蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

夢がいっぱい!コルテオ!

2009-08-30 | お出かけ


仮設テントで、サーカス?!
あんまり気が乗らなかったが、流れで行った。
私は、いつもこのパターンが多い。
スロー・スターター。
予備知識ゼロ、思い込みや先入観のみ。
そして大概は、興奮のるつぼと化す。
今回のコルテオも、まさにそうだった。

大阪・中之島の、なんだかよくわからない場所に、突如現れる巨大テント。
一旦入場すると、再入場はできないという。
トイレは、あるのか?? テントって、蒸し返してない?
不安が募る。

席に着くと休憩までは移動できないらしいので、とりあえずトイレへ。
皆さん、考えることは同じ。
トイレは長蛇の、本当に長々と長蛇の列。
「コルテオ」とは、イタリア語で「行列」の意味らしいが、まさに、序盤からコルテオはスタートしてる。
こんな列では、始まるまでに、半分ぐらいの人しか、利用できないのではないかと、
諦めていたが、まあなんと、さっさ、さっさと、じゃんじゃん、はけていく。
女性用だけでも、20ぐらいあるのではないだろうか。
すべて洋式、水洗、清潔。
印象は、よい。とりあえずは、大事なことはクリアできて、よかった・・・

肝心の内容に行きつくまでに、こんなに文字数を費やしてしまった。
本当に言いたかったのは、ここからで、いままでは、ほんの前振り。
入り口にも達しない。(まさに文字通り)









なにしろ、感動、感激、素晴らしかった。
フィギアスケートや、シンクロナイズドスイミングに、
技術点以外に、芸術点をつける、という意味がよく理解できた。

最近、2度ばかり、上海で、上海雑技団のショーを見た。
主に観客は、外国人だった。
観光の目玉のひとつにもなっているのだろう。
それはそれで卓越していたが、高い技術もさることながら、テイスト&舞台スケールが全く違った。
お国柄だろうか。
舞台の大きさ、形状、演出の創意工夫も影響している。

コルテオは、カナダのシルク・ドゥ・ソレイユによるもの。
ミュージカル仕立てになっていて、ストーリー展開に、音楽に、身が踊る。
特にラテン系音楽は、脳を通り越して、BODY&SOULをじかに揺さぶるものがある。
出演者が欧州の古風な衣装を纏っていたこともあるだろうが、音響や視覚から、
私の記憶にまだ瑞々しさが残る、ロシアでのバレエ、ウィーンやパリでの演奏会、
ベトナムでの水上人形劇、日本上陸のウィーン制作ミュージカル、
あれこれ、現地で見聞きした、その地で培われた芸術ティストが、
頭の中で、次から次へと蘇ってきた。
近い将来、ボケたら頭の中でこんがらがって、整理が大変そう・・・
だが、今回は、導入時のイメージ・バリエーション・アップ効果をもたらしてくれた。

しかし、初めてのコルテオ。五感で感じた。
アクロバットをはじめとする高度な技には、溜息、惜しみない拍手、
最初から最後まで、身を乗り出したまま。
終盤あたりになると、自分が時の権力者(チンギス・ハーンか、クフ王か、アレキサンダー大王か、
はたまたナポレオンか、エカチェリーナ2世か、秀吉か)になった図が頭に浮かんだ。
「殿、いかがでしょう? 世界中から、ツワモノ美集団を集めましたが」
と家来に耳元でささやかれているような、しびれ。
「あう、おう、見事じゃ!」
脳内アドレナリンは、MAXに到達していた。

3000席、幅約17m、高さ12mの巨大な絵画のカーテン。
劇場を横断する32mのステージ、それを挟む対面式の客席は、
音響や、舞台美術の視覚効果と相まって、
今まで見たことのない、エキサイティングな究極の空間を生み出していた。
エンターテイメントというには、あまりにも高い芸術性。
人間業とは思えないような、テクニックを超えたスリリングな動きに、息つく暇もない。
バランスのとれた肉体美、機能美、躍動美、その鍛錬の蓄積、緊張の連続に、
本当に感動した。
掌が痛くなるほど拍手をした。

小難しい論評を書かれる批評家や、一般の目の肥えた方々からの酷評もあるようだが、
私は、少々の難点には目をつぶる。
楽しかったことをことさらクローズアップして、脳裏に焼き付ける。
単純で、なんでもかんでも感激する、脳に響くジャッジ点数が低いのかも知れないが、
それも、神様からのプレゼントだと思っている。
いくら、お偉い諸センセイ方のように、いろんなコトをよく知った上で論評したところで、
こういうのは、楽しんだモノの勝ち。
一期一会の瞬間を、プラス・モードで感じ取る。
一般大衆民の強み。

生きててよかった。
大阪のあんなところまで、ホイホイ足を運べる自分が嬉しかった。
元気で、いよう。
また、ワクワクする楽しいことに出会えますように・・・
天国へ行く時のために準備している荷物の中に、
グッズショップで購入したコルテオのクリア・ファイルをそっと忍ばせた。


友だちの定義

2009-08-28 | わたし
一緒に遊ぶ友だち
お稽古仲間の友だち
職場関連の友だち
ご近所の友だち
気の合う知人
趣味関連の友だち
ママ友
学友
戦友

いろいろ、ある。
広い意味でとらえると、友だちが多い人は、
広く浅く、あっさりした関わりが多いのだろう。
何人も心の奥底から関わることのできる人って、そう、いないから。
一緒に遊ぶ友だちも、単に遊ぶだけなのか、
それとも心を通わせて、それで、ついでに遊びも一緒なのか。
当人のことを思って、ずばりアドバイスしてくれるのが、友だちだと思う。
(時には、価値観を押しつける人がいて、鬱陶しいが)
うわべだけの、チャラチャラは、それはそれで、割り切ればいいのかも。

傷口をなめ合ったり、お互いを褒め合ったり、正当化し合ったり、それもタマにはいいが、
理想としては、刺激を受け合う人、高め合う人が、友人であってほしい。
尊敬すべきところがある人、お互いにないものを持っている人、そういう人だといい。
ただただ、暇をつぶし合う、心の隙間を埋め合うのは、いかがなるものか。
寂しいから、一人でいるよりはマシだから、とツルむのは、せいぜい中・高学生までだろう。

私の友人は、みなさん、暇を持て余していないので、遊んだり、お稽古したり
行動を共にすることは、ほとんどない。
数年に1回、会うぐらい?
多い人でも1年に数回。

べたべた、ぞろぞろ、ぺちゃくちゃと、延々長時間、行動を共にするのは苦手。
時間が、もったいないと感じる。
エッセンスだけで、いい。
(討論、談義、作戦会議、検討会、意見&情報交換などは、好きだけれど)

一人行動が多い私は、買い物や、遊びは、ひとりでやってしまう。
忙しい面々とスケジュールを合わせるのが大変だからだ。
実は、単に、面倒くさいだけなんだけれど。
自分を出すのが不得意な私は、ひとり遊びが、結構お気に入りだということもある。
旅行は、一人旅は未経験なのだが、足腰が丈夫な間に、ぜひトライしてみたい。
(方向音痴なので、絶望的ではあるものの・・・)


いわゆる、狭義の「サロネーゼ」に、身震いしてしまう、ワタシ。
お金の匂いがプンプンする集団は、後ずさりしてしまう。
実姉も、そうらしい。
彼女は、若い頃、近所で、茶道のお稽古を受けたが、
そこが、まあ、自分の特権や金持ちぶりを誇示する、吐き気がするほど厭~なムードだったそうだ。
即、辞めていた。

育った環境のせいもあるのだろう。
生活レベルや外的要素よりも、真に、本人の資質と触れ合いたいと願う。

まあ、今は、「お金持ちの○○夫人」だけでは、あまり、人を惹きつけない。
本人自らにエネルギーや能力、行動力、影響力がないと、魅力がない。
そもそも私はセレブなどとは程遠いが、自分だけの力を表現したくて、仕事をし始めた。
自分が稼いだお金でもないのに、それを自慢のネタにする人、私は恥ずかしいと思う。
気付かないで、そうする人がいるとすると、ちょっと哀しいなあ・・・
でも、それが、その人の生きる芯、核となって、人生の目的みたいに形成されていたら
そのために、必死で努力しているのなら、
(たとえ、努力の方向性が自分とは違っていると感じても)
今更、全面否定するような、そんな失礼なこと、あえてしたくない。
自分の道に信念を持って、ひた進む姿は、妙に説得力があったりする。
(それが反道徳的なことやアウトローなことだったら、言語道断だけれど)

社会は、共存共栄。
今度の選挙、民意はどう出るか?
あまり期待はしていないけれど・・・
みんなが、お互いを重んじられるような、社会になるといいなあ・・・




美しき調べ

2009-08-27 | わたし
家電店で、パソコンの近くに、電子ピアノが展示してあった。
とても美しい、うっとりする音色を奏でている。
プロのピアニストも、いらないのではないかと思うほどだ。

サンプルとして、演奏していたピアノは、展示されていた中で、一番高価なものだった。
高価すぎるので、手が出ないから、買おうか、どうしようか、と、悩みのツボに落っこちなくてよかったが。
どこかの国で保護された、記憶喪失の若い男性ピアニストが、いたっけ。
あの人が、実は透明人間になって、奏でているのか???
そんなわけはないだろうけれど、
ケアハウスか、老人ホームの個室で、ひとり、うっとりピアノに聴き入る自分を想像した。
膝の上には、電子猫をのせて、頭をナデナデしながら・・・

私も、ほんのすこぉし、ピアノは弾けるのだが、
余裕が出てきたら、みっちり練習しよう、なんて思っていたが、その気が失せた。
あんな美しい音色を聴かせてくれるピアノがあるなら、あれを買えばいいんだ。
そうやって、易きに流れ、指の運動を怠り、またひとつ、ボケに近づいていくのだろううか。

あ、それと、電子辞書。
これは、とってもスグレモノだ。
一番のお気に入りは、ネイティブスピーカーの発音付き!!
「脳内パリ」にも大層役立つだろうと、興味津津。
使いこなせるかどうかは、別として。
なんだか、ワクワクしてしまう。
ただ今、パンフレットを熟読中。
結構それだけで、遊べるから不思議だ。

私の頭の中は、いたって単純な造りになっているようで、退屈することを知らない・・・・


HACHI

2009-08-25 | 映画
もともと動物モノは、あまり気が進まなかった。
でも、まあ、流れというか、とりあえず、観た。

あきません・・・
すっかり、やられてしまった・・・
柴犬って、なんであんなにカワイイの??
(ちなみに、秋田犬の子犬は成長が早く、ナイーブなため、子犬時代の撮影は柴犬で代用だとか)
大人になった秋田犬も、いい演技、名シーンの数々。
表情や、しぐさ、きゅんきゅん、きてしまう。

リチャードギア演じる、飼い主の大学教授。
ファッション、とても素敵。
リタイア前後の男性たちに、いいお手本になると思う。
ストーリー途中のどの段階で、死ぬのだろう、と想像しながら、
もう、そろそろ。。。このあたりか。。。そう思うだけで、涙のフライング。
まだ死んでもいないのに、先取り涙、、、、気が早い。

住まい、暮らし、ライフスタイル、家族、愛情、仕事・・・理想が詰まっていた。
まるで、映画のようだった。(・・・・)
夫婦愛や家族愛、私はひねくれ者なので、光のあたる部分だけ表現してあると思ったが、
今回は目をつぶろう。
主役はHACHIなので、人間界のオドロオドロシイことは、いくらお利口な秋田犬と言えど、
ワンちゃんには理解しがたいだろうし。
もしHACHIが人間だったとしても、
主人の死を理解できないのではなく、理解しようとしないのではないだろうか。
あえて、自らがツライ現実を受け入れない生き方を通すのも、いいかも。
自分にもそういうところがある、愚直な姿に胸を打たれる。
好きなものは、好き。
忘れたくないものは、忘れたくない。
ダメなものは、ダメ、忘れるべきことは、とっとと忘れ、
忘れたくないことは、自分の心に、しまっておく。
いつまでも、いつまでも、それを心の支えに生きて行くのも、いいじゃない?と思う。

またまた、老化現象を実感することになった。
涙腺は、完全に壊れている。
修理しようもないほどの、手のつけようのない涙腺の破壊ぶりだが、
末長く付き合っていく覚悟をした。

ひねくれ者ほど、情が深いのかしらん?
動物嫌いのはずなのに、涙もろい、別人の私を発見した。


ついに!ようこそ、我が家へ!

2009-08-24 | 趣味
夜、6時半を過ぎてから、そそくさと近くの大型家電量販店へ行った。
ずらり並ぶパソコンを前に、あれこれ、ほんの少し悩んで、どれがいいか、わからなく
面倒臭くなって、営業時間も終了間近となり、もう適当に選んだ。
だからなのか、最初の印象は、あまり良くない。
お見合いで言えば、第一印象の見かけが良くない。
使い勝手も、ヘン。
モニターは横に細長~く、色も薄いような感じがして、見た目がしっくりこない。
第一、パソコン自体の外見も、色、形ともに、デザインがあまり好きではない。

でも、あれこれ迷って、今週も買えなくなると、行き詰まりの一週間が待っていそうで、
勢いに任せて、必要に迫られて、買った。

婚活で袋小路に迷い込んでいる独身の方々、
結婚もこういう緊迫背景があれば、すぐ決まるようです・・・。

自宅に帰りついたのが、夜8時過ぎ。
それから、ちょちょいのちょい、と、線をつなぐ(のを横で応援し)、やっとスタート。
デジカメの写真をCDに焼いたり、すったもんだと取り組んだ。
まだ、慣れないけれど、多少気に入らないかんじではあるけれど、まあ、ないよりマシ。
そんなこと言ってたら、パソコンにストライキされたら困る。

お願いです。パソコン様。我が家に縁あって来たのだから、
どうか末長く、おつきあい、お願いしますね。
病気になったり、早死にしないよう、
あんまりメタボ・メニューは詰め込まないように、努力いたします。
ふつつか者ですが、どうぞよろしく、ね。
そして、なるべく深夜強制労働は、控えます。
と言いつつ、こんな時間に・・・。
今宵は、ウエルカム・パーティということで、大目に見てくださいませ。

脳内パリ

2009-08-22 | 脳内パリ

パリに、暮らす図を描いている。
とりあえず、2週間。
完全に脳内パリ。

パリでの毎日をブログで報告するためには、小さいノートパソコンも必要かななあ・・・と。
生きているパソコンもないのに、
もう、アタマの中では、パリのアパルトマンかホテルで、私は、ブログに日ごとのパリ散策を綴っている。
フランス語も東西南北もわからない、地図も読めないのに、
脳内の私はアクティブだ。
若くない日本人女性が、パリのどこかで保護されたと、
小さな地方紙に載っているかも、と、リアリティを追加。
ボケても、ボケなくても、私は、現実と、非現実が、紙一重だ。
まだらボケになっても、本格ボケになっても、
私の回りの人は誰一人、異変に気づいてくれないだろう。

楽しいパリ。
美術館、カフェ、ショッピング、散策、・・・いつまでも、どこまでも、自在に遊べる。
寝たきりになっても、アタマの中では、パリで遊ぶ私がいる。

暑さでアタマがおかしくなる前に
それより、はやくパソコン、買おうっと。


アセ、アセ

2009-08-19 | わたし
仕事、あれこれ忙しくて、ブログタイムはカット。
心残りだが、しかたない。
携帯電話でも、作業できるようだが、チマチマ、めちゃめちゃ面倒くさい。
んでもって、本日は、ブログ新規投稿は、諦めることにします。(とか言って、アップしている・・・)

諦めてなかったら、じゃあ、いったい何を綴る気だったのか、定かではありませんが・・・・。
テーマも、浮かぶものも何もないのに、やたら切迫感だけが追っかけてくる。

さきほど事務所に別件で来て、今、帰った、コンピュータ修理専門家に、修理を打診した。
一度、あれこれトライしてみて
(よくわからないが、購入したときに付いていたCDを入れ直してみてください、とのこと?)
うまく行かなかったら、連絡することになった。
出張費と修理費をかけてまで、修理する価値があるのか、我が家のold昇天パソコン。
まあ、とりあえず、祈祷師だか、漢方薬だか、劇薬だか知らないが、
やってみて、ダメなら次善策を練ろう。

あああ、こんなことやってないで、仕事も、ちゃんとしないといけない、、、ですね。



お盆。セ・シ・ボン!

2009-08-17 | 
お盆が、明けた。
やっと、だ。

パソコン依存症の禁断症状が出ないかと心配したが、
仏様も、赴任先に散っていた家族メンバーも、
みんな一堂に、出生ルーツの家(今は義母が守る家)に帰省し、いつもになく、にぎわった。
いかにもお盆らしい、お盆だった。
忙しいけれど、それなりに、充実した時を過ごした。
そう感じたのは、この年になって、はじめてのことかも知れない。
お線香の香り、じわっと深く、後をひく、品のいい残り香の余韻も楽しめる。
我ながら、つくづく日本人だなあ、と、香りとともに、全身で感じる。
仏壇外のユリをはじめとする、色とりどりの花々の甘い香りと混じり、小さな陶酔感に浸る。
鈴の音も、静寂のなかに、可憐なアクセントとなり、小気味よく心に響く。

毎年、162~165年前に何代か前の当主が購入した、いたってシンプルな朱漆塗りのお膳やお椀に、
長年の決まりきったメニューを配し、お供えする。
私が仏様になったら、こんな食事では,栄養失調になりかねないけれど、
昔の仏様たちに、あまりモダンなものをお供えすると、お腹がびっくりして、食あたりでもされたら困るし、
いつものごとく、無難な昔からの定番モノをお供えした。

何百年も同じ、おもしろくないメニューに、仏様も、うんざりだろうが、
一族、親戚もみんな同じメニューなので、
まあ、食べ飽きようが、食が進まなかろうが、気にせず、せっせ、せっせと行事をこなした。

実は、私は、お経は読めないので、義母任せだ。
お墓に仏様たちを送りに行っても、
「あん!」と頭をコクンと一瞬縦に下げて、両手を合わせるだけで、お経は、一切ナシ。
仏壇にお経の本があるので、チラと見ると、わかりやすそうにも見えた。
そのうち、唱える(予定だ)。
去年は、義母と、読経の件で、ちょっぴり口論したが、
今年は、あんまり酷暑ではなく体調が良かったせいか、雪解けムード。なぜか仲良しだ。
なんでも、かんでも、その場で無理矢理、結論を急がなくてもいい事項もあるということだ。
叔父夫婦が遠方から、お参りに来てくれた。
ついでに、この夏訪れたという、パリへの個人旅行の日々の話を聞く。
(どうでもいいことだが、私の行ったことのない場所が2カ所あった。)
分家した人々も、現在の家族も、それぞれ、離れてく暮らすが、それぞれに自活して生きてくれ、嬉しい限りだ。

パソコンにかじりつく幸せの代わりに、みんなに尽くす幸せをかみしめて、昨日、我が家に帰って来た。




お盆が終わり、仏様も、家族たちも、それぞれ、元の落ち着き先に無事戻り、
本日からは、また平常モードとなる。
しかし、うちのパソコンは脳死のままで、平常に戻ったとは言えないが、
不便ながら、一日もはやく、新しいパソコン購入の日を目指して、とりあえすは、頑張ろうっと。

安息の日々、いえ、絶望の日々

2009-08-10 | 趣味
家のパソコン、前々から、声なき声をあげていた。
デジカメの写真をCDに焼くとき、データをそのまんまにしていて、削除していなかったので
パソコンの中身はパンパンになっていた。
そのSOSのシグナルを読み取れなかった。(薄々気づきながら、ほっていた)
パソコン共同利用者(家族)から、「今に壊れるよ」と脅されていたが、ついに、その時が来たようだ。

カスタマーセンターに電話をかけようとするが、なかなか生身の声にはつながらない。
むなしく録音音声が続き、そのうち、ブチっと切れる。
カスタマーセンターの人員を削減しすぎだ。
本気で対応する気はあるのか?
仕事の合間に、事務所のパソコンで、製品ホームページからアクセスしたりしたが、
壊れパソコンは古い機種のようで、どうも虫の息っぽい。

あれこれ、家族による検査、診察、診断によると、ウンともスンとも反応がないので、絶望的だそうだ。
私の切なる祈りもむなしく、全治どころか、脳死状態。
ご臨終一歩手前だ。
あとは、静かにコンセントを引き抜き、新しいパソコンと交換するばかりかと思っているが、
長年のおつきあい、苦楽をともにしてきたんだもの、まだ生きているような気がして、
(実のところ、諦めきれていないので、買いに行くエネルギーがまだ蓄積されていないのだが)、
とりあえずは、時間制限アリの、事務所パソコンのお助けに頼るしかない。
しかしまあ、とても不便だ。
日常生活においては、パソコン依存症に陥っていると痛感している。
その反面、パソコンにかじりつかない、解き放たれた健全なフリータイムを過ごすことができたとも言える。

とは言うものの、調べものも、臨時で仕方なく、携帯電話を利用。
日頃、インターネットは携帯電話を利用しない私は、パケット料金、課金が気になって仕方がない。
一昨日、参加した同窓会のことも綴りたいし、あれこれ、イライラが募っている。
お盆開けまで、パソコンなし???
禁断症状に耐えられるのか・・・今のところ,自信がない。
どこかのネットカフェにふらふらと出没しているかも知れない。(近くにないから、無理ですが)



絵画は『聖母被昇天』。

無芸は、身を助けない???

2009-08-05 | わたし
勉学はほとんどダメ。
小学校では、先生のお気に入りの優等生ばかりが学級委員を務めていたが、
最後の最後、6年生の3学期、なぜか私はクラスの副委員長に選ばれた。

今の民主党のように、長年続いた保守政治に嫌気がさした民衆が、とりあえず流れを変えようという精神なのか、
はたまた、単に、最後の期間ぐらいは、おふざけは許される、と息の詰まる優等生支配体制にヤケを起こしたのか、
それとも、究極の陰惨な弱いものイジメで、オロオロする、困った私の顔を見たいのか、
それは知らないが、なにしろ投票で選ばれてしまった。
その時の委員長は、・・・誰だっけ?? ああ、ちゃんと覚えてない、いい加減な記憶。
隣のクラスの委員長はT君。(彼は、優等生だが、やや穴馬的人材)
卒業式は、2人で答辞を読んだ。
卒業記念写真集にバッチリ載っているのだが、いったい誰がそんな事実を覚えていようか・・・・
後に、華々しい展開は全くない私の経歴で、たった、それだけが、輝かしい(イジメの?)経歴だとは・・・
自分で公表するしか、知ってもらえる手だてはないなんて・・・微妙に寂しいけど、まあ、いい。
とにかく、ちょっとヘンな子供だったようだ。

勉学の代わりにスポーツや芸事が秀でているのなら、話の落としどころとして、きちんと納まるのだが、神様は,意地悪だ。
代わりに別の才能をプレゼントなんてことはなく、私は、運動神経はよくなく、手先もこれまた不器用だった。
スポーツやお稽古事は、かじっては止め、かじっては止め、の繰り返しだった。
が、そのなかで、ダンスは忘れたころに、カタチを変えて、再チャレンジした。
小学校→バレエ、20代→ジャズダンス、30代→エアロビックス、人生後半→社交ダンス

とは言うものの、相変わらず、底辺を這いずり回っている感はある。
せっかくやる気になったというのに、もうはや、停滞中。躍進感、ゼロ。
まあ、ぼちぼち、いきます。