蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、花咲く時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

夢を見ました。

2011-03-31 | 無題

今朝、とある方の夢を見た。
その方は、一度ちらりと、大勢集まっている会のなかで、
遠くから母と話しておられる姿をお見かけしただけで、お顔はほとんど忘れてしまった方。
母が受講していたイギリス式紅茶レッスン?のクラスメート、Mさん。

年齢は、わたしより、5~7歳ぐらいはお若い。(あくまでも推定)
とても熱心に講義のノートをとられ、母はちゃっかり、そのノートのコピーを頂戴したようだ。

その方が、gooのブログを持っておられて、わたしも影響を受けて、同じgooでブログを開設した。
かれこれ、もう4年以上前になる。

その方の夢をなぜ、今頃、突然、見たのだろう。

夢では、その方のお宅にお邪魔して、とても感激している、わたし。
お顔は、以前に、ちらりとお見かけしたイメージとは、違っていた。
もともとが、ちらり、も、あやふや、ぼんやり、夢はさらに、想像の世界なので、不確か。

お宅の様子は、永年、ブログを通して、よく知っているのだが、
夢の中で訪れたお宅は、ブログとはまたテイストが違う、さらにスケールの大きな、
どっしりした大邸宅だった。
お子さんは、成人した娘さんと息子さんのはずなのに、
夢の中では、小学生の男の子が二人。

お宅は、阪神間にある国道の車道の上の坂をほんの少しだけ上がった、高台に立つ、
駅から近い至便な場所にあった。

核家族ではなく、いろんな縁者の方と暮らしておられた。
わたしが、無理やり押しかけた格好になっていたが、露骨にイヤな顔はされず、
家の中を案内してくださった。
でも、歓迎されているわけでもないのは、よくわかった。

なぜかわたしは、どんくさく、手土産のひとつも持たずにお邪魔していた。
一方的に感激して、お昼ごはんの時間にはなってはいけない、と、昼前に、引き上げた。

お宅の中の様子を今も鮮明に覚えている。
広い、和風の重厚なお宅で、手入れが行き届いていた。
賢婦人の鑑のようなお姑さんが、凛としておられた。
その人の下で、Mさんは、実によく働いておられた。

お舅さんの、きょうだいやら、お嫁にいっていない、おばさんやら、いろんな方が暮らしていた。
息子さんたちは、明るく元気に遊んでいた。

なせ、あんな夢を見たのだろう。

わたしは、Mさんのことは、ブログを通してしか存じない。
リアルは、とても知っているとは言えない程度のもの。
実在する人、ということぐらいしか、わかっていない。

夢の中での、浮ついたところがない、しっかりしたMさんを見て、
思っていたイメージとはまた別の面を知ったようで、じーんときた。

ひょっとして、あの家は、わたしの理想郷なのか・・・???
終の棲家なのか・・・???

一見、ぱっと見イメージは、ちゃらちゃらして、茶らけていても、
実際は、どーんと腰を据えて、地道な努力を重ねて、毎日の暮らしを磨き、積み重ねていく。

自分だけのことを追求するのではなく、
老若男女、親戚・地縁者、いろんな人と、協調しながら、生きていくべきという、
自分に対するメッセージなのかなあ・・・


Mさん、特別出演、ありがとうございました。
小学生の男の子たちも、友情出演、ありがとね。(どこの子か、知らんけど)
年配の男性も、Mさんにくっついて離れない年配の女性も、誰か知らないけれど、
わたしの夢への、脇役出演、ご苦労様でした。

かんじんの、大黒柱の姿(Mさんのご主人役)は、ほんの、ちらとしか見えなかった。
ほんわかしたような、そんなかんじだったかなあ・・・
きっと、女性の目線で見た夢なんだろう。

 

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ゴールは、どこに。

2011-03-30 | 人生

比較的、時間の余裕があるときは、なぜ、アタマに何も浮かんでこないんだろう。
いま、せっかくのブログ更新のチャンス。
時間は、そこそこあるというのに。
肝心の、書きたいことが、ない。

ひとのブログをのぞく。
よほど時間に制限がない時以外は(つまり、時間制限がある時は)、
あまり、おベンキョ—系のブログは読まない。
ヨーロッパ王室のコレクションのオークションを紹介したものなどを、なんの関係もなく見た。
それは、以前に、わたしがブックマークしていて、すっかり忘れていたもの。

この、わたしのブログ、gooさんに無料で使わせていただいているのだが、
時々、文字種類(ひらがな、カタカナ、英字、数字)の変換が出来なくなる。
うちのパソコンが悪いのでしょうが、その時の緊急処置法として、
別のベージに飛んで行って、また戻ってくると、どうにか変換できる。
これは、わたしが試行錯誤して得た、苦肉の策。

で、関係ないところに、いきなり急に飛んで行って、自分のブログに戻ってくるわけだが、
たまたま飛んで行ったところから、また別の興味が発生し、関連のことを調べたり、と、
どんどん関係ない方向へと、逸れていく。

やっと自分のブログに戻って来た頃には、残り時間が少なくなってきている。
で、あたふた、あまり考えないで、テキトーに文字を打つ・・・
といった悪循環。
いけませんね~。

実はふと、アタマをよぎったことがあるのだが、文字にするのは躊躇(ためら)われる。
そういうときは、知らないフリをする。
自分を騙す。
ちょっと胸がイタイことだったりすると、益々、その傾向にある。
ほじくって、えぐって、書きこんでも、イタイだけ。


そういえば、先一昨日、27日、日曜日の夜、
3年B組、金八先生のファイナル、卒業ドラマがあった。
なんだか知らないけれど、視聴率が最も高かったらしいシーン、
歴代の卒業生の名前を読んでいくところ、・・・・・涙、涙、涙。
金八先生をリアルタイムで見ていたわけでもないのに、
わたしって、ばかみたい。

くちゅくちゅに丸めた、ティッシュが、ひとつ増え、二つ増え・・・
涙とハナが止まらない。

金八先生が、自分の卒業式をしてもらうに当たって、あいさつ(答辞)をする。
そのなかで、「今日は、私の卒業式で、それはゴールですが、
皆さんにとっては、今日がスタートです」
そう言っていた。

わたしも、ある一区切りを越え、卒業したのだろうか。
でも、ゴールではない。
生きているうちに、ゴールはない。
ゴールは、この世に未練がなくなる時。

ゴールを迎えていないのに、
道、途中で、無理やりゴールに押し込められる、無念な思いをしている方々も多くいる。

ゴールは、目標であって、終着点ではない。
ゴールは、それで終わりではなく、次のステップへの第一歩。
目指したいけれど、最終ゴールは目指したくない。

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トップ画像は、
ヴァン クリーフ&アーペル(Van Cleef & Arpels)が1942年に制作したバレリーナ クリップ。
クリスティーズのオークション(2009年)で、422,500ドル(約3,496万円)で落札されたとか。

まったく関係ない話で、すみません。

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気持ちは、わからなくもないけれど。

2011-03-29 | 

4月から、はるか遠い地に赴任が決まっている、日頃は離れて暮らしている息子が、

役所の手続きをするために、昨夜、帰って来た。

我が家で、一泊した。

夫は、首を長くして息子の帰りを待ちわびる。

日頃は、テレビザッピング、大音量なのに、テレビもつけず、

食事をしながら待っている間に、酔いがまわってきたようだ。

息子の顔を見ることができた頃は、イスから、ずり落ちんばかり。

(いつもは、、即、瞬く間に床暖房フロアーに転げ落ちる)

息子が自宅に到着して、しばらくして、酔いが醒めたものの、

嬉しくてしかたがないくせに、日頃は滅多に触らないiPadをいじくる。

一言も話さず、黙々といじっているので、

息子の食事が終わった後、息子とわたしは、先に寝室に引っ込むと、

後を追うようにして、夫は消灯してリビングを後にした。

結局、息子と夫、二人は言葉を交わさずじまい。

 

夫は、息子に、自分の近くで働いてほしがっている。

明日にでも。

なので、一日一日、待ち焦れ、息子の帰りを待つ。

(ああ、息子、まだまだ若いのに、社会に出て、まだほとんど経ってないのに、かわいそう。窮屈~)

自分だって、若い頃、帰って来てほしがる親に背を向け、好きな遠方の地で働いていたくせに、

そういう過去をすっかり忘れている。

なんでこうも、きれいさっぱり、自分のしたことは忘れるのだろう。

 

ちょっとやそっとでは帰って来れない遠方の地を、赴任先に選んだ息子。

わたしは、その気持ちがよくわかる。

親孝行すぎるのも考えもの。

親の目の届かない地で、自由に、のびのび活躍してほしい。

我々は、まだ現役なんだから、若い人の手助けは、別に今のところ、要らないのだから。

 

女性陣は、あれこれ、いやがられても、おかまいなしに質問したり、よくしゃべるのに、なぜ、こうも違うのだろう。

言葉よりも、なによりも、元気な顔を見るだけで、満足なんだろう。

それにしても、愛想なし。

昔のタイプのオヤジなんですかねぇ。

 

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迷子の迷子の、雑種ちゃん。

2011-03-28 | 華のスロー人

わたしのブログ。

自分が書きたいことを自分目線で書いている。

ほんの少し、ほんのたま~に、おもしろい時もあるようだが、
「あら、わたしもそう」という共感は、なかなか感じていただけないようだ。

わたしが、ちょっと変人であること、サービス精神がないこと、自分に正直すぎること、
考えに偏りがあること、目線に優しさ、温かさがないこと、周りを気にしないこと、
脇の甘さ、・・・
そういったことを自覚している。
ひと言でいえば、「ユニーク」。

生まれつきの性格、性質と、育った環境、努力放棄、開き直りのせいだろう。
さらに表現方法が、誇張したり、卑下したり、上げたり、下げたり、アップダウンの幅が大きいため、
ウソ臭さ、胡散臭さや、演出っぽさがハナにつくだろう。

自分も含めて、斬ってしまうので、
時には、世の中の大半のひとをも斬ってしまいかねないし、
逆に、ほとんどのひとを、称賛しているかも知れない。

自分がそうだからといって、他のひともそうだ、とは限らない。


さらに、いちばんの問題は、自分目線の設定が、「どーだかねー目線」だということ。
自分の理想ばかりが高くて、実体が追いついていない。
その追いついていない自分を嘆く。
世の中の多くの人、現象は、ひょっとして、わたしの描く理想に追いついていないのかも知れない。
頑張っているひとや、報われないひとを、自分ともども、否定してしまっているのかも知れない。
お茶らけで、いっしょに笑い飛ばしているかも知れない。

読む人は、「また、出来もしないことを理想に掲げては、嘆いている」と思うかも知れない。
スローさん、あなたは、衣食住足りて、心身ともに不自由なく、恵まれているじゃない、と。

それを取るに足らぬことで、文字数ばかりを増やし、読むにはヒマつぶしになるけれど、
賛同するには、あほらしすぎて、年のわりに未熟過ぎて、やってられん、と。

とまあ、そういうかんじかなあ・・・と自己分析しております。


もともとブログは、自分のために、自分との対話のためにやっているので、
他のブロガ―さんと比べること自体が、わたしの目的とは外れている。

自分本位に、なんでも吐き出せばいいものでもない、とも思っている。
でも、、胸のつかえが取れて、すごくスッキリするのも事実。
この、詰まっているものが取れて、また流れ出す爽快感は、他のものには、なかなか代えがたい。


原点に帰って、ブログを書ける楽しみを味わい、
読んでくださる方がおられることに対して、謙虚にならないといけない。

欲を張ると、「感謝」のこころが薄れる。
上を見ず、下を見ず、横も見ず、ナナメも見ず・・・ああ、どこを見ればいいの?

とにもかくにも、
自分を見失わず、迷子にならないよう、楽しいブログ・タイムを過ごしたい。

 

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ある、休日の過ごし方。

2011-03-27 | 脳内パリ

ここのところ、わたしのブログは、偏っている。
偏食気味の幼稚園児のよう。
とても中途半端だ。

昨日は、テレビもまったくつけず、
一日中、FMで音楽を流しながら、パリのガイドブックを読んでいた。
いったい、いつ行く?
行くことなんか、一生、できないんじゃないの?

物理的に行こうと思えば、行ける。
手続きをして、飛行機に乗って、体を移動させればいい。
だが、精神面がついていかない。
100%、いや300%自信がない。

団体ツアーにおひとり様参加なら、行けないこともない。
(足を引っ張って、迷惑は、かけるだろうけれど)
わたしが行きたいのは、ひとりで!!だ。

幼稚園児か、小学校低学年の子が、遠くのおじいちゃんの家に、電車を乗り継いで辿り着く、
ああいうかんじ。
お母さんに電車に乗せてもらい、到着駅では、おじいちゃん、おばあちゃんが待っている、
リュックを背負った、不安だけど、頬を紅潮させ、緊張している、ちっちゃい子。
それが、ちょっと、太めで、弛みかけで、若々しさのない、へんにオドオドしたおばちゃんに、変わっただけ。
あんまり、可愛くは、ないな~。
フレッシュさという意味では、ひょっとして、発酵したテイストに変換されてるのかも。
チーズやヨーグルト、納豆、・・・発酵食品は、おいしいものもあるが、
賞味期限はとっくに過ぎ、消費期限もアウトになっているが、まだ食べられないこともない、
といったところか。
(ただし、お腹をこわすリスクつき。気合いで食べる)

と、延々、前置きをするわたし。
だから、いつまで経っても、本を眺めるだけなのだ。

細かい、拡大された地図を、じーーーっと見る。
それも、長時間。
200メートル単位の地図。
グーグルでストリートビューはまだ見ていないが、それもなあ・・・(見るかも知れないけれど)

フランス語がわからないから不安。
生まれつきの方向オンチも致命傷。
それより、持って生まれた、ドンくささ。これは、どうにもならない。
でも、わかりやすい場所のホテルに泊って、まっすぐ道を歩くだけのコースをとれば、
どうにかなるんじゃないか?
わからなくなれば、タクシーに乗って、ホテルに帰ってきたらいいんじゃないか?
目が見えない人が、はじめての地に、介添え人なしで、歩くようなかんじ。
旅の現地アテンダントの人に、サポート依頼もしてみたものの、
日程をお知らせする段階になって、尻込みしてストップしたまんま放置している。


娘と5年前に行ったけれど、娘は初めての地なのに、
すいすい、たいして地図も見ず、街なかの目的の場所に辿り着いたし、
地下鉄にもちゃんと乗れた。
なんで、わたしには、それが出来ないんだろう?
地図の読めない女性って、ほんとうにわたしのこと。
小学校低学年の時に、授業で初めて「東西南北の概念」を習ったが、
ちんぷんかんぷんで、理解できなかった。
(それが、おベンキョ—のつまずきの第一歩。それ以来、理科は・・・・・ああ、思い出したくない)
その問題傾向は、いまだに解消されず。

娘と一日中、パリを歩き回って疲れたけれど。
帰りは、ホテルがわからなくなって、夜遅くまで歩き続け、
何時になっても到着するまで歩くという娘だったが、
昼間ならまだしも、時間も時間だったので、わたしが無理やりタクシーを呼びとめた。

年に2回、更新される、旅行会社のパンフレットをじーーーっと見て、どのホテル、どの日程にしよう・・・
と、考えるものの、半年はあっという間に過ぎ、また、次の向こう半年後のパンフレットを手に入れる。
そして、じーーーっと見て、また半年が過ぎる。
これの繰り返し。

これって、鉄道の時刻表だけながめて、旅している気になっているマニアと、きっと同じ。
行けないと、ほっとしたり。
実際、行くと決めたら、ほんとうに行くことになったら、辛そう。

地図でフリーズしているだけで、行きたいところの下調べは、ほとんど出来てないし、
イメージばかりふくらませて、肝心の実際の行動準備が整ってない。
ガイドブックも、「読む」というよりは、「眺める」。
理解したり、アタマにたたみ込むのではなく、
脳に、じわっと麻痺効果のある物質を送りこんでいるだけ。
わたしは、「転ばぬ先の杖」的な下準備、予習ができない、
ぶっつけ本番、当たって砕けろタイプなので、(実践でほんとうに、いつも砕けている)
ほとほと、いつもわかっていながら、困っている。

行きたいのか、行きたくないのか、どっち?
自分でもよくわからないけれど、無駄な、非生産的な時間を楽しんでいる。
というか、最近は、苦しんでいる。
ほんとうのところ、どうするん? と、結果を迫る、焦るわたし。
機会は、もう、ないかも知れない。
行けるときに行かないと、一生、いけない。

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ヒマなひともいるもんだなあ・・・と、笑ってください。
ひんしゅくモノかも知れません。

 

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年齢と、状況。

2011-03-26 | 趣味

大震災で、多くの子供たちが亡くなった。
妻子を同時に亡くした人達も大勢いる。
一瞬の出来事で、あまりにもその数は多すぎる。
今後の生活のめども立たない、三重苦は想像を絶する。

そんな多くの人々が、同じ日本で苦しんでおられるというのに、
わたしは、また、こうやって、ブログを書いている。
しかも、その内容は・・・いつもながらに、どーでもいいこと。
「わたしは、わたし」、とも開き直れない。
 

さて、
仕事のことでもない、家庭のことでもない、親戚や近隣のことでもない、
もっとも、どーでもいい、趣味の話で、不謹慎きわまりないのだが・・・

通い始めて1か月の社交ダンスレッスン、目を凝らして、さらに、よーく見てみると・・・
目だけではなく、耳を澄ませてみると・・・

毎回、キラキラドレス婦人は、おひとり様だった。
未亡人ではないかと想像する。
見た目の推定年齢は、70歳手前。


レッスンが始まる前、着替えをする部屋でクラスメートの女性たちが話している。

「ご近所さんが回覧板を回してくるんだけれど、回すのが遅いと、文句を言われるので困わ。
回覧板が楽しみで、こころ待ちにしている人もおられるようだけど。
そんな人に、つき合わされるのは、まっぴらごめんやわ」
そう言うのは、キンキラ未亡人。

「ひとり暮らしのお年寄りを訪問するんだけどね、訪問される側は、迷惑よ。
来てほしくない人達は、あれこれ、口実を作って、家に入らせないようにしているみたいね。
人の生活に首をつっこむのも、考えものやわ」
こうおっしゃるのは、スタイルがいい、年齢不詳の大柄女性。

この体格のいい方、無理やり年齢を推定すると・・・
引き締まった体は、どう上に見ても50代前半、顔がなければ、30歳代にも見える。
つやつやお肌は、50代中頃、それより下かも知れないが、上には見えない。
くっきりシワは60代前半、
寂しげツムジあたりは、60代後半。

パーツ、パーツに、ばらつきがあり、想定年齢を絞りきれない。
各部門、統一してくれると、わかりやすいんだけど。
でも、発言や、話し方、表情は、「おばちゃん」。

住んでおられる地域や住まいの形態、家族構成、経済状況が違うと、
意見や感想も、まちまちなんだろう。


わたしの住んでいる地域の自治会では、班のなかで1軒ずつ順番に班長が回ってくる。
わたしは2009年度、順番が来たので、あれこれお手伝いをした。

班長も煩わしいが、
もっと、やっかいなのは、全班長の中から毎年、抽選で無理やり決まる、会長。
その、会長をしたくないために、どんどん高齢世帯が、自治会を脱退する事態が起こり、
会員の数が減少したので、最近、わたしのまわりの2班が合併した。
回ってくる班長の順番も、7年毎だったが、合併後は、10年毎になった。
近年、脱会した世帯は、なんと6世帯。
わたしの班と、隣の班を合わせて、半数近くが、自治会から抜けている。

活動の一環で、お年寄り世帯を訪問する動きが起こった。
訪問してほしくないというお年寄りも多いようだった。
生死にかかわるほどの重大事に至る可能性があっても、でも、立ち入りを拒まれる。

わたしは、わかるような気がする。
もともと、無機質な街に越してきた住民たち、
ムラならいざ知らず、マチでは、心地よい距離感を大切にしたいのだろう。

だが、自分たちは、地域の人さまのお世話になることを感謝するほど、年寄りではない、
そういう自立心や、誇りがあるのだと思う。

すっかりお世話になると決めているのは、
家から出て、すっぽり身体そのものを預ける、介護施設の介護スタッフなのかも。

要支援、未満。
そのあたりの方々が、訪問を拒絶されるのだろう。
大災害があると、どんな人も、そんなことは言っていられないだろうけれど。

ダンスに来られる方々は、当然、要支援にも及ばない、身体は現役バリバリ。
仕事や子育て、介護など、身をしばるものもなく、自由な人が多い。
いつ何時、自由の幕は下ろされるかもしれないので、
束の間の自由時間を謳歌しているということか。

年齢不詳の皆さま方、
自分の状況を最大限、活かした楽しみ方をされているようだ。

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居心地のいいポジション

2011-03-24 | 華のスロー人

負け犬系の話をすると、わたしは、なぜか、元気になる。
負け犬とは…自分のこと。

「負け犬」という言葉が、案外、気に入っている。

わたしの人生、振り返れば、・・・
負けてる、負けてる、見事に負けている。
なんか、かわいそうで、惨めで、気の毒で、愛おしい。
自分のことを自分でフォローしてあげないと、誰が、かばってくれる?

わたしは、雨に濡れて震えている子犬のように、下向き加減で、うつむき加減。
(そんな、かわいくない。太めの雑種)
イイ年したおばさんは、かわいくない。

わたしは、負けているという自覚がある。
でも、負けているという自覚がない、実体は、完全に負け犬の人もいる。
そういう人は、幸せだ。
あんなに負けているのに、自分ではミジンもそう思っていない。
ほんとうは、そっちのほうが、いいんだろうなぁ。

どんなことでも、見方を変えれば、まったく違う評価が下る。
だから、どの方向から見ても完璧な人などは、ほとんどいないのでは。

逆に、全然、だめな人もいないんじゃないかな。


話は、変わるが(突然・・・すみません)
「やりくり上手な主婦なんてのは、ほとんどいなくて、もともとダンナさんの収入が多いからだ」
と、ある人が、ご自分のブログでおっしゃっていた。
そう。その通り。

グルメを紹介しても、お高い材料を使っているなら、あまり意味がない。
特に家庭料理は、手に入れやすい、安価な材料をいかに工夫して料理するか、それが腕だ。

ある程度、お金をかけたら、いいものが出来るのは当たり前。
でも、自覚がある人は、あまりいないように思う。
(高価な頂き物を使っても、下手な料理をする人もいる。それは、わたし)


社会的な目を持たない人。
こういう人は、新聞やニュースを一切、見ないのだろうか。
いや、見ているのだが、大事なことはこぼれ落ち、感情だけでニュースを見る。

指摘されると、「だって、あたし、バカだもん」と居直る。
わたしだって、もっとバカだけど、なにも見ようとしない、ということはない。
(自分のバカさだって、直視する)

わたしなら、涙をためて、
「はい、わかっています。
努力はしているんです。毎日、頑張っているんです。
でも、出来ないんです。やはり、バカなんでしょうね・・・」
って、言うかなあ。(わはは)

負け犬ポジションは、常にキープ。
このポジションは、わたしにとっては、とても快適。
あまりにも長く居ると、居心地がよくなってしまったようだ。

 

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トップ画像は、母がいつも、あれこれ、あちこちに活けている、お生花のひとつ。
昨日、ケータイで、ぱちり。
ピンぼけも、長く、わたしのブログで定着してます。

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よ~く、見てみると。

2011-03-23 | 趣味

今朝、フランス語ラジオ講座を聞いていると、突然、番組途中に速報が入った。
半年ごとの企画、今日が最終回だった。

娘Rに、「速報で、フランス語が中断して聞けなかった」と言うと
「どうせ、(フランス語)聞いてないくせに」と、ぽつり。

む、むむ、む・・・
結局、わたしは、今回もフランス語はちんぷんかんぷんのまま、
最終回を迎えた。
次回、3つめの企画を楽しみにしている。
(いつも楽しいのは、最初の1か月だけ。
最後のあたりは、はやく終わってくれないかと、こころ待ち)


ニュースでは、ますます深刻な被災後の生活が伝えられているというのに、
こんな内容のブログをアップするのは、どうかと思いますが。。。。
不謹慎とお思いの方は、スル—してください。

気を悪くされた方には、お詫び申し上げます。


通いはじめて1か月の新たな社交ダンス教室。(最初は、悲惨
先生に、昨日、声をかけられた。
「新しい教室は、慣れましたか?」

ご親切に・・・わたしのような者に、お声をかけていただき、シャイなわたしは、うつむき加減。
「はじめは、オドオドしてました」
わたしは、オドオドして言った。

1か月、最初はなにがなんだか、わからなかったが、
少しずつ、暗闇に目が慣れるかのごとく、徐々に、周りが見えてきた。

一番初めにわたしが、失礼な扱いをされ、ショックを受けた、ちっちゃい、おじ(ぃ)さん、
あの方は、ダンスの踊り方が非常に好ましくない。
自分本位で、相手を乱暴に振り回す。
おそらく、私生活もああいったスタンスの方だろう。

マリリン・モンロー風、泣きボクロの厚化粧ウーマン、衣装も大胆、とってもセクシー。
実は、足が短かった。
(わたし、かなり、性格悪いです→自覚してます)

いつもドレスはきらびやか発表会風の女性、
あのドレスは、出番が終わったあと、家で眠らせているのも、もったいないので、
せっせ、せっせと再利用のよう。

ドレスがとっても素敵な皆さま、女性方、
きらきらドレスを目の当たりにし、わたしは自分の自信のなさをますます感じていた。
まぶしくてよく見えなかったが、目が慣れるにつれ、よ~く見ると・・・

ダンスだけを特化して、見てみると、それほど大きな、埋められないような差は、ないように思った。
わたしは、途中から入ったので、今までのレッスンの流れをマスターしていなかった。
レッスンでの一連の、あらかじめ定められたダンスは、
皆は、毎レッスン、習っていたから踊れるが、わたしは習っていないので踊れなかった。

さらに、加えれば、彼女たちは、自分流のダンスを長く踊り続けているので、
基本を修正するのは、ダンス歴が長ければ長いほど、難しくなっている。

人がどう思おうが、自分が楽しければ、それでいいのだろうけれど。
美しい衣装を身にまとい、気分転換できれば、それでいいのだろうけれど。

わたしの感覚では、
ドレスや衣装が、良ければ良いほど、技術やダンスも上手でないと恥ずかしい、
と思ってしまう。
これは、かなり、卑屈、ねじれ曲がり、負け惜しみに満ち充ち溢れているに違いない。
負け犬は、なにを言っても(吠えても)負け犬ポジションは、変わらない。

負け犬のひとりごとで、申し訳ないんですが、
ドレスや服装がステキでも、それに惑わされないで、しっかり、ダンスだけを見てみると
また違う見方ができる。


実のところは・・・
ダンスだけでなく、第一印象というのは、結構、大事だったりする。
自信に満ち溢れ、美や徳を振りまく。
それで、心理的に見る側は、自動的にポイント加算。点数、底上げ。
視覚効果を増長させる。(→見た目で、惑わせる)

肩書や経歴、学歴なども、これに似ているかも。
ドレス効果。

人は、人と対面する時は、裸ではない。
この時代に、裸の人が、もしいたら、それこそ、変人。
こころに、あれこれ、まとわせるのは良くないけれど、あまりストレートすぎても傷つき合う。
暑さ寒さをしのぎ、怪我をしないように、身を守るために服を着る。
それ以外の服もある。
個性を服装で表すこともある。

インターネットでの交流は、そういう意味では、服が左右されない。
顔さえもわからない。

リアルと、ネット。
おもしろい対比だ。

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おっとっと・・・
ダンスの話は、どうなった?
またもや脱線。

 

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感謝のこころ。

2011-03-21 | 

昨日は、お彼岸の墓参りに行った。
お墓は、義母の家(夫の実家)から徒歩8分~15分ぐらいのところにある。

東京在住の長女、実家住まいの次女、
そして、今は、義母宅から電車などで、3時間半~4時間ぐらいのところに赴任中だが、
4月から、うんと遠くに赴任する息子が、意外や意外、特別参加。
わたしは、息子は遠いし、仕事が大変だろうと思って遠慮していたが、
長女の提案により、息子にメールしたら、当日、突然、現れた。
義母は、とても驚いていた。
それより、わたしも、びっくり。

もうすっかり成人の子供たちが3人とも揃い、お墓参り。
夫は、今回は遠方に行っていて不参加だったが、
お墓のなかの人、特に義父がいちばん喜んでいるメンバーだ、と、義母は目を細める。
義父は、孫たちが大好き、なかでも男の子(=息子)には特に、とりわけ愛情を注いでいた。

いつも義母の家から、お墓へは、車で行くのだが、長女の呼びかけで徒歩で行った。
天気予報によると、昨日は午後から雨が降るとのことだったので、わたしは焦っていたが、
ひとりひとりに無理やり傘を持たせて、お墓に向かった。

イイ年の大人が4人、全員、雨も降っていないのに、長傘を持って、ぞろぞろ。
あとから、もし、雨が降ってきたら、濡れるのは嫌だったので
嫌がるイイ年の大人に、渋々、傘を持たせてしまったものの、その行列をまじまじ見ると、
大名行列ならぬ、ペンギンの行列でもない、なにかわからない、わたしの「ヘンさ」を押し付けたようで、
ちょっと、悪いような気がした。

最後に、申し訳程度に雨がチロっと降ったが、あれは、降ったとは言わない程度。
まあ降らなくて、不幸中の幸いだけれど。

娘たちは、お正月にも集まり、お墓参りをしたばかり。
遠隔地から、わざわざお墓参りをしに行くというと、勤務先の人たちに、口を揃えて、
若いのに感心だと言われ、よほど重々しい家なんだろうと想像されるそうだ。
教育がしっかり行き届いているのかも、と、本人たちは言うが、わたしは教育した覚えはまったくなく、
むしろ、無信心のわたしが一番、渋々だったりする。

真面目だなあ・・・うちの子供たちは・・・
わたしが脱帽するぐらいだ。
わたしが一番、不真面目だ。サボりだ。
義母の教育の賜物なんだろう、きっと。
なんだか、不思議なような、義母の太陽政策って、すごいな、と感心するような。


わたしは、墓参りのあとは、義母のグチをたっぷり聞かせていただいた。
内容は、義母の家のご近所さんのこと。
ご苦労さん。
人間関係は、どことも、たいへんな様子。


夕食は、義母宅では、なにも用意していなかったが、
調理実習のように、子供たちが各自、料理してくれて、クラブの合宿みたいになった。
わたしの料理が、結構ヘタで、(涼しい顔して言うのもなんですが)、息子は、美味しく作ってくれた。
親がダメでも、子供は、ちゃんと料理してくれるんだと、料理ベタのわたしは自己弁護、自己防衛。

「料理がデキル男は、歓迎されるよ。
あとは、イケメンは不可能でも、イクメンになれたら、バッチリやねえ」
と、ひとりヘンにテンション高い、わたしの言葉には、みんなは、聞こえないフリ。
いつものことですけどね。

震災のニュースを皆で見ながら、ぼそぼそと、合宿料理を食べた。

我々って、結構、地味な家族やなあ・・・と、思った。
夫不在なので、目まぐるしいテレビのザッピングや、大音量バラエティ、大酒なんてこともなく、
なんとなく、静かに地味に、まとまっている。

大黒柱あってこそ、今日まで来られたのだが。

特別に素晴らしいことはなくても、
べつに、力むことなく、無理することなく、家族で集い、お彼岸に、ご先祖様に手を合わせ、
平穏無事に過ごせるありがたみをつくづく感じた。

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ビミョ―な人

2011-03-19 | 華のスロー人

昨夜、東京在住の長女が帰省した。
この連休を実家で過ごす。
もともとは、彼女は友人と関西方面の旅行を計画していたが、地震で急きょ取りやめに。

我が家に、東京の友人とともに2連泊するということだったので、必死で掃除、整頓したが、
必要以上のガンバリが無駄になった。
まあ、いつもが汚すぎるので文句は言えない。
旅行帰りに、義母の家にも寄るかも、とのことだったが、義母は特別には掃除してなかったそうだ。

夫と長女はまったく同じことを言った。

「特に掃除してなくても、普段のおばあちゃんちのほうが、うちよりずっとキレイ」

わたしは、いたく気を悪くしたが、その通りなので、ただただ、しゅんとした。

キレイに整頓したせいで、夫は自分の衣類を探しにくいし、
わたしはキッチンで、あれこれ、とても不便。
出しっぱなしのほうが、見やすいし、しまう必要もないし、便利だ。
見た目がよくないのだけが、欠点。
なので、人が我が家に来るとなると、モノを片付け、仕舞い込む。

長女には、うちにはモノが多すぎる、と、言われた。
その通り。


昨日の立ち読みシリーズ。
「老前整理」(→老前整理コンサルタント・坂岡洋子氏・著)
「ビミョ―な人」とつきあう技術~ことごとく期待を裏切る「あの人」の正体」(小倉広・著)
(→「残念な人」と同じニュアンス)
「頑張っているのに、仕事が出来ない人」(→タイトル、忘れた)

ああ、どれも、わたしのこと。

長女が起きてこないうちに、と、いま、焦って更新している。

今朝の朝刊を読むと、ひとつひとつの悲劇がたくさん、報じられていた。
ひとつひとつ、ひとりひとりの悲劇が、あまりにも、深く、大きい。
日ごとに、報道される数々のニュース、
新聞のほんの少しを読んだだけでも、とてつもないことが起こったことを改めて知る。
報じられていない悲劇は、どれだけ多くあることだろう。


さて、娘たちが起きてくる前に、
朝っぱらからブログ更新している姿を発見されないように、そそくさとパソコンを離れよう。
このアセアセ、焦るかんじは、
子供たちが小さいころ、子供が寝ている間に用事を早く済ませる、あのかんじと
似たような感覚だ。

子供は頼もしく成長したが、わたしは、どんどん、ビミョ―になっていく。

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トップ画像は、昨日、立ちよったフロアで見かけた生け花。

お花だけを撮ったのだが、お花の真横に、年配の男性がおられたので、
ケータイでシャッターを切る時に、不快になられないかと、ちょっと申し訳ないような、
あなたを撮っているのではありませんから誤解しないでね・・・と、
こころの中で言い訳しているような
そんな気になりつつも、懸命に写真を撮った、ビミョ―なわたし。

 

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