狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

賢さについて

2009-12-23 11:23:48 | Weblog
人により
人の基準が
二つあり
犬の賢さ
猫の賢さ

知力、頭の良さの種類について考えてみる。

獲得力
瞬時に損得を判断し、得な方を奪取する能力。

直線思考力
有る状況下でこうなる、その結果こうなると、結果から次の結果を予測する能力。

危険察知
経験に基づく直感のようなもの。

妄想力
社会規模のフィクションを継続的に考える能力。

読解力
文章を読み書いた人間の意図を推測する能力。

要求推察力
目の前にいる人間が何を求めているのか推測する能力。

幾何識別力
図形の違いや相似を見分ける能力。

記憶力
見たこと、聴いたこと、読んだことを中長期的に覚えておく能力。

嘘力
騙されたがる人の嗜好を見抜きそれを実現する能力。

他にもありそうだが思いついたものを並べてみた。
賢い、というのは他人の、他人について感想である。
あの人は賢い、賢くないと。
そう呼ぶ側には基準が二種類あると見る。
当人の損を回避する能力を賢いと呼ぶ場合と、
呼ぶ側の欲求を察する能力を賢いと呼ぶ場合。
この呼ぶ側の差は重要とみる。
後者の意味で賢いとされる人は同じ状況でも癒着相手によって違った判断をする。
私は本来賢いとは前者の意味であると見るのだが。
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優しさについて

2009-12-23 06:39:28 | Weblog
優しさを
求める人に
優しさは
与える人に
疚しさも有り

有るところに死刑囚がいた。
彼は荒んでいた。
周囲は彼を持て余していた。
慰問に呼ばれた神父が彼に「救出作戦が進行中だ」
と囁くと荒みは無くなり彼は模範囚となった。
「作戦決行は死刑執行の瞬間だ」と言われた彼は
最後まで安らかでいられた。
何をしたのかと問われるとその神父は
「彼に希望を与えたのだ」と答えたと。

有るところに農夫がいた。
彼は貧乏だった。
周囲は特に彼を気にとめなかった。
ある時やってきた詐欺師が彼に「お前は実は大金持ちの子だ」
と囁くと彼は働く怠けだした。
「もうすぐ遺産を相続することになる」と言われた彼は
働くことを止めた。
何をしたのかと問われるとその詐欺師は
「彼に希望を与えたのだ」と答えたと。
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豊かさについて

2009-12-23 05:07:51 | Weblog
多く持ち
壁で囲って
外に出ず
往来からは
無くとも同じ

厚生労働省と文部科学省、経済産業省の大臣、採用拡大を要請。
http://www3.nhk.or.jp/news/k10014599721000.html
これで少しはマシになるか。

さて豊かさについて。
日本は豊かな国である。
東京のデパートの地下に入ると食料品の種類の豊富さに圧倒される。
では日本人は豊かか。
たしか一人あたりのGDPは世界で二十位台だったはず。
円高になって少し上がったかもしれないが実態が変わったわけでなし。

食料の量を考える。
日本は食料の量は豊富か。
否だろう。
食料が多いのは農業国、食料を多く持つ人は農家だ。
各家庭毎の備蓄はほとんど無い。
つまり食料の量に関して日本は社会の財産が店舗に集まっており、
それが選択の多さを形作っていると。

土地はどうか。
狭い。
人が多い。
平地が少ない。
言い換えると国土に山林と海が占める割合が多い。
日本では居住地から少し離れると山水溢れる環境になっていると。

文章はどうか。
その多さ、アクセスの容易さにおいて他の国の追随を許さない。
圧倒的である。
絵も多い。
その量、突出している。
多くの人が文を書き絵を描く。
良さが競われ、次々に生み出されていく。
それがそのまま国民の豊かさになっている。

どうも豊かさとは競争とその結果の共有らしい。
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尊さについて

2009-12-23 02:59:13 | Weblog
尊さの
言葉が掛かる
天秤の
皿の一方
今の生活

なんか偉かったり希少価値があったりするものを尊いと言う。
自分も時々使ったりする単語なのだが、改めて考えるによくわからない価値観だ。

寒くなってきた。
布団を被って書いているのだが、キーボードを打つ指先の感覚が
冷たさに無くなっていく。
そんなわけで先ほどヒーターの電源を入れた。
この冬初めて使う。
去年まではもっと早い時期から使い始めていたので
今年は無駄を省こうという意識がそれなりに働いていたのだと思う。

ヒーターの電源を切った。
五分くらい点けていたか。
布団の中でじっとしていると暖かくなってくる。
まだしのげるな。

尊さってなんなのだろう。
何かを尊いと感じる。
心の持ちようか。

命を尊いという。
だが大腸菌を尊いということはあまりないだろう。
何かを尊いということはつまり、それ以外は尊くないということか。

貴い犠牲という。
尊いと貴い、日本語での発音は同じだが漢字が違う。
前者はもっぱら神聖さ、後者は貴重さの意味で使われる文字のはず。
自分が助かった側、犠牲にならなかった側にいる時に貴い犠牲と言う。

命の尊さ。
自分が助かっていることと違う状態とをなんらかの形で比較する時に
感じることが尊さなのだろうか。

今ブログのトップページを見たがこれ、
616個目のエントリーだな。
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清らかさについて

2009-12-23 01:46:09 | Weblog
水道の
水やかん入れ
火に掛けて
湧いたら止めて
後の飲み水

雪の白さをもって清らかと言う。
ウソつけと思う。
周知の通り雪の粒は空気中の塵を中心に成長し、有る程度の大きさになって降ってくる。
純白の新雪も視点を変えればゴミの山。 重量の大半は水ではあるが。

工場でペットボトルに詰められた水を綺麗と感じ、
そして水たまりの水を汚いと感じる。
前者を飲むことで健康に異常を来すことはまれであり
後者を飲むと高確率でトイレの親友となる。
要は微生物でありその活動によって作られる毒素なのだが
人間は微生物のジャングルなわけだ。
人が健康と感じる状態とは表皮や腸内常在菌のバランスが取れた状態であって
それらが抹殺された状態ではない。

人は人に清らかさを求める。
それは幻想以外の何物でもない。

童貞処女をして清らかと言ったりもする。
だが私は自分自身に清らかさを感じない。
物欲と食欲と性欲と殺意が毎日渦巻いている。
強く汚れた、汚されたと感じる事態となると違ってくるのだろうか。
どういう事態がそうなのかよくわからないのだが。

女子割礼の風習がどうして出来たかを考えるに多分、
処女性の証明なのではと思う。
唯一の男性という立場から夫に政治責任意識が発生し、
夫婦円満、家内平和と。
戦争とエイズが蔓延る土地でそれがどの程度機能しているか疑問に思うし
女性の従属物的地位がその状況を作っているとしたらまあ、
改善すべき所なのだろう。

社会的清潔さを保とうとする努力は意義があるとは思う。
そういう意味では不特定多数とセックスする人は、不潔なのだろう。

雪を綺麗だとは思う。
そこに足跡が付いていないという状況は嬉しく感じたりもする。
だが私はそれを、変化する中の価値と捉える。
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捕鯨について

2009-12-22 16:00:03 | Weblog
牛も肉
豚も肉なら
鳥も肉
猫も肉なら
人もまた肉

ウガンダで女子割礼を禁止。
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200912130002.html

先日の肉食についてのエントリー、もう少し続きがあったんです。
でも烏が鳴くから削りました。
納得して削ったわけではありません。
むしろその事について怒ってました。
で考えたと。
考えたのだが結論は出なかったと。

今朝ちょっと九段下の神社に行って来ました。
行くことは昨日思いついたのですが、行くのは今日になりました。
明日行くというのは今の自分の感覚と違う気がしますし
明後日明々後日行くのはもっと違うと。

先ほど、NGが出た理由を思いつきました。
私の立場は捕鯨派では無かったわけですな。
そして私はそれを意識してはいなかった。

私が何をしたかったのか。
多分、抹殺だ。
私は反捕鯨派を言論暴力で抹殺したかったんですね。
二年近く前に捕鯨論争を一時自粛すると書きましたが、思い返すにそれも
何時でも殺せる感覚があっての事だった気がします。

じゃあどうするか、ということなのだが。

アウシュビッツの看板が見つかったそうです。
http://english.aljazeera.net/news/europe/2009/12/20091221192840374.html
見つかって良かったですね。
私はガス室については衣類に付いたダニなどの殺虫に使われていた
との説が正しいと見ていますが。
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冬について

2009-12-21 21:55:17 | Weblog
歯が痛み
冷える室内
縮こまり
布団被って
さわやかな朝

シュワルツェネッガー氏、オバマ氏を高く評価。
http://cnn.co.jp/usa/CNN200912210011.html
ブルームバーグ氏も同様の模様。
実務に近い政治家からの評価ですから、それはそうなのでしょう。

パチンコから銀行撤退。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-12-17/2009121715_01_1.html
これは良いニュース。

伊豆半島東方沖収束とのこと。
http://www3.nhk.or.jp/news/k10014569191000.html

さて冬について。
天文学上の冬とは冬至から春分までのことらしく、
冬至とは太陽黄経が270°になった瞬間だとか。
ということで冬は明日からということらしい。
日の出の遅い日、日の入りの早い日は冬至とは一致しないとか。
公転軌道が楕円だからだろうか。

冬というと雪ですね。
先週日本海側で大雪が降ったらしく見に行くべきかとも迷いましたが
いくつかのニュースを見て止めました。
札幌雪祭りは2月5日からのようです。
前回雪を見たのはたしか今年の前半、羽黒山に行った時のことだったと思います。
あの日は大量の花粉に襲われてその後も一週間くらいアレルギー症状に悩まされました。

さてCOP15とやらが閉幕したとか。
世間では相変わらず地球温暖化が騒がれていますが
私は寒冷化を危惧しています。
温暖化と寒冷化とどっちを選ぶかと聞かれたら間違いなく温暖化を選びます。

日教組系組織が病休指南とか。
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/091220/lcl0912200131000-n1.htm

花粉飛散は一ヶ月後。
http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20091221-OYT1T01077.htm
マスクの準備が必要ですね。
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肉食について

2009-12-20 14:17:29 | Weblog
肉食べる
美味しく食べる
ありがとう
ごちそうさまと
たべた後言う

土地改良費陳情だそうな。
http://www.asahi.com/politics/update/1219/TKY200912190173.html
確かに日本の農政は破壊が必要かもしれない。
が、破壊が怖い分野でもある。
他に破壊が必要そうな所を挙げるとするなら医学研究あたりか。

さて鶏卵は肉だろうか。
生物として独立しうるわけではないので分泌物代謝物の類と言えなくもないはず。
だが処女生殖の例もあるので一応食肉に分類出来なくもない。
鶏卵が肉かどうかはさておき、人は肉を食べる。
牛肉、豚肉、鶏肉、羊肉、馬肉、狗肉、鯨肉、魚肉、甲殻類。
食べる理由は美味しいからであり、健康は二の次だったりもする。
食べない理由は宗教だ。

人の肉を食べるのは正しいだろうか。
多くの分化でそれは正しくない行動とされる。
だが肉は肉だ。
所詮肉であり、タンパク質の塊である。
何故食べないのか考える。

まずは感情だろう。
生きている人とさっきまで生きていた人は、ぱっと見同じだ。
他人を食肉候補とすることは失礼であり
自分が食肉候補とされていることを感じるのは不快である。

次が社会認識の問題。
今朝方おはようございますと挨拶した相手を夜になって食肉のかたまりと認識する。
この切り替えは多くの人には難しい。
共同体メンバーを食欲で理解するのは共同体維持という点で問題が多い。
だから食べないのが道徳となったのだと。
もちろん人を食べる文化もある。
これは共同体メンバーの認識が違うのだろう。
共同体従属人はメンバーではないと厳密に規定されていると。

疫病問題。
異常プリオンなどの問題が原始社会で表面化していたとは思えないが
人の死体に集る微生物は生きた人間にとっても有害だったりするわけで。
それを肉として取っておくよりも早々に焼くなり埋めるなりした方が衛生的だろう。
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吸い上げ装置について

2009-12-20 11:03:37 | Weblog
雨水が
染み込む先の
地下水の
水面下がり
田畑枯れゆく

13の番号を振られたファイナルファンタジーの新作が
なにやらとてつもなくゆとり仕様らしい。
発売日に買って道路を喜びに走ったのは確か5の時だった。
私が購入を続けたのは9までだったがとうとう記憶になってしまったか。
余談だがブログ更新用のテキストファイルとgif用作業フォルダも先日13番目に突入した
だからどうというわけでもないが。

さて再配分とはなんだろう。
世の中には足りている部分と足りていない部分とがあるわけだ。
足りている部分から足りていない部分に回す。
これはまあ、有る程度は正しいとしよう。
では足りていない部分は何故足りていないのか。
これが判らないと社会全体が貧困側に傾く。

貧乏人は何故貧乏か。
これは収入が少ないからという答えと、支出が多いからという答えとが有る。
収入についてはひとまず置いておく。
貧乏人の支出は何か。
並べてみる。
食費。 家賃。 衣類。 光熱費。 学費。 家具や家電。
医療費。 移動費や車。 映画、スポーツ、音楽などの娯楽。
旅行。 酒や麻薬。 風俗。 賭博。 投機。 借金。 宗教寄付。
先進国と後進国では若干状況が異なりそうだがとりあえず、こんなところだろうか。

ある所に労働者が居たとする。
この人は収入の大半を病気の親に充てているとする。
働いては治療費。 たまの休日は見舞い。
彼を見ている医者はこう言うだろう。
彼にはもっと収入が必要だと。

ある所に労働者が居たとする。
この人は収入の大半を借金返済に投入する。
働いては入金。 帰る場所はボロ屋。
彼のおかげで潤っている金貸しはこう言うだろう。
彼にはもっと収入が必要だと。

ある所に労働者が居たとする。
この人は収入の大半を酒に投入する。
働いては酒。 食わなくても酒。
彼のおかげで潤っている酒場の主人はこう言うだろう。
彼にはもっと収入が必要だと。

餓えた鵜にもっとエサを、と肥えた鵜飼いが叫ぶ構図。
それが善意か悪意かは叫ぶ当人は判断出来ない。
人は常に自分の食い扶持に不安を抱えているから。
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素人投機について

2009-12-20 08:44:45 | Weblog
ストローで
中の液体
吸い上げる
程なくコップ
空っぽになる

国家がするべき事を私は、飯屋のテーブルにおかれた急須にお湯を注ぐことに例える。
足りていない急須に継ぎ足す。 その繰り返し。
別の考えもある。
国家がするべき事は一人一人のコップにお茶を注いで回ることだという考え。
後者の考えを実行に移すと何が起こるか。
行き渡らなくなる。
声の大きい人のコップに注ぐ、という行動を繰り返すだけになる。
ではこれはどうか。
毎回全員のコップに注いで回るのだ。
これなら時間はかかるが注がれない人は居なくなるはずだ。
これがベストだと考える人も多いだろう。
消費は義務だと捉えるとこうした財政は、最初の一回を除き愚行だという結論が出る。
飲まない人、飲みたくない人にお茶を強要する形となっていく。
一時間に一回しか注がれない状況下で多くの人は、飲みたくなくても胃に流し込む
という行動を取るだろう。

さて素人投機について。
中産階級が大きくなった社会でお金を持っている層はどこになるか
というと、当然中産階級であるとなる。
金を持った大衆である。
相場の変動という要素がここでどの様に働いているか、単純化して考えてみる。

最初、投資者が買う。
次に大衆が買う。
その後投資者が売る。
そして大衆が売る。
最初に戻る。

ここに高い安いを入れるとこうなる。
最初、投資者が安値で買う。 価格が上がる。
次に大衆が高値で買う。 価格が上がる。
その後投資者が高値で売る。 価格が下がる。
そして大衆が安値で売る。 価格が下がる。
最初に戻る。

ここに煽動を挟んでみる。
最初、投資者が安値で買う。 価格が上がる。
大衆を買えと煽る。
次に大衆が高値で買う。 価格が上がる。
その後投資者が高値で売る。 価格が下がる。
大衆を売れと煽る。
そして大衆が安値で売る。 価格が下がる。
最初に戻る。

投機市場において大衆行動は吸い上げ対象となるわけだ。
大衆に落とされた金は詐欺者に集まって終わる。
マス・ドレイン・サイクルとでも呼ぶか。

もちろん金持ちが大金を持っていても同様のことは起こりうる。
だが馬鹿に多く注ぐということが詐欺人種に金を吸わせる結果に繋がりやすい、
詐欺傾向の強い人種ほど馬鹿に金を、労働判断権を握らせようとする、
そういう傾向があるだろうことは推測出来る。

ではどうあるべきか。
簡単だ。
国が必要を満たし、そこから先馬鹿は貧乏で良い。
大衆が毎日食える国、貧乏人が死なない社会、そこまで出来れば充分。
政治が大衆の欲を満たそうとする必要は無い。
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