蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

毎日、落ち着かない

2021-08-31 | 日々のこと
ここのところ、魂、入らず。
紙で製本された日記帳は数週間に渡り白紙が続き、埋めて行く気がしない。
思い出そうにも思い出せない。
何してたっけ?
何、食べたっけ?

うーむと腕組みして考えるにも、次の時間が迫ってきて中途半端。
コーヒーを飲むにも、コーヒーは優雅な時間を楽しむためのもので、コーヒーブレイクは休憩やアタマの切り替えに一役買う、、、にもかかわらず、コーヒーをすごい勢いで、あと何分と呪文を唱えるかのごとく、飲んでいるのがコーヒーなのか何なのか、よくわからないまま流し込んでいる。

地に足が着いていない。
1週間間隔で続く2大イベントの、一つは終了。
数日後に控えるあと一つが終われば、コーヒーの味は戻るだろう。
だが、来月末まではまだまだフワフワした落ち着かない状態が続く。

今年の夏はコロナ2年目もあったが、暑いばかりでバタバタした夏の割に、なかなか時間が進まない。
もうずいぶん時が経ったように思うが、まだほんの少ししか経っていない。
時計の魔法にかけられたような感じ。

1日1日が済めば、クリアして終了。
次の日も、その次の日も。
何をしていたのだろう?
何をすれば良い?

時間に追われているがアクセクするばかりで充実感はない。
砂を噛むよう、、、って、別の意味があるのかも知れないが、わたし的には今の気分がそれ。
はやく落ち着きたい。

ついでに加えると、、、
失くしたミニタオルハンカチは全部見つかったが、今度はフットカバー(靴下)がナイ。
直近に履いたものが、2足続けて行方不明。
一難去ってまた一難。もういやだー。


落ち着けば落ち着いたで退屈するのだろうけれど。
生協の発注品の配達日には冷蔵庫がぱんぱん満杯でうんざりするが、徐々に減って冷蔵庫内が明るくなってくると、またうんざりするように。

毎日、ポンプのように、プシュッと圧力をかけて押して動きが生まれ、静まりかえった頃にまたプシュッと押して動き出す。
スムーズな滑らかな流れるような動きにならないものか。

プシュッこそ、人生の節目節目の面白さか。
面白がる余裕はなく、早くイベント、終わってほしい、、、。

ちなみに、私信、追加です。
祐さん、ブログ続けてくださいね。

ボランティアするには未熟

2021-08-27 | ブログ
ほんの一年前に書いた自分のブログ記事。
どなたかが、引っ張り出してお読みになった形跡あり。
恐る恐る読んだ。
大いにウケた。
画像もバッチリ!!
わたし的には完璧な出来。
オチも素晴らしい。
当たり前だ、自分で書いているのだから。

無農薬で自分の畑で育てる作物を自分レシピ、自分が作った釜、皿で食すようなかんじ。
これを自己満足という。
自己完結ともいう。

自分を喜ばせる自分。
書いている時はさほど何も思わずに書いているのに、時が経過して自分をこんなに楽しませるとは、予想も期待もしていなかった。
だからといって、家族や同人誌に載せて見てもらおうという気はない。
ブログ村のエッセイ部門だけで十分すぎるぐらい十分だ。
お釣りが来るぐらい。チャリ〜ン。


話は変わるが、わたしは遠い将来に、傾聴ボランティアをしたいと思っている。
ただし、業者の見積もり書のように有効期限つき。
この1か月ぐらい?
断言はしない主義。

傾聴は仏教の修行のひとつで、相手の話を否定せずに無になって、こころの耳で聴くことだとか。
ふんふんと、聴いていないのに聴いているフリは良くない。
意見を言ったりアドバイスも良くない。
そういうのをやりたいが、おそらくフラストレーションがすごく溜まり、傾聴ボランティアの人にではなく、有料傾聴プロに、有ること無いこと、こころの全てを吐き出して聴いてもらうことになりそうだ。
(ホステスさんが接客ストレスをホストクラブで発散するかのように。
マッサージ師がマッサージして溜まった筋肉疲労をマッサージやエステで解すように)
あるいは、漏らしてはいけない守秘義務を守らず、ブログや色んなところに書きまくる、どうしようもない展開になる可能性もなくもない。
それなら、そんな人騒がせなボランティアはせず、大人しく自分のブログを書いているのが良さそうだ。
読んでくださる皆さんは、明らかに傾聴ボランティアをしていただいている。
すみませんねーーー。

これ、前にも書いたがまた何度も書きそうだ。
その時は知らん顔してスルーしてください。
きっと二重に徳を積まれることだと思います。

て、相変わらずの、わたし。

やりたくないよー

2021-08-25 | 日々のこと
いつもお尻に火がついているわたし。
いつの日からか、お尻は不燃物で出来ているようだ。
焦げているのに、燃えない。

さて、今日もお焦げのお尻が、もやもやと煙を燻らせている。
まだお尻を上げないわたし。
お尻を燻らせているイベントは、3日後と11日後に迫っている。
・・・・・

小学3年の孫のことを言えない。
彼はやればほんの数分で出来る宿題をやらない。
いろんな知恵や策略まで使って宿題義務を回避しようとする。
知恵や策略はまるでまるまる子供らしい、幼稚な、誰にでも見破られるような、浅はかを絵に描いたようようなもの。
ほんの一瞬のタスク(宿題)から逃れるための、刹那的策略。
何が何でも宿題をしたくない小3孫と、宿題をさせようという親のバトルが繰り広げられる。

小3孫、我が家の椅子に張り付いたまま、離れようとしないで、無理矢理引き剥がされたり。
家族全員で外食に行く時に連れて行かないよ、とペナルティを提示されても、一人家に残って立て篭もったり。
何しろ嫌なのだ。
能力がないわけではなく、やればほんの数分。
やりたくない抵抗力は、半端ない。
数日にも及ぶ。
ああ、まるでわたしを見ているようだ。

わたしの場合は、抵抗期間は数年だったり、数十年だったり。
歳を重ねているだけタチが悪い。
今回は1週間。

そういうわけで、ギリギリまで「やりたくない病」に悩まされている。
ちょっと、ささっとすれば、ほんの一瞬で終わるのに、、、。
ああ、小3孫と同じ。

そう言いながら今日もずるずると期限直前まで粘っている。。。


カッコイイひと!!

2021-08-24 | 日々のこと
舘ひろし。
超絶カッコいい。
ただし、そう思い始めたのは昨日から。
NHKテレビ番組「ファミリーヒストリー」を観た。
舘ひろしだった。
放映スタートには間に合わなかった。
夏休みのチビスケたちを預かっていたため、彼らを帰した後、見始めた時間が遅くなった。

以前は大して好きではなかった。
若い頃は、全然好きではなかった。
石原軍団の影に隠れて、ただちょっとへんにカッコつけてる、なんにもしない人がいるなあ、ぐらいにしか思わなかった。
芸当がない。
確かに長身でスタイルが良く、ニヒルでクールなイメージではあったが。
ただそれだけ。
カッコや見かけに拘らないわたしには響かない。
というか、むしろ逆差別に近いものがある。
カッコ以外に何かある?的な。

で、あまり好きではないカテゴリーに入っていたが、近年、カッコよくない役柄を演じたりして、見かけとギャップがある演技や人間味に、おやと感じるようになった。
歳がいっても、ああいうふうになりたい、と思うようになった。

現在健在の舘ひろしのお母さん、わたしの実母より1歳上、姑より2歳上。
まあしっかりしておられる。
衰えるのは歳のせいばかりには出来ないと思った。
そりゃあ、多少のVTR編集はあるだろうけれど、かくしゃくとしておられる。
そして、親ごころが痛いほどよくわかる。

ちなみに、舘ひろし。
お父さんはよくモテたらしい。
舘ひろしは、高校時代のラグビー?部の元キャプテンが言っていたが、周りに人が集まるような魅力を持っていたとのこと。
女の子だけにモテるいわゆる軟派系ではなく、同性、男性に人気がある。
石原軍団の先輩たちは、こう言っていた。
舘ひろしには華がある、と。

男性が男性に感じる華って、どんなのだろう。
とても興味がある。
キャーキャーのジャニーズ系ではないはず。
想像すると、寡黙だったり、ウケを狙わなかったり、滲み出るものがあったり、、、??
若い当時のわたしには、理解できなかったが、歳を重ねると、チャラチャラしない渋みは魅力的に映る。
自分も歳を取ったせいで、若いだけの魅力と、そうでない魅力の識別が出来るようになったのだろうか?
たんなる好みの変化か?

しかしなあ、、、
見かけ、ルックスも重要な要素だ。
と、若い頃と逆のことを言うわたし。
なぜなら、、、
舘ひろしの髪の毛!70歳を過ぎてもあのヘア!!
あのスタイル!!体格!!
顔なんぞ、どこかに行ってしまう、全体のトータルバランス。
やはり、身体、スタイルには気をつけよう。
メタボもさることながら、猫背やガニ股にならないよう、筋肉を鍛えると良さそう。
鍛えても病気の場合は仕方ないとしても、適度な運動とバランスのとれた食生活は健康的な身体を維持するには不可欠要素。

見かけが元々良い人も、そこそこの人も、普通の人も、それなりの人も、全然の人も、、、
自分のために、がんばろー。




親なのに、、、親だから、、、

2021-08-22 | 人生
ここのところ、ひんやり涼しくなったり、また暑さがぶり返したり、、、。
気温が上がったり下がったり、、、こころ模様のようだ。

気持ちが落ち着かない。
子供たちも、各々それぞれの人生の分岐点に差し掛かり、わたしは身近にいるだけに、悩みや迷いが直に伝わり、他人事のように対岸から応援するだけにはいかないような直火状態。
自分の愛する人々を身近に置いておきたいエゴとの闘いでもある。
とっくに親から自立している彼らであるが、あえて谷底に落とすには勇気が要る。
落とさずに、崖の上にテントを用意したい気分。
あるいは、崖の隙間に見える洞窟の入り口があるのではないかと、必死で探したりするが、そんなものは見当たらない。
というか、子供たちのリスク危機管理能力のほうが高いので、親の出る幕はない。
むしろ、黙って何も言わず少し離れたところから見守るしかない。
自分自身のことは楽天家でノーテンキ、無神経なのだが、自分ではないことだけに、こころが痛い。
自分は無力なりに、そっと無事を祈っている。

しかし、オロオロするわたしより、当の本人たちのほうがずっと冷静で思慮深い。
強いなあ、、、いや、強くならざるを得ないのだろう。

こころに重いものが載ったまま、今日も1日1日が進んで行く。



枯れたいけれど、、、

2021-08-21 | 人生
裕さん、ブログ記事の感想をありがとうございます。
共感していただける方は数少ないと思っているので、静かに滲みる。
地方を離れ、日本を離れ、俯瞰的に見ると見えるものも変わってくると想像する。
だが、日本を離れる時期、年齢にも大きく左右されるように感じる。

わたしは、足だけ土着民。
アタマやカラダは、びゅ〜んと伸びて、幽体離脱するものの、足は絶対に地に着いたまま。
不完全幽体離脱、イメージ的幽体離脱、幽体離脱シュミレーションに過ぎない。
本当に両足を地面から離してジャンプしていない。
離したとしても瞬間的に即、着地する。
ぽ〜んと、遠くに飛んで行かない。
三段跳びや走り高跳びみたいには、ならないのかも?
でも、一歩ずつ、確実に着実に、蟻か亀のごとく進んでいる。
終着先はあの世なので、あまり急いでもねえ、、、。
進度に従って移り変わる周りの風景をゆっくり味わい、楽しみたい。
これが老後というものだろうか。

その割にはまだ動きがある。
枯れていない。
男性も女性も、枯れたら潤いがなくなる。
枯れる時はあの世の直前で良いと考える。
枯れていないと、あの世が受け付けてくれない。
枯れてないのにあの世に行くのは、ものすごい逆噴射エネルギーが必要だ。
わたしはエコ主義なので、あまりエネルギーを使いたくない。
エネルギーをいかに使わないかということに、全エネルギーを総出で排出している。
風力発電か、帆船みたいなものか。
エネルギーは、風。
風力。
風まかせ。

だが、最悪の事態に陥らないだけの回避策は準備しておかなければならない。
最低限のリスク回避のためのエネルギーは確保。
お取り置きしておかないと、火事場の馬鹿力が出ない。

とかなんとか言いながら、毎日、驚くことや悩むことがいっぱい。
枯れてない、まだまだ枯れられない。

死んだり生まれたり

2021-08-19 | 
お尻に火が点きだしてきた。
あれこれ、一度に同時多発スケジュール。
日頃、サボっていることもあり、重なると、あわあわ、ジタバタ。
大事な家族の生き死にと、それに関わる行事が一度に押し寄せてきた。
人数的には、1人マイナス(死去/去年)、
3人プラス(結婚&出産/去年と今年)、新娘婿を含め家族が増えた。
さらに一周忌までに同時リフォーム。
忙しい、、、。

去年、今年で、いただくのは、結婚お祝い、出産お祝い、香典、初盆お供え、一周忌お供え。
お返しするのは、結婚内祝い、出産内祝い、満中陰志、初盆粗供養、一周忌粗供養。
金一封に品物も。
お金は嵩張らないが、品物は山と積まれるとため息が出る。
しかも食品だと賞味期限が追いかけてくる。
これを日本式冠婚葬祭の「交際」というらしいが、わたしは、うんざりしている。
香典はいただかない旨を示して辞退したものの、郵送してくださる方や、遠路遥々お持ちいただく方や、親戚間での生前からの約束ごとやら、一斉に一律お断りもなかなか難しい面がある。
香典が辞退なら、供花で、という近年パターンもあり、お花がずらずら並ぶ。
供花も値段は色々で、決してお安くない。
頂いたたら、知らん顔するわけにもいかないし、お返しを、、、という流れになり、至ってややこしい。
常識や節度ある「お付き合い」という、目に見えなさそうで目に見える、社会的忖度のようなものに縛られる。

お葬式も家族葬が増え、お墓も樹木葬など、新しいかたちのものが出てきている昨今。
価値観や概念も変わりつつある。
が、ころっと従来のものを切り捨て、新しいものに移るには、ある程度の時間がかかる。
移行期。
都会の先っぽと、奥まった田舎、革新と保守では温度が違う。
わたしは、田舎(夫の実家)と旧ニュータウン(行政計画のもと、人工的に造成された地区→我々核家族の自宅)の両方に、両足で立っていたが、今は、軸足は旧ニュータウン、田舎は片足をちょこんと乗せて立っている。
核分裂した我々の自宅から、また娘たちが核分裂し、それぞれの家を持っている。
この先、孫たちも、どんどん核分裂していく。
地方に実家を持つ後継ぎたちは、空き家となった実家を維持できず、取り壊して更地にしたりしている家をちらほら見かける。
解体費用はばかにならず、負の遺産だと相続側は嘆いているが、放置するわけにもいかず、泣く泣く責任を全うするかたちになっている。
人流のない閉ざされた地域で更地になった土地に、新しく流入して来る住民はいない。
減少、縮小するのみ。
人の動きがない地域は衰退する一方。

田舎では冠婚葬祭は続いているが、新しい核家族の家では土着地域の付き合いはない。
親戚の繋がりはどこへ行こうが続くものの、地域の近隣のお付き合いは途切れる。
親戚も近い血縁関係の家だけに絞られてくる。

うちの場合、田舎は家屋を残すので、リセットされず、親戚付き合いは続きそうだ。
今後は、夫に自分の実家関係のお付き合いをしてもらう。
自分の実家は自分で継続、守ってもらう。
イエ意識が崩壊している現在では、よほどの旧式なところは別だろうけれど、嫁は嫁としての役割、義務に束縛されなくてよい、と、姑舅がいなくなったわたしは考えている。
夫にきょうだいがいるならまた違うだろうが、きょうだいは嫁いだ義姉ひとりだけ。
実家には口出しはしない。
実家からもらうばかりで、お金は出さないから当然だ。

舅のきょうだいたちは、それぞれ独立し、出自の実家は次の代になり、直接の柱を失ったおじ、おば一家は疎遠になっていくだろう。
未来に向けての展開に軸足を移すことになる。
子供、孫、、、。
時系列は順々に時と共に過去からスライドされていく。
過去を遡る親戚、先祖はピアノ線のごとく細く強く一本だけ残ればよいと考える。
物証もさることながら、家屋やモノが語る過去から現在に至る推移を、こころの中で自然なかたちで培っていけばよい。



男同士の情報交換

2021-08-15 | 日々のこと
この季節、息もぜーぜー。
お盆。
今年は姑の初盆でもあり、また、一周忌を来月初旬に迎えるため、間隔が迫り、焦る。
初盆のお供えをしていただいた人に、一周忌までにお返し(粗供養)をしなければならない。
初盆にも一周忌にも両方お供えをしてくれる人もいるので、お返しをしないまま、次のお供えをいただくことになり、ぼやぼやできない。

しかし、なんで、こういう制度なんだろう。
仏教のしきたり?
お坊さんは、来月は一周忌の後には彼岸にもまたやって来る。
毎月、毎月、、、。
初盆のお参りに来てくれた義姉に、ちょっとボヤくと、
「あら、うちは(例年)毎月、お坊さんが来るわよ」と義姉さん。

そこへもってきて、夫の実家はリフォーム中。
お盆までにはだいたいメドが立つとのことだったが、仏間にエアコンは元のように作動したものの、一周忌までに完成するのか、あやしい。
キッチンは使えないし、モノはいっぱい片付かない状態で、あれこれ不便。
そんな家にお盆前日に、泊まった。

わたしは、夫が泊まったリフォーム中の母屋ではなく、別棟で寝た。
やれトイレの電気が点けっぱなしだの、ひんやり涼しいのにエアコン付けっぱなしだの、テレビ大音量だの、夫と居ると、自宅で居る時と全く同じクレーム。
どこへ行っても文句を言われる夫が気の毒であるし、さらに、不平を言ってばかりのわたしが、嫌なヤツになる。
やはり、常に別の空間に居るのが良さそうだ。
生活環境の好みは、水と油。

別棟にいると、テレビの音もエアコン状況も、電気点けっぱなしも、まったく気にならない。
どこへ行っても別々に居るのが幸せの秘訣だなんて、ちょっと悲劇だけど、まあ絵に描いたような幸せを得るためには、絵に描けないような不幸も同胞する。
パーフェクトはあり得ない。

家が複数あったり、部屋がいくつもあったりしない人のほうが多いかも知れない。
その時は、空間ではなく、時間を分けるとよい。
時間差生活。
いろんな工夫をして、明るい生活を手に入れる。
どちらも両方、家から出られない状況の場合は、、、脳内を変換する。
どこかの神経を切る。
新たに脳内モルヒネが生み出されるかも?

苦は楽の種。
ちなみに、孫たちとの、日本語諺カルタ、惨敗続きのばあちゃん(わたし)。
最近は4歳孫にも出し抜かれる。
これぞ、「千里の道も一歩から」の逆流バージョン。
積み上げるのではなく、千里の道も一歩ずつ後退。
最後はゼロ!
案外、気持ちいいかも。

と、話は相変わらず逸れる。
今日はまたまた単身で夫は彼の実家へ。
夫のいとこが初盆のお供えに来てくれたが、彼も同じ境遇。
他県にある離れた自宅には出産里帰りの娘さんが滞在し、旦那さん(いとこ)は旦那さんの実家のお盆祀りごとへ任命された。
「高齢出産で、上の子、幼児連れ、里帰り滞在中の家では、狭いし、男は役に立たないし、カサ高いから、あんた、行ってきて、と追い出されました」と、いとこは笑いながら言っていた。
奥さんからお盆お供えメニューのレシピを渡され、その通りに作り、写真をLINEで送るところまでやって完了。
「証拠を見せないといけないから、手抜き出来ません〜」と、いとこは嘆いておられた。
男性2人、フリーズドライのお供えメニュー既製品商品、どこで手に入るかの情報交換をしていた。
うちは、お供え、わたしが嫁に来た時からすでに行われていた従来の決まり事はあるが、好きなように、と手を放して自由主義に。
お疲れ様〜。


失くすものは時間だけではない

2021-08-11 | 日々のこと
さて、今日もブログ更新。
閲覧数が幾らであろうが、上ろうが下がろうがお構い無し。
とは言うものの、ぜいぜい、顎出し。

スマホを忘れて、バス停から一旦自宅に戻った。
無駄な時間は20分、歩数はバス停から自宅への往復プラス片道で2500歩プラス。
「人生は無駄で出来ている」というわたしのセオリーを実践した。
ただし、結果的に。
極力、無駄は避けたい。それが理想だが。
「人生は矛盾との闘いである」

今日、バッグをいつものものと交換したら、一つずつ忘れ物。
入れ忘れ、移し忘れ。
あ、化粧ポーチ忘れた。
あ、メガネ忘れた。
スマホ忘れた。

優先順位を付けると、わたしの場合、第一位はスマホ。
スマホが無ければ酸素無し。
ただただスマホを取りに帰るだけで20分も費やすからには、次のバス時間まで少し余った自宅での待ち時間を他のこともついでにしようと試みた。

お化粧があまりにも雑すぎ。
ちょこっと補強。
目が、特に。ちょっと手を入れる。
持ち物も、充電器や通帳をプラスした。
意味ないが、ついでに。
そうやって隙間時間を埋めていて、次のバスに間に合わないのはよくあること。
なので、5分で完了できる絶妙な中途半端な行動が望まれる。
で、無事、次のバスに乗れた。
2回目、バスに向かう時、バッグの中から意外なものを発見した。
先日、使いはじめたその日に失くしたハンカチ!
出てきた。
こんにちは。

しかし、あまりにも早く失くした自分に驚き、失望し、さらに次の手を打ったわたしは、失くした次の日からハンカチをたくさん買った。
買いすぎるぐらいに。
次の失くす時期に備えよう。
が、次から次へと失くしたものが出てきそうな、悪い予感がする。
戦争未亡人と思われた女性が再婚した後、夫が戦地から生還してきたようなもの?
タイミングが悪い。人生のすれ違い。
ハンカチは100円のものしか買わないと、こころに誓ったあの日は、ごくごく最近のこと。
戦争未亡人よりはずっとアタマもこころも軽いが。

ちなみに、昨日、楽しいことがあった。
書こうと思ったが、時間切れ。
力尽きた。





追われる1週間

2021-08-10 | 暮らし
今日は台風のため、無駄足。
出かける前から無駄足、出かけてからも無駄足。
つまり、時間と労力とお金を無駄にしたということ。
出かけようか出かけまいか、朝から悩み、半日悩み、やっと勇気を振り絞って出かけたら、なんと台風で全てがアウト。
やっとたどり着いた目的会場は閉鎖。あちゃー。
帰りの電車の復旧を待つ間に、出先の大型スーパーで、食糧品を買ったが、、、出先のため、家まで遠く、重い。
くたびれもうけ。
まあそんな日もある。

帰路電車のホーム出入り口の手すりにぶら下げた、食糧品をぱんぱんに詰め込んだエコバッグを忘れて帰らないことを自分に祈るのみ。
信頼おけない自分だが、信じなければ、食糧品を駅のホームに置き去りにすることになる。
よほどのアクシデントでもない限り、エコバッグの持ち手を手すりから外すのを忘れないはず。


それにしても、食糧調達係は疲れる。
常に食糧を調達しなければならない。
主婦って、大変なんだなあと、今頃になって思う。
次女が母乳育児で日に大量の母乳を創り出すものだから、その母乳創りのための食糧が必要。
蒸気機関車の石炭。
燃料は、車ならガソリンか電気だが、そんなにスマートに供給される感はない。
えっちらほっちら、供給係も汗をかく。

次女は結構、食べるのである。
さらにめんどくさいことに、出来合い既製品お惣菜が苦手。
栄養バランスも重視し、野菜も欲する。
夫だけなら、買ってきたお惣菜で済ませられるのに。
わたしは外出すると、いつもいつも両手に食糧品が詰まったエコバッグ。
生協個別宅配も今月からスタート。
自分が食べるのは楽々だが、人に食べさせるのは、しんどい〜。
同居家族、もう一人一人は大人なんだから、個人個人が好きなものを手に入れて食べてくれたら楽なんだけどなあ、、、
そして、エンゲル係数うなぎのぼり。

フライパンも一度にたくさん調理するため、溢れ出て不便で、大型の中華鍋を奥から引っ張り出してきた。
中華鍋なら対応容量は十分で料理しやすくなって、やれやれ。
かつて、子供3人が10代食べ盛りで、毎日お弁当だった頃を思い出した。
あの頃は、週に一度、スーパーに買い物に行くと一回一万円を下らなかった。
子供に運搬は手伝ってもらっていた。
スーパーのカゴ二つ山盛り。
あの頃はマイカー移動だったから、まだマシだったが。

今も購入量は似たようなもの。
当時、買い物直後は冷蔵庫がいっぱいで暗く、ため息が出ていたが、だんだん少なくなると、またため息が出ていた。
満杯でも、がら〜んでも、ため息。
食糧調達に追われていた。
子供たちもそれぞれ独立し、年寄り二人の、冷蔵庫スカスカ状態でいい調子だったのだが、、、。

ミルク製造機のミルクタンクが現れただけで、一気に食糧事情が変わった。
彼女は今はまだベビーが産まれたばかりで買い物に出ないので、買い物が分担できない。
そこへ、小学生チーム孫の夏休み引き受けホームステイ。
昼も夜も、となると、なんやらかんやら食べ物が要る。
そこへ大人のパパママが加わると、、、
わたしの少ない料理レパートリーに、見栄も入って頑張る。
たいしたことはないけれど。


生協の食糧品が届いて、冷蔵庫はギッシリになった。
またまた減らす苦しい1週間。
それの繰り返し。
苦しいうちがハナか。
楽になるときは、お花畑が近づいているときか。
どっちもgoodかな、と。
なんでもいいのだ。