蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ある日の日記

2015-11-30 | 無題
今日は、紙ノートの日記を書いていて、遅くなりました。
日記と言っても、感想や気持ちなどは、まるで記載しない、その日の出来事のメモです。
一週間も溜めると、思い出すのがタイヘンです。
ましてや、1カ月もまとめると、何がなんだかわからなくなります。

サブの携帯手帳をいつも持ち歩いているのですが、
それにも何も書いていない時は、まるで白紙の日があり、想像で記載しています。

母系DNAは、認知症の傾向があるので、いつも、「来た!」と、ヒヤリ、どきり。
でも、前々から言っていますが、私は若い頃からですから、若年性かも?

モノを手に持ったまま、別のことをしていると、それを無意識にどこに置いたか、
家の中のA地点からB地点の途中で忘れてしまうので、難儀します。
自分が辿った道順を何度も行き来して、やっと見つかる始末です。

頭脳と運動神経だけが取り柄の家人も、最近、年なみには勝てないのか、ポカミスをするので、私はほっとしています。
どんな優秀な人でも、誰にでも脳の老化があるのだとわかると、自分だけがヒドイわけではないと思えて、救われます。
でも、程度の差は歴然ですが。

早かれ遅かれ、皆んな行く道だと思うと、そう神経質になることはないと考えます。
老化は、決して恥じる必要はないと、思います。生き物全ての摂理です。

とは言うものの、やはり、ボケボケの自分は、いかがなるものか、です。
頭のネジが逆回転しているのかも?


さてさて、

バイオリズムや、体調があるので、あまり無理はよくありません。
ちなみに、私は無理は全然していません。頭を使ってないからでしょう。

姉が、言ってました。
頭を思いっきり使うと、ヘトヘトになって大変疲れると。
私は実は、そういう経験はありません。
天然系のユルユル脳でしょうか。
ある程度考えると、脳が自然にロックされるのだと思います。
だから、偏頭痛も経験ないし、すぐ眠くなります。
よくこれで、学校は落第もせず、ストレートで卒業できたものだと、我ながら感心するような、不思議なような。

しかしながら、美しいものを見るのは好きです。
頭の中で、色いろ、いろんなことを考えるのも好きです。
私は現実離れしていますね。夢の世界で遊んでいるのでしょうか。

当然ながら、生活や仕事は、そういうわけには行かないので、押さえるところは押さえなければ、立ち行かなくなります。

と、深夜の独り言。


遅くなりました。
では、おやすみなさい。

うどん屋の釜、らしい

2015-11-28 | 

母を見ていると、30年後の自分の姿が見える。

娘を見ていると、30年前の自分の姿と重なる。

孫を見ていると、
(成長して)今はまったく別の生物体となってしまった子ども達の姿を思い出す・・・はずなのだが、
初めて見るかのごとく。
自分が子育てしている頃は、一日一日の成長ぶりに感動する余裕などまったくなく、
どうやって育ててきたのだろう・・・と、首を傾げる。

例えば、夕食。
娘が、孫に食べさせていると、娘は自分の食事がさえぎられる。
大変だなあ、自分のご飯もゆっくり食べられないで、と気の毒に思う。
わたしは、上の孫(2歳)の食事介助は出来ても、下の孫(1歳)は、気難しいし、食事ルールがあるようだから、
へんに手を出して、ややこしくなるよりも、母親である娘に任せる。
自分の時はどうしていたのだろう・・・と、記憶の糸を辿る。

あ、そうだ。
子供に食べさせるのが精一杯で、自分は同時に食事しなかったと、たぶん思う。
それどころではなかったと。
あるいは、すっかり、まったく忘れて、アタマの記録紙が真っ白になっているのかも知れない。
その場その場を切り抜けて、ただひたすら毎日を送るのみだった。

押しつぶされそうに次から次へと降りかかる、やるべきことが、どんどん肩に乗ってきて、
それを振り払っても振り払っても、次から次へと用事が新しく生み出されていった。
考える暇はないが、少しぐらい段取りや、効率性を考えなければ、山積みのまま処理しきれない。

全部、完璧に処理しようと考えると、ストレスの山になる。
大雨の時の車のワイパーのように、前が見える分だけ、どりあえずは、雨や雪を払いのける。
そうしながら、走る。

だから、子供が小さい頃のことをあまり覚えていないのだろう。
ワイパー作業に追われながらも、車を運転し続けなけれないけない。
車の外の景色なんぞ、見る余裕はなかった。

だから、孫を見ていると、うちの子供たちはこんなんだったっけ?と、どうしても思い出せない。
脳の回路に焼きつくヒマもないほど、全力投球の毎日だったのだろう。


今は、イクメンが、重要な子育ての役割を果たしてくれる。
一昔前は、イクメンどころか、子供が一人増えるかんじで、夫が家に帰ってくると手間が増えるので憂鬱になるほどだった。

その夫の代わりに、夫の両親、主に義母が、子育てをサポートしてくれた。
あの時は感謝していたが、夫が父親になる試練の場を、先回りして、先々、夫の母親が奪ってしまったのかも知れない。
夫は子育て戦争にはまったく巻き込まれず、「のうのうと」(この表現には悪意とウラミが込められていますね)
仕事や遊びに精を出していたと言える。

その場その場がしのげればよい、と考えていたわたしは、義母の援助には、こころの底から感謝した。
が、家族という車の両輪の片方は、義母になり、夫との両輪は、築かれないまま、今日に至る。
昔の男性、父親は、そういうものかも知れない。
が、権限、威厳があった。家父長は重いものを背負っていた。

重いものは親が背負ってくれ、いつまでも子供のまま歳を重ねている。
これは、夫だけでなく、わたしにも言えることだろう。
親なき後、いったいどうするつもり?

なし崩し的に消滅していく恐れをわたしは抱いている。
せめて、ぐっと足をふんばり、崩れていってほしくない部分を支えたいと考える。
実践するために、その部分は、どんな部分なのか、形を明確にしたい。

土砂降りの中でのワイパーを必死で作動させる時期は卒業した。
これからのわたしのワイパーは、車の中から、外をクリアーにはっきりと見えるよう、きっちり動かして、
車がいつ止まってもいいように、だが、車はどこに向おうとしていたかを表せたらいいなあと思う。

後の人々(家族)にやってほしいと思うことを、自分でとりあえずは、体現したい。
自分はなにもしないで、なにかをしてほしい、と望むのは分が良すぎる。

時代の流れもあるので、各時代に生きる家族たちは、流れに沿いつつも、呑み込まれないよう、独自の道を模索して欲しい。

ただ、自分の意思、遺志を伝えるのは、文字だけでは伝達能力が低い。
これは、今、母がせっせせっせと毎日、文章を書いていてそれを傍らで見ていて、そう思う。
思いは、書くだけでは伝わらない。
行動しなければ。
(母はしっかり、めいっぱい行動していたが→我々、子ども達から大ブーイング)

母に若い頃、よく言われた。
「あんたは、うどん屋の釜や。湯(言う)だけ」
さすが親。的を得ている。

言うだけでは、なにも起こらない。
しかし、洗脳という手段もある。
洗脳は、巨大な行動力を生み出す。
しかし、わたしのこの年齢、行動力、能力からすると、今から洗脳は無理。
洗脳されるのも、洗脳するのも、両方、無理である。
第一、自分のアタマで考えられるようにしなければ、洗脳などというものには、恐れるものの、価値を見出さない。

自分の願うような方向に、自分が向うのは出来なくもないような(出来るような)気がするが、
人をしむけるのは、そうとうな力が必要である。
今更ながら、であるが。

ただただ望みを言うだけでは、叶わない。
今まで、人を動かした経験がないので、どうにもこうにもできないだろう。
が、自分自身、悔いが残らないよう、長期戦で、行動してみようかと思っている。

(と、思うだけ、言う【湯】だけかも知れない)

 

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いつもありがとう。あなた、だれ?

2015-11-26 | 老い

母。

アタマは半分、夢の中。

体はいたって丈夫、頑丈、疲れ知らず、病気知らず。
こういう人は、元気のあまり、どこにでも行き、力任せになんでもするから、
アタマが夢の世界にいる時、体や行動も夢の世界に連動する。

なにをしでかすか、わからない。
どこに行くか、わからない。

暴力や激昂など、そういう部類のことはないが。

いちばん、目が話せない類である。

母が、もう何度もお願いしているマッサージ師の方と、マッサージ中、おしゃべりをしている。


マッサージ師さん
「○○さん(母)、健康なしっかりした躯体をなさっていますね」


「わたしはね、小さい頃、田舎の野山を駆け巡って遊んでいたからでしょうね。
健康で丈夫なんですよ。
それに若い頃、バスケットボールをしていましてね。それもあるんじゃないかしら?」

傍らで聞くわたしは、耳を疑う。
はあ? バスケットなんか、初耳。
どっぷり戦中派の母の世代は、軍需工場で、女子学生は学業そっちのけで勤労奉仕、
あの地域、背景、時代では、不可能、ありえない。
夢の世界の話をしているんだなあ、と。
(明治生まれの「義母の母」が女学生時代にテニスをしていた、という話は実際にそうだったらしいが)

でも、母は、自分の夫の仕事のことなどは実名、地名入り真実で、バスケットと合わせると、虚実綯い交ぜて話している。
わたしは、一切、口を出さず。
おそらく、マッサージ師の方も、どれが本当で、どれが本当ではなくて、なんてことは問題ではなく、
よくあることと聞き流しておられるだろう。

壊れたテープ(イマドキ、テープもないか・・・)のように、ある程度の話が進むと、また同じ話になっている。
皆さん、お仕事で接する場合は、慣れたものである。
何度も同じ話をされようが、つじつまが合わなかろうが、
「そうなんですか。それは、これこれですよ」
と、いちいち、まじめに話に丁寧に付き合ってくれる。

お年寄りの似たような症状に、よく慣れておられるのだろう。

とある知人のお姑さんは、息子の嫁のことを、嫁ではなく看護師さんだと思い込んでいて、
「いつもありがとう」
と感謝されるそうだ。
別の人で、嫁を嫁ではなくドクターだと思っているお姑さんもいて、これまた感謝されているとか。
「いつも、お忙しいのに、ありがとうございます」
と深々とお礼されるそうだが、お嫁さんは、複雑な心境らしい。

そのうち、わたしは、誰と勘違いされるのだろう?
実の娘で、しかもデキの悪いほうの娘だから、看護師さんやドクターだとは思わないだろう。
新興宗教の布教係の人とでも思われるかも知れない。
それはそれで、「いつもありがとうございます」とアタマを下げられるかも。
ミカンやら、柿やら、わたしが持ってきたモノを
「こんなモノでなんですが、どうぞお持ち帰りください」と親切にくれるかも知れない。

これは、きっと、かなり近未来、1年ぐらい未満先の将来のデキゴトのような気がする。
1年ではなくて、1ヵ月後、1週間後、次回会った時かも知れない。

娘とは認識せず、「いつもご苦労様です」と、手を合わせられそうだ。
それはそれで、幸せなことだ。

 

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自分のためのショート・ストーリー

2015-11-24 | 日々のこと

電車の中、行きに読む、楽しみの読み物。
それは、自分のブログだったりする。

アップしていない日は、つまらない。

誤字脱字を発見したりして、スマホでちまちま訂正したりして。
なにやってんだか。

ここのところ、あまりアップしていない。

売れない女芸人だから。


ちなみに、最近、2歳半の孫が、どうも、売れない男芸人路線をひた走りしている感がある。
表情が、めちゃくちゃ面白い。
派手派手、顔中がキャンバスというぐらい、感情表現の大技の連続。
ずこっとコケたりするしぐさが、わざとやってないにしても、ユーモラスすぎる。
弟1歳は、クールな二枚目、眉間に皺タイプ。
兄弟なのに、えらい違いだ。

言葉が、また面白い。
はじめの頃は、日本語カタコトの外人みたいだったが、
最近は、関西コテコテおっさんみたいになっている。

ほんの短い時間で、こうもまあ、ころころ変容するものだ。

「おばちゃん、おばちゃん」、と、あんなに懐いて、片時も離れなかった、次女に対しても、
ここのところ、見向きもしない。
必死で力の限り尽くして、遊んであげていた次女は、お気の毒。
人間の熱は、いかに醒めやすいか、身を持って体験する、良い機会になることだろう。

義母がよく言っていた。
「いくら孫に尽くしても、しょせん、孫は親のもの」
なるほど。
親として子供に一生懸命尽くしても、子供は親のものではないけれど。

変化目まぐるしい2歳と1歳の孫と、ちょっと落ち着いてきた90歳手前の母親、
動と静、上昇と下降、相変わらずの対比。
ぎっこん、ばったん、シーソーのごとく。
また、どちらかに手を焼く時が突然やってくることだろう。
ただいま、小康状態。

秋の一日。
電車の中の読み物は、時間切れにより、短編ながら、無理やり完成した。

 

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人生の空模様

2015-11-23 | 人生

今、わたしは書きたいことがなくなっている。

それは、お笑い女芸人が幸せな私生活を送りはじめると、途端に芸がオモシロくなくなるようなものか。

幸せで、平和ボケで、書きたいことがなくなったわけではない。

自分の残りの人生デザインをどう描こうか、と考えている。

が、立ち止まっている。
一種の凪のような状態だ。


時間、労力、おカネ、気力をどう配分しようかと。

自分のために、人のために。他者と自分、このバランスも加味している。

実母は、「世間などない」、と言う。
「世間はあれこれ言うばかりで、いったい、自分に何をしてくれる?」と。
義母は、世間は何も言っていないのに、勝手に自分の中で世間を作り上げている。

両方、正しいと思う。
ある程度、自己チューにならないと、他人に振り回される。
かといって、自己チュー一本やりだと、なりたい自分とかけ離れる可能性がある。
自分を軸にしつつ、世間での立ち位置を調整しながら、自分の進みたい方向に行くのが、妥協策だ。
協調性が必要である。

 

ご近所の子供関係の知り合いに、自分の路線ばかりを押し付ける人がいる。
最近、立て続けに、その人とバス停で顔を合わせる。
30年ほど前からの知り合いだが、方向性やスタンスはちっとも変わっていないので、驚いた。

年齢とともに、変わってきているかな、と思いきや、相変わらずで、うんざりした。
だめだ、こりゃ。
自分が良いと思うことは、人にもぜひ勧めたいという気持ちはわかるが、
押し付けがましいのは、鬱陶しい。

趣味のことでも、自分の趣味や、その楽しさを知ってほしいというだけならまだしも、
ぜひ、いっしょに楽しみ、実体験してほしい、と、参加を強要する人がいる。
鬱陶しいこと、このうえない。

なぜ、自分の中で納まらないのだろう。
自分が楽しかったら、それでよいではないか。
わたしの考えがおかしいのか?

考えが合わない人とは、一線を画すだけである。


趣味の世界なら、どうってことはないが、
一線を画すことのできない分野や、関係の場合が、ややこしい。
苦悩やトラブル、紛争のもとになる。

解決できない問題が、世の中には、わんさか転がっている。
火が付いたり、くすぶったままだったり、火の粉が身に降りかかったり。
知らん顔ばかりもできなくなっている。

問題意識を持って、行動しなければいけないが、避けられないような事態が生じるケースも想定できる。
享楽的に人生を享受できる時代は、終わりつつあるのだろうか。
自分をしっかり持っていなければ、渦に巻き込まれ、底なし沼に落ちてしまうかも知れない。


わたしは、自分の人生デザインを描こうとしていたが、途中で止まっている。
一瞬、未来が、ぱあっと明るくなって、うきうきして、もっと具体的に詳細にプランしようと思ったのだが、
何かが発生し、一端、流れがストップし、その後は、日常の雑事に追われ、考えを詰める機会を失っている。
人生の美学とかなんと、そんなキレイゴトではない、もっと、地に足着いたラフデザインが必要だ。

それより、どこまで考えたのか、忘れてしまっている。
ひょっとして、老化して、根を詰めて考える持久力が低下しているのかも知れない。

明るく照らされたと感じた時に、考えていたらよかったのだが、天気が変わって、どう考えたらよいか、わからなくなっている。
日差しが射していたのに、急激に暗雲立ち込めて、太陽が雲に隠れることもある。
また、雲から、そおっとお日様が顔を出すこともある。
狐の嫁入りということもある。

鮨屋のネタが時価みたいなものか。
状況も変わるので、大まかな方向性だけを決めて、あとは、臨機応変に柔軟性をもってやっていくしかない。

何がしたい、だの、何が欲しい、だの、はっきりした欲求は、さほどなくなっている。
十分、満足しているからだろうか。
満足のあとは、満足を持続するための努力が必要か。
あるいは、満足指数を歳とともに下げていくことか。
すると、努力しない分、能力や時間、労力、おカネの持ち点数も下がり、欲求(需要)と満足(供給)が一致する。

欲求は、自然減であることが、望ましい。
努力して、減らしていくのはハード。
食糧がないから、食欲を減らす努力をするのはハードだが、
年齢とともに、食欲が落ちてきて、食糧がさほど必要でなくなる、というほうが、ソフトランディングだ。

おカネや体力がないから、したいことを我慢するよりも、
したいことがなくなってきたから、自然とおカネや体力をさほど前より必要としなくなった、というほうが哀しくない。
だが、おカネはいくらあってもよい。
病気や、万が一のための蓄え。
おカネは余ったら、子供にあげたらよい。
しかし、これは、取らぬ狸の皮算用である。
予算どおりに、自分の命もピリオドを打つことは難しい。


だらだらだらだら、今日は、やたら、だらだらと長文を書いている。
その割りに、結論には程遠い展開。
一時的、仮の結論としては、
「なるようになる」、ということで、
時間も時間、とりあえず、お腹が空いたから、なにか食べます。

やはり、人間は空腹には勝てない。
何をいまさら言っている?

 

 

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幸せの意味

2015-11-15 | 人生

パリのテロ、とても怖い。
それに関して記事を書いたが、アップするのはやめることにした。
多くの命が奪われ、心が痛む。
ご冥福をお祈りします。

今、ある命、大事に大切に、丁寧に生きていきたい。
平和で健康で、つつがなく暮らせる保障、確証はなにもない。
でも、今日は無事に生きることができた。
明日も、今のところ、心配はない。
夢と希望を持って、毎日を生きることができるのは、どんなに幸せなことか。

じゃあ、具体的に、わたしの夢と希望って、なんだろう?
自分や家族が皆、なにごともなく平穏無事に過ごせることだと感じている。
それは、夢や希望と言うのだろうか?
いいんです。
毎日、心配事が無いこと、そして、なにかしたいことある場合、きっと出来るような気がすることが、
イコール、夢と希望のある人生だと思っている。
いつも、ちょっとだけ努力することが、幸せへの積み立て貯金のような、自分にとって自己満足の行動である。

実際に出来る、出来ない、する、しない、にかかわらず、自分がしたいと思うことが実現できるような、
たとえ錯覚でも、勘違いでもいいので、そういう気持ちで毎日を送ることが、
夢や希望のある生活だと感じる。

ひとりが好きな、自己チューのわたしであるが、
家族をこよなく愛していると強く感じる、今日この頃。
いったい、どうしたことか。
なんの突然変異か。
なんの予告なのだろうか。

家族であろうが、親友であろうが、恋人であろうが、
いつもべったり行動をともにし、意見も考えもまったく同じ、なんてことはありえない。
ある程度の距離感を保ちながら、べつにこれといった特別なことをするわけでもないが、
平凡な時間、生活が、とても幸せに感じる。

熟年。
第一線を退いて、一歩引いたところで、肩の力を抜きつつ、まだまだ、なすべきことは続く。
嫌いな母でさえ、その欠点さえ、愛や慈悲、思慕の対象となる。
孫たちは、なんの魂胆も無い、惜しみない笑顔を与えてくれる。

人生で一番良い、黄金の時期ではないだろうか。

意識せず、知らぬ間に時が過ぎていくことなく、
感謝しつつ、この幸せを大切にしたい。

 

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考えると、お腹が減る

2015-11-11 | 日々のこと

自分自身の老いや、自分自身の終焉について考えると、
人生の美学を貫きたいなんて、うんぬんかんぬん、思い詰めたりすると、ウツになりそうだ。

なので、こういうことは、あんまり深く考えずに、あっさり、うっすら考えることにしよう。

ウツ系のひとに、励まし、激励は、マイナス、逆効果という。
なるほど、そのとおり。

世界の中では、飢えに苦しむ人や、母国を追われる人、母国でも安全ではない人もいるのに、
あなた、恵まれているんですよ。
なに、寝言、言ってるんですか?

などと、国際関係のボランティアされている方々から、お叱りをうけそうだ。

ウツを発散する出口がふさがれた。

でも、女性はウツになりにくい、と、わたしは思う。
なぜなら、時間が来たら、食事の用意をしなければならないから。
哲学的なことを考えていても、空腹は満たされない。

「おかあちゃ~ん、お腹減った~」
そう言われると、哲学劇場は終了となる。
ウツの先は、「あらま、なにしましょ、冷蔵庫に適当な材料ないわ~」、と、
献立のウツと変化する。

日常のルーチンワークに忙殺されると、ウツの定位置がなくなる。

 美学の追求は、明日へと持ち越しとなった。

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終焉

2015-11-10 | 老い

怒りや不満、不条理、矛盾、愚痴などは、ばんばん書きまくることができる。
が、哀しみ・・・というのは、わたしは書けない。

涙がすーっと頬をつたう。

書くには、自分の中ではまだ生々しすぎる。
痛さを感じたばかり。
まだ、それにぴったりの特効薬を見つけていないので、解決できない。

人生って、辛いなあ。
切ないなあ。

 

娘が言った。
「今、わたしが毎月、一生懸命稼いでいるお金は、老人ホームの支払いになるなあ」

死ぬために、生きているようなものなのか。

お金がかからずに、人に世話にならずに、PPK(ぴんぴんころり)であの世に行く人はいる。
が、その老齢に達するまでは、一人で頑張っていると思っていても、家族の見守りがあるのだと思う。

今、年末に向けて、各人から「喪中のご挨拶」が続々と届く。
義父、101歳で他界、父、84歳で永眠・・・いろいろ・・・であるが、だいたい、平均的な年齢が表れる。

喪中はがきに込められた、淡々としたビジネスライクの短い文章に、
親御さんが永遠に眠るまでの、家族ドラマの経緯を想像している。

 

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照れます

2015-11-08 | ブログ

「エッセ(イ)スト賞」なるものをいただいた。

同時期に、「メビウス賞」を貰われたお方は、受賞に際して、素晴らしい感想文を発表されていて、う~んと唸った。
この人、そうとう、おもしろいわ~。

エッセ(イ)スト賞をくださったのは、とあるピアノ格闘家である。
このお方のブログから、わたしのブログに飛んできてくださる方々が、毎日、一定数おられる。
このお方と蝶ブログの接点は、・・・そうですねえ・・・
ちょっとした運命的なものかも知れない。

ブログは、まさに生き方が現れている。
この方の生き方を見ていると、わたし自身に染み付いた旧来の価値観に対して、爽やかな刺激を受け、勉強になる。
肩の力がすっと抜け、肩書きや、物欲に捉われない、素の自分を見つめて楽しんでおられる。
開放されていると感じる。
こころと体、静と動、妥協と本気、クールとクレージー、諦めと追求、知能と感性、右脳と左脳・・・などなどを、
さらっと自然体でバランスをとっておられる。


もし自分が、同じような境遇なら、同じような生き方をするかも知れないと思うこともある。
といっても、わたしは、手抜き屋なので、あまり一生懸命、働かないから、マネはできないだろうけれど。
能力的なこともあるので、自分の人生はやはり、今と同じにしか歩めないと想像する。
自分が歩む人生として予想する中では、ベストな道だと思っている。

若い頃は、なんで、もっと、これこれ、あれあれ、しなかったんだろう、と、自分の怠惰や無能を悔やむ時期があった。
でも、今は、肯定どころか、よくぞここまで非力ながらも歩けたと、自画自賛している。
まさにラッキーである。
こんなにサボりなのに。


・・・と、賞をいただいた感想を述べなければ・・・
えと、えと・・・そうですね・・・う~ん・・・
蝶ブログを読んでくださって、ありがとう。
へんてこながらも、自分流で、これからもやっていきます。

とかなんとか、照れまくりです。

 

 

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複雑な心境

2015-11-04 | わたし

母は、楽天家で、激情型、感覚派人間である。

「おかあちゃんは、18歳から歳を取らへんねん」
とずっと、母はそう言っていた。

わたしが、18歳を超え、大人になって母を見ると、ほんとうに18歳でアタマがストップしていた。

良く言えば、天真爛漫、子供のよう。
悪く言えば、考えなし。自分のことだけしか見えない。

親は「手本」である必要はなく、「見本」であればよい。
この、わかりやすい「見本」に、我々家族は、悩まされ続けたことだろう。
姉の結婚の時に色々あって、母は18歳から少し精神年齢は否応なくアップさせられたようだが。

70歳を超えた、ある日、母は言った。
「おかあちゃん、このごろ、顔にシワが出てきたわ。どうしよう・・・」

わたしは、この言葉を聞いて、一瞬、言葉を失った。
自分をいくつだと思っているのだろう? この人は。
れっきとした、堂々の老女なのに。


人間の年齢と肉体、頭脳、精神は、それぞれリンクしているものである。
心身共に、若さを保つのは良いことだと思う。
だが、経験による、歳相応の常識や、分別、思考力を備えた上で、若さを失わないことが素晴らしいのである。
なんにもなくてスッカラカンで、肉体は歳がいっているのに、アタマがただただ若いだけ、というのは、どんがらの大きな子供と同じ、
たんなるアホ以外のなにものでもない。

母は、思ったまんま、感じたまんまを口に出し、行動に表す。
中でいったん思考するということをしない。
お腹の中は、行動の全てである。
車でいうところの、ハンドルの遊びの部分はない。
喜怒哀楽が激しく、はっきりしている。
その影響で、わたしは、喜怒哀楽を表さなくなってしまったのではないだろうか。

(さらに、わたしの影響かも知れないが、次女は喜怒哀楽をほとんど表さない。
これはマイナスポイントと感じる。たんなるDNAのせいかも知れないが)

昔の人は、スパルタ教育だったので、母親もその例にもれず、スパルタ教育だった。
兄、姉は、ずいぶん、ビシバシ手をあげられた。
しかしながら、兄は、跡取り息子ということで、大事に扱われたので、たいした被害はないが、
姉とわたしは、被害者である。
姉は、DV系、わたしは、モラハラ系の色合いが感じられる。
といっても、ご近所の人に通報されるほどの深刻なものではない。
ごくごく一般的な、普通の家庭も、あんなものだと思う。

が、中学か高校のある時、当時親友だったN子の家に遊びに行くと、
N子のお母さんの言動に対して、N子が、「お母さんに怒られた」と、パニックに近い変化をもたらし、わあわあ泣き叫んでいた。
あのお母さんの言動ごときで、なぜ、あんなに泣くのか、さっぱりわからなかった。
わたしにしてみると、痛くも痒くもない、ごくごく普通の行動だったが。
各家庭には、各家庭の特徴があるのだと、その時、思った。


母は、「思慮深い、大人しい人」の正反対で、そして、一般的な「社交的」の正反対。
でも、権力や行動力はあり、家族以外の人も、好きなように使う女帝だった。
権力は、父親の能力のおかげだったのだが、本人には見えていないようだった。
母が結婚した18歳の時以来、ずっとそれが続いていた。
だから、いつまでも18歳なのだろう。

わたしにとっては、完璧なる反面教師だった。

今も、きょうだい、兄、姉、わたしが母を囲んで集まると、小さい頃のウラミツラミ、苦情ばかりが噴き出す。
こんなことをされた、あんなことをされた、ひどかった、と。
母は、「そう?・・・そんなんやったの? 悪い母親やってんね。ごめんね」と口では言っているが、
あれは、まったく覚えてもいないし、理解もしていないと思われる。
神様のプレゼントである。
自分にとって都合の悪いことや、自分の精神衛生上、良くないことは、すっかり忘れる。
反省して、しゅんとしているかといえば、まったくそんなことはなく、
ただ、反省と陳謝の言葉を発して、その場を取り繕っているだけであって、こころは、まったく籠もっていない。
母のこころは、まったく痛んでいない。
自分にはなんの覚えもない人のことを言われているのだから。

なぜ、そんなことをわたしが言うか?
他人さんが聞けば、「おかあさんは、反省もし、謝っておられるのだから、今更、そんなに怨まないで。
親は、子を思って厳しく躾けていたのだから、仲良くすれば?」と、思われることだろう。
母のことは、我々家族がよく知っているので、他の人がどうこう思ったとしても、家庭内のことは、他人には見えない。

この歳になってはじめてわかったが、兄も姉もそうとう、怨んでいるように感じる。
わたしがまだ、その中で、いちばんマシで温和、温情派である。
母が弱ってきて、はじめて皆、口に出しはじめた。
それだけ母は、強かったのだろう。強すぎた。

子供に良かれと思ってしたことであっても(母の場合、その時その時の激情で叱ったりしているようだが)
子供はその時は怨んでいても、やがて成長し、子供を持つと、親のありがたみがわかるというものである。
子供の頃のことをまだ怨んでいるというのは、我々きょうだいは、そうとう人間が出来ていないのか、成長しきっていないのだろう。
世話になった親に恩返しすべきときが来ているのに、親に対する恨みがぶり返すなんて。

今、まさに親孝行しなければ後がない、という時期になって、
行動は親孝行をしているのだが、こころの中では、ちっとも親孝行ではない。
親孝行、したい時には親は無し、とは、よく言ったものだ。
この世にいなくならないと、わだかまりがなくならないのか、
あるいは、完全に肉体だけにならないと、素直な気持ちになれないのか。

これからは、母がどんどん透明になっていくにつれ、われわれの感情も透明になっていき、
やがて感謝に転じていくことだろう。


と、ここでふと思う。
「わたし」という親に対して、子どもたちは、どういう風に感じているだろう?
逆に怖くなる。
なにごとも、感謝。赦す気持ちが大事。
寛容にならなければ、と思う。

 

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