蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

何重も掛け持ちして、少子化を回避する策

2018-05-31 | オトコとオンナ
顧問税理士K。
ある例会で、税理とは全く違う話になった。
少子化を食い止める策を力説する。

一夫一妻制が良くないのだと。
一人の力のある男性に多数の女性。
アフリカを例に取る。
未婚の若い10代女性が望む結婚相手は、牛30頭持っている男性。
たくさんもっている男性は、たくさんの女性、子供を囲う。

女性は優秀なDNAを残そうとする。
男性の魅力は経済力だったり、運動能力だったり、戦闘能力だったり、女性が求める能力を持っている。

一人の能力が高い男性を父親にして、それぞれの女性が子供を産む。
父親は、責任をもって、それぞれの子供の養育費を支払う。
そうすれば、どんどん子供は増える、と。
キリスト教の影響色濃い、一夫一妻以外、婚外は不倫で背徳であるという道徳観を排除すべきだ、と。
どうせ恋愛感情なんか3年もすれば冷めて、次に移り、また冷めて、また移り、次々延々と繰り返す。
次々に子供が生まれる度に養育費を払い、子供を増やしていけばよい、らしい。

しかし、現実的に考えると、
男性が死んだらどうする?
多額の養育費を払ってないまま。
税理士Kは、多額の保険をかけているから分配すればいい、と言う。
誰が分ける?
実務的な仕組みは?

まだ詳細は詰めていないようだが、なにしろ、不倫を糾弾する世論がダメだそうだ。
深読みしてみると、
彼の私生活で、複数の女性をどう納得させようかと考えてのことではなかろうか。
女性たちを説得するためには、魅力ある力ある男性には、複数の女性がいてもいいではないか、と。
男女不公平になってはいけないので、魅力ある、力ある女性も複数の男性がいてもいい、と付け加えていた。
力もないくせに、不貞を働くから叩かれるのだそうだ。
力があれば、不倫は不倫ではない説を例会お開き時間が来ても延々と訴えるK税理士。

色々議論の余地はあったが、不毛と見なされ、司会者がうんざりして強制閉会と相成った。

彼自身の自己肯定、自己満足に付き合わされただけの時間となった。
わたしは面白かったけど。

ゆっくり歳を重ねて

2018-05-30 | わたし
最近、蝶ブログへのアップが減っている。
ひとつには、ホンネが書けない、いい子ぶりっ子の別SNSでのやり取りが増えている。
あちらは、コメントが続々つくので、コメント返しなどに追われる。
コメントを返し終われば、ヒマヒマ閑古鳥。
同じSNS内にお出かけして、人の日記にコメントを書き散らす。

それと、ラインが重なることがあり、移動時間の電車内で、なかなかブログに使えない。
自宅でアップすることは、近頃はそうないので、以上の理由から、蝶ブログアップが減少している。

不満がなく、毒吐きすることもない、日和続きだからだろう。
でも、ちょっと気になることがある。
子供の自立、独立。
人生のステージの一つなので、親として寂しいが仕方ないかなあと。
喜んで送り出すべきなのだろうけれど。
応援する自分と、寂しがる自己チューの自分が同居する。

話は変わるが、
仲良し親子が山で遭難し、最悪の結果が報道されていた。
涙がこぼれた。
なんと可哀想なことだろう。
残された家族の心境を考えると、いたたまれない。
人の痛みを自分のことの如く、こころ動かされるようになった。
しんみり、ゆっくり、歳を重ねている。

書くのが、好き

2018-05-27 | わたし
趣味のSNSで、ある会員さんが、楽しいと思うことを会員に寄稿を呼びかけ、皆さん、応じていた。
わたしも、途中まで書いたが放棄。
ホンネはやっぱり、こちら、わたしの自宅、蝶ブログ。
皆さんの集まる場所に一斉に公開となると、ついつい評価や人の目を意識してしまう。
毒も吐けない。
変人ぶりも暴露できない。
わたしもやはり人並みに、世間体や評価を気にするのだなあと、複雑な心境。

と、それはまあいいとして。
楽しい時はどんな時?

お気に入りのダンスをしている時。
お気に入りの人に出会え、お互いに気に入った時。
期待せずに観た映画が、意外にもすごく良かった時。
予期せぬお金が入った時。
楽しいお酒を飲んだ時。
孫たちの無邪気な姿を見た時。
未来に明るい展望を感じた時。
季節の移ろう様、自然美に触れた時。

なあんだ、世間体を気にしなくていいからここに書くって言ってるわりに、かっこつけたコトばっかりではないか。
他にもあるけど、書かない。
結局、同じか。

究極の楽しい時は、、、、書いている時・・・だったりする。
主人公は自分だから、どうにでも書ける。

近大マグロと、ナマケモノ

2018-05-24 | 暮らし
ミニコミ誌の求人広告を見る。
年齢でアウト。
ただし、おそらく、やる気やキャリアで、どうにかなる場合もある。
以前、同じバスに乗っていた人が、たぶん70歳を超えていると思うのだが、求人面接に行く前に落とされてしまう、と嘆いていた。
見るからによく働きそうなおばあさん。
私と真逆の性格、能力だろう。
じっとしてるのが嫌いなんだそうだ。
バスの中での他人同士の会話だが、声も大きいから聞く気がなくても聞こえる。

ダンスも、参加女性から「家に居てもしゃーないから」という声をよく聞く。
でもしかダンスか。
(ダンス「でも」するか、ダンス「しか」することない)
わたしは、そんなことは全然ない。
わりと家に居るのは好きである。
まるまる自由時間。
何をしても自由。
自由を謳歌している。

「退屈じゃない?」と聞かれるが、とんでもない。
すぐに時間が来てしまう。
なんにもしないことの贅沢、有り難みをこころの底から満喫している。
たんに、性格の違いだろうか。

近大のマグロのように、泳いでいないと死んでしまう魚もいれば、生きているのか死んでいるのか、置物なのか、わからないような生物もいる。
動物園で「ナマケモノ」という名前の動物を見て、これ、わたし!と思った。
前世は、蛇でもカエルでもなく、「ナマケモノ」だったに違いない。

パートに出ている、同世代の既婚女性。
偉いと思う。
前述のような求人に応募し、採用され働く。
わたしは、絶対に無理。
わたしの貴重な時間を削るなら、お金は要らない。
全く要らないわけではないが、大きな額のお金は要らない。
決して多くはないパート代にしても、たいして使わなければ、働きに行くよりお金が残る場合もある。
収入を増やさなくても、支出を抑えればよい。

わたしの(ドケチな)目から見ると、みなさん、ぱーぱーとお金を使いすぎ。
もっともっと抑えられるはずだ。
わたしがもし、姑になって嫁の家計に口出ししたとすると(息子は独身だが)、夜な夜なワラ人と五寸釘で嫁に呪われそうだ。

パートに行くための服、交際費、時間がないための既製品購入や外食による食費加算、、、時間をお金で買って、収入はプラマイゼロ。
少しお金が残っても、心身がしんどい。

※同居家族と折り合いが悪く、家に居るのが苦痛だとか、働かなければ収入がなく生活できないとか、そういう類はこの話の限りではない。

居眠りしたい時に居眠りして、お茶を飲みたい時に好きなお茶を飲み、食べたいものを食べたい時に食べる。
楽園、お花畑の世界。
どんどん天国に近づいて行っていると感じる。
もう入り口は過ぎているかも知れない。
第一ゲート、通過。

まだ平均寿命まであと残り四半世紀もあるのに、大丈夫かしら、であるが、大丈夫だろう。
自分で言うのだから本当だ。
たんなる根拠のない楽観的希望だが。

それを何もせずに時間がもったいない、というのか、はたまた至上の幸せか。
ただし、これを書いていながら眠くなって来ている。
少なくとも、安らぎはあっても、アドレナリンは放出されないようだ。

ネジが緩みすぎ、時として、はっとする自分もいる。
その時だけは瞬時、アドレナリンが出ている。
眠気とボケと安らぎと幸せが、同じテーブルに乗っている。
混在する場合もあるが、たまたま大事故やアクシデントには至っていない。

と、作文、佳境に入ってきたところで、母から電話。
ちょっと長い。
またまた何回もかかってきたらどうしよう、と思ったが、今日の母はいたって正常だった。
話の流れから、「なんにもしないのも苦痛やろ? 今日は何をしよう?と空ばっから眺めていても、しんどいだけや。
好きなことをしたいようにするのが、ええよ」と言われ、話が落ち着いた。

さすが、わたしの母だけあり、わたしと同じ考え方をしていると感心。
しかし、わたしのほうが28歳も若い。
母の今の年齢の境地を28年も早くに味わい、達しているのか。

空ばかりは見て過ごさないが、これから、わたし、ボケちゃうんじゃないかしらん?
と、ナマケモノは少し心配になる。

夫源病で、落書きゲームオーバー

2018-05-23 | 無題
西城秀樹が63歳の若さで亡くなり、同世代の男性たちは、いろいろ感想を言っていた。
「今を楽しまなければ、いつこの世を去るかわからない。
深く難しく考えずに、やりたいことを今のうちにやろう」と。

しかし、あまりやりたいことばかりやって、身体を壊して、その後、長い闘病生活を送るのも辛い。
短期中期的な目で見て、やりたいことをやるほうが安全策である。

最近、還暦を過ぎた男性たちは、団塊の世代より少し若い。
私世代、同級生世代であるが、やはり、ライフスタイルや考え方は、まちまちそれぞれだ。
そろそろ退職が目の前に迫り、定年後の生活をデザインする。
もう早々と退職している人もいる。
リタイア前夜、現役との橋渡し期間。

・・・なんか、筆が進まない。
と思ったら、同世代男性の知り合いがいないので、具体例を見ながら考察できない。
いや、しかし、、、よく考えてみると、夫の世代ではないか。
すごく至近距離に具体例があった。

が、夫は一般的ではない。
わたしも一般的ではない。
平均的な一般例としては、参考にならない。
と、ここで詰まる、、、

仕方ないから、夫を無理やりサンプルとして考察してみる。
夫がリタイアして仕事しなくなると、わたしは間違いなく夫源病。
どうも楽しくない想像は、精神衛生上、よろしくない。

今日の落書き作文は、まるでダメ。
詰まっては、一段落書き、詰まっては二段落書き。
蛇口を開けても何も出ないのに、捻り続ける。
くちゃくちゃ丸めて、ゴミ箱にポイである。

楽しませてくれて、ありがとう

2018-05-18 | 子育て
昨夜は、遅めの夕食をとる次女の横で、珍しく話した。
彼女の中高出身校の会報が送られて来ていた。
ひととおり食べ終わった次女がそれを見ながら言った。

「どの先生も、偉くなってないなあ」

勤務学校に長く居続けているだけのことで、まあ、それはよいとして。

「ひどいなあ、生徒の進学状況」

学校の特色であるスパルタ式で勝ち得た、かつての成果は、色褪せていた。
日本有数の超有名な大学は合格者数は減っているものの、それでも、合格大学は全国に散り、手堅い路線で固めてある。
派手さはないが、頑張っている、とわたしは感じた。

「あんな軍隊みたいな学校やのに、こんな結果じゃ、6年間の灰色生活、意味ないな」
と次女が言う。
と同時に、わたしは、次女に気の毒な可哀想なことをした、自責の念が溢れた。

「ごめんね、申し訳ない気持ちで、いっぱいやわ。
あんな学校に行かせてしまって」
と、ぽつりと、わたしは謝った。

「わたしは、そんなに苦痛じゃなかったよ」
と、ぼそっと言う次女の言葉に救われた思いがした。

が、わたしは、今でも、彼女の薔薇色であるはずの貴重な青春時代を真っ黒に塗り潰してしまった責任を感じている。

あのスパルタ学校を出た生徒たちは、2極に分かれている。
学業を活かした職業に就く人と、真逆の職業に就く人。
次女の学友たちは、どちらかに一方に偏らず、学業コースの人も、アンチ学業コースの人もアットランダムにいて、それぞれのコースを歩んでいる。
それはそれで、良かったようだ。
反発したり、受け入れたり、試行錯誤しながら自分の道を各自、見つけている。
今でも、お付き合いがあるようで、結婚式の招待状は、間隔は開いても、まだ途絶えることがない。
それぞれの身の丈に応じた結婚式をしていると感じて、安堵する。

わたしは子供を育てる時期はとうに過ぎた、卒業したと実感する。
あとは、この世に未練を残さないでサヨナラする日まで、しっかり楽しく幸せに生きることだ。
子育ての少し手助けし、少し楽しませてもらい、少し未来を見させてもらい、
そして、大きな夢と、大きな生きがいをもらう。
大きな夢といっても、誰が見ても輝かしい晴れ晴れした客観的な夢ではなく、子供や孫が成長し続ける姿を見させてもらうのが、過去、現在から未来につながる、わたしの中での大きな夢である。
それは、わたしにとっては、大きな生きがいとなる。

わたし自身は、この世とサヨナラする日まで、心配事も何事もなく平穏無事に、つつがなく、楽しく暮らしたい。
あくまでも、希望、理想だが。
もっと生きたいと思っている時期に、サヨナラを余儀なくされる可能性もある。
心身が下降し、やる気がなくなって、老人性鬱になるかも知れない。
が、その時々にある、わたしを面白がらせ、楽しませてくれるものと遊びながら、
流れに逆らわないで、さらりと生きることが出来たら、本望である。

お花畑で遊ぶ哲学者

2018-05-16 | 老い
私は自己チューなので、サービス精神がない。
自分が楽しくなければ、期待されたりしても、しない。
例えば、ブログ。
自分が面白がらなければ、書かない。
これは面白いネタだから、ぜひ書いてみよう、と思っても、絶対ウケるはず、とウケを狙って書くことは卒業した。

かつての記事を読むと、ウケ狙いが臭って、クサイ。
目下、他者は存在せず、自分だけを考えることにした。
と言いつつ、閲覧数は非常に気になる。
矛盾しているが、まあ、よい。
矛盾は、わたしの大親友。常時、ぴったり張り付いている。

と、この長い前置きは、いつもの悪い癖。
エンジンが温まるのに時間がかかる、スロースターターである。
じつに燃費が悪い。

ウケ狙いの「運動する、付けまつ毛」編は、後日、いつになるのかわからないが、まあ、きょうはパス。

さて、本題。
わたしの尊敬する、ある知人、年相応の老化が見られる。
この現象は、わたしの知っている、一定以上の年齢、全ての人に共通するのだが、同じ話をする。
わたしも代表選手の一人。

同じ話をされた場合、どう対応するか。
わたしは、気が弱く、お人好しで温厚な、あかんたれのため、今まで聞かなかったことにして、にこやかに、相槌を打つ。
わたしの受け入れ体勢が整っていない時は、3回目ぐらいには「前にも聞きました」と、とりあえず、伝える。
機嫌が悪い時は「何回目?」と攻撃。
ただし、これは、ごくごく近い身内にしかしない。
娘には、よく「その話、好きよね」と、優しくイヤミを言われるので、最近、わたしは、いささか無口になったかも。(自分比)

まあ、それはそれとして。
頭脳明晰、博学、研究熱心な、わたしの持っていない長所をお持ちの方が、同じ話をする。
1回ならず、2回ならず、3回ならず、4回ならず、、、。

好きな話だと、子供が繰り返し同じ本を読んでもらうのが好きなように、お気に入りの落語や講談のように、何度聞いても楽しい。
あるいは、聞く側(わたし)の記憶力、理解力が悪い場合、何度も話してもらううちに、だんだん飲み込めてくる。

が、そうでもない、日常の、いたってカンタンな話の場合は?
本人に言うべきか?
例えば、昔の手柄話だとか、輝かしい経験、おぞましい体験などは、何度も話すことで、本人のストレス発散になる。
こちらは、うん、うん、そうなんですかー、と、合間、合間に相槌を打つだけ。
だが、知り合いの誰それが、ああした、こうした、という話、何回も何回も聞くと、この人、大丈夫なんだろうか?と思ってしまう。
こんな、賢い、頭脳が売りの人なのに、頭脳が心配。
本人は気づいていないところに、老化の現実味、重さを感じる。

わたしのように、もともと、若い時から天然の場合は、ぼけても、毎日接する、ごくごく近い家族でも、発見しにくいだろう。
しかし、本人もアタマの良さを自負している、神経のとんがった人は、ちょっとでもヘンなことを言うと目立つ。
しかも、プライドが高いため、自分の自然なボケ老化は、絶対に認めない。
結構、厄介である。

この人、他の言っていることも、大丈夫?と、心配が広範囲に広がったりする。
わたしなんぞ、ちょっとマトモなことを言うと「誰からの受け売り?」と言われ、真逆のキャラ。
いつもお花畑、気楽で良いが。

と、、、、そういう、何度も何度も同じ話を賢い人から聞き、時を止めることは誰にも出来ないのだと感じた。
天然お花畑の、自己肯定付き哲学者になっている自分に、感慨深いわたしである。

わたしは、わたし

2018-05-11 | 無題
GW旅行。
なにもわたしは、GWでなくてもよい。
旅行に行きたがる夫が、その日程でなければ行けない。
GW旅行の人々はおそらく全員、同じ事情だろう。
でなければ、旅費ピークを選んでわざわざGWを選ばない。

で、わたしは居場所がない。
なぜなら、わたしはGWに旅行する人種ではないのに、夫の従属人としてついて行っているからだ。
「夫の奥さん」以外に肩書きがない。
しかし、お一人様GW旅行の女性が3人もいた。
旦那さんとは、趣味が異なるそうだ。
なるほど。このスタンス、賛同。

ずっと以前、母、妻、嫁以外に、自分の顔がないことに哀しさを覚え、仕事を始めた。
仕事で自己実現を目指した。
が、今は、自分のアイデンティティはどこにもない。
強いて言えば、趣味の分野には少しある。
しかしながら、厳密には、これは、アイデンティティとは言わないが。
そして、所詮、遊び。

まあ、いいか。
まだまだ先は長い。

おばあちゃん保育士

2018-05-09 | 日々のこと
今週は、先週のわたしの発病に引き続き、週明けから一番下の孫が発病した。
月曜日の早朝、玄関のピンポンが鳴り、娘がわたしに、「はい!」と孫を差し出した。
出勤スーツ姿の娘に抱きかかえられた、いきなりの、差し出され孫。
とりあえず、段取りが付くまで、とのこと。
手渡された瞬間、わぁ〜ん、と孫は大泣き。

我が家で孫の病児保育がスタートした。
孫は感染症にかかり、1週間は登園禁止。
久しぶりの病児保育。3人目。
それぞれ、孫は、入園当初は病気をもらってくる。
保育園は病気のデパート。
上の孫たちにも家庭内感染しないかと心配するが、保育園で流行っているなら、予防しようがない。

今朝も早朝、ピンポンの音に、寝起き髪の毛バサバサで出ると、婿の出勤スーツ姿。
抱えられた孫を「はい!」と手渡された瞬間、開けられるだけ開けた大口開けて、わあぁ〜ん。涙ポロポロ。

どっぷり、おばあちゃん保育士に専念の、この一週間である。
超手抜きのおばあちゃん保育士ではあるが、頑張らないおばあちゃんなりに、結構、疲れるのだ。

旅を終えて

2018-05-06 | 無題
旅に出るまで、半年ぐらい気になり(ただし、あまり楽しい気分ではなく)、1か月前ぐらいから落ち着きのなさが増してくる。
1週間前ぐらいからブルーに。
出発前日は、ブルーはピークに達するが、ピークから、始動に転じる。
スーツケースに詰めて用意しないと。
ただし、アタマの中の旅支度はゼロ、空白のまま。
出発当日、出発した瞬間に、旅の半分は終わった気分になる。
エネルギーが燃焼している。
どかっと疲れる。

さて。
旅から帰り、後片付け。
広げに広げた品々、物々。
洗濯物の山。
家の中もグチャグチャ。
新しい疲れの波がやってくる。

皆さん、そんなにまでして旅に出たいのか。

ちなみに、わたしは、自発的であれ、渋々であれ、旅に出て、良きにつけ、悪しきにつけ、思わぬ発見をたくさんした。
それはそれで、収穫である。
わたしの人生ポケットに、目につき次第、随所随所で詰め込んだ。
カメラのシャッターを切るかのごとく。

ブログにも10年、20年かけて、わたし流解釈をまじえ、わたしの血肉になり、発露されることだろう。
ブログネタには不自由しない。