蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

実に、もったいない時間

2019-06-29 | 日々のこと
今日は疲れた。(※これ、昨夜書きかけていたものを日をまたいで、続きを書いてます)
何も、しなさすぎて。
それとも、季節の変わり目で、体がついていかないのか。

ちなみに、G20、大阪で活動する人には影響がある。
物流をはじめ、交通規制で、明日行く予定をしていた場所を変更した。
でも、一堂に集う首脳陣には迫力がある。
なんだか、映画を見ているようだ。
皆さん、たいへんだろうけど、タコ焼きサービスは楽しそう。
しかしまあ、トランプさん、図体がデカイなあと。態度も顔もだけど。

体調は、出かけると良くなる。
全く、いいかげんなものだ。
たんなる、家で何もしたくない病か。
やはり、日をまたぎ、朝になると元気になる。

朝になって、夜になって、朝になって、夜になって、暑い夏がもうじきやって来て、秋になり冬になり春になり。
あっと言う間に1年が過ぎ、2年が過ぎ、5年、10年と、歳月はわたしを待ってくれない。
なのに、何もしない病で、ダラダラしていて良いのか。
答えは、、、良い。
最適、最善、わたしにとっては、何もしないことが、幸せの凝縮エッセンスである。

話は変わるが、
森昌子の「スター誕生」の同期で、すぐ引退した女性歌手がいて、あの人、今何してる?みたいなテレビ番組に出ていた。
お年頃で結婚してから専業主婦一本らしい。
趣味のテニスやら、粘度手芸やらを楽しみ、子供、孫たちにも恵まれて幸せな毎日を送っている、と、常に、にこやかな笑顔で話されていた。
専業主婦になる前はお勤め経験があったといっても、母校の秘書室で短期間、後に寿退社。
40年近く専業主婦をしていると、お勤めは思い出程度かも?
まあそれはよいとして。

長年、主婦層を中心に、スポーツサークルを主宰してきた姉。
専業主婦の中でも、お山の大将主婦は、煮ても焼いても食えないと、姉が嘆く。
自分の世界が絶対で、なんでも自分の思い通りになると思っている、世間知らず。
あなたが、わたしのルールに合わせるべき、と、譲らないらしい。
なぜ、わたしが人の言う通りに従わなければいけない?従うのは、そちらでしょう、と強気を押し通す。
世の中を知らないため、基準を知らない。合わせるということを知らない。自分が基準。

で、そういう人は少なからずいて、辞めてもらったそうだ。
辞めさせられても、なぜ辞めさせられたか理解していないだろう、とのこと。

にこやかな笑顔に、騙されてはいけない。
(森昌子同期女性がそうだとは言っていないが)
和気藹々と趣味仲間とおしゃべりしながらのお稽古ごとが楽しい、と、森昌子同期女性が言っていた。
まあ、色々あることだろう。
仕事をしていればした、で、責任あるし、理不尽なこともある。ストレスも当然。
どっちも、どっち?
しかし、最近は専業主婦がテレビで取り上げられるのは珍しい。
かえって新鮮?
森昌子が引退して、憧れの独身リタイア専業主婦になるから、それを意識しての企画か?

まあいいけど。
明るい屈託のない笑顔って、なんだかそのまま受け取れない、ひね曲がった、わたし。
そうとう、歪曲している。
テレビ番組や雑誌などの企画ものには、どうしても疑いの目を向けてしまう。
騙されないぞ、と厳しいジャッジ。
わざと騙されて、知らん顔して忘れるという手もある。

(あの人、今どうしてる?の調査対象者が、NASAに勤めていたり、昆虫研究していたり、IT関連の人など、職業を持って活躍されている場合には、興味深く、わりと楽しく見ている。
が、どうも社会的に何も確固たる事実みたいなものが見えないと、客観的には判断することができず、本人の言うまま、裏付けが取れないまま、自己申告のようになる。
人の人生、いろいろであり、どれも正解だから、それでもいいのだが、番組的には説得力に欠ける。
番組の方針として、どういう路線を狙っているのか、ただ、単なる興味本位で捉えるだけなのか、企画意図が知りたいところだ。
どうも表面だけに止まり、深いところには、意図はなさそうに感じる。
どの部分を採用し、どの部分を捨てるか、調理次第で切り口は変わる。

他に何かで個人的に賞を取ったとか、隠されたエピソードでもあると少しでも彩りを添えられるのだが、なかったのだろうか?
あったとしても、あれこれダラダラ入れても、クローズアップする焦点を決め込まないと、訴求力がぼやける。
視聴者は、べつに何も深読みもしていないだろうし、期待もしていないと思うけれど。
森昌子との当時のエピソードが聞けたら、それで良いのかも知れない。
ただ、わたしが中途半端でモヤモヤするだけの話だ)

まあ、どうでもよい時間つぶしとなってしまった。






ババの嘆き

2019-06-26 | 日々のこと
せっかく突然、急上昇したアクセス数をまたまた自ら下げる内容を書く。
皆さん、ネット上のバトルがお好きなようだが、残念ながらわたしは、好まない。
期待した方々、ごめんなさい。

で、話は関係ない方向へ戻る。
江戸時代そのままのド田舎育ちのわたしと、世田谷育ちのお嬢様、賀来千香子さんとは、全てが違い、同じなのは、性別だけ。
まあ容姿も才能も、天と地ほど違うので、なんの参考にもならないが。
比較する意味が全くない「例」である。
わたしもさらりと、なんのとっかかりもなく共通点も思い入れもなく話を進める。(たまたま一昨日、番組を観ただけの偶然話題)

で、またまた話は変わる。
わたしの子供時代を書くと、だいたい背景が推測される。
これが、姑の子供時代の話になると、またまた背景がわかる。
彼女は地方のお嬢様で、何人もの使用人が住み込みでいた。そういう時代。
だが、社会的に見て、かつての勢力を維持している人々は、あまりいない。
たいがいは没落し、新勢力が台頭している。
1世紀も時代が違うと、もはやドラマである。
さてさて、その、全く違う時代であるにもかかわらず、三つ子の魂百まで、で生きると、、、
あとは、言うまい。めんどくさい。
(歴史小説とまではいかないが、昔の小説を読んでください。かといって、わざわざ読む人はないだろうが)

わたしも、子供たちにそう思われていることだろう。
めんどくさい、と。
孫など、昨夜、出した、わたしが心をこめて、時間と労力を使って、孫の好きな材料ばかりたっぷり使って、頑張ってたくさん作ったポテトサラダ(思い入れ、気合いたっぷりのため、説明がやたら長い)、朝食にも出すと、見るや否や、第一声、
「昨日と同じの、いや〜」

むむむ、、、
「まあそんなこと言わないで。ほら、サンドイッチも作ってるから〜」
と、ご機嫌を取る。
この時代の流れ、まさに、飽食の時代。
ババのこころ、孫知らず。

時代は確実に進んで行っている。

目を閉じると故郷の田舎が?

2019-06-25 | 思い出
突然、アクセス数が上がり、びっくりしている。
心臓に悪い。
S子軍団の仕業か? 悪い冗談。

さて、(今日は前置きが短い。なぜなら、時間的余裕がないなら)
時間がないのに、こういう時に限って、子供の頃のことを書きたくなる。
頭と現実が、斜めバイアス状態。うまく繋がっていない。

まあそれは良いとして。
関係ないが、昨日、ファミリーヒストリー、賀来千香子だった。お嬢様だったんだ。
でも不思議なことがある。
お嬢様なのに、しかも私より少し若いのに、そして教育熱心な家系なのに、なぜか、親ごさんは、彼女に女性の自立、キャリアの道、レールを引いていなかった。
これは、絶対に不思議。
わたしの年齢で最後の、古い価値観の絶滅種女性だと思っていたのに、わたしより若い彼女が更に絶滅種の年齢を下げている。
それにしても、お母さん、怖そう〜。
あんな怖そうなお母さんなら、わたしのノーテンキ脳みそツルツル母の方が、マシか?
いや、どっこいどっこいか。
90歳を超える、かくしゃくとした、まだまだ現役風のお父さんには、好感を持った。
ちょっとわたしの父に似ていないこともない。

まあ、それはそれとして。
全く賀来千香子とはなんのつながりもないが、わたしが思い出す、幼い子供時代は、、、
四季折々、静かな農村風景、時代錯誤感ありありの田舎の家庭、、、
祖父、祖母、近くの親戚、近所の子供たち、、、
畑や庭の花々で色水を作って染めたり、おままごとをしたり、生っている果実をもぎ取って、そのまま食べたり、ニワトリや魚に餌をやったり、産みたてほかほか卵に触れたり、野山や小川で遊んだり、、、
祖母たちは、カマドでご飯を炊いたり、薪、木々の小枝を焚べて、へっついさんで煮炊きもの、大豆から味噌を作ったり、もち米を炊いてお餅やおかきを作ったり。
お風呂の追い炊きは、祖母の仕事。小枝で温度を調整する。
梅干しを庭いっぱいゴザに並べて天日干ししたり。
井戸にスイカを冷やしたり。
夏は、水を打ち、室内では、夏用の建具に入れ替え、のれんを出して涼を呼ぶ。蚊帳の中で、なかなか寝ずに遊んだり。
冬は掘りごたつ、火鉢。灰の中にミカンを埋めて、焼きミカン?を作ったり。
色々、思い出す。
あれこれ手作りで賄ってくれた。
祖母は、私たち兄妹がバス通学していたため、見晴らしのよい高台の橋の上に行き、バスが遠くから来るのが見えたら、走り帰り、道路に面している場所に位置する台所の壁を叩いて、バスの到着を知らせてくれた。
ドンドンと壁に振動と音がすると、朝ごはんを一気に流し込んで、わたしたち兄妹はバス停に駆けて行った。
祖母は自家製野菜でわたしたちを育ててくれた。
当時は毎日同じメニュー、野菜ばかりで不満だったが、今思えば、感謝しかない。
健康な体に育ててくれた。
でも、グルメじゃないかも。

まあよい。
田舎でのびのび育ったことは、わたしはとても良かったと思っている。
便利な世の中になっても、原点は忘れない。
その割には年を取って、あかんたれになっている。
過酷な自然は無理、アウトドア レジャーもノーサンキュー。
軟弱になっている。
ただ、自然に接した生活をしていたことは、わたしの原型を作っていることだろう。
精神面においては、その後の、あまり上等とは言えない街の生活が大きく影響していると思う。
逆ベクトル、同時の、どちらも合わさって、今の、けったいなわたしが形成されている。
こんな江戸時代となんら変わらないド田舎はイヤ、と若い頃、わたしは思っていた。
今は違う。が、若い頃は切実に思っていた。
父の仕事の関係もあり、小学生高学年の頃に街に引っ越した。
ただし、田舎の家には祖母を残して。
中学生になるまでは、毎週末にお稽古ごとの練習のため、、田舎に帰っていた。
平日は街、土日は田舎。

両極端のわたし。
その環境が、わたしをわたしにした。
まあ、そういう人がいても、いいんじゃないか?などと、安易な〆をしようとする。
ああ眠い。
続きはまた今度。

嫌い合っている犬猿の仲

2019-06-24 | ブログ
まずは年甲斐もなく、ウップン解消、愚痴。(朝から、すみません)
別SNSの、大嫌いな女性S子。
いつもいつも、わたしが述べていることに反対してくる。
そんなに反対なら、わたしの日記を読まなければ、来なければ良いのに。
読んで、反対意見がむくむく沸き起こったからといって、毎度毎度、反対意見を書き込まなくても良かろうものを。
最近は、わたしのまわりに姿を現さないから良い調子、と喜んでいたが、、、

昨夜、わたしがアップした日記、そのタイトルにつられてか、S子が別の会員さんの日記にコメントしている内容が、じつに気に入らない。
わたしの日記をアップしたばかりなので、内容として、タイミング的に、わたしに当てこすり、嫌味を言っているかのように聞こえる。
「そういう人はスルーしてます」なんてS子は書いていたが、わざわざスルーしているなんて、別の人の日記のコメントに書くことか?
直近にも、イヤミ合戦が行われている。
わたしの陣営には趣味分野トップクラスの助っ人がいる。
黒田官兵衛。
S子陣営には、自称バリバリキャリアウーマンがいる。
いつも険悪な雰囲気を内包しながら、一触即発状態で、火薬庫となっている。
朝から先制攻撃を受け、気分が悪い。
トランプさんのように、(こころの中で)一旦攻撃指示を出したものの、中止した。
深読みのしすぎかも知れないし、時間の無駄。スルーに限る。
嫌いな人同士、お互い、わざわざ文字にして「スルーしている」とアップ、言い合っているところが、可笑しい。
笑える。
スルーしてないやん。


↓蛇足です。
こんなしょうもないことを書いている自分が、レベルが低すぎて泣けてきそうだ。
1日MAX1本アップ自己規制ルールが、こんな記事アップで終了してしまうなんて、、、
自己嫌悪。
しかも、興味を持ちすぎている方がおられるようで、(悪い意味で)非常に複雑な心境である。

なにやら、わからんことにこだわり、前に進めない

2019-06-22 | わたし
これ、5日前に書きかけて途中で放置した記事です。↓

父のことを書いてみたくなった。
わたしは、思ったことや、実際にあった出来事は捻じ曲げ捏造してまで書かない主義。
事実を書くが、あえて書かかないこともある。
読む人は正確な事情がつかめないかも知れないが、わたしは自己開示を80%以上すると息苦しくなるので、しない。

たとえば、良い事ばかりをズラズラ書いたとして、書いてある事は事実。
悪い事ばかりをズラズラ書いたとして、書いてあるのは事実。
どっちがどれだけ多いかがポイントなのに、肝心のそれを示さないと、いくら事実でも、読んだ人がイメージする、事実ではないものが一人歩きしてしまう。

「昨日はよく眠れた」と仮に書いたら、昨日眠れたことは事実。
だが、「いつも毎日よく眠れているのに、さらに仕事中も睡魔が襲うが」なのか、「不眠症でここ数年眠れなかったが」なのか、それを書いていなければ、書いた事は事実であっても、本当の真実は、事実を寄せ集めて検証しなければならない。

勝手に読み手に誤解を与えるような書き方は、「どうとられようが、わたしは知らん、事実を書いている」と開き直れないと思う。

わたしのブログは、「事実を書いている」確信犯なのでタチが悪い。
真実は誰が知っているかというと、わたしだけが知っている。
と、これは長い長い前置き。

さて、父親。
78歳でこの世を去った。ちょうど良い、頃合いの年齢だと当時は思っていたが、あれから20年以上経った今は、少し早かったかな、と別の感想を抱いている。
今、生きていたらこの夏で、101歳。
あり得ないこともない。
78歳でサヨウナラして、やはり良かったように思う。
父は、サヨウナラの旬をうまく捕らえた。
祖母は3年ぐらい、旬を過ぎていたが、まあ誤差範囲内。
母は、おそらく旬を大いにはずし、年中常温のビニールハウスか、冷凍庫内の食品のように、旬を過ぎても、いつも旬で、いつまでも生き続けそうな気がする。
子供は親にいつまでも生きていて欲しいと願うものであるが、残念なことに、長生きし過ぎも、子供孝行とは言えない。
早死にする不幸と、長生きし過ぎる不幸。
両方ある。
長生きし過ぎて、親も子も共倒れにならないようにしなければ。
不老長寿を願った、欲の深い人間は、願いが叶ったのだろうか?
医学や科学の発展は、まるで近未来SFのよう。
だが、新しい悩みを生み出しただけでは?

誰もがピンピンコロリを願う。
90歳を超えて、ちょっと風邪を引いて、2〜3日で治る予定が、そのまま天国に行った人もいる。
一瞬、ほんの数分の人もいる。

色々ホンネがゾロゾロ出て来て、書いては消し、書いては消しが続いている。
やはり、いくらホンネでも、言っていいことと、悪いことがある。
わたしは、一旦書いたが、消す。

天に唾を吐いてはいけない。
ブーメラン効果あり。
こころ優しい人になりたい。
わたしは、まったく優しくないから。

「書きたいこと」は、「書いてはいけないこと」。
オトナの自主規制。
オトナというよりは、枯れゆく人の道徳観。
長く生きた年月を積み重ねた、こだわりの品格、美意識か。
だから書けなくても、欲求不満にはならない。ストレスは溜まらない。
赤裸々に書くほうが、ストレスが溜まる。

ホンネなど悪魔のつぶやきに過ぎない。
そんな恐ろしいものはアウトプットせず、自分で抱えて、自然に体内で散らすと良い。
なかなか、まだ散らせないが。かと言って、外に向かって吠えるのは卒業、暑苦しい。
だが、気分にも左右され、ちょっとした、宙ぶらりんのところに、しがみついている。

父のこと、書きたかったんじゃなかったの?
うーむ、自分が変化しつつあって、それどころではなくなった。
首を洗って?顔を洗って?出直すことにします。

気分が悪い時代劇

2019-06-21 | わたし
友人からのメールに、初めて目にする言葉を発見した。
(「知人」ではなく、超、珍しく「友人」。でも一方的自己認定)
「トーナリティ」って、何かなあ?と、ググッてみた。
音楽用語に属するかんじか。

「トーナリティ」は「主音または中心音が存在する性質」という抽象的な意味であって、「中心音」そのものということではない、、、らしい。
音楽用語ちんぷんかんぷんのわたしとしては、「基調」のようなものかと、自己解釈した。
あんまり、理解していないけれど。

芯があるが、芯そのものは、一人一人違っていてオリジナル。
芯がない人もいる、ということか。
あるいは、芯がいっぱいある人もいる、ということか。
芯がいっぱいあるのは、なんでも受け入れ、なんにでも対応できるかのようだが
芯がないのと同じなのではなかろうか。


話は変わるが、
ロシア文学で、貴族の若者が自分は労働しないで民衆の搾取の上に生きていることを苦悩するシーンが冒頭に来る作品があった。(記憶違いだったら、ごめんなさい)
桜の園?(1904年 チェーホフ最後の作品らしい)
作品は読んでないが、字幕スーパー入りで、劇場で生で劇を観たことがある。(観劇と書けば一言で済むのに、、、作品そのものは戯曲のようだ)
最初だけ観て、時間の関係で途中で帰ったような気がするが、記憶が曖昧である。

解説をつまみ読みすると、社会体制の変換による斜陽族の生き方、みたいなかんじか。
古い価値観に縛り付けられ、新しい時代に柔軟に対応できなかった、元上流階級の没落と苦悩を描いているようだ。

時代は変わると価値観も変わる。
価値観が変わることが、時代が変わるということなのか。
日本でも、第二次世界大戦、戦前戦後でガラリと変わった。
明治維新なんぞは、もっと激変だ。
歴史を紐解けば、古代、中世、近代、現代で、これまたコロリと変わる。
(じつに、あっさり書いている)

今、ドラマ、初代、水戸黄門(40年ぐらい前?)が再放送され、夫はいつも見ている。
夫の父も水戸黄門が大好きだった。
夫の祖父も、大衆時代劇が大好きだった。
直系の血が騒ぐからか、仕方ないが、わたしは大嫌いである。
全身の血が逆流する。

水戸黄門は、他の時代劇よりは少しマイルドでマシかも知れないが、いつもワンパターン。
悪人お代官様やら悪徳商人が成敗され、やっつけられる。
時間内にするっと起承転結が収められているので、安心して見ることが出来るのだろう、が、、、。
(どのドラマもそうだが)

いつも、亭主のことを「お前さん」と呼ぶ、江戸在住の人足か人夫か、農民ではない、街で暮らす町人の妻。
どの妻も全員、夫を「お前さん」と呼ぶ。
ワンパターン。
そこへ、か弱き女性の身分の低さや苦境に付け込んで、強引に言い寄る権力者。
このシーンが何度も放映される度に、わたしはものすごく気分が悪くなる。
パワハラとモラハラとセクハラを同時に受けた被害者意識を感情移入してしまう。
虫眼鏡で見てもわからないほどの小さな文字で、「ドラマ内に一部、ふさわしくない表現が出てきます、云々かんぬん」と画面に表示される。
表示すればそれで許されるわけか?

「わたしは、強盗です」と懺悔したら罪は償われるのか?
罰を受けて初めて償われると思うが、時効というものや、当時の社会風潮もある。
タバコにしてもそう。
夫が観ていた、直近テレビドラマでは、マンションの隣の部屋に住む人がベランダでタバコを吸って、それが原因で嫌煙殺人事件が起きていた。
事務所内でモクモク、全員がタバコ吸いながら電話しているシーンなどとは、隔世の感。
そんな感じで、40年の月日は価値観を大きく変える。
ドラマ「水戸黄門」が、大嫌いである。
これでもか、これでもか、と時代錯誤表現に、体調を崩すほどに(盛り表現、入ってます)嫌悪感に見舞われる。

娯楽番組ひとつを取っても、これだけ価値観や世の流れ、感覚が違っている。
まして、昨日まで権力があった人々が、新しい勢力と、ころりと入れ替わる。
そうやって歴史は繰り返されている。

姑などは、古い価値観を固守し、自分の生きる源にしている。
時代が変わり、価値観が変わっても、お年寄りは価値観を変えない。
生きた証なわけで、当たり前だと思うが、肯定スタンスを余儀なくされる聞き役は、非常にハードである。
水戸黄門以上に、内臓が逆流しそうになる。

価値観は、人に強要したり、強制したりするものではない。
自分とは違う、別の価値観が存在することを認める、一人一人価値観が違うことを認める、そんなユルイ肯定はするが、内容そのものにアタマから同調することはない。

時代が変わると価値観も変わるが、かつてのように、皆、一色というわけにはいかないだろう。
自分の価値観は何だろう?と、自分を見失う人もいるだろう。
逆に、固執する人もいるだろう。
書けば書くほど薄まっていくかんじがする。

〆はないなあ、と。
起承転結、まとめられない。
まあこんな日もある。
(常套句、安易に乱用、多用してます)


消化不良の続編

2019-06-19 | 暮らし
別の趣味分野SNS。
仲間が、たむろするSNSなので、それが長所でもあり、難点でもある。
最近、なにかしらスムーズにサラサラ流れず、どこか閉塞感を自分で勝手に感じて、蝶ブログにチョロチョロ舞い戻る。
誰の目も気にせず自宅ブログで、お一人様はとてもくつろげる。
だが、1日1回投稿すると、何度も投稿したくない。
のではあるが、朝、投稿したばかりなのに、また性懲りも無く書いている。
話し相手も友達もいないくせに、本当におしゃべりなわたし。
頷かれてもシラケられても、同意されてもされなくても、相槌を打たれても打たれなくても、反論されてもされなくても、気分を悪くされてもされなくても、わたしは知らない、その負担のなさ、気安さ。
ノイズ、ゼロ。
一種の「人間交渉折衝コミュニケーション障害」かも知れない。

一般的とされる人と違った面がある人は、ユニークな力を持っていることもあるので、たまには規格外に触れ、自分を正常化するのに役立てるのも良いと思う。
(かなり言葉に気を付けて書いた)

と、ここまでは前置き。
相変わらず前置きが長い。
が、序章でも助走でもなんでもなく、たんなる無駄口である。
一切カットしても、文脈には何の差し障りも影響もない。

さて。
実在する、ある家族。
夫は、蚊帳の外。
週末には、娘さんや奥さんは出かける。
時には一泊旅行も。
家には、夫の母親と、夫だけ残される。
寂しくないでしょ? おばあちゃん、いるから。お世話、お願いね〜。
お世話をするのは、「息子が老いた母親に」、なのか、「老いた母親が息子に」、なのか。

よく出来ている。
夫とその母が、セット。
妻と娘たちが、セット。

平日は、みんな仕事。
老いた母親だけが在宅。
妻(嫁)は、姑の食事の用意をするのか、しないのか、知らないが。
2チームに分かれて、絶妙なバランスを維持している。

お父さん、退職したら、きっと母親係に任命されるだろう。
病院に連れて行ったり。
退職後の毎日サンデーのヒマを持て余すこともないと思われる。
妻も姑と同居していると不満もあるだろうが、ものは考えよう。
皆んな、まるく収まる、、、(はず)。
円満仲良しファミリーの出来上がり。


ツマラナイ内容になってしまった。
消化不良。
まあそんな日もある。
(これ、わたしの考えなしの常套句)


夫婦喧嘩する余裕なし

2019-06-19 | 暮らし
わたしの夫の場合、、、

舅、姑である親が、やたら強い。
彼らは、過保護、過干渉で子供を育てた。
未だ、子供は親の亡霊から抜け切れないでいる。
教育ママの言うなり。
世の中には、わんさからいる、おりこうさんの息子。

今まで、整備された道しか歩いたことがなく、反抗や反逆もしたこともない。
反逆する前に、親が不満を取り除く。
(このやり方、幼児である孫を育てる時の親のテクニックと、そっくり)
親にうまく丸め込まれて、しかし、べつに大した不満も自覚もなく、これまで来ている。
じつに幸せである。
反対された時、自分の道や方法を相手に伝え、調整したり説得したりする方法を知らない。
満足、納得できるような代案が、自分で考える前に、どんどん親から出される。
仕事面や私生活でも、面倒なことは親任せ。
他人との折衝、交渉は一切しない。

一番身近な他人である妻に対しても、折衝なし。
自分は全く意見なしで丸呑みオッケーか、無理やり妻を強引に強制的に言うことを聞かせる。
二択のみ。1か0。コンピュータのごとく。

手作業、調整部分が欠如している。
今までトレーニングしてきていないから、折衝能力がない。
さらに、最も、一番残念な致命的なことは、、、なんと、わたしもそうであること。
折衝能力欠如。

つまり、2人とも、ダメ人間。
よくこれで子供たちを育てられたと今更ながら思うが、無事、ダメ親を乗り越えて自立してくれた。
ダメ親同士の非理想的夫婦を見て育った子供たちにとっては、反面教師である。
親は手本でなくてもよい。
見本。
あんなのには、なりたくない、と思って我が道を行ってくれたらそれでよい。

、、、が、思わぬ落とし穴が、、、
孫が、ジジババの真似をする、、、
これは、わかりきった誤算である。
孫の前では、悪い見本を堂々と見せるわけにはいかない。
せっかく子供はまともに育ってくれたのに、隔世遺伝で孫に悪影響を及ぼすとなると、責任を感じる。
が、孫の親は、父親と母親、2人いるわけで、どうにか血を上手く分けていただきたいものである。
でも、孫にしてみると、母親側の親の家が近くにあるため、日常的に母方の影響を受けやすい。
まだ、チビさんだからと侮っていてはいけない。
三つ子の魂百まで。
襟を正す気持ちである。(あくまでも気持ち)

ジジババは、夫婦間で折衝トレーニングを重ねる予定が、世代間折衝へとスライドした。
夫婦喧嘩をするヒマも余裕もなく、孫たちへの教育の一環の一部として、頑張らなければ。
ジイちゃんの真似をしている孫を見ると、否が応でも、意識する。
孫が大きくなった頃は、ジジババは本格的にヨレヨレになっていて、夫婦喧嘩する元気も余裕もないことだろう。
一時、夫婦喧嘩はお預けだ。延期。

ある意味、孫に感謝。
子に育てられ、孫に育てられ。
舅、姑には随分子育てを手伝ってもらい、ありがたかったが、そう言えば当時の姑の言葉を思い出した。
「おじいちゃんが機嫌悪くても、孫の話をすると、おじいちゃんは、すぐニッコニコの顔になる」

孫に助けられ。
順繰りだ。

女は強し

2019-06-18 | 暮らし
知人の妹(62歳?)。同居夫あり。
自分たち夫婦の住まいの右隣に息子夫婦、左隣に娘夫婦が住んでいる。
近々、三世帯で別の所、マンションに同居しようかと、提案が出されているとか。
マンション同居には姪夫婦にも声がかかっているらしい。
62歳おかあちゃんを中心に、合計四世帯。

別の、知人の奥さん(63歳?)、同居夫、同居娘あり。
奥さんの母親を田舎から引き取り、同居。近々、奥さんの妹夫婦と、弟(独身)を近くに呼び寄せようかとプラン中らしい。

近所の娘の元・小学校同級生の母親(60歳代?)。同居夫あり。
長男一家と同居。週末には次男一家、長女一家が集う。家の前には4台の車。
仲良しファミリーの賑わい。

またまた近所の女性(50歳代)。同居夫あり。
別に住む孫を通いで預かり世話していたが、ついに娘一家と同居。

女性、おかあちゃんを中心に縦のつながり、ファミリーが集まる。
すごい、求心力。
皆さん、夫の存在は、ついで感あり。影が薄い。同居人というポジション。

おばあちゃんは、、、? 何処に?
家で、60歳代の一人息子(独身)に毎日、怒鳴られっぱなしの、かわいそうなおばあちゃんも近所にいる。

夫の両親の家がある地域に引越しした一家もある。
夫の父親が暮らす家に同居するため、引越した一家もある。
若いおかあちゃんが、夫の親に吸引された例。
いずれは力関係の逆転が予想される。

最近は母親と娘一家が近くに暮らす家族が多い。
おかあちゃんたちは、強いなあと、しみじみ感じる。母系家族。
それぞれに独立した子供一家さえも、引き寄せる。
なんでだろう?
新しいイエ形態か。
古代に戻っている?
地方に実家があっても、処分したり空き家にしたりして、今、住んでいる場所を基点にしたり、新しい基点を設けたりして、家族のネットワーク網が広がる。

地方に跡を継ぎに帰る人、Uターン組もいるだろう。
元々、地方から出て行かず、地元を離れない人もいるだろう。
たまたま、わたしの住んでいる地域は比較的新しい町なので、そういう人はあまりいないように思う。
この地域の特徴かも知れない。
あるいは、わたしの情報網に偏りがあるのかも知れない。
やはり、地方は衰退していくのだろうか。
そんなこともなく、ごく限られた事例をたまたまピックアップしたに過ぎないのだろうか。

(※ご近所住民をざっと見てみると、高齢者世帯が実に多い)

全く選択肢なく、否応なく夫の家だけを継がなければならない、男系継承に、抵抗感を感じ始める。
柔軟な対応をしている人もいるし、まるでそもそも価値観が違う人もいる。
いろんな考え方があってもいいと思うが、頭ごなしに強制され、あまりにも価値観が違うと、嫌になる。

イキイキした、女系のおかあちゃんたちは、パワフル。すごいエネルギーだ。
わたしは、全然だめ。へなちょこだ。
力がないなら、パワーチャージ。貯めるしかない。
でも、どんどん、ますますパワーダウンかも知れない。

女性たちの強さに、驚きとエールを送る流れだったが、自らの力の無さを自覚するショボい〆になってしまった。

暮らしとお金、切っても切れない関係

2019-06-17 | 暮らし
さきほど自宅で書きかけの記事をほって、また違う記事を。

ファイナンシャル・アドバイザーが、相談者に答える記事をスマホ画面の端っこから誘導され、読んだ。
60歳を超える人々の老後予算、これで足りるか?という相談が多く寄せられていた。

ファイナンシャル・プランナーは、あくまでも数字を元に見積もり、計算、試算していく。
その周辺にある個人的事情など御構い無し。
材料は、数字のみ。

例えば、ローン返済がまだまだ75歳まで10年以上残っている現役サラリーマンの相談。
子供の教育費もまだあと2年。
収入と支出を計算し、アドバイスする。
その1.その2.その3。
なかでも最善オススメは、その3。
地方に住む夫の母を呼び寄せ、同居し、地方の家を早々売却することを勧めていた。
いまのうちに、地方の家を売っておかないと、地方は益々衰退するから将来性はないし、空き家対策やらなんやらで、暗転するのみ、と。
まあ、カンタンにサラリと言うではないか。

いきなり、マンションに夫の母親が同居?
病気でもない、ぴんぴんした母親と同居?
(しかも母親は、年金を息子に毎月渡す試算。自立手段をもぎ取られるお母さん、、、)
しかも田舎は、売る?
帰る場所なし、退路を絶って。
奥さんは、仰天するだろう。

「地方崩壊の前に売れ」とは言うが、いったい誰が買うのだ??
外国人か?
知人の配偶者の実家も、地方の僻地の空き家だが、年に数回、自宅から何時間も延々と車で移動し、日帰りでは帰れないのでしばらく滞在し、メンテを行い、売らない方向で努力されている。
出来れば賃貸に出したいとも。
わたしとしては、そんな僻地、借り手があるのかと疑問だが、行政が地元の若年家族への支援補助住宅にでも役立てるのかも知れないが。
あるいは、思い入れや歴史のある家ならどうするのか。
母親自体が、まだ元気なら、その家、地域から離れたくないだろうし。
そんな背景や心情は一切考慮しない提案に、さすが、ファイナンシャルのプロだと思った。
クールな客観的アドバイスに、自分の思いを確認したり、見直す良い機会になる。

ファイナンシャル・プランナー氏は、子供の教育費には一切の見直しなしで、現状維持のまま。
仕方ないかとは思いつつ。

しかし、人生設計、やはり、お金は重要だ。
甘い夢や理想、幻影が、現実と向き合うと、木っ端みじんに砕け散るのも致し方ない。
幻の中で遊ぶ?