まして、他人なら尚更。

※写真は記事とは関係ありません。
GW旅行で歩きながら印象に残ったものを撮った写真。