蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

古典美の舞い

2010-01-31 | お出かけ
昨日、叔母の日本舞踊の会が、国立文楽劇場で催された。
宗家である尾上菊五郎氏、そのご子息の五代目 尾上菊之助氏も演じられた。
富司純子さんも、応援にかけつけていた。
純子さん、それはそれは美しかった。
紫のお着物を召されていて、美のオーラ。華奢なカラダから放つ迫力。
どの角度から見ても完璧。女優さんはスゴイ。
息子さんも当然整った美形。そして、軽やかで美しい舞。
菊五郎氏は、家元と競演されていたが、家元の女形の舞に目を奪われて、踊りがよく把握できなかった。
私の、日本舞踊、ど素人の浅はかさ、ゆえ。




で、肝心の叔母の踊りも、この発表会が人生最後というだけあって、気迫があった。
何度も衣装の早変わりをしたり、
三味線や小鼓、笛、長唄など、何人もの演者が奏でる、邦楽の調べが生で流れる
本格的な舞台に、日本の伝統美を感じることができた。
ポーズ、しぐさ、出で立ちの一つ一つを見ていると、日本画(美人画)を鑑賞している錯覚に陥った。

踊りの後、打ち上げ会が開かれるのにあたり、人数の制限もあり、私は事前に辞退していた。
しかし、強く請われて、参加した。
その席でも、美しく輝く純子さんと、そのファミリーが出席されていたが、またまた美形に見とれた。

しかし、ですね、尾上菊五郎さん、ものすごく、短気なお方。
8時からと聞いていた打ち上げ会が、某ホテルで行われたのだが、
7時に、いの一番に駆け付けた菊五郎さん、誰もいないのを見て、怒って帰ってしまった。
それから徐々に人が集まり、7時20分頃には、シャンパングラスにシャンパンを注ぎ、乾杯の用意。
でも、彼はなかなか戻ってこず、我々はグラスを持ったまま、待機。
手に持ったままでは、疲れるな~と、いったんテーブルに置き直していたら、10分~15分後に姿を現した。
彼が退席した後に、一度、家元が挨拶は済ませていたが、彼がお出ましになって、もう一度、挨拶をしかけたら、
純子さんが、「もう、いいわよ」と、にっこり。
あの、短気ご主人のご機嫌をとりつつ、手綱を取るのは、結構大変そう。
その後も、料理が出てくるのが遅い、とか、またまた怒りを買われたようで、場はピリピリした。




しかし、このご一家は、梨園の重厚さ、たるや、ものすごいファミリーだ。
日本の伝統的歌舞伎の世界での大御所中の大御所。人間国宝。
富司純子さんも、ご存じのとおりの芸歴をお持ちの実力者。
そして、日本舞踊の世界は、伝統がある故に、格式が高い(敷居も高い)。
一般の人は、なかなか足を踏み入れることができない。
幼い頃に、日本舞踊を習ったことがある人が、再スタートしてお稽古していることが多い。
叔母もその一人で、幼少時に大阪から先生に来てもらって、日本舞踊を習っていたそうだ。
小さい頃から日本舞踊、となると、なかなか普通の家庭では、馴染みがない。
それなりの背景(芸術的嗜好と経済力)があることが多い。

踊りの発表会も、国立文楽劇場クラスになると、一人分の負担、1回分の費用は、
大阪市内で小ぶりのワンルーム中古マンションが、1戸買えるぐらいは、かかるだろう。
数年に一度、催される会に参加するとなると、
(叔母は、私が知っている限りでは、この文楽劇場だけで、4回)
家が1軒ぐらい、建つのではないだろうか。
趣味を極めるには、資質もさることながら、潤沢な資本が要りそうだ。


招待されて、お付き合いで、渋々ではあったが、日頃、触れることができない世界をちょっと垣間見た。
パーティでは、皆様、留袖でご出席だったのに、私の軽装は、とてもマヌケだったが、まあ、ご愛敬。
でも、いい歳して、ご愛敬は許されない雰囲気をヒシヒシと感じた次第だ。





目が覚めると、馬車はカボチャに

2010-01-30 | 趣味
ダンスのお話です。
(ここで、弊ブログから引き返す人の後姿…数名・・・いや、数十名…ドンマイ)

足指骨折後、2か月の治癒期間、さらに1か月のリハビリ期間を経た。
リハビリ期間には、フィットネス、社交ダンスのグループレッスンも再開。
今日に至っている。
残るところは、社交ダンスの個人レッスンだ。
なかなか復活の兆しが、自分の中で、見えない。
あんなに興奮したレッスンだったのに、いざ、再開となると、腰が重くなる。
本当に楽しかったのか? 
苦しかった記憶のほうが、強く残る。

今、グループレッスンを再開してみて、やはり覚えるのが遅い自分を再認識した。
グループレッスンの先生は、少々覚えが悪くても、とても優しく教えてくださる。
その優しさには、「私、バカで、すみませ~ん」という思いで、いっぱいになる。
本当に、アポロン(個人レッスンTeacher)との違いを、痛感する。

個人レッスンで、学んだことをすっかり忘れていたら、アポロンは、どう思うか。
さらに、新しいことを教えても、また、覚えられない私に、キレそうになるだろう。
いや、キレるだろう。
私に、本格的なダンス・レッスンは、本当に必要なのだろうか?
お遊びでも、いいのではないだろうか?
無理をする必要があるのだろうか?
自分には、自分に合った、レッスンのレベル、ダンスのレベルというものが、あるのではないだろうか。
アポロンは、プロだが、その中でも、競技A級プロ。
それって、私には、そもそも、豚に真珠。
わけがわからず、個人レッスンを始めたとしても、よくそんな大胆なことを・・・・・
身の程知らずにも、程がある???
三浦雄一郎にスキーを教えてもらっているようなもの?
浅田真央ちゃんから、スケートレッスンを受けているようなもの?


授業料は前払いで、まだプールしてあるので、ここで辞めてしまうともったいない。
まあ、それは、お金の問題。話は、ちょっと別のこと。
再開するとなると、プールしていたお金などは、すぐに飛んでしまい、もっと、もっとお金はかかるんだし。

英語の勉強の時も、そう。
ちょっとしたキッカケで熱くなって、どんどん突き進み、厚い壁に激突して、おじゃん。
このパターンは、若いころの恋愛のケースと全く同じだ。
よく、猛進、撃沈していた。
たまたま、今回の撃沈は、足指骨折だったが、足がなくなってしまったわけではない。
再開しようと思えば、できるのに。
なぜ、こんなに、ぴたっと、凪ぎ状態になってしまっているのか。

足のリハビリは、ほぼできたように思うが、心のリハビリが、まだのようだ。
あの時は、自分にハッパをかけ、強気を装っていたのかも知れないが、
実は、とても傷ついていて、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を受けたようだ。
この傷が完治するまでは、個人レッスンは再スタートを切れないのでは・・・。
ひょとして、一生、完治しないで、また、コンプレックスだけをひきずって、
挫折したコトのひとつとして、自分の中で、不名誉に残るような気がする。
というか、単に、高望をしていた自分が、骨折をきっかけに、急スピードで止まり、
冷却期間を経て、等身大にもどって、目が覚めただけかも知れない。

リハビリも終了し、この1か月、もう少し、様子を見てみようか。
勇気を出して、アポロンに、予約の電話を入れられるか???
電話できないでいる図が、頭に浮かんだ。


老いたシンデレラは、目が覚めると、カボチャの馬車に乗っていた。
あれ? この馬車、カボチャ? なんで?
再び、オールド・シンデレラは、刻まれた皺に厚塗りの化粧をほどこし、鮮度の落ちたカボチャを駆使して、
よたよた、お城に出かけられるか???



歩く人々、歩かない人々

2010-01-29 | 人々の風景
前々から思っているのだが、
そう遠くない自宅から、スポーツジムに行くのに、自家用車で行く人がおられるが、なぜだろう?
歩いて行けば、健康的だと思うのだが。
健康を得るために、せっせ、せっせと、マシーンやプールで泳ぐ。
それなら、自宅から徒歩10分~30分ぐらいなら、歩いて行けばいいと思うのだが、私は、おかしい?

車を使わないと、排気ガスも出ないし、限られた地球資源も大切にできるし、一石何鳥にもなるのに。
健康を害している人や、足が悪い人なら、徒歩は無理だろうが、
わざわざお金を払って運動をしに行く人が、なぜ、車で行くのか???
買い物をして帰るから、帰りは、荷物が多くなる?
どこか遠くに、寄り道をする?
時間がない? 
余りある時間はあっても、歩く時間はない?
人には、人の事情。誰にも迷惑もかけていないのだから、余計なお世話?
もっと、もっと、年を取れば、少しはわかるようになるのかも知れないが。
人それぞれ、いろんな価値観があるようだ。


私が、歩いて駅に向かっていたら、後期高齢者年齢ぐらいの女性が二人。
ぺちゃくちゃ話しながら、歩いていた。

「うちのジイサン、腹立つで~。
・・・こんなんやで、ほんま、自分は、棺桶に両足突っ込んでるくせに。
ほんまやで。片足ちゃうで、ほんまに、両足!両足やで。
なに、ゆうてるんや~、思うて、腹立って、腹立って」

おばあさんは、怒りまくっている。
それを、うん、うん、と聞いている、もう一人のおばあさんも、同じような被害者のよう。
「うちも、うちも」、というノリ、勢い。
脂肪燃焼だけにとどまらず、カッカと燃えながら、歩いていた。
けっこう、いいウサ晴らしになっているようだ。

それに引き換え、おじいさんたちは、結構お気楽。
居酒屋などで耳にする、年配の男性方は、
「うちのバアサンがな、こう言うんや。
こんなこと、してるんや。こういう食事を作るんや」
などなど、家庭内のごく普通の日常、家事などの、明るいご報告会が多い。
あとは、ご自分たちのお遊びの、ご報告会。
家庭内の愚痴をこぼしている人は、あまり見かけない。
ましてや、怒りをぶちまけて、それに、同調している、大盛り上がりの年配男性陣は、見たことがない。
家庭に不満を抱えているのは、女性に多いようだ。


あんなやつ 早く死ねよと思っても
なくしてわかる ありがたみかな



がんじがらめの日常?

2010-01-28 | 読む人々には興味ない話

例えば、ご近所づきあいが高じて、仲良しさんになる。
相手の家の冷蔵庫の中身まで知っている。
ぞ、ぞ、ぞ、・・・。

恋人。
お互いに束縛し合うのが、ひとつの愛情の証。
うげ。

夫婦。
行動、金銭、付き合い、仕事、すべてを知ろうとする。
無理。

ただ、リタイアして公認の外出がなくなったら・・・
いちいち説明して、出かける・・・。
まあ、適当にゴマかすこともできるだろうけれど、ゴマかすのも面倒くさい。
かといって、全てを報告・・・やはり、げ、げ、げ、・・・。
全てを把握したい理由は、人それぞれだろうけれど。

知られたくないことって、どんなこと?
そもそも、知られたくないようなことがあること自体が、けしからん?
しかし、いくら身近でも、デリカシーがないこと自体が、けしからん?
実は、人を殺して、この家の床に埋めている・・・なんてヒミツは、だめだけれど。


自分の子供だからといって、こっそり日記を読んだり、そういうこともしたくない。
たとえ、子供でも、プライバシーというものがある。

義母が、義母の姑の日記を(生前)見たら、
あれこれ、よくしてくれる他の嫁のことが書かれていて、気分を害したと言う。
「え? 人の日記なんて、見るべきじゃないですよ」
と、思わず私はツッコんでしまった。

先月、お正月前に、義母宅で、迎春準備をしていて、メモ用紙を張りつける必要があり、
台所中を探したが見つからず、食器棚の下段の引き出しも開けてみた。
そこは、昔、私が、一時期、子供たちと暮らしていた棟の台所なのだが、
その中に、当時の私の日記と、家計簿が、無造作に入れたままになっていた。
もう、はるか昔のもので、自分でも恥ずかしいような内容だが、
家計簿は、項目ごとに、きちんと年統計もしてあった。
(今なら、考えられない)
誰でも関係者は自由に出入りできるサブ台所として、現在は、利用されている。
だから、その気になれば、誰でも、そのオゾマシキ日記と、家計簿を目にすることができる。
そう思うと、ぞ、ぞ、ぞ、・・・とした。

ただ、皆さん、忙しい人ばかりなので、「家政婦は見た」のように、
人の生活やプライバシーを根掘り葉掘り突っついて楽しむ、という俗悪趣味もなさそうだ。
(と、信じたい)
自分でも、パラパラと見ただけで、ぞっとして、パタンと閉じ、また同じ場所に放り込んでおいた。

実家に残したままの、私が中学生の時からマメにつけている日記の山を、
2~3年前、大規模整理をしていた母から手渡してもらったが、
キモチ悪くて、読めない。
今も物置に、封印している。そこは、鬼門になっている。

というわけで、日記など、見るものではない。
書いた後も、日記が一人歩きをする場合があるので、保管には厳重注意をすべき?!

プライシーは、生きていくうえで、必要不可欠なもの。
私にとっては、酸素。
いろんな人を見ていると、窒息せずに、よく生きていると感心する。
家庭にしろ、職場にしろ、なんにしても、適度な空気の入れ替え、換気が必要だ。


仕事って・・・

2010-01-27 | 仕事
今日、事務所に、元の仕事仲間のT君が来た。
彼は、うちの事務所を去ってから、しばらくは友人の勤める会社に席を置かせてもらい、
その会社から仕事を請け負っていた。
次の安定した職場がなかなか決まらない彼に、
我々は、ある会社を紹介したが、彼にしてみれば敷居が高いのか、ノリが悪かった。
先方が雇うと言っているのに、乗る気がなかった。
大手だったのに。
彼には、荷が重かったのだろうか。

あれから、2年。
彼は、ハローワークからの紹介で50社を受けたという。
結局、どこにも採用されず、今は単純軽作業のバイトをしながら生きつないでいるらしい。
彼は独身で、実家住まいだから、やっていけるのだろう。

彼のお父さんは、病気で療養されていたが、医療費は、嫁に行った妹さんには当てにできず、
その時、初めて自分が長男だと身にしみて感じたという。
そのお父さんも、3年ほど前に亡くなった。
お父さんの医療費は、彼が出していたので、今は医療費を捻出する負担もなくなったものの、
厳しい状況は続いている。

彼は、ルックスのいい青年だった。歌もうまかった。
染めていないのに、ナチュラルな茶色がかったサラサラ、ストレートの髪。
鼻筋が通った高い鼻、切れ長の、でも細くはない目。
色白で、きめ細やかな肌、純日本風の美青年だ。
イケメンという表現は軽すぎる。

しかし、美しい外見は、あくまでも外見。
仕事のやり方は、決して美しくなかった。
仕事以外で出会いたかった人物のうちの一人だ。
彼の仕事に関することを言い始めると、何時間ブログに取り組んでも、終わらない。

仕事は、厳しい。
見かけではないということ、そういう現実を、嫌というほど思い知った。


ケーキ好きなのは、わかりますが。

2010-01-26 | 人々の風景
昨夜、仕事の帰りに、駅にあるケーキ屋に寄った。
バスの時間には、あと10分。
時間はある。余裕だ。

私の前に、2人いた。
夫婦かと思っていたが、どうも違うようで、まずは男性から、ケーキ選び&お会計。
二人一度に済むと思っていたが、まあ仕方ない。
お次は、子犬を連れた女性。
時間をかけてケーキを選ぶ。慎重派。
一度、テイクアウトBOXに入れてもらったものの、
「替えてもらえます?」と、そのうちの1個を取り替えた。
(それは、私が買おうと思っていた最後の一個のケーキだった)
彼女は、何に替えようか、じっくり悩む。
時間経過。
こちらは、あと5分。
ちょっと焦る。
彼女は散々迷ったあげく、ようやく違うケーキを選んだ。
店員さんがショーケースから取り出し、テイクアウトBOXに。

ほっ、さあ、私の番だ、急がなきゃ、と思った瞬間、
「あ、やっぱり、別のにします」
なにっ?
今、あれだけ悩んで替えたところやん。
ショーケースの残りのケーキの中から、私はどのケーキにしようか真剣に考えていたのに、また替える?
私はバスが迫ってるんやで~

今度は、また長い。
う~~~ん・・・・・
もう、変更できない、最後の選択だ、と覚悟を決めているからなのか・・・
それにしても、長い・・・

その間に、私は買うケーキを決めておかなければ、時間がない。
彼女が1個しか残ってないケーキをもし選んだとしたら、
私は、買いたいケーキの第二希望を決めておかなければならない。
どれに、するん? はよ、決めて~

どうにかこうにか、やっと交換するケーキを決めたようだ。
それにしても、店員さんはエラい!! 笑顔で対応。
私は、後ろで鬼の顔。
ろくすっぽ真剣に選ばずに、ちゃっちゃと適当に自分のケーキを買い、
猛スピードで、バス停に走って行った。
どうにかこうにか、ぎりぎりセーフ。

しかし、自宅に着いて気がつくと、ケーキの箱が、ビニール袋の中で横倒しになっていた。
世の酔っぱらいのお父さんのおみやげみたいに。
ささっと夕食をすませ、
「ケーキ、買って来たんよ。さあ食べよう!!」と、私。
「おかあさん、ケーキ、ぐちゃぐちゃになってんで~」と、末子。
わかってるって。
酔っぱらってもいないのに、ぐちゃぐちゃになったケーキを恨めしそうに見ながら
パクリと平らげた。





たかが、ブログ。されど、ブログ。

2010-01-25 | わたし
ブログの内容に、最近、行き詰まっている。
イベントがここのところ、ないのもひとつの原因だが。
くだらないものでも、(いや、むしろ、くだらないものの方が)私は大いにウサが晴れるけれど、
公開しているからには、それなりの覚悟がいる。

家族もブログの存在を知っているので、ウソ八百は、はばかられる。
実際にリアルな私を知っている人も、読んでおられるようだし。
なので、行き詰まる、息詰まる、イキヅマル。
ただ、家族は幸か不幸か、熱心ではないどころか、
ブログがつまらないので(あぁ、なんて正直・・・)、ほとんど読んでいないようだ。
だから、いちいち内容について、詮索されないから助かっている。

リアルな私を知っている人で、ブログを知っている人は、家族以外に3人、
ネットの知り合いが1~2人、合計4~5人?
私は、リアルな知り合いには、基本的にはブログの存在を知らせないスタンスを取っている。
だからといって、知り合いに読まれても、別に困ることは何もないのだが、
私を知らない人にとって、どう映るんだろう?
というか、残りは、自動検索と、手動検索でのヒット数?
でも、最近、どうしたことか、アクセス数が、ささやかながら増えて来ている。
いったい、どこの、どなた様が???
それより、果たして面白いのだろうか?

それを末子に言うと
「大丈夫。お母さんのブログなんて、誰も読んでないから」と、痛いところを突く。
そんなこと、わかってますよ。
まったく愛想のない子だ。
「お母さん、誰も読んでないブログに、よくそんなにモチベーションが上がるね」と。
ほっといてよ。

とは言うものの、見えぬ相手がいるような、いないような、そんなブログに、振り回されている。





自慢たれ

2010-01-24 | 読む人々には興味ない話
過去の栄光を話す人は、寂しい人だ。

誰もが行けないような場所に行っていた。
有名人を知っている。
一般人ではできないことをしていた。
高い能力があり、高額を稼いでいた。
美しかった。異性にとてもモテた。
一見さんお断り店の優良顧客である。
高級車に、乗っていた。
贅沢三昧をした。

現在もハイレベルを維持している人は、成金でもない限り、滅多と口にしない。
本人が口にしなくても、回りが先に知ってしまう。
自分でわざわざ言って、回りが、「ほほーっ、すごいですね!」
と誉められても、本当に褒めていない場合もあるから、真に受けていると、とんだマヌケになる。
そういった類のことは、話の展開上や、回りが話題をふってきて、求められたら話せばいいと思う。
もちろん、相手によっては、話したくなければ、話す必要もない。

自慢話をするのは好きでも、聞くのが好きな人は、いないと思う。
例え、今が頂点であろうが、リタイア組であろうが、自慢ととられるような話をするのは、
品位を下げる。
過去に高い地位にあった人や、素晴らしい功績を残したり、大きなプロジェクトに参画した人などは、
わざわざ自分からペラペラ自慢する人をあまり見たことがない。
自慢ではなく、後学のため、専門分野を教えてくれる、手ほどきをしてくれる、お勉強会なら、大歓迎だ。

自分がこつこつ努力して得た地位、お金、特権であれば、そんなに、むやみに乱用しないのでは?
(しかし、人間は、「免疫のない快楽」に狂うということもあるようだが)
たいして、努力もせずに、転がり込んできたものに対しては、
さして心を痛めずに、じゃんじゃん浪費する。
しかも、それを自慢するというのは、恥の上塗り。
「お金持ちですね~」「さすが、えぇしの子ですね~」と持ち上げるのは、
発言に責任ない、その場限りの太鼓持ちの人々。
こき下ろしたり、不快感を示したり、見下げたり、そんなことをする人はいない。
言葉にしない裏面がある。
それが処世術。

小粒の人間や、失った栄光にしがみつく人が、自慢話という形で、自分を誇示したいのだろうが、
哀しい人々だ。
器の小ささが、なせる業だ。

考え方や、価値観は、人それぞれ。
お金や特権がなくなったあと、どれぐらいの人が付いてきてくれるかで、
その人の本当の価値がわかる。
ちやほやされて大盤振る舞いの、単なるお人よしも、自業自得。
何もなくなった時に、本当の自分がわかる。


おしゃれウォッチング シブメン編

2010-01-23 | 人々の風景
熟年男性で、おしゃれさんは、ほとんど見かけない。
でも、たまに見かけると、捨てたもんじゃないな、と、なんだか嬉しくなる。

「オサレ」という今風コトバは、あえて、使いたくないので、
ダサいけれど「おしゃれさん」を使用します。

今朝、電車で見かけた、おしゃれさん、その1。
まず、バッグが目に入った。
オーク・ブラウンの、使い込んだ渋い輝きを放つショルダーバッグ。
お、やるじゃない。
お次は、同じくオーク・ブラウンのイタリアン テイストのブーツ。
ロングノーズ、びゅんびゅんではなく、いかにも、ちょい悪おやじ風ではないところが、
抑え気味でいい。
黒革の大振りブルゾンに、黒いカシミヤ風マフラーをイン。
パンツは細身で、黒。
メガネは、黒いメタルっぽい、細いフレーム。
髪は、深い黒で、長すぎず、短すぎず、ちょっと、大きなうねりの天然ウエーブ。
哲学的な、インテリっぽい、青白めの顔。
推定年齢、55歳ぐらい?

その2。
おしゃれさんではないけれど、かっこいい人。
地下鉄のホームで、見かけた。
服装は、だらしないわけでも、不格好なわけでも、安物っぽいわけでもなく、
でも、別におしゃれさんでもない。
ただ、顔と、背格好がナイスで、ウカツにも、ちょっと見惚れてしまった。
年の頃なら、40代前半?

その人を見ようと、乗車してから、向かいではあるけれど、ドアを挟んで、ひとつ隣のシートの端っこに座った。
斜め前から、ウォッチングしようという魂胆だ。
ところが、その企ては、予期せぬ方向へと暗転した。

私の隣に、若い?女性が座った。
「もしもし、あと3分で電車が発車しますから、着くのは1時間15分後です」
と、携帯で話していた。
なんか、その話し方が、ちょっと、癖があるな・・・と嫌な予感がしていた。
その電話のあと、彼女は、ガブっと、なにかにかぶりついた。
ムシャムシャ、ムシャムシャ、大口をあけて、パクパク。
よっぽど大きなオニギリか何かを自分で作って持ち込んだのかと思ったが、ちらと見ると
市販のサンドイッチだった。
目的地には、あと1時間15分もの時間がかかるから、
スケジュール上、電車内でブランチを取る必要があるのかも、と、自分なりに理解を示そうと頑張った。
だから、人目もはばからず、あんなバカでかい大口で、かぶりつくのか、と。

ところが、今度は、ズズズーっという音が、繰り返される。
液体? 
ズズズーっ、ズズズーっ、ズズズーっ、お皿のようなものをすすっている?
気になってまたまた、ちらと見ると、今度はデザートのヨーグルト。
スプーンは、ないのか?
デザートとなると、スケジュール上、時間がない、とかではない。
車内は、ダイニング・キッチンか、イート・インのショップか?
その次に、今度は、鏡を取り出し、お化粧。
そして、それが終わると、脳トレか、ゲームを始めた。
完全に、車内はリビングルーム化、個室化されている。
私も、自分の部屋みたいに寛いでいるけれど、車内でガバガバ食べたりはしない。
真横で、あんなに色々されると、どうも、不快になる。

親の顔が見たい・・・そんな、一番(自分としては発したくない)嫌なフレーズが頭に浮かんだ。
今の若い人は、平気で車内で食事をするようだが、それが、昨今の常識、ありきたりの光景なのだろうか。
やれやれ、私も、すっかり年を取ったものだ・・・。

せっかく、シブメン鑑賞の予定が、げんなり。
いろんな人がいる。



平凡な一日

2010-01-22 | わたし
私は、ブログの記事草稿は、
通勤などの電車移動中に携帯電話で入力して、自分のパソコンアドレスに送信することもある。
改行ついでに、ちょいちょいと訂正して、おしまい。
後で、続きを加えるものもある。
でも、ほとんどは、いい加減。


前に、私が乗り合わせたJR電車内で、ある(後期高齢者と思われる)ご婦人が、
「電車内で、どの人もメールばかり。家で話したらいいのに。
私は、メールなんか、せんと、ちゃんと家で、話をするよ!」
と、あきれ顔で吐き捨てるように言った。
ちがうよ、おばあちゃん。なにもケイタイは、メールばかりじゃないんだよ。
電車や飛行機の時刻を調べてる人もいるし、映画予約してる人も、
ゲームしてる人も、テレビ見てる人も、色々、使い方は十人十色。
メールしてるとしても、同居家族にわざわざ、メールしてる人は少ないかも?
おばあちゃん、自分の狭い小さな世界と、世の中の皆さんとを同じにしないで。
なんでも自分と同じと判断しないでね。
その気持ち、わかるけれど。
皆、自分と同じような、似たような人としか、おつきあいしないもんね。


ちなみに、話は180度変わるが、昨日、時間ぎりぎり、渋々、フィットネスに行ってきた。
マシーン・ルームのテレビでは、やはり、「牡丹と薔薇」が再放送されていた。
「牡丹と薔薇」の隣のTVは、NHKの国会中継、生放送。
小沢氏のカネの流れについて、民主党が追及されていた。
それを尻目に、見てしまいました。「牡丹と薔薇」。
(でも、再放送終了後は、国会中継をイヤホンで聞いていた。→言い訳がましい?)

先週見たのは、愛人に捨てられた看護師が、遺書を書いて、
愛人の家の前で、これ見よがしに自殺未遂、というストーリーだったが、
一週間経つと、あれこれ話は進んだようで、
先週は微塵も存在すらなかった牡丹と薔薇は、中学生になっていた。
先週では、この世に生まれていなかった、牡丹と薔薇。
あの、牡丹と薔薇の子役。なんだか気の毒。
けなげに、一生懸命、役をこなしていた。
だって、あんな、あんな、あんな・・・あんなキモチ悪いドラマに出演しているんだもの。
子役とは言えど、プロなんだから、役を辞退したくないのだろうけれど、
子役のご両親、どういう気持で、自分の子供に、あんな仕事をさせているのだろう。
お金目的ではないにしても、同じ子を持つ親として、なんだか複雑な心境になった。
(単に、私の嗜好と違うだけ? でも、教育方針は、各家庭で、それぞれ違う)

こんなこと、どうでもいいと思うけれど、
今日も、ブログを更新してしまった。
こういう、なにもない、なにげない一日、
ある日、私が突然この世から去って、この平凡な日々がストップしても、
幸せな人生だったと感じるに違いない。

では、そういうことで、本日は、終わりにします。