蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

明日には明日の風

2023-06-30 | 暮らし
昭和は遠くになりにけり。

ChatGPTを使えば、もっと間違いない正確な文章を作れるだろうけれど、まだ着手していないので、正誤に自信が持てないままの文章を書いている。
使いこなせたら、変な文章ではない、さぞかし精製された熟練度アップの文章が書けることだろう。
スキルアップ間違いないだろうけれど、もはやわたしの文章ではなく、わたしの手を離れている。
それはそれで素晴らしいのだが。
イソップ物語の「酸っぱい葡萄」になっている。
出来ないのではなく、してないからだ、とすり替える、負け惜しみの言い訳。
しかし、これはわたしの人生スタンスでもある。
完成されないわたし。

と、冒頭の一行のせいで、いきなり、脱線。
文法や言い回しに自信がないというのはツラい。
昨日アップした記事、アップした瞬間にアピール記事にしたのだが、あらまあ内容が間違っていた。
有吉佐和子、1931年生まれを勘違いして「団塊の世代」と書いてしまっていて、慌てて訂正したが、もう、数人の方はお読みになった後。
まあそういうこともある。
わたしのブログは信用ならない。

さて、話を戻す。
昭和は隔世の感である。
昭和生まれ、昭和育ちの親に育てられ、自分もずっぽり昭和人間。
それはまあよい。
問題は、配偶者(夫)が、昭和カチカチ頭だということだ。
時代の流れには全く着いて行かない、着いて行けない。
時代の良い面は踏襲すべきだが、改革して欲しい意識面は、全くびくとも変化しない。
男尊女卑だったり、家父長制だったり、明治の流れをそのまま無意識に引き継いでいると思われる。
昔の、おボッチャマ。
昭和どころではなく、改革のしようがない。
なので、治らない傷口のごとく、当たらず触らず、そっとしている。
火薬庫には近寄らない。
負けるケンカはしない。
そもそも夫は自分が優位に立てるような人物を人生の伴侶に選んだ。
わたしは負け続けることが、生きる道。
その道を捨てることも出来るが、今はしない。
そのうち道は拓けると信じているから、余裕のスマイルだ。

第一、俯瞰的に宇宙規模で見ると、わたしの不幸は蟻より小さい。
それを不幸と呼ぶことさえ、憚られる。
世界中に不条理がまかり通っているが、誰も何も出来ない。
正論を唱えても通らない。
多くの悲劇がこの瞬間にも巻き起こっている。

ただ、世界中の悲劇は胸が痛いが、直接、関係ないと言えば関係ない。
一人一人の痛みを我がことのように深く強く感じ入りシェアしていたら、身体もこころもズタズタになる。
神経が持たない。病気になる。
それはそれで他人事だからと無関心になるのは良くないとしても、先ずは自分の快適な日常を確保するほうが第一。

ちなみに、体感温度や音、明るさの感覚の違いはどうしようもない。
暑い寒い、うるさい、明るすぎる、などなど、脳を通さない感覚的嗜好の、まさに文字どおり、温度差。
立派な人、崇高な人、慈愛に満ち溢れた素晴らしい尊敬できる人、であったとしても、私生活で同じプライベート空間を共有する室温の好みを常時、強制されると、ブチギレる。
一歩も歩み寄らず、だ。
戦禍の防空壕の中なら我慢もしよう。
緊張のあまり、それどころではない。
平和が訪れ(と言っても、未来永劫には保証はない)、平和ボケすると、室内での快適性権利の奪い。
時間や空間を工夫して、あまり一緒に過ごさなくなってやれやれ、ストレスは緩和されたと思いきや、たまに顔を合わせると、途端にストレスが襲ってくる。
これはもう末期症状ではないだろうか。
であるにもかかわらず、また事態は変化する。
それは、病気になって弱る時。
身心の苦痛や不安を取り省くことに全神経が集中され、暑い寒いどころではない。
その時は、互角に言い張り主張し合わない。
一歩も譲らず五分五分の元気な強気が、臨戦状態、火種の元だ。
力の均衡が崩れたら、意外に副作用として、逆に闘争が収まる。妥協、休戦。
自然な崩れ方か、力づくの強制的崩れ方か、それは誰も今の時点ではわからない。
勝ち負けは、意図して決着が付く場合もあるが、結果的に自然の成り行きで勝ち負けが決まることがある。
まあ、焦らず長い目でみよう。
まだまだ天国まで時間はたっぷりある。


悪女について

2023-06-29 | 日々のこと
悪女について。
NHK TVで今週火曜日22時から前半が放送された。
後半は来週。
有吉佐和子の原作で、これまでもドラマ化は何度かされたようだ。
実在モデルは、北浜の天才相場師、詐欺師、尾上縫さんとされている。
彼女が活躍?暗躍?したのは、有吉佐和子が他界する(1984年没)直前のギリギリの時代。
尾上縫さんは、1930年生まれで、わたしの母世代。(母、1928年、姑1929年生まれ)
以下、「さん」は省略。
昔はこういう生いたちがありえる。
今も育児放棄だの貧困以外の原因が不幸の背景にある。

田中角栄を勝手に連想している。
田中角栄の金庫番女性、佐藤昭子さん(1928年生まれ)あたり、見た目、背格好、雰囲気が尾上縫そっくり。
当時の女性はふっくらして、あんな感じなのか。
背景は違うものの、生まれ年や撮影方法が似通ってるために、わたしは、いっしょくたにする傾向あり。

第二次世界大戦を挟み、昭和の激動の時代を生きた人々である。
戦争のどさくさで、ずいぶんボッタクリした人もいるし、ボッタクリされた人も没落した人もいる。


ちなみに、わたしは有吉佐和子の大ファンである。
彼女は、1931年生まれか。
戦中派というわけだ。あらま、尾上縫さんとどんぴしゃ同世代!
惜しくして早くに亡くなったが。

彼女はバブル崩壊の日本はご存じない。
戦後の復興と共に歩み、時代と共に生きておられるが、日本が陰ることになる時代を生きずに、ある意味、良かったかも。
でも、インターネットを一般の人のように享受されているわけではないが、すでにひっそり先駆けていて、走りだったかも。(根拠のない想像)
1980年半ばでパソコン通信とインターネットの一体化が図られたようだ。
一般普及はそれから後の時代。
まあそれは良いとして。

とは言いつつ、世の中のインターネット普及は外せない要素だとわたしは捉えているため、簡単には見過ごせない。

それはそうと。
悪女について。
ヒロインを田中みな実さんが演じているのだが、どうもわたしは、ウッと食べたものを戻しそうになる。
女優キャリアは長くないものの努力家なようではあるが、なんか、わざとらしすぎてキモチワルイのだ。
(脚本のせいで田中さんには責任はないが)
シャレ?ジョーク?まさか、真面目にやってる?うそでしょー?の、感覚。
それぐらい昭和は遠くになりにけり。
ではあるが、番組は令和版らしい。
令和版なのに、時代錯誤感に苛まれるわたしは、やはり、原作が昭和のど真ん中だからだろうか。
令和にリメイクしても、無理がある。
その「無理」部分に、わたしの感性が捩れ軋み亀裂が生じている。

とかなんとか、来週が楽しみ。
原作を買って読もうという気にはならないが、別の有吉佐和子作品の時代ものをインターネットで買ってしまった。
その本、届くのを心待ちにしている。


ギャラリー

2023-06-27 | 日々のこと
面白いものを見た。

道路を挟んで向かい側のバス停。
道路にわざわざ一歩出て、高齢おじいさんが縄跳び。(80歳ぐらい???)
ピュンピュンピュンピュン。
軽快な足取り、音。

それは良い。
が、皆んなが待っているバス停。
待ち人がいないあちらのバスと隔てたこちらサイドは、たくさんのバス待ち客。
時間つぶし待ち時間に、ちょうどよい距離でのパフォーマンス。
なぜバス停の前で?
しばらく縄跳びをして、ちょっと休憩。
場所を移して帰るのかと思いきや、また、ピュンピュンピュンピュン。
なぜ、バス停前?

おじいさん、バスの待ち時間を利用しているようには思えない。
なぜなら、バスには乗らなかった。

わたしの頭は、
おじいさんを応援→不思議→おじいさんは何にも考えていない?→やはり、ギャラリーがいないとモチベーションが上がらない→ふう、きょうも良い汗かいたぞ
などなど、小人になって、おじいさんの頭の中に入って思考、想像の小旅行。

いやはや、しかし、
なんでバス停の前?



沼にはまりそう?

2023-06-26 | 趣味
Chat GPT。
今更ではあるけれど、娘婿が「面白いですよ」と解説してくれた。
Chat GPTが出始め、話題沸騰の頃、かつて深夜番組の生放送で直接パソコンからアクセスして、お試しにトライしてみる企画があった。
村上信五と劇団ひとりのバラエティ。
生放送なだけに、なかなか繋がらず、収録スタジオ生会話で場を繋ぐのに2人とも必死だった。
番組終了あたりの時間に、やっと繋がった。
通信事情は前々から準備万端に整っているというわけにはいかないのだろうか。
観る側は、やきもき。
と言いつつ、深夜のバラエティ生放送を観ている時点ですでにやきもきしているような人種ではない。
切迫感はない。

何しろ、それ、Chat GPT。
興奮気味に娘婿は、自分の活用例を見せてくれながら効果や性能に満足し、熱く語っていた。
わたし流解釈。
「たまごっち」が、怪物になったようなものか。
別に育てるわけではないから、たまごっちとは違う。
35年ぐらい前、言葉を学ぶ会話型の「クルミちゃん」というソフトがあり、何も知らない「クルミちゃん」をちょっと育てていた。
大きな柔らかいフロッピーをガチャガチャとパソコンの細長く開いた挿入口に突っ込むと起動するクルミちゃんは、言葉だけの学習能力だった。
あの、オウム返のクルミちゃんに比べると、俄然進化は目を見張る。

が、話し相手にはなってくれる。
膨大な暇の海の中で、自分と対峙する底なし沼に引きずりこまれそうだ。
使い方には注意が必要とのこと。
情報が意図的に操作される危険性もある。

暇な時に語りかけてしまいそうだ。
今でもウィキペディアは大の仲良し、お友達なのに。

表現方法も色々提案、提示してくれるので、急にわたしの蝶ブログの質が上がるかも知れない。
レベルアップし過ぎた時は、「書き方を素人臭くベタっぽく表現してください」と指示しよう。
とりあえずは、自分のブログをアップしてから、そして、今日のタスクをこなしてから、余力があればやってみよう。
が、今の時点では、今日は確実にその余力はない。



雑念だらけ

2023-06-25 | 暮らし
昨日アップの求人記事。
あれ、危ないと思う。
募集しているのは、どこの誰かなんて、すぐわかってしまうわけで、、、。
いくら警備員を10人雇っても、空からの防衛は困難。
闇バイトの標的にもされかねない。
わざわざ身の危険をさらすなんて、どうなんだろう。

プロ料理人の条件は厳しい割には時給が安い、というWEB上の皆さんの声。
それに比べて、メイドさんの条件が一言も書かれていないのが不気味だという、これまたWEB上の声。
女中さん、お手伝いさん、メイドさん、、、呼び名も色々。
ハウスキーパーは、どうか?
ホームメーカー(家族)とは一線を画する(はず)。
他にも執事さんだとかも、いることだろう。
めんどくさそうな生活だ。
そういうのは、漫画の中だけで良さそう。
実際に体感したい人はリアルを味わうなら、行政が運営している公園や施設が、断然オススメ。
市民だと無料のところもある。
掃除や管理が行き届いて気持ち良い。
税金がこんな風に使われているのを身を持って知ると、とても嬉しい。
なんで、皆さん、あんまり利用しないのだろう?
平和すぎて、身近すぎて、便利すぎて、刺激がないからだろうか。
自分の広大な敷地の庭で蚊に刺されながら草を引くより、ずっと効率が良い。
固定資産税を払う側より、無料で堪能させていただくほうが、どれだけ楽しく清々しいか。
と、わたしは思うが、あまり世の中の多くの皆さんには思われないようなかんじだと想像する。
手入れをしてくださる方々、ありがとうございます、の気持ちで美しく、楽々、なんのお手伝いもせずにお庭を拝見している。
とは言え、庭の手入れもボランティアでやっているわけではないので(行政から賃金が支払われている)、お互い、ウィンウィンだ。


公共の公園に行くと老若男女が楽しんでおられるので、皆さん、利用しているとは思うけれど。
行く気がしない、出かける気持ちにならない、そういう精神状態が、実のところは問題なのだ。
気持ちがふさぐと自発的に何もする気にならない。
子供を産む気にならないのと同じ。(話が飛躍)
産んだ後の社会や自分の今後を考えると積極的にはなれない、、、それと同じかなと。
いくらお金をばら撒いたり施策を充実させても、家庭で協力してくれる人がいないと辛い。
かと言って、社会で子育てフォローしてくれるなら、シングルマザーでも大丈夫、心丈夫となるのは良いが、
子育てのために必死で夫婦間で努力して折り合いを付けて頑張らない可能性もある。
難しいところだ。

光と温度と栄養がないと植物は育たないように、ソフト、ハード両面、必要なのかと思う。
昔はこうだった、、、と、昔の話を出してくると、隔世の感があり、時代錯誤シーラカンス扱いされる。
が、行ったり来たり、時代の揺り戻しもある。
それより、今の生活、本当に100%満足しているかとそんなことはないわけで。
そもそも、100%満足などあり得ない。
足るを知る。
わたしも雑念を消すために自宅で坐禅しようかしらん。
だけど、足とお尻と腰が痛いから、坐禅はいたしません。

破格の求人広告にびっくり

2023-06-24 | 時事&世の中
ブログの妙味は、記事が毎日、あるいは、ある間隔で更新されること。
ブロガーさん自身も今後、どのように自分が変わっていくか、ハッキリわからないこと。
自分で模索していたり、読者が同時に擬似体験したり、本人は気づいてないことがあったり、その後、徐々に方向性が緩やかにカーブして行ったり。
長い期間、定点観測のように、ブログを読み続けていると、ブログはナマモノ、生き物なので、想定内や想定外が面白い。

わたしが師と勝手に仰ぐFIREブロガーAさんの今回の坐禅修行のように、自分の苦境を面白おかしく綴り、むしろ楽しんでいるかのごとくの表現に出会うと、笑い転げる。
またまた読んでいたのが自宅で良かった。
電車内、マスク内側で、ブファブファッと笑っていては、隣に座っている人に気味悪がられる。
たまたま外での不気味な自分を回避できた。
笑いのツボが散りばめられているので、致し方ない。
やはり、笑いたい時は、笑いを抑えるのではなく、周りを気にせず思いっきり笑いたい。

ちなみに、6月18日に、特定地域で人材募集の新聞折り込みチラシが配布されたらしい。
写真はそのチラシ。
(※画像はインターネットで拾いました)
敷地1000坪。
お手伝いさんはすでに1人いるが、さらに募集。
警備員はすでに10人いるそうだ。
特筆すべきは、料理人。
和食と中華のプロ。
特に和食は旨みを理解して出せる料理人を求められ、伝統ある旧家の出自で、母親か祖母の元で20年間以上、家庭の味を味わった経験のある人に限るとのこと。
笑いました、こけました。
名門旧家なら、母や祖母も一流料理人に作ってもらっていて、彼女たち自身も母や祖母の味は知らないのでは?
化粧品創業者のお宅らしいので、あのメーカーだろうと想像している。
創業者ご夫婦だとすると、そこそこのお年か?
ちょっとググってみると、ご主人は80歳の方らしい。奥さんは71歳。
夫婦は同居しているのか、片方だけが住んでいるのか、不明かと思ったが、チラシには夫婦2人となっている。
1000坪も敷地があれば、閑静な高級住宅地にある美しく豪華な邸宅だとのことなので、同じ棟に住んでいるとは限らない。
ひょっとして、自宅の外には出たくないのかも知れない。
豪華な高級老人ホームに入居したりはしないようだ。
いずれにしても、庶民には想像出来ない。
インターネット上では、破格の報酬や条件に憶測が飛び交い大反響のようだ。

2人1組で行動するメイドさん、人間関係がややこしそう。



真面目な人が真面目にやると超絶、面白い

2023-06-23 | ブログ
わたしが(勝手に)師と仰ぐ、FIREブロガーさん。
坐禅の修行に行かれた。
その報告記事がめちゃくちゃ面白い。
ブハッ、ワッハッハと、声をあげて笑っている。
自宅で読んでいて良かった。
自宅以外なら、よくいる変な独り言シニア。
一人笑い。

坐禅中には、雑念をもってはいけない。
例えば、ウグイスの鳴き声が聞こえても、「ウグイスの鳴き声がする」だけしか思ってはいけない。
今日は2羽かな、だとか、声の大きい小さい、だとか、もうそんな季節か、だとか、音楽のようだ、とか、子供の頃を思い出すなあ、だとか、そんなことは一切思ってはいけない。
最初の客観的状況の認知のみ。
早く終わらないかな、とか、晩御飯は何かな、などとは、もってのほか。
隣の人の鼻の鳴る音が気になってしかたなかった、と、FIREブロガーさん。
初日だから、仕方ない。

いーち、にー、と、無心で数を数えるのだそうだ。

わたしなら間違いなく寝落ちしている。
目をつぶったまま寝ている。
はっと起きたり、また寝たり。
自分ではコントロールできない。
ではあるが、はい、終了です、の合図には反応することだろう。(そうありたい)
終わりなのにいつまでま座っている場合は、足が痺れて動けないか、熟睡しているか。
ひょっとして、熟睡している可能性はある。
わたしのことだ。
なんでもあり得る。

このFIREブロガーさん、お笑い系作家になれる。
真面目に書いているのか、狙っているのか、絶妙なユーモアセンスは、抱腹絶倒。
超真面目な人の超真面目ぶりは、笑いに通じる。
不真面目な、おちゃらけな人より、ずっとずっと面白い。
前職は、すごく真面目で難しいお仕事をされていた。

まだ50代とお若いため、頭が柔軟。
目の前に繰り広げられるおかしな様子も、一生懸命考えを巡らせて、ああでもない、こうでもないと仮説を立てて理解しようとする。
勉強や特殊な分野は得意でも、肉体労務作業(掃除や草刈り)はやった経験がなく自信がなくても、「効率や結果を求められているのではなく、自分が精一杯頑張る、取り組むことに意義があります」と説明されると、俄然やる気が出るあたり、なかなか前向きな明るい人だ。
今更そんなことが出来るか!というのではなく、謙虚な姿勢は気持ちが良い。

なにしろ瑞々しくて年齢性別を超えて、面白い。
いくつになっても未知のことへ挑戦したり、深掘りしたりするのは、新鮮で、発見がある。
明日も坐禅道場の報告記事を楽しみにしている。

毒、どうすればいい?

2023-06-21 | ブログ
ブログというものは、読んだ後、活力を得たり、共感したり、爽やかだったりしたほうが良い。
わたしの蝶ブログの場合、役には立たないものの、そういう明るいプラス面もあるが、逆に、暗いマイナス面もある。
そのマイナス面を吐露すると、自分はスッキリするだろうけれど、読む側は、嫌な読後感になる。

マイナス面はひたすら隠して(書かないで)、良い面だけを、皆さんのために(自分のために)書く、、、ことはあるだろう。
わたしは、そのジレンマに陥る。

別SNSで、いつもご自分が活躍した輝かしいことを意気揚々と書く人がいる。
そんな人が、投稿が長らくご無沙汰だと思っていると、沈黙を破ってまた書き始める。
前にも増して弾けたような内容。
メリハリがすごい。
落ち込んでいる時や上手く行っていない時は、一切、投稿しないパターン。
投稿時は、一種の躁状態。
いろんな人がいる。

わたしは、マイナス人間。
自分の内面に関して暗い陰湿なことを書くと、やたら目が輝く。
逆に自分を良いように書くと、嘘っぽくて居場所がない気になる。
自虐派。

以前は不平不満をブログにぶつけて吐き出していた。
が、よい年齢になると、なんだかみっともないような、周りを気にするようになってきた。
とは言え、まだ、マイナス内容を書くと、目がギンギラ。
ではあるが、その負の部分の表現、文章を消したりしている。
取り繕っているわけだ。
自分で言うのもヘンだが、わたしは取り繕うと自分らしさがゼロになる。
加齢で、落ち着き知恵がつくと、自分に対する評価が気になるのだろうか。
余計なものが削ぎ落とされるのはカッコイイが、そうではなく、なんだかゴミを誤魔化して見えないところに追いやっているような気分。
かと言って、痛々しく剥き出しは嫌。
そういうお年頃だろうか。
「丸くなる」のは、「歳を取る」ということか。


ちなみに、昨日の記事。
「(リタイア後の)皆さん、何をしているのだろう?」への自問自答。
わたしが出かける時間帯が中途半端なため、わたしと同年代の人々と出くわさないのではないかと、ふと思った。
お稽古やカルチャーセンター、スポーツにしても、午前に終えるのではないかと。
スタートがもっと早い時刻だと想像する。

スポーツマンの知人がいるが、こんなにパートナーが活発で動き回っていると、奥さんはどうしているのだろう?一緒に動き回っているのだろうか?と、ちょっと思った。
で、聞いてみた。
答えは「妻は絵を描いてます」。
なるほど。
創作活動は時間が無限。アタマ活性化にも効果的。
身体は動かさなくても、精神は研ぎ澄まされ、時には血湧き肉踊る。

暮らし方、ライフスタイルは、都市部と地方、農村部でも異なる。
個人事情によっても異なる。

わたしは、怠け者の権化、スポーツ嫌いなので、身体は動かさない。(ダンス以外は)
ウォーキングやハイキングはまだしも、登山は苦痛。
キャンプなど、アウトドアが大の苦手。虫が嫌い。
軟弱、ひ弱な街人間。
農業や漁業、林業、畜産業には就けない。
全天候型で空調が整った空間が快適。
ではあるものの、屋外に出るのは、気候の良い時季、春と秋だけなんて、限られ過ぎている。
旅行もベストシーズンがあり大人気だが。
皆さん、考えることは同じ。


旅行にもそれぞれ好みがあるようだ。
個人旅行派と、団体旅行派。
ベルトコンベヤーに乗せられ、見どころに連れて行ってくれ、美味しいものを口に運んでくれる。
楽して、良いとこ取り。
無計画派もある。
行き当たりばったり。
本人が好きなテイストを選べば良い。
他人が口出しすることではない。

電車の時刻表を眺めているだけで、ワクワクする人もいる。
逆に、考えたり手配するのに、うんざりする人もいる。
旅に行って終えてから、長い間、記憶の中で楽しむ人もいる。
団体旅行の帰りのバスの中で、次の申し込む旅行先を考えている人もいる。
各人、自分に合った方法で楽しむのが良い。

わたしは、ベルトコンベヤーを通り越して、鵜飼の鵜。
どこの何かもわからず行って丸呑み後、後からゆっくり溶かして紐解く。
逆に構想し始めてから何年も熟考を重ねるケースもある。
長さ時間別に、長・中・短期で予定を立てる。
と言ってもまだ何にも考えてなくて構想は白紙。
そのうち、暑いだの寒いだのグズグズしているうちに面倒になり、やがて、身体が動かなくなる。
しかし、焦って追い立てられるように行動するのではなく、成り行きにまかせよう。

今日もいつものルーティン。
何ごとも無い、静かで平和な1日。
このまま、歳を重ねていく。

20年後にはもっと毒のない、徳のある話が書けるだろうか。
わたしの場合、「徳」より「得(私利私欲)」かも知れない。

毎日、一日一日、完結

2023-06-20 | 日々のこと
最近、楽しいと思うことが変わってきた。

まず、アルコール。
あまり良くなくなってきた。
つまり、酔いの快感が得られない。
身体がしんどいだけ。
まだノンアルコール ビールのほうが良いようだ。
身体の変化だ。

次。
物忘れに対する抗原が出来てきた。
物忘れ自体をやっつけはしないが、傾向を知り、対策マニュアルを作る。
あれ?無い!!と、ドキッとするが、いや待て、落ち着け、と、状況を把握する。
物的証拠を収集する。

先日の出来事。
冷蔵庫からヨーグルトを取り出そうとすると、容器があまり冷えていない。
扉の内側トレーに乗せている卵を触ると、常温。
バターは、柔らかくなっていた。
冷蔵庫の奥はまだ冷えている。
冷蔵庫のドアがきちんと閉められていないことがわかった。
誰の仕業?
台所の流しには、空のペットボトル。
冷蔵庫内の奥に前日、入れていた封を切っていない緑茶のペットボトルが開栓され飲まれている。
よく記憶に残っているのは、これを飲まれては困るので、手作り麦茶を入れたボトルの奥にわざわざ置いたから。
それと全く同じ銘柄の緑茶ペットボトルは、数日前から半分飲まれたまま、もう一つのサブ冷蔵庫の下の引き出しに入ったままだ。
半分残したまま飲み忘れて放置されている緑茶ペットボトルの存在を以前からわたしは認識していた。

今回はそれと同じ銘柄の、封が開いていない緑茶ペットボトルを、わざわざ奥から取り出して、飲んだ形跡あり。
犯人は0.001秒で断定できる。

自分の飲みかけを飲まずに、なぜ、人がわざわざ奥に隠すように置いている新品を(しかも手作り麦茶を手前に置いているにもかかわらず)飲むのか。
さらに、冷蔵庫のドアをちゃんと閉めずに。
一晩中放置。

目を三角にして怒るほどのことはない、まあよくあることだ。
しかし、ここで、長年の積年の恨みが加算される。
ではあるが、冷静にLINEで感情抜きで、冷蔵庫の扉が開いていた事態を容疑者に伝えた。
LINEは既読にはなったものの、実際には本人からは何の反応もなし。
無視された。

これが、我々夫婦のスタイル。
冷た〜い風。
今に始まったことではない。
何十年もの間にこうなった。
もう神経は抜かれている。感情はあまり動かない。
歩み寄る努力をしない。
絶対に自分の非を認めない、謝らない人。
が、非を明らかにして非難したり責めたりはしない。
別に根に持つわけじゃなし、復讐するわけじゃなし。
ではあるものの、こころのどこかに無意識に積もる。
と言いつつ、発想を切り替えると、自分がヘマをした時のためにポイントチャージ。
自分もこれから、そういうミスはしそうだから。


で、今日も少しアルコール。
今日は悪酔いするわけでもなく、良い調子。ほろ酔い、気分が良い。
楽しいお酒。
TVではニュース7が始まり、良い調子。
毎日が楽しく無事に終われば、ハッピー。
今日も幸せな一日だった。

ちなみに、少しぐらい気に入らないことがあっても、完全、完璧を求めると、幸せが遠のく。




皆さん、どうしているのだろう

2023-06-19 | 暮らし
近所バス停からバスに乗る。
待っているのは、高齢の方。
バスの到着が遅い時、うんざりしていると、すでに乗っているのは高校生がいっぱい。
年齢に開きがある。

わたしと同世代の方はどんな行動をしているのだろう?
趣味で顔を合わせる人々は、推定年齢、5歳は上。
いつも同じ時刻に同じバス停から行きも帰りも同じ人は、20歳ぐらいの若い男性。
学生か?
バイトか?
活動時間が短い。
平日、日中、半日のみ。

わたしよりお年寄りはよく出会う。
若いか、わたしよりお年寄りか、どっちか。
働き盛りの女性に出くわすこともある。
わたしぐらいの年齢の人、本当に出逢わない。
外に出てない?
あるいは、もっと早い時間に家を出ている?
または、働いている?
どうも行動を掴みきれていない。

わたしと同世代、男性はまだ働いている。
女性がよくわからない。
年齢制限のない職種、職場で働いているのかも知れない。

中途半端な年齢なのか?
それとも行動時間、エリアが偏っているのか?
通勤、通学時間帯に電車に乗ると、浮く。
夜の酒場では、これまた浮く。
昼間のカフェ。行かないからわからない。
ウォーキングの会。わたしより確実に10歳は上。
とてつもなく、とことん地味な団体。
自分とドンピシャリ同じような年齢の人は、どこで何をしているのだろう???

わかった!!
わたしは最近、食材以外は買い物に行かないから、店で出逢う人々というカテゴリーがない。
デパートなんて、ここ数年行ってないし。
スーパーも電車を利用する外出に、駅に出た時に寄る店舗しか行かないし。
食材と日用品は、ほぼ生協宅配と100均ショップで間に合わせている。
使うお金は交通費がメイン。
他はクレジットカード払いと、口座引き落とし。
紙幣はほとんど姿を見ない。
使っている実感、感覚がない。
散財している感触はまるでない。

コロナ以後、引きこもりが苦痛ではなくなった。
というか、むしろ落ち着いて快適になっている。
ひょっとして、同世代の皆さん、介護していない人は、家でまったりしているのかも?
husbandさん(配偶者)が同じく空間にいて苦痛の人もいるかも知れないが。

わたしは、苦痛の時代を乗り越えた感がある。
人や状況は変化していく。

自分はやりたいようにする。
退屈で何もすることがないことはない。
自分と似たような人はあまりいないように思うので、同じ気持ちをシェアしたいと願わない。
自分のことを知って欲しいとは思うが、近い間柄だと近過ぎて妬んだり、妬まれたりする危惧がある。
首を突っ込み過ぎる。
遠く距離を取ると、それはそれで今更何も話したいこともない。
こういう人、実は多いのか、多くないのか。
実態はまるで、わからない。

わたしにとっての友人は、SNS上の人かも知れない。