狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

自己嫌悪について

2009-12-02 18:25:50 | Weblog
自己嫌悪
するもしないも
とらえ方
次第なのだが
人ままならず

小さい頃、仕事の関係で両親とも一週間くらい出かけることになり
上の兄弟と私は親戚の家に預けられることになった。
そしてそこで従兄弟と私とでチャンネル争いが発生した。
私が見ようとしたのはかっこよさを前面に打ち出した当時新機軸の特撮番組。
彼が見ようとしたのはたしか、日常系ギャグアニメだった。
テレビは一台。
そこでじゃんけんで勝負となった。
私はそれに勝った。
そして見たかった番組を見て、満足した。

その後だったと思う。
従兄弟が、確か廊下で母親に諭されていたのを見た。
友達がどうのこうの言って泣いていたような気がする。
それを見ても特にこれといった感情は湧かなかった。
見たかった番組を見られなくて悲しいのだろう、
後日友人と話が合わなくなることを嫌っているのだろうとの考えはあったと思う。
だがそれは私にとって知識に過ぎなかった。
おそらく今そういう状況にあっても知識として認識するだろう。

私は自分を人間として欠陥品だと思っている。
頭は良くても社会に生きる人として大事とされる物が一部欠落していると。
記憶を探るに幼稚園児の頃からそうだった。
生まれた時からそうだったのではないかと考えている。
そして、その欠陥も含めて私は私、それで良いと思っている。

自己嫌悪というものがよくわからない。
自分で解らないようにしているのかもしれない。

中学生くらいの年齢の頃は自己嫌悪が割と、身近なものだったような気がする。
当時の私は学校では、家の外では異文化という環境下にあった。
周囲の人間がもたらすものは私の処理能力を越えていた。
その上に厄介極まりない内面の敵にも直面していて、
私はその敵への対処方法を知らなかった。
当時の私の生活は、毎日が敗北だった。
どういう時にどういう行動、どういう発言が適切か判断出来ず、
自分がどうあるべきかを構築出来ず、常識の差と雑音と、時々襲ってくるパニックに
日々流され続けるだけだった気がする。
もう一回やるかと聞かれたら嫌だと言うだろう。
もっと違った状態でありたかったかと聞かれたらうなずきたくなる。
タイムマシンがあったら何を持っていくかと聞かれたらショットガンを選ぶかもしれない。
当時の私に向けて引き金を引くために。

ままならない生活だった。
生命の危険を感じることは無かったが、自尊心が満たされることは極めて希だった。
劣等感が常に真後ろから息を吹きかけてくるような状態だった。
それでも生活に楽しみがあった。
毎日食事があり、ゲームがあり、マンガがあり、本があり、アニメがあり、映画があり、
動物番組があった。 親が居て兄弟が居て猫が居た。
その生活は、それはそれで楽しかった。

劣等感。
それも自分の一部だ。
今の私を形作る、私の経験だ。
今もままならない事が多い。
それでも私は私である。

冒頭の親戚宅の話だが続きがあり、その日だったか翌日だったか翌々日だったか、
何時だったか憶えていないが夕飯に魚が出た。
その魚の骨が、私の喉に引っかかった。
それは簡単には抜けず私はその後数日だか半月だか唾を飲み込むのに苦しむ羽目となり
以後の人生において魚の骨に対して苦手意識を持つこととなった。
何故このような仕打ちをとずっと疑問に思っていたが先ほど一つ答えが浮かんだ。
その苦しみによって私は、親戚から、親から、兄弟から、同情を得たのだ。
おそらくそれは、当時の私にとって必要なものだったのだろう。
コメント
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