狸喰うモノ牛愛でるモノ

あー。 なんでこんな偉そうな事書いてるんだろうなー。

じゃあだれがどうすると?

2014-08-31 20:30:27 | Weblog
1. そのままで良かったのに他人の意見を取り入れて止めてしまう
2. 意見取り入れによって部下たちの状態が変化したのを見落とす
3. 他案が優れているのを見てキレる
4. 恐怖政治を始める

これがそのまま書いてあるのは公正さなのだろう、ならば?
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プロテスタントの歴史をちょいと漁ってみた

2014-08-29 12:40:21 | Weblog
どやら現状彼らは大雑把に、福音派とエキュメニカル派とに分かれる模様。
私はどうかというと、それぞれ「独善的」、「胡散臭い」としており要
するに、低い評価しかしていない。 称えるならばそれぞれ「清い」と
「平和的」とになるが正直半分半分な所。
ユダヤ教、カトリックを批判しておいて結局同じ道を進んでいる、
それが本音かもしれない。
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移動する神様の話

2014-08-28 12:51:24 | Weblog
移動する神様。
これは「全てが神様の意のままでそれ以外が無い状態」から今日の多様性を持つ
世界の状態への移行として、こうだったのではないかと私が書いている話で、
この前段階、全てがそうでそれ以外を意識する理由が無い状態が「全たる」。

移動する神様とはどのような状態なのか。
思考実験として部屋の中に自分が居る状態を考える。
大雑把に部屋こそが世界の全てで部屋の壁の色が自分の思考を反映するつまり、
世界は赤くあるべきだならば部屋が赤く、青くあるべきだとしたならば青くなる。
最初からそうだった、人としてならば生まれた時から世界はそうだったならば
その人、まあこの思考実験では自分だわな、は自分と世界は同一であり、部屋が
変化つまり世界が変化している事にも気付かないかもしれない。 ところが自身
の意見の変化に伴う部屋の色の変化事態はあるわけだ。 ここに遊びが発生する
余地が出来る。 色を意図的に、気付いたら変わっているのではなく能動的に
変化させるのだ。 世界を次々と塗り替えていく状態、この意見の動的変更を
位置の移動になぞらえて例えると「移動する神様」という表現となると。

神様が偶発的、静的ではなく意図的能動的に意見を変える。 すると偶発的な
時と同様にそれに合わせて世界が変わる。 単に世界が変わるのではなく
世界を変え続ける神様。 さてここで注目するのが変わる瞬間である。
青ではなく赤がいい、あるいは黄色から緑、紫などと変化させるその瞬間は
どうか。 あるいはこう。 緑の次はまた赤の予定だったが青にした、そうした
場合はどうなるか。 一瞬だけ、「世界はこうあるべき」とする部屋の主、世界
に対する全能者に相当する、の意見と部屋、世界である、の状態が異なっている
そういう場面が出現する。 全能者の意見と異なる世界の状態の出現これが
移動する神様のキモ。 さらには変化につき全能者に、全能者と意見の異なる
過去の自分が存在する事になる。

ちょっとわき道にそれる。
人の目である。 ご存知だろう光の三原色、これは人の持つ垂体細胞の種類に
よっている。 これとは別に反対色説というのもあった。 三原色ではなく赤と
緑、青と黄色が反対色になっていてこれによって色が認識されているのだという
説。 これ網膜よりも後の神経の方の化学反応でこうなっているらしくつまり
人の色の認識は、三原色であると同時に反対色二組の四色でもあると。
7や12が一神教で聖なる数字とされる理由ってひょっとしたら、と思わなくもなく。

移動する神様。
ここではまだ霊は無い。
どうだろう、もし神様が「世界は赤くあるべきだ」と「世界は青くあるべきだ」
といった意見を同時に持とうとしたら。
仮定の話でしかない。 だがこうした状態、人には可能である。
そんなわけで「移動する神様」の次の形態が「振動する神様」と想定する事に
なると。 振動ってまたえらく物理寄りの表現だなと思うようなら「鼓動する
神様」でもいい。 神様の否定によって神様の意志が神様の部分ではなくなる。
霊の起源である。
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「全たるの意志」をどこに見るのか、という問題

2014-08-27 13:05:06 | Weblog
「全たる」というのは私が神様の初期状態想定するもので、神様にとっての事実上の
他者、霊が創造される、その前段階よりも前の姿。 そして前段階を「移動する神様」
としている。 具体的な霊の創造が、世界に反映された自身の意志の肯定と否定とを
繰り返す「振動する神様」としている。 初出だね。 この後「最初の霊」が出現し
それを元、基準に霊たちの世界が構築される。 そして霊倫理の想起により事故が
起こる。

問題がある。 
出エジプト記の25章から31章、これジャンクである。
24章から32章「金の子牛」事件は繋がっていなければならない、そしてその間に、
レビ記にでも載っていればいい程度の文章が延々と押し込められているがこれは読者
をだれさせぼかすためのものである。 問題の記述は24章にある。
出エジプト記の25章から31章はジャンクであるこれは事実。
重要な物語の中にジャンクが詰め込まれている。 あえてのそれ。
これを事実として受け止めなければあなた方は先には進めない。

さて「全たる」の意志をどう見るか。
いくつかの、主筋複数他者の争いの中にそれを見る、というのが一つの答えなのだが
それだと「では争いで決めよう」が未来を選ぶ手段となってしまう。
出来うる限りはこれは避けたい、と思わなくも無い。
別の見方は「全たるの意志は実現する」というものである。
聖書に「全たるの意志」は載ってない。 聖書を通して実現するものの中に
「全たるの意志」その実現があるなら正しい。 だがこれでもやっぱり一時的な
現象と長期的な目的に沿った変化の差が見切れず結局は各個に実現につき「私こそが
意志の体現者である」となってしまう。 
これを避ける一つの手段としては千年単位で見るのがあるんだな。
一世代単位でも無いという事はあり得ない、人が捨て置かれないとするのなら必ず
一人の人生、60年か、の間にそれはある、のだが個々の事象については「次の世代の
ためあえて」という部分とそうではなくその世代のための部分の区別がつかない。
1000年の間に世界規模で実現した事はかなりの確度でそうだとなる、また千年単位
同士の比較も可能、人類の伝統、宗教を遡れるのが三千年、これを千年区切りa,b,c
とするとa,b,cそれぞれ単体、ab,bc,acの比較、ab対c,bc対a,ac対b,abc一貫と
10の判断材料が得られる。
もちろん、記録者がウソをついていないというのがこれを可能にする大前提なのだが。
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いわゆる歴史問題系、ネットでの拾い物

2014-08-27 11:51:15 | Weblog
靖国神社参拝について
とある米国人A 「わざわざ中国にある靖国神社に参拝するとか、日本は挑発し過ぎだよ!」

韓国の反日運動について
とある英国人 「韓国は独立させてやれよ。ウチラもアイルランドとかで苦労してたから
よく分かるぜ」

在日差別について
とある米国人B 「韓国系日本人だからといって差別的待遇をするのは良くないよ。
ウチラも戦時中の日系人強制収容とかはちゃんと謝ってるぜ」
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ウクライナ情勢を考える

2014-08-27 11:21:11 | Weblog
比較対象は2008年のグルジア侵攻なんだな。
当初は「ロシアが悪い」だったアメリカ政府が割と早い段階で「どっちも悪い」に転じて
いたんだな。 今はそれが無い。 この差が何かなのだがやはりアメリカ民主党政権と
転覆工作の関係なのだろうなと思う所なんだな。
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在日朝鮮人への生活保護金支給問題

2014-08-21 12:12:37 | Weblog
今ネットで騒がれているのがこれで、これを騒いでいる側の理由が例えば
・9条を変えるな!百万人署名「百万人署名運動事務局」
・日本赤軍支援団体「重信房子さんを支える会」
・日本赤軍を支援する「帰国者の裁判を考える会」
・「共謀罪新設反対 国際共同署名運動」
・「戦争と治安管理に反対するPINCH!」
・メーデー救援会

これらの住所がなにやら全部
 東京都港区新橋2-8-16 石田ビル4階 救援連絡センター

となっているようでこれまでずーっと外患団体に税金が投入されてきたの
ではないかといった議論が持ち上がっており、具体的には
1. 反米軍団体
2. 反自衛隊団体
3. 反原発団体
4. 憲法第九条擁護団体
5. 親中派団体
6. 親韓派団体

などが特定の住所に固まっているという指摘があると。

彼らが中国の国策に加担する。 これは自由主義国家では認められた
政治活動ではある。 だがご存知のとおり中国は、東ユーラシア、太平洋の
各地で隣国の人間を殺しながら拡張を続ける現在進行形の侵略国家である。
日本の税金が日本人を殺す活動に流用されているのだとしたらこれを問題視
するのは日本人としては当然の事と見る。 そもそもだ。 在日朝鮮人たち
の保護義務は韓国政府にあり、これが彼らがこれまで自由に外患活動を続け
てこられた理由である。 彼らの日本での生活に人道上の問題があると言う
のなら彼らを彼らの本国である韓国に送り届けるのが人道上適切な措置で
ある。 韓国政府がこれまで彼らを政治利用してきた点からも彼らの義務だ
となる。

とにかく胡散臭いんだよ。 人権団体とか平和団体とか。
パンダハガーの巣なんじゃないかと。
んでそこに国連とかが係わってくる。
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救われるとかなんとか

2014-08-20 14:00:25 | Weblog
韓国って救われないなーと思ったりもする。
さて救われないと書いた。 これ救われた状態をどう想定しているかに大きく
左右される。 現状の私がこれをどう想定しているかだが、具体例として挙げ
るのがオタクである。 支配被支配関係なく、ただ口を開けて、文化を享受
し続ける、そうした立場。 「支配被支配を意識しない」と「日々の喜びを
ただ享受する」この二つ。 実はオタク文化論などに出てくる初期のオタク
たちはこうした立場にはなかったんだな。 彼らは今も芸能界関連の支配
被支配関係を強く意識し続けていてまた、ただ享受する立場にも無い。

韓国人たちの救われた状態をどう想定するか。
台湾化である。 「アメリカは台湾に国民党を投下した」などと言われたり
するが、支配被支配の部分を抱え込んでくれたのは彼らでありその結果、一般
の台湾人たちはそれを巡る争いから解放された。 ではだ。 今の韓国に国民
党ないし共産党が投下されたらどうなるか。 おそらく韓国人たちは中国人
支配の下で半有害人種として暮らし続ける羽目になる。 「日々ただ享受する
もの」が「支配被支配意識」となる。 これが延々と続くだけの毎日。
とりあえず自力統一だけでもしておけと勧める次第。

韓国人たちに救われる目処が立たない。 ではどうするか。
どうもこうも無い。 どう見えようがやる事は同じだ。 ただ突進あるのみ。
見て、引いて、ぶちかます。
とりあえずこれでニューヨークまでは開通した。

ガザ情勢。
アラブ人たちはなにやら「土地を売った祖父たちが悪い」と言い合っている
ようだがさてどうだろうと思う。 100年前、第一次世界大戦の頃のカナン
周辺でユダヤ人たちは政権獲得の可能性のある集団として何番目に位置して
いたのだろうか。 オスマン・トルコ、イギリス、フランス、ロシア、クルド
人、アラブ人たちにしても「自集団ではない人たちによる支配」は十分に
有り得た。 当時のかの地の在住者たちは抗争相手の隣の部族よりかは
ユダヤ人たちの方が買い手として良好だという認識を持っていたのではないか
と見、そしてその「風習」は今も続いているのではないだろうかと疑う次第。
「知識と判断」という点において当時の彼らは「たまたま結果が悪かった」
だけであり他の選択肢も同様に「悪い結果」となっただろう、そして情報を
持ちながらも感情論から「悪い結果」をもたらすだろう判断を続けているのは
むしろ今の彼らなのではないか、そういう指摘。
例えばだ。 第二次中東戦争後、あたりでアラブ人たちがイスラエル経済に
貢献する優秀な労働者になっていたとしたら半世紀たった今頃どうなっていた
だろうか。 イスラエル内部で政治主導権を握っていた、とまでは行かなくと
も経済を中心に無視できない発言権を獲得していただろう事を私は確実視する。
さて今からでもこうした「政策」は可能か。
似たような事をしても実現するまでの年数ははるかに遠くなっているだろう
私なら今の状況に合わせた違った道筋を立てるかもしれないが、理論上そう
した未来はあると見る。
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偏見と感情論の女問題といわゆる従軍慰安婦問題の関係

2014-08-19 20:41:44 | Weblog
女問題と置いた。
この手の議論は見たくも無いと言う方はお好きなタイミングでブラウザを
閉じていただければと思う、そもそも見ようとしないかな、まあいいや。
いわゆる従軍慰安婦問題がここまで拡大した理由と、政治や経済などの
分野で男の側、往々にして女もだが、が「女は駄目だ」といった「偏見」
を持つ理由は共通しているのだと主張する。

男の側の意識、これはインフラストラクチャーにある。 道路や上下水道
といった有形の物、教育その他による情報共有に関する共通認識、地域の
治安から国際秩序といった無形の物、宗教や適度の娯楽、いわゆる「ガス
抜き」の制度らもここに含まれるとされる。
有形無形の各種社会インフラ。 これらは労力を投入されて維持される
ものである。 これがマスコミ報道などで「男社会」とされもっぱら批判
対象となる側がそうある理由である。 実態はともかくも、理念上はこう。
この「維持されるもの」に対する態度は三通りだろう、維持活動参加者、
維持不参加者、破壊者。 ちなみに私はプロパガンダの破壊者ではある。

いわゆる従軍慰安婦問題。
従軍慰安婦を社会問題だとする側はウソツキだらけである。
私は彼らの支持者らを二通りに分けて見る。 一つは「売春業が気に入ら
ない、だから男たちをとっちめよう」とするもの、もう一つは「日本が
上にあるのが気に入らない、だから彼らを引き摺り下ろそう」とするもの。
この集団中核が各種圧力団体のウソツキたちでありぶ厚い層をなすその
周辺が支持者ら、そして辺縁が圧力団体と支持者らにおもねる連中。
日本における中核部分は民団や朝鮮総連を中心に中帰連、日教組、日弁連、
日本共産党など。 国際的なそれは台湾の国民党、中国共産党、アメリカ
の労働組合系勢力や民主党・国務省系人権団体、そしてユダヤ人団体。
そこに居る彼らにはみな「事実の尊重」が無い。 と言うのも、正直な側
の日本人らの「歴史の真実」とやらを信用するかどうかはさておき中国人
や韓国人の側がどこかしらおかしかった事は彼らに接していればそれなり
に早いタイミングで気付いてしかるべきであり、にもかかわらず彼らは
動かなかった。 彼らにはまったく事実の尊重が無い、こう言い切る事に
私は危険性を見ない。

社会インフラ。 社会インフラとは努力によって維持されるものであり、
その事に対する意識は有ったり無かったりする。 そもそも何が必要と
される社会インフラなのかの判断は千差万別であり、言い換えると、各人
優先順位、つまり「必要無い」という判断であり、あるものを切捨てる
意識がそこに存在する。
不特定多数の人間が居る社会に対し「自分が維持するべき」とするものと
「自分は維持しない」とするもの、その判断この「自分が維持する」が
ありその裏には常に「自分は維持しない」が有る。
「自分はそれを維持しない」が明確に有る。 これが社会責任意識である。

さてでは社会インフラの要不要はどう判断するべきか。
私はこれを「数字だ」と主張する。
数字なのである。
具体的には死者数。
イスラエル軍による攻撃の前にガザ人なのだろう青年が「自分は数字に
なりたくない」と言ったその数字である。 言い換えると数字の妥当性に
興味を持っていない人は社会インフラ意識が欠如しているという主張に
なる。 すこしわき道に入るもし「数字」つまり死者数がその判断材料と
なるのならばイスラエル側は悪なのではないかと主張されるだろうか。
私は必ずしもそうではないとする、イスラエル側は自身の責任範囲を明確
に示している一方で、パレスチナ人と主張する側はそうなってはいない
と見る。 相手を国家と認め国境を定めるか、血で血を洗う紛争が継続
するかのいずれかであり後者の場合は責任範囲は、自分たちの側の内部に
しか持ち得えずそれより先は「善意の有無」の範疇だ。
「イスラエル側に善意が無い」なら妥当だがそれを責める気は無い。

女に対する男社会の側の偏見とはこういったものだろうつまり、女社会
では社会インフラに対する責任意識の明確化を各人つまり女たちに求めて
居ない。 これは男の側チンピラやヤクザと呼ばれる連中も同様だが
男社会では女たちは「駄目な学校」出身者として扱われているのだと。
これに対して女たちは「私は高学歴だ」などと主張するのだろう例えば
早稲田大学などだが私はこれこそまさに「駄目な学校」なのだと見做す。

売春業の存在が気に入らない、だからそこに関わった「悪い」とされる者
を叩く。 これがいわゆる従軍慰安婦問題に対し無知なまま活動を続けて
きた各種女性団体とやらとその支持者らの態度であると私はする。 これ
に各種プロテスタント系団体も加えるべきかもしれないしまた事と次第に
よっては。 まあ大丈夫だとは思うが。 叩きはするが工夫して無くても
済むようにしようといった試みは無い。 ようは権力ゲームなのだ。
叩く。 叩く事で叩く側と叩かれる側とに分かれる。 そして叩く側で
居続けようとする。 規模の大きいそれをイギリス人たちはグレート・
ゲームと呼んだ。 日本は不参加でいい。

従軍慰安婦問題ついでに「国家の売春業への関与は悪である」というもの
について書こう、まあ些事だが。
まず売春業は悪かどうか。 とりあえずは当座の悪ではない。
男が妻以外の女とセックスをするのは悪だ、金銭でもってそうするのは
あるべき社会の形の冒涜であり悪以外の何物でもないとする宗教勢力も
存在するがそれを言うなら母親が家で食事を作らない外食産業もみな悪だ
となるだろう、あるべき家族の形のより大規模な破壊状況だ。
外食産業は(宗教倫理上の悪ではありえても)社会秩序上の当座の悪では
なく、同様に性風俗産業も当座の悪ではない。
また「国家の売春業への関与は社会の裏表分業に関する秩序に反している」
とする向きもあろう私はそれは、ヤクザ業者の政治への関与と女の社会
進出と呼ばれる現象が起きた時点で無くなったものだとしている。 そう
主張しているヤクザの皆様方には「どうぞ博物館に入ってください」と
している。
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霊倫理断片、届く

2014-08-14 11:47:43 | Weblog
今回は小ネタ。

先日風呂上りにズボン(部屋着)の腰紐が結んであった。
固くて解けないのでハサミで切った。
これを
・紐の側に意志がある
・紐所有者の側にも意志がある

と置く。
所有者にとってのそれのあるべき姿が違っている、よって強制執行。
この結果が霊倫理。

これだけでピンと来る人が居たらすごいと思う、たぶんワケワカメだろうよって
これを置き換える。
・奴隷の側に石がある
・奴隷所有者の側に意志がある

と置く。
所有者にとってのそれのあるべき姿が違っている、よって強制執行。
この結果が生命倫理。

霊倫理と生命倫理とが相似形になっている。
では「紐の状態」に伴う意志、意思はさて霊なのかといった話になってくるし
また紐を切るように霊を害する事が可能なのかといった考察も必要かもしれない。
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