蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、花咲く時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

暇すぎて、今日はあほくさい内容になってしまった

2018-02-03 | 日々のこと
今日は楽しい趣味の日。
楽し嬉しは、あまりブログには書かないのだけど、電車内、暇なのである。
暇だ暇だ暇だ。

昨日、トラウマ氏への怨念を手紙形式で書いたものの、蝶ブログでは、趣味がらみの専門的なことは理解していただけないだろうと思い、非公開に。
が、とりあえず、加筆。
かと言って、あんな重い内容、誰に送る?

最初は、ある人に送ろうと思い、書いたのだが、だんだん、こんなに重苦しいものを送られても困るだろうと考え、送るのを見送った。
お手紙の中身も更に加筆、訂正した。
が、送る相手がいない。

気持ちは晴れたか?
せっかく書いたお手紙が、宙に浮いた。
なんか、もったいない。が、非公開にしておこう。

わたしは、なにがしたいのだ?
人に理解して欲しくないとかブログに書いていたが、あれは強がりか?
「この人に、ぜひ、わかって欲しい」、とわたしに白羽の矢を立てられた人は気の毒である。
重くのしかかられたくない、ライトな距離感がいいと思うかも知れない。
なので、推敲を重ね整えたお手紙、さあ、どうする?
(わたしは自分の書いたものに、読み直したりして自己陶酔する気持ち悪い傾向がある)
自分で読んで、自分で感激するか。
蝶ブログにアップするか、趣味関係の人に迷惑省みず、送り付けるか。
とりあえず、明日まで待ってみよう。

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幸せの終着駅

2018-02-01 | 日々のこと
さて、トラウマも落ち着いたか、と思いきや、今度はトラウマを懐かしがり痛さを余裕で楽しもうという、不穏な動きが発生した。

が、やはり、発生して瞬時に消えた。
別のことを考えたほうが楽しそうだからだ。
さて、何を考えよう、、、
「何を考えるか」を考えている時の精神状態は?
たんに暇なだけである。

今しがた、やるべきタスクを1つ片付け、残りは3つある。
しかし、まだ締め切り時間が迫っていないので、ギリギリまで遊ぶ。
遊ぶといっても、ゲームをするでもなし、お絵描きするでもなし、読書もしないし、テレビもDVDも観ない。
わたしは、大の仲良しである「自分」とのおしゃべりが大好きである。
知らない人が聞いたら、危ない人だと映るだろう。
でも、おしゃべりは、声を出していないから、大丈夫。
文字で交信、ブログ更新。
やっぱり、キモチ悪い人である。

ストレスを発散するために、人に聞いてもらうという方法がある。
昨日のご近所友人Aさんは、新しい職場で3Kのキツイ仕事をしている皆さんの愚痴を聞いてあげていると言う。
愚痴らなければ、家に不満を持ち帰っては大変だと。
その場で発散させてあげないと、とてもやっていけないだろう、と激務の職場の皆さんに同情を示す。

大声を上げるとか、蹴ったり破ったりしてモノに当たる、とか、ストレスの発散方法は色々ある。
人に当たってはいけないが、愚痴を聞いてくれる人がいるなら、聞いてもらうぐらいはよいだろう。

わたしは、人を感情のはけ口にしようにも、そんなことでは発散できない。
相手がわたしに同調していないことがわかりきっているのに、不満だけぶつけても、お互い不快なだけだ。
仮に同調してくれたとしても、個人情報は流したくないし、別に相手に理解してもらわなくてもいい。
理解してもらうために、いろんな方法で説明するほうが、めんどくさい。
自己開示すると、わたしは不安で不愉快な気分になる。

では、ブログは何?
さあ、、、何なんだろう?

無理やり聞かされるわけでも、読まされるわけでもないし、読めばポイントが貯まるわけでもない。
強制もご褒美も用意していないので、各自の自由意思で読む、ということになる。
まあ、早い話が、皆様、読んでいただいてくださり、ありがとうございます、なのだ。

ボランティア読者の皆様のおかげで、わたしはモノにも人にも当たらなくてよいわけだ。
というか、日常生活で、あまり頑張らないため、ストレスが溜まらない。
なあんだ、またまた自分のサボり肯定論に行き着いてしまう。
面白くもなんともない。

しかし、ふと、このまま人生が終わると仮定したら、早すぎる、まだ覚悟ができてない、とジタバタあがく。
でも別に何が特別にしたいわけでもない。

どんなことがしたい?と自問自答するなら、平穏無事に暮らしたい。
心身ともに自立できなくなって、人に迷惑をかけたくないが、かけなければ生きていけないなら、わたしの尊厳を守るために、わたしがわたしでなくなれば、その時は、家族に見極めをお願いしたい。

幸せなENDに向かって歩きたい。
これって、ハッピーエンドっていうのだろうか。
まだ道、途中だけど。

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不幸を呼び込む力

2018-01-31 | 日々のこと
久々ぶりに、ご近所友人Aさんとお茶。
目と鼻の先に住んでいるけれど、会うのは2〜3年ぶりぐらい?

いろんな話を聞いた。
濃い内容。
さすがに3年分。

色々ある中で、Aさんのお友達Bさんの息子さんのカノジョの話を聞いて、びっくり。
今は同棲中で、いずれ結婚するかも知れないらしいけれど。
聞けば聞くほど、ヒドイ女性。
こんなエゲツない女性と付き合う男性もいるのだなあ、と。
いかにヒドイか、具体的に書くのは躊躇われるので書かない。
内面、性格、考え方の問題であり、それに基づく行動、態度。
いずれ、息子のお嫁さんになるかも知れないお友達Bさんには、ヒドさを伝えることは出来なかった、とAさん。
Bさんは息子のカノジョがそんな人だということを知っているのかしら?と、Aさんは心配していた。
若いから、今を重要視するあまり、息子さんにはカノジョのヒドさが気にならないのだろう。
冷静な客観的な目で見ることが出来ないと思われる。
それにしても、、、。

他人事なので、全くわたしには関係がないが、最近観た、蒼井優主演の映画に少し似ていると感じた。
エグさが売りの、個性的女性作家の小説の映画化。
(ちょっと気分悪くて吐き気とか、してくるような、衝撃的作品)

不幸になりたい人は、不幸に近づきたがると思う。
どう考えても、そんなカノジョといれば不幸になるのは分かりきっているのに、まして、子供でも産まれたら、大変なことになるのに。
本人同士が良いなら、周りに止める権利はない。
みすみす不幸な道を好き好んで選ぶ人は、それなりに自分に不幸因子があると推測する。
不幸は、不幸が好きなので、どんどん不幸になっていく。
不幸を呼び込む力なんだろう。

その逆は、幸せは幸せを呼ぶ連鎖。
いろんなパターン、人がいると、しみじみ思った。

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ぶつぶつ独り言は気持ち悪い

2018-01-30 | 日々のこと
昨夜、嬉しい楽しい(さわりだけ)内容のブログを書いたばかりなのに。
今朝、また嬉しいことを言われたばかりなのに。
わたしはどうやら楽天家ではあるものの、同時に本質まで見極めてしまい、心底喜べない。

今だけだろう、とか、
喜ばせて何か魂胆、打算があるのだろう、とか、
さして何も意味はない、自然に口から出まかせリップサービス作業だろう、とか、
マイナスのことが見えて、どうも熱が上がらない、可愛げのないわたし。
たぶん、自意識過剰なのだろう。

素直に喜べばよいものを、おべんちゃら、お世辞に聞こえてしまう。
自分に自信のない、自己過小評価の哀しき習性がこびりついている。
おそらく認めてほしい、裏返しではないかと深層心理を探る。
といっても、自分のことは自分が一番よく知っている。
主治医、兼、患者。
セカンドオピニオンを聞いても、ぐるぐる回って結局、自分の考えに戻ったりする。

喜ぶ時ぐらい、素直になりたいなあ。
しかし、情熱やモチベーションを高く保つのは至難の技であることは熟知している。
なので、今、この瞬間に絶頂の熱さ、高さにいるのに、同時に、しゅるしゅると下降していく映像がアタマに自然に浮かんでしまう。
分裂アタマ、メリハリアタマは、厄介だ。

しばらく、じわーっと喜んで、情熱やエネルギーをチャージしたらよいと思う。
と主治医=神の声。
結局、自分が独り言をぶつぶつ呟いているだけなのかしらん。

ただし、声を出して独り言は良くない。
街の自販機の前や、駅などで、つぶやきおばさんを時々見かける。
気持ち悪いので、声を出すつぶやきは、家の中だけにしている。
娘が最近、声を出して独り言を言っているのを聞き、発声独り言菌が家庭内で感染したとしたら、申し訳なさを感じている。
だって、気持ち悪いもん。

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マイナスな出来事とマイナス感情

2018-01-29 | 日々のこと
わたしは、楽しい時には、さほどブログや日記に、書き留めたいとは思わない。
悔しい、腹が立つ、怒り、憤り、呻き、叫び、嫉妬、虚しさ、悲しさ、侘びしさ、情けなさ、疑問、解せない、納得できない、不条理、未解決、未消化、、、などなど、マイナス感情が溜まると、どばっと吐き出したくなる。

楽しかった、嬉しかったことなどは、ややもすると読む人から反感や妬みを買う場合がある。
しかし、失敗や、気の毒な話は、同情など、感情移入もしてもらえ、優越感も与え、さらに、ついには、応援してもらえるかも?などと、あわよくば、、、と打算付き。

妬みは、怖い。
しかし、なんで妬むのだろう。
人の不幸は、蜜の味。

、、、で。
今日はいいことがあったのだが、読む皆さま方から妬まれても嫌だし。
えへへへ、にたっと思い出し、ひとりほくそ笑んでいる。

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まだまだ癒えないトラウマ、そうとう、しつこい。

2018-01-20 | 日々のこと
しつっこく、いきなり、また、トラウマに襲われた。
いま、地下鉄内。
わたしは、役に立たないことでも、よく知っていることがある。
興味に任せて調べたり、深く考えたり感じたりする。
(大事な必要なことは知らないことが多いが)
だんだん溜まって来ると、空気抜きを要するようになる。
それをアウトプットする場所があると、自分が救われる。
ブログだったり、関わりのある人だったり、リアル人だったりする。

トラウマ氏。
一切、聞く耳持たず。聞こうとしない。
わたしの話す内容には興味を示さない。当然、理解も示さない。
それはなにも難しい話でもなんでもない、普通、日常のことであっても。
「へー」とか相槌を打っているつもりらしいが、「へー」は話している真っ最中で、話を聞いていない、聞きたくないのが、実によくわかる。
なので、わたしは自分のことは一切しゃべらず、共通の知人の噂話ばかりをする。
トラウマ氏は、自分の意見や感想を一方的に述べる。
わたしは共鳴も賛同もしない。が、トラウマ氏はお構い無し。
一方的に自分の考えを押し付ける。
わたしの言うことはトラウマ氏は聞く気がないので、そういう状態では、わたしは話さない。
これは、コミュ二ケーションと言うか?
言わない。言うはずがない。

わたしは、全然面白くないが、レッスンや練習の帰りにトラウマ氏とお茶を飲む。
単なる時間つぶし。
せっかく遠いところから出てきたのだから、お茶でも飲んで話でもしないとねー、という、わたしの一種の歩み寄りの努力。
そこそこ時間が潰れて、クールダウンしたら、お互い、東と西に別れる。
いつも味気なく、なんのための会話か、まったく意味のない、無味乾燥なものだった。
わたしは、トラウマ氏に合わせていた。
全然、楽しくもなく、つまらない時間だった。
トラウマ氏がわたしの話に興味がないように、わたしはトラウマ氏の話には、なんの興味もなかった。

なので、わたしらしさは、まったくアウトプットできていない。
わたしの、ほんの一面も、まるで出ていない。全面クローズド。
だから、トラウマ氏はわたしの中身を知らない。
二人の接点がないから、引き出しようがない。
で、しかたなく、噂話に始終する。

やはり、コミュニケーションには行ったり来たりが必要。
もし、一方通行だったとしても、相手に興味がある、とか、自分が知らないことを知っていて面白みを感じ、吸収しようとする、とか、なんらかの接点がないと、会話は成立しない。
こころの交流も成り立たない。
トラウマ氏のダンスや、行動で、とても痛め付けられ、わたしは抵抗する気力が失せていた。
思い出せば思い出すほど、わたしを出さず、引き出されもせず、相手の話にも興味がなく、お互い、全くこころの接点はなかった。
わたしの豊かな内面のほんの1ミリでも出したり、相手がキャッチしたりしていることがあれば、少しは違うかも知れなかった。
トラウマ氏といる時間は、砂漠で時間待ちをしているようなものだった。

精神的に重く辛く暗く痛く、ろくでもない感情ばかりが湧き出て来る。

ああ、よかった。離れられて。
こんなに嬉しいことはない。
膝も嘘のように腫れが引き、痛みが治った。
トラウマ氏と踊っている時は、悪い方の足は浮腫んで、もう片方の足の1.3倍はあった。
もう4ヶ月も経つのに、離別できた喜びをまだひしひし感じ、熱い思いが溢れ出る。
が、嫌な思いは、それ以上で、なかなか、ちょっとやそっとでは消えない。

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三部作 (孫)(弟子不合格)(群れない群れ)

2018-01-19 | 日々のこと
第一部【孫】

今日は涙ぽろぽろ、はらはら、眼は大雨。
歳が行くと老化するが、特に涙腺は著しい。
三頭身孫の学芸会の祖父母向け招待会があった。
自分の孫の出番でもないのに、涙が次々と溢れ出る。
他にもハンカチぐしょぐしょの祖母(若いけど)がいて、アレルギー性鼻炎か風邪かと思っていたが、泣いている?
不思議だなあと感じていたら、見る見るうちに伝染。
涙は伝染するようだ。

親が見るより、祖父母が見るほうが、感涙に咽び泣くと思う。
親はまだ毎日が育児戦争。
よくここまで成長してくれた、と、じーんと来るだろうが、祖父母はまた別の、じーんがある。
ひいおばあちゃんぐらいになると、認知症がかっているので、大勢の中から自分の曽孫を探せず、感情移入できず退屈。
探せたとしても、無表情に近いかも知れない。

作られた大衆娯楽映画より、ずっとよかった。
今も昔も変わらない。まだ競争を知らない無垢な子供たち。
これからの成長や、成長に伴うあれこれを想像すると、評価が真っ白に近い今が、1番良い時期かも知れない。

(ここで終わっておけばよいものを、ここからが長いです。
ここで読むのを終了するのも、おすすめコースです)


第一部 付録【他人】

わたしは、三頭身の学芸会動画を公表する気など、さらさらない。(本番はまだ一週間先なので、撮影は禁止となっているし)
例の、三頭身孫のバレエ発表会動画が頭をかすめた。一人一人(祖母)、感性はこんなに違うのかと改めて強く思った。

自分の孫や、孫と同じ保育園に行っている子供たちをそっと自分のこころの中で応援する人。
かたや、ありとあらゆる自分に関係、関心がある不特定多数の人々に、自分の三頭身孫を見てもらう人。
たんに性格だけではなく、生き様や生い立ち、背景も絡んでくるのかも知れない。

皇室だったとしたら、公表したくなくても公表されてしまう。
嫌なら皇室に入るな、という話だが、後継者はそういう訳にもいかない。
プライベートと、非プライベートの境がつけにくい立場に、もしわたしがいたら、1日と持たない。
そんな立場でもないのにリクエストされてもいないのに、プライベートを思いっきり、さらす人。
やはり、この感覚にはわたしは付いていけない。(付いてこい、とも言われていないが)
人には人の数だけ幸せがある。
(例えば、子供や孫のいる幸せ)大まかなところは同じだが、細かく枝分かれした部分まで同調なんて、土台無理な話だ。
とっとと忘れよう。

子供も孫もいない人、子供はいるけれど、孫のいない人、女の子はいるけど、男の子がいない人、男の子はいるけど、女の子はいない人、、、、キリがない。

(ここで、読み終わるのも、第二のおすすめコースです)


第ニ部【弟子不合格】

今、あまりにも退屈した時に、無理やり読んでいる本がある。
お正月明けに夫の実家から持ち帰った、姑の本「般若心経90の知恵」。
睡眠不足や、不眠症にはもってこいである。
即、眠くなる。

その中に、わたしの考えとは違うことも唱えてあり、「ああ、違うなあ」と自分の考えを確認するのには、良い。
人が言っていることはとりあえず耳を傾けるが、全てを鵜呑みに、まるごとなんの疑いもなく受け入れることは、わたしはできない。
当たってる、当たってない、半分当たってる、などなど、様々なジャッジ、反応をする。
たとえ、お釈迦さまの教えでも、受け入れられないことは、受け入れられない。
全てを受け入れなければ真の仏教徒になれないのであれば、あるいは、修行を積んで受け入れられるようになるまで頑張らなければいけないなら、ちょっと離脱、一時、脱却する。
または、受け入れられない箇所だけ飛ばして、次に行く。
全てを完璧に受け入れようとしたら、あの世に行くまでに時間が足りない。
時間切れで履修科目が足りず、極楽浄土には行けないわけだ。

話が長くなり、読む側は疲れが出てきたと思うが、なぜかまだ続く。
(読み終わり第三のおすすめコースです)


第三部【群れない群れ】

宗教色は完全に抜いたところで、
今の、わたしの考え方、感性とほぼ同じ人が一人いる。
で、つい最近、またもう一人、現れた。
さらに部分的に同じ傾向のある歳下の別の人とは、これまた最近、開かれた文通のようなことをしている。
SNSの自分ページ上での書簡(私信)のやり取り、公開版。
自分宅での、非下品2ちゃんねるトークみたいなもの。
我々は1対1スタンスで、共通点がある。
群れるのが嫌いということだ。
群れないが、お互いの両手をがしっと結び合っているのではなく、片手だけで結ばれている。もう片方の手は、開けておく。自分用に自由が利くように。
別の違う人と、がしっと結ばれそうになれば、五本ある指を追加する。片方の脚や腕でも良い。
そういう人が何人も何人もいて、片側一方を使って個人と繋がっている。
これは群れてはいないが、群れるのが嫌な人が同じ所に、ひしめいている。
これって何?
今時のゆるやかな群れない集団?
群れないのに集団なところが、お一人様ばかり集まる会、みたいなかんじで、パラドックスっぽくて、摩訶不思議で面白い。(面白いと感じるのはわたしだけ?)

群れない新しいかたち、と思っていても、全く新しくなく、皆、もうとっくに取り入れ、実践していることだろう。

さあ、何が言いたい?
自分にそっくりな傾向、嗜好の人がここのところわたしの周りに集まってきていると感じる。
別にわたしを中心にしているわけではなく、個々に繋がっている。

なにを今更?
たんに類は友を呼ぶだけでしょ?と斬られそうだが、その通りだ。
世界中で唯一無二の自分、と自負していたのに、唯一無二が、唯ニ無三、唯三無四、唯四無五、、、と、自分のコピーみたいにいっぱいいることがわかり、しかも群れない主義なのに、一匹狼が1万匹も100万匹もいて、群れている集団より多くなる、この事態。
これは、群れていない、群れ?
お一人様専用、「一人旅の御一行様」団体のようだ。
群を嫌うアンチ集団派が集まり「『アンチ集団』集団」を作る?
矛盾集団?
なんだか、よくわからなくなってきた。

正解を決めず、個々に正しいと認め、やがて正解は実体がなくなり、、、
でもこれって、今の世相や、政治の支持者の特徴、動きだったりするのではないだろうか。
なんたらかんたら、延々、、と続く、、、

最後に思うこと。
長文で、すみません。

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もう一つの不快感

2018-01-17 | 日々のこと
あるSNSで、自分の呼び名を「◯◯姫」と命名する人がいる。
ずーっと◯◯姫。
自分で言う?

ある人は、娘さんのことを姫1号、姫2号と呼ぶ。
さらに、女の子の孫をプリンセスと呼ぶ。
自分で言う?

その人は、自分には孫がいる年齢にもかかわらず、自分の老いた母親のことを「ママ」と呼ぶ。
外国人でもなく、外国暮らしが長かったわけでもない、日本の田舎暮らしの日本人。
ママが、ママが、、、と、話し言葉の文章を読むと、ぞっとする。
つけまつげバチバチ、歯が抜け、真っ赤な口紅、黒マント(裏生地は、赤白水玉ミニーちゃん柄)の、シワシワ老婆を連想する。
(実際は違うけれど。リアル人を知っているので)

わたしには弱点がある。
そういう類の人種、言葉に接すると、ゾゾッと寒気が走り、震え、全身鳥肌、寒イボ、ペキーンと凍ってしまう。
全機能が麻痺する。
べたーっとした、えぐい濃いピンクの塗料をベトベトに塗りたくって、ドロドロに溶けそうな脂べったりの、ハート模様が張り付いてくるような恐怖を覚える。
(でも、林家パー子は、わたしのピンクセンサーは、あまり不快感をキャッチせず、ひとつの芸風として認識する)

人には人の表現の自由がある。
わたしは全力で、後ろも振り向かず逃げ去る。
でも、舌か目か、鼻に、でろでろピンクの残像が残って、ちょっとやそっとでは取れない。
防衛手段としては、手洗い、うがいを繰り返すのみ。

今日のわたしは、ちょっと、いや、大いに嫌なやつっぽい。
明日から元の元気な自分に戻る予定だ。

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不愉快との付き合い方

2018-01-17 | 日々のこと
退屈である。
突然、退屈になった。
いつも見に行く別SNSの日記をアップする顔ぶれが固定化され、動きがなく、面白くない。

中ではアクセス数の多い日記がある。
わたしは、直接リアルを知っている人なのだが、、、
お孫さんのバレエの発表会の動画を日記に貼り付けてある。
三頭身なので、ゆるキャラの動きで可愛い。
(※ちなみに、「三頭身」は、多少のデフォルメ表現)
歌舞伎役者の子供の初舞台のようなものか。
歌舞伎は伝統芸能で、子孫は引き継がなければならない宿命を背負っているが、バレエは自由選択だ。
しかも三頭身なら、バレエとは言い難い。
あれでも振り付けや指導は大変だっただろう。
しかし、猿やイルカに芸を躾けるほうが大変だと思う。

立派な舞台での晴れの発表会なのだが、なぜ、あのような動画をアップするのか、深層心理を推測するにも、いたって単純、明解。
目の中に入れても痛くない、可愛い孫の、最も可愛い三頭身時代の動画を皆んなに見てほしい、と願う、ばばごころ。
誰にでもある、微笑ましい楽し嬉しい気持ちである。
わたしとの違いがあるとすると、それを不特定多数の趣味仲間に公開するか、しないか。
皆さんは、「可愛い、可愛い」と多くのコメントを寄せていた。
可愛いことは可愛いが、三頭身が一生懸命やっているところが可愛いのだ。
どうせなら、笑える瞬間をとらえた動画のほうが面白いのだが。

しかし、わたしは、そうとうひねくれている。
猿やイルカの練習を重ねたショーは、有料で観客の目を楽しませてくれる。
お遊戯も保護者家族を楽しませてくれる。
教育指導、成長プログラムの過程での、保育園や幼稚園の学芸会ならいざ知らず、
そしてシルクドソレイユや上海雑技団の高度な技ならいざ知らず、大枚を投じてお稽古させ、立派な会場、広い舞台で踊る、三頭身のバレエ、、、
その、熱すぎる趣味に、拒絶反応に近いものを感じた。
こういうお金のニオイ、わたしは大嫌いなのだ。
(どこぞの国の、全員、顔だけ異様に、にこやかな笑顔の、音楽舞踏団の小型・三頭身版にも見えないでもない)

好きでお金を投じる人がいて、かたや、嫌いな人がいて、、、人それぞれ自由であり、誰に文句を言われる筋合いもない。
同好の人々が寄り集まり、お互いを褒め合うのは、精神衛生上、非常に結構なことである。
ただし、広く制限を設けずに公開すると、届いてこない不快な声も必ずあるだろう。
そんなことをいちいち考えて気にしていたら、楽しむこともできない。

なので、わたしはお金のニオイのする三頭身への趣味投資に関する感想は、直接、ご本人には伝えない。
何にお金を使おうが本人の自由であり、邪魔する権利はない。

嫉妬ではない。
1兆円、資産があっても、わたしはしない。
嗜好の違いである。
周りの祖母趣味仲間の皆さんに、多くの同調賛同コメントを寄せられ、悦に入っておられることだろう。
人は人。それぞれの価値観や嗜好は個々に独立して存在することを認めている。
誰にも好き嫌いはある。
が、内容に関しては、わたしの趣味に合わない。

見ても見なかったことにして、なにもなかったことにしておくのが、わたし流。
自分を不快にさせるものには近付かない。

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寒く退屈で電池たっぷりな1日

2018-01-12 | 日々のこと
寒く退屈だが、電池がたっぷりで良かった1日だった。

今日の日記を1行にまとめるとこんな感じ。
遠方地での用事を2つ終了したが、3つ目の用事はアウト。
3つ目は、2つ目の用事の時間が押してドタキャンとなった。
ついでに、用事と用事の間に、ブーツの踵修理。

そもそも雪のため、JRが遅れていた。
初っぱなから、良くないスタート。
ぎゅうぎゅうにタイムスケジュールを詰め込んでいるので、ひとつ遅れると、次のスケジュールに影響を与える。
分刻みで、乗る電車、バスが決められている。ひとつでも遅れると、次にさし障る。

徒歩→私鉄電車→地下鉄→JR→バス→滞在→バス→ブーツ修理→JR→用事→JR→地下鉄→3つ目の用事に間に合わない→私鉄→バス
我が家と目的地は、なんて遠いんだろう。
たいしたことはない、と思っていたが、そんなことはない。
1日仕事だ。
その中間地点で、もう1つ用事を入れようなんて、厚かましいか。

都心を通過する電車移動が多いためか、外国人男性と日本人女性のカップルを2組見た。
2組とも母国語は英語ではないが、母国語なまりの英語を話す。
1組の男性はポルトガル語? かぎ鼻。日本人女性の英語は抜群。日本人だと気づかなかったぐらい。でも、イチャイチャしすぎ。
もう1組は、ドイツ人男性。日本人女性の英語は、発音が悪い。
どちらもラブラブカップル。
言語は、ラブがあると、コミニュケーションを潤滑にする見本。恋人。
おばあさんに近い、おばあさん予備軍のおばさんであるわたしには、全くなんのカケラも関係がないことが、うら悲しい。
まあ、そういうお年頃に突入してしまったのだから仕方ない。

別SNSの日記は、ただいま自滅傾向にあり、墓穴を掘っている。
私自身が楽しくない。面白くない。
停滞している人の中に、停滞した内容の日記。
顔ぶれも、コメントも同じで、つまらない。
動きがなくて飽きる。

話は変わるが、
昨日、スマホのバッテリーを交換して、すこぶる良い調子である。
飽きるほどSNS三昧も、新バッテリーのおかげ。
だだ、交換に行った店は、家からやたら遠い店舗。
ひょっとして、わたしの家は、不便なところにあるのかも?と、今更ながら、認めざるを得ない。
しかし、その大変な時間と労力のおかげで、今日は1日中、移動時間はスマホ。
嬉しかったかというと、すっかり飽きた。
やはり、何事も、ほどほどが良いようだ。

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