蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、花咲く時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

家の時計は、どれも止まっている

2012-11-30 | 日々のこと

リアル人に、一昨日、言われた。

「最近、忙しくて、あなたのブログ、読んでないけれど、
10コぐらい溜まると、ぜっんぜんっ、読む気にならなくて・・・」

はいはい、そうでしょう。
多い日などは、5000文字近くも「ねえねえ、あのね、聞いて」と延々、書いてますから。

「あんなもん、読むもんじゃないよ~。
よっぽど退屈で死にそうにヒマな時ぐらいが、オススメ」
と、真面目に真摯に、アドバイスした。

「ばばばーっと画面を見て、文字が、ずらずら~と並んでいるのが目に入ると、
とりあえず、ブログ関係の記事は、飛ばすことにしてるの」

あっそうですか~。
そうでしょうね~。

別のリアル人には、「社交ダンス関係の記事は、スキップすることにしています」と言われた。
あっそうですか~。

ブログネタとダンスネタを除くと、あと、残るものが、ないではないか。
まあ、リアル人に読んでもらってないってことは、「しめしめ・・・」に、つながる。
アタマに乗った漬物石が、10%減量になり、その分、好きなことが、書ける。


テレビが背中で、がーがー言っているが、選挙まじかで、にぎやかだ。
○○クンの声がする。
あれ?ワシントンから帰ってきたのか?
報道社会部デスクを経て、ある時期、ある番組で毎日、(一方的に)お目にかかっていたが、しばらく見なかった。

あのコ、かわいかったよな~。
色が白くて、かわいい、イヤミのない、素直な純真無垢おぼっちゃま、みたいなかんじで。
あどけなくて、でも、上品だった。小学3年生ぐらいの男子が、だ。
漫画みたいだ。

わたしが小学校高学年の時、彼は1つ年下で、
彼の教室に行くと、同じく年下の同級生、Oクン、Mクンと、いっしょに、よくいて、わたしと、ふざけあったような。
Oクンは、悪ガキっぽかったけれど、○○クンは、決して、そんなことはなかった。
静かに横にいて、おとなしかった。
(Mクンは、わたしの高校時代の担任の先生の息子さん)

当時のわたしは、Oクンが、好みではあったが、小学3年生ぐらいじゃ、好みもヘチマもあったものではない、か。
中学では、同じ運動部(クラブ)、一学年下の後輩として入部してきた○○クン。
これまた、かわいかったなあ・・・。
しかしまあ、あんなにデキがよかったとは、知らなかった。
(そういう類は、わんさか、いたが)

いつも、彼の顔をテレビで見かける度に、かわいい、あの当時の顔が浮かんできて、にんまりする。
現在のしっかり熟年オトナぶり、とは、かけ離れているようだが、
原型は、奥のほうにあり、じっと見ていると(じっと見なくても)、当時のかわいい顔が、オーバーラップする。
わたしも、それだけ年をとったということだけれど。
でも、原型は原型で、いつまでも、アタマのなかに焼きついている。

今も昔も、そう変わらないような気がするのは、わたしが仙人になったからだろうか。

 

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枯葉よ、教えておくれ。濡れ落ちてないでさぁ。

2012-11-29 | 華のスロー人

わたしは、理想が高すぎて、自分を否定してしまう。
自分は、地に這いつくばっているくせに、理想は、煌々と天高く、光り輝いている。
そのギャップを考えると、自分が理想を掲げる分野から降りるしかない。
撤退すべき。

そうやって、いつもいつも、努力をしきらずに、あきらめて降りてしまう。
しかも、いい線まで行って、あと一歩で、・・・とかでもなんでもなく、初歩から中級に進むあたりで、もうリタイア。
白旗、ギブアップの、なんと早いことか。
磨きをかける前に、退散している。

そのせいで、時間もさることながら、お金も随分、棒に振った。

ひとつの道をあきらめずに努力し続ける人は、すばらしい。
ただただ楽しいだけ、では続かない。
なぜなら、人間は欲があるので、上を目指す。
向上心といえば、聞こえがいいが、たんに、欲が張っているだけだ。
自分の過去と今を比べ、未来を予想し、自己の成長を追求する、とかなんとか、かっこいいことを言って、
じつは、他人と比べている。

あんな、みっともないのよりは、わたしは、マシ。
ああ、あの人に比べると、なんてわたしは、無様でかっこわるいの・・・。
優越感と劣等感が、行ったり来たり。スクランブル。
そうやって、徐々に実力が備わり、能力の底上げにつながっていく・・・のが理想だが、
やがて来るのは、頭打ち。
テコでも動かない、能力の限界。
これの繰り返しだ。

ここで、あきらめて、新しい分野に乗り換える。
手当たり次第廻って、適正があるかも、イケるかも、と、絞り込んだ分野にトライ、挑戦する。
そこでも、また頭打ち。
また別の分野に・・・。
一通り各分野を廻ると、二周目に移行する。
二周目になると、一周目の新人さんがいて、ちょっと、一瞬、優越感に浸れる。
が、すぐ、三周目以上の人々を見て、ため息をつく。


いままで、わたしがやった挫折の道。
数々、数々・・・数々・・・。
成就した道は・・・ない・・・(哀しい・・)。

現在進行形の社交ダンスは、まだ挫折せず、しぶとく続いている。
(挫折の神経が、老化でマヒしている?)
挫折の神様が、遠い旅に出ているようだ。

ものすごく底辺を這いずり回っているくせに、
猫も杓子も社交ダンスやっている風の会話を、あちこちで直接、耳にすると、
自分の凡庸っぽさに、平凡、ありきたりさに、恥ずかしくなるような、嫌気がさすような。
我を顧みず、意識だけは、雲の上。
自分をナニサマと思っているのだろうか。
もし、こういうナニサマ人を実際に知っているとすると、わたしは、その人に対して、虫唾が走りそうだ。
その人物は、他でもない、自分なので、これを自己嫌悪というのか。
自分でツッコみ、砕け散る、たんたる、堂々巡り、こころの無益な徒労ともいえる。


恥ずかしながら・・・
(自慢だと受け取る方、そう受け取ってくださって、けっこうですが、、、、勝手にどうぞ。
そして、芸大・芸術方面に進まれた方は、鼻で笑ってください)
ああ、嫌な書き方。
自分を表現するスタンスが、はっきり決めきれていない。
ヒール役(悪役)でいくのか、はたまた、善玉でいくのか。
今日は、こころのスイス人でいこう。(すみません、パクリました)

幼稚園の頃から、ピアノ、書道、それに加えて、小学校高学年から、バレエ、珠算、
中学からはお稽古は一切やめて、英語塾(学業向け)のみ、
高校卒業以後、英会話、英字タイプ、華道、料理、和裁、洋裁、ジャズダンス、テニス、・・・
などをかじった。(一瞬かじった、だけ。あくまでも)
このうち、ピアノと書道以外は、自主的にやった。
ケイコとマナブの常連さん、みたいなかんじで、単なるカルチャーオタクか。
身についているものは、ひとつもない。
これを「時間と労力とお金の無駄遣い」と言わずして、なんと言う?
たんなる、次の人生のステージに向けての、スタンバイと、それまでのヒマつぶし、という言葉がぴったりなような気もする。

はやい話、(モノにならない)カルチャー遊びが趣味だったのだが、
真剣なステージ、結婚においては、おチャラけなしで、家に馴染む努力をし、子育てに全力投球、
そして、社会では、仕事に全力投球。
見るのは、まっすく前だけ。余裕も何もなく、ひた走りの感がある。

で、年月を重ね、無事、アーリーリタイアメントになった。
今は、ぴかぴかの仙人養成学校1年生である。
実生活では、まったく完全にリタイアしているわけではないが、こころの中では、リタイアした。
すぽっとケジメがついた。
(まだまだ、日常では、いろいろ振り回されるが)


で、なんの話だった?
あ、そうそう、ヒールか善人か、だったです?
いえ、違いました、
・・・そうそう、理想と現実の乖離で、いつも挫折、って話でした。

ここまで書いて、とたんに、ひゅーんと熱が下がってきて、どうでもよいことのように思えてきた。

生まれて死ぬまで、まだ時間があるので、
この挫折、もっともっと、じんわり楽しみたい。
と、かなり、無理やり、強がりを言って、可愛げのなさを露呈してみよう。

それより、今、せっぱ詰まった案件を抱え、悶絶している。
さっと顔色が、変わり青ざめる、わたし。
そっちの案件に移動いたします。
今日は、ここで、緊急終了と相成りました。

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紅葉。落ち葉が散ってきた。


どんどん散って、紅葉の絨毯になっている。


あれっ、一晩経つと、風に吹かれて、こんなかんじ。
こんな風に、人生も、区画整理みたいに、しゃきっと分けてくれたら、助かる?

 

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専業主婦は、エライのだ

2012-11-28 | 日々のこと

NHk朝ドラの続きの、いつもの番組、ほら、あれ、あれ、あれあれ・・・(1分半、経過・・・)
「あさイチ」。

主婦が風邪をひいたときの夫の対応について。
くわばたりえ、最近、若い子育てママの強力助っ人(古すぎました、この表現・・・)として、
がんがんモノ申してくれているようだ。

わたしは、近ごろ、あんまり主婦のことがよくわからない。
仙人候補生なので、仙人の修行はしているものの、主婦としては、卒業の感がある。
ましてや、専業主婦というもの・・・実体を知っているような、知らないような。

専業主婦と、定年リタイア人との区別が、あんまりつかない。
性別は、専業主婦は、女性。リタイア人は、おもに男性。
定年リタイア人で、主婦を兼任している場合もある。
あ、そうだ、わたしは、主婦を無事、定年リタイアした。
(と、自分では思っている。ちょっと早期リタイアだったが)
そして、新たな人生スタートとして、仙人養成学校に入学した。

仙人養成学校に通いだすと、同じような候補生がいっぱい、いる。
講師は自称・仙人だが、うさんくさい。
ほんとうの仙人になるには、高い山を越えて、棺おけの中に入らないと、無理のようだ。
モノクロ、モノトーンの水墨画っぽい、静かな、桂林かどこかの風景が描かれた掛け軸のなかに収まって、
目だけぎょろっとやけに光っている、そんな仙人が、ほんとうの仙人か。
いや、目が光っていては、仙人にはなれない。

と、脱線の線路は続くよ、どこまでも。


で、主婦の皆様は、忙しそうにも見えるが、時間が継ぎはぎパッチワーク。
まとまった時間が取れない。
子育ては、やらなければならないが、家事は、やらなくても死なない(と、わたしは思う)。
家事をしないで死んだという家庭があったとしたら、
菌にまみれて、家族全員、病死。食中毒も、そのうちのひとつか。
冷蔵庫がからっぽで、餓死。
しかし、病気でもないのに、冷蔵庫をからっぽにして、餓死するまで頑張るのは、相当の根性、パワーがいる。
コンビニに弁当を買いに走るほうが、よっぽど楽だ。

布団をまったく、干さない、シーツを洗わない、衣類を洗わない、窓を開けない、
部屋を掃除しない、ゴキブリ、ネズミの巣窟。
風呂、トイレ、キッチンは、どっろどろ。悪臭漂う、どっろどろのヘドロの沼。
と、仮定する。
そこに、夫、妻、子供が暮らす。
犯罪を犯して捕まった女性の住まいがニュースで何度か報道されていたが、外から見ても、カオス状態。
そんな住まいでも、同居人や、子供と生活していた。
べつに、死なないし、病気にもならない。

ずっと前、テレビで放映させていた、子だくさんファミリーも、似たような状況。
子供は、兄弟で互助関係が成り立ち、成長していた。
それはそれで、たくましい。
大嫌いで、大の苦手の勉強を無理強いされるわけでもないし。
大嫌いな食べ物を嫌々食べさせられるわけでもないし。

と、話は、ビミョーに、教育方面へと、ずれてしまっている・・・
もとい。


その、ぐっちゃぐちゃの部屋、栄養偏りまくりの食生活・・・
自分が、そんな毎日を送って、気持ちいいかどうか、だ。
わたしは、家事が大嫌いだが、できれば、まったくしたくないが、生活、暮らしは、自分が快適でありたい。
見た目、実用性、衛生面、利便性、、リラグぜーション、芸術性(これは、うそ)・・・
どうでもいいことはなく、それなりの心地よさが暮らしには必要だと思っている。
そのためには、必要最低限のことは、しかたないけれど、自分の快適性のためにやっている。

いっしょに生活している人間(家族)によって、自分のペースを乱されるが、
家族と同居しているメリット、デメリットを考えると、まあ、いたしかたない。
でも、仙人養成学校に通いだしてから、
(追記。学校の場所は、山の麓から少し上。下界と天国の中間地点、下界寄り。通学の交通手段は、電車)
一人で暮らすのも悪くないなあ・・・と思ったりしてる。
が、生まれたときも死ぬときも一人なので、
せめて、その中間の時期ぐらいは、誰か他の人間と接して暮らしてもいいかなあ・・・と思ったりもしている。

で、あさイチの番組・・・なんだっけ?
ああ、主婦が風邪ひいたときの夫の対応。
もう仙人に向かって助走中のわたしは、そんなこと、どうでもいい。
うちの夫も、こうだ、ああだ、あのときは、ああで、・・・と、口から泡飛ばして、激昂して話す時期を過ぎた。
自分の仙人としての世界のほうが、安定しているし、楽しい。

仙人養成学校は、ただいま、推薦入学を受け付けています。
入学ご希望の方は、天国2丁目まで、ご連絡ください。
ただし、仙人はいつも不在。連絡は、返答がない場合が多いです。
田中大臣に、認可を拒否され、もう、この世にはないのが現状かも。
しかたないので、自宅で、自習してください。


自習のひとつとして、カリキュラムに、「家事」がある。
そう思えば、家事もそう悪くないか。
でも、家事をしない夫は、仙人であろうが、キリストさまであろうが、腹に据えかねる。

 「仙人養成学校、ほんとに、あるんですか?」
そう質問される方がおられるとすると、かなり、仙人寄りの方だと思う。

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ネットの海は広いな、大きいな~

2012-11-27 | ブログ

今日は、激しく激しく時間制限を受けるなか、とても書きたいことがあって、
一字も入力していない先から、
更新アップ後、慌てふためき、ばたばた遅刻する図が、目にちらついている。

はじめての方からコメントをいただいた。
コメントは、ご本人の意向で、非公開とさせていただくことにした。

ネットの海、ブログの海は、大きくて広くて深い・・・と、しみじみ思った。
行ってみたいな、よその国~、と無邪気に歌っている場合ではない。

どのブログであるか、特定できないように、うすぼんやり書いたつもりだった内容に、
ピンポイントで反応いただき、驚いた。
わかるものなんですね~。
読解力に、脱帽。
あるいは、わたしの書き方が、いかにも、アタマ隠して尻隠さず、っぽかったのか?

しかし、ブログというものは、個性が出るようだ。
ついでに本性も出るようだ。
おお、こわい。
わたしの、あほぶり・・・バレていたら、どうしよう・・・
(バレていない、きっと、・・・そのはず・・・、こんなにアタマ隠して尻隠してるから)

毎日、書き続けていると、そりゃあ本音も出る。
では、いっそ、自分を美化して、理想の王国みたいに、
理想像を創りあげ、その人物像に沿って内容を書き綴っていくのは、どうだろう。

小説は、主人公を生かすことも殺すこともできる、自由に操れるのが醍醐味という。
で、小説を書いてみたが、なんのなんの、地の底を這うような、「蟹工船」っぽい、暗いものになってしまった。
いまで、(18)話だが、やっとこさ、別の方向に向かおうとしている。
ああ、長かった。
あれは、わたしのこころのトンネルか。
やっと抜けたということか?
いえ、たんに、ネタ切れになって、苦しいだけだと思う。情けない。
自分が苦しんでいい小説が書けるなら、素晴らしいが、つまらないものしか書けないんだから、
無駄な時間としか、いいようがない。

もっと、書いていて楽しいものが、いい。
だとすると、蝶ブログは、すごく楽しい。
ピアノを弾くかのごとく、指が踊る。(なんて、これは、あきらかに言いすぎ)

さあ、焦りつつ、時間内に収まった。
だが・・・内容は、あいかわらず、起承転結はない。

 

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雨の日は、火が点かない

2012-11-26 | 日々のこと

最近のわたしは、なんでもかんでも、ねえねえ・・・聞いて・・・と、
次から次へと、おしゃべりが止まらない女子のようだ。

昨日も、書けば書くほど、どんどん話がつながって、書きたくなる。
しかも、どうでもいいことばかり、シリトリのように、数珠つなぎで。

わたしには、自分のことを雄弁に話す友だちがいないのだろう。
家族にも、しょーもないことばかりしゃべり、うんざりされているので、自主規制している。
嫌われてまで、べらべらしゃべるほど、わたしはピーマン系の勇気がない。

友だちがいないわけでもないのだが、どうも、相手に合わせてしまう。
それと、自分の考えをまとめたり、ちょっと考えたりしていると、その時間、話の流れが止まり、もどかしい。
臨機応変に、ぴぴぴと、対応できない。
アタマの回転が遅いから、会話のキャッチボールに間に合わない。
その点、ブログだと、ちょっと考えたり、アレ、なんだっけ?と、グーグルで検索してカンニングしたり、
席を立って、コーヒーを飲んで、また続きを書いたり・・・
なんでもあり、で、とてものびのび自分の思っていることが書ける。

同意なんか、べつにいらないのだ。
相談者に多く見られるが、あらかじめ、自分で答えを出していて、相手がどういう答えであろうが、もう決めている。
そんな人は、相談すべきではないのだが、相談することによって、冷静になって、自分の問題点や、解決の糸口を見つける。
こころの悩みを解決する、カウンセラーは、そうやって相談者自身が気づかない、潜在意識を引き出していく。
カウンセラーは、相談者のこころを開き、悩みの原因がどこにあるのかを探り出す手助けをする。

わたしの場合、べつに悩みではなく、ねえねえ、聞いて・・・なのだが。

もともと、わたしは、おしゃべりである。
しかも、しょーもないことばっかり、思いつく。
ただ、聞きたくもない、面白くもない、くだらない話を延々とされるのは、きっとつまらないだろうなあ・・・と考えて、
人と直に対面の場合、自分のことは、あまり話さない。
ちょっと調子にのって、地を出すと、ヘンな人だということが、バレバレ。
外に向かって自分をあまり出さない、こういう性質を、内向的性格というのだろう。

相手があまり自分のことを話さない人であると、ちょっと困る。
それとなく、話を切り替えたりして、相手の話しやすそうな話題を探す。
そういえば、かつて、しーんと静まり返っているクライアント職場に、
営業に毎日行って、口を結んでいるカタブツ人に、話しかけていた頃は、すごく大変だった。

あるいは、わたしサイドのことばかり、話題を振ってきてくれる人には、
調子に乗ってぺらぺらしゃべるのだが、なんか、話が薄くなったような気がしてしまう。
自分のことを話すのは、苦手だということだ。

その分、文章にして、ブログにアップすると、何人かの人に読んでいただけるし、
わたしも、すかっとする。
ライフル銃をぶっ放して、すかっとする人もいるのだろうけれど、(それ、犯罪だし)
わたしは、ボクシングや、そういう攻撃系では、まったく、すかっとしない。
以前は、服を買ったりしていると熱くなったが、
最近では、女性ホルモンが低下しているのか、あんまり買いたいと思わなくなったせいもあり、すかっとしない。
モノが増えるばかりになるので、衝動買い以外は、あまり手が伸びない。
とはいえ、ダンス用ドレスと、レッスンに通う途中の店で売っている服飾品を、ちょいちょいと買っているが。
やっぱり、好きなんだろう。


さて、いきなりですが・・・
今日は、早めに終われそうだ。
自分としては、まったくノリがないのが、さびしいところだが。
(好きなだけ、べらべらしゃべっているような気もするが・・・)


つまらない、中途半端な内容になった。
ま、こういう日もあるということで。
 

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もうちょっと、どうにか、ならん?

2012-11-25 | 趣味

金曜日は、勤労感謝の日で、国民的祝日。
お休みだった。
土曜、日曜も休み。で、三連休。

なにもせず、パソコンに向かっているだけでは、あまりにも、もったいない。
最近、ブログでは、他人のことばかり書いているが、
リアル個人生活としては、先週末、ゴルフ帰りに来客が2名、押し寄せ、宴会ありで、先週は振り回された。
的矢牡蠣、あわび、ユッケと、生ものを主にし、白ワイン3本、日本酒1升が、空になった。
すごい勢い。
がばがばがばと食べ、ぐいぐいぐいと飲み、さささささーと引き上げていった。
漫画みたいだ。

好評、超ご機嫌で、また、ぜひ次も開催したいと、リクエストを頂戴してしまった。
ええ~っ!?と思ったが、「どうぞ、こんなので良ければ」と言ってしまった。
「遠方から参加するの人も呼びたいので、ゴルフ前泊でよろしく」
などと追加のリクエストには、ちょっと難色を示したが。
(先々月、2名、引き受けたばかりで、たいへんだった。うちは、民宿ではない)

秋の一泊旅行にも行った。(旅のブログにはアップした)


そんなこんなの、リアルに触れない、ネット生活を満喫していたが、
なにごとにも振り回されない、黄金の3連休を、
3日続けて、じっと家の中で、ネット三昧で過ごすのは、too much と思った。
大好きなことも、やりすぎては膿んでくる。


で・・・。
(やっと、話が本題に・・・)

昨日は、ダンスを踊りに、出かけた。
これは、便利。
だれともアポとらなくてもいいし、思い立ったら、一人で勝手に行けばいい。
ダンスパーティは、ダンス情報誌の情報をチェックして行けば、いろんな会場でもやっているし、
常時開催している民営のホールもある。

ここに行こう、と最初に決めていたA会場があったのだが、電車に乗っている途中で、別のB会場にしようかと、迷った。
B会場にするなら、○○駅で降りて乗り換えなければならない。
ああ、どうしよう、早く決めなければ、その駅を過ぎるとA会場になってしまう。
降りる寸前まで迷っていたが、B会場にして、駅で飛び降りた。
降りたホームで、しばらく、まだ迷っていたが。

人生の一大決心を要する、岐路じゃあるまいし、たかだか、どっちになっても同じような、趣味の会場選びに、
そんなに気合を入れてどうする?

だが、迫り来る駅を前に、わたしのアタマの中では、A会場の会場の様子と、B会場の様子が映し出され、
A会場が、すとんと落ちて、B会場が、勝ち抜いた。
決定的な選択ポイントは、(関係ない人にとっては、限りなくどうでもいいと思いますが)
「B会場の平日は、スカだが、土日は、良いらしい」という情報。
土曜日に、いつもA会場でダンスパーティが催され、何度か行ったことがあるのだが、
土日だからといって、格別、ダンスレベルが高いとは感じなかった。
そして、平日のB会場には行ったことがあり、スカぶりを経験していた。あのスカは、定評があるのか。
せっかくの土曜日だから、経験のため、A会場ではなく、B会場にしてみようと、突如、電車内でチャレンジ精神が湧いてきた。

A会場には、たまに顔見知りが出入りし、しかもその人は、わたしとばかり踊る人で、踊る相手には、そう困らないと思う。
だが、最初は、嬉しかったものの、その人は、踊っていて上達につながるかどうかは、疑問。
そう言いつつ、わたしも、中途半端なレベルなので、その人が来ていなかったら、壁のシミになるリスクもまだまだ充分ある。

最近のわたしは、「向上心」という仮面をかぶった、実質は「高飛車」な思い上がりが、むくむく形成され、
誰とでもいい、壁のシミにならず、単に踊れたらいい、という段階を超えようとしている。

どうせなら、ちょっとぐらい辛い目や、恥ずかしい目をしても、上手な人と踊って、少しでも上手くなりたい。
安心、安全、現状維持、より、上達を目指したい。

リスクの低い「安定」と、リスクの高い「挑戦」が、アタマのなかで、バトルし、「挑戦」が勝った。

で、行きにくい場所にあるB会場。
野を越え、山越え、やっとこさたどり着いたのは、もう4時。
更衣室で、「今頃から? もう、人はあんまりいないわよ」と帰ろうとする女性客に、驚きと軽蔑?の声をあげられ、
いつもながらスタートの遅い自分に、ほんと、あほやなあと、再認識した。

一応、午後9時までやっているんだが、そんな遅くまでいる人は、ペアか、競技選手しかいない。
会場に入ってみると、ほんと、人影ぱらぱら。
でも、めげずに、シミになることなく(待ち時間はほとんどなく)踊った。
リボンちゃん(女性客用ダンスアテンダント)は、5時に引き上げ、最後に踊った人が5時15分ごろに帰ってしまい、
あとは、本当に、ペアと、競技選手と、指導のコーチのみ。
だあれも、踊ってくれる人などおらず、一人で個人レッスンの復習をした。
個人レッスンの先生が書いてくれた、カウントのメモを片手に、4,1,2,3,とステップを踏みながら覚える。
ホールの隅っこで、ちまちまやっているので、だんだん、体が冷えてきて、15分ほどでやめた。

たった1時間半しか、踊ることはできす、しかも最後の15分は、踊ったとは言い難い。
電車で帰る車内、その日の逆・時間給(=1時間あたりの使った金額)を換算してみた。
正味の踊った時間、行き帰りの往復・移動時間、出かける準備や後片付けの時間、交通費、会場費、
これを量りにかけて、ミキサーにかけて、ががががーっと、回してみて、
満足度と、時間と労力、お金、これは、バランスが合っているか?
収支のほどは?

やはり出発が遅かったのは、反省すべき点。
自分しかいないからって、約束してないからって、自由にのびのび、ゆっくりしていたら、
家から出発する時間が、どんどん遅くなって過ぎていく。
予定を立てるなら早めに。
そうすると、会場での時間(踊れる時間)が多く取れ、交通費や労力とのバランスが、よくなり、見合ってくる。

助走が長すぎて、行動スタートが遅れると、パワーを出し切らないうちに、打ち切り終了となってしまう。
これは、いつものわたしの悪い癖。
パワーや自分の時間は残っているのに、会場での状況が終了となり、あわわと、つんのめった状態で、退散。
これが、もし若かったら、つまんないなーと、夜の街をのそのそ歩いて、見知らぬ男性に声でもかけられるのだろうけれど。
(そういう心境の女性は、後姿ですぐわかるそうだ。
ナンパ師が、そう言っていた)

なにか外食して帰ろうかと思ったが、パリでもひとり外食は、あまり出来なかったし、日本でも、最近は、あまりしなくなった。
それなら、適当なものでも買って、家でビールを飲みながら、まったりするほうがいいかなあ・・・と。


一人暮らしの人は、いったいどうやって寂しさを紛らわせているのだろう。
そう思ったが、おそらく、一人での生活、パターンに慣れていて、寂しくないのだろう。
家でずっと一人でいる分にはいいが、街で一人は寂しかろうに。
家路を急ぐ人々の先には、明るく灯の灯った家があるわけで。
で、家族として、一人身を癒してくれるペットを飼っていたりする。
ペットを散歩させに出かけたり、帰宅時にペットが出迎えてくれたり。

わたしは、子供の頃に犬を外で飼っていた経験しかなくて、しかも、あれは、ペットとは言いがたかった。
今でも、口のあるものは、手がかかるので、ノーサンキューだ。

と、話がどんどん、それている。
今日こそは、短文にしようと決心したのに、どこが短文だ。
日に日に長くなっているではないか。
テーマも、ネット三昧→リアル生活→ダンス→一人暮らし→ペット、と、どんどん、だらだらと変わる。

彼氏と、こうした、ああした、こんなことをした、あんなことをした・・・に近い内容になっている。
・・・やめよう。

やはり、時間に制約がないと、なんでも、しまりがない。
で、ダンスの満足度はどうだったのか、ってことだが、わたしは、やはり教え魔がいつも現れる。
そういう性格、性質のようだ。

と、またまたどんどん長くなるので、このあたりで、おしまいにします。
最後まで辛抱強く、お読みになった方には、ご苦労様のねぎらいと感謝を込めて、
ぬくぬく膝掛け毛布と、あったか鍋セット、差し上げます(というぐらいの気持ちだ)。
 

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記事タイトルは、 
「挑戦したが、だめだった」
または、「ウサギみたいに、寂しがり」
にしてみたり。

でも、やめた。
で、さらにインパクトのないタイトルにしてみた。

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毒が、まわった・・・

2012-11-24 | ブログ

自分のブログは、気楽でいい。なんでも、かんでも、好きなことを書ける。

スタートしてから、まだほんの少しの、ある、繊細な方のブログ。
考え方や、感性、性格は、わたしとは異なるが、書き方、表現は優れていると感じる。
で、ひそかに期待していた。
が、実経験、実生活の内容に多くを語られると、がっかりした。
どんなに文章表現がよくても、中味が、わたしの好みに合わないから。
なら、読むなよ、という話だ。もっともだ。

かつても、このブロガーさんと、そっくりな内容のブログを読んだことがある。
好きで読んだ、というよりは、怖いもの見たさで。
すべてにおいて、接点は、まるでないのだが、単なる興味本位。好奇心。
自分と全く違う人生を歩んでいる人は、どんなのだろうと。
どういう経緯をたどると、そういう風になるのだろう、と。

その二つのブログの共通点。
自分に酔っている。(これは、わたしを含め、ほとんどのブロガー諸氏の共通点でもあるだろう)
本人は、一生懸命だが、傍から見ると、笑える。
(これは、人ごとではない。わたしにも、特に言える。
あ、わたしの場合、いかに深刻に見せるかということに注意を注ぎ、実際のトコ、あんまり深刻ではない・・・)

そんな、真剣に考え感じている人のことを、おちゃらけ目線で見たりすると、
自分に500倍返ってくることは覚悟の上。
天に向かってツバを吐いて、頭上から土砂降り状態になる・・・んだろう。

ステキと感じる対象物、いいと思える事柄、価値をおくことが、風景風景、表面の見た目は同じだのだが、
その下の部分では、違っていた。
人それぞれ、違っていて当たり前で、その違いが、刺激にもなるし、変化や成長にもつながる。
のではあるが、だが、なんか、違う。やはり、接点がない。根本から、ない。

ちょっと楽しみしていたのに、残念だ。
それと同時に、なんだか安心したような気になった。
おぬし、デキルな・・・と真剣を手にし、勝負に挑もうとした武士が、相手は木刀か、水鉄砲だったので、
気が抜けて、ほっとした、
なあんだ・・・みたいなかんじで。(ほんと、人間性、悪い、わたし。土砂降り間近)

表現方法もさることながら、その人の本性、考え方みたいなものが見えると、
そして、それが自分には合わない、となると、とたんに、色あせる。
(もともと、怖いもの見たさだったので、接点はないのだけれど)

どっちがよくて、どっちが悪いとかではなく、赤と青、丸と四角、どっちが好き?に近い。
自分の好みに合わせてもらうのは、無理なので、自分が引く。
どう、好みに合わないかを書きたいところだが、(う、うう、書きたい・・・)
が、自主規制で、これ以上、集中豪雨の天からのツバ返しの憂き目に遭うのは、本望ではないので、
自分の胸におさめておこう。

いつも文字量は、極端に少なく、生活面はさらっとしか書かれていないのに、
一気に語った内容で、その人の背景みたいなものが見えてしまった。(あくまでも、わたしの想像だけれど)
なんで、わたしは、こんなに色眼鏡の色がキツイんだろう。偏見の塊なんだろう。
逆に、自分に返ってきた。

自分の選択した道が、自分にとってはベストだという思い込みが、無意識のうちに、むくむく出てくる。
これを、「思い上がり」、というのだろう。
そのニオイが、きつくて、鼻をついて、自分でも、朝の連ドラ「純と愛」の誠のように、鼻が、いがみ曲がりそうだ。
自分のニオイに自分で、げげっとなる、なんて、・・・。
おそらく、年齢の違いもかなりあり、世代間ギャップも相当あるだろうに、
それを考慮せず、ダイレクトに真に受けるなんて、年長者(わたし)のすることではない。

天からのツバは、天は、他人ではなく自分だった。
そう反省したからといって、自分の欠点を再認識したに過ぎず、悔い改めようという気には至っていない。
この欠点は、わたしの核のひとつであり、わたしを形成している、大事な要素なので。

毒も身のうち。
他人の気に入らない点を指摘していたら、自分の毒にたどり着くなんて、ああ、くだらん蝶ブログだ。
まわりまわって、たんなる自己肯定だ。
この毒とは、長い付き合いなので、これからも毒々しく生きていくことだろう。


 

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トップ画像は、本日の紅葉。
↑上のは、1週間前。
今から、葉っぱがどんどん落ちて、紅葉鑑賞のあとは、枯葉そうじが、待っている。

(「記事に関係ない写真は、入れないほうがいいのでは?」というご指摘も受けましたが、
まあ、アップしちゃいます)

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女の寂しいスキマ風に、群がる男たち

2012-11-23 | オトコとオンナ

男っていう動物は、ほんとうに、しょーがない。
浮気性である。
それが、また、アタマ隠して尻隠さず、本人は隠しているつもりでも、バレバレ。
ばか正直にも、ほどがある。
こころや、本性が、話していること、説明していることと乖離している。
それはそれで、人間として人間らしいところなのだが、乖離していることが、バレバレなところが、救いようがない。

男性の、その本質を含めて、愛してやまない。。。。と、言い切りたいところだが。
決して、愛してやまない・・・ことはなく、あきれて、がっかりして、失望して、なあんだ、あんたもか・・・
と、特別視していた唯一無二な場所から、いきなり、ごろんごろんと坂道を下りおちて、
そこらへんの、光なんぞ、全然放たない、ふつーの人になる。
こけ落ちた後、ゆっくり起き上がって、服をぱんぱんと叩いて、かぶったホコリをはたいて、哀愁を帯びた笑みを見せても、だ。

そういうことが、何度も重なると、男は、だれもかれも、例外なく、そんなものだ、という、定説として、
脳の回路に焼き付けられる。
浮気性ではない男性がいるとしたら、それは、苦労人だ。
いままで、それで、幾度となく女性から去られて、学んだ人だ。
浮気性であるという本性を、絶対に相手の女性に気づかれないよう、
念には念を入れ、ボロは出さない、ヘマはしない、万全の手を尽くす。
そうやって総力をあげても、本命女性にバレてしまった場合は、本命女性がどんな人かによって、その後の展開は、それぞれだろう。
各人、勝手にやってください。


それから・・・
ちょっと話は、変わるが・・・

不特定多数に向けて、赤裸々に、自分の性のことを語る方々。
それは、個人の自由であり、発信する人、群がる人、お互いが目的が一致し、楽しみを共有している。
外野がなにをいう権利も、意味も、なにもない。

かくいうわたしも、そうとう年配の男性の「女性研究ブログ」を読んでいた。
はじめは、ぞぞぞっと毛嫌いしていたが、徐々に、女性科学研究室の色合いを帯びて、
女性ではわからない、女性のことを一点のみに特化し、それを掘り下げ熱心に追究している事柄に対して、
受講生になった気分で、レクチャー感覚で読んでいた。

徐々に、日々、読んでいくに従って、そのブロガー男性は、気の毒な環境に置かれていたということがわかった。
やはり・・・わたしは、納得した。
そうでなきゃあ、あんなふうにはならない、と。
今は、環境も変わり、そのブログは、すっかり模様替えをされて、女性のジョの字もない、別ジャンルで更新されている。


ちなみに・・・
またまた、少々脱線・・・

個人的嗜好は、ひとそれぞれであり、露出狂趣味の人は、のぞき見趣味の人とセットだと、とても合理的でよろしい。
変態は、変態で集まると、これまた、とてもよろしい。
ノーマルな人が紛れ込むのは、お互いのために、よろしくない。
パチンコ屋に入って、「ギャンブルは良くないですよ」と、客ひとりひとりに説教して歩く人なんぞ、いない。
風俗店で、コトの事後に、「君なあ、いつまでもこんなこと、してたらダメだよ」という客は、うっとうしい。
コトを行わず、最初から最後まで、神父さんみたいに、真理を導こうとする人は、もっと、うっとうしい。

若い頃は、自分のエネルギーをもてあまし、エネルギーの出し方、表現のし方、伸ばし方、活かし方が、わからない。
よほど、よい先生や、導いていくれる人、友人に恵まれない限り。
「ぼくが、サルだった若い頃、・・・」そういう表現を使う人がいて、お、ステキかも、と思って
(休日であるヒマにまかせて)初めてそのブログを読んでみた。(品はないが、ひょっとして、それはポーズで・・・と)
が、今も、単なる老化したサルであることがわかり、がっかりした。

わたしは、メガネをかけた、教育課の回し者ではない。
歓楽街をパトロールする、夜回り先生ではない。
徘徊している、ちょっと、おばかな人々に、お節介なことを言いまわるほど、暇ではない。

「早く帰りなさいよ。こんな遅い時間には、汚い大人たちが、うようよしているから、危ないよ」
「そんなことで、自分探しをしていても、取りかえしがつかなくなる危険もあるんだよ」
「オトナになったとき、過去に苦しむとき、自分では消せても、不特定多数の人々の記憶に、足跡として残るんだよ」

そんなことをしてあげるほど、わたしは善人ではないし、余裕もない。お節介でもない。
自分のことで、いっぱいいっぱいな、ずる賢い小市民だ。
ストーブの火は、熱いということを、自分の身をもって、体験していただくしかない。
この熱さがたまらなくいい、たまらんわい、と、はまって、火傷で死んでも、本望なら、それはそれでいい。

親にナイショ、そりゃそうだ。
親が知ったら、タダじゃすまない。
親は、人生の先輩だし、愛する子供の親なんだから、子供には愛情をもって、オススメの道に導きたい。
それをわざと無理やり降りて、逸れて、自分で見つけようとする。
それも、よくわかる。
お仕着せは、いや。ほっといてよ。自分には自分の道がある。
それを見つけるための、いまは、模索、もがき途中。
熱いっ、痛いっ、・・・でも、自分で見つけることに価値があるのよっっ。

もがき方に、問題がある。
なんで、よりによって、最悪のもがき方をする?
努力の方向性が、まったく正反対。

寂しいときは、男が寄ってくる。
男は、そういう女を狙っている。スキあらば。
そんな、多くの不特定多数の男性に、・・・・はあ・・とため息が出る。
男が寄ってくる、意味、考えたことあるのかなあ・・・
まあ、いいです。
人には人の道、それぞれ、同好会でわいわい内々で、楽しんでいただくといいのかと。
男たちに、ちゃっかり、いいとこ取りをされて、逃げられても、それに気づかないし、自覚がないなら、それはそれでいいかと。
人さまの、合コンに口を出すバカは、いない。
パーティが終わったあとの、虚しさは、終わらなければ、わからない。

女性が、うんと年上の男性をターゲットにするのは、それなりの理由がある。
自分と見合う、適正な年頃の男性は、適正な年頃の女性(ライバル)に、奪われている。
じゃ、うんと年上。
お金もってるし、若いと、ちやほやしてくれるし。
なので、うんと年上の男性に、自分を売ってくる女性は、ワケアリ。
それも、需要と供給なので、外野がとやかく言う筋合いのものではないし、
本人同士が、いちばん、それをよくわかっていることだ。

・・・・・

なんでも、終わりがある。
「終わりの、始まり」という予兆もあるだろう。
なにもしないうちから、終わっている「始まりの、終わり」よりは、ましか。

「終わりの、始まり」の足音が聞こえないように、事前に手を打ち、努力する。
すこしでも、終わりを始めさせないために。

充分、生きた。もう、充分。
そう思える頃に、終わりが始まるのが、いい。
だが、人生は、そう甘くない。

 

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キンキン金属片のおんな

2012-11-22 | 人々の風景

わたしは、年ばかり重ねている割には、人生経験が、少ない。
たとえ、いろんなものを見て、体験しても、所詮シュミレーションにすぎない。

それは、わたしの弱点でもあり、長所でもある。

基本スタンスは、小市民である、ということ。
犯罪も犯さないし、人も陥れない。偉業も成せないし、ダイナミックなこともできない。
海外に行っても、期間限定範囲内であり、向こうでは暮らせない。
海外に関しては、言葉の壁が大きい。
20年前、アメリカに、たった2週間だけ滞在した時に、しっかり、そう悟った。
自分は、無理。
自分の(微々たる)長所や能力を生かせるのは、日本がベストだと思った。
一番、手抜きして、楽するのは、日本がいい。
そうして、サボリ人生に拍車がかかった。


わたしは、一人暮らしをしたことが、ない。
同棲も経験したことが、ない。
結婚するまで、親元を離れたことがなかった。

いま、思えば、それはそれで、よかったように思う。
わたしのような、軟体動物は、ぐにゃりぐにゃりと、人に合わせてしまうので、
若い頃に、変なオトコにひっかかっていたとしたら、目も当てられない。
(また別の人生が開けたかも知れないが、わたしに、潔さと勇気がなかった)

しかし、わたしは、変なオトコにはひっかからなかった。
なぜか、変なオトコは、わたしの前を一定距離を保って通り過ぎるだけ。
なにをもって、変というのか、その定義が難しいが。
ひっかかる、とは、どういうことか、その定義も難しいが。

自分がへなちょこな分、それを補おうとする防御本能が備わっていると思われる。
そして、なんだかんだ言っても、自分の中には、きちんとしたモノサシがあって、
いくら、ぐにゃぐにゃしていても、自動的に、モノサシが作動するようだ。

ぐにゃぐにゃ軟体動物の、心臓部に、火事になっても燃えない金属で出来た、小さな塊がある。
人体に埋め込まれても、影響のない、医療用にも使われている素材・・・なんだろう、きっと。
これは、単純にいうと、「芯」とか「核」とか、とでもいうものか。

なので、自分のモノサシで判断した「変なオトコ」には、
意識的、本能的に近寄らないので、ひっかかりようがないのだ。

わたしの、モノサシは・・・いくら、本音ブログだと言っても、ここには書けない。
いささか残念ではあるが。
今の年齢で、今の状態では、モノサシの質、基準が大きく変化している部分もある。
相手に対して、譲れない基本は、たったひとつ、小さなことでもいい、自分にはない、尊敬できる部分が必要。
自分が、ダメウーマンなので、ダメンズは、だめ。
相手に依存は、重くて、だめ。


というわけで、波乱万丈とは真逆の人生を歩んでいる。
でも、ささやかながら、おもしろおかしく、人生を楽しんでいる。


昨日、聞いた話だが、飲み会では、(既婚)女性は、たいがい、家庭の愚痴を話す、らしい。
わたしも、愚痴たらたら、そんな頃があったかも知れない。
しかし、飲み会では話さない。
家庭の愚痴を話されて、聞くほうは、面白いのか?
自分の家庭がうまくいっていたら、ボランティア精神で、余裕で聞くのかも知れないが。

女性は、べらべら話すことで、うっぷんが晴れることが多いように思う。
相手の話なんか、どうでもよく、ただただ自分が話したいことを一通りすごい勢いで話す。


昨日、電車の隣の席に座っていた70歳ぐらいのおばちゃんが、ふたり、しゃべっていた。
過激な単語も、一語、二語まじえ、
そのうちのひとりが、自分の意見を言っているうちに熱を帯びてきて、
めちゃくちゃ大声、キツイ口調で、怒鳴る、激昂に近い状態で話していたが、
ここは、車内だよ~と、真隣にいた、わたしは思った、のだけれど・・・。

仕事仲間の仕事っぷり(どうやら接客販売業のよう)を非難している内容だった。
みなさん、熱いなあ・・・
女VS女は、こわいなあ・・・
というか、一歩間違えると、事件にでもなりそうな、熱さだった・・・
性格の一部が、破綻、ブチ切れているような・・・


仕事でもなんでも、一生懸命は、よろしい。
仕事のできる人は、あれぐらいの熱意が必要なのだろう。
が、人格や品格も必要なのでは・・・?

ついでに、ご主人のことも話されていたが、わたしの感想では、あの方のご主人は、かなり気の毒であります。
あんな勢いで、家でも正論をまくし立てられると、生きた気がしないだろう。
キンキン、アタマに金属片が刺さったような・・・
ああいう人と一緒に生活しないといけないご主人さまは、ほんと、ご同情申し上げまする。
旦那さんの浮気相手?候補女性みたいな人のことをぼろのちょんに、けなしておられたが、
旦那さん、息抜きしたくなるのもわかる。

わたしは、電車を降りて、しばらくしてもまだ、アタマが、キンキンしていた。

正論も、ほどほどに。
場所もわきまえず、キンキン正論言っても、それ以前の問題ですが。
自分では、自分のことがわからない、見えないという、典型見本みたいな、お方だった。


で、そろそろ、とってつけたように、マトメを・・・。

最近、わたしは、こころが穏やかなので、見るもの聞くもの、みな、おもしろい。
自分を向上させる努力すら、楽しい。
人生には、こういう凪状態の時もあるものだ。
目前に、また、大きなバタバタ・イベントが迫っているので、
せめて、今だけでも、ゆっくり、のんびりサボっておこう。

 

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うすのろ!!と罵声を浴びることだろう・・・

2012-11-21 | 日々のこと

昨日、なにわディープ地区・某・大規模商業施設の地下。
スーパーマーケットの並びにある、フードコートで、ひとり、ねぎ焼を食べた。
フードコートは、オープン形式の店舗がぐるり回りをコの字型に囲み、
各店頭で注文して、トレーにのせて社員食堂みたいに好きなテーブルに運ぶ。

時間帯によっては、人がいっぱいで座る場所を確保できないこともあり、
トレーを持ったまま、テーブル難民となって、うろうろ・おたおたする場合もあるので、注意を要する。

前々回に、ひきこもりネット依存症風・根暗そうな元青年(現・青年でない)の男性と同席を余儀なくされそうになったが、
モタモタ悩んでいたら、別の席が空き、自分ひとりの席を確保できて、やれやれだった。

そのフードコートは、あくまでも、そこの店舗で注文したものを食べる場所であると、わたしは考える。
コンビ二で買ったものや、自前の食品を持ち込んで、食べている人もいると思われるが、
わたしは気が小さいので、ひとりでは出来ない。

前に、ダンスレッスン・クラスメートと次の同じ目的地に向かう途中に、(いつも時間がないので)、
コンビニでおにぎりを買って、目的地の通過点にある、そこで、そそくさと食べたが、喉につまる思いだった。
わたしには、彼女のような図太さが、いまいち、足りない。
修行不足だ。
別に食べなくても構わない、と、いうほうを選んでしまう。

昨日は、ひとり行動だったし、時間的に余裕があったので、ひとりでのんびり食べていた。


長い前置きだった。が、ここからが、本題スタート。

となりの席には、女性が3人。(30代後半~40代?)
ピーチクパーチクおしゃべりに余念がない。
おそらく同じ職場のメンバーで、休憩時間なのだろう。
職種は、女性が多い職場で、雑務的な、作業的なことを主にするのではないかと想像する。

一人の女性(A)が、8割しゃべる。
もう一人(B)が、相槌を打ったり、同調のコメントを間合いに入れる。それが約2割。
もう一人の女性(C)は、滅多にしゃべらない。

この、Aの、しゃべりまくりの独壇場と化する、会話内容は・・・100パーセントが、仕事仲間の悪口。
ごくごく普通の出来事も、悪意たっぷりに表現する。
あの表現能力は特出している。


○○さんが、こんなことをした。こんなことを言った。(普通の出来事)
「そんなこと、なんで、わたしに言う?」
(興味もない、関係のない、どうでもいいこと、わたしに言うな、というニュアンス)

「そんなこと、わたしが、知るわけないやん」

「わたしは、参観日で出れないって、わかりきってるやん」

などなど・・・職場の登場人物を全面否定、自分を全面肯定。それを仲間が全面肯定。
しかも否定の仕方には、じつに、思慮の浅い考えがベースにあるのが、見え隠れする。
なにわディープ地区、独特の文化なのだろうか?
わたしに、読解能力がないからか?
エスペラント語電子辞書を取り出して、翻訳しようとしたが、そんなものはなかった。

仕事の進め方や、合理化、経営者の方針について、とか、議論や意見交換などは、まったくなく、
ただただ、人の、取るに足らぬ小さな小さな一挙一動をちまちま報告して、こき下ろしているだけ。
発展的、有意義に、なんぞ、ほど遠く、じゃあ、せめて、ゆったりまったり休憩を、というのにも、ほど遠く・・・
延々、休み時間をその話に使っている。

わたしは、ねぎ焼を食べながら、何度か、ちらりと、独壇場の彼女の顔を思わす見てしまった。
化粧っけのない、普通の女性。
相槌女性もまあ、普通。
無口女性も、化粧っけのない、普通の女性。

素肌が並々外れて美しい人以外は、外に出るときは、せめて、お化粧したほうが、下駄上げされていいと思うけれど。
と、表情。会話の内容で変わる。
人の悪口を言っているときの表情は、悪く見える。
いつも、悪口を言っていると、その悪い表情が、鉢かづき姫の鉢みたいに、くっついて、離れなくなる恐れあり。

あれで、休憩が終わったとして、残りの二人は、
楽しいのか?
あんなつまらん話を延々とするほうも、するほうだし、聞くほうも聞くほうだ。
一人でいるほうが、ずっとずっとずっと楽しいと思うけれど。


幸か不幸か、わたしの人生に登場する人物には、その手の人種はいなかった。
と、この一行を書きながら、書き終わる瞬間に、いやいや、そんなことはない、
これに近いことは、とても多いじゃないか、と。
仕事帰りの赤提灯のお父さん方の愚痴もそうだろうし、女性が集まって、家庭の愚痴をこぼしあうのもそうだし。

わたしだって、キーボードを叩いて愚痴っているんだから、方法が違うだけで、同じ穴のムジナじゃないか、と。

昨日は、こんな人種は、わたしのまわりにはいない、なにわディープ地区の特色に違いない、
と思っていたが、今、はじめて、そう気が付いた。
一日経つと、考えって、変わるんだ。

あんな仕事は、したくないのかも知れないけれど、仕方なくやっているのだろう。
あんな仲間と、おしゃべりに参加したくないけれど、仕方なく職場の雰囲気で付き合っているのだろう。
生活のため、生きていくために、したくないこと、不本意なことでも、やらなければいけないのだろう。
どの人も、みんな一生懸命に生きているんだろう。
(これ、上から臭、くんくん・・・臭ってるかも・・・たぶん)
おそらく、わたしなら、その職場では、いの一番に、「こら、うすのろ低脳!!」と、槍玉に上がることだろう。
あの独壇場・女史に、おもいっきり、「本日のグズ魔の出来事」として語られることだろう。

自分は、彼女と同じ職場でなく、なんだか、ほっとしたような。
棲息している場所が違っているようで、安心したような。

たとえ、同じ時間に、同じ場所に、隣りあわせで居ても、
ガラス越しに見える風景のような、テレビか何かを見ているような・・・
自分は、あっちの席に座っていないで、こっちの席に座っている、
たったそれだけなのだが、
昨日は、あんな人もいるんだ、と呆れていたが、今日は、とても奥深い思いに駆られている。

ねぎ焼と共に、噛み締める味わいは、だんだん深まる秋のように深い・・・

 

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