蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

大嫌いな人に、無理やり擦り寄る

2018-10-31 | お付き合い
またまたブログ村人気記事ランキングと、アクセス数には、全く関係がない状態を実感する。
なんでだろう?
ランキングに入らない時のほうが、高アクセス数って、どうして?
説明していただきたいものである。

自分のブログのアクセス数は、デタラメではないとして、そうすると、ランキング人気記事ランキングが、根拠なく適当ということだ。
もう何十回と同じ経験をすると、自分なりの考察が打ち出される。
あまりランキングには期待していないから、どうってことはないけれど。

さてさて。
話は変わる。
出入りしている趣味SNS。
そこで、昨日の記事に書いた、わたしに寒イボを発生させてくれるお方が、今度は超高齢のお母様の訃報を日記に上げた。
しかも亡くなった当日に。
経緯や心情も。
すると、会員の皆様方が一斉にお悔やみコメントを寄せる。
あれには、わたしは不思議で仕方ない。
自分の超プライベートなこと、しかも家族の生き死にを趣味がらみSNS日記にリアルタイムで公開するなどと、わたしには考えられない。
ママ、ママ〜と幼児のごとく。
幼児の孫がいるおばあちゃんが、自分のママに涙する。
(しかも、その、おばあちゃんの産みの親である超高齢母親は、わたしの理想とする最期、幕の下ろし方)
しかし、日記を読んだ人々は次から次へと続々とコメント。
今までも、この人は、他の家族や親しい人が亡くなると、よくリアルタイムで日記にする。
これで三度目。
知らない初めての人(面識もなく、これまでやり取りもない人)からも、お悔やみコメントが寄せられていた。

わたしは絶対にコメントなどするものかと思っていたが、SNSの狭い会員の世間体にとらわれ、しばらく考えてから、少し間をおいて、わたしらしくもなく、お悔やみコメントを寄せた。
しかも、私情は一切挟まず、お悔み文の例文みたいなものをぺたっと薄っぺらげに貼り付けた。
嫌な奴に成り下がった、と自分で思った。
ほんとうに情けない。

それには、じつは事情がある。
実際に知っている人が、その趣味SNSに混じっていて、しかも、その人に大変お世話になっている。(今後も引き続き)
その人に向けた、わたしは「付き合いの悪い変人ではない」という一種の自己PRのようなものである。
参加するコミュニティでは、それなりに人付き合いもするんだよ、という協調性があることを無理して演じた。
ああ、イヤだイヤだ。
こういう自分って、すごくイヤ。
自分の保身のために、嫌なことにでも迎合している。
反骨精神は、ぐにゃりと曲げ、にやにや薄気味悪い笑いを浮かべて、お悔みコメントを付けている。

ちょっと、(スマホ画面上に)人差し指を動かせば、コメントなどいともカンタンに打てるのだから、まあいいか、と気をとり直したり。
わざわざ会場に出向いたり、電報を打ったりするわけではないのだから。

嫌だけど意に反してお悔みコメントを入れるに際して、非常にビジネスライクな、まったく選挙活動の一環の議員さんからのお悔みみたいな文体に、あえてした。

どちらにしても気分が悪い。
理想や信念を行動上、打算してすぐに曲げる、中途半端な自分への自己嫌悪。
信仰心があると踏めない神様の踏み絵を(こころの中でべーっと舌を出して)一番先に踏んで逃げるタイプ。

と言いつつ、なんだっていいのだ。
どうでもいい。
わたしがこだわるのは、そんなことではない。
平気でこころを売っても、どおってことない。
協調性がないわたしが、頑張って世間(多数派)に迎合したわけだから。
元々の反骨精神自体が、普通の人と少しズレているのかも知れない。
わたしに寒イボを出させたあの人物も、かなり変わっているのかも。
同じ穴のムジナだろうか。
変人が集う趣味SNS?!

お互い様の悪口

2018-10-30 | 無題
行きつけの趣味SNSで、気に入らないことがある。
たんに、わたしの嗜好と違うだけなんだけど。
あちらで、こんな嫌な悪口をアップすると差し障るので、ここに書く。
どちらに書いても、非公開にすればよいだけの話なのだが。
そこは、人間の業。(て、なんやねん)

これだけ前置きすれば許されるかというと、別に免罪符にもならず。
たんなる、魔除けのおまじないのお札。


で、、、。
リアルで趣味分野では顔が広く知られている人。
ハンドルネームを「○姫」とか「○○王子」とかにする人、どうなんだろう?
自分で自らよく言うなあと思う。
「平成の歌姫」とか、人がつけるならまだしも、わざわざ自分でネーミング。
まんざらジョークでもなさそうだ。
いくら素晴らしくても自分から言う時点でわたしはNG。嫌い認定。
どうしても、嫌い。

あと、自分の娘を「姫」と呼ぶ人もNG。呼ぶ人も、呼ばれる人もいい年して。
さらに、自分は孫もいる年齢で、実母のことを「ママ」と呼ぶ人。
二人だけの時ならともかく、公の場で。
あなた、何歳なの?
いつまでも若々しくていいね、なんて全く思わない。
ゾッとして、いつも寒イボが出てしまう。

そんなこと、人が読むかも知れないブログに書いてどうする?
そんなこと書く人は、NGで、誰かのブログに、「けしからん不快な人!」と書かれているかも知れない。

お互い様で、すみません。

もの思う秋、、、

2018-10-29 | 無題
わたしの父は教養至上主義。母は無教養。
母のポリシーは、
「教養があるからって、何?
そんなこと考えるヒマがあれば、働け〜」である。

馬車馬のごとく、体を酷使して意識を失うまで働くのが、母流。
父も教養もあるが、働き者でもあった。

さて、こんな親に育てられると、、、。
「何? そんなことも知らんのか。レベルが低い奴め」と父目線。
「学校で一体、何を習っているんや。何しに行ってる? 遊んでるんか? 働け〜」と母目線。

教養と労働の押し付け教育。

さらに、時間の無さ。
経済と時間は両立せず。
お金はあっても使うヒマがない父。
なので、どんどん貯まる一方。
やがて、それは一つの趣味になる。貯蓄。
とは言っても、好きにしていたようだが。

遺産を目当てに、勤勉さを欠いては意味がない。
自分の食べる分は自分で稼ぐ。
そういう方針が涼しげで良い。
もたれかからない、自立の道。

だが、大概の親は、お金をチラつかせて歓心を買おうとする。
子供に取られるだけ取られて、ほられる親もいる。
教育は、大事である。

理想ばかりでは、今日のご飯が食べられない。
働かない者、食うべからず。
これは理に適っている。
私が親から無言で教わったものだ。


勉強が出来るだけではAIに負ける。
AIに勝つ、超えるには、ブレンド力や勘の鋭さ。
天性のものではあるが。
末端の作業や、ルーティンが好きな人、得意な人も必ずいる。
彼らに、クリエイティブな能力を要求しても、お互いが不幸。
なんの能力も生産性のない人を否定したら、ボコボコに糾弾される。
真っ先に自分が否定される側になりそうだ。

生産性の定義が難しい。
日本は、土俵際で負け勝負になっている事実をあちこちニュースで垣間見る。

自分のことだけ考えて、引きこもっているのは、わたしのような人物にはちょうど良いのか?
まあ、それはそれとして、惚れ惚れする秋晴れを楽しめる、今日に感謝している。



睡眠中に今朝、見た夢

2018-10-21 | 無題
明け方、夢を見た。
舞台は、わたしが小学5年〜22歳まで住んでいた家。
家に帰ると布団に人の入っている気配。
見ると小学1〜2年の長女。(現在30代半ば)
学校を休んだこともない彼女が、なぜ、布団の中に、、、
さらによく見ると、幼稚園児の次女も布団奥深くにいた。
(なぜか、息子の姿はなかった)

どうしたのかと、あちこちの話を合わせてみると、、、
学校の方針と、長女の方針が合わないという。
エコ精神旺盛な長女は、使い捨て器具が嫌い。
しかし学校で指定されている袋?食器?は、何度も使えないもので、自分が工夫して作った、繰り返し使える物を使いたい。
が、学校がそれを認めない。
がんとして、理不尽な学校の方針が受け入れがたく、登校拒否をしているようだった。
傷つき悲しみ弱っている長女に、こころが痛んだ。
次女は、よくわからないなりに、姉に、くっついて休んでいた。

そういう夢なのだが、なぜ舞台が、今はない昔の実家なのか。
現在のエコ博士(わたしがネーミング)である長女の、いつもの厳しいエコロジー旋風、指導に巻き込まれ、わたしは結構、ヘトヘトになっていたりする。
姑の生活スタイルと正に真逆であるが、姑の無駄使いスタンスを良く思っていなかったわたしは、溜飲を下げる感覚もあるのだが。
(娘は、厳し過ぎるのが、たまにキズ。ちょうどの中間はなかなか難しい)
で、現在の、そのエコ被害者もどきの印象と、子育てに対してわたしが全力をあげて立ち向かわなかった懺悔、後悔、回顧があるのだろう。
そんな夢に、娘に対して可哀想に思い、少し涙した。


夢はよく見る。
眠りが浅いのだろう。
過ごしやすい気候になり、暑くて睡眠を妨げられることはなくなった。
過去と現在が4次元的に組み合わさった夢を見るのだが、今後、将来を暗示するものはない。
あくまでも、過去と現在。

小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、美しいお花畑の夢を見るようになれば、ちょっと近くにお迎えが来ているのか?
しかし、バリ(インドネシア)で受けたエステは、まさにそういう自然の楽園の中に、コテージがあり、夢や天国気分で、癒し空間を満喫し、極上の快適を味わった。
(日本でも、音や室内の設えが整えられた擬似空間体験をしたこともある。
エステに限らず、旅などで、実際の自然の中での天国体験を継続的にしているので、きっと夢には出てこないだろう)

知らない間に、竜宮城で陶酔した浦島太郎のように、ある日、30年の歳月の経過を思い知るのか。

夢うつつで老後まで過ごすのは、いささかもったいないか。
子供が幼稚園に上がって、自由な時間を確保できた時、興味のある講座を受けた。
が、みなさん、定年後の方ばかりで、わたしはこんなことをしている場合ではないと思った。
若いエネルギーを有効に使わねば。
で、勉学に励んだり、働きに出た。
子供を産み、幼稚園に行って、いきなり老後では、間がない。
しかし、今もそれに近い思いだ。
リタイアしていきなりあの世とこの世を彷徨うのは、ちょっと早いか。
お花畑の母の年齢まであと30年ある。
が、おそらく、あっと言う間だろう。
真っ白い髪の浦島太郎子蝶が見える。

秋の夜長に

2018-10-20 | 無題
秋はなんだかセンチになる。
じゅうぶん幸せなのに。
この幸せを維持できたら、もっと幸せ。
でも、心のどこかで隙間風が吹く。
なぜだろう?

満ち足り過ぎるのも、幸せではないのかも知れない。
少し足りないぐらいが、ちょうど良い。
あと少し、あれがああなったら、、、これがこうなったら、、、
そう願うぐらいが幸せなんだろう。

祖母が晩年、よく言っていた。
「幸せ過ぎて、はやく(あの世から)お迎えに来てほしい」と。
わたしはその頃は、まだ23歳ぐらい。
わたしは、若過ぎて、祖母がなぜ、人にこんな嫌な気になるようなことを言うのか、理解できなかった。

独りで住んでいた祖母が、祖母の長男(わたしの父)一家と同居した(引き取った)のは祖母が88歳の時。
当時、わたしは22歳。
最初、祖母は3食上げ膳下げ膳で食事が出来る幸せを大変喜んでいた。
しかし、なにもしなくてよい境遇に、徐々に、生きがいを見失い始めた。
その後、6年後に祖母は、この世を去った。大往生である。(当時としては)
わたしが嫁いで2年目の時だった。
お葬式には、生後7ヶ月の長女と列席した。
親戚の女性が、涙ながらに、大往生を讃えていた。

そもそも、わたしは最近でこそ、人間らしい暖かい感情、人情が芽生えてきたものの、子供の頃もそうだが、30年前はあまり感情がなかった。
身内が亡くなっても、割と平気だった。
なぜなら、歳を重ねると人は自然の摂理であの世に行く、と思っていたからである。
いくら、願っても、肉体は時が来れば消滅するものだと考えていた。
もっと長生きして欲しい、などとは考えず、その人、その人の亡くなる旬を迎えたのだと感じていた。
幸い、若くして亡くなった身内や親戚はいないので、皆さん、天寿を全うされたと思う。
たとえ病気が原因でも、80年近く生きたなら、それで十分だろうと思っていた。
それが父であっても、例外ではない。
むしろ、いつまで生きるんだろう?と、ある年齢を超えると不思議な気さえしていた。
こころが、冷たいのだろうか。
どこか、感情が欠落しているのだろう。

父が亡くなった時は、わたしは実家を出て16年ほど経っていた。
父とは住まいを別にして離れ離れで16年も経つと、父の存在を身近に感じることはなく、亡くなっても、しばらく何年も実感が湧かなかった。
父がもうこの世にいないことがピンと来ない、昼行灯アタマのわたしだった。
だから、別に悲しみに襲われることもなく、いたって普通だった。
今になって思うのは、父は、うまく旬の頃にこの世を去った、上手な散り際だったと感心している。
わたしも、ああなれるだろうか。

わたしは、父の遺伝子を色濃く受け継いでいると昔は思っていたが、どうもそれは、たんなるわたしの願望だったのではないかと思ったりする。
わたしは、自分が最も似て欲しくない母に、似ているような気がする。
同性だからかも知れないが、変に楽天家なところや、脳みその弱さがどうも、似通っていそうで恐ろしい。
理知的で優秀な父に似て欲しかった。
思うようには、いかないものである。

と、話は大いに脱線。
祖母の幸せ病から、話が飛んだ。

わたしも幸せ病にかかりかけていた。
一時間前の出来事、過去形である。
ブログにあれこれ、寂しさを紛らわせるために書いていると、気持ちが落ち着く。
やはり、書くことは、わたしを救ってくれる。

母も2〜3年前ぐらいはノートにびっしり書いていたが、最近はほとんど書かなくなった。
でも、少しは書いている。
わたしも書かなくなる日がやがて来るだろう。
それはそれで、また別の幸せの訪れだと思う。




イジメの思い出

2018-10-10 | 思い出
わたしの幼稚園の思い出。
同じ学年の男の子には、ブランコを漕ぎながらイジメられた。
不思議なイジメられ方だが、なにしろブランコ。
どうやってイジメられたのか、思い出せないが、なにしろ、いつも、ブランコを使ってイジメられている感はあった。
想像するに、揺らし過ぎるだの、スピードを上げるだの、ぐるぐる回されるだのではなかろうか。
まあ幼稚園児だから、ブランコは日常ツール。
(ブランコイジメのイジメっ子は医師になったはず)

小学校の時は、一学年上の男の子二人に、いつもちょっと遠くから冷かされたり、半分ちょっかいをかけられるような、かけられないような、イジメと言えるのかどうかわからないものを受けていた。
高学年になると、同級生の男の子に毎日、教室の隣の席で、イジメられた。
後に仕事を通じて再会した時は、イジワル少年は普通の常識ある大人になっていた。

おとなしい、目立たない女の子にも、わたしは一時、プチ意地悪をされていた。

中学では、可愛い人気者の女子をほんの一回だけ、イジメとは言えない程度の嫌がらせをした。
(直後に、自己嫌悪に陥ったが)
静かでおとなしい地味女子たちをスルーしていた。
アプローチされ、付き合っていた男子もいた。

どれもこれも、かわいいプチ思い出。
イジメたり、イジメられたり。
なんなんだろう?
意外に、おとなしい子がイジワルだったりする。
相手を見て、抵抗して来ず、自分より弱そうだったらイジメてくるのだろう。

といっても、かわいいものだ。
男子がイジメてくるのは、「好き」「好奇心」の裏返しで、女子の、イジメたり、イジメられたりは、「嫉妬」と、わたしは捉えている。
あるいは、子供の持つ自然なイジメてみたい欲求だろう。

3歳の孫の保育所同級生に、悪ガキがいる。
見るからに、誰が見ても悪いことを堂々とやってのける。
親の顔がみたい、と思っていたら、その子のお母さんは、あちこち、悪事の火消しに回っておられる。
すみません、ごめんなさい、と。
たいへんですね、とお母さんには笑顔で挨拶するが、そうとう悪い子供で、うちの孫に深刻な被害が及ばないかと、わたしも手を焼いている。

子供は正直で、自分の欲求に従おうとする。
が、動物と同じというわけにもいかないので、躾や教育が大事、ということになる。

わたしがイジメられるには、イジメたくなるような要素を持っているのか?
思春期以降はイジメはない。
あんまりイジメられる要素がないのかなあと。
中途半端で面白くないに違いない。
中途半端でよかった、、、のかも知れない。
成人して、社会に出てからは、悪知恵を付け、イジメられないように自己防衛した。

昔は今のイジメのように、陰湿、陰惨、悲惨ではなかったようだ。

舞い降りた蝶

2018-10-09 | 人生
ブログ村エッセイ、蝶のタイトルにつられて、泣ける話を読んだ。
読んでいるのは電車の中で今からお出かけなのに、涙で付けマツゲが落ちたらどうしよう、、、と心配したが、大丈夫のようで、ほっとした。

わたしも幼い頃、仕事をしていた母が、仕事に出ない休日は、母にまとわりついた。
ゆっくりした朝、まだ布団で寛いでいる母の背中に、よく乗っていたものだ。
鮮明に覚えている、4〜5歳頃に見た夢は、特急列車で遠くに行ってしまう母をホームで見送り涙した。
全然、電車など乗らないで遠くに行ってないのに。
その思いと、それからの思いの、このギャップがまた著しい。

人間、ただただ長生きするものではない、生きることにも旬があると感じる。
早くに母を亡くしていれば、母を慕う気持ちも増すだろうが、幸いにしてそれ以後も元気、権力全開で、鬼のようでもあり、童女のようでもある母だった。
今もピンピンしていて、相変わらず、わたしのファッションに痛烈なコメントを発する。

しかし、不思議なことに、母にとって、ある意味、末っ子のわたしは可愛い娘でもあった。(一方、賢い姉は、よくデキる自慢の娘だった)
母がスタッフの方に、「この子は、わたし(=母)に、ちっとも似てなくて、美人でしょう?」
とよく声がけして、スタッフが困っている。
が、それ以上にわたしが困っている。

スタッフも嘘でもいいから「そうですね」と一言、言えば済むものを、誰一人として、一度たりとも、頷いてくれたことがない。
美人だと思えないのだから仕方ないのだが。
正直な人ばかりで、それが、かえってわたしを傷つける。

そう言えば、高校の時、わたしが、その頃、絶世の美女だった女優の松坂慶子に似ている、と誰かが言ったらしい。
わたしがひっくり返っても似ていない、その発言だったが、いったい、誰がそんな無責任なことを言ったのだろう。
その的はずれな発言のせいで、わたしは皆んなにボロカスに言われた。
んなわけない、と。否定の声は、1000倍の大声で。
わたしは女優似発言の人物を逆恨みするかのごとく、傷ついたではないか。

それに似たような感じで、身内の身びいきで見えるものと、実際のリアル現実は違う。
どんなにブサイクでも、身内が満足していればそれでいいんだけど。

先日、母と会ったら
「あんた、なんでそんなに、ニコニコしてるん?」と笑顔で言われた。
「別にニコニコしてないよ」と事実を伝えたが、母には響かない。
母もニコニコしているし、わたしがニコニコしているとしたら、いいことなわけだから、必死で否定するのもなんだし、ほっておいた。
ひょっとして、無意識にニコニコしていたのかも?
怖い顔よりはいい。
そのうち、観音菩薩みたいな愛と慈悲に満ちた顔になればいいなあと。
目が細いから似てなくもない。
て、無理か。
おそらく煩悩から解放された時は、(今よりも増して)知性からも解き放たれ、今の母みたいになっているのだろうか。

笑顔になりたい

2018-10-02 | 老い
刹那しか覚えていない母。
兄のところにも母は度々訪れる。
兄が、ぽつりと言った。

「俺もDNAを受け継いでいるはずやから、ああなるんやな」

そう呟き、すべて忘れてしまう母を責めるでもなし。
わたしも、まったく同じ思いである。

わたしも、ああなる。
いずれ、ああなる。


家のお向かいさん。
50歳をとおに超えた独身息子とお母さん。
今日も息子の怒鳴り声が聞こえる。
かわいそうなお母さん。
認知症が出ているのだろう。
罵声に近い。ガミガミと。
かと思えば、同じ人物なのに、どこからそんな声が出るのかと思うような猫なで声。
彼の愛犬に話しかけている。
マーバラスな見目美しい小型犬である。
いつも愛しみながら散歩に連れ歩いている。
おそらく、メス犬だと想像する。
ああやって感情や愛情を分散しているのか。
愛すべき女性は、母でも妻でも恋人でも妹でもなく、ペット。
まあ、わからないでもないが。

母親の言動に耐えられないのだろう。
もう普通の脳ではない人と、毎日、生活を共にしていると大変だ。
強い意志を持たなければ、自分も壊れてしまう。

で、話を戻す。
わたしも、やがてはそうなる。
1秒1秒、近づいているような気がする。
認知症を発症している人には、人並みはずれた優秀な脳や経歴を持っている人もいる。
なので、過去や現在のIQには関係はないとすると、あんまり気にすることもないのかなあと。
自然にまかせるしかない。

母のように、いつも大きな声で笑っているのも悪くない。
一昨々日は、一心不乱に計算ドリルに取り組んでいた。
国語や算数は好きなのだろう。
その後ろ姿だけ見て、声を掛けずに帰ってきた。(事情があって)

楽しい老後は、なんにも考えずに毎日笑って暮らすことだとしたら、それも悪くないと思う。
ただし、家族に負担をかけないよう、自分の老後費用をプールしておかなければならない。

今も老後みたいなもので、あまり、わたしは、しゃかりきにならない。なれない。
いつもの日常が毎日継続して、穏やかに自然にスローダウンしていけばいいかなあと願う。
死と向かい合う恐怖も、神様からのプレゼントで軽減されることを期待する。
わたしの現在の精神年齢は、85歳、脳年齢は、5歳。
内臓や運動能力を含めた肉体年齢は、たぶん、実年齢ぐらいだろう。
それより、少し上かも?

わたしは、老人と幼児が同居するシニアである。