狸喰うモノ牛愛でるモノ

あー。 なんでこんな偉そうな事書いてるんだろうなー。

計画が細すぎること

2011-01-30 08:18:21 | Weblog
何故うそつきか、の答えを賭博や麻薬に見る。
すべての人が理詰めで納得できるのなら
わざわざ愚か者が経験し学ぶのを待つ理由は無い。

では何故今まで居ないふりをしてきたのか。
雨が降らせても誰かしら怒るし降らせなくても誰かしら怒る。
人とはそういうもの。
居るかもしれない、くらいが一番平和だと見なされていると
そう考える。

恒久平和のためならたかが人間の一千万や二千万、
と書くと狂気の独裁者の台詞だ。
だがレコンキスタとペスト禍、ホワイトパージと大戦を
繋げて出てくる結論は、政治的にはまさにこれ。

計画の遂行者が創造者、趣旨は恒久平和なのだとすると、
私がなんなのかの答えが浮かんでくる。
可能性の一つは人の中で最も劣ったタマシイ。
こんなデブでもダイエットに成功した、みたいな話で
これがそうなれるのなら他のすべてがそうなれるだろう、
そういう類のもの。
この点については実は不満は無い。
他人との比較はぶっちゃけどうでも良かったり。
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現状に大いに不満

2011-01-30 08:14:00 | Weblog
「戦争に負けて良かった」と言っている人たちを知っている。
負けた結果支配する事から解放され、それにより
戦い続ける必要が無くなったのだと。
当然の話だが「勝った側正しい」という意味ではない。

イエス経済は自由主義経済のようなものなのでは、と書いた。
資本主義の成立にプロティスタンティズムが関係している
との指摘が経済学の方にあり、それがイエス氏の経済観を
再構築したものだとするとそういう結論になる。

日本人の多くは自由主義が与えられた事を感謝している。
では冷戦期に日本が東側に組み込まれていたとしたら、
日本人に与えられたものが共産主義だったとしたら
日本人はそのことを感謝していただろうか。
私はそれなりに多くの人がしていたのではと推測する。
なにせ戦後日本、高度成長経済は、最も成功した共産主義
とも呼ばれる。

上の文と北朝鮮に、団塊左翼に対する態度が矛盾する、
と指摘する人も居るかもしれない。
北朝鮮の人たちが現状に感謝していたとしたら
拉致問題も脱北者問題も発生していなかっただろう。
団塊左翼については戦後日本の飲酒文化の変遷を
その理由とする。
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月うんぬん

2011-01-30 08:12:28 | Weblog
どうやらあっちこっちの衛星の自転周期が公転周期と同期している模様。
半径1700kmの物体をの速度を1m/s変化させるのに同密度半径100kmの
物体を使うとすると、必要なのは運動量なわけで速度は17の三乗倍、
だいたい5000m/s、マッハ16くらい?
半径1700kmで一周が10000km、表面の速度が1m/sだと一周に10,000,000秒、
一年が60*60*24*365で31,536,000秒なのでそれだと一年で数回転。
半径10kmくらいの隕石の1/10の三乗で1/1000、オフセット衝突だと
数百年で地球から見て一回転するくらいの角運動量は得られそうな。
月の自転が公転と同じになるまで減衰するのにかかる時間が
衝突の頻度よりも十分短いのなら偶然ではない、ということに。
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「介入」であっているかどうか

2011-01-28 07:51:04 | Weblog
近代とはなにかと問われたら、通信だと答える。
これによって隣の部屋も地球の裏側も同じになった。
で通信の重要性が認識されるきっかけとなったのが
ネイサンの逆売り、またユダヤ人か、である。

バグダッド電池というものがある。
電池説、メッキ説、巻物の芯が残った説があるらしいが、
それが電池だったかどうかは置いておく。
電気発見の可能性は紀元前から人類社会のすぐ近くにあり、
例えばどこかの教団が宗教的ビリビリ体験を信者にさせ
それを隣の部屋から制御しようとすれば、それはもう
通信技術の一歩手前。

フィロキセラ禍が十九世紀後半であることから
介入者創造者説の検証をしようと思ったが
ウィルスの追加やフィロキセラのハイブリッド化などでも
被害の制御は可能と思えたので断念。
防疫の無い時代に数世紀に渡ってアブラムシのような微細な生物の
進入が無かったという状況は人の心理操作だけでは実現困難な
はずなのだが。

現在注目しているのは月。
地球の衛星が見た目の大きさが太陽と同じこと、
自転の周期が公転と同じであることは双方ともに物理的には
偶然でしかない。
自転の方はジャイアントインパクト説で説明できる
と言われるかもしれないが、それも月への隕石落着が無ければの話。
では逆になぜ同じ面か、なぜ同じ大きさかはそれぞれ、
ウサギのデザインを見せたいからと日食がきれいだからと。
一応月にソーラーセイルをおったてて制御することも可能だろうが。
何時やったのか、建築、制御、後処理はどうしたのか、
ホントにやったら海流が変わって気候が激変するなどの話も残る。
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確認を少々

2011-01-18 17:20:45 | Weblog
チェルノブイリとか自由の女神とかの一致って
偶然じゃありえないよねってのが結論。

偶然じゃあないとすると何らかの形で介入が
あったはず、ということになる。
ではどこまでが介入でどこからが違うのか。
その考察を書いてきた。

ところが普通に生きている人たちは
最初の結論が飲めない。
だから何を書いているのか理解できない。
飲めた人も常識と違ってくると
だんだんと飲めなくなってくる。
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どうすれば進むのか

2011-01-17 18:34:22 | Weblog
スペイン重商主義とカトリック。
受け取り手が織田信長氏。
これが前の状況で織田信長氏が去った後
漢民族の国だった明が滅び清に。

二人のブッシュ氏、二人のバラク氏。
湾岸戦争とイラク戦争、
自民の野党化が二回。
繰り返しそれ自体が証拠であると。

母の不理解が腹立たしい。
無理解ではなく不理解。
そうされているのだろうと見ている。
父が歯軋りの、兄弟が茨の人たちの代表。
一回目の時に私は起こされかけている。
これは私が人を責めない為のものか。
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変わり目とか

2011-01-16 21:29:55 | Weblog
二二六事件における決断というのはおもしろい。
なにせそこで計画が変わっている。
中国人から見て昭和天皇は原因ではなく結果なわけだが。
同時代の日本にあって「持っていた」ように見える人は
高橋是清氏、石原莞爾氏、山本五十六氏あたり。
昭和天皇が持っていたものが一体何なのかがはっきりしない。
マッカーサー氏と二人三脚で作ったのだろう戦後の基礎が
それなのかもしれない。

どうやらイエス経済の実現が悪と悪意の差を知るための
前提になっている模様。
世界の形、社会の在り様は実現のための道具にしかずか。
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大勢とか

2011-01-15 20:18:41 | Weblog
実家に行ったところ父が内閣改造のニュースにだろう
「自民党よりも悪くなった」と言っていた。
私の目に映るそれはようやく半周遅れ、といった所だが
これまでずっと勝っていたと思っていたらしい。

大戦が計画に則ったものだったのだとすると二二六事件は
日本に与えられたナチスだったのだとの考えが浮かんだ。
実際の歴史では昭和天皇が彼らを否定した。
罪を他者の物としたい人たちは罪人を求める方向に逃げた
わけだが、逃げなかった日本人は与えられていた場合よりも
より正しくなったのではと。

糞システムと評したが、具体的にどこがどうおかしいのか
自分の中ではっきりしていなかった。
そこで考えてみたら、少し前に拾った文章が浮かんだ。
> ほめられる→うれしい
> ほめられる→偉い
> 普通は上だがだが彼らは下だ
うれしいからほめられたい、相手が喜ぶからほめる所を探す、
それなら解る。
だが現実にあるのはほめることの強要。
これが流行、これが常識、これが大勢だと。
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うそつきとか

2011-01-14 14:21:34 | Weblog
サンタクロースというのはうその風習である。
着飾ったブスにブスと言うのは正しいか。
王様は裸だと言ったのは子供だが、
言わなかった大人たちのどこがおかしかったのか。

就職活動とは自分を売り込むこととされる。
営業とはいらないものを買わせることだとされる。
就職に強い大学というものがある。
営業に強い人たちが農民を見て土百姓、と言う。

学校で教えられるものを読み書きソロバンと言う。
一方で学校は、集団生活を学ぶ場とも言われている。
肩を並べて豚になる。
敬われた目上が裸になる。

社会の上層に位置するとされる人たちがエリート。
エリートが集中する社会と分散する社会とがある。
集中するとエリート的であることが正しくなってくる。
豚は裸だ。

エリート的とは何か。
一つは他人を不快にさせないことだろう。
エリート社会の他人とはエリート。
ブスがブスだと言われることはついぞ無い。

小さい子供に、あれの中身はバイトのおっさんだよ
と言う事の何処が正しく、何処が間違っているか。
まあほっといても子供はいずれ知ることになる。
ブスをおだてるのは誕生日くらいにしておくべきか。

都市部民と農村部民との軋轢に所有感の違いがあると見る。
都市には形の無い公があり、農村には有力者という公がある。
農村にも学校があるはずだが
そこでは無形の公は教えていないらしい。
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貧乏とは

2011-01-13 13:40:15 | Weblog
貧困と貧乏。
エリートが机上の議論をするときに使う単語が貧困、
一方庶民が感覚的に使うのが貧乏という単語。
それぞれ問題とされるが、似て非なる問題であるとする。
極論すると為政者は貧困問題について考える必要は無く、
ひたすら貧乏問題だけを追えば良い。

貧困とは収入が必要に満たないことである。
他方貧乏とは、収支に余裕が無いことを言う。
昨今の日本の新聞は貧乏問題を貧困問題と言い換えようとして
必要水準を引き上げるというトリックをかましているが
私はこれを愚行として記しておく。

当人が余裕が無いと感じれば貧乏。
全員が金銭的に余裕があると感じていれば貧乏は無い。
相対的に一番貧乏という言い方は残るが。

貧困ではあるが貧乏ではない。
これは財産処分の自由が無い状況だろう。
遭難しサバイバル生活中の大富豪がこれに相当しまた、
そこまで極端ではなくとも何らかの形で他者の庇護下にあって
家賃と食費がかからない場合などは統計上貧困でも余剰はある
という人はそれなりの数居るだろう。

貧困ではないが貧乏だ。
旦那が酒や賭博にはまっている、奥さんが派手好きで
昼間旦那が会社で貧乏しているなど。
最近の日本の若者が結婚出来ない理由としてこれを挙げる。
貧乏したくないこの一点。

同性複数で財産共有した場合無駄が減って各人余剰が増える
ことが見込めるはずなのだが、謎である。
男女交際とは見栄が膨れ上がる糞システムということか。
投資の大きさが関係を惜しむ感情を生むのだろうか。

こうしてみると貧乏問題には必ず何かしら別の社会問題が付随し、
貧困問題は統計の取り方によって大きく変動し、そこに問題の
無い例がそれなりに含まれることになる。
実際に外部からなんらかの手助けを必要としている人たちは
貧困かつ貧乏である。
サバイバル中の大富豪に必要なのはレスキュー隊であって
政治家ではなく、使いすぎゆえに周囲に貧乏を作っている者に
支出を減らせと一喝するのも維持者の役目だ。
支出を減らす。 商業メディアが一番嫌うことなのだろう。

貧乏ではない状態というのはなにか。
固定的(と当人が扱っている)支出を減らして余裕、
任意に変動させることが出来るほうにまわす。
フローの扱いか。
任意に処分できる財産がある。
ストックを減らす。

ある集団に貧乏が無い状態。
集団の全員が一定割合任意の支出を持つか
持つために処分できる財産があると認識している常態。
どうするとそれが実現するか。
職の数を増やす、のは短期間なら容易だが恒久的となると
いろいろと問題が伴う。
では支出を減らす。
美味くて健康で安い飯。
安さが取り得の死なない家。
教育費が低くてすむ。
安い移動費。
これを実現するには集合住宅と工場などの職場集中地帯
との間で公共交通機関を運行し大量輸送を実現、
食のニーズを集中させることでロスを減らす、
教育は詰め込みを基本とする、など。
人の集中、住居の固定、大量輸送、大量生産。
画一的で自由が減っているように思えるかもしれないが
結果として各人の余裕が増え、趣味志向の選択が広がると。

貧困問題を考える必要は、だがこう書くと判りやすいかもしれない。
「貧困」と言う人にはうそが多いと。
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