狸喰うモノ牛愛でるモノ

あー。 なんでこんな偉そうな事書いてるんだろうなー。

アフガン人は馬鹿ばかり

2013-03-30 22:01:50 | Weblog
米軍がアフガニスタンから撤退する理想的な条件ってどんなだろうと
考える。 アフガニスタンが平和で民主的自由主義的な社会になったら
喜んで撤退するだろうと見る。 まあ大勢は、であって残ろうとする
崇められ好きはそれなりの数居るだろうとは見るが、そういう人の多く
は最初から指導員かなにかを目指すだろうから「米軍がそうなっている」
という問題は少ないと思う。

まず平和だ。
平和な社会ってどんなだ、となると夜きっちり寝れる社会がそうだ、と
いうのが一つの答え。 寝る時に明日の朝起きたら戦争被害者にも犯罪
被害者にもなっていないだろうと予想が付く状態。 そういう意味では
北朝鮮では右派以外は平和な社会を謳歌しているしまた日本での破壊
工作に加担している人たちは日本に米軍が居て自衛隊が居て警察が機能
している状態こそが平和ならざる状態だ、となったりすると。 彼らは
警察を機能停止させるべく動き私はそれを見て内戦を危惧したりする。
今回はアフガニスタンだ。 他はまあいい。
何故アフガニスタンは平和ではないのか。 ドンパチやっているからだ。
何故アフガニスタンではドンパチやっているのか。 米軍が居るからだ、
というのが一つの答えとして出回っているが、米軍が来る前からそう
だったのだから私はこれを取らない。 アフガン人は個々に銃を持って
居て、時々互いに向けて撃つ、だから平和じゃないんだというのがこの
問いに対する私の答え。 何故個々に銃を持っているのかの答えは治安
が悪いからだ、が答えでありどうすると治安が良くなるかの答えは一番
手っ取り早いものは米軍に協力すればいい、というもの。
ではアフガン人が米軍に協力しだしたらアフガニスタンは平和になる
のか。 反米闘争をしていた人たちには平和は来ないだろう、が沖縄を
見た私の答えになる。 では米軍が撤退したら平和になるのか。
おそらくノーが答えだが、北朝鮮の平和ならあるいはと。

民主的な社会ってどんなだ、はとりあえず議会があって選挙があって、
が表面的な答えになる。 では民主的な社会は良い社会なのかという
問いが発生するがこれも場合による、としか言いようが無い。 皆が皆
騙し合い奪い合い殺し合いを望んでいるのなら民主主義が機能したら
そういう社会になる。 奪う事を望んでいるが奪われる事は嫌だ、
みたいな奪わない社会を作る人に独裁権力でも与えてしまう方がまだ
マシな結果を得られるだろうというのが私の答えであり、これが日帝に
よる朝鮮半島統治と米軍による日本統治を同様に肯定する理由になって
いたりもすると。 こうした統治を嫌う人は嫌う。

民主主義を望むのなら米軍がやっている作業が終わるのをただ待てば
良いとなるし、奪い合わない社会を望むのなら米軍に任せれば良い、
むしろ米軍の撤退に反対する側ともなりえる。

さて問題はアメリカではなくアメリカの友人たちの方だ、といった見方
も可能、というかむしろ一般的かもしれない。 だがそもそもそうした
腐敗人士たちとの友情を不快に思うアメリカ人も少なくない。 平和な
状態が実現し、事実関係が明らかになれば彼らは逆に、アメリカから
追われる立場となる。 日本の場合はそうなるのに終戦から70年近く
かかった計算になるが。 ではだ。 彼らがアメリカとの友情を維持し
ようとするならばどうするだろうか。 それは簡単、治安悪化の理由を
作り続ける。 そういった人たちがどう動こうと治安回復は社会を良い
方に向かわせる、といった話でありそれを選んでいない人たちは誰を助
けているのか、といった話であり。
抵抗運動っていったいなんなんだろうなーって疑問がタイトル。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

創世記再解釈

2013-03-30 21:52:28 | Weblog
当初善悪は無かった。 「全」と「他」でしかなかった。
「全」の「他」に対する好き嫌いはあったが、それも善悪ではなかった。
「他」同士の関係があり、それを「全」が見た時善悪が出来た。

彼らの反応どんなかなーと思って、教会っぽい所に潜り込んでみた。
相変わらず「アダム氏がー」とか言ってた。 雑感として末端はわりと
好意的、管理者層は嫌と善。

渦仮説でアダム氏の話を考える。
神様が世界を創ってそこに「他」めいたものを発生させてみたんだな。
そして七日目に休んだとされている。
その後にアダム氏の話が始まる。 ほっといたら他が消えてしまう事が
確認されたのでそれを維持する器として肉を作った、と解釈する。
食は吸収的、性は拡大支配的、睡眠は維持保全的。
七つの大罪とかってのをこれらの異常に当てはめる事も可能かなと思う。
a,b,c,ab,ac,bc,abcで七つだ。 微妙にはまらない気もする。
イブ氏の話は寝ているアダム氏から「弧」を取った、と解釈。
男は弧が欠けた状態だから食的であり女は弧的だからその延長上を自己
と認識する傾向が有り身内支配的になると。 初期状態として単独では
自己確認的にはなっていない。 自己確認的ではない男も環が開き弧的、
ファッション的になる。 環性に乏しいほど天使と相性が良く占い好き
になる。 色々とフェミニストが怒りそうな話になってきた。 肋骨
イコール弧からの推論なんだからどの道彼らは怒るか。

知恵の実を食べる前のアダム氏はどのような存在だったのか。
私は前後の差を、他に対する詐欺性の有無と見る。
食べてすぐファッション的になったとある。
では他に対する詐欺性が低い、無い人たちってどんななのかだ。
私はそれを、決めたルールに愚直に従い個々に人毎に真実が有るとして
いない人たちに見る。

蛇氏は何故アダム氏に知恵の実を食べさせたのか。 私はこれを、予定
変更後も前の予定通りに行動した結果だと見る。 当初の予定に対して
固く、固く在る事が個となっていて確認的ではない。
蛇とは何か。 何故蛇なのか。 渦の間を蛇行する、それ故か。

さて人の詐欺性はどのようなものか。 個々に真実が有る。 一個が他
の一個の真実を見ようとする。 そして他に自分の真実を見られる事を
避けようとする。 避けようとする行動が詐欺性となっている。 それ
が社会の多様性を作っている、とも取れる。 詐欺性が無かったら個対
個のみの社会となる。 隠すのに他を装う、これが社会の多様性だが個
の多様性とは別だわな。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

そんなわけでニューヨーク解禁!

2013-03-28 13:59:24 | Weblog
前にQ33NYってのが流行った事があったと思う。
フォントをwingdingってーのに変えると飛行機とツインタワーが
現れるってヤツ。 どうもQ33ってのが出所不明でガセネタらしい
が結論みたいだけれども問題はNYの方。 ユダヤ人がいっぱい
居るからJewYorkともとも呼ばれているそこ、日本語で偽ユダヤ
のイニシャルがNYなんだな。
それだけじゃないけどそんなこんなでニューヨークだから駄目!
ってしてたんだ。 んだけど今回私がエズラ記読んだから解禁。
ただし。
駄目なものは相変わらず駄目。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

エズラ記読んだった

2013-03-28 13:28:40 | Weblog
うはwwおkwww、みたいな?
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

何故田舎の人は陰口とパチンコを好むのか

2013-03-27 14:26:59 | Weblog
いや田舎に限った話ではないのは知っている。 語呂がいいのでこう書いて
いるだけで。
基本的に「駄目な他人」が快だって事なんだろうなーとは思う。
現実の自分が駄目だという意識が有りパチンコで勝つ自分というのが空想の
「駄目じゃない自分」に一番近い「現実の自分」になっている、が他人に
してみればそれも駄目な隣人でありパチンコでいくら勝った負けたと言い
合うのがそういう人同士での都合の良い妥協点になっている、そんな所なの
だろうか。
陰口は他人の良い部分を見るのが嫌でやっているような気がする。
「他人も駄目でなければならない」といった意識が有りそれがそのまま行動
になっていると。 罵り合う他人を喜ぶ人を見る。
なんでそうなったのかが疑問なのだ。
自己認識の差、だとするとそれをやらない人は結局そうなる、という事か?
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

悪魔追記

2013-03-26 14:45:01 | Weblog
四群分類での悪魔の定義は「もっぱら良さの無い領域で活動している天使」
だな。 悪魔によって良さの側に追いやられた人、という現象を良さの側から
見ると「悪魔が悪人を連れて来た」となる。 また良さの側から悪魔が人を
引っ張って来る、という現象を良さの無い側から見ると「天使が良さを持つ人
を連れて来た」となる。 スカウト的な?

終末に見る悪魔の作業は破綻誘導的である。 破綻の先に何があるか、だ。

渦仮説に天使や悪魔の定義はまだ無い。 多分集団に対し大渦的、ガイド的に
動く意志、となるのではないかと。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

天使と邪神

2013-03-26 14:20:00 | Weblog
田舎の社員の話があった。 なんでも毎日陰口と「パチンコでいくら勝った」
とかの話しかしないのだそうな。 陰口はまあ判る、というか、そういう人は
そういうものだ、というくらいに認識している。 パチンコの方がよく判らん。
とりあえず駄目そうだ、とは感じている。 何故そうなっているのかの仮説を
自分の中で構築中。

衆院選無効の判決とのニュース。
どうせ「9条の会」系の雰囲気を拾ったものだろう、私はこの判決を三権分立
に反するものだと見る。 三権分立自体はどうでもいい。 どこまでいっても
地上のルールだが神権政治なんてやったら意思の無い連中がいつまでたっても
意思の無いままだろう、それよりかはマシ。 問題が有るとするならそれを
掲げている連中がそれを遵守しようとしていない点だろう。
9条の会については事実が表面化してきている。 興味が有る様なら調べて
みると面白いかもしれない。 テレビや新聞が取り上げてこなかっただけで
周知の事だと言われれば、まあそうなのだろうとする所だが。

日本人の罪人化を思うに連中の強迫観念、未だにマナー向上キャンペーンを
やっている。 これを正常稼動だとするとその先にあるのはゴミ掃除、などの
予想が浮かんでくる。 絶賛異常行動中だとするとまあなんだ、強迫観念の
連中が邪神化してるつーかなるようにしかならんつーか。 そんなこんなで
止めといた方が良くね?くらいに発信し続けてる次第。

天使のお話。
このブログでは終末から遡って天使を規定している。
ヨハネの黙示録なんかにある四匹の馬とか大淫婦とかニガヨモギとか川の中の
火とかを現実の現象に当てはめてみると結構一致してね?みたいな話になって、
たまたまそう見えるのかそうじゃないのかって偶然一致する確率計算してみる
と判るんじゃね?ってなって、やってみたら結構おかしいとなったと。 んで
一致しているとなるとなんでそうなったの?って疑問が出てくる。 追っかけ
てみると地政学条件をいじれる位じゃないと実現しない、となって実現方法に
既存宗教組織の活動範囲とは無関係な宗教的強迫観念がそれに大きく係わって
いる、となる。 んでこの強迫観念、必ずしも統一的に動いていない。 個々
に勝手に動いていて時々「止まらない公共事業」みたいな事態が発生している
ように見える。 終末作業者で個別活動ならそれって天使じゃね?ってのが
ここでその規定。
まとめると、終末がある→ 実現手段の一つが宗教強迫観念→ 個々に勝手に
動いている→それって天使じゃん、みたいな。
ちなみに今が終末じゃないとするとこの説明、全壊する。

終末の準備作業を起点とすると一般に悪魔と呼ばれるようなモノもやっぱり
天使の一種だ、となったりする。 人間同士の癒着を優先するようになった
終末系宗教強迫観念を堕天使、つまり悪魔とは別物ではないかと考える。
宗教強迫観念なんだけれども終末と無関係なモノもあったりすると。
非終末系な天使の様なモノを旧神、その中でも癒着志向が強い、旧神の内で
神様の宗教容認理由から大きく逸脱していると思われるモノたちを邪神と
していると。 特定の作業をさせるために造られたモノが天使や悪魔、人間
社会の中から発生したモノが旧神、と置く事も可能。 旧神出身で天使的、
要するに終末活動をしているモノもいそうだ、という話だったり。

四群分類。
人には個が有ったり無かったりし、良さが有ったり無かったりする。 個の
有無と良さの有無とで四つに分けるのが四群分類。 個を持たせる脅迫観念
が悪魔的、良さの行動を習慣化させるのが天使的とされていると。 ただし
この天使と悪魔の分け方、終末云々とは無関係。 人の社会がこうあって
宗教がこうあるからこうなんじゃないかというもの。

渦仮説。
神様が居るのに人はこう。 人の素ネタは神様の移動によって発生する渦状
になった意思なのではというのがこれ。 元々神様は全でありそれ以外は
無かったが、世界を造るにあたって点を中心に放射的に意思が出たと。 点
が移動すると渦が出来るがこの渦はその位置からの意思ではなく、また渦と
なった意思は自己確認的な存在となると。 放っておくと渦は消えてしまう
ので食欲、性欲、睡眠欲などが順に起動しそれを渦の形にトドメ置くように
なっていると。

渦が集まるとその集まった表面や内部、もともと渦が無かったところに大き
な渦が出現したかのようになる場合がある。 渦となった意思が自己確認的
なのでありよってそれもまた意思を持った人であるかのように振舞う。
会社法人や宗教法人なんかの概念がそれだわな。 人ではないが人のように
権利が有ると社会的に扱われている。 人を苦しめる因習となったこれが
渦仮説における邪神。 邪神の実態は有るとも言えるし無いとも言える。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

贔屓の効能

2013-03-25 14:11:48 | Weblog
日教組は日本人の罪人化を進めた、と書くと一部の人は「彼らは正しい
人たちだったのだ」と反応するかもしれないと思う。 私は違う。
罪人化はマナー化にはなってもモラル化にはならない。 中国に対する
宥和政策がそれを示している。 ではなんのためのそれだったのか。
マナー化は錠剤の糖衣のようなものだったと見る。

学校の教室に少数の出来るヤツらと多数の出来ないヤツらとが居たとする。
一般的な秩序だと出来るヤツらを上にして出来ないヤツらを下にする。
基準はもっぱら勉強だ。 勉強が出来るヤツらはそれなりに判断出来るが
出来ないヤツらは考える行動様式が身に付いておらず結果としてその判断
は滅茶苦茶だったりすると。 出来るヤツらに判断させる方が効率がいい。
小学校卒業からそれがそのまま十年たって、そして上下関係が変わらず
社会秩序になってたりもすると。

ある教師が出来ないヤツらの内の一人を全員の上に付けたとしよう。
これは教師の決定としては有り得る。 それに対する生徒たちの反応は
どうか。 日頃出来ないヤツらとして扱われている連中から喝采の声が
上がるかもしれない。 出来るヤツらの多くは不満に思うだろう、だが
教師の決定だとしてとりあえずは受け入れる事が予想される。
では次回はどうだろうか。 ありそうな選択肢を三つ書く。
1. 出来るヤツら上位に戻す
2. 別の出来ないヤツにやらせる
3. 同じヤツに再度やらせる

3が一般に言われる贔屓である。 これが繰り返されたとしたら、結果は
どうなるだろうか。 まず出来るヤツらの中からは自分たちが下として
扱われ続ける事は不当だという声が上がるだろう、そして出来ないヤツら
には「何故彼だけが」といった不満が募る。 そして贔屓された一人は
判断する経験を積み続ける。

さて他の選択肢の結果はどうなるかを考えてみる。
まず出来るヤツらを上位に戻すというもの。 これは旧来の固定化が再現
されそしてそのままになる。 何も変わらなかったに等しい。
別の出来ないヤツに判断役をやらせるのはどうか。 出来ないヤツらに
やらせ続ける限り駄目な判断が続く。 出来るヤツに戻すとマシな状況に
戻る。 「お遊び」が一巡しただけで結局何も変わらない。 出来ない
ヤツらは判断ヤツらのしないまま大人になる。

こうしてみると贔屓と映る状況というのは「出来ないヤツらがそのまま
固定化される」という社会秩序に対し破壊的に作用するものだ、となる。

さてここに、勉強が出来るヤツが判断し続けるのが良い社会か、勉強が
出来るヤツの判断が良い判断なのか、といった問いが有る。
私なら、そうだな、社会の麻薬汚染に対する反応などで判断者を選ぶが。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

不特定多数に対する攻撃性

2013-03-22 14:44:23 | Weblog
海外の問題を見る時は麻薬取り締まりを基準とする、みたいな事を書いた。
他の問題は背後に秩序や生産性維持上の必要性があったり実は被害者と
される側の方が悪質なのだが発信者の情報が偏っていたりそもそも事実を
報じようとしていなかったりで色々あったりするが、麻薬ならば普及させ
ようとする側に必ず「不特定多数の人に対する攻撃性」が有る。 当人が
それを認識しているかどうかはともかく。 人の世界そのものを嫌って
いてそれが悪くなる方に傾けようとしている、と書くと判りやすいかも
しれない。 そういう人が麻薬関連問題に非常に鈍感になり、そして麻薬
周辺事物に対し好意的になる。 安全性を無視した自動車の運転なども
個々のそうした傾向の産物なのだが、これはまだ基準にはならないと見て
いる。 理由は簡単、地域や文化圏によってはスピード優先が当たり前に
なっているから。 麻薬の場合国際流通に関しては、こうした例外要素を
考慮しなくとも判断材料になる。 よって個々に「麻薬の側」がそのまま
「悪意の側」だ、となる。 単なる使用者が普及させようとしていないの
ならば悪意の側とはならないが、その周囲には悪意の側の人たちが存在
する都合、静かに縮小消滅するのを選んでいない限りはやはり、人として
どこかおかしいのだ、となる。

日本の場合、日本人社会に居る日本人の場合はパチンコ、従軍慰安婦問題、
日教組が基準だと書いた。
日教組は日本人による日本人の為の社会に対する攻撃性で出来ている、と
したらそうではない人や地域も有る、といった反論が返ってくるだろうと
想定する。 そうかそうではないか。 私はそうだと断定しても問題は
無いとしている。 理由は簡単、組織の設立理由と方向性がそうであり、
そこに入る人、入ってそこから抜けない人はそれを前提にそうしている。 
教師になった人が配属された学校ではそうなる事が当たり前でそこのそれ
がたまたま穏健派だったとしても入らない理由、抜ける理由は常にあり、
入る理由は結局のところ癒着しかない。 日教組だけがそういう組織と
いうわけではない。 例外を考慮する理由に乏しくよって判断基準に最適
である、といった具合。

パチンコ。 資金の流れその構図が海外における麻薬産業のそれに近い。
遊興者たちには悪意は無いだろう、が、業者の側には利用客に対する悪意
が常に存在する。 馬鹿騙しだけで出来ている、とでもするか。 他の
賭博についてもそう言えるといった反論が来るだろう、だが現状パチンコ
産業だけが野放図であり資金の流れがとことん汚い。 競馬や宝くじ、
賭け麻雀などが野放図に普及を図るようになったのなら当然それらも私の
攻撃対象となるだろうが現状前二者は当局の管理下にありそうなっては
おらず、せいぜい業者が己の懐をあたためているだけでそれ以上悪くなる
気配も見当たらない。 地下カジノは摘発対象である。

従軍慰安婦。 いわゆる従軍慰安婦問題はこれまでそのための道具として
用いられており現在の、当問題の維持者たちも「道具の維持」を目的と
してそうしている。

最後に対比として日本人の在日朝鮮人に対する攻撃性を取り上げるか。
現状報じられているそれらはこれまであった言論弾圧に対するデモ行動で
しかない。 朝鮮総連、民団系組織が消滅すればそうした流れは早期に
消失するだろうと予想しているつまり、不特定の攻撃性ではない。 個々
の暴力行為は依然として警察の取り締まり対象であり日本の警察に不満が
有るのならそれこそ在日米軍でも頼ればいいだけの事。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ガザにエイが来たからガザと書いたりする

2013-03-19 13:56:42 | Weblog
某所のゆるキャラコンテストが投票最終日だとか。 キャラ募集時
参加しようかとも思ったが、採用されたら困りそうなので止めた。

イケニエさんの入れ替えが多少あったそうな。
お疲れ様と、いらっしゃいと。

日本国内のニュースを見る時はパチンコ、従軍慰安婦、日教組など
を基準にしている。 エネルギー資源問題や労働待遇なんかは結局
どっちもどっち、汚い人同士の争いだったりする事が多いが、その
人に良さが有るかどうか、立ち返りの可能性が有るかどうかはそう
いったものに出ると。 より具体的に書くと「俺たちのアフリカ」
を求める人は上に挙げた様なものに付き結局そちら側に行く。
根本から汚く、常に無い。
海外なら麻薬問題な。

実は三年前、私は日本の内戦化を危惧していた。
あれは確かにそういうモノだったし実際ニューヨークは、瞬間的に
はだが、日本のアフリカ化を喜んでいた。 アフリカや南米の内戦
傾向ってそういうもので出来ている。 もちろん日本人はアフリカ
化よりも北朝鮮化を選ぶ国民なので内戦化は杞憂だ、と言うのなら
それはそれで一考だが。

以前成田空港騒動と周囲のゴルフ場化をして満州の一旗組は全滅
していたら良かったのに、と書いた。 本音である。 逆に考えて
みよう、神様が居るのに何故彼らは全滅しなかったのか。 宝石、
種、レアメタル、そういった表現が当て嵌まるような人の回収、
それも一つだろう。 それだけなら別の手段例えば怪我や病気など
で本国に移送されるとか有ったはず。 では本命は何か。
反共だろうと見る。 反露、ではない。 そちらは反共のための
もの。

ガザ地区。
アラブ人はガザ人を好いてはいない。 むしろ嫌っている、と見る
事も可能だろう。 でも大義名分になっている。 嫌っていると
仮定しよう、何故アラブ人はガザと西岸のパレスチナ系アラブ人
所謂パレスチナ人、今回はガザ人を代表として扱うが、を嫌うのか。
彼ら、ガザ人がアラブ人だからだ、とする。 では何故彼らを大義
名分とするのか。 彼らがアラブ人だからである。
わけが判らないだろうか。 こう書いてみる。 アラブ人は日常的
に直接的に関係の無い、身内性を感じないアラブ人を嫌っていて
貶めたがっている。 では何故どうにかしようとしないのかという
とそれは反欧米だから。 アラブ人同士で足の引っ張り合いを
していると自分たちは欧米よりもはるかに下になる。 それは嫌だ
が近隣のアラブ国、アラブ部族は嫌い。 「パレスチナ問題」と
言うと自分たちが近隣のアラブ国よりも上位に立てる、自分たちが
言う側でアラブ諸国は言われる側、自分は命令する側だが周囲は
正しさを実現できない無能の側、となる。 これが娯楽として成立
してしまっている。 現実のガザ人はというと欧米、アラブ人側
から見て欧米の代表みたいなイスラエルにやられっぱなしのアラブ
の現状そのもので、だから嫌っていると。
ではガザ人にはどうすればいいのか。 現状の「アラブの娯楽」の
ままでいいのならどうするもこうするも無い。 現状のままが嫌
なら変わればいい、いっそ欧米化してみるとか。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加