狸喰うモノ牛愛でるモノ

あー。 なんでこんな偉そうな事書いてるんだろうなー。

備えについて

2010-06-30 06:20:02 | Weblog
額の裏
茶色の袋
中の束
使うべき日
来ぬが日常

ゲームセンターで初音ミクのゲームをしてきました。
リズムに合わせて飛んでくる画面上のマークが
所定の位置に来たらボタンを押すだけなんですが。
目と耳で補正しながらボタンを押し続けると。
一回百円で、一回だけで退散してきました。

何故クラシックはもっさりして聞こえるのか。
一つ仮説が浮かんだ。 距離である。
10メートルの距離だと1/30秒近くの違いが出る。
そんなもの気にならないだろうと言われるかもしれないが
曲の速い部分だと音符一つが1/8秒とかになってくる。
つまりオーケストラなどの舞台の端と端とでは
場合によっては一つの音の三分の一なり四分の一なりが、
同じ方向にずれる。
それが原因だとすると解決方法は簡単、
全員がリードミュージックをヘッドホンなりで聴けばいい。

さて備えについて。
備える人も居る。
備えない人も居る。
多く備える人も居れば少なく備える人も居る。
あちこちに備える人も居れば長く備える人も居る。
では備えってなんだと。

備えとは何か。
個人で言う所の備えと社会が政治として備えるべきものの
二つが考えられるがここでは後者、政治の方。
例えば食料である。
では食料があれば備わっていると言えるか。
否だろう。
食料だけで備えたとは言わない。

人は死ぬ。
いきなり死んだりする。
病死する。 事故死する。 餓死する。 戦死する。
他人に殺される。 自殺する。 がんばっても最後は老死する。
狭くは老死以外の偶発的な死因を防ぐ、遠ざける。
広くは苦痛全般を遠ざけることを指すと。
遠ざけるものの内、何時役に立つかが決まっていない物が備え。

遠ざける、のが目的なのだから政治的には量の問題、質の問題になってくる。
よって平均寿命が延びるということは上手く備わった結果だということになる。
政治目標になりやすいが備えとは無関係なものもある。
例えば老人の満足度。
先が無いのだから備えではない。
もちろん別の政治目標としてそれを設定する政治家もいるでしょう、
パンとサーカス、票は取れそうです。

軍備は備えか。 備えですな。
戦争抑止は維持であり、また紛争の初期鎮火は人死を減らす。
教育は備えか。 部分的には備え。
もっぱら娯楽としての面が大きい、社会に還元されるまでに
就業という段階を踏むことが必要、などから
備えとは別の政策として扱った方が良いとは思いますが。

備える。
家族のために備えると言う。
隣人愛か。
備えを使わせろと言う。
自己愛だろう。

さて問題だ。
集団で旅行に行くときに役に立つかもとトランプを持って行く事にした。
役に立ったとして持って行った人、それ以外の人にどのような意味があるか。
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身内について

2010-06-29 06:38:21 | Weblog
親愛の
情取り交わす
間柄
傍から見れば
公正の無さ

いくつかの楽曲を一つの曲として連続演奏するものを組曲というらしい。
でクラシックの組曲というのは珍しくはない模様、というより
クラシックがそこから発展してきたという場所の一つとも取れそうな。
ではなぜ私は「そうではない」と思ったのだろうか。
楽器構成が固定化しているからか?

地球儀を見る。
私が持っているのはビーチボールだったりする。
南米を見る。
中心はラパズから東、サンタクルズのあたりだろうか。
ボールの模様を地球にしたらワールドだなと思ったり。

老人介護は嫁の仕事だった。
今日それをする人はどういった扱いを受けるのか。
老人たちはそれをする人にどういう要求をしているのか。
状況をまとめてみる。
・家族のように親身であることが要求されている
・従属者として責務を負うことが当然とされている
・仕事の内容は老人の要望で決まる
・労働の対価は自分一人の生活維持
・老人の側が暴力を振るっても罪に問われない
・中央権力への影響力行使権は老人の側に大きく偏っている
・老人の死後その財産は奉仕者ではなく親族に与えられる

なかなかに興味深い構図。
嫁の責務から身内の権利を差し引いて、
代わりに奉公者の滅私が加えられたのがそれと。
当然就きたがる人は小数だろうこの領域の人員不足を
移民で補おうという話が、これまでのところ一般的だったわけです。

ペットっていますね。
お金で買われますね。
飼った人はその買われたを家族って呼ぶんですね。

名声目当てか最悪の国で走った男が
負けたら今度は母国は別の国と言い出した。
彼の発言をポリティカルコレクトネスに沿っていると喜ぶ人も居るんでしょうけど。

さて問題だ。
身内を大事にするとはどんな行動だろうか。
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教会のウソについて

2010-06-28 08:21:00 | Weblog
嘘吐きと
罵る人の
すぐ隣
事実認めぬ
妬む人たち

天使と悪魔って映画を見ました。
訓練だぜぃとばかりに字幕を英語に設定したところストーリーを追うのが
大変なことになってしまいましたが、おもしろい発見もあった。

私の書いたことを読まれた方にはその内容が、
「教会のウソは良いウソだ」といった意味に見えるのではと思います。
そういう考えも、ないわけではなかったりもします。
でもウソはウソなんですね。
それがウソだったとして、ウソをつかれる側が「それはウソだ」と言ったとする。
これはウソに対する反応としては正しい。
だから問題は本当にウソなのかという点と、さらには言う側が
ウソだと思っているのかどうかという点にあります。

こういう状況を考えます。
ある人が夜道で、たまたまそこに居たネコの尻尾を踏んだ。
驚いたネコが走り道路に飛び出す。
その道路で車に乗っていた人がネコに驚き急ブレーキ。
ネコを踏んだ人はブレーキ音を聞き逃げ出す。
で車の止まった先の道路で酔いつぶれた人が寝ていたと。

ネコを踏んだ人が酔っ払いを救ったわけです。
結果的に。
ネコも死んでおらず車の人も事故を起こさずに済んだ。
でもネコを踏んだ人はそのことを知らない。

ネコを踏んだ結果道路で急ブレーキがあったという踏んだ人の真実と
ネコが飛び出してきた結果事故を避けられたという運転手の真実、
ネコと急ブレーキという一つの事実に対して二つの真実があると。
後日この二つの真実をつなげて一つの話を作った人が居たとして、
はたしてその人はウソをついているのだろうか。
つながるはずが無いと思ってその話を作ったのならそいつはウソツキだ。
ではウソツキの作った話はウソか。

いや受胎告知とかウソクセェって思ってるんですよ。
学者がその後がそういう状況になっていないと指摘する。
そうだろうとも思う。
だから「受胎告知があったはずだ」とは言わないように気をつけているつもりです。
でもマリア氏に「あったんだけど忘れてました」とか言われると
「あー、あるあるあるある」とかなっちゃうんですね、私の場合は。

教会のウソの結論ですが、本当にそれらの話を信じているのなら
ウソツキではない、となりますしどの道結果は上持ちだと確信しているのなら
教会関係者の行動としては正しい、ということになります。
逆に、違うと思っている話をホイホイしているようなら怒ります。

さて問題だ。
あなたは命令された時にネコの尻尾を踏めますか。
その結果を知り得ないとしても満足できますか。
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生活水準について

2010-06-27 06:49:52 | Weblog
没落を
嫌わぬ人は
ごくわずか
では好む人
どのような人

仮に私が経営者だったなら服が汚れることを気にする人間、
日ごろとっさに走れないような靴をはいている人間を
責任者の立場に就けようとは思わないだろう。
動けないのならともかく動かない人間がなれるのは
統率者ではなく扇動者だ。
扇動者候補の中に統率者候補がいたら、
まあそれなりに目立つだろうな、と書いておく。

少し前に近所で政治家が演説をしていた。
飲み屋で一杯、飲み屋で二杯と。
私向けではなさそうと聴衆を見るにそういう話がウケそうな人たち。
生活水準が下がるからもっと若者を働かせようとのこと。
バブルという「大きな荷物」を持ったままの皆々様方、
馬車に乗るなら持たなくていいし歩かなくていいしってか。

そんなわけで生活水準について。
日付変更線が醜い。
もう十度ほど東なら美しいのにと。
そうするとベーリング海峡を抜けてニュージーランドの東を通る。
西はノルウェーから陸の線を通りチュニジア、赤道ギニアのあたりから海上へ出る。
で、トンガについてネットを漁ってみた。
飢えない最貧国、と出た。
いつでも海や畑からなにかしらが取れること、それをみんなで食べるのが当たり前、
社会がそうなっているのだそうな。

さて、ここで誰かが自分の生活水準に不満を持ったとする。
そこで何を思いつくか。 食料品の輸出。
誰かがそれを始めたらそこは破綻するだろう。

飢えない最貧国はどこでも実現するだろうか。
無理だ。 凶作がある。
年毎の気候の変化がほとんど無い地域でしか一定供給は有り得ない。
猛暑、冷夏、多雨、少雨。
隔離地でない限り蝗害や鳥獣害も起きる。
そもそもトンガだって津波に襲われたら大災害、自国での救済は困難だろう。
備えが要る。 そして人には備える人と、備えない人が居る。

備えない人を童話にちなんでキリギリスと呼んだりする。
そう呼ばれる彼らのほうが、生活水準が高い。

生活水準は相対的に測られる。
過去と今、近所や友人の家。
99軒のタージマハルの中に1軒の豪邸があったら豪邸の子は聞くだろう、
どうしてうちは貧相なのかと。
私は豪邸の子に言う。
お前は足るを知らぬ愚か者だと。

さて生活水準はどういったときに下がるのか。
災害に遭ったとき。
備えているとき。
自家の収入が落ちたとき。
自家共産体制の人員増があり収入増が無かったとき。

ではどういうときに上がるのか。
自家の収入が増え、それを消費に回したとき。
備えの分を消費すると決めたとき。
自家共産体制の人員減があり収入減が無かったとき。

上がるときは基本下がるときの逆だが、そこには災害は無い。
つまりは備え続けるか、有事に餓死を容認するかのいずれかだ。
バブルを背負ったまま続けられる国なんて存在しない。

さて問題だ。
アル中とはどのような人だろうか。
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愛について

2010-06-27 06:36:28 | Weblog
ロマンスを
求める人に
目の前の
モニターの先
架空か人か

飽きる。
何って音楽である。
パロディウスを聴いてみたが昔ほどの躍動は感じなかった。
最近聴いている音楽も十回目くらいから飽きを感じだし、
二十回目くらいからそれを義務感のようなもので埋めているようになる。
まあそれでも楽しかったりはするのだが。
クラッシックがクソ長いのは実は
繰り返し聴かせない様にするためなのかもしれない。

さて愛について。
前のエントリーで、庶子を受け入れるべし、と書いた。
私の居た小学校は人の出入りの激しい学校で、
ある時やってきた転校生が私の隣の席となった。
良く言えば外向的、悪く言うと目立ちたがりな傾向があったのか
その人物は授業などで私に張り合う行動を間々とっていた。
そんな彼に好意と反感とを持ったわけだが
当時私が親しかった友人が、たしかこう言った。
「あいつ生意気じゃね?」と。

元々反感が勝っていて友人の一言は最後の一押しになっただけ、
あるいはすでに表面化しつつあり友人はそれを汲んだだけだった
のかもしれないが、以後私は反感で行動するようになった。
挑発し彼が怒ってかかって来るように仕向けて適当にあしらったりもした。
彼が来たのは年度末近くだったと思う、ほどなくクラス替えとなり
その転校生とは別のクラスとなったが彼にとっては
短くは無かったのではないかと今思う。

当時私にストレスが溜まっていたとか、そういったことは無かったはず。
友人も、モラルが低かったほうではなかったと記憶。
勇気もあったはず。 一回ささいなことでけんかをしたが、
当時強者だった私に物怖じせず挑んできた。
それがどうしてそうなったのか、だが多分、動物的縄張意識があり、
モラルがなかったからなのだと思う。

居間に相変わらず亀が居る。
暖かくなってきたためか良く食べ、良くウンコする。
彼を家族として愛しているかと問われればよくわからんと答える。
可愛いかと聞かれれば意外とカワイイと答える。
動きが結構楽しい。 少なくともまったく可愛くないわけではない。
世話をめんどくさいと思いつつ、一応は死なないようにしているつもり。

愛と言われてまず思いつくのが親子の愛である。
次が男女の愛。
私は後者を胡散臭いと思っている。
タカリ精神をごまかしてヒロインを気取りたいだけちゃうかと。
本気で病める時のことを考えていたら派手な結婚式なんてやらんだろうと。

こんな話がある。
戦争に行った息子から両親に電話がかかってくる。
戦場で両手両足を無くした身寄りの無い友人を引き取りたいと。
両親は、その友人が死ぬまで世話をしなければならなくなる、
人生を棒に振ることになるから考え直すように、と説得する。
両親に次にかかってきた電話は息子が自殺したという話だった。

身内という。
他人という。
身内の面倒は見る。
他人の面倒は見ない。

艶やかな切花は半月で茶色くなる。
テレビと同じ顔の犬が保健所に並ぶ。
永遠を誓うと言い毎年のように結婚する。
みな愛と呼ばれる。

愛って何だろう?
どうやら一時浸る感傷としての愛、
一生不利益を受け続ける覚悟としての愛、
生かし続けて最期を看取る行動としての愛、
行動とは無関係な宣伝文句としての愛などがありそうだが。

さて問題を出す。
男優か女優かがカメラに向かって愛していると言うとする。
喜ぶのは誰か。
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庶子について

2010-06-26 20:31:23 | Weblog
性交を
子作りと呼ぶ
その違い
目的の差と
責任の有無

最近雨の日が多い。
涼しくて過ごし易いのだが出かけると濡れる。
で時々目にするのが、傘を差したまま自転車に乗っている人。
女性が多い。
大事なことなのでもう一度書く。 女性が多い。
女性が多いと書くか女性に多いと書くか迷ったが、
男女いずれにせよ知性に欠陥のある例外人種であることに変わりは無いはず
なので「が」にした。
ちなみに彼らがそうする理由の一つはファッションなのだそうな。

さて庶子について。
現在の日本では本妻以外との子供を庶子と言ったりするはず。
一夫多妻の場合は別の用語があったはずだが今は例外なく一夫一婦制。
愛人の子、浮気の子は庶子。
と思ったらそれは非嫡出子で、父親に認知されたのが庶子らしい。

男と女がセックスする。
男が女にチンコを突っ込んで射精すると女のおなかの中で
精子と卵子が引っ付いて受精卵となり、それから十月十日とやらで
子供が出てきたりする。 出てこなかったりもする。

子供が出来るから社会に結婚という制度が出来たわけだが
結婚していようがしていまいが、結婚相手だろうがなかろうが
のべつ幕無しチンコを突っ込む男は居るし、
見境無くチンコを突っ込ませる女も居る。
ピルを飲んで子供が出来なくすることを「女性の解放」と言うらしいが
それでもそのうち忘れる人が出てきて子供が出来たりすると。
あるいは金銭や略奪愛目的で避妊したふりをする人もいるとか。
そんなこんなで堕胎医が儲かったり弁護士が儲かったり。

非嫡出子が出来たとする。
どうするべきか。
認知して養育費を払う。 以上。
認知に際し遺伝子検査を義務化する法律を作ったほうがいいかもしれない。

母親が営利目的、あるいは略奪愛で子供を作った場合はどうか。
まあ子供に罪は無いので母親を刑務所送りにして子供を父親が引き取る
というのがベストと思われる。
母親が精子泥棒のようなことをした場合はどうするべきか。
同上。

その判断をどうするか、といった問題があるがこれは課題として置いておく。
今回のテーマは庶子なので、非嫡出子を認知する、あるいは引き取る父親には
結婚相手がいてその子供が居たりするわけだ。
これが当人たちにとっては問題だったりすると。
よほどの金持ちで無い限りはほぼ確実に、生活水準が下がる。
その怒りの矛先は父親に向けるのが正しいと思われるが
父親が権威者である、権力の行使者であるような場合は往々にして、
その庶子に悪意が向けられたりすると。

だいたいの構図が見えてきた気がする。
上の立場の人間にとってそれは権威問題だが
それ以外の登場人物にとってそれは生活水準の問題。
そしてそれは小社会内では身内意識や文化差、生活習慣の違いへの
反感として意識化されると。

厄介なことに生活水準は近隣との比較と、
そしてより強く過去との比較で意識される。
さてどうしたものか。

さて問題を出す。
庶子を隠蔽する理由にはどのようなものがあるだろうか。
父親、庶子自身、兄弟、それぞれについて挙げよ。
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隠蔽のコストについて

2010-06-25 06:43:51 | Weblog
浮気した
後の始末が
延々と
育って増える
身内の他人

ある人が浮気をしたとする。
その結果、浮気相手との間に子供が出来たと。
本来のパートナーに対してその人は、そのことを隠し通そうとすると。
そのコストはどれくらいか。

隠蔽のコストは証拠の隠滅とアリバイ工作の労力である。
そりゃ間違いだろう。
隠蔽者になるということは逃避や粉飾を良しとしない人たち、
つまりまっとうに生きている人たちすべてが潜在的な敵となる。
そういうコストを支払わざるを得なくなる、そっちの方がはるかに大きい。
だが身近な人たちが隠蔽者だったりする人はこの損失の大きさに気付けない。
ふとした瞬間に気付けても、それを忘れる努力を始め、続け、
そしてその努力はさほど時間をかけることなく実る。
いずれにせようそつきの世界に生きる人たちは自分でそこを選んだ。
幼少のころか大人になってからか、人生のどこかで。

結論は、身近な人がどうあれ浮気も麻薬も一回もしないのがベストであり
その手の浮ついた文化を避けて通るのは知恵だろう。
親や友人がどっちの世界に居ようと、そういう生き方を選ぶことは出来る。
次にマシなのが隠蔽を諦める生き方、
一番おろかなのが隠し通そうとする生き方。
隠すことに成功したとしても、その人は良心の世界に入れなくなる。
本人は自分を成功者だと思ってそちらへ進むわけだが
私の目に映るそれは脱落者だ。
もっとも、隠蔽者が権力を握っている世界では
正直な生き方には困難が伴うわけなのだが。

さて問題だ。
浮気や麻薬を文化と称して固定化させようとしている権力者は
どこにいるのだろうか。
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教育について

2010-06-24 10:28:29 | Weblog
教えては
忘れ去られて
また教え
意義を問われて
覚えてなくて

セクシーすぎるからクビになった女性のニュースをどこかで読んだ。
職場の人たちが納得していなかったかのようには書かれていなかったので
日常的に問題行動があったのか、注意されても服装などが改まらなかったのか。
あるいは単に、悪癖の多い無能だったのかもしれない。
何が不適切かの基準はあいまいで、その判断は状況と目分量で決められる。

果物屋に二種類の果物があったとする。
一つは十個に一個くらい飛び切り美味く、
それ以外はたいしたことがなく稀に腐っている。
もう一つは一割飛び切り美味くそれ以外は凡庸で、一割腐っている。
腐っている果実の見分けはつかない。 客はどっちを買うだろうか?
まあ美味くなかったら、あるいは腐っていたら捨てればいい
というのが結論なのだろうけど。

さて教育について。
人の性格には兄弟構成、その中の立ち位置が反映されている部分が多いそうな。
上の子、真ん中、末っ子、一人っ子。
ここに男女構成や年齢差や知力、体力、能力適正などを加えると
膨大なパターンになると思われるがとりあえずはやらない。
まあ長男は一生、よほどのことがない限り長男のまま。

日本の教育システムは6,3,3,4となっている。
幼稚園を加え高校までを一般とすると2,6,3,3か。
これに上記の兄弟構成で見ると幼稚園が上下、
小学校が真ん中が大きく中学高校と上中下を繰り返す形になっている。
そのまま解釈するにまず年齢による能力差が絶対的であるころに
下の立場と上の立場を経験させられる。
次にセンセイの監督の下長期間、真ん中であることが刷り込まれると。
仕上げの中学高校では部活動が重視され、
その中で組織の一員として上、中、下の経験が積まされると。

良く出来ているとは思う。
個人であるべし、強者となるべしと刷り込まれる社会よりも
違う立場の経験が自然と与えられ短絡的な結論から行動に出る
ような大人は減るだろう。

こうした経験が訓練として不適切な場合も考えられる。
例えば個人の生産性が要求されるような場面、
先任者たちの低モラル文化が正当化されやすくなるなど。

今日ではそれほどでもないが以前は受験戦争の弊害が叫ばれていた。
競争は悪だと。
弊害の多くは入学機会を年一回の四月から例えば四月、六月、八月の
年三回に増やすだけでかなり緩和できるのではと思うのだが現状は
そうなっていない。
なっていない理由はそうすると手間が増えるのを教師が嫌ったから
ではないかと見るわけだが。

さて問題だ。
連帯責任という考え方がある。
一人の犯罪行動をグループ全体の罪とする考え方である。
これが内乱抑止の役に立つ場合と役に立たない場合を挙げよ。
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音楽について

2010-06-23 06:32:38 | Weblog
聴く人が
聞きたい事は
様々に
あれど多数は
効く事あらず

欧州から大西洋を南下すると北赤道海流。
それに乗ると一ヶ月くらいでプエルトリコの辺りに着くこともあるはず。
アメリカ大陸は、遠くは無かった。
だがキリスト教もイスラム教も伝わっていなかった。

さて音楽について。
私はクラシック音楽最上の演奏構成は
パロディウスのそれだと思っている。
そういう人間だということを認識した上で書くわけだが
音楽の現状に不満がある。
聞けないのだ。

時々コンサートの宣伝のようなものを目にする。
どこそこで何月何日に何時開演の数時間、値段はおいくらと。
つまりやっていない。
これおかしくないかと。
どういうのならおかしいと感じないか。
例えばこんな。
数分間にカットした曲を幾つかセットのショートプログラム。
毎日演奏、数時間で繰り返し、出入り自由、入場料は二千円以下。

重厚長大路線を極めた結果、聴衆が受け取るものの半分は子守唄になる。
それが商売なのだと言われたらそれまでのことなのだが。

テレビなどで時々ミュージシャンのインタビューを見る。
大概、無手である。
ここにも疑問を感じる。
楽器を持ってないヤツはミュージシャンじゃなくて一般人だ。
ジャカジャンとやってここの音と音のつながりがこうなっていて
これをこうするとこう雰囲気が変わる、なんて言っていたら
フムフムふーんそれで、となるのだが他の視聴者はそうではないらしく、
誰もそれを求めない。
歌わない歌手、演奏しない演奏者。
音楽を知りたいのでも演奏者に興味があるのでもなく
ただ有名人を見たいだけなのだろう。
だからテレビはああなっていて、それに満足しているのだと。

さて問題だ。
宇宙人のタイプを三つ挙げよ。
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雇用機会均等について

2010-06-23 06:26:24 | Weblog
均等を
求める人に
欠けるもの
技の誇りと
顧客の笑顔

一昨日、フェミニストが怒るだろう、と書いた。
あまりピンと来ない人もいるかもしれないので少々補足。
・女性は職人になりたがらず、なっても向いていない
・女性の正しい待遇は午後のお茶会である
これに
・雇用機会の均等が要求されている
という現状を加えると、出てくる結論は
本業はおしゃべりですが公務員待遇を要求、となる。
こんなこと書かれたら怒って当然、むしろ怒るべきだと思うのだが。

さて雇用機会均等について。
巷で男女間の機会均等が叫ばれるようになって久しい。
現在の日本のその状況を、偏見と先入観で書く。

仕事を背広、軍手、主婦、その他に分ける。
十代後半の進路希望は男女別に以下。
男、背広が50%、軍手が30%、その他が20%。
女、背広が60%、軍手が数%、主婦が40%、その他が数%。

二十代後半就業状況の本業と呼ぶものを以下。
男、背広が40%、軍手が50%、その他が10%。
女、背広が30%、軍手が数%、主婦が50%、その他が10%以上。

軍手は労働がそのまま生産性となる仕事。
主婦も子供が育つという点で同様。
背広の労働には書類のための書類、営業のための営業、宣伝のための宣伝、
税金のための税金等々仕事のための仕事が多く含まれると。

もちろんこれ、ただの偏見である。
社会統計的な裏づけがあるわけではない。

さて問題だ。
ある人にとって腹に据えかねることがあった。
ある日その人は徒党を組んで暴れた。
その人の行動は正しかっただろうか。
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