マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

復活節第二主日・・・『八日の後、イエスが来て真ん中に立った。』・・・『信じる者になりなさい。』

2018-04-08 09:30:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
今日は4月8日。復活節第二主日。

今日は、復活後の『イエスの五度目の出現』です。

一度目の出現。

受難後の週の初めの日の明け方。マグダラのマリアともう一人のマリアに現れました。
  
 『開け方、婦人たちが墓の中のイエスを見に行くと、イエスは復活されもう墓の中にはいませんでした。
     天使が婦人たちに伝えます。
 
 「あの方は復活し、ここにはおられない。先にガリラヤに行かれ、そこでお目にかかれる。」と。

  婦人たちは、喜び、弟子たちに知らせるために走って行くと、
  イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので
 
   婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。


  イエスは言われた。
「恐れることはない。行って、私の兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこで私に会うことになる。」
           マタイ福音書 28章1-10節

  イエスが、最初に現れたのは、母でも弟子でもなく、女性の前でした。
    それは、女性こそ信仰の先駆者であったと認める、イエスの優しさではないでしょうか。 


二度目の出現。
受難後の週の初めの日。エルサレムから60スタディオン(11㎞強)離れたエマオという村に向かう二人の弟子に現れました。


  『二人の弟子が、エマオに向かって歩きながら、一切の出来事について話しあっていた。
  話しあい論じ合っていると、イエス御自身が近づいてきて、一緒に歩き始められた。

 
 『エマオへの道』 

    しかし、二人の目は遮られていたので、イエスだとは分からなかった。

 イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。
 一人のクレオパという人が答えた。
 「エルサレムに滞在していながら、この数日で起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」
 イエスが、「どんなことですか」と言われた。


  そこで、イエスは言われた。
 「ああ、物分りが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、
   メシアはこういう苦しみを受けて、栄光にはあいるはずではなかったのか。」

  そして、
 モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。』

                 ルカ福音書 24章13-35節

   復活したイエスは、弟子たちと共に、エマオまで歩きます。
      イエスは、弟子たちに現れ、復活を確認させるのです。



三度目の出現。
受難後の週の二日目。エマオへ向かっていた二人から話しを聞いていた使徒たちの真ん中に現れれました。


  『エルサレムに戻った二人の弟子は、道で起こったことや、パンを裂いてくださった時にイエスだと分かった次第を話した。
  こいうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、

 
    「あなたがたに平和があるように」と言われた。

  彼らは恐れおののき、亡霊を見ていると思った。 そこでイエスは言われた。
  「なぜうろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。
  触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたが見ているとおり、わたしにはそれがある。」

  こう言って、イエスは手と足をお見せになった。
 
  彼らが喜びのあまり信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。
  そこで焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。』

                    ルカ福音書 24章35-48節

   復活したイエスは、人の目には見えなくても・・・
     共同体の中に共にいて下さり、力強く働いていて下さるのです。


四度目の出現。
受難後の週の既に世が明けた頃、ベリアス湖畔で、漁をする弟子たちに現われました。


 『その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。

シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、6人の弟子たちも、「私たちも一緒に行こう」と言った。
しかし、その夜は何もとれなかった。 

  既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。
  だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。

イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは「ありません」と答えた。

イエスは言われた。「船の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」
そこで、網を打ってみると、魚があまりにも多くて、もはや網を引き上げることができなかった。
 

  イエスの愛しておられたあの弟子がペテロに「主だ」と言った。
シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって海に飛び込んだ。

イエスが、「今とった魚を何匹か持ってきなさい」と、「さあ来て、朝の食事をしなさい」と言われた。

  弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。
      主であることを知っていたからである。
   復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である

        ヨハネ福音書 21章1-14節

   
   主は、栄光を帯びて来られるのです。
     イエスは、教会の中にも、世の中にも、宇宙の中にも存在するのです。                     


そして。

五度目の出現。
受難後の週の初めの日から八日の後。前回の使徒に現れた時にいなかった弟子・トマスも含む12人の使徒の真ん中に現れました。


『今日の福音 イエスの御言葉』

『十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。
「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、
 わたしは決して信じない。」


さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸には鍵がかけてあったのに、
イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

それから、トマスに言われた。
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。」


 『疑うトマス』                   Brugghen作品。
  
    「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 イエスはトマスに言われた。
   「わたしを見たから信じたのか。見ないで信じる人は幸いである。」
               ヨハネ福音書 20章19-31節

   イエスの復活を疑うトマスは、『疑う者たち』の代表といえますね。

 『真理』は一つです。
『イエスの過越しは成し遂げられ、神の子羊のいけにえによって、神と人類の間に『新しい契約』が成立した。』


  復活なさって、神の座に戻られたイエス。
出現の度に、『兄弟たち』とか『子たち』と呼びかけ、
再会の度に、『おはよう』と『あなたがたに平安があるように』と、優しく御挨拶して下さることに、感動です。
  神の身でありながら・・・。有難いですね。私たちも、お人に対していつも、かくありたいものですね。


『今日の叙唱』

『聖なる父よ、
過越しの子羊キリストが捧げられたこのとき、感謝と喜びに満ちあふれてあなたをたたえます。
キリストは死からの復活によって罪を打ち破り、倒れていた世界を立て直し、新しい命をわたしたちにお与えになります。
 全世界は復活の喜びに満ち、すべての天使はあなたの栄光をたたえ終わりなく歌います。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
信仰とは、見えぬものの存在を信じることです。愛を信じ合う。素敵なことですよね。 お元気で!