蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

寒く暗い雨の朝

2024-03-12 | わたし
ある人と話していた。
30年来の知り合い。
「今はもう別に何がしたいというものはない」と、わたしが言った。
すると、その人は言った。
「もう、やりたいことはやったからでしょう?」
なるほど。
その通り。
かと言って、今はやる気がなく生きた屍というわけではなく、十分満足しているのだ。
あとはそのまま、すーーっとニコニコして生きていけたらいい。
わたしはまだまだ平均寿命より20歳も若いのに、皆さんには活力がないと思われることだろう。
だが、満足していたら、別に活力がなくてもいいと思う。
イキイキ、やたら元気に張り切って頑張らないといなければならないのか?
誰のために?
愛する家族たちはいて、こころの拠り所にしているが、今は見守るスタンスで関わっている。
いずれ、見守られる時期が来る。

頑張らない、頑張れない自分がそれで良ければ良いのでは?
活発な毎日を期待されるとすると、誰に期待されるのだろう?
静かに安らいで生活しているのは、わたしの年齢では理想的模範的ではないのかも知れない。
模範って、誰のために?
自分で勝手に理想像を作り上げて、へんに抵抗している。
迷惑をかけなければ、自分の満足いくようなスタンスで生きたい。
自分の理想像そのものが変化しているのだろう。
出力を減少、下げて行きたい。
世間(メディア)では、下げるな下げるなと圧をかけてくる(ように感じる)。

暗いニュースや災害特集が続く。
一瞬で積み上げてきたものが失われた絶望感、喪失感、虚無感は想像を絶する。

今日は朝から寒い雨。
食欲がないのと同様に、書きたくなる気力というものも、わたしの心身健康のバロメーターのようだ。
どんな状況であれ、生きていかなければならない。
また時間が変われば気も晴れる。気が変わる。

暗いブログ記事はアップしない方針の人もいる。
元気な時の自分しか表に出さないようだ。
読む人に与えるものを想像する、忖度。
マイナスの自分は出さない。
ゴミを散らかしては迷惑。
それもまたその人のスタンス。
人の数だけ考え方、感じ方がある。

ある人に「ズルい(逃げている)」と言われた。
わたしが結論を出さずに、のらりくらりしているからだ。
努力から逃げる。
やりたくないこと、向かい合わなければならないこと、対峙から逃げる。
暖簾に腕押し、2階から目薬、糠に釘。
一向に成果が上がらない。積み重ねようにもザルから溢れ落ちる。
確かにその通り。
わたしは、優柔不断そのもの。
何も好きでそうしているわけではない。
このわたしの性格、短所は大きな悩みの一つ。
潰れず持ち堪えられるか。
寒い雨の日は、古傷が痛むかのように、どんよりこころが沈んでいる。