今日は3月29日。主の受難の前夜。
『主の晩餐の夕べのミサ』
『最後の晩餐』 レオナルド・ダ・ヴィンチ作品
『集会祈願』
『いつくしみ深い父よ、
あなたのひとり子は死に向かわれる夜、食事を共にして、新しいいけにえ、愛のうたげを教会におゆだねになりました。
この偉大な晩餐の神秘にあずかるわたしたちが、キリストの愛を受け、生きる喜びに満たされますように。』
『今日の福音 イエスの御言葉 新約と聖体の設定』
『過越祭の前のことである。
イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。
夕食のときであった。
既に悪魔は、イスカリオテのシモンのユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。
『イエスからパンを受けるイスカリオテのシモンのユダ』
イエスは父がすべてを御自身の手にゆだねられたこと、
また、御自分が神のもとから来て、神のもとへ帰ろうとしていることを悟り、
食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水をくんで、弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
『信徒の足を洗う司式司祭』 今晩の我が教会
シモン・ペトロのところへ来ると、
ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。
『ペトロの洗足』
イエスは答えて、
「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と云われた。
ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、
イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。
そこで、
シモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も」
イエスは言われた、「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」
イエスは、ご自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。
それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。』
『最後の晩餐』のとき。
イエスは、『しもべの仕事=洗足』をなさり、使徒もイエスに倣って、”互いに仕え合いなさい!”、と希望しました。
しかし。
ユダは、他の弟子たちと共に足を洗って頂きましたが、”イエスは僕の仕事をするべきではない!”、と 自分の考えで、疑いました。
さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席について言われた。
「わたしがあたながたにしたことがわかるか。
あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。
ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、
あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」
以上。 ヨハネ福音書 13章1-15節
私達は、人に仕えることにより、キリスト御自身に出会うことができるのです。
『わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
マタイ福音書 25ー40
『今日の詠唱 キリストの掟』
『新しいおきてをあなたがたに与える。
『互いに愛し合いなさい。わたしがあなたを愛したように。』
『今日の叙唱 キリストの聖体』
『聖なる父よ、主の晩餐を祝うわたしたちは、あなたの限りないいつくしみをたたえ、感謝の祈りをささげます。
永遠の祭司キリストは、
ご自分を救いのいけにえとしてあなたにささげ、唯一永遠の奉献を全うされました。
キリストのことばに従って、わたしたちはその記念を行い、
いのちと救いの杯を受けて、主が来られるまでその死を告げ知らせます。』
今日。聖木曜日。イエス・キリストは、『愛の掟』と『聖体』、を制定なさいました。
『聖体』で体にイエスキリストを受け、力に満たされ、『愛の掟』を生涯実行してまいりましょう!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
いよいよ。明日は『主の受難』。明後日・日曜日は『主の復活』。皆様のお幸せをお祈りいたします。 お元気で!
『主の晩餐の夕べのミサ』
『最後の晩餐』 レオナルド・ダ・ヴィンチ作品
『集会祈願』
『いつくしみ深い父よ、
あなたのひとり子は死に向かわれる夜、食事を共にして、新しいいけにえ、愛のうたげを教会におゆだねになりました。
この偉大な晩餐の神秘にあずかるわたしたちが、キリストの愛を受け、生きる喜びに満たされますように。』
『今日の福音 イエスの御言葉 新約と聖体の設定』
『過越祭の前のことである。
イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。
夕食のときであった。
既に悪魔は、イスカリオテのシモンのユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。
『イエスからパンを受けるイスカリオテのシモンのユダ』
イエスは父がすべてを御自身の手にゆだねられたこと、
また、御自分が神のもとから来て、神のもとへ帰ろうとしていることを悟り、
食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水をくんで、弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
『信徒の足を洗う司式司祭』 今晩の我が教会
シモン・ペトロのところへ来ると、
ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。
『ペトロの洗足』
イエスは答えて、
「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と云われた。
ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、
イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。
そこで、
シモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も」
イエスは言われた、「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」
イエスは、ご自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。
それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。』
『最後の晩餐』のとき。
イエスは、『しもべの仕事=洗足』をなさり、使徒もイエスに倣って、”互いに仕え合いなさい!”、と希望しました。
しかし。
ユダは、他の弟子たちと共に足を洗って頂きましたが、”イエスは僕の仕事をするべきではない!”、と 自分の考えで、疑いました。
さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席について言われた。
「わたしがあたながたにしたことがわかるか。
あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。
ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、
あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」
以上。 ヨハネ福音書 13章1-15節
私達は、人に仕えることにより、キリスト御自身に出会うことができるのです。
『わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
マタイ福音書 25ー40
『今日の詠唱 キリストの掟』
『新しいおきてをあなたがたに与える。
『互いに愛し合いなさい。わたしがあなたを愛したように。』
『今日の叙唱 キリストの聖体』
『聖なる父よ、主の晩餐を祝うわたしたちは、あなたの限りないいつくしみをたたえ、感謝の祈りをささげます。
永遠の祭司キリストは、
ご自分を救いのいけにえとしてあなたにささげ、唯一永遠の奉献を全うされました。
キリストのことばに従って、わたしたちはその記念を行い、
いのちと救いの杯を受けて、主が来られるまでその死を告げ知らせます。』
今日。聖木曜日。イエス・キリストは、『愛の掟』と『聖体』、を制定なさいました。
『聖体』で体にイエスキリストを受け、力に満たされ、『愛の掟』を生涯実行してまいりましょう!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
いよいよ。明日は『主の受難』。明後日・日曜日は『主の復活』。皆様のお幸せをお祈りいたします。 お元気で!