蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

愚痴もだんだん飽きてくる

2019-08-30 | 日々のこと
お菓子など食べた後の包み紙、プラゴミを食べた場所に放置して捨てない夫。
いつもわたしがプラゴミ入れに入れる。
足の裏の皮、剥いてテレビボードの淵に放置されている。
ビニール袋、どうやらゴミ箱には入れないと感じているのか、紙ゴミ置き場の上部に放置。
これは、躾できなかったわたしが、悪い。
6歳の孫をはじめ、4歳、2歳の孫も、ちゃんとゴミ箱に入れる。
やはり、わたしが悪い、、、きりりと胃が痛む。

夫は、モヒート炭酸割りを作ってくれ、ありがとうと、いただいた。
空きっ腹にアルコールを飲んだら効き目が瞬時、出た。
スイッチ、オン!
「プラゴミは、プラゴミ入れに入れること!!!」
酔いに任せて3回、夫に言った。

夫は「役割分担や」と宣う。
モヒート炭酸割り、作ってあげたやん、と。
ため息が大きくなりすぎて、苦痛を和らげるモルヒネ効果で、ブチ切れず、怒る気が失せた。

まあ良い。
確かに役割分担だ。
プラゴミだけではない。
家事だけではない。
全てが役割分担である。
それで、上手く(決して理想的ではないが)行っている。
谷底を見下ろし張られた綱。谷間を揺れながら綱渡りする。
ある意味、マイナスのスパイラル効果を利用して、わたしもサボりにサボっている。

絶対に認めたくはないが、似た者同士かも知れない。
人のことは言えない。
かくして、どんどん2人して下降線を辿る。
上昇志向の正に逆。
悪い方向のベクトル同士が、マイナスの地下で支え合っている。
マイナス・スパイラルそのものだ。
これは、一刻も早く食い止めねばならない。
しかし、そうすると、2人とも息をしなくなるのかも知れない。
ダメ人が住む、ダメ村で繰り広げられるダメ生活。
しかし、犯罪は犯していない。
家の外には迷惑をかけていない。
家庭内で収まっている。
税金もしっかり納めている。
国民、市民としての役割は果たしている。

2人分、フォローしなければならないわたしは、かなり複雑な心境である。
普通なら夫の欠点や、良くない行動を追求、糾弾して、それで終わりだろうが、追い詰めるのは良くない。
窮鼠に噛まれたら、イヤだし。
こちらの弱点や欠点を引っ張り出してきて対抗されたら、めんどくさい。
追求の手を緩める。
わたしはケンカはしない主義。
サボりだから、ケンカさえもサボる。
そんなエネルギーを要することは避けたい。

相手の欠点に目をつぶり、こちらの欠点をゴリ押し通す。
お互い様システム、完成。
(理想は、相手の良い面に影響され、自分も向上を目指す、、、プラス・スパイラルだが、それの真逆)

よほどのことでもない限り、見て見ぬふり。
お互い、独立分権。
共存共栄を目指して、気に入らない面に蓋をする。
今更、治らない。
ぎゃーぎゃー言うだけ、無駄である。
我慢するその分、自分は好きなようにする。

血の繋がらない他人と同居するには、いろいろあります。
血が繋がる肉親や子供と同居しても、悲惨な毎日を送る人もいる。
自分軸を持てば、自分軸はもともと人と重なる部分などないのだから、へんに強制したり合わせたりする必要はない。
独立した者同士が同じ空間にいるに過ぎない。
お互い、別人格として、認め合い、譲り合う精神が望まれるが。理想である。
ちなみに、ブログで愚痴るのは、あと少しで終わりだと、多分思う。

実は、このネタ、飽きてきた。

愚痴以外のなんでもない愚痴そのもの

2019-08-29 | 日々のこと
今朝の読経代りブログが功を奏したのか、書く気持ち満々。
さあ、書こう! 孫が来るまでの貴重な時間。
(多少、から元気疑惑あり)

ブログを開く前に、スマホ画面上、LINEにくっついている「お金の悩み相談」みたいなのを何気なく読んだ。
58歳シングルマザー、大学生2人と高校生1人の子供。
末子も大学進学希望。
住宅地ローンもまだまだ残り、貯蓄ゼロ。
どうすればいいでしょう?
みたいな相談だった。
食費と通信費、保険を削って毎月5万円の貯金をしてください、とアドバイス。
厳しいなあと、読んでいた。
5万×12=60万
年間60万で、10年で600万
とりあえず、その目標で頑張ってください、とのことだった。
子供の学費は奨学金を使って借りる。
60歳になったら給料は半分になり、65歳定年。
それでも貯金を続けるとして、給料半分の収入時(60〜65歳)、年金収入時(65歳〜)、同じように支出はあるわけだから、どうやって給料が今の収入と同じ時の計算でやっていけるのか、不可解だった。
おかしい、、、不思議、、、
もう少し、ちゃんと読むべきか、、、
流し読みなもんで、どうもちゃんと理解できていない。
はなから、相談サンプルだと捉えているからか。

ブログを開いて書こうと思った内容が、明らかにその記事の影響で熱がダウンした。

わたしの悩み、不満が、あまりにも贅沢な悩みだからだ。
と言ってもお金の問題ではない。

家で夫と2人で居るとストレスが溜まる。
爆発しそうになる。
定年後、毎日、一緒にいるご夫婦は神様仏様のように光り輝いて見える。
よく、我慢しているなあ、と。
立派過ぎて、足元にも及ばない。

ストレスの原因、その1。
体感温度の違い。
夫。暑い暑い暑いと、クーラーをつける。
わたし。この涼しい天然クーラー自然の風がそよ吹くのに、夫はわざわざ窓を閉め切ってクーラーだと???
2人でいても、いつも必ずクーラーをつけることになる。
つい最近の日曜日、秋風そよ吹く気持ちよい夕方、夫のあまりのエアコン利用ぶりに、長女がエアコンのリモコンを見えない場所に隠した。
が、それもかわいそうかと、少しだけ探したら見える場所に移動させておいた、観音様のように慈悲心のあるわたし。

その2。
テレビの嗜好の違い。
なんでもかんでも、番組途中でもチャンネルをちゃかちゃか変える夫。
見たい番組、腰を据えて見ないのか?
しかも程度の低い俗悪バラエティ番組を見せつけられると、無視したくても嫌でも目や耳に入ってくる。
チャンネル権は、いつも100%夫。
それに加え、耳が悪いので、大音量。
ものすごい大音量。
補聴器をつけたら?と勧めるも、スルーされる。
ご近所でもお年寄りの一人暮らしの住まいから大音量のテレビ音が聞こえる。
騒音の一歩手前だが、防犯には一役買っている。
わたしは、見たい番組だけを見る。
見たい番組がない時はテレビを消す主義。
いつもいつも大音量でテレビが垂れ流し状態でついていると、そのうち、わたしは壊れる。

今は、時間差で、夫とは顔を合わせる時間帯をずらしている。
まだ夫は仕事100%現役バリバリなので、オフの時は100%夫に合わせている。
一生、死ぬまで現役で働いていただきたいものである。
これ、あくまでも希望。叶うわけもなく。
わたしが先に壊れるから、その時はよろしくね、と夫に言っているが、もうすでに壊れているよ、と言いたげな憎たらしい夫。
(さすがにお互い、口にしないが、こころはそんなものだろう)

表立って喧嘩はしないが、かなり険悪で、根が深い2人。
シコリは小さくはならず、くすぶり続けている。
さきほど夫が帰宅したが、扉一枚で仕切られた隣の部屋で、エアコン、大音量テレビで、寛ぐ様子。
エアコンのリモコン、うまい具合に探し出していた。さすが、、、。観音様の導きか。

扉をぴしりと閉めて、自分だけエアコンの効いた涼しい部屋で寛がれるのもアタマに来るものがある。
こちらは、扉一枚隔てて汗だく。
なら、エアコンをつけたら良さそうなものだが、、、つけるほどでもない、微妙な室温というものがあり、それが火種、火薬庫となる。
こちらは、扇風機。
またもや、夫は扉をピシャリと閉めて自分だけ涼しい部屋に。
完全に意地の張り合いである。

なんであんなにエアコンをつけたがるのか、さっぱりわからない。
つけるな、とは言わない。
つけるべき暑さの時はつけなければ、熱中症になる。
つけなくてもいい、ごくふつうの温度(3
0〜32度?)の時につける?
地球温暖化は、ああいう意識の人のせいもあると思う。
といっても、男性はそういう人がかなり多く、知り合いも、秋風が吹くようになってからも、朝までエアコン付けっ放しだと言っている。
好み、嗜好の違いか?
汗がダラダラ流れたりするような暑さではない。
自然の温度で我慢できないのか?
3部屋繋がっている部屋の真ん中の部屋だけを閉め切ってエアコンつけられると、両端の部屋は風通りが悪くなる。
ああ、不満たらたら。
性格がどうとか、頭脳や思考がどうとか、そんな問題ではない。
体感温度と、嗜好!
隣人とトラブルになって、犯罪が起きていたりするのはとてもよくわかる。
真隣で繰り広げられるイライラのモト。
同じ場所に居てその状況が継続されると、アタマが煮える。
いっときも早く、その場から離れるしか手がないと思う。
でも、住宅事情で困難な場合、、、
ヒリヒリビリビリ痛む神経を緩和させる方法を何がなんでも見つけ出すのが、苦痛から逃れるための苦し紛れの妥協策だと思っている。



今朝の読経がわり

2019-08-29 | 日々のこと
わたしは、人に向かって直接言えないホンネをズバリ書いてきた。
しかし、今、ホンネが書けないでいる。
なぜか?
あまりにもエゲツないからだ。

それを言っちゃあ、お終いよ、というようなことは、やはり、書いたらお終いだ。
自分の胸に留めておくのが、ちょうど良い納めどころ、納まり具合になる。
書いてもよい。書くだけなら。
だが、公開しては、自分としては気持ちが良くない。
自分のトゲが自分に突き刺さり、チクチクなら可愛げがあるが、グサリ一突き、致命傷となる。
自分を救うどころが、自分の息の根を止める。

哲学者は、家庭人や生活者にはなれない。
わたしは、アホで勉学を大の苦手とするので、哲学者でもなんでもなく、程遠い。
頭を抱えて仕事もせず(それが仕事だったりする仕事もあるが)、物事を追求していたら、飢え死にする。
自分だけでなく、お腹減った〜、と、うるさくせっつかれる。
女性の哲学者がいないのは、食事作りに追われるからかも知れない。
思考は三度三度、分断され、ブチ切れる。

わたしは、追求すると脳が拒否してくるので、実にわかりやすい。
脳にもう1人のわたしが、陣取っている。
眠い!
一言そう言って、寝てしまう。
おいおい、、、なんて、わかりやすい脳なの。

しかし、、、
脳とは別のところ(脳ではないもの)に、一駅にも止まらず、直行で目的地(宇宙かも)、光よりも速く一瞬で到達する非脳がある。
何も考えない、分析もしない、ただただ直感で閃く。
脳を通過していない、脳を介していないと感じる。
AIとは別の真逆カテゴリーだろう。

その直行ノンストップで訴えてくるものがあるのだが、脳が関所のように検閲する。

はい、これは言ってもいいですよ。
発信してもよろしい。
発信すべきでない、と、脳が「待った!」をかける場合もある。
一応、わたしは一般社会人なので、脳と、非脳が、コラボしている。
非脳が暴走することはない。
抑えとして、理性ブレーキがかかる。
ブレーキは、自動制御のようなかんじだ。
壊れる可能性も大いにある。

非脳は、考えない。考えられない。直感。ストレート。
生活者としては、非脳は必要ない。
むしろ邪魔かも知れない。
ピーン、ピカーっと考えもしないのに、脳に何だか話しかけている。
脳は、あらそう、よかったねー、と、適当にあしらっている。
わたしと、もう1人のわたし、なんだろう。
これが研究に活かされたら、わたしは、すごい発明家、研究家になっていただろうに。
残念ながら、アホ頭。
非常に残念の極みである。

しかしながら、ひとつだけ良いことがある。
この、考えない非脳は、ダンスには生きている。
理屈、法則、ステップ、カウント、その他、全くと言っていいほど理解できていないのに、するっと出来る(踊れる)ことがある。
ダンスは、わたしには向いている、と本当に思う。
ただし、1人で踊るダンスではなく、2人で踊るダンス。
わたしにはAIが必要だから。

結婚する時は、優秀なDNAを求めていたと思う。
頭脳、身体能力、精神、、、。
はっきり自覚はないけれど、たぶん、非脳の命令、要望だろう。
今は、子作り完了のためDNAはもう必要ないので、優秀なAIとなる人を求めている。
わたしの脳に関しては、無能扱いされ、非脳面に関しては、まったく無理解ではあるが、べつによい。
お互いに無いものを補充、補完し合うのが理想だ。

ダンスの話はさておき、
一般的に、物事の摂理、セオリーは、はっきりくっきり見えるが、それがどうした?当たり前のこと、と思ってしまう。
例えば、人間は、生まれ、やがて死ぬ。
今までどんな偉人(故人)でも死ななかった人は1人もいない。
死んでからも、身体にあれこれ薬剤を詰め込まれ、世界中の人々の目に晒される、気の毒な偉人もいる。
死んでからも安まることがない。
まあ本人は知らないからよいが。

しかしながら、自然の力は脅威である。
地球温暖化や天然資源開発などで、人間が災害を大きくしてしまった原因がある場合もある。
行き着くところは、宗教か?
信じる者は救われる。
信じていない者は救われない。
色々な神々のエッセンスだけを応用して信条にすれば良いと思うが、細かいルール、方式、なんやらかんやらが、鬱陶しい。
神さまの信じ方にはあらゆる流派があって、細かいやり方や教えの違いで、信者たちが喧嘩しているのを見ると、神は本当にちゃんと教えたのか、疑問を覚える。
○○教以外、他を一切信じるな、という教えなんだろう。

自分教にすると、エゴ人間ばかりが横行することになる。
自分教を信じる人が信じる、もうひとつ上の、元締めみたいなものがあると良いのかな、と思ったり。
世界平和○○教、みたいな。
(あるのか、ないのか知らないが。
いかにも、ありそうなネーミングだ。
もし同名の既存宗教が存在するなら取り消し訂正します)
だが、わたしは宗教アレルギーなので、どうも身体中が痒くなりそうだ。

安易なストーリー展開の映画には必ず登場する、世界を制覇したがる闇の悪役がいる。
それを安易だと揶揄するなら、代案を出さなければならない。
良いオススメ代案が浮かばない。
(ちらと浮かんだが、インパクトゼロ、チープさ500%、、、恥ずかしくて書けない)

と、非脳は、ただの無駄なおしゃべり脳なのでは、、、?
と思わせるような、締まりなくダラダラが続いてしまっている。
今朝、寺のお坊さんと最終やり取りし、行事日程が決定して、やれやれと、ほっとして力んでいた力を抜くかのごとく、ぺらぺら無駄口を叩いている??

ブログ書きは、こころを鎮める朝の読経、写経の代わり。
ナムアミー。(このお経、宗派、違うかも?同じかも?共通?それも知らない、、、)

季節の変わり目に弱る、こころ

2019-08-28 | 日々のこと
2日かけて、ブログ記事を書いた。
さきほど完成したが、どこにも公開できない気持ちになって、保存、未公開にしている。
気を取り直して、新たな気持ちで一から別のものを書こう!
でもちょっと脱力状態だ。

今、少々、老人性鬱気味である。
自分の能力の低下に落ち込んでいる。
あれをしなければ、これをしなければ、、、と自分に鞭打つ。
あんたは、何にもしない、サボりだ、、、どこかから非難する声が聞こえて来るような気がする。
またまた、涙が意味もなく流れる。

やる気がない!さぼっている!
サボりなくせに、正当化しようとしている!
したくないだけでしょ?
新型鬱だなんて仮病を使って、会社に出社しないのと同じなんじゃないの?
怖い顔。
仮病でしょ?仮病!
仮病だなんて、卑怯だね!

仮病かも知れない。
だから涙が出るのか?

ライオンキングの映画、冒頭、誕生したばかりの愛くるしいベビーライオンを見るだけで涙。
ストーリーもなんにも始まってないうちから涙。
それとは別に、生後3カ月の豆柴犬の、餌を必死で食べているYouTube動画を見ただけで、またまた涙ぽろりん。
本能を包み隠しもせず、全力で、ひたむきに、ひたすら食べる子犬。

で、なんだかんだ思う、、、
あんなに暑かった夏だったのに、急に秋。
朝夕は寒いぐらいのヒンヤリ風。
目まぐるしい季節の移ろいに付いていけないのは、体ではなく、こころかも知れない。

羨ましい、、、今更、この歳で嫉妬?

2019-08-25 | 日々のこと
全く100%自分の自由時間という人はないと思うが、中にはあるかも知れない。
自由だからと、いくらすべてを自分のために使うと言っても、顔を洗ったり歯を磨いたりは、自由時間とは言え、楽しみにすることでもなんでもない。
ウォーキング然り。
楽しむというよりは自分に課している。
何もすることがなく、暇つぶしの人もいるだろうけれど。
健康になるために有意義な時間を過ごしていると満足している人もいると思うが。
四季折々の風を感じながらウォーキングするのが、なによりの楽しみという人もいると想像する。

自分で捻出すべき時間なのに、ひょっとすると、衣類を整えたりも奥様にしていただいている殿方もおられるかも知れないが、リタイアしてまでも身の回りの世話をしてもらうのは、高級サービス付老人ホームのようなものだ。
いまや高齢となった人をこき使うのは抵抗はないのか?
自分でしたくなければ、クリーニングに出すとか。
クリーニング屋に行くのが面倒ならクリーニング屋に取りに来てもらうとか、なんなりの方法はあるだろう。
意外にお金はかかるから、いくらお金があってもケチな人はかえってストレスになるかも知れないが。

自由時間のうちの、本当の自由時間は何時間ある?
時間を有効に使うと、100%自由な人よりうまく濃い時間になることがある。

あの人は自由だから何でも出来ていいよね、と妬まれる人もいる。
そうではない。
時間の使い方が上手なんだと思う。

じゃあ、時間の使い方が下手な人は?
自分軸、主体性を持たず、振り回される人だろう。
しかし、身近な他人さんで、夫の両親は早く亡くなり、自分の両親も(存命であっても、なくても)問題なく、子供も結婚し孫もいて、なんの束縛もない人を見ると羨ましくなる。
暖かい家庭があるのに、好き放題し放題。

だが、人には外側しかし見えない。
そう思うのだが、内面の充実と外側の輝かしい活躍を、両方SNSでアップする人がいる。
どこか大会社のCEOならまあよしとして、同じダンス仲間の同世代ともなると、どうもわたしは平常心が乱れる。
ざわつく。
私生活、完璧、家庭、完璧、仕事、完璧、遊び、完璧、趣味、完璧、、、
ご自分のことを謙遜されている表現も使われるが、豪華食事の写真、賑やか社交会食の写真、スタイルよいドレス姿の写真、孫の写真、優しそうなご主人の写真、、、写真を付けて、捏造ではない、リアリティを演出される。
でも顔は塗り潰し加工が施され、出さない。あたりまえか。
なんだかなー。
こんな完璧な人、いるのだろうか。
本人は疲れないのか?
じつは、完璧と思っているのは自分だけ?
でも、職場や家庭、友達付き合いのハッピー写真は毎回のように、じゃんじゃんアップされている。
まあ、そういう人もいるんだろうけれど、わたしは疑いの目を持って見ている。
彼女の関係者のうちの誰かが、別の異なった感想、評価をしていると思う。
わたしとは関係ないからどうでもよいが、はっきり言って、羨ましいのではなく、疑わしい。
どこかに無理がある。
そんなに充実しているなら、わざわざいちいち写真まで撮ってアップしなくてもよいと思う。
自己顕示欲が人並みはずれて強い人だとわたしは見ている。
て、それ、わたしがヒネくれているだけ?

話が逸れている。
自由時間は全て自由に使っているか?という話だった。
必要不可欠な雑用は仕方ないにしても、さて、自分は?

行き、帰り、電車の往復時間を使って、ここまで書いた。
電車、そろそろ帰りの下車タイム。
纏め、結論がない、だらだら文。
ああ、今日もまた。
わたし、最近、ダメですね。
文章に、脳みその不出来が如実に表れている。
夏バテか、夏の鬱か、はたまた、睡眠不足か?
人は人!というスタンス、それがわたしの信条。
それで行こう!

それにしても、今日のブログはイマイチだ。

だらだら愚痴ったけど、ハッピーエンディング

2019-08-24 | 日々のこと
わたしは、もうあかん、、、と思う。
たぶん、30年ぐらいまだ心臓は動くと予想するが、脳が、もうあかん。

ずいぶん、はやい店じまいである。
もう終わりかな、あとは、ただ、ぼんやり毎日、つつがなく、何も変化がないことを安堵し、それを喜びとするだろう。

実家を一つ一つ終い、あとは、元々のところ(企業で言えば発祥の地に本社)があるのみ。
実母は生きているだけ。姑も然り。
魂のない、抜け殻、しわしわ風船みたいだ。
(意外にこの風船、パーンと破裂どころか、張力を失い萎んでも、外側のゴムは厚くしっかり)
わたしも早々にその仲間に入りたがっている。

しかし、そういう文章って、読む人は不快だろう。
元気を吸い取られるような、見る見るうちに萎んでいくような、そんな内容のブログは、はた迷惑だ。
萎えたくて読む人、いる?

マイナスの感情は、公衆トイレにでも書き殴る?
しかし、「落書きは犯罪です。見つけ次第、警察に届け出ます」と最寄り私鉄駅の綺麗なトイレに書いてあった。
犯罪はよくない。
いかなる時も認められない。
日本も未来永劫続く治安の良さをキープしてほしいものだ。

エンディングノートの勧めをNHK、Eテレ番組「人生レシピ」で昨夜やっていた。
わたしは、すでにその境地。
ノートに書くまでもなく、毎日、(エンディングに向かって)楽しんでいる。
ただ、番組で紹介されていた賢い方々のように継承すべき立派な申し送り事項などない。
じつは、継承事項は、姑から伝え聞き、いっぱいあるのだが、めんどくさくなっている。
継承させられる人の身になってしまう。
もういいんじゃない?
うんざりしてきて、うっぷ、となる。
それが伝統?誇り?

そう思うんなら、思う人がやればいい。
誇りには中身が必要。
自分ではない人が支えてきて、自分は、ちょこんとそれにのっかり、オペレートもしないで、誇りだけ維持しようなんて、甘すぎ。
立派な出来た嫁でも来て、継承してくれたらよろしいが。
古いシキタリ、因習を踏襲している女性はエライ。

夫婦の力量は同レベルだと思う。
自分が出来ない分、片方がフォローする、協力精神に則った協働はオッケー。
だが、自分もイマイチ、相手もイマイチ。
お互いに相手のイマイチを非難し合う。
自分にフォロー能力がないという、ブーメラン効果に傷つくのが、わたしだけ、なんて腑に落ちない。
相手も傷付き反省すべき。
わたしは人格者ではないし、残された人生は、自分のために捧げる。
自分の葬式に一人も参列者がいなかろうが、わたしは知る由もない。

あの人は素晴らしい人だった、と社会奉仕した人は、亡くなった後も立派な行いを語り継がれることだろう。
残った遺族、子や孫まで、偉業は代々、耳に入り、浸透するだろう。
「人生レシピ」進行役の賀来千香子が、NHK番組「ファミリー・ヒストリー」で、立派な行いをした先祖を知り、生きる糧にしたいと目を輝かせていた。
そういうのは、賛同する。
立派な先人を誇りに思い、自分を鼓舞し、さらに磨きをかける。

先祖の偉業が終わって完結しているなら、引き継ぐ必要はないと思う。
先人の偉業の内容だけを心に刻めばよい。
と、ここ蝶ブログで愚痴るだけの情け無いわたし。

過去の人々のスピリットを受け継ぐのは、血が繋がっている人。
わたしなんぞ、明日、離婚するやも知れん。(しないが)
離婚したら、無関係。
離婚しなくても死別の場合も、姻族関係終了届けを出すと、配偶者の血縁関係者との縁が切れるそうだ。
死別離婚とも言うらしい。
死んでから相手はこの世にいないのに離婚するって、、、複雑な心境。
まあ、配偶者の親戚やらなんやら色々あるわけだ。

ちょっと横道に逸れた。
血が繋がっていないのに、婚家の行事を受け継ぐのはいかがなるものか?
養子なら、あり得る。
養子でもないのに。まあ「嫁」というもの。
「嫁」は「家の女」と書く。
家に嫁いで来た女だ。
ああ、やだやだ。
もう、そんなの、嫌なのだ。
生きている限り離婚でもしないと、家と縁を切れない。

話が逸れに逸れている。
終活の話が。
愚痴ったものの、わたしは楽しく充実の毎日を送りながらエンディングに向かっている。
イエに嫁いだ嫁というカテゴリー以外は、とてもハッピーだ。
よかったね、わたし。

夏の悪夢

2019-08-22 | 日々のこと
今朝、早く目が覚めた。
今日は孫のお弁当を作らなくていいので、もう少し睡眠を貪ろうと、気分良く2度寝した。

が、せっかく朝寝が出来るにもかかわらず、結局、お弁当作りがある日の起きる時刻より、45分ぐらい早く起きた。

で、その2度寝の短時間に夢を見た。
いつも見るアレだ。
学校を卒業してない、卒業できないストーリー。
卒業するのに履修単位が不足して、あと2カ月しかないので絶体絶命という流れ。
夢の中では、わたしは本気だった。
本当に困り果てていた。
焦り、後悔、絶望、困惑、諦め、、、いろんなものが混じっていながら、
「まだ行けるかも?」
「もう無理」
を行ったり来たりしていた。

絶対無理だとわかると、「卒業しなくてもいいじゃないか」という発想が新たに湧いてきた。
誰もわたしのことなんか知らないんだし。
卒業したからって、わたしの能力には何も変わるものはないし。
あんまり変わらないかも?なんて、絶望の淵から這い上がるための、じつにいい加減な逃げ道思考をしたりしていた。
が、99%は、真剣に嘆き困り果てていた。
残りの1%は、思考停止、苦痛回避のための自己モルヒネでも出ていたのだろう。

今更、無理だ。
学業には明らかについて行けてない。
もう、どうにも変えることがない、最大の不得意科目、絶対に超えられない難関、数学。
理解出来ないで未消化のまま、解決に向けず悪化した状態で放置を積み重ね、悪戯に日々だけが経過していた。
他の数科目も、受けるべき試験も受けず、これではいけない、これでは、、、と苦しい脂汗を流しながら、真っ白なアタマをさらに真っ白にさせていた。
そのまま、困惑と絶望は続くのだが、目が覚めて、夢だとわかっても、わたしは、現実のような気がした。
悪夢から抜けきれない。

いつもいつも、そういうものに追いかけられている。
いかにサボっているかを客観的に表さず、曖昧にしたままで来ているので、罰が怖いのだろう。
やることをやらないで締め切りの期日を迎えてしまう、試験当日の朝を迎えてしまう焦燥感にいつも駆りたてられる。

今回の夢はかなり臨場感、迫力、信憑性があり、夢とは思えなかった。
まったく何もしない自分は、もはや何も出来なくなっている。
その現実を受け入れられない、焦りを伴う葛藤か。

マイナスの自分を受け入れられないで、もがいているのだろうか。
ダメな自分と向き合えない、受け止められない。
ブログで自分は救われる場合と、救われない場合がある。
自分が自分のカウンセラーを引き受けるのには限界があるのかも知れない。

夢から覚めても、まだ悪夢が続くような気がしている。
これは、たっぷり睡眠を取ったり、休養しても、疲れが取れない状態に似ているかも。
精神的に疲れることはない、無神経でタフ、マイペースのわたしなのだが。

夏の疲れが、鬱となって現れることがあるそうだ。
状態としては、夏バテに似ているが、「夏の鬱」らしい。
気温の差が激しいことも、体調を崩す原因になっているらしい。

皆さんも気を付けてください。

協力させていただきますことよ

2019-08-22 | 日々のこと
さて、今、姑入院先からの帰りです。
しかも、病院カンファレンスの後に、ひとつ別件の予定を入れて。
さらに、帰路電車、全く座れず。
こんなにしんどいことはない。
サラリーマンのお父さんたち、仕事が終わってやれやれ、へとへと、まだ若いが見てくれや見栄も外聞もなく、一心不乱に空いた席に詰め寄るので、熟年女性(わたし)と言えど、跳ね除けられる。

帰りに途中まで一緒の電車に乗った義姉。
最近、電車で席を譲られることが多いと嘆く。
結構なことではないか。
わたしなど、譲ってもらえない。
今、席が空き、すごい勢いで座るが、次が降りる駅。
たったの一駅区間の、エアコン・リビングルーム。
疲れは100倍になる。

で、今日のカンファレンス後の義姉との話し合いを短時間した。
話し合いとまではいかない。
血が繋がった人は、センシティブ、ナイーブ。
わたしの率直な感想や受け取り方を無神経に口に出せない。
何も意見や感想は言わず、沈黙。
成り行きを見て、それでよければ、それでよし。
故意に自分から提案はしない。
墓穴を掘ったり、自分の首を絞めかねない。
帰りの電車内、義姉と、お互いの孫の話オンリー。
あえて、直面している現実には向かわない。
退院後、どういう生活になるか?
義姉は、体を壊すまで頑張るだろう。

(ここからは、朝に加筆)
義姉と夫の問題。
夫は、男である自分には直接関係なく、実践者は女性二人、義姉とわたしの問題と思っている。
夫が、そう思っている限り、わたしは、動かない。
お二人でやっていただく。

おそらく義姉ワンオペでは根をあげるだろう。
わたしにヘルプを求めてる来ると思う。
それまでは、わたしは動かない。
夫の指示では動かない。
息子である夫が動かないのに、なんで(血縁関係のない)アカの他人であるわたしが、動かにゃいかん?

とかなんとか。
動く時は動くが。あくまでも保身。
実の息子がやらないことを、なんで嫁がやらなきゃならないのか、全くわからない。
二人で助け合い、シェアしあうならともかく。
義姉の夫は参加しているか?
全く微塵も参加していない。
姑の実の息子は夫、実の娘は義姉。
フル活用して手が足りないなら協力するが、息子である夫が妻に当然の権利のごとく押しつけるなら、義姉の夫も協力すべきだ。

わたしは、ただ単に姑の世話をしたくない、と言っているのではない。
夫の考え方に賛同できないのだ。
夫は、わたしの母親の世話をしたか?
一度たりとも顔を出すこともなく関与しない。
姉の夫は実に細やかに自主的に協力してくれた。
しかし、必要以上に嫁意識に縛られているのは、わたしかも知れない。
家意識や家の宗教、宗教行事、墓、遠い遠い遠縁、端々隅々に至る親戚付き合い、、、全てに対してわたしは今、激しい反発、抵抗を感じている。
積もりに積もったものが逆噴射している。
多分、外見上はことなきを得ると思う。
見た目は、これまでのように従うだろう。
だが、内面では嵐が吹き、荒れまくっている。

姑さんと同居しているお嫁さん、本当に頭が下がる。
姑さんの(比較的に)近くに住んでいる長男夫婦のお嫁さん、ご苦労様だとこころから思う。
しかし、夫の態度、考え方で妻の協力ぶりも変わる。
当たり前のごとく、当然の権利として、妻を強制労働させる権利を行使するかのような考え方には、まったく同調できない。

正直者

2019-08-21 | 日々のこと
黄金の居眠り時間。
移動電車内。
30分も、しかも終点で降りるので、寝過ごす不安もなく、涼しい快適温度の中で、しっかりお休みタイムが確保できる、、、というのに、、、

ああ、目を閉じるのは3秒。
すぐに目を開け、また目を閉じて3秒。
10秒待てば、寝入ると思うのだが、握りしめていたスマホをおもむろに開く。
病気。
スマホ病。

ただし、わたしはゲームは一切しない。
ゲーム好きの人の気持ちが、ボクシング好きの人の気持ちぐらいわからない。
全く興味がない。
ボクシングやプロレスに至ってはあんな痛そうな殴りあいや暴力(のようなもの)は見ない、聞かない。
目をぎゅっとつぶるのみ。
血も湧かない、肉も踊らない。
まあ、好きな人もいるわけで、好みは人それぞれ。
ボクシング好きで芸術家って、いるのだろうか?
いるかも知れないが、どうでもよい。

ダンス仲間でゲームオタクがいる。
全く理解に苦しむので、理解することを放棄した。
まるまる理解できないまま、飲み込んだ。
理解できないものを理解しようというのは無理である。
その人は、配偶者もゲーム好き。
パチンコ好き夫婦みたいなものか。
類は友を呼ぶとはこのこと。
志向、嗜好が同じなら結構であり、平和な家庭を築いていただけたら、それでよい。

バイク好きな人もいる。
バイクに乗ろうと誘われるが、絶対に乗らない。
なんであんなに過酷で疲れるものに、炎天下、乗らにゃあならん?
乗りません。ずっと断っているのに、ずっと「乗ろう!」と言ってくる。
わたしが乗るわけない。

人の趣味に全く理解を示さないわたし。
わたしは、スマホでチマチマ文章を書いて憂さ晴らしするのが好きなのだ。
ものすごく鬱憤が晴れる。最高気分。

と言いながら、なんだか眠くなってきた。
考えて結論に導く局面でもないのに。
最初から寝ていたら良かった?

姑の今後、退院後の治療方針、介護、看護カンファレンスが、もうすぐ行われる。
医師、看護師、ケアマネ、介護士、地域包括支援担当者、家族などが集まり検討する。
それに出席するための、電車の中。
スマホ病でブログアップのため、目をギラつかせ入力し、居眠りしなかった。
だからって、降りる間際に眠くなる、って、どういうこと?
脳が考えたくないと、ストライキを起こしているようだ。
わたしの脳はかなり正直、素直である。

幸せは身近にある

2019-08-19 | 日々のこと
羨ましい人について考えてみた。

例えば、海外移住し、日本を離れ、楽園にソフトランディングした人。
日本の将来性を憂い、見切り発車したとか。
わたしは、日本のほうが良い。
日本のほうが好きなので、羨ましいとは思わない。
じつは、その前提に、わたしは外国語が満足に話せないため、外国在住は選択肢にないだけである。

娘に、「日本人の海外移住は既に始まっているらしいけれど、そんな動きはわたしの周りには全く感じない」と、疑問を口にすると、
「年に一度や二度しか日本を離れないような人は対象外。
日本と海外を行ったり来たりし、年の大半を海外で生活しているような人の話」らしい。
なるほど。
ライフスタイルが違う。

葉加瀬太郎一家のロンドン生活がテレビで紹介されていた。
子供たちもあちらの学校に通っているようだから、完璧バイリンガル。
羨ましいとかの範疇ではない。
奥さんは、東大卒の美人タレントであるし、もし、わたしが羨ましがっているとすると、爆笑ものだ。
元々の素質、素材、素養が違う上に、性格、能力も違いすぎる。
「来月、ロンドンの家でバーベキュー取材があるからね」なんて言われると、即、寝込むか、逃走する。
言われるわけもない、無駄で無意味なシュミレーションだが。
それ以前に、ロンドンに家などないし。

プロ野球、アメリカの大リーグで活躍するマー君の奥さんになりたいかと言えば、なりたくない。
トランプ夫人になりたいかと言えば、御免被る。
エリザベス女王になりたいか、なりたくない。
じゃあ、エリザベス女王の孫(次期王位継承者)の美人嫁になりたいか?なりたくない。

ぐっと下がって、デビ夫人になりたいか?
なりたくない。
瀬戸内寂聴には?
なりたくない。
じゃあいったい誰みたいになりたい?

親戚のおじさんの奥さんなら、多少羨ましいかも?
楽々人生。これは、姑も羨ましがっていた。
でも、おじ家族メンバーに抱える、あまり明るくない問題があるから、それもなあ、、、
全てスミからスミまで曇り一つなく、不安要素は一切なくハッピーなんていうことは、なかなかないようだ。

身近なところの人でも羨ましくはない。
ええいっ! いっそ、姑や実母は?

姑、、、全然、羨ましくない。
実母、、、少しだけわたし路線では理想的かも。
なんといっても、暗い未来を考えたり想像する頭脳がないのだから。
悪いように考えるにも考えようがない。
ぼけ勝ち。

同じ認知症でも、怖い顔の人もいる。
眉間にシワを寄せ、目が落ち込み、青白く、病的に深刻な顔をしている。
そういう人もいるのに対して、実母はいつも大きな口を開けて、ワッハッハと大笑いしている。
じつに明るい認知症である。
母みたいなのが、まだ、マシかなあと。
羨ましいとまではいかないが。

で、結局、羨ましい人はいないのか?

若い美人、有能な若い人、羨ましいか?
しかし、どれも将来を考えると今がピークかと思うと、なんだかなあ、、、もっともっと発展していくポテンシャルは秘めているのだろうけれど。

上ばかり出してみた。

下々の皆さんを例えに出しても、わたしは面白くはない。
極端な例を出すのがわたしの嗜好。
自分より下を見て安心するタイプではなく、上を見てギャップを感じて自虐スイッチを入れるのが好きのようだ。
だが、上から目線は嫌われる。


ちなみに、にわかに空が真っ黒、室内が暗くなったかと思いきや、土砂降りの雨と、雷。
映画や、アトラクションのよう。
途端に不安に思う。
わたし、怖がりなので。
やはり、日常生活が普通に行えることに最大の幸せを感じる。
突然の激しい雨、雷の出現で、いきなり理想ラインがガーンと身近に降りてきた。
空想タイムは、雨、雷で突如、中止、終了した。
わたし、単純細胞人間だ。